【南部辺境】闇の呼び声
マスター名:夢村円
シナリオ形態: シリーズ
EX
難易度: 難しい
参加人数: 12人
サポート: 2人
リプレイ完成日時: 2010/12/29 01:03



■オープニング本文

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 開拓者が主催した懇親会で突然、悲鳴を上げ倒れた辺境伯のお見合い相手ティアラは、程なく意識を取り戻した。
「どうしたのですか?」
 心配そうに声をかける辺境伯にティアラはまだ微かに残るという頭痛を手で押さえながら答えた。
「良くは解らないわ。なんだか、急に頭の奥に何かがぶつかってきたような衝撃があって、それから‥‥そう。誰かが呼んでる様な気がしたんだけど、後は覚えてないわ」
「疲れているのだよ。ティアラは。辺境伯。せっかくのパーティですが失礼させて頂いてよろしいでしょうか?」
 そう言うと兄ラスリールは妹を連れて、懇親会を辞していった。
 何かの手伝いに、とオーシニィが付いていく。
「あれは、なんだったのかしら。お兄様」
「気にすることはないよ。ただの夢だろう? でも、ティアラ。開拓者になど気を許してはいけないよ」
「わ、解ってるわ。ただ、ちょっと世間話をしただけよ。志体持ちなんてどうせ、皆、同じなんだから」
「そう、その意気。気持ちを強く持って。利用などされないようにね」
 オーシニィをただの使用人と思っているのか、二人はそんな会話を警戒なく話ながら廊下を歩いている。
(「それとも、わざと聞かせてるのかなあ? とにかく、叔父上や開拓者に話しておかなくっちゃ」)
 そうオーシニィが思ったことを知る由もなく。

 懇親会でティアラが倒れた時、人魂で周囲の様子をうかがっていた開拓者がいた。
 彼はその時、パーティの会場から密かに抜け出す女の姿を見た、という。
「本当に女性であったか、人間であったかどうかは解りませんが‥‥」
 開拓者の幾人かは顔を見合わせた。
 ふと、少し前、同じ会場であった状況とどこか似ている。
 胸の中にもやもやと嫌な予感と想像だけが広がっていく。
「あれから、兄妹様の身の回りのお世話をする従者様に、詳しく伺ってみたのですが‥‥」
 辺境伯のメイドとして側仕えに加わっていた開拓者もまた、仲間達に集めた情報を伝える。
「昔、エルと言うお二人の乳兄弟が、志体持ちのせいで死に追いやられたということがあったようですわ。詳しい事情までは聞けませんでしたし、他にも理由はあるようでしたが‥‥」
「とにかく、妹の方はまだ手の打ちようがあるかもしれん。だが、問題はあの兄貴や。あいつ下手したら妹切り捨てる、いや踏み台にするとかしそうや。だとしたら想像以上に手強いで」
「アリアズナ姫も、すっかり心を捕らわれていますしね。本当に‥‥なんとかしないと」
 開拓者達は顔を見合わせ、唇を噛む。
 リーガとメーメル。
 見合いぶち壊しの依頼はまだどちらからも取り下げられてはいない。
 だが二人の求婚者は、新年を南部辺境で過ごすことにしたらしい。
 そうと願い出られた時、辺境伯は珍しくその表情をはっきりと曇らせた。
「昨年は乱の余波でまともに新年を楽しめなかった辺境です。今年は賑やかに祝いたいという民を止めることはできませんが、おそらく人の喜び奪うべくアヤカシは狙って来るでしょう‥‥」
 既にメーメルで理由の解らぬ死体がいくつも見つかったり、リーガで小規模だがアヤカシの集団が目撃され、人を襲ったりと新年にふさわしくもない事件が続発している。
 それは果たして、かつて逃がした闇か、新たなる影か。
「それにもし、あのお二人が関わってくるようであれば‥‥どうなることか」
 聞くところによるとアヤカシの術には人を操ったり、魅了したりのものも多いという。
 人に憑依するアヤカシもいる。かつて辺境を幾度も騒がせたアヤカシもその類だ。
 だから、と辺境伯は開拓者達を見た。
「皆さんに依頼を正式に追加しましょう。辺境を狙うアヤカシを探って下さい。見合いの件はこと、ここまで来てしまえば、潰すのを急ぐ必要はありません。民の平和と安全が第一です」
 つまり、今回の正式な依頼はリーガ、メーメルを含む辺境のアヤカシの調査と可能な範囲の退治ということになる。
「新しい年に向けて、憂いは少しでも減らしたいのです。よろしくお願いします」
 新しく作られた依頼書を見つめながら、開拓者と係員は辺境に近づきつつある台風よりも暗い闇の影を感じずにはいられなかった。

 そして、ある日の夜。闇の中。
「私を呼んだのは君かい?」
『お前の望みを叶えてやろう。その代り、力を貸すがいい。私の為に』
「残念ながら君に叶えて貰うような安い望みは無いよ。願いは自分で叶える。むしろ、可愛いお嬢さん。君に力を貸してあげようか?」
『ほお? 面白いな』
 そんな会話が静かになされ、消えていったことを知る者はいない。


■参加者一覧
龍牙・流陰(ia0556
19歳・男・サ
八十神 蔵人(ia1422
24歳・男・サ
八嶋 双伍(ia2195
23歳・男・陰
秋桜(ia2482
17歳・女・シ
フェルル=グライフ(ia4572
19歳・女・騎
シュヴァリエ(ia9958
30歳・男・騎
フェンリエッタ(ib0018
18歳・女・シ
龍馬・ロスチャイルド(ib0039
28歳・男・騎
フィーネ・オレアリス(ib0409
20歳・女・騎
ニクス・ソル(ib0444
21歳・男・騎
長谷部 円秀 (ib4529
24歳・男・泰
御調 昴(ib5479
16歳・男・砂


■リプレイ本文

●聖夜と新年
 聖夜祭と新年を間近に控え南部辺境は雪と明るい笑い声に包まれていた。
 ジルベリアの冬はとにかく厳しく寒い。
 だからこそ、彼らは冬を明るく笑って過ごして春の訪れを待つのだと天儀の開拓者達が知ったのはここ最近の事である。
 鮮やかに飾られた常緑のモミの木や、人々の笑顔を見るにつけ、人の力とたくましさを知るのである。
「ジルベリアの人はいつも、しなやかに強く、優しい。その笑顔を私はとても尊いと思います」
 南部辺境を訪れたのはどのくらいぶりか。
 時を経ても変わらない人々の笑顔を愛しげに見つめながらフェルル=グライフ(ia4572)はその手を強く握りしめた。
「私にとっての敵は‥‥笑顔を霞ませる存在です。怪我をして、苦しんで‥‥命を喪って。そうして大切な人と一緒に笑い合えなくなる事ほど哀しいことは‥‥ないです。辛く、苦しい思いを重ねていらした辺境の方々だからこそ、これからは笑って欲しい。そう思います」
 複雑さを増してきた南部辺境の事件。
 手助けの呼びかけに真っ先に応じたフェルルはそう、自らに言い聞かせるように笑っていた。
 事は辺境伯にジェレゾからお見合い相手がやってきたことに端を発する。
 そのお見合い相手は皇帝の外戚という身分を持ち、できるなら断らない方がいい相手、と言われていたがこの相手、ティアラ姫はどうしたって受ける理由を見つけられない程の性格ブス。
 辺境伯を慕い案ずる使用人達は密かに見合いを潰す為の協力を開拓者達に願ったのだ。
 冬の少し前に出されたこの依頼はまだ継続中であり、おそらく年を越すだろうと見られている。
 それはこのティアラ姫とその兄のラスリールが、開拓者が考えていたよりもかなりやっかいな存在であったからなのだが‥‥。
「加えて変死事件にアヤカシの襲来ですか」
「どうにも、何の心配も無く新年を迎えるというのは少し難しそうですね」
 秋桜(ia2482)の言葉に龍牙・流陰(ia0556)は顔を顰め頷く。
 きっと‥‥何かが起こる。いや、起きている。起きてしまった。
 彼の憂いは開拓者全ての心配であった。
「メーメルで変死体が、と言っていたな。やはり、例のアヤカシが関わっているのだろうか」
 例のアヤカシ。
 シュヴァリエ(ia9958)が思い起こし口にした存在の事は実際に相対したことのない開拓者達にも知らされている。
 人に憑依し魅了する能力を持つモノ。名前さえ知れぬ存在が闇から南部辺境を狙っている‥‥と。
「結局兄妹お2人の事が棚上げになったまま、以前から皆さんの懸念されていたアヤカシの動きまで‥‥こうなる前に、どうにかできているべきだったんでしょうけど」
 悔しそうに呟く御調 昴(ib5479)の思いは皆の思いでもある。
「どうにも、裏で何かが動いているようですね。‥‥困りましたが、まぁ嘆いても仕方ありません‥‥ひとまずいつも通りに、出来る事を精一杯頑張ると致しましょうか」
「できること、ですか。メーメルの変死事件、リーガのアヤカシ調査、それからティアラさんの護衛に、ラスリールさんの監視‥‥いろいろありそうですね」
 八嶋 双伍(ia2195)の言葉にフェンリエッタ(ib0018)は指を折る。
「それに‥‥」
「それに、あっちゃんの件もあるで。ある意味それが一番優先事項やろ」
 あっちゃんと聞きなれない呼び名で告げた八十神 蔵人(ia1422)であるがフェンリエッタは誰を指していることかすぐに解って頷く。
「ええ、アリアズナ姫の事が最優先です。彼女にあの危険な人を近づけられない」
「危険な人? そのラスリール卿という方はそこまで危険な方なのですか?」
 フェルルの問いにフェンリエッタはええ、多分と答えた。
「多分、ではなく間違いなく危険な男だ。前回剣を合わせて解った。俺はメーメルの調査に行くが残る連中は十分に注意して欲しい」
 フェンリエッタが多分と答えた理由はまだ、確信が持てていない事があるからだが、シュヴァリエの言葉を否定する気はない。
 ラスリールが危険な男であることは間違いないのだから。
「だから今はあの混沌を望む存在が許せないし、あの時ぎゅっと力強く手を握って下さった姫を応援していますっ。姫を守る為に全力を尽くします」
 フェルルに頷きとにかく、とフェンリエッタが手を握った。さっき折った指先の確認だ。
「やるべきことは山積みです。手分けをしましょう。まずはアリアズナ姫にラスリールとの婚約を諦めさせること」
「それはワイがとりあえず受け持つわ。皆にも協力して貰わんとあかんやろけど」
 蔵人とフェンリエッタは顔を合わせて頷きあう。
「それからティアラさんの護衛」
「それについては私に担当させて下さい。ティアラ姫とお友達になれたらと考えています。あの方は、決して話の分からない方ではありませんわ」
 スッとフィーネ・オレアリス(ib0409)が手を上げるが、長谷部 円秀(ib4529)の目は厳しく光る。
「気持ちは解らないでもありませんが、それゆえに私には許せませんね」
「何が、ですか?」
「どうも気に入らないのですよ。依頼どうこうではなく、いつまでも過去にとらわれるその性根がね」
「まだ、今の時点ではティアラさんが辺境にとって良い存在ではないことは確かです。変えて貰えるならそれに越したことはありません。倒れた件もありますし、目は離さない方がいいでしょう。フィーネさん。お願いします」
 彼女の他に双伍も手伝いについてくれると言う。
「なら、ラスリールの護衛には俺が付こう。護衛というより多分監視になるがずっと関わってきた分違和感は無い筈だ」
「私はリーガ近辺の警備に回りますが、城内にいるときはお手伝いします。あの人の心持は私には認められないものでもありますし」
 ニクス(ib0444)と龍馬・ロスチャイルド(ib0039)がそう告げ、他の者達もそれぞれの行動を表明しやるべきことを決めた。
 指を折ったフェンリエッタの手が綺麗に開かれる。
「頑張りましょう。リーガとメーメルの人々が、少しでも憂いなく新年を楽しめるように」
 鬨の声は上がらない。この依頼には相応しいものではないから。
 だが交わされた目線と心は開拓者の心は一つであると告げていた。

●兄と妹。その変化
「別に、大したことは無いわよ。ちょっと立ちくらみがしただけだもの」
 見舞いに来たと告げた開拓者達の集団に、ベッドの上に体を起こし、どこか照れたような表情でティアラはそう言った。
「お元気そうで本当に良かったですわ」
「本当は寝ている必要もないの。ただ、別に何もすることがないし、あまり出歩かない方がいいって兄様が言うから寝てるだけ」
「でも、無理はいけませんよ。皆が心配します。同じことが無いように十分気を付けて下さい」
「最近はリーガの近辺にアヤカシが出るそうです。いろいろと物騒になってきましたからね」
「解ってるわよ。もう買い物にも飽きたし当分は大人しくしているわ」
 ぷいと顔を背けたティアラに開拓者達は密かに顔を見合わせ微笑んだ。
 以前に比べれば随分と丸くなったものだと思う。
「何を笑ってるのよ!」
「いえ、別に」
 双伍はそう言いながらも顔から微笑を剥がさない。
 そんな開拓者達の中から一歩、昴が前に進み出た。
「ティアラ姫。僕は少しお暇を頂きます。お側を離れることをお許し下さい」
「えっ? どうしたの?」
 開拓者達が思う以上に驚きの表情を浮かべたティアラに昴はニッコリと笑みを浮かべる。
「さっき、流陰さんがおっしゃったとおりリーガ近辺にアヤカシの群れが出現しているそうなのです。なので、僕達も辺境伯のお手伝いとしてその調査に回ることになりました」
「アヤカシって、危ないじゃないの!」
「はい。ですが普通の兵士の皆さんではなお危ないですから。大丈夫です。僕だけではなく他の仲間も一緒ですから」
「他の仲間って‥‥」
「はい。ですからその間、警護の一部はお傍を離れることになりますがご了承ください‥‥なにぶん人手が不足している状況ですので」
 昴の言葉に流陰が続けた。ティアラが辺境に来てからほぼ一緒にいた護衛の開拓者が二人、いなくなる。
 ティアラの顔から輝きが消える。
「ほお」
 双伍は小さく、驚いたように笑う。
 彼女が浮かべた表情は間違いなく不安と、心配であったからだ。
「大丈夫ですよ。アヤカシ集団を倒して、ここを守ってきますから!」
 自信たっぷりの昴の答えを聞き、ティアラはどこか安堵の表情を浮かべる。
 けれど、それは一瞬の事。
「べ、別に心配なんかしてないんだから、あんた達は殺しても死なないでしょ。せいぜい頑張ってくれば」
 ぷいと顔を背けてしまう。
 フフフと、今度は双伍は声を殺して笑った。
「だから何を笑っているのよ!」
「別にでなんでもありませんと言っていますよ」
「ティアラ様。後でお茶をお持ちしますわ。辺境は寒いですからこれを羽織っていて下さい。少し、気分がよくなったら一緒にお菓子作りでもなさいませんか?」
 フィーネが差し出したコートを重いコートね。と言いながらティアラは受け取っている。
「お菓子なんて、なんで私が!? そもそもあれは作れるものなの?」
「誰かが作っているからティアラ様も食べられるのですわ。プリニャキとかお好きでしょう?」
「プリニャキ? それなら‥‥まあ、作ってあげてもいいけど」
 くすくすくす。もう双伍は声を隠そうともしない。
「だから! 本当に何がおかしいの! って言ってるのよ」
「本当に何でもありませんよ。では、私は昴さん達の出立のお手伝いをしてきます。フィーネさん、流陰さん。ティアラさんでは、また後ほど」
「行ってきます!」
 部屋を出て、ぱたりとドアを閉めた双伍を昴は小さく見上げた。
「随分楽しそうですね」
「おや、そう見えますか? どうやら、僕、意外とあの方気に入っているようですね。ふふ、実際仕えるとなると大変そうですけど」
 そう言うと双伍は顔を上げ、廊下の向こうを見つめた。
 視線の先には金色の影が微かに揺れている。
 それを見つめる彼の目からは、もうすっかり笑みは消えていたのだった。

 そしてここはメーメル城。
「ま、ちょっとしたお遊びだと思うて付き合ってえな」
 蔵人の提案にメーメル城主アリアズナは小さく首を捻った。
「私が侍女に化けてリーガへ? ランディスがメーメルからの使者というのは別に問題ありませんが何故そんなことをしなければならないのですか?」
「それは‥‥その」
 なんと言ったらいいのか、そう考えているであろうフェンリエッタを横目に見やり蔵人は思いっきり明るく声をあげる。
「あっちゃんが例の彼が気になるなら見せてあげようというサプライズです! 好きな人の事は何でも知りたいやろ? せっかくやから彼の妹やラフな姿大公開ってな」
「それなら行きたいです! ラスリール様の事はもっと知りたいと思っていたので」
 即答であった。
 お目目キラキラ。花さえ散りそうな恋する乙女は恋する人の為なら何でもする。そんな感じだ。
「でも、いいのかしら。私がそんなことをしたらあの方、お怒りになったりしないかしら」
「自分で確かめ見極めることは必要だと思うわ。彼は貴方と民に何をもたらすかしら? 貴方は彼に何をしてあげられる? 恋は縋るだけじゃダメよ。その為にはまず知ることから始めなくっちゃ」
 フェンリエッタの後押しに、アリアズナは決心を固めたように頷く。
「はい。私、やります! よろしくお願いします」
「じゃあ、後から迎えに来るからな。アンナちゃん。あとよろしゅう」
 そう手を振って部屋を出た蔵人とフェンリエッタは顔を見合わせ、大きくため息をついた。
「やれやれ。やな役割やな〜」
「領主としての堅さが恋をして取れてきたのは喜ぶべきことなのでしょうけれど、このままでは彼女も不幸になるだけですからね」
 ラスリールの警護をしている仲間の連絡の結果を知っているフェンリエッタはもう既にある心づもりをしていた。
 いずれ辛い事実を告げなくてはならないと言う心づもりを。
「まあ、あっちゃんのことは任せとき。絶対に守ったる。だから、そっちの方は頼んだで」
「解りました。よろしくお願いします」
 言ったフェンリエッタは城の外に出る蔵人とは反対の方向へと戻って行った。
 城の中へ。
 彼女にはアリアズナに告げなかったもう一つの仕事があったのである。

 リーガ城の地下の酒蔵。
「ラスリール様、ラスリール様。どちらにいらっしゃいますか?」
 小さなろうそくを手に探す秋桜は、部屋の隅でかさりと動いた音に反応し、そちらに顔と明かりを向けた。
「誰です?」
 彼女が予想した人物ではなかったが、あの整った顔に覚えはある。
 灯りに照らされたのはリーガ城の若い侍女のひとりであった。
「貴女は‥‥」
「あ、あの、申し訳ございません。ワインを取りに来て。直ぐに戻ります」
 顔を赤らめて走り去った侍女の頭巾が落ちている。それを見つめ
「ラスリール様、御戯れが過ぎませんか?」
 酒樽の向こう。一人立つ青年に秋桜は声をかけた。
「君も無粋だね。男と女の逢瀬を邪魔するとは」
「貴方様はメーメルのアリアズナ姫にプロポーズをしていたのではなかったのですか?」
 どこか責める様な秋桜の顔にもラスリールはどこふく風である。
「それはそれ、これはこれさ」
 はあとわざとらしく大きな息を吐き出した秋桜はそれでも表向きのメイドの姿勢を崩さず頭を下げる。
「最近、獣型のアヤカシの活動が活発化し、変死体が多く出ている様で、外出を禁じられ窮屈かとは存じますが、どうかお慎み下さいますようお願いいたします。警備の者が困りますので」
「城の中で危険も何もないと思うけどね。解ったよ」
 そう言うと彼は頭巾を拾うとぽんと、秋桜に渡し手を振りながら去って行った。
「ニクス様。ちゃんと手綱を取って頂かなくては困りますわ」
 扉の影に潜む仲間にため息をつくように秋桜は言った。
「すまない。調べものをしていた。龍馬と交換していたのだがアヤカシ出現との情報に彼も急に外に出ることになってしまってな」
「まったく天宮 蓮華さんと万里子さんが気付いてくれたからよかったようなものの」
 言い訳と解っているからニクスは素直に謝罪する。
「それで、何か情報は得られましたか?」
「ああ。以前少し噂にあった彼等の乳兄弟の件だが、せっかくの就職先を志体持ちに奪われ絶望の後に自殺したという件があったらしい。そのせいで志体持ちをというのは逆恨みも過ぎる気がするが、彼らの父もまた志体持ちに執着して幾人もの妾を囲ったり、そのせいでいろいろ嫌な思いをしているらしいから、外の人間があまりとやかくはいえないな」
 さらに詳しくは引き続き万里子が調査をしている。
 外に出たラスリールは蓮華が見ていてくれている筈だ。
「とにかく、何かが引っ掛かる。『呼ばれたような』というティアラもだがあまりにも変わりないラスリールもかえって気にかかる。外に行った龍馬達が戻ったらさらに警戒を強めないとな」
「お願いします」
 秋桜とニクスは酒蔵から出た。
「でも、あいつの行動をあんまり阻害するのは止めておいた方がいいかもしれん」
 ふと呟くように言ったニクスに秋桜は小首を傾げる。
 表情が、何故? と言っていた。
「その方が、奴の本性を見せやすいだろう?」
 そう言って笑ったニクスの顔はどこか、楽しそうで、さらに秋桜は首を傾げたのだった。

●アヤカシの光と影
 メーメルの城下町。
 その警護所の一角に開拓者達は静かに足を踏み入れた。
 ここは所謂、死体置き場。
 事件、事故にあった遺体を一時的に安置しておく場所である。
「こちらへどうぞ」
 役人に促されて入ったそこには二体の遺体が並べられていた。
「二人? 数人と聞いていたのですが?」
 円秀の問いにああ、と係員は答えてくれた。
「残りの二体は身元が判明したので、遺族の元へと返しました。こちらの二体は現在確認中です」
 なるほど、そう頷いて円秀は遺体にかけられた布をそっと外した。
 一体男性、もう一体若い女性であった。
「こちらが、新しく発見された方ですね」
 遺体の腐敗差などを見た円秀にはいと、係員は答える。
「先に発見された遺体の方はどちらも男性でした。発見された状況は全く違うのですが、外傷が全くないのに死亡しているという点が同じなのでもしかしたら。と」
「死体の発見現場はどこですか? 確認された遺族の家などは? 共通点は?」
 細かい点を一つ一つ確認する円秀の横話を耳に入れながら、シュヴァリエはそっと遺体にかけられた布の端を手に取った。
 そして口づけるように静かに捧げ持つ。
「やはり、憑依されて死亡したのだろう。可哀想な事をした。
 俺達がもっと早くアヤカシへ目を向けていれば、こんな事にはならなかった筈だ。すまない。‥‥だが、悔やむのは後回しだ。これ以上の犠牲は出させないと誓おう」
 犠牲者たちを前にシュヴァリエは静かにそう告げる。
 彼の気持ちが、言葉が聞こえたのだろう。円秀も目を閉じた白い二人の顔を見つめる。
「どちらも若く、美しい子ですね。こんな簡単に命を摘み取られるのは辛いことであったでしょうに。もう放っては置けませんね。手を出してきたことを後悔させてやりましょう」
「ああ。それが一番の手向けだろう」
 そうして彼らは遺体置き場から足を外に向ける。
 白い雪に包まれたメーメルが闇を見つめる彼らにとっては、どこか眩しかった。
 
 フェンリエッタはずっと考えていた事がある。
「ティアラ姫の兄、ラスリールの妄執は、執念の剣先は辺境伯にも向けられているのではないでしょうか? 志体持ち、期待、成功者。彼の望む姿全てを持つ者故」
 彼にとっては妹さえも、駒の一つに過ぎないのかもしれない。
 姫と結婚して自分は、南部での地位を確立。
 皇妃の姪である妹と結婚させたうえで、彼女を傷つければ辺境伯の立場は悪くなるだろう。
 そうすれば、南部辺境は彼のもの。志体持ちや貴族社会への復讐にもなり得ると思っているとすれば。
「そこまで、考える? ラスリールは確かに毒蛇だとは思っていたけどそんなに大それたことができる相手だとは思わなかったわ」
 アリアズナの侍女アンナに、フェンリエッタは微笑しながら首を振る。
「事態というものはいつも私達の考えるその斜め上を行くものです。最悪の事態に対する覚悟はいつもしておかないと」
「そうね。まあ、私はアーナが無事であればそれでいいんだけど」
「今は、貴女がアリアズナ姫ですよ。言葉遣いに気を付けて」
「あ、ごめんなさい。解りましたわ」
 馬車が止まったのを確認して頷くと『アリアズナ姫』は優雅に馬車を降り、働く者達や子供達に微笑みかけた。
 一年を頑張った民への慰労、という名目の訪問である。勿論、今、それを行っているのはアリアズナの乳兄弟アンナであった。
 今、リーガ城に行っている『アリアズナ姫』の影武者まで作って『姫』を街に出したのは、彼女を狙う存在がいるならそれを一網打尽にする為、だったのだが結局この日はそれらしいモノが現れる気配は無かった。
 翌日はシュヴァリエと円秀がさらに護衛に付いたが、やはり一日に変化なし。
 ここに至り開拓者達は自分達の狙い目が間違っていたことに気が付いた。
「アヤカシの今の直接の狙いは、姫ではなかったのですね」
 唇を噛みしめた彼らは、アンナに礼を言ってメーメルを辞した。
 いくつかの有力情報を手に入れたからここでの調査は無益では無かったことは解っている。
 だが、龍を駆りながら懸命にリーガへ走る彼らは苛立つ思いを止めることはできなかった。

 そしてその頃リーガ城へ繋がる街道の外れ。
「危ないですから下がって! ラゴウ! 隊商の人たちを守って!」
 主の命令に従って龍は街道に舞い降りるとその翼を広げた。
 隊商の商人達は開拓者の龍の背に隠れながら突然襲ってきたアヤカシと彼等と戦う開拓者達を見つめていた。
「遅くなってすみません。状況は?」
 アヤカシ襲来の連絡に駆け付けた龍馬は既に戦端を開いていた昴と流陰にそう問いかけた。
「敵は怪狼と剣狼です。一体一体はそう強いわけではありませんが、連携して襲って来るのがやっかいです。気を付けて!」
 会話している間にも狼達は左右から飛び込むように襲って来る。
 それらを龍馬と流陰はそれぞれ剣を抜き、左右一体ずつ切り伏せた。
『ギャウウウン!』
 悲鳴を上げて彼らは地面に落ちた。
 確かに剣狼はともかく、怪狼の方はそれほど開拓者にとって危険というわけでは無い。
「昴さん! 後ろ!」
 龍馬の声に前方を見ていた昴はとっさに後ろに目があるように動き、振り向きざま手に持った銃を撃ち放った。
 弾が狼の眉間を打ち抜く。
「お見事」
「あ、ありがとうございます。龍馬さん」
「落ち着いて戦えばそんなに問題は無い相手です。慎重に行きましょう」
「はい」
 自分の龍を隊商達の側にやった昴には、銃使いであるだけに弾の装填に僅かだが隙が生じる。
 その隙を龍馬が己の盾と身体でカバーしたのだ。
 開拓者達は互いの背中を庇いあいながら、アヤカシを確実に倒していく。
 その数は目に見えて減ってきた。
「後は、あの奥にいる剣狼ですね。あれと、側にいる敵が群れのリーダーグループというところでしょうか。‥‥なら。穿牙!」
 勢いに乗って流陰は太刀を構えたまま踏み込んで行く。
 彼を援護するように流陰の甲龍は狼たちに体当たりをし、龍馬は剣と盾で周りの狼の動きを止めていく。
 一気に敵の前に到達した流陰に飛びかかろうとする剣狼。だがその足を昴が打ち抜いた。
 一瞬のチャンスを見逃さず、流陰は狼アヤカシの頭を割り砕く。そこで勝負は終わった。
「ふう。なんとか片付きましたか」
 ため息をつくが、彼の目からは安堵の色は無い。
「やはり、こちらは‥‥そう、なのでしょうか?」
「ええ、多分間違いないでしょうね」
 瘴気に還りつつある狼たちを見ながら龍馬は頷いた。
「やはり、囮ですか」
 昴は唇を噛んだ。
 おそらく狼たちは何も知らずこの地に誘導されただけだろう。
 背後、周辺に他のアヤカシの気配がないことを考えてもこれらは捨て駒であったと考えられる。
「これで済ませてる場合じゃ、ないんですよね。この隙に何をしてくるか‥‥急いで戻りましょう」
「そうですね。皆さん、もう大丈夫ですね」
「はい、あ、ありがとうございます」
 頭を下げた商人達のお礼の言葉もそこそこに、彼らはリーガへと戻って行く。
 その頃、リーガでは彼らが思っていたのとは違う修羅場がはじまろうとしていた。

●悲しみと恨み
「私を騙していたのですか?」
 そう泣いて立ち去る少女を青年は黙って見つめていた。

 それを仕組んだのは開拓者である。
 だが、思った以上に発揮した効果に少々驚いてもいた。
「アリアズナ姫はどうでしたか?」
 心配そうに問いかけた秋桜にフェルルと蔵人は微かな笑みで答えた。
「泣きつかれてお休みになりました」
「だいぶ落ち着いたと思うわ。芯の強い子やから、少し経てば立ち直れるやろ」
 だが、と蔵人は続ける。
「まさか、ほんまにあそこまで修羅場になるとは思わんかったわ」
 頭を掻きながら告げる彼の言葉に開拓者達はさっきの光景を思い出していた。
 それはまさしく修羅場であったのである。

 メーメルからの名代の使者ランディスがリーガに着いたのは昨日の事であった。
 簡単な年末のあいさつと言上を述べ、一夜を泊まり帰る。
 それはよくあることだ。領主が来たわけでもないからリーガの城はいつもと同じ日常を過ごしていた。
 そこにメーメルの使者の従者が新入りメイドと一緒に歩いていても誰も気にしない。
「な、なんか緊張します」
「落ち着いて。アリアズナ‥‥さん。大丈夫ですよ。バレません」
 フェルルは笑って彼女の手を繋いだ。かつて手のひらを重ねた時のように。
 そう、彼女はアリアズナ。メーメルの姫である。
 蔵人の誘いで愛しい人の姿を見る為にやってきた彼女は開拓者の手によって変装を施されていた。
 伊達眼鏡に化粧用品、ヘッドドレスにメイド服
「よし完璧な眼鏡そばかす地味田舎メイド!」
「おかしくは、ありませんか? 変装自体は体験していますけど」
 緊張を解く為に色々と話しかけていたフェルルは優しく笑って首を振る。
「いいえ、可愛いですよ。こうしてお喋りしてると、お姫様って事を忘れて話しこんじゃいそうです♪ ってこんな事言ったら失礼ですよね、ごめんなさいっ」
 だがアリアズナはフェルルの言葉に手を横に振る。
「失礼だなんて。私自身自分が姫だなんて、まだ実感がないんです。気にしないで下さい」
 そう言ってアリアズナは寂しげに、微笑んだのである。
「私の事を皆が姫として立ててくれる。けれど、私には本当に血筋と決意以外何もないんです。皆の為に役に立ちたいのに‥‥」
「姫?」
 フェルルはアリアズナを見つめる。微かに唇を噛む音が聞こえた。
 彼女がいろいろと悩んでいることは知っている。
 けれども知っているだけだ。
 彼女の本当の悩み苦しみにから助けることはあくまで開拓者でしかない自分にはできない。
「でも、彼はそんな私でいいと言ってくれたんです。優しく抱きしめてくれて、共に歩もうと言ってくれた。貴方だけだと、言ってくれた」
「恋をしてるんですね‥‥♪ 私にも恋人がいます‥‥とっても大切な方です」
 まして彼女の恋する心を今から、打ち砕こうとしているのに。
 彼女は握った手に力を入れた。
「アリアズナさんの思う人が、本当に貴女を支えてくれる人だといいですね」
 今の自分ができるのは、彼女の手をしっかりと握りしめてあげることだけだから。
「少し、皆さんの評判を聞きましょうか?」
 そう促しかけたとき、ファルルは自分の手が空になっているのに気付いた。
 慌てて振り返る。すぐ側にアリアズナは立っていた。
 彼女はたった一点を見つめている。
「今夜、僕の部屋に来ないかい?」
 そこにはメイドの一人だろうか。美しい女性に笑いかけ、顔を寄せるラスリールがいたのだった。
「ラスリール、さん?」
 それは決して大きな声ではなかったが、ラスリールは自分の名前が呼ばれたことに気づいて振り返った。
 そして目を見開いたのだった。
「姫?」
「私を騙していたのですか?」
 そう問いかけたアリアズナの瞳からは涙が雫となって零れている。
「アリアズナ姫!」
 手を伸ばしかけたラスリールを置いてアリアズナは走り去って行ってしまった。
 フェルルと影から様子を見ていた蔵人が後を追う。
 ラスリールと話していたメイドはその場を立ち去ってしまった。
「やってくれましたね。私達がそれ程邪魔ですか?」
 彼の口調は静かである。
 だが、そこに込められた怒りは燃え盛る炎のようだと側で見ていた開拓者達は思った。
「弁解も、弁護も致しませんわ」
「あの結果は君自身が招いたものだ」
 それだけ言うと口を閉ざした開拓者達に、ラスリール自身も何も言わず去っていく。
「あら? まさか?」
 蓮華は首を傾げ、仲間にあることを告げる。
 それを聞いて開拓者達は思った。これで、事は大きく動く。
 よい方に動くか、悪い方に転がるか、今は解らないけれど‥‥。

 開拓者達が追いついた時、アリアズナは自室のベッドで泣き崩れていた。
「私だけ‥‥に、‥‥優しい人じゃなかった。あなた‥‥だけというのは、ウソ‥‥だった」
「あっちゃん?」「アリアズナ姫?」
「皆さんは、解っていて‥‥私を連れてきたのですか?」
 責めるような口調で顔を上げたアリアズナに蔵人は顔を掻き、フェルルは悲しげに笑う。
「あんな場所目撃するとは思うとらんかったけどな」
「どうして、私にあんな場面を見せたんです?」
「あの方が貴女にふさわしいとは思っていなかったからです。それに、あの場面は私達が見せたわけではない。彼の姿です。姫。ラスリール卿はあなたの誓いに‥‥民と歩むその道に、正しく添い合える方ですか? どうか、彼の甘い言葉だけじゃなく、その心をしっかりと見定めて下さい」
「あれが志体無しで頑張る君に興味持ったのは事実やけど結局は「貴族」の君しか見とらん。自分勝手な男や」
 まだ涙が止まらないアリアズナの側に蔵人は寄ると、その頭を優しく撫でた。
 膝にぽんと、大福菓子を置いて。
「大丈夫や、次はちゃんと「君」を見てくれる野郎に遭えるて‥‥メーメルにかえろ? 甘いもんでも食べて忘れてしまい。な?」
「う、うああああんん!!」
 少女は声を上げて泣いた。
 それは、貴族ではなく、領主でもなく、恋をし恋に破れた少女の心からの涙であった。

 バン!
 乱暴に扉を開いて入ってきたラスリールに、ティアラは目を見開いた。
「どうしたの? お兄様?」
 ラスリールはティアラの問いには答えず、彼女に目をやる。
 ティアラはその日、部屋でティータイムを楽しんでいたのだ。
「なんだ? これは? ティアラ!!」
 彼が指差したのはテーブルの上の焼き菓子、紅茶、そして羽織ったコート。
「何って‥‥フィーネさんが、くれたの。寒くなるからって‥‥。お菓子は今日、一緒に作って‥‥! な、何をするの? お兄様?」
 ティアラの返事にラスリールは机の上のティーセットに菓子を払落し、コートを奪うと外へ投げ捨てた。
「開拓者に心を許すなと言った筈だ! あいつら、許さない!!」
「お兄‥‥様?」
 その時、ティアラが見たラスリールの表情は、妹である彼女さえも見たことのない憤怒の顔であったという。

 動乱の南部辺境にさらなる台風が生まれた。
 どうやら今年も穏やかな新年を迎えることはできなさそうである。