虹陣の藁蘂長者〜前編〜
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: シリーズ
EX :相棒
難易度: 普通
参加人数: 12人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/11/30 18:45



■オープニング本文

『…………かなしいの?』

 辛い地獄の底にいると感じた時、人は救いの手を捜し求める。
 誰であろうとも一縷の望みに縋るだろう。
 だから。
 助かりたいなら我の手をとれ、と。
 囁く声音が何者であろうと、かまわない。
 不可能を可能にする事ができるなら、どんな相手にだって魂を売る。
 そこまで堕ちれば、疑いや躊躇いなど消えたも同然。
 ただ祈り、崇め称えるだけで、願いが叶う。

 それはまるで、夢のような存在。

 + + + 

「失踪した弟を探して頂きたいのです」
「家出とかでしょうか」
「いいえ。弟は誰かに誘拐されたのです」
 開拓者ギルドへ依頼を頼んできた女性は、五行の虹陣から来たと告げた。
 

 五行の東地域は山脈に囲まれた湿地帯で、国内最大の穀物地帯として誉れ高い。
 虹陣と呼ばれる里は、湿地帯の西北に位置している。
 数年前まで、虹陣は高官の避暑地だった。
 地元民との生活格差が開いた頃には治安が荒れ果て、街の治安を維持するはずの同心が権力を振りかざしたりと、公的組織は根こそぎ信用を失った。
 その圧政に、幼い娘が率いる義賊が立ち上がる。
 最初は短絡的に金持ちを襲ったが、決して必要以上の財産を奪わず、殺生もしない。そして手に入れた金品を、貧困層へ平等に配る。また娘は異様に賢く、次々と打ち出す改革は大人顔負けのものばかり。里の頂点に辿り着き、新しい未来を目指したはずだったが、異変がおきた。
 住民の光だった義賊『剣の華』が、暴力と恐怖の支配を始める。
 瞬く間に勢力を拡大し、田舎に裏社会を作り上げるまでに急成長をとげた。
 五行の結陣と虹陣を結ぶ、商いの飛空船の襲撃事件が相次いだ時期もあり、昨年の夏から秋にかけて義賊の調査と解決に取り組んだ開拓者達の尽力で、大規模な争いや異変、そして義賊の影に大アヤカシ「生成姫」配下による影響が確認された。

 虹陣の荒廃を企んだ元凶こと上級アヤカシ「妖刀裂雷」が討伐されたのは、昨年11月下旬の事である。

 数々の犠牲者を出しながらも、アヤカシを駆逐し、数年ぶりに正常な状態に戻った虹陣は、今までアヤカシの影響で対立していた組織同士が復興に手を取り合い、林業が活発化し、今現在は人々の笑顔が溢れる街になっている……はずだ。

 少なくとも記録上では。


 受付は百合恵(ゆりえ)と名乗った依頼主の顔をじっと見つめる。
「……失礼ですが、弟さんは開拓者ですか? 志体持ちのお子さんとか、彩陣の方のお生まれだったりしませんか?」
 ここ数年、五行の東では志体持ちの子供や開拓者が誘拐される事件が多く、彩陣の血縁者なども、諸々の事情で生成姫の配下に狙われたりする場合がある。

 しかし受付の心配は、杞憂だったらしい。

 依頼者の女性の身元は、両親がともに石鏡からの移住者で、親族などを事細かに訪ねても、怪しいところは何もない。志体持ちを輩出したこともない。
 ごく普通の平凡な民間人だ。
「ギルドでは……依頼をする時、こんなに色々聞かれるのですか?」
「いえ、最近頻発する事件に過敏になっていると申しますか。別件と関わり合いがあると、専門の開拓者を紹介するようにしていまして。ごく普通の失踪事件のようで安心しました」
「……どういう意味ですか?」
 じろりと睨まれる。
 失言でした、お許し下さい。と受付は素直に詫びた。
「では詳しく聞かせていただけますか? 些細な事でも、解決の糸口になります」


 依頼主である百合恵の弟は、鏑木(かぶらぎ)という樵(きこり)である。
 今年の春に五行の虹陣へ出稼ぎに行き、3ヶ月おきに帰郷していたが、夏頃から突然ぱったりと帰ってこなくなった。
 鏑木は元々誠実且つまめな性格で、一週間ごとに手紙を送ってきていたものの、それも止まったという。途切れる直前の手紙には『大きな仕事を任される事が決まったので、仕送り額が増やせるかもしれない』という希望に満ちた内容が記されている。
 手紙が止まった事で『もしや病に倒れたり、大怪我を負ったのではないだろうか』と心配した姉の百合恵は看病を心に決めて、遥々虹陣を訪ねた。
 しかし相部屋だった人物に面会すると『暫く前に、故郷へ帰った』という予想外の返事を受け取ることになった。
 姉が最後の手紙を見せて『そんなはずはない』と言い返したところ、新しく始まる土の掘削工事で責任者になった事は確かだが、初日に掘り起こした巨木の根の下敷きになり、足を犠牲にした為に任を解かれた、と教えられた。

「……大見得をきっておきながら恥ずかしくて手紙が出せないとか、帰れないという可能性は?」
「ありえません! 鏑木に限ってそんなこと」
 弟の鏑木は絵に書いたような善人で、己の非は正直に改める性根の良さが美徳だった。小銭でもくすねた事は一度もないし、明らかに他人に非がある事でも、自分に非がなかったか探して落ち込むような若者だったことを力説する。
「分かりました。では誘拐だという根拠か証拠はございますか?」

 その後、百合恵は消えた弟を探して、虹陣中を訪ねて回った。
 しかし任を解かれて仮部屋を後にした弟の消息は全く掴めない。

「でも聞き込みを続けていて、他にも失踪した人物がいると分かりました。怪我や病で仕事をやめた後、本国に帰っていない方々です。それは全て『紅木屋(こうぼくや)』の所に勤めていた人たちでした」

 鏑木が働いていた紅木屋は、虹陣の中でも羽振りの良い材木商だった。
 良質の建材は虹陣で、燃料用の木材は東南にある白螺鈿で飛ぶように売れる中、最近では白原平野の土壌汚染も悲惨らしく、森林伐採のついでに虹陣の山肌を削った単なる土が、大金に豹変するという荒稼ぎっぷりである。
 虹陣は今、非常に潤っていた。
 百合恵は失踪者の多い紅木屋が怪しいと睨んで乗り込んでみたが、猫の手も借りたいほど忙しい為に日雇いも多く言いがかりだと憤慨され、追い返されたそうだ。
 相手は大金持ち。
 慈善事業も手がける地域の名士だ。
 地元の人曰く、紅木屋の若主人は苦労の多い人物らしい。
 彼が幼い頃、父親は二重帳簿が判明して庭の松ノ木に首を吊った。母親は不倫と横領がバレて役人に捕まっている。一度はお屋敷も家族も失い、非常に貧乏だった時代もある事から、決して気取ったところがないという。
 誰も参る者がいないような古い祠にも信心深く手を合わせ、身寄りのない家族を手厚く保護するような気前のいい社会的信用に厚い人物が、鏑木のような流れ者をどうにかするとも考えにくい。
 百合恵の個人的な調査は八方塞がりとなり、こうしてギルドへ来たという。
「分かりました。では調査を担当する開拓者を手配します」

 こうして失踪者の捜索願いが張り出された。


■参加者一覧
酒々井 統真(ia0893
19歳・男・泰
乃木亜(ia1245
20歳・女・志
露草(ia1350
17歳・女・陰
弖志峰 直羽(ia1884
23歳・男・巫
和奏(ia8807
17歳・男・志
狐火(ib0233
22歳・男・シ
レネネト(ib0260
14歳・女・吟
萌月 鈴音(ib0395
12歳・女・サ
蓮 神音(ib2662
14歳・女・泰
桂杏(ib4111
21歳・女・シ
緋那岐(ib5664
17歳・男・陰
沙羅・ジョーンズ(ic0041
23歳・女・砲


■リプレイ本文

 狐火(ib0233)は依頼人に、鏑木の人相と風体を聞き、筆跡などの調査をする為に手紙を一通借り受けた。
「これでよろしいですか?」
「はい、ありがとうございます」
 露草(ia1350)が身を乗り出す。
「すみません。ちょっと聞いていいですか? 失踪した方々の怪我をした位置とか、怪我の深さとかも分からないですか?」
 露草は、手紙を送らないのがおかしい、なら、怪我の深さによっては手紙すら送れない状態になっているというのもありえるかも……と考えた。
「私は実際に怪我を見たわけではありませんし、怪我をしたことしか……弟と一緒に働いていた人の方が詳しいと思います」
 露草に続いて和奏(ia8807)が尋ねた。
「申し訳ないのですが、もう少し……掛け違えを防ぐためにも事実確認だけさせてくださいね」
 和奏は依頼人に、いかに他の失踪者の情報を知ったのか聞いてみたが、あくまで単なる偶然のようだ。弟が虹陣へ住んでいた間の行きつけの店などを、同室だった男から聞き出し、訪ね歩いている途中で、店の人間がぽろりと話したそうだ。
『そういや、前にも急に来なくなった◎◎や××がいたな。あいつらちゃんと故郷に帰ったのかねぇ。賭博癖があったし女に弱いから、そのへんで遊んでっかもな。案外、あんたの弟さんもそうなんじゃないかね? よく此処でつるんでたぜ』
 呑気な発言に猛抗議して、既に帰郷したはずの男性たちが何か知っているのかも、と考えて聞き出した住所に手紙を書いたら、親族から『帰ってません』と返事がきた。しかし『どうせ花街でしょうよ』と大して心配しなかった、とか。この辺は、失踪者や親族の人柄による温度差もあるだろう。
「お姉さん、他のご家族は?」
「家で待っています。本当は一緒に行くと言ってきかなかったんですが、旅費がかかりますし、ギルドへ依頼を出すのは大金が必要ですから」
 開拓者は金銭感覚が麻痺しがちだが、一般的に開拓者ギルドに危険が伴う依頼をだすには、それなりの見返りが必要だ。
 やり取りを聞いていた沙羅・ジョーンズ(ic0041)は表向きは協力しつつ、件の依頼人の裏を取ろうと考えていた。依頼からして依頼人を疑わざるを得ない、と個人的な結論を導いていた為だ。
「こうね……掌返されたのは一度や二度じゃないからね」
 意味不明な呟きに首を傾げる仲間に、手をひらひらと動かす。
 十月下旬に開拓者ギルドに登録したばかりのジョーンズがこなした仕事といえば、アル=カマルの魔の森焼失を目指した仕事くらいなもので、ギルドでの失踪人調査は今回が初めてとなる。何の事かは不明だが、きっと開拓者になる前に苦労していたのだろう。駆け出しの開拓者であるジョーンズとはいえ、世間に発表されている報告書は多少目を通しているらしい。仕事熱心な性格のようだ。
 和奏に続いて手紙の送り先を尋ねたが……
「……流石にそっちの故郷までいってる暇ないわよねー、直接話がききたいけど、無理そうね」
 乃木亜(ia1245)を含め、他の者達が質疑応答を見守る。
「行方不明事件、何かひっかかるのです。油断しないでいくのです。少し調べ物してくるのです〜」
 レネネト(ib0260)は自分たちより前に行方不明者の捜索依頼があったか、ここ二ヶ月間の記録を出発までに調べに行った。尚、目立った該当はない。
「んー…紅木屋の羽振りが良くなったのと、白原平野の土壌汚染が酷くなったの、関係してんのかね」
 振り返った緋那岐(ib5664)の言葉に、桂杏(ib4111)が呟く。
「……風が吹けば桶屋が儲かる、ってこういうことですよね」
 風が吹けば桶屋が儲かる。
 ある事象の発生により、一見全く関係の無いような思わぬ所や物事に対して影響が出ることの例えである。
「全く、この辺り一帯どうしちまったんだか」
 酒々井 統真(ia0893)は心当たりが次々浮かび、陰鬱な気持ちで壁にもたれかかっている。
 萌月 鈴音(ib0395)が難しい顔で酒々井を見上げた。
「虹陣に入り込んでいた者が……他にも居ると言う事でしょうか?」
「さあな」
 もしやまた生成姫の手下が入り込んで暗躍しているのでは?
 そんな考えが弖志峰 直羽(ia1884)の脳裏を横切る。行方不明者が多いという割に探す者が目立たなかった事も気になる。金か、或いは夢魔の干渉か。
「謎の失踪事件かー。志体持ちの大人や子供達を連れて行ってる訳じゃないから、アレの件とは別件かな?」
 言葉を濁す蓮 神音(ib2662)に、萌月は「一応、普通の失踪事件に見えますね」と告げる。
「何れにしても早く見つけ出さないとね。おねーさんへの聞き込み頼んでいい? 神音お出かけしてくる。こういう時は、土地のことに詳しい人にきいてくるよ」


 この日、蓮は寿司の折詰を手に、とある開拓者達が住む家に来ていた。
 扉の向こうには、昔より背が伸びた少女と、保護者の開拓者の男女がいた。
 春香、琴音、刹那、柊。
 この四人、元々は虹陣を取り仕切っていた者たちである。
 虹陣では死亡した事になっている。事情を説明すると「紅木屋なんて店はしらない」という。つまりここ一年の間にできたか、最近頭角を現してきた店に違いない。最も二人の話を聞いただけなので、現在獄中の某四名なら知っていたかもしれないが。
「で、あと一つ聞きたい話あるんだ。春香ちゃん、小さい頃から奉公してたお屋敷の人から、未払の給金としてオトモダチを貰ったって言ってたよね」
 八月上旬。別件でこの家を訪ねた際の話だ。蓮は改めて静かに問う。
「そのお屋敷って別荘とかあった?」
 首をかしげる。
「お店は潰れたんだよね?」
 首を縦にふった。
「奥さんって、不倫と横領でお役人に捕まってる?」
 首を縦にふった。
「そこの旦那さんって、松の木に首吊りしてたりしない?」
 首を縦にふった。
「ぼっちゃまの名前って、覚えてる?」
「ぜんのじょう」
 紙に書いて、と頼むと『善之丞』と綴られた。


 その日の夜。
 精霊門で結陣へ移動し、一般空路で虹陣まで移動した後、空はうっすら白み始めていた。
「こっからは別行動ね。他にも騒ぎになってないか探るわ」
 ジョーンズが意気揚々と歩いていく。
 桂杏が「そうですね」と言いながら唸った。
「う〜ん……確かに、行方が分からなくなった人が複数いるにしては、騒ぎになってませんし、お店の評判も上々すぎるような……急に大きくなった店には多かれ少なかれ僻みとかやっかみとか、ついてまわるもんだと思うのですが」
 しかし、やっかみも起こらないぐらい各所が儲かっているのかも、とも思う。
 かつて緑に満ちていた山肌は、一面が黄色い。紅葉ではなく、山が丸ハゲに近い状態になっていた。一年間で相当量を伐採してきたことが伺える。酒々井はうなる。
「あと気になるのは、狙ったうえで怪我とかさせて攫ったんだとすりゃ、その選定はどうしてるかだ。単純に余所者って可能性もあるが……」
「調べてみるしか」
「若主人が参ってるらしい祠、或いはそこに祀られてる存在が鍵か? それに否定的な連中が排除されてる、とか」
「祠か、調べに行ってみるよ」
 緋那岐が引き受けた。
 和奏は聞いた店などを回るという。連絡役は人妖の光華姫に任せると告げた。
「今回は調査とはいえ、油断だけはしないように、ですね」
 露草は髪型や化粧で印象を変え、安っぽい着物に着替えた。護身用の符は袖の中で、懐に宝珠の状態で隠した管狐のチシャもまた連絡用だ。緊急時は虫に化けて放つと緋那岐達に告げる。
 十二名は調査の為に散った。


 髪をおろして軽装に着替えた酒々井は、荷物の中に人妖の雪白をつっこみ、紅木屋を正面から訪ねた。再び短期で雇ってもらう為である。
「おぅ、にーちゃん。また金がねーなったか?」
「または余計だ。仕事あるか」
「こんだけ忙しいんだ。あるに決まってるだろ」
 酒々井は六月頃、虹陣の材木屋で働いていた。当時は単なる伝づくりのつもりで、一週間ほど肉体労働に勤しんだに過ぎない。開拓者故の体力や薪づくりの腕を買われ、惜しまれながら去ったのだ。
「あと知り合い連れてきたんだよ。働き口探してたんで、一緒に雇ってくれねぇか」
「亜紀と申します。どうぞよろしくお願いします」
 ぺこりと頭を下げる乃木亜は、酒々井同様に身なりを平凡なものに切り替えていた。髪型も普段とは違い、印象はどこか影が薄い。偽名として『亜紀(あき)』を名乗り、冥越から流れてきたばかりの移民を装う。
「俺は直羽っす。体力には自信ありますし、軽い怪我の処置とかならできます」
 弖志峰は名前を偽らなかった。虹陣には少なからず出入りしていた為、顔を知っている者がいる可能性があるからだろう。それでも髪型を変えて眼鏡をかけ、万が一用の精霊武器は御幣「イナウ」を懐に忍ばせてある。武天の田舎出身で、開拓者をリタイアした身の上であると説明した。
「それ普通の猫じゃないよな」
「あ、はい。猫叉の羽九尾太夫っていいます。妹の忘れ形見で、どうしても手放せなくて……おとなしいので、昼は外で、夜は玄関の隅に置かせてもらえるだけでいいんです。食事も残飯で十分ですし」
 面接の男は「あーまぁ、それならいいかね」と言いながら、指で猫又の顎を掻いた。手つきからして、猫好きなのか、実際に飼っているのだろう。
 乃木亜が厨房を希望すると、すぐ配属された。
 弖志峰もまた木材の伐採班を希望すると、希望通りになった。
 狐火は一緒には潜入しなかった。まずは紅木屋の出入りを観察することにしたらしい。


 緋那岐はからくりの菊浬を伴い、働かせて欲しいと別口で頼み込んだ。
「俺、いずれ実家の商家を継がなきゃいけないんだけど……外で修行してこいって事で、勉学の為に五行の各地を回ってるんだ。住み込みで雇ってもらえないか?」
「可愛い子には旅をさせろって言うが、からくりつきとは随分太っ腹な親なんだな」
 からくりを購入する商家が、いかに金持ちか知っている口ぶりだ。
「こいつは妹みたいなもんだ」
「妹ねぇ……にーちゃん、本気でウチの仕事する気あるんか? いっちゃあなんだが、材木の伐採に運搬、力仕事が殆どなんだぜ?」
 仮に日々の世話を誰かにされている様な暮らしなら一日と持たない。そんな揶揄が込められていた。見くびられては困る、と緋那岐は毅然と対応したが、雇いたくない理由は別にあるらしい。それは御曹司を雇う事により、もし怪我をさせた場合の賠償責任と、雇い主への影響への懸念だ。雇用リスクが高いと判断されたようだ。
「個人の裁量では雇えない」
 それが返事だった。偽りの身分が緋那岐の潜入捜査の妨げになった。
「俺も意地悪がしたい訳じゃない。少しは話に付き合おうじゃないか。ちなみにどういう仕事をしようと思って、ここに来たんだ?」
「えっと、どの部門に属するかは一通りやってみて適したところで」
「それじゃー尚更ダメだ」
 にべもない。
「全てを勉強したい、って心意気は買うがね。自分の良さを売り込めない商人が、どうやって商品を赤の他人に売り込むんだ? にーちゃん商家の跡取りだろ? ここ以外でにーちゃんが学ぶ事は沢山ある。そうさな……まずは、自分の身なりが他人にどう影響するか、とかな」
 ちら、とからくりの菊浬を見た。
「例えば、にーちゃんが跡取りの身分をかくして、からくりの妹ちゃんが料理でもできれば、カモネギで話は違ったかもしれねえな。雇う側の気持ちは、にーちゃんもいつか分かるだろう。がんばれよ、期待には添えねえが……俺は応援してるぜ」
 ぽんぽん、と受付は肩を叩いた。

「うーん、肩書きをしくじったな。中は任せるか」
 店を出て。
 緋那岐が頬を掻く。からくりの菊浬が「……ごめんなさい」としょげていた。
 自分のせいで『箱入りのおぼっちゃま』を演出してしまった事を察したのだろう。
「いいんだ、菊浬のせいじゃない。次はうまくやるさ。さて……紅木屋の主人が参拝してるっていう古い祠を探すか。信心深いわけじゃねぇけど、手を合わせにいってみよう。なんかあるかもしれねぇし」
 緋那岐は祠を探す聞き込みの途中で、面白い話を聞くことになる。


 ジョーンズはというと、流れの傭兵を装って紅木屋を訪ね、怪しい娘が訪ねてこなかったかを受付の男に訪ねた。正面から。
「怪しい娘ぇ?」
「そーよ、いなくなった弟を探してるっていう、この位の身長で髪が長くって」
「おーいたいた。難癖つけてきた女が。なんだお尋ね者かなんかか」
「守、秘、義、務〜ともかく、ここへ来たのね」
「ああ。散々、店の前で営業妨害してくれたぜー? 忙しいってのに、帰らねえし」
「へー、大変だったのね」
 心底同情する風を装う。
「ねー、おじさん、今夜一緒に飲まない? あたし、その娘の後を追いかけてるの。お酒くらいならおごるわよ」
 この後、ジョーンズは娘が怪しいを主題に、延々とおっさんの愚痴を聞かされることになる。


 桂杏は近くの安い飯屋・宿屋などを連日まわって紅木屋の若主人の評判や、雇われた際の待遇について聞いて回っっていた。
 給金は「そこそこイイ」らしい。最近の虹陣はどこもかしこも景気がいいようで、それらの中でも上に入るといえよう。過酷な仕事だが、週に一度は休みがあることがわかった。怪我をした者は、お抱えの医者のところへ連れて行くらしい。
「その薬宿、ってどこにあります? 教えていただけませんか」
「かまわねーよ。近くに行くと外にいても薬の匂いするし」
 桂杏は薬宿に出かけていった。


 萌月は虹陣の知人を尋ねた。
 様子を見に来たんです、と朗らかに声をかけた。見覚えのある人々は新しい職を得て、生き生きと暮らしていた。かつて救った街が復興している姿を見るのは、やはり嬉しい。そして一年が経っても気にかけてもらっているという事実は、彼らの胸に沁みた様だ。
「順調そうで……何よりです。もしよかったら……ですけど、各お店を……見学させてもらえませんか。困ったことがあれば……力になりたいですし……元気な顔を、見ておきたいです」
「もちろんですよ! ご案内します、おーい店あけるぞー?」
 萌月は男の案内で、各所の職場を見学した。
 それは依頼とは無縁に近いようにみえて、狙い通り紅木屋も見学コースに入っていた。
「あの、少し……働いている人の話を聞いても……良いですか?」
「里の恩人なんだよ、俺からも頼むって」
「善之丞の旦那は今いないしー……うーん、まぁ新しい働き手も入ったし、いっか。どうぞー、こちらです」
 萌月は最近の売れ行きを尋ねつつ、所々で見かける仲間たちに気づかないふりをしつつ、作業員を捕まえて話をきいた。素直な意見が聞きたいからと、案内人たちを少し遠ざける。
「……仕事は、順調ですか?」
「はい! 沢山売れるらしいですよ」
「そうですか……あの、低級アヤカシとか、みてませんか? アヤカシに襲われた、とか。もしいるようなら、討伐しておきたいですし」
 そこでちょっと青年は悩んだが「実は」といって、深夜に見かける炎鬼の話をした。
「上は『ほっとけ』っていうんですけどね。俺はやっぱり怖いですし、討伐とか、無料でしてもらえたりしませんか? 今は物にあたっていたとしても、そのうち腹がへれば人間を喰いに来るんじゃないかと心配で……あ、俺が言ったのは秘密にしてくださいよ! 殴られちまう」
「大丈夫です……アヤカシから人を守るのが、開拓者ですから……仲間に相談してみます」
「ありがてえ!」
「どの辺に出没するか、わかりますか?」
「隣部屋の奴も通報したほうがいいんじゃないか、って言ってて。夜はこえーんで、休みの日に足跡を追っかけた、山頂付近の大岩のあたりで屯ってるのを見たそうです」
 萌月はそれだけ聞くと、紅木屋を後にした。


 蓮は春香達から聞いたお屋敷のあった場所、を訪ねたが、そこにはもはや何もなかった。
 しかし裏手に階段を見つけた。
 しめ縄があるということは、何かしら祀られたものがあるという事だろう。古い石畳は綺麗に掃除が施されていて、朱塗りの鳥居は石畳にあわず真新しいものだった。猫又のくれおぱとらに先行して歩いてもらったが、子供の声が聞こえてくるほど明るい場所だった。


 露草は仕事帰りの酒場に向かう男に狙いを定めると、手土産持って声をかけにいった。暗い顔をしていた。
「紅木屋の方ですよね。一緒にお酒を飲んで話をしませんか」
 と誘った。
 夜の街の女性と勘違いされたかと思いきや。
 露草の顔を見て、いい年のおっさんが、ぶわっと泣き出した。
「え、え、え? あの、ちょっと?」
 うおぉぉん、うおぉぉぉん、と往来で泣き出すので、なんだ痴情のもつれかと人様の視線を浴びる露草。おろおろしながら道の陰に引きずっていく。男が女を裏路地にひきこむのではなく、女がおっさんを引きずっていく姿はかなり珍妙だ。
「うぅ、すまねぇ」
「どうしたんですか。つらいことでもあったんですか」
「久々に人に話しかけられたんで、涙腺が緩んじまった」
 久々?
 というか涙腺が緩んでるどころではないのだが。
「……俺あそこで働いてるんだが、ちょっと前、タバコが吸いたくなって若い奴に仕事ぶんなげて、持ち場を離れたんだ。ひとりでそのくらい持てって。そしたら、そいつ角材の下敷きになって、薬宿に運ばれたけど、医者は見舞いに行っても諦めろって言うし、周囲で見てた連中、みんな視線が『おまえのせいだ』って、あいつ死んだら……どうしよう」
 ぼろぼろ涙が落ちていく。
「すまねぇ、関係ねぇのに。すまねぇ」
「いいんですよ。大怪我されたんですよね、その方。心から謝罪しにいけば、きっと誠意が通じます。どうでしょう、私の友人を雇ってみませんか。この街に来ている開拓者で、治癒術が使えたはずです。瀕死でもなんでも、どーんとおまかせくださ……」
 がし、と男が露草の肩を掴み「ホントか!?」と迫った。後ろめたいので雇う気満々らしい。男をなだめた露草は、仲間を呼んでくると管狐のチシャを飛ばした。


 ところで。
 狐火は仕事帰りの樵の後を追いかけ、手頃な屋台に入るのを見て、相席を狙った。
 酒の席で偶然居合わせた旅人を演出するためである。
「へぇー、それは大変なお仕事をされてるんですね。人生の先輩のような方に出会えるとは光栄です。いかがでしょう、一杯おごらせていただけませんか」
 夜春で好意を抱かれるように工夫もした。
 他人に誉められ、酒をおごって親しげにされれば、大抵の男は警戒を解く。
 樵は自分の仕事を武勇伝に置き換えて、頼みもしないのに語り出した。饒舌になった頃を見計らって「じゃあ怪我人とかも沢山でる、危険なお仕事なんですね」と本題を切り出した。会話からすりよって、目的の話をたぐり寄せる。
「……全治一ヶ月、ですか。それは大変なお怪我ですね」
「まぁなー、不運だとしかいいようがねぇ」
「そういった大怪我ってよくあることなんですか?」
 男が知りうる限りの例をつらつら話す。
 聞いている限り、不運な事故が起こり、長期療養になって、必ず戻るとは言うものの、結局の所は完治に至らず後遺症に悩まされるなどして、人知れずやめていくのだそうだ。
「過酷な仕事で、人の出入りが激しい……ということは私みたいな流れ者でも仕事はさせてもらえるでしょうか? 実は次の国にいく路銀が尽きそうでして、働き口を探せたらと考えていたところなんです」
「おお? 水くせえな、早くいやぁいいじゃねぇか。明日、俺が頼んでやんよ」
「本当ですか! ありがとうございます!」
 翌日、知り合いになった樵を通して、狐火は仕事を紹介してもらった。
 髪は墨で黒く汚れ、忍びの装束を裏返しで来て縫い目のわかりやすい野良着とし、名前を『吉次』と名乗った。武天からの流れ者だと説明すると「最近は武天の景気が悪いのか」という質問を返された。よくわからないです、と軽く流しておく。


 厨房に入ったばかりの乃木亜が任されたのは、もっぱらゴミ捨てや皿洗いといった雑用だったが、文句も言わずに働いた。持ち前の体力を生かして自分の休憩時間も仕事を手伝い、数日で作業員のまかないづくりの仕事を任されるようになった。
「よく働くねぇ」
「冥越から流れてきた私には、行く場所がありませんから……試用期間にできるだけ働いて備えておきたいですし、少しでも長く働かせて頂きたいので」
 適当なことを告げて追求から逃れる。
 乃木亜が無理をおして様々な仕事を受けたのは、仕事という名目で様々な部屋へ出入りする為だった。心眼と瘴索結界を隠れて使い、瘴気の有無を確認していく。


 酒々井は、農場暮らしで磨かれた薪割りの腕を披露しながら、頭は別のことを考えていた。潜入は成功といえる。特に怪しまれている風もない。
 問題はここからだ。
 依頼人から聞いた失踪話は、できすぎていると思った。
 責任者になった直後だったという分、ただ単に怪我が病気が原因の失踪とは考えられなかった。
 しかし周囲を見渡せども、大勢が罵声を飛ばしながら仕事をしている風にしか見えない。太陽が天高く上り、昼時に懐かしい顔と弁当を囲みながら、酒々井はあえて周囲を見渡した。
「前にいた中でいない奴がちらほらいるな」
「そりゃあいるだろうよ。目標の金がたまれば結陣へ出ていく若者は結構いるぜ」
 人の顔が頻繁に変わる環境下では、なかなか不審に思う者もいないのかもしれない。
「俺、切り株の処分があるから早く戻るわ」
「切り株?」
 伐採区域には、何故かひっくり返った巨木の切り株が無数にあった。
「どうするんだ、あんなの。っていうか、何故ひっくり返してあるんだ?」
「細かく刻んで乾燥させて燃料さ。木を切り倒して放置しておくと、夜中に鬼が掘って引き抜いて、嫌がらせに機材の上にひっくり返していくんだ」
 穏やかならぬ単語に酒々井の表情が凍った。
「……鬼? 修羅か?」
「アヤカシ」
「なんでギルドに連絡しないんだ」
「だって、なぁ。最近は人間襲ってこないし」
「向こうは嫌がらせのつもりなんだろうけど……手伝ってもらってるようなもんだぜ? 人間じゃ、何日もかかる巨木の切り株除去を一晩でやってくれる。俺たちは邪魔な切り株を細かく砕いて燃料に出来るし、根っこごと引き抜いてるから、土を削る作業に移れる。今は土も売り物だ。時々、機材が切り株の下敷きになってるが、買い換えればいい、って上は言うし」
 鬼の行動は、泣いて喜びたくなるほど手伝いになっているという。
 だから通報しないのだと。
「アヤカシってバカだよなぁ」
 呆然とする酒々井の前で、男たちは大儲けだと笑った。
 遠くで狐火が黙々と作業している。
 弖志峰は、酒々井と一緒ではなかった。
 森林の伐採は広範囲に及んでおり、ちょっと任された場所を抜け出して仲間の様子を見に行く、ということが難しい。足場も悪く過酷な作業場だ。治癒術を使う訳ではないが、酒で傷口の消毒殺菌をしたり、止血や捻挫の処置は喜ばれた。休憩時間に話でも、とは考えていたものの、肉体労働故か、休憩時間は食事を食べてすぐ眠ってしまう者が多かった。一日、二日と時間が経つにつれて、話は馴染んでからかなぁ、と考えていると声をかけられた。
「直羽だったか、医者の真似事ができるんだって?」
「応急処置ぐらいです、けど」
「丁度いい。医者に見せる金がねー奴が沢山いる。みてやってくれねーか」
「おい、薬宿の頭。その兄ちゃんは、こっちの人手だぜ。横取りすんなよ」
「うるせぇ。病人怪我人が優先だって若旦那もいってんだろ。いくぞ」
「え、あ、はい……すいません」
 弖志峰は申し訳なさそうに頭を下げて、薬宿の頭と呼ばれた男の後ろについていった。


 屋敷の中を忙しく歩き回る乃木亜でも、若主人には滅多に会うことはなかった。
 休憩時間は休んでいいよと言われ、厨房のおばさま達の話し相手を務める。
「山での作業は危険でしょうし、現場で働く人達は大変ですね」
「けが人は珍しくないからねぇ」
「怪我をしてやめた方って沢山いらっしゃるんですか?」
「いるよぉ。薬宿の離れに泊まり込んでるのは重傷者だって噂だし、軽い奴らは長屋で療養して祠の清掃や内職で生活保障をしてもらって、完治したら復帰してくるけど、そうもいかない奴も多いし」
「そうですか。せめて少しでも美味しいものを食べて頂かないと」
 乃木亜は日々聞いた事を書き留めると、仲間の猫又に餌を与える時間を使って、仲間へ情報を知らせ続けた。


 そこは薬宿と呼ばれる小さな家だった。
 工事現場の怪我人は、皆ここを訪ねて治療を受けるという。費用は無料。流石は羽振りがいいと噂の紅木屋である。
「三区に怪我人がでたらしい。運んできてくれ」
 弖志峰は遠い作業現場から大の男を運んできたり、治療処置を行う助手として連れてこられたらしかった。
 弖志峰は「分かりました」と言って到着早々に身を翻す。廊下を足早に通り過ぎた時、薬に混じって別の匂いがすることに気がついた。奥の廊下に点々と香炉がある。
 いつだったろう、どこだったろう。
 ずっと昔に。何年も前に、ふわりと嗅いだような。
 それは約2年前。ここから遠く離れた鬼灯の里で、当時の舞姫が『しきたり』で使用していた毒香と似た匂いだった。


 薬宿を桂杏が張り込んでいると、何故か伐採現場に配属された弖志峰が現れた。
 困っている表情を察しつつも様子を伺うと、再び外へ出ていく。やがて怪我人を運んで戻ってきた。仲間が普通に出入りしたという事は、大して問題はなかったのだろうかと思ったが、しばらく経つと……露草が年配の男性と一緒に薬宿へ入った。日が暮れる頃になって、露草と二人の男が薬宿から笑顔で帰っていった。何があったのか後で聞こうと考えていると、長屋で寝ているはずの弖志峰の猫又が小瓶を持ってきた。具合が悪そうにしている。蓋を開けた瞬間、口を抑えた。
 どうしてここに。
 その香の匂いを、桂杏はよく知っていた。


 時は瞬く間に過ぎていった。
 狐火が故郷に帰るといって仕事をやめたように、他の物も送金や適当な事情で紅木屋を後にした。
 町外れに宿を撮り、一同で顔を付き合わせ、成果を報告し合う。
 和奏が虹陣へ来る前に仕入れた周辺集落の地理図を持ち出す。
「これで、いいでしょうか。出没している炎鬼の駆除は、誘拐を解決してから決めましょう」
 優先すべきは人命だ。
 意味不明な行動のアヤカシは後回しでいい。
 レネネトが地図を見て「ここからここまでが紅木屋さんの管轄区だそうなのです」と言った。虹陣に来てから商工会を訪ね、小規模や大規模関係なく、材木商の仕事ぶりについて訪ねたらしい。ちなみに行方不明になった人間の数などを尋ねてみたが、初耳の様子だったようだ。
「あと駿龍さんに乗って、裏山を飛び回ってみましたが、異音や変な声とかはなかったです。山肌は丸々伐採が進んで見通しがいいですし、隠れられそうな場所は見当たらなかったのです。精々山の頂上付近に炎鬼が何体か歩いていたくらいで、人里に降りる様子はさっぱりなくて、おっきな木をなぎ倒すのに専念してましたので、ひとまず帰ってきたのです」
「作業員も話してたな。アヤカシが嫌がらせに木を投げて機材を壊していくが、むしろ大助かりだって」
「アヤカシが木を倒したり嫌がらせをして何の利益が……」
 なんにせよアヤカシ退治は後回しだ。
「結論から言って、もしも鏑木達が囚われてるなら……薬宿の離れの確率が高いですね」
 重傷者が集められていると噂の離れは、一般人を寄せ付けない。
 板張りだという以前に、弖志峰が発見した廊下の香は、普通の人間を昏睡状態に陥れるだけの威力があるのだと桂杏が告げた。その香に耐性があるのは、長年香の中で育った人間だけらしい。
 桂杏が溜息を零す。
「押し入ろうかとも考えましたが、一人では少しぶが悪いかと」
 弖志峰も離れにいく機会はあった。重傷者が運び込まれる予定だった為だ。しかし露草が男と訪ねてきて治療を決めた。弖志峰は表向き術が使えない風を装っていたので、他人を部屋から追い出し、露草が治癒符で治療したという事にした。男たちは、仕事に戻ったという。
「一応、事故当時を聞いてみました。気がついたら……という話でした。ただ、角材を倒してしまった、のではなく、角材が倒れてきた、という表現でした」
 そして長屋に住み込んだ狐火曰く、超越聴覚を駆使しても変わった点はないらしい。
「後はおつげの祠か」
 蓮が地元民に愛されているという話をすると、緋那岐は「俺も祠にいったぞ」と手をあげた。
「紅木屋の若旦那が最近小さな社を建立して、鳥居を立ててる。ただその事より、参ってる奴の話が興味深くてな」
 緋那岐曰く、天女のお告げがある、のだという。
 悩みや願いを書いて、境内の木々に結びつけておく。運の良い者はお告げをもらえる。実際に、失せ物や迷い猫を見つける例が後を絶たない。その第一号が紅木屋の若主人で、今では多くの者がそこへ参るようになった。
「砂が金になる、ってお告げだってさ。あと試しに境内で瘴気回収したら、すげー量で……普通は境内って反応がないもんなんだけど……多分、清浄とは無縁だと思う」
「アヤカシによる信仰操作ですね」
 萌月の言葉に、弖志峰が苦い顔をした。
「人の願いを利しながら操る手管に踊らされる人を、これ以上増やしたくない……こっちも真相を明らかにして、どうにかすべきじゃないだろうか」
 乃木亜が唇を噛む。
「若旦那の善之丞さんから祠の話を聞ければいいのですが、新しい伐採区に手をつけるとかで屋敷に殆ど戻ってきませんし……」
 隣で桂杏は地図を見直した。
 そして考える。
 今、各地で起こっている出来事は、一体何を示すのだろう。
 風が吹けば桶屋が儲かる。
 白螺鈿が燃料不足になり、土壌が腐ったことで、虹陣は材木が売れ、単なる土が大金に変わった。土壌汚染は瘴気の確認でアヤカシの関与が疑われている。アヤカシがこの現象を引き起こした原因であるなら、それは一体何が目的なのだろう。
 人の願いを叶え、栄えさせて。
 負の感情と破壊を望むアヤカシに、一体何の利益があるというのか?
「……この地図、書き込んでよろしいでしょうか」
「はい。どうぞ」
 和奏の五行東の地図に、桂杏が情報を書き込んでいく。燃料不足、土壌汚染区域、流通経路、各地の特産品、仲間が聞き込みをして分かった虹陣の事情や伐採区域……
 ぴたり、と桂杏の手が止まった。
 蓮が眉をひそめる。
「どうしたの?」
「仮説ですけど、でも……昨年の雪を考えると、このままだと」
 顔色が蒼白へ転じる。地図を見ても、大半の者は全く意味がわからない。
 桂杏が何を恐れているのか。気がついたのは五行東の冬と梅雨の気候を体感した経験のある、ごく一部の者だけだった。
「雪……積雪量、そうか!」
「おいおい冗談だろ、ふざけんな」
「た、大変です……どうしましょう。今更気付くなんて」
 慌てる緋那岐や酒々井、萌月たちを見て、ジョーンズが「説明してくれる?」と手を上げる。
 顔色が白い桂杏が「順番に説明します」と地図を示す。
 この虹陣を。

「虹陣は、結果的に五行東の生命線になってしまっているんです。このまま現状を放置してしまうと、来年里が三つ、滅ぶかもしれません。ほぼ確実に」

「なんだって?」
 弖志峰は一つの仮説を考えていた。もし生成姫が五行を壊滅させたいなら、白螺鈿に燃料や代用の土を有する補給地にもなる虹陣を今のまま放置しておくのは効率が悪いのでは、と。
 けれど違った。
 白螺鈿へ材木を運び、土を売って、虹陣が潤えば潤うほど壊滅に近づく。
「うまい話には裏がある……純粋な希求が招くものが、幸せとは限らないって事か」

 まず白螺鈿が深刻な燃料不足と土壌汚染で、外部からの燃料補給と土の購入を余儀なくされる。
 すると虹陣がそれを提供する。
 疲弊していた虹陣は、新たな商売で息を吹き返し、大勢の人を雇って需要を満たそうと供給に徹する。木々を伐採し、切り株を燃料に変え、山肌を削って土嚢をバンバン売り払う。
 単なる土が金に変わるのだから、それは金の鉱脈と同じだ。
 大勢による急激な伐採に加えて、無計画な山肌を削る作業が加速する。一年も続いた虹陣の大事業は山に大打撃を与え、森林破壊は回復不可能な状態に陥りつつある。
 季節は巡り、冬がくる。
 もはや山肌には剥き出しの土と岩しかない。
 この土地特有の大雪を、押さえられる天然ダムの森林はなくなる。
 大規模な雪崩が起きれば、山麓の虹陣は壊滅状態に陥る。
 奇跡的に冬を越せたとしても、次の年に耐えられる保証はないし、雪溶けの水で不安定になった山の土壌へ雨期の大雨が追い打ちをかければ、土砂崩れで里が埋まることは簡単に想像できた。
 虹陣の傍らには、墨染川が流れている。
 土砂とがれきで川が埋まれば、下流にある沼垂の里は、大渇水で深刻な被害がでるだろう。
 更に虹陣が壊滅すれば木材や土の供給はとまる。虹陣に燃料を頼っていた白螺鈿は、来年の冬、現状を上回る燃料不足に拍車がかかるに違いない。
 しかしそれも『白螺鈿が次の冬まで無事ならば』の話だ。
 虹陣の壊滅で墨染川がせき止められた場合、五彩大川の水は、一気に白原川に流れ込む。昔から数年ごとに何処かで氾濫していると有名な川だ。水量の激増で白原川が氾濫すれば、白螺鈿近隣には大洪水が発生する。
 白原平野が水に沈めば、町は壊滅的な被害を受けるに違いなく、穀物の収穫は絶望的。
 局所的な食糧不足は、五行の穀物庫である東から……各地に伝播する。

 失踪事件の真相はまだ明らかではないが、別な問題まで判明した。
 萌月はアヤカシが事件の原因ならば、この一帯の主である生成姫の証拠隠蔽能力が落ちたのでは、と思っていた。やっと追い詰めた、少なくとも足をつかめそうだと。
 違った。
 敵は方法を変えたのだ。
 今までは家畜のように人間を嬲ってきた。
 生かさず殺さず玩具のように、里の伝統に紛れ込んで人を操ってきた。
 今は違う。もはやアヤカシが里の内部から突き崩す必要はないに等しい。少し手を貸して望みを叶えてやるだけで、人々は自ら破滅していく。手を下さなくとも、いずれ絶望が撒き散らされる基盤が、数十年をかけて綺麗に出来上がってしまっていた。
 もう飼う気はない。そんな気がする。
 変化の時が訪れたのだ。


「時間の問題なのか? 解決の手立ては?」
「虹陣の主産業になっている伐採工事を、早くやめさせないと」
「失踪してる連中の捜索救出と並行して、炎鬼たちを倒して、瘴気まみれの祠どうにかして、虹陣の連中を説得しなきゃなんねえって……マジか」

 大災害を誘発して、虹陣・沼垂・白螺鈿の三里を壊滅へ導く企み。
 その先に何が待つのか。

 開拓者たちは、まだ気づいていなかった。