虹陣の藁蘂長者〜後編〜
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: シリーズ
EX :相棒
難易度: 難しい
参加人数: 12人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/12/31 11:57



■オープニング本文

前回のリプレイを見る


 溺れる者は、藁をも掴む。
 そんな言葉を聞いたことはないかい?
 人間は困窮して万策尽きた時、全く頼りにならないものにまで必死に縋ろうとする。
 笑ってしまうじゃないか。
 昔の人間は『いいこと』をいうものだって。

 一度、掴んでしまったら。
 一度、縋ってしまったら。
 一度、堕ちてしまったら。

 もう元には、戻れない。……そうだろう?

 + + + 

 五行の東地域は山脈に囲まれた湿地帯で、国内最大の穀物地帯として誉れ高い。
 ここ最近、五行東では異変が相次いでいた。
 暮らす人々には『なんだかおかしいな』と思う程度の異変に過ぎなかった。

 白螺鈿が燃料不足になり、土壌が腐ったことで、虹陣は材木が売れ、山肌を削った単なる土が大金に変わった。土壌汚染は瘴気の確認でアヤカシの関与が疑われている。アヤカシがこの現象を引き起こした原因であるなら、それは一体何が目的なのだろう。
 人の願いを叶え、栄えさせて。
 負の感情と破壊を望むアヤカシに、一体何の利益があるというのか?

 しかし湿地帯の西北に位置している虹陣へ、ありふれた失踪人の搜索と調査依頼で出向いた開拓者たちが、それら異変が恐るべき計画に従って行われていた事実を暴いた。

『虹陣は、結果的に五行東の生命線になってしまっているんです。このまま現状を放置してしまうと、来年里が三つ、滅ぶかもしれません。ほぼ確実に』

 驚きの事実を整理する。
 まず白螺鈿が深刻な燃料不足と土壌汚染で、外部からの燃料補給と土の購入を余儀なくされる。
 すると虹陣がそれを提供する。
 疲弊していた虹陣は、新たな商売で息を吹き返し、大勢の人を雇って需要を満たそうと供給に徹する。木々を伐採し、切り株を燃料に変え、山肌を削って土嚢をバンバン売り払う。
 単なる土が金に変わるのだから、それは金の鉱脈と同じだ。
 大勢による急激な伐採に加えて、無計画な山肌を削る作業が加速する。一年も続いた虹陣の大事業は山に大打撃を与え、森林破壊は回復不可能な状態に陥りつつある。
 季節は巡り、冬がくる。
 もはや山肌には剥き出しの土と岩しかない。
 この土地特有の大雪を、押さえられる天然ダムの森林はなくなる。
 大規模な雪崩が起きれば、山麓の虹陣は壊滅状態に陥る。
 奇跡的に冬を越せたとしても、次の年に耐えられる保証はないし、雪溶けの水で不安定になった山の土壌へ雨期の大雨が追い打ちをかければ、土砂崩れで里が埋まることは簡単に想像できた。
 虹陣の傍らには、墨染川が流れている。
 土砂とがれきで川が埋まれば、下流にある沼垂の里は、大渇水で深刻な被害がでるだろう。
 更に虹陣が壊滅すれば木材や土の供給はとまる。虹陣に燃料を頼っていた白螺鈿は、来年の冬、現状を上回る燃料不足に拍車がかかるに違いない。
 しかしそれも『白螺鈿が次の冬まで無事ならば』の話だ。
 虹陣の壊滅で墨染川がせき止められた場合、五彩大川の水は、一気に白原川に流れ込む。昔から数年ごとに何処かで氾濫していると有名な川だ。水量の激増で白原川が氾濫すれば、白螺鈿近隣には大洪水が発生する。
 白原平野が水に沈めば、町は壊滅的な被害を受けるに違いなく、穀物の収穫は絶望的。
 局所的な食糧不足は、五行の穀物庫である東から……各地に伝播する。

 この大きな悲劇を阻止するために。
 開拓者たちは、誘拐事件の解決や冬が終わるのを、呑気に待っている訳にはいかなくなった。

 + + +

「強硬手段をとるしかない、と思う」

 開拓者ギルドに集まった者たちは、失踪調査と並行して、最終的な決定を余儀なくされていた。
 解決策は考えた。けれど良案が浮かばない。こうなれば手分けをして事態の収拾にあたるしかないという結論に行き着いた訳である。
 五行の東では、先日初雪が降ったという。
 たった一日で消えてしまった雪が本格的に降り始める一月や二月になれば、もはや打つ手はない。
 坂を転がり出した丸い石は、坂の終わりに向けて加速する。
 人の手では止められない悪夢が始まる。

「では……山の頂上付近で発見された炎鬼達の討伐がひとつ、ですね」
「紅木屋を含めて伐採工事の道具や機材の破壊、当面は再開できない様に余りある資産をどうにかしておく必要もあると思います。屋敷などの根本的な場所を破壊して、資金を生活の立て直しに向けるとか……といっても冬ですしね。野党か盗賊の仕業にして盗み出すという穏便な手でもいいとは思いますが……」

 活気が戻り始めている虹陣の生命線を、絶たなくてはならない。
 大義のために、人々の生活を根本から脅かさねばならぬ事に抵抗を覚える者は多かった。

「一応、里の方に説得はしますか?」
「誰がいくんです? こんな話、そう簡単に信じてはもらえませんよ。口のうまい方でもないと……」
「人手が足りるか足りないか、ギリギリですね」
「バカみたいに頑丈な炎鬼どもを手早く片付けられれば、他の作業を手伝いにいける。やるしかない」

 それで、と誰かが壁の依頼書を一瞥した。

「私たちの本来の仕事はあちらですが……鏑木さんの件、どうしますか?」

 未だ謎の多い、失踪した鏑木たちの樵の捜索と救出。帰りを待つ家族がいる。
 もしも誘拐されて、何処かに囲われているとした場合に、いると思しき場所の見当はついている。
 不審な毒香で近づけない、薬宿の離れ。
 そして放置するわけにはいかない瘴気まみれの祠。放っておけない事は山ほどあった。

「体が二つ、あればなぁ」
「ダメですよ、変なこと願ったら」

 きっと恐ろしいモノが『叶えよう』と近寄ってくるに違いないのだから。


■参加者一覧
酒々井 統真(ia0893
19歳・男・泰
乃木亜(ia1245
20歳・女・志
露草(ia1350
17歳・女・陰
弖志峰 直羽(ia1884
23歳・男・巫
狐火(ib0233
22歳・男・シ
ジークリンデ(ib0258
20歳・女・魔
萌月 鈴音(ib0395
12歳・女・サ
蓮 神音(ib2662
14歳・女・泰
桂杏(ib4111
21歳・女・シ
緋那岐(ib5664
17歳・男・陰
沙羅・ジョーンズ(ic0041
23歳・女・砲
松戸 暗(ic0068
16歳・女・シ


■リプレイ本文

「気づいた以上は、止めるしかないな」
 酒々井 統真(ia0893)はため息しか出てこない。敵のやり方は、この二年間嫌というほど見てきた。個別には些細な異変。けれど蝶の羽ばたきが、いずれ大きなうねりとなるような事例は今回が初めてではない。だからこそ尚、腹立たしい。
 人が気づく頃には、手遅れに近い状態になっている事がほとんどだった。
 ちらりと地図を一瞥する。
「俺は炎鬼の相手だな。それにしても……手加減するのはここまで、か」
 相変わらず、ねちっこい攻め方をしてきやがる。
 そう胸の内で毒づきながらも、敵の動き方が変わったことは気にかかる。
「ここまで分かっていれば人も気づきそうなものだけど……欲に目がくらんでるのかしら」
 沙羅・ジョーンズ(ic0041)もまた盛大な溜息をこぼす。元の依頼で依頼人にアレコレ尋ねたいこともあったのだが、迫りくる災害の阻止が第一優先だ。
「アタシも炎鬼討伐にいくわ」
 蓮 神音(ib2662)もまた「情けないけど」と前置きして手をあげた。
「神音も炎鬼討伐に行くよ。伐採を止めさせるいい案も浮かばないし、戦うしか能がないから……でも、自分の出来る事を精一杯頑張るよ!」
 酒々井が「おう、たのまぁ」と、蓮と拳をこつりと重ねた。
「後は担当と元依頼をどうするか」
「私たちが鏑木さんを探します」
 そういって露草(ia1350)は手をあげた。弖志峰 直羽(ia1884)は露草が調査で効率よく動けるよう、再び潜入することを決めた。深夜の精霊門で結陣へ向かう前に、身なりを質素な物に着替えて、眼鏡などで変装するという。
「ですから説得と炎鬼討伐、そして安全策への対応をお願いします」
 萌月 鈴音(ib0395)が地図をなぞる。
「まさか……こんな事になっていたなんて」
 このままでは大勢の人が命を奪われる。その事実を克明に語りつつも、何も語らぬ地図を見下ろして胸を痛めた。萌月がやることはひとつ、伐採の阻止だ。各業者の者たちを説得して回ると、萌月は語る。
「祠の件も気になりますが、私も説得に参ります」
 乃木亜(ia1245)は席から立ち上がった。前回は潜入捜査だったが、今回は違う。精霊門から出発する前に、開拓者ギルドで身の証になりそうな物を発行してもらってくると、部屋を出て受付に向かった。
 狐火(ib0233)は前回の潜入捜査で知り合った者たちをうまく使えないか悩んでいた。
「此方の打てる手は僅かですが……何とかするしかないですね。説得がうまく進むよう工作してみようと思います。賭けですが」
 敵のやり方に、流石と思う反面、げんなりしていた。
 桂杏(ib4111)は敵陣が『もしや人間が好きなのでは?』と軽く妄想を馳せてみたが、アヤカシという性質から考えて結局のところ「ないか……」という結論にたどり着く。
「なんにせよ、伐採を止めさせるには並大抵の理由では叶いますまい。私は白螺鈿へまいります」
 松戸 暗(ic0068)が「白螺鈿?」と怪訝そうな顔をした。白螺鈿は南の町である。
「ええ。まずは説得材料を集めないと。白螺鈿を牛耳る如彩家の三兄弟とは、何かと親しくして参りましたので、虹陣の方に比べれば比較的お話を聞いて頂けます。虹陣の資源を購入しているのは白螺鈿ですから……需要の方に手を打とうかと」
 林業。
 今や虹陣を支える命の柱。
 ジークリンデ(ib0258)もまた、地図に痛ましい眼差しを向けた。
「かつて……林業を勧めた人々が、歯止めが利かなくなったことは残念でなりません」
 希望に満ちた眼差しを、今でも覚えている。
 疲弊し、枯れかけだった虹陣へ林業の提案を持ち込んだのは、他でもないジークリンデだった。手つかずの豊富な資源を元手に、生活を立て直す。その目論見は、確かに叶った。
 虹陣は生活基盤を立て直し、沢山の観光客を呼び戻すことに成功。時々ギルドで見かけた祭の催しを眺めるたびに、己の成果が形として現れた、幸福な一年だったと思う。
 唯一の不幸なことは……それをアヤカシに利用されてしまったことだろう。
「ですが、今は破滅の未来を防ぐ為、尽力するのみ。炎鬼退治、お任せ下さいな」
 松戸 暗は眉間に皺を刻んだ。
「厳しいな。どれだけできるかわからないが……動ける限りの事をしよう。まずは倉庫の破壊工作を手伝おうと思う。鍵を開けるくらいなら、私にだってできるからな」
 そういって緋那岐(ib5664)に手を差し出した。
「宜しく頼む。日中、俺は破壊対象物を調べあげようと思う。よそから供給されたらたまんないしな」
 緋那岐は顔を知られている可能性を考慮し、小汚い女物の着物に着替えてくると言って部屋を出た。符を隠し持って使うには、今の格好は目立ちすぎる。
 やがて来る、深夜零時。
 ここから五行の結陣へ飛び、結陣から各地へ向かう。
 蓮は説得に向かう者たちの幸運を祈り、潜入捜査に踏み切る露草と弖志峰には「気をつけてね」と声をかけた。


 虹陣へ到着した後、酒々井とジークリンデ、蓮とジョーンズの四人が向かったのは、炎鬼が屯していると噂の大岩の辺りだった。確かに炎鬼はまだいた。しかし一体しかいない。
 望遠鏡で様子を見守るジークリンデの報告に酒々井が頬を掻く。
「とすると、まずは討伐するために引っ張り出すところからか」
「ですが、どの道、あの炎鬼も倒さねばなりません。一体の今が好機かと」
 ジークリンデは木々に隠れながら炎鬼に接近した。
 敵はこちらに気づかない。
 深呼吸一つして、ジークリンデの透き通った声が雷を呼び覚ます。ジークリンデの姿が雪のような白燐に包まれた刹那、閃光と共に電撃が奔り、炎鬼に降り注ぐ。
 二発の轟音。炎鬼は瞬く間に砕け散った。
 ジョーンズの目が点になる。
「あ……あら? 案外、弱かったり……するの、かしら」
「違うな。ジークリンデの力量の方が、かってぇ炎鬼を上回ってるんだ、腕をあげたな」
 酒々井の冷静な分析に「お褒めに預かり光栄です」と膝を折って恭しく頭を垂れる。
「試し打ちだったんだろう。手応えは?」
 酒々井の目は、決して楽観視していない。
「お見通しですわね。普通の炎鬼の約二倍程の強度と見ました。本当は、もし普通の炎鬼なら一発で滅びると思ったのですが……これは一気に相手をすると、怪我をするかもしれませんわ。私は一度に連射できても四発が限界。相手が三体以上いれば、狙われてしまいますし、全員で動かざるを得ないと思います」
「耐久が二倍なら、攻撃力も高いとみるのが妥当だな。他に最低三体いるはずだし」
「それと……私、練力を温存しておきたいのです。街のために」
「温存?」
「はい。気休めにしかならないでしょうけど、考えている防衛策があります。虹陣の人々を雪崩から守りたいのです。ですから……」
 思いつめた表情で申し訳なさそうに語るジークリンデを見て「わかった」と言った。
「もう2体、くらいならいけるか?」
「それでしたら」
「じゃあ、ジョーンズとジークリンデに2体、俺と神音で他の1体、集中攻撃さえ喰らわなきゃギリギリ怪我なくいけるか、な……早く片付けて里に戻るにはそれしかないな。ジョーンズ、これから炎鬼を呼び寄せる。気を引く作業を全部任せるかもしれねぇ、頼めるか」
「お安い御用よ」
 ジョーンズが青みがかった銀の宝珠銃の弾を確認して、笑った。 
 蓮がくいくいと酒々井の袖をひいた。
「どうやって呼び寄せるの?」
 闇雲に探すには、森が深すぎる。酒々井が笑った。
「潜入捜査の時に、炎鬼は切り株をひっくり返しに現れるって言ってた。考えがある」
 酒々井はそういって、長年使い込んで指の形にくぼんだ手斧を取り出した。


 ところで虹陣へ到着した乃木亜は、紅木屋の善之丞が参っている社へ町娘の格好で訪れた。ふらふらと歩き回りながら瘴索結界を使ってみると、緋那岐の言う様に社は色濃く反応した。けれどアヤカシらしきものが襲いかかってくる節がない。
 ここは虹陣の人々の信仰を集める『社』なのだ。
 乃木亜は一枚の紙を取り出した。
 そこには『死んだ家族に会いたい』と記されていた。
 これは危険な賭けだ。紙撚を木の枝に結んだあと、社に熱心に参るふりをしてみせた。
 そしてそのまま立ち去った。


 一方、松戸が仲間から屋敷の構造を聞き出し、見張りの順を観察するために出かけた頃、緋那岐は鮮やかなスカーフを首に巻いた忍犬の疾風と共に、複数人の目に停まり易い場所を通っては、茶屋で休んで噂話を撒いて歩いた。
「山に住まう精霊が騒いでいますね。まるで怒り……嘆いているようです……かつてジルベリアという地でも似たような事がありました。同じ事にならなければよいのですが……恐ろしや」
 愛犬を抱き寄せては、震えてみせた。なにか良くない事が起こると思わせたかったのだ。


 その頃、直羽も薬宿に再び潜入していた。
 怪我人の治療を引き受け、怪我人の運搬や実況検分にも積極的に出向く。加護結界を付与した猫叉の羽九尾太夫を床下に潜らせた。
「香の影響で不調を来たしたり、危険を感じたら無理はせず、外に逃げるんだ」
 小さな囁きに、にゃあ、と普通の猫のように返事を返した。
 外で様子を伺う露草との連絡は、送り込んでくる虫型人魂に話しかける。
「瘴索結界に反応が出た。離れは注意した方がいいかもしれない」
 厠に行った時は人目につかない。表立って術を使えるのはその時ぐらいだ。
「当直になった。踏み込むのは夜にしよう」
 時は静かに進んでいく。


 酒々井の作戦は『炎鬼にできる限りいつもどおりに働かせる』事だった。
 警戒心を与えてはいけない。一気に呼び寄せるのは都合が悪い。そこでどうするかというと、大岩周辺で一定の距離に切り株を作ることだった。炎鬼たちがすぐに集合しにくく、仲間同士でも連携が保てるギリギリの距離で。
『ここならひっくり返されても、一気に地盤がゆるくなったりしない。人間が狩ろうとして諦めた。そういう雰囲気をつくる』
 流石に人の手で余る樹木を狩るのは酒々井でも容易なことではない。ここで体力を使い果たしても意味がない為、これと決めた木々に切込をいれ、ジークリンデのアーマー火竜で切り倒した。
 そうして釣れた炎鬼を見て、神音が拳を握る。
「神音達が失敗したら多くの人が犠牲になる。だから絶対負けない、諦めない」
 一箇所は二体、もう一箇所は一体。
 耐久力が二倍近くある特殊な炎鬼。炎鬼はもとより物理的な防御に優れているが、知覚的なものへの抵抗力は、通常の二分の一から三分の一にまで下がる。
 ならば。
「向こうは、無理やり俺らに勝つ必要がねぇ。逃がさねぇようにするには……いくか。雪白、隠れてろ」
 人妖に一声投げて、酒々井が地を蹴った。
 風神と雷神の意匠が彫り込まれた鉄甲が、白く澄んだ気を纏い、梅の香りを放つ。
 死角から回り込み、振り向いた炎鬼の腹を駆け上がり、胴と顔面に打ち込んだ。
 目が潰れる手応え。視覚は奪った。
「しゃあッ! 神音!」
「うん! いくよ、くれおぱとら!」
 歓喜と呼び声に答えて、蓮たちが懐に走り込む。
「お前達の思い通りになんてさせない、誰も殺させないよ!」
 凝縮させた気を拳に宿す、鋭い突き。神音の拳が炎鬼の胴を抉った刹那、紅蓮の巨体は瘴気へと還った。
「やったぁ」
 共に、通常の炎鬼なら一人で葬れるだけの技量はあったが、魔の森が近いこの場所では、過信は禁物。協力が導いた勝利である。
「無傷無被害で勝つなんてひっさびさー、そういえば、おねーさんは?」
 ジョーンズが銃撃を打ち込んで気をそらしているうちに、ジークリンデの方も2体の炎鬼を相手に、雷を四連射して送り込んだ。
 砕け散る3体の炎鬼。無傷での生還。けれど喜んでばかりもいられない。
「さて、次の仕事に移りましょ」
 ジョーンズが銃を背負い直す。まだまだ仕事が残っている。


 その頃、五行の結陣から駿龍の三春に乗り、白螺鈿へと渡った桂杏は、如彩家の三男である幸弥に面会していた。誘拐事件からの救出や毎月のように農家仕事で訪ねてきたこともあり、殆ど何も疑われることもなく応接室に通される。
「こんにちは、幸弥さん。本日はお願いがあって参りました」
 深刻な燃料不足で毎年悩まされてきた白螺鈿が、虹陣の最も良い買い手と化している。
 桂杏は、木材の燃料、そして土壌汚染に伴う土の購入先を極力虹陣以外にできないか頼みに来たのである。
「虹陣以外から、か」
「はい。白螺鈿の需要を満たす為に、虹陣では無計画な伐採と土の採取が行われています。このまま続けば、来年の春には雪解けの水と一緒に大量の土砂が墨染川に流れ込むものと思われますが、どうなさいますか?」
 墨染川がせき止められた場合、白螺鈿の傍らを流れる白原川は氾濫する。
「他の里が自滅するなら、それは悲しいことだけれど……僕の立場としては、なんとも。僕には自分に与えられたものを管理するのが精一杯で、他の里に干渉する力がない。ただ白原川の氾濫が絡むと、無関心ではいられないのも事実だね」
「では」
「白螺鈿にとっては、虹陣が最も身近な場所で、一番安く手に入る場所……つまり白螺鈿の人間の生活を考えると、一番頼りたい場所なんだ。他からの購入は、一倍半から二倍の値段になる……この町が物価の上昇を抑えることに躍起になっているのは、農場にいる君もよく理解していると思う」
 桂杏の理想は如彩の懐が痛まず、購入者も個人で購入するよりは幾らかお買い得となること。けれど現実はなかなか甘くはない。
「兄さん達とも話し合ったけど、完全に切り替えることは現状では不可能だ。僕らが止めても業者は虹陣から買い入れようとすると思う。……期待に添えなくてすまない。ただ、妥協案として土と木材の需要を半分に減らすことはできるよ」
「半分?」
「痛み分け、というところさ。神楽兄さんが白螺鈿と鬼灯間を結ぶ、陸路の更なる活用に着目している。木材の半分を他地域から仕入れるんだ。値上がりはやむを得ないけど、全体に課税すれば個人の負担は少ない。それと先日、君たち開拓者が大量の土壌を浄化してくれた。おかげで虹陣の土の購入を見送る農家が多く出始めている。風評被害を恐れて浄化土を使わない農家も居るけれど……余った土を処理する為に堤防を築く計画がある」
 うまくいけば、少なくとも白螺鈿だけは滅びずに済むかもしれない。
 桂杏は頭を垂れて、如彩家の屋敷を出た。


 乃木亜は紅木屋に近い道端で、修行中の旅の巫女を装っていた。
 偶然、善之丞を見かけると「精霊の加護を授けましょう」と解術の法を試みた。
「ありがとう、お嬢さん。それでは」
「あの。この辺で、よく当たるお告げの祠があると聞いてきたのですが」
「ええ、ありますよ。街の人間なら誰でも知っていると思います」
 軽く手を振って、去っていってしまった。

 乃木亜のもとを足早に立ち去った紅木屋の主人こと善之丞がどこへ向かったかというと、街の有力者を集めた集会だった。急な集会の中心にいたのは、萌月である。
「どうか……話を聞いて下さい。このままだと里が危ないんです」
 萌月がいかに虹陣が危険な状態にあるのかを、訴えた。
 前回、見せてもらった山間部の状態。今年は更なる豪雪になるであろう予測。雪崩が起きる確率と危険性。
「麓から……遮る物が無いので……一度崩れ出したら、町まで止まりません」
 萌月の話は、桂杏の分析が弾き出したとおり、雪解けの水による土砂崩れも指摘する。
「このまま続ければ、利益どころではなく……生活その物を失います」
「今までは全く平気でしたし、梅雨も大丈夫でした。大げさなのではありませんか」
 ははは、と笑う。誰かが笑い飛ばすと、皆が便乗し始めた。その顔は、恐怖の可能性に気づいてはいたが『そんなはずがない』と思い込もうとしている風にも見えた。
「大丈夫だという……保証はありません。それに木が育つには……時間が必要です……切り尽くしてからでは遅いんです……ですから資源の枯渇を防ぐ為に、植林の準備を」
「ああ、それですか。植林はですね『しないことになった』のですよ」
「……どうしてですか?」
 これだけ証拠を見せても、あえて植林をしないとは、どういうことなのか?
「計画的な植林をしろと、他の方にも話を頂いたことがありましたがね。そんな手間と時間のかかることより、良い方法があります。木材を売って、土を売った後は、それらを元手に娯楽施設を建設して『開いた土地を売ることにした』からです。虹陣を元の華やかな街に戻すには、観光名所のひとつやふたつ、必要になるでしょう?」
 だから植林などしないのだ、と笑った。
 夢の夢を見ているような、そんな眼差しをしていた。


 太陽の光が沈んでから、松戸と緋那岐が動いた。
 人魂で周囲に警戒しながら手はず通り人目をさけ、時には忍犬を『迷い込んできた野犬』と錯覚させたり、幻影符を活用することで、人を倉庫から引き剥がす。ここで松扉の破錠術が大いに役立った。松戸が壊した鍵を投げ捨てる。
「破壊行為はどうする? なんなら、忍犬の関脇を残してもいい。動物の仕業に見せかけたほうがマシだろう?」
「いや、まーそうかもしんないけど、鉄のあれこれまで疾風たちに破壊させるのは、ちっと時間がかかって難しいだろう。俺に任せろって」
 緋那岐は、にたっと悪そうな笑みで酒瓶を取り出した。ヴォトカと天儀酒だった。
「空気が乾燥してる時期だ、火事に見せかけるには最適だろう? ただでさえ、土を削ったりして倉庫の中は埃っぽいし、そんなに盛大に撒かなくてもいいかもしれないけどな」
 倉庫の中を見回し、より燃えやすいものに酒をかけて、忍犬共々撤退する。
「ここからどうやって火を」
 十メートルほど離れた場所で振り返った。
「おいおい俺は陰陽師だぜ? こういう時はな、一発……火炎獣!」
 狼ほどの式が出現し、火炎を吹いた。炎は燃えやすいもの……すなわち酒のかかった袋の束などに引火し、瞬く間に轟々と燃え上がった。この屋敷は山寄りにある為、川からは遠い。ここまで燃え上がった火を消化するには、隣の家を潰して街への引火を防ぐくらいしか手段がない。普通の人間ならば、だが。
「さて、逃げるぞ」
「大丈夫なのか!? 風が強いしこのまま広がったり」
「俺もあんまりやらない手だけどな。加減間違えると危ないし。でも、この辺は仲間次第で見極めって訳だ。消火できる奴がいるし、炎鬼の討伐班、多分すぐに戻ってくるぜ」
「……え?」
「手伝いに行くつもりだったんだろ? 炎鬼の討伐。心配しなくても、あいつらならとっとと片付けて戻ってくるさ。焚き火で目印ができたんだ、きっと上手く利用するぜ」
 緋那岐はからからと笑った。


 緋那岐の予言通りに、討伐班は里に戻ってきていた。
 追いすがる鈴梅達と押し問答を繰り広げつつ、ひとまずは煙に巻かれつつある屋敷から人を運ぶように誘導しているのを見つける。戻ってきたジークリンデが「どいてくださいませ」と煙の中に目を凝らした。
 道具の置かれた倉庫は、全焼していると言っても過言ではない。
「さがっていてくださいな。私の傍は凍えましてよ」
 ジークリンデはブリザーストームで激しい吹雪を生じさせ、炎の上がっている位置に打ち込んだ。消火と同時に、まだ使えそうな道具ごと吹っ飛ぶ。視界を白く包み込む煙と吹雪が晴れると、そこには焦げ付いた屋敷と壊れた倉庫があった。
 ほっと崩れ落ちる紅木屋の主人を振り返る。
「大事に至らなくて良かったですわね。危うく街中が火事になるところでした。あら?」
「いらっしゃって……いたんですね」
「ええ、魔の森のアヤカシ退治に。火事も防げて良かったですわ」
 萌月とジークリンデの間で、白々しい会話が交わされる。人々も我に返った。
「ありがとうございました」
「ところで。先ほど何か揉めていらっしゃいませんでした? 私にもお聞かせくださいな。何かお力になれるかもしれませんわ」
 目の前で『恩人』の肩書きを手に入れたジークリンデは、にっこり、と微笑んだ。


 萌月たちから経緯を聞いた蓮やジークリンデやジョーンズたちも、虹陣の『土地を売って里をひらく』計画に呆然としたが、結局、自らの安全性を顧みないものに過ぎない事だと悟らざるを得なかった。人々は『計画的に伐採と植林を行っていく』ことより、楽で華々しい目標に囚われてしまっていたのだ。
 この幻想を打ち砕くのは容易ではない。
 そこへやってきたのが、萌月達の迎えと称して白螺鈿から戻った桂杏だ。
「素直に植林を行った方がよろしいかと思いますよ。なにせ、向こうでもう土が売れないわけですし」
 あ、と口を滑らせてしまったようなフリをする。
「どういう意味ですか」
「簡単なお話ですよ。白螺鈿の土壌汚染が静まりつつあると申しますか……開拓者の中にも瘴気を浄化する術者が多い事を知り、白螺鈿の地主さんが定期的に大規模な浄化作業を行うようになったのです。農家の方々も浄化された土の活用が増え、今では余る程なんですもの。木材も、5割を他所から取り寄せる計画もあるそうですから、無謀な計画は首を絞めることになるのではないかと」
「……で、でたらめだ」
「先方に確かめて頂いても宜しいですよ。如彩家の方々に『桂杏』という娘を知っているか? と。私、こう見えて白螺鈿近郊の農場でお世話させて頂いておりましてね、幸弥さん方に何かと懇意にして頂いています。……嘘をついて、私に何の利益が?」
 桂杏が輝く笑顔で威圧感を与える。
「もう土が売れず……木材の需要も半減……残るのは、丸裸の山肌ですよね」
 萌月の囁きが追い討ちをかける。
 そこへ第三者が現れた。
「大変です! 作業員が、つめかけています!」
「なんだと!?」
「わ、我々の命と権利を守ろう! と叫んでいます」

 時は少し遡り。
 朝早くから虹陣に辿りついた狐火は、噂の社に参ってみたが何もめぼしいものが見つからなかった為、再び変装して『吉次』を名乗り、紅木屋に潜入した。
 前と同じ仕事を行いつつ、土壌の状態を把握しようとしたが、そう簡単に地崩れの前兆を捉えることはできない。そこで狐火が次に行った裏工作は紅木屋についての不平不満を夜春を用いて広めていくことだった。皆が外で奔走する中、静かに頃合を狙った。
 そこで発生した、倉庫の炎上騒ぎ。
 狐火の狙いとは少し形が変わってしまったが、劣悪な労働環境という印象を植え付ける事は成功した。更に水遁で燃え移った炎を消して仲間を救ったことから、現在、扇動した作業員たちと一致団結して大騒ぎしている。
 白螺鈿の需要が殆ど絶たれた今、虹陣の供給は成り立たない。
 彼らの生活も終焉を迎える。
「……どうしてだ……」
 善之丞は呻くような声を絞り出した。
「……俺はただ、願っただけじゃないか。みんなの生活を、立て直そうと頑張ったじゃないか。ただの土くれを黄金に変えて。なのに、どうしてこうなるんだ……なんでだよ」
 うちひしがれる彼が悪い訳ではないことを、ジョーンズ達も察してはいた。
 彼らは『選ばれてしまった』だけだ。
 誰もが望む、かりそめの夢。華々しい未来。いつか叶えたいと思う純粋な願いを、悪用されたに過ぎない。手を伸ばせば届く場所にあるのだと、魔物は囁く。獣の顔を決して悟られぬように、穏やかに。力で恐れさせるよりも、長く効果的な絶望の種。
 自らの強欲が招く、最悪の終焉。
「今更、どうしろっていうんだ」
「……この冬の雪崩だけでしたら、止める事は可能かもしれません」
 そんな事を言いだしたのは、ジークリンデだった。
「ストーンウォールという石の壁を構築する術があります。あまり耐久性はありませんが、一定の衝撃以下であれば半永久的に残るものです。街を守るように張り巡らせて、土嚢を積み、挟むように出現させれば、二枚壁として最低限の勤めは果たしてくれるでしょう。少なくとも有事の際に、虹陣の皆さんを危険区域から逃がす、時間稼ぎ程度には。ですが……街の山側を覆うのは並大抵ではありません。私は、力を使い果たしてしまうかと」
 何日か休めば戻るとはいえ有限の力だ。
 一時的にジークリンデの開拓者生命がたたれることを意味する。
「己をかけて里を救うことはやぶさかではありません。ですが根幹を正さねば無意味なこと。ですから冬が明けたら植林を行い、慎まやかに生きると……お約束を」
 この一時間後。
 ジークリンデは一心不乱に石の壁を築くことになる。


 時は少しばかり巻き戻り。
 緋那岐が火炎獣を打ち込んで暫くの後、薬宿の方にも俄に騒がしくなっていた。本邸が燃え上がっているという事で、薬宿の主人が薬の箱を抱えて飛び出していったのだ。今が好機と読んだ弖志峰は露草と合流して加護結界を施し、離れに踏み込む事を決めた。湿らせた手ぬぐいで口と鼻を覆う。呼吸がしにくかったが、毒香を避けるにはこれしかない。
「いくよ、準備いい?」
「もちろんです。さて、私たちも役目を言い出した上は必ず、救助せねばですね」
 事前に調べた経路で、離れの方へ向かう。香炉は常に渡り廊下を漂い、直接すっていないのに、くらりと眩暈を起こすほど強烈な代物だった。しかし露草は灰を拾って持ち帰ることにした。
「開けるよ」
 拝借してきた鍵で戸を開ける。微かな瘴気を感じるが、アヤカシの気配はないようだった。戸の向こうには、複数の人間が横たわっていた。まるで意識がない。生きてはいるようだが、触っても、揺さぶっても、起きる気配はなかった。
「こんなに? 鏑木さん、いるかな」
 一人一人、痩せこけた顔を確認していく。似顔絵は依頼人から受け取っていたけれど、頬がこけ、目が落ち窪み、まるで生気のない顔は屍人のようにも見える。ようやく鏑木と思しき人物を見つけたとき、二人の具合も悪化していた。
「まず鏑木さんを運び出すとして、残りの方はどうしましょう」
「解毒はここじゃだめだな。一旦、外に運び出してからじゃないと。怪我人には治癒符で怪我を治す。アヤカシもいないみたいだし、火事に皆が気を取られている隙に、急ごう!」
 外は大火一歩手前。
 更に、作業現場で働いていた男たちが、不平不満を大声で訴えて大通りに集結しつつあった。そこで鏑木を運び出した弖志峰は、数人の男達に声をかけた。
「すまない! 手を貸してくれ!」
「ど、どうしたんだ? 俺たちはこれから行かないと」
「薬宿の方でも火が出たんだ。寝たきりで動けない人が多い。力を貸してくれ!」
「そりゃあいけねぇ! 任せろ、おい皆! 一緒に来い!」
「薬品の煙を吸うと危険だから、濡れた手ぬぐいをつけてくれ」
 弖志峰と露草がかたっぱしから香炉に水をかけていく。腕っ節の強そうな男たちが薬宿になだれ込む。
「うえ、なんだこれ、頭いてぇ」
「煙は有害です! 病人が優先です! 運び出すのを手伝ってください!」
 二人でままならなかった搬送があっという間に行われる。最後の一人が運び出されるのを見届けて、治療を露草と人妖の衣通姫に任せると、弖志峰は離れの裏手に酒を巻き、本当に火をつけた。
 かくして火事を理由に『離れの病人』達を救出した二人は、ここでは治療に専念できないからと、別な医者の所へ搬送するに至る。何の為に、毒香漬け状態にされたのかは不明なままだったが、少なくとも術のおかげで命に別状はないようだった。


 一夜明けて、虹陣と山の境目には高い壁が築かれていた。
 人々をこれから降り積もる雪崩から守るものである。虹陣の林業は火事により道具などを失い、強制的な休業を余儀なくされた。桂杏が持ち込んだ需要の大幅減も踏まえて、最低限の金を保障として、作業員を大幅解雇するという。
 蓮がほっと胸をなでおろし、ジョーンズが高い壁を見上げる。
「……アタシが生まれ育ったジルベリアは、冬の寒さが厳しい処で、雪崩被害が大きく被った話を何時と度もなく聞いたものだった。例えば大雪が降っても、雪崩が起きる所と起きない場所との間には目に見える差があって、それは森林の有無で明らかだったね。ここも春になって、来年はこうならないといいのだけど……そういえば社の方は?」
「それが……」
 騒動の後、乃木亜は桂杏達を伴って、社を訪ねた。
『瘴気まみれの神様なんているはずがありません。だけど……それをどうやって証明してみせたらいいんでしょう。ひとまず様子を見るしかありませんか』
『そうだな』
 酒々井が伐採の後に、社を土砂で壊せないか色々やってみたのだが、自然現象に見せかけるには雪が少なく、色々と加減が難しかった為、ひとまず乃木亜が結んだ願いの紙の様子を見てこよう、という話になったのだ。桂杏が一日身を潜めて見守る中で、乃木亜が願いの紙を探したが、見つからなかった。何者かに持ち去られたらしい。
 鏑木の回復も、しばらくかかるという話だった。
「ひとまず冬は超えられそうですね」

 降り注ぐ雨が、雪に変わる冷たい夜。
 まだうっすらと雪が積もるこの景色が胸にしみる。
 願わくば来年も、再来年も、人々の笑顔で満ちていて欲しい。

 もうじき虹陣にも、本格的な大雪の季節が訪れる。