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■オープニング本文 前回のリプレイを見る 私はある時から視力を失った。 家族のおかげで、取り戻した本来の視界。 待ち望んだはずなのに、喜べなかった。 失われていた時間が、一気に流れ込んできたような感覚がした。 そして。 それは気のせいではなく、現実となって私を蝕む。 見たくないものを延々と見せる。 雪神様。 あなたは一体、何がしたいの? 五行国東方の果て、白螺鈿。 その近郊に農場を構える杏達の家では、少し変化があった。 少し前まで視力を失っていた姉のミゼリが引きこもりから一転、頻繁に街へ出かけるようになったのだ。倒れて暫くは、自ら顔に包帯を巻いて塞ぎ込んでいたが、最近は買い物のついで等、理由をつけて頻繁に出かける。流石に心配なので人妖の炎鳥が一緒にいくのだが、いつも変な顔で帰ってくる。打撲の痕や切り傷も増えた。理由を聞いても答えてくれない。口止めをされているらしい。 「ミゼリ姉ちゃん、またいないね」 「杏、こっそり追いかけてみない? どうせこんな雪じゃ、私たちだけで畑掘るのは無理だし、牛の放牧だって無理よ」 人妖ブリュンヒルデの提案を受け入れ、杏は雪の上に残った足跡を追った。 やがて見つけたのは…… 縁もゆかりもない家を訪ね、罵倒されて追い出される姉の姿だった。 「本当です、嘘じゃないの! 見つけてくれるのを待って……」 「でてけ!」 突き飛ばされて、ミゼリは泥水に尻餅を付いた。 扉は固く閉ざされる。人妖の炎鳥が「大丈夫か」と囁いた横顔は窶れ、頬が涙に濡れていた。両手で顔を覆って泣く姉の姿を、杏は久しぶりに見た。ミゼリはいつも気丈で、己の弱いところを、殆ど人に見せなかったから。 「ミゼリ、帰ろう。もういいじゃないか。放っておけばいいんだ」 人妖の炎鳥の手を、ミゼリは振りほどく。 「ダメよ。彼は賊に刺されても帰ろうとした。家族の名を呼んで死んだの。たったひとり、何もない道端で。帰りたがってた。誰かが迎えに行ってあげなくちゃ。このまま野ざらしなんて悲しすぎる」 ボロボロと、涙が頬を伝っていた。 人妖の炎鳥が悔しげに歯を食いしばり、ミゼリの頭を抱きしめた。 「無関係のミゼリがここまでする必要なんてないだろ。誰も信じる訳ないんだ。救いきれないんだ」 「でも……見えるのよ。聞こえるの。どんなに目を塞いでも、耳を塞いでも、数え切れない沢山の悲しいことが、頭にこびりついて離れない。どうすればいいの……何故此処は悲しいことばかり溢れているの」 感情が溢れて止まらない。 今のミゼリには、見たことのない景色や知らない人々の様子が分かった。 精霊の記憶である。 借用していた視覚が返却された時、ミゼリは一時的に精霊と連結した。精霊を身に降ろせるという神代ではない、単なる人間が精霊と繋がった弊害は余りにも大きく、今回の雪神様の場合、大量の情報を投げ込まれたミゼリの精神は……錯乱寸前に陥っていた。 死んでいった人々が見える。苦しんでいた動物たちが見える。 これから起こる様々な不幸が分かってしまう。 それはまるで。 一種の予知能力に等しいものがあった。 祠に宿っていた雪神様は、殆ど言語が通じなかった。人の話を聞いている節はあるのに、交信しようという意志を感じなかった、と開拓者たちは口を揃える。 今のミゼリは……なんとなく理由がわかった。 相手は、広大な平野に調和をもたらす白原平野一帯の精霊だ。 人間の感情論や精神では、とても持たない。 ひとつひとつに構っていられない。 例えるならば、人間が道端のアリを踏むような感覚でいなければ、とても対処しきれる量ではなかった。淡々と粛々と、定められた役目だけをこなす存在でなければならない。仮に豊穣や調和を齎す事が雪神様の存在意義であるなら、人間に似た感情の動きは無用の長物なのだろう。 事実、心優しいミゼリは……散々な事になっていた。 救えるはずがない、と分かっていても。 どうすることもできない、と知っていても。 「世界は残酷ね」 涙を拭ったミゼリが虚ろな目を空に向ける。 「神様に縋ろうなんて、思った昔の私を殴りたいわ。神様が、精霊様が何を見ているか知らなかった。私、役立たずね。人知れず死んだ人の思いを届けることも、誘拐された子供の居所を教えることも、満足にできないなんて」 人々は変な顔でミゼリを見る。不気味に感じて追い出そうとする。 ごく自然な反応だ。 分かっている。 精霊の残した記憶を語ろうという行いが、どれほど愚かで理解されないか。 「ミゼリ、いつまで続ける気だよ」 「わからない。私が何も感じなくなるか、何も見えなくなるまで……かしら」 気が遠くなるような返事だった。 杏は姉の抱える闇を知り、物陰で立ち尽くした。 見えるようになって欲しいと思った。農場は昔と違うのだと知って欲しかった。 沢山の愛に囲まれている事を教えたかった。 けれど『見え過ぎること』を、誰も想像すらしていなかった。 これはきっと仕方のないこと。起こってしまった事は変えられない。 時間は戻らない。 人は領分を超える力に手を出してはならない事を、誰が知ることができただろう。 家へ向かって走り続けた杏は、雪降る空に向かって叫んだ。 「雪神様の、バカやろおぉぉぉおぉお!」 姉を苦しめる精霊が許せなかった。 「失礼なことを言うのね」 突然聞こえた第三者の声に、杏も人妖も我に返った。 雪に囲まれた視界の中に、佇む小さな人影。薄青の翼を持つ羽妖精に見えた。 銀髪を靡かせた少女は杏の目の前に降り立つ。 「アタシ達の大事な山の神を無理やり里に攫ったのは、貴方達でしょう」 「君は……」 「おかげで主様不在の渡鳥山脈はナマナリにぶんどられて侵食されるわ、ん百年ぶりに帰れた主様は傷ついてるわ、ほんとに自分勝手で散々よ! どう落とし前つけるつもりよー! 聞いてるの人間!」 人妖ブリュンヒルデが「何者よ!」と威嚇すると、少女は目を点にした。 「アタシは主様の……あんた達が言うところの『雪神様』に作られた存在よ。主様が衰弱しきって動けないから代理で来たの」 「代理って」 「翡翠の祠から解放したの、貴方達でしょ。それは感謝してるけど、傷つけたのも貴方たち。だから責任を取って。主様は山脈の本宮に戻ろうとしてるけど、結界石が道を阻んで戻れないのよ。あと石鏡から伸びてる龍脈の一箇所がナマナリの盆栽で閉じられてて、精霊力が届かない主様は回復できない。だから手伝って」 杏は「それを何とかしたら姉ちゃんを許してくれる!?」と叫んだ。 事情を聞いた少女は「いいわよ」と言った。 「他の記憶も一部消えるかもしれないけど、力の名残を消してくれるように主様に頼んであげる。大昔は『全てを見通す目が欲しい』って騒いだくせに、いざ扱えない力を得るといらないという……ほんと人間って、勝手ね」 |
■参加者一覧
鈴梅雛(ia0116)
12歳・女・巫
酒々井 統真(ia0893)
19歳・男・泰
若獅(ia5248)
17歳・女・泰
アルーシュ・リトナ(ib0119)
19歳・女・吟
ロムルス・メルリード(ib0121)
18歳・女・騎
久遠院 雪夜(ib0212)
13歳・女・シ
ハッド(ib0295)
17歳・男・騎
白 桜香(ib0392)
16歳・女・巫
真名(ib1222)
17歳・女・陰
ネリク・シャーウッド(ib2898)
23歳・男・騎
桂杏(ib4111)
21歳・女・シ
蓮 蒼馬(ib5707)
30歳・男・泰
マハ シャンク(ib6351)
10歳・女・泰 |
■リプレイ本文 ●雪神様の使者 その日、現れた白 桜香(ib0392)達の様子に窶れ顔のミゼリは首を傾げた。 「ミゼリさんごめんなさい。必ず助けます、成功させます。待っていて下さい」 細い手を強く握る。 若獅(ia5248)もミゼリの体を抱きしめた。 「ミゼリ、ごめんな……お前ばかりに犠牲を強いたくなかったから、雪神様との契約を破棄させたかったのに。余計に辛いものを背負わせちまった。でも、今度こそしくじらない。神様の力は、あるべき所に返す!」 「どうして」 久遠院 雪夜(ib0212)もミゼリに抱きついた。 「ミゼリちゃん、大丈夫だよ。ボク達がすぐに何とかするからね。」 望んでいない力を、余計なものを沢山背負わされたミゼリが壊れないように。 後ろに立つアルーシュ・リトナ(ib0119)も陰鬱な表情で立っていた。 『あの存在は、私達が計り知れない広さと大きさで……私達はあまりにも小さいのに……傷つける事ができてしまった。傷つけた私達ではなく、ミゼリさんが苦しんでいるなんて』 「ミゼリさん、ごめんなさい。杏さんも、ごめんなさい」 「杏さんも。すみませんでした。頑張ります、みんなで頑張りましょう」 リトナや白の言葉を聞いて、驚愕の表情を浮かべたミゼリは、弟の杏を見た。 「杏、あなた知って……ううん、皆に」 蓮 蒼馬(ib5707)が「杏を叱らないでやってくれ」と間に入った。 「杏は苦しむ姿をなんとかしようと俺達を呼んだんだ。必ず解決してみせる」 「ま、そういうことじゃの〜、ミゼリんは案ずるでない」 ハッド(ib0295)が頼もしく胸を張り、心配無用と手を振る。 『なんじゃ〜、いろいろ厄介なのはつづくのじゃの〜。じゃがミゼリんのしやわせのために全力を尽くさねばなるまいて〜。てつくず弐号も本領発揮じゃの〜』 一連の様子を眺めていたマハ シャンク(ib6351)は眉を潜めて押し黙っている。しかしその手は、きつく握り締められ、血が滲んでいた。上級人妖の菫が「マハ様?」と無口な主人の異変に気づいたが、声はまるで届いていない。 あの時。 『私達が、もっと上手くやっていれば……あの子はこんなことにならずに済んだのか?』 悔しい。 上手く出来なかったことも。 ミゼリが一生懸命に成そうとしている事が、皆に受け入れられないことも。 しかしシャンクは、どうして、何故、と嘆く事はなかった。 自分達で選んで解放を決めた。誰のせいでもない。悔やんでも時間は戻らない。 歪んでしまった結果を覆す手段が残されているなら成してみせると決意した。補ってみせる。それがミゼリの為ならば。 「マハ様」 上級人妖の菫が再び問いかけた時、真摯な瞳が『やるぞ』と告げていた。 隠し事が露呈したと悟ったミゼリは、声をあげて泣いた。果たしてその悲痛な声が、苦しい自分の叫びなのか、今まで見た苦しみへの悲しみなのか、わからないまま延々と泣き続けた。 落ち着くのを待って話を進めることになった。 せめて寝ている時だけでも心が安らかになるように、とリトナが『夜の子守唄』で力を行使している。寝顔が少し安らかな事だけが、せめてもの救いだ。 慣れ親しんだ土間で食事を作るネリク・シャーウッド(ib2898)が首を鳴らす。 「……御伽噺やなんやらで、大抵この手の試練はきついもんだが。やっぱりミゼリ、きつそうだな。でもまぁ。家族の為なら俺たちがこれからやる仕事くらい苦じゃないか」 配膳を手伝っていたロムルス・メルリード(ib0121)が陰鬱な顔で「そうね」と呟く。 「まだミゼリの為にやれることがある。立ち止まってなんかいられないよね」 ふいに頭から手が伸びて、揚げていたエビに手を伸ばす。 「人間って、わかんなーい」 雪神のもとから来たという使者だ。ふよふよと空中に浮いて盗み食いをする。 「突然祀って勝手に放棄して、強引に主様誘拐して、力を欲したと思えば、捨てたがる」 すると久遠院が、怖い顔で精霊を睨んだ。 「……人間は確かに自分勝手だけど……人間全てを『自分』と一括りにしないでほしいな」 雪神を白原平野に縛ったのは古の人だ。 意図せず傷つけたのは自分たち。 なのに第三者で力を願ったわけでもないミゼリが、あんな目に合わされているのは酷い……と、久遠院は思った。雪神が無差別で制御の効かない存在ならば…… 『ボク達の手で何とかしないと、ミゼリちゃんがあんまりに可哀想だよ』 「あによ、やるき?」 口の中でエビを咀嚼していた使者が、片手に風を集約する。 どうも喧嘩早い性格らしい。 「待った、待った」 蓮が精霊との間に入って、友好度を保とうと思考を巡らせる。 「可愛らしいレディに怒った顔は似合わない。雪神様、いや、主様を……精霊を傷つけて済まなかった。そのつもりはなかったとはいえ、俺達が傷つけた事は事実だからな」 深々と頭を垂れた蓮を見て、使者は手の風を握り潰した。 「わかってるならいいのよ」 ぷい、と使者が顔をそらす。 箸で惣菜をつついていた酒々井 統真(ia0893)が「勝手と言われりゃ耳が痛い」と声を投げる。 「だが、だからといって殊勝になっても何か変わるわけでもねぇ。とことん勝手に、ミゼリの、杏の未来を掴みにいかせてもらう。心配すんな、主様は元に戻してみせるぜ」 すると使者は酒々井の前に来る。天妖の雪白が一瞬警戒を強めた。 「なんだ? 信じてないのか」 「んーん、そうじゃなくてね。貴方『雪若』ね? 随分薄いけど主様の加護を感じるから」 ぽろ、と箸から卵焼きが落ちた。 酒々井が雪神祭で、福男「雪若」に選ばれたのは一昨年の正月。 たった一年限りの現人神と聞いていた。 「え、……おい、わかるのか? つーか雪神祭の雪若になんか意味があるのか?」 使者は顔を凝視して『おしえなーい』と言いながら、暗い天井へ飛ぶ。 「知ったら『使う』でしょ? だから言わなーい」 この気分屋すぎる使者から話を引き出すのは、相当に難しい。 「ねぇ人間、ちゃんと主様を還すって約束できる?」 真名(ib1222)と鈴梅雛(ia0116)が、梁の上を見上げる。 「私達の責任だもの、きっちり解放してあげないとって思ってる」 「雪神様が弱ってしまったのは、ひいなたちの責任ですし。解放した者として、無事に本宮に御戻り頂ける様にしないと」 鈴梅達の真摯な言葉に「ふぅん」と言ったっきり黙った。 黙々と食事をしていた桂杏(ib4111)が「聞いたことはあります」と天井に声を投げる。 「人と人じゃないモノの間に交わされた契約は、常に人の側の都合によって破られるって……でも、破らせてもらいます。古の契約と違ったとしても、私達があなたがたとの約束を果たすことが代価となるのなら喜んで」 「……別に、そこまで責めてないわ。還してくれるなら、それでいいの」 使者の機嫌が戻った頃合を確かめて、真名が「碑石の場所は教えて貰えるのかしら?」と尋ねると「地図用意したらね」と言う。 食後に使者は位置を知らせた。真名が「特徴は何かある?」と詳しく尋ねる。 「でっかい碑文付きの碑石よ。旅人が意味も知らないで花添えたりしてるから、目立つし」 鈴梅が顔を上げた。 「ひいな達は、魔の森で瘴気の木を取り除きに行きます。でもその前に行かなければならない場所が。出発は少し待ってください」 白螺鈿にある封陣院の分室で道具を借りてきます、と鈴梅は街へ出かけた。 ●封陣院の分室 「ごめんください。分室長様はいらっしゃいますか」 白螺鈿へ急ぎ、屋敷を訪ねた鈴梅が扉を叩くと、封陣院の分室長こと狩野柚子平が現れた。鈴梅の顔をみて「どうぞ」と中へ通してくれる。瘴気の実を生み出す樹木伐採の時に使った、瘴気を封印する壺を出来れば貸してほしい……と聞かされた男は眉を顰める。 鈴梅は必死に言葉を選んだ。 相手は危険人物として警戒した亡き男の兄弟。そして研究を生業とする陰陽師だ。封陣院の分室長という肩書きだが、事実上の権力は大アヤカシ生成姫討伐の件で重鎮に並ぶ。第一、国王が何か命令すれば、彼は従わざるを得ないだろう。 「実は避難されていた精霊様に『偶然』お会いしたのですが、ナマナリ消滅で渡鳥山脈にお戻りなられるはずが……ナマナリの木が龍脈を塞いでいるらしいのです。居合わせた開拓者へ『助けよ』とお命じに。龍脈封鎖は、大事です。解消の為に、ご協力頂けませんか?」 「喜んで。壺は瘴気の実ごと返却して頂ければ、研究で消費して処分しましょう。こちらの鍵をどうぞ。倉庫から好きなだけ持って行ってください」 鈴梅は「ご協力感謝します」と告げて、頭をたれて部屋を出た。 ●記憶 鈴梅の帰りを待つ白達は、ミゼリの様子を伺う。皆に状態が露呈したとなった今、ミゼリは憔悴した顔を隠さない。起きている間は、時々悲鳴をあげたりしている。蓮から借りたお守りを握り締め、リトナの歌声の眠りが、囁かな安らぎだ。 久遠院が「一刻も早く事態を解決しないと」と焦る傍ら、リトナは何かを考える。 「……そもそも交信の意思を持たない精霊を、どこで姿を見、どうやって下ろしたのか」 曰く、使者も直接交信している訳ではないらしい。昔から雪神の傍にいた訳でもない。 『私は先代に聞いたのよ。地を統べる主様達は兎も角、アタシ達は摩耗するもの』 リトナは溜息を零した。 「人と精霊の接触のはじまりは、どこにあるのでしょうね」 空中の使者は「貴方達、本当に何も知らないのね」と双眸を細めた。 若獅が「何か知ってるのか?」と尋ねたが、使者は「先代から聞いた事しか知らない」と返すだけ。 「でも貴女達の話を聴いてるだけで『人間は都合の悪い事実を歪め、全て隠してしまう』事ぐらいは分かるわ。子孫に伝えない。強欲で勝手で救いようがないわね」 吐き捨てるような蔑視は、何か意味があるに違いない。 だが現状では答えてくれないだろう。 「子孫に伝わらず、忘れ去られたこと」 若獅が独り言を呟く。 『そうだよ。おかしいことなんて山ほどあるんだ』 龍脈の上に瘴気の木が植わってたり、雪神様を山に還さない結界石が作られたり。瘴気の木はナマナリの仕業だとしても、強力な精霊を阻むなんて並の陰陽師では不可能だ。 「白螺鈿には、俺達の知らない因縁が沢山あるような気がする。なぁミゼリ」 若獅は窶れた横顔に問う。 「辛い状態のミゼリに頼むのは、すごく気が引けるけど……雪神様と共有してる記憶の中で、地に封じた陰陽師について分かる事がないか? 容姿とか背格好とか。他に誰か一緒にいたとか……辛いなら無理強いはしない」 「無駄よ」 と声を投げたのは使者だった。シャーウッドが焼いた豆クッキーをバリバリ齧っている。 「貸し出した期間の土地の情報しか入ってない。三年? 四年? それ以前に、自分が見たいものも見れない、その子じゃ無理」 「では見れる事を解決してはどうでしょうか」 リトナが和紙の束を持って、ミゼリの前に膝をついた。 「色々見てさぞお辛い事と思います。でも街の人達に伝えたい事があれば教えていただけませんか。私達が書き纏めて、開拓者ギルドに託します。過去に人探しの依頼が出ていたかもしれません。若しくは今後、依頼が出されるかも。ですからギルドから使いが出せるようにすれば解決する可能性は高くなります。信じるか信じないかは相手任せになってしまいますけど、……やってみます?」 ミゼリは「ええ」と頷く。 悲しいことがあった。伝えたいことがあった。 どうしても知らせなければと思っても、自分にはどうすることもできなかった。 けれど解決策はある。 「書き出しは昼食の後にしてくれ」 シャーウッドが大鍋を抱えてきた。地図や作戦会議をしているうちに昼になっていた。昼食はクリームドリア。自家製バターと生クリーム、牛乳を使ったホワイトソースに、米や各種ハーブ、塩などを入れた品のある一品だ。これに焼き石で表面に焦げ目を付けた徹底ぶり。 「何をするにもまずは飯だ。腹が減っては……ってな」 食べるだろ? と天井に向かって小皿を差し出すと、使者が強奪していった。自信作だぞ、と笑う。 丁度、鈴梅も帰ってきた。 「遅くなりました。貸して頂けました」 「お疲れ。食後は大仕事だ。帰ってきたら、また美味いものを作るから。皆、頑張ろうぜ」 昼食をとり、作戦を確認し、班を分け、地図や道具を持つ。 使者は伐採班に同行する。真名は「姉さん達も気をつけて」とリトナ達を抱きしめ、白はミゼリ達に「祈っていてください」と微笑みかけた。 一同は二手に分かれて、雪神の解放に動き出す。 ●碑石と犠牲 その龍ほどの碑石は、街道の崖沿いにあった。 蔦が生い茂り、コケが壁面を覆い、碑石の前に小さな猫ほどの社と地蔵が飾られている。 壊す前に調べよう、と言ったのは真名と久遠院。 「太古の陰陽師か。危険がないとも限らないし、そういう人が作ったものなら警戒していかないと」 「昔の人が何を思って雪神を捕らえたのか、この騒動の根本に何が、どんな思いがあったのか、書いてあるかもしれないし」 「調べるったって、なぁ」 酒々井が頭を掻きながら、碑文だったらしい岩を眺める。 五行の東の様々な物事を調べてきたが、ここに書かれた碑文は、生成姫封印の遺跡より、遥かに年季が入っていた。使者の話を合わせても、雪神を里に下ろしたのは『生成姫が渡る前』だと推察はつく。 果たして何百年前からあるのか分からない。 壁面の窪みは、雨風に曝されて原型を残していなかった。 「解読しようにも、これじゃ……読めねーぞ」 「風化した碑石の癖に、未だ『神』を阻む石だ。調べて損はなかろう」 シャンクが上級人妖の菫に瘴索結界で周辺を調べさせている間、表面の草木を取り払う。 真名も玉狐天の紅印に瘴気感知を試みさせた。 天妖雪白は真上から周辺の様子を伺う。 真名と久遠院が二人で碑文写しを試みるが……文字らしきものは殆どない。和紙を睨んだ久遠院が首をひねる。 「なんて書いてあったんだろう。こことか『姫』っぽいよね。でも生成姫じゃないし」 横から蓮が写しを眺めて「上のはひさぐの鬻じゃないのか? ひさひめ?」と指で示す。 「えー? 鬻ぐ姫……違う、これ『鬻姫(ヒサキ)』だよ」 真名が顔をあげた。 一年前、大事な陰陽寮を襲撃した元上級アヤカシの名だった。 「なんで肉の塊みたいになって滅びた、あんな奴の名があるの?!」 酒々井が「別に変な話じゃないな」と岩を見上げた。 「生成姫が五行に渡る以前、東の一帯は鬻姫の狩場だったらしいからな。生成姫が大アヤカシだったから配下に下っただけで、元々奴は狩場の横取りを快く思っていなかった。でなきゃ人間と取引して、ナマナリを山脈に封印するもんかよ。あいつもかなり頭が回った」 知恵比べの嫌な思い出を振り払う。 シャンクが眉を顰める。 「碑文の全文はまるで読めんが……つまり、雪神の移動と封印騒動は、滅びた鬻姫と何らかの関わりがあったという事か」 「多分な。さて。雪神様ってのも衰弱してるっつー話だからあんまり余裕はないんだろう。とっととぶっ壊すか。限界火力で割れるかどうか」 拳に力を込めようとした酒々井に「待って」と真名が声を投げた。 「はじめ少し私にやらせて。試したい事があるから」 作戦があるなら、と同意を取り付けて。 一体何をするのかと見守る中で、真名は陰陽術で業火を作り出す。特別弾かれたりはしなかったが、表面が赤くなる程度で、大した変化はない。しかし真名は何かを確信して、狂ったように過熱を続けた。 「いくわよ、紅印!」 「御意のままに。マスター」 真名は相棒と同化し、白銀の龍を召喚した。凍てつく吹雪が巨石を包み込む。 刹那。 巨石に激しい亀裂が走った。 真名は「よかった、成功したわ」と胸を撫で下ろす。 「熱膨張よ。石焼鍋の器を熱いまま冷水に入れると割れる、アレ。私の術だと砕くのは難しいけど、少しは皆が砕きやすくなるかと思って」 そういえば何度か農場で石の皿を割ったな、と古い記憶を探る。 久遠院が裂け目に短刀などを差し込んで「いいよー」と声を投げた。 「何はともあれ、亀裂が走りゃ、こっちのもんだ。全力で砕いて中の宝珠ごと砕いてやるぜ」 「右に同じだ。どれくらいで壊れるか解らんが、破壊の目安はつきそうだな」 「これなら内部破壊もしやすい、統真、蒼馬、行くぞ」 酒々井が、蓮が、シャンクが。 己に持てる最大の技で、碑石の大岩を砕きにかかる。 轟音を立てて碑石が崩れた。 何故か厚みはなかった。興奮気味に喜んだのも束の間、崩れた碑石の向こうに扉が見えた。 半ば朽ちた入口に警戒しながら、石をどけて内部へ進む。 「なにかしら。今何かの縄が切れ……ひっ!」 真名が飛び退く。 光の差し込んだ内部に鎮座していたのは『人』だった。 否、かつては人間だったと思しき亡骸だ。朽ち果てた体はミイラ化しており、その手に拳ほどの宝珠がある。座したままの体には無数の呪符や呪具が巻き付いていた。 まごうことなき外法陰陽術の痕跡。 「ひと、ばしら?」 「なにこれ! ひどすぎるよ!」 「里を守る為に生贄になった、そういうことだろう」 「生きた人間を犠牲にしてまで……山脈の精霊を、白原平野に縛ったのか」 真名や久遠院、酒々井や蓮が呆然と呟く中、シャンクは無言で拳を握り締めた。 刹那、大地から光が浮かび上がった。 姿なき精霊だ。閃光が小部屋に満ちて、無数の呪具が燃え尽きていく。屍も瘴気と同化していたのか砂のように崩れて消えた。 残っているのは宝珠だけ。 宝珠を眺めた酒々井は、拳に燐光を纏わせて叩き潰した。 「これでいいのか?」 点滅する光は、大地ではなく壁の中に消えた。進めるようになった、という事だろう。 蓮が「さて」と手を叩く。 「こちらは片付いた。魔の森に急ごう。手を焼いているなら、手伝わないといけないしな」 「賛成。ぼーっと待っててもしゃぁねぇし、片付けるのは早いほうがいいだろうな」 結論が出たところで、シャンクが街で借りてきた馬で現場を立ち去る。 真名は、遠ざかる碑石の跡を振り返った。 「あんな場所に閉じ込められて……何百年もずっとひとり、不安だったわよね、きっと」 死の瞬間まで役目を果たし、死後も縛られ続けた亡骸は……心安らかになっただろうか。 ●龍脈を閉ざすもの 使者に連れてこられた魔の森の片隅で、白達は信じられない光景を見た。 瘴気の実を生み出す木がある。それは承知している。 しかし自ら木に食われているアヤカシ達の光景は、想像以上に不快感を煽った。単眼鬼も鷲頭獅子も、さして特別な術を使う類ではないし、胴体や頭、腕が埋まっていたりする分、通常より脅威とは言いにくい。 正に『樹に食われるためだけ』のアヤカシと言えた。 しいていうなら伐採に邪魔だ。 一応、白が夜間伐採に備えた装備を手配してくれていたが、そこまで時間をかけると瘴気汚染で皆、倒れかねない。リトナの聖歌も安全圏で六時間、所持品で補って九時間がいいところだ。アーマーの起動時間が限られている以上、手早く済ませたい。 鋼龍なまこさんの背中の鈴梅が、樹を観察する。 「まずは邪魔するアヤカシを退治しないと……って考えていたんですが、どうしましょう。腕とか足とか首を落として、地道に削りますか? 多分反撃もしてくるか怪しい気が」 シャーウッドが歪な樹に目を凝らす。 「色々いるみたいだが、全く動いてないな。養分なのか。ただあれを引っこ抜くだけだろ? こっちは頭数もいるし。ただまぁ……抜けたら速攻で森を抜けたほうがいいな」 腐っても魔の森だし。 ハッドがアーマーケースを地に下ろす。 「まずは栄養になっとる連中を含め、雑魚敵を排除して作業環境を整えるのが先かのー。後は細木の周囲から慎重に土ごと掘り返していき、植え替えの要領でアーマーの力を合わせて地面から掘り出して、龍脈から除去、然る後に移動させてから浄化してしまおうぞ」 次々とアーマーケースを下ろす者たち。 今回は友人の伝を頼り、短時間除去を実行する為、オドゥノール、黒憐、リュドミラ・ルースが応援に駆けつけていた。いずれもアーマー持ちで、巨大な樹を伐採した実績がある。 「それじゃ眼突鴉は、こっちに任せろ。飛べ! 華耶!」 駿龍とともに若獅が眼突鴉の誘導を開始する。眼突鴉程度なら、駿龍華耶だけでも充分だ。 アーマー所有者たちには大仕事が待っている以上、消耗させるわけには行かない。 リトナが空龍フィアールカに「お手伝いをお願いできますか」と頼んで若獅の後を追わせた。鈴梅は「一応魔の森の外れですので、ちょっと周辺の様子を見てきますね」とアヤカシの増援懸念を潰すべく、夜雀がいないか観察に向かう。 「あとは樹木のアレですね。私たちでなんとか」 桂杏が忍刀を握る。 攻撃性が皆無だと保証しないと、瘴気の実の回収もままならない。 「何、単に静止物の首やらを落とすだけなら練力の心配なぞ必要ない。これも持ってきた」 オドゥノールは透き通るような黄緑色の穂先を持つ大ぶりの槍を担いだ。 勇ましく樹に進む騎士を「待って」と呼び止めるのは、久遠院から手伝いに呼ばれたルース達。 「先に伐採の仕方についてノウハウを、皆さんに共有しないと。起動時間は短いですし」 「む、そういえばそうか。すまない」 「いえ。でもこんな稀な仕事で、こうも一緒になるとは……世界も狭いものですね」 「ここ掘れにゃんにゃん。伐採も……二度目となると効率上がります」 後方では黒憐が、シャーウッドやメルリード達に早速話を始めていた。 オドゥノールに桂杏は「心配無用です」と上級人妖百三郎を見た。 「大丈夫です。こちらには百三郎もいますし、空で眼突鴉を潰している方々も、じきに戻ってくると思いますから。伐採の相談が終わっても手こずっていたらお願いします」 空では若獅達が眼突鴉を誘い、白が落下する実を虫取り網で拾っては壺に収めていた。 「私も行きます」 リトナが桂杏の手を握る。樹が生えているのが魔の森の端で、ここが汚染外で安全だとしても樹に近づけば森の土壌に入る。桂杏を瘴気汚染から守り、実の瘴気を拡散させないためには『精霊の聖歌』が必要だった。しかし何度も浄化の歌は使えない。 「ですが」 「大樹と違って細い木ですから。皆さんも手早くやってくださるはずです」 樹の傍に立っても、食われた中級アヤカシ達はぴくりとも動かない。桂杏がアヤカシを削り始めると、リトナも歌い始めた。歌に集中し、自我が遠のくのを感じながら思う。 ここは龍脈の上だという。 石鏡から運ばれる精霊力が、瘴気の実を生み出す樹で塞き止められている場所。 今、瘴気を打ち消すリトナの力は、果たしてどこからやってくるのか。 謎多き精霊力の奔流を感じながら、歌声が広がっていく。 やはり魔の森だからか食われたアヤカシも耐久力があり、幹から削る作業は骨が折れた。 しかし鈴梅たちが地道に壺へ集めた瘴気の実は、白が浄炎で清めていたし、リトナの歌声も続いている。事前に調べたり経験者から話を聞いていた分、殆ど割ることもなかった。 樹についても同じことが言える。 「全力で行くよ!」 アーマーのトマーヴとアーマー「人狼」クドラクが駆鎧の鋸刀でゴリゴリと幹を削り、アーマー「人狼」のさいべりあんが斧を振るう。直径1メートルの幹など、前の苦労に比べれば月と鼈だ。ハッドはアーマー「人狼」改ことてつくず弐号で、樹にくくりつけられた縄を引き、バキバキと折り倒して、他の者が安全に作業できるよう、腐った土地から引きずり出した。ハッドもまた素早く騎士聖堂剣で浄化作業に入る。 残った幹も放置はできない。アーマーのトマーヴの助言を受け、アーマー「レムス」とアーマー「火竜」のアイゼンが一気に土を掘りあげる。幹から伸びる根を残さぬよう、核を潰しながら大きな切り株をどかした時…… ぶわ、と何かが吹き出した。 瘴気ではない。メルリード達の体を清める作用があった。 その場にいた雪神の使者は「龍脈が生き返った」と石鏡の方角を見ていた。 ●フォゲット・ミー・ノット 龍脈の精霊力が戻ったのを確認した後、碑石班がやってきた。皆で苦労して幹を消滅させ、使者は「主様を連れて戻る」と約束したので一旦帰った。 夕闇の中、若獅達が使者を待つ。 「……これで、ミゼリは本当に解放されるんだよな?」 酒々井達には懸念はあった。 「そのはずだが……記憶が一部無くなるかも、つってたのが気になる」 「おっまたせーん!」 過去にないほど機嫌のいい使者の声だ。ということは雪神様へ、石鏡からの精霊力の供給が再開され、無事本宮に戻ったという事だろう。ミゼリを探す使者に久遠院が尋ねた。 「約束だよ。ミゼリちゃんから力の残滓を消して。だけど……『他の記憶も一部消える』って? 何がどれだけ消えるの?」 酒々井も畳み掛けた。 「雪神関連の事とか忘れるぐらいならいいが……家族の事、特にずっと一緒にいる杏達のこと忘れたりしねぇだろうな」 使者は目をそらした。 嫌な予感がした。再び皆を見た使者が、頬を掻く。 「あなたたち、あの子とどのくらいの付き合い? 視覚を貸す前から一緒にいる?」 「初めて会った時はもう見えてなかった」 「じゃ、忘れるかも」 時が凍った。 リトナが震える唇で「どう言う意味ですか」と問う。真名が寄り添った。 「主様の場合はね、時間で区切るの。 だから邪魔な記憶を囲う為に、契約前の状態に戻すのよ。忘れるっていうか、その間の記憶を包むって言うか」 久遠院が激昂した。 「そんなのおかしいよ! 代償が必要なら、ボクが肩代わりしたっていい!」 『これ以上、問題をミゼリちゃんに背負わせたりしない』 使者が困惑する。 「アタシ達、そういうの欲しがるアヤカシじゃないし。代償がどうのじゃ…… いいわ、説明する。 なんか網をくれない。後、そこの漬物石と、外から小石を沢山もってきて」 意味も分からぬままハッド達は言葉に従う。使者は広げた網に漬物石と小石をのせて、ふんぬと持ち上げた。そして「みてて」と言って網を揺する。 当然、小石はボロボロ落ちていった。 「こういうコト」 意味がわからない。 「この漬物石が主様の記憶で、小石がミゼリの記憶よ。網はこれから主様が作る壁ね。 例えばこの漬物石が発熱してて触れた小石も熱を貰う。これが今のミゼリの状態。でもそれは困るって言った。でも主様の場合、この漬物石だけ取り除くような、穏便で都合のいい方法なんてないのよ。 じゃあどうするのか。 熱を通さない網を作って、揺すって、隙間から小石を元の場所に落としていくの。 この揺する運動、っていうのが……貴方たち家族とやらの言葉や行動、思い出の働きかけ」 使者は網の中に残った漬物石を戻した。 「最後に不要な主様の記憶だけが残る。 だから別に、記憶が消えるわけじゃないのよ。記憶を何処の棚に片付けたか、忘れるだけ。 契約前の状態に戻って、貴方たちを思い出すのにキッカケが必要になるだけ。網の向こうに見える記憶を、同じ思い出で引き戻すの」 何かをこらえるシャンクが「……どれくらいかかる」と尋ねたが、使者は肩をすくめた。 「さあ。刺激が多ければ思い出すのは数ヶ月、何もしなければ永遠に網は揺れないわ」 「そんなの嫌よ!」 奥の部屋から戻ってきたミゼリが叫ぶ。 「結局、私が今の弟や皆を忘れてしまう事に変わりないじゃない! そんな悲しい事になるくらいなら、頭が壊れたって、このままがいい! 私は忘れたくない! 嫌アァア!」 家から逃げ出そうとするミゼリを、メルリードや桂杏、鈴梅やシャンクが抱き止める。 使者が溜息を零した。 「貴女、後ろ向きね。悲しい事や辛い事ばかりみてる。物事は多面的なのに視野が狭い」 侮蔑の声に若獅が怒鳴った。 「しょうがないだろ! こんな力! 人に扱えるわけないんだ!」 「しょうがなくはないわよ」 雪神の使者は平然としていた。 「昔は人探しや失せ物探し。求める情報を正確にひきだせた者達はいたわ。初代雪若もそう。神代でなくともね。けれどこの娘には……求める情報を引き出す意志の強さがない。不純物の中から、幸せな事を引き絞ることができない。主様の力に引きずられるだけ」 「人に操作可能だってのか」 驚く酒々井の問いに、使者は肩を竦める。 「相手によってはね。意志の強い人間でないと。この子には無理。だから囲うのが最善よ」 古の者が犯した罪。 渡鳥山脈から引き剥がされ、翡翠の祠に縛られていた白原平野を統べる精霊。 契約に伴う五感の借用。意志の強い者だけが、欲しい情報を意のまま引き出せる千里眼。 まさか死んだ虎司馬や今の白螺鈿の支配者である如彩幸弥が求めたのは…… 「私、皆に助けてもらったのに」 メルリード達に腕を掴まれたまま、膝をついたミゼリの嗚咽が聞こえた。 「……たくさん優しくしてもらったのに。……まだ何も恩返しもしてないのに。……全部忘れるなんて。 私が、私の意思が弱いせいで。 ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい。皆の役に立てたかもしれないのに。幸せを呼べたかもしれないのに。全部忘れ……」 「忘れるんじゃありません」 白は手を握った。 「お使者の方もおっしゃったじゃないですか。 きっかけがあれば、お互いに絆があれば、思い出せるって。 だから大丈夫。きっと大丈夫。私たちは傍にいます。忘れたなら、新しく作っていけばいい。時間がかかっても、思い出させてみせます。だから」 貴女は、何も失わない。 傍らのメルリード達の手の暖かさは、出会った頃となんら変わらない。 「少しだけ『眠る』だけよ。目が覚めたら、そこに私たちはいるわ。心配しないで」 酒々井と蓮に促され、杏も手を握り「今度こそ姉ちゃんを守るよ」と囁く。 もう泣くだけだった小さな子供ではない。 ミゼリは『家族』を見渡した。 愛してくれた人々を。 「……私、思い出すから。絶対、忘れないから。皆を、分からなくなっても、必ず」 過ごした日々を。 かけがえのない時間を。 「思い出すから!」 決まりね、と使者が呟いた時、床から現れた点滅する光が、ミゼリの体を飲み込んだ。 神々しい光が再び大地に消えた時。 ミゼリは安らかな顔で横たわり、静かに寝息を立てていた。 ●出会いと別れ 夜になった。 「じゃ、アタシ帰る。主様を解放してくれて、救ってくれてありがとう」 飄々とした使者を「待ってくれ」と呼び止めたのは蓮だった。 甘刀「正飴」を渡す。 「よければまた遊びに来い。人間は捨てたもんじゃないって、俺たちが主様に証明しよう」 隣の真名が「そうそう。愚痴や怨み言なら聞いてあげるわ」と陽気に笑う。 別れの握手を……雪神の使者は握った。 「いいわよ。料理は美味しかったし、貴方達は約束を果たした。来てあげなくもないわ」 ちらっとシャーウッド達を見て「じゃあね」と夜の闇に消えた。 ●円環の咎を断つ 布団の傍らで久遠院が祈るように手を握る。 「俺たち、間違ってないよな。家族と一緒に笑って過ごせるミゼリでいて欲しいから、あとは記憶が戻れば……元通りのはずだから」 ミゼリの安らかな寝顔だけが、彼らの選択が間違いではなかった事を教えてくれる。 皆が寝室を出た後、鈴梅が「今後の事なんですが」と皆に語りかける。 「街に今までの言動を不審がって居る人が周囲に居たら、急に視力が回復した為に混乱していたと言う事にした方が良いと思います。千里眼系の力は、利用したい人や逆に疎ましく思う人が多い物ですし。余計な揉め事の種になってしまいますから」 シャンクは「同感だな」と呟く。 「特に如彩家や百家の縁の者達にばれると面倒だ。そこだけは絶対に誤魔化すべきだ」 話し合いの末、ミゼリが書き残した失踪者たちの行方を記す書類の束も、依頼先できいた噂話を集めたものとしてぼかす事が決まった。 風呂上がりの酒々井が「あとは」と寝室の方を二度見する。 「杏達や俺達の事を覚えているか、知ってる限りの事を順を追って確認して『何を忘れてるか、何か覚えてることはあるか』を確かめた方が良いかもしれねぇ。説明もいるだろ」 天妖雪白が「この農場も、いつまでも落ち着かないね」と夜食をつまむ。 蓮は手元のお守りを見た。抱え込んでいた説教は、少しおあずけだ。 「終わったな、今度こそ」 鈴梅は「ええ。過ぎた力は持て余すだけと、痛いほど分りましたけど」と切なく微笑む。 ふいにメルリードが「仕込みをしてくる」と倉庫に行った。 シャーウッドが後を追う。 「ロムルス」 「少なくとも私は、あの選択をしたことは、後悔してない」 闇の中のメルリードの声は、震えていた。 「別の選択をしていたとしても、それは問題の先送り。いつかどこかで断ち切らないと、きっといつまでも続く問題。何年後か何十年後、あるいは何百年後か……いつか災厄が、私たちやミゼリたちの子供や孫まで苦しめていたかもしれない。だから選択自体は後悔してない……してないけど、何でもっと、上手くやれなかったのかな? ミゼリがあんな傷つかなくて済むようにできなかったのかな?」 忘れられることは辛い。 でも壊れていく様を見ているのはもっと辛い。だから正しいはずなのに。 シャーウッドが近づいて、メルリードの肩を抱いた。 「なぁロムルス。誰だって後悔しないで生きるのは難しいもんだ。……しょうがないよ。俺なんていつでも後悔しっぱなしだ。 ……でも後悔するだけじゃないだろ? 少なくとも先は見てる。ただその場に留まってないなら大丈夫だ。きっとやれる。取り戻せる。ミゼリを傷つけてしまった分、今度はきっちりミゼリを助けてやろう」 なんてな、と囁く。 「ネリク……後悔しないのって難しいね」 ヒトは自分勝手で。 私利私欲の為に、周りの全てを利用する。 同じ人間や動植物、或いはアヤカシ、精霊であれ、我々は――何かを犠牲にしないと生きていけない。仕方のない事だからと理由をつけて、取り返しのつかない罪に手を染める。 それでも。 最初に望んだのは『幸せ』だけで。 己の間違いに気づいていて。許されたくて。逃げたり、問題を先延ばしにして、迷って。 時の狭間に消えた先人達にも、言えない言葉が沢山あったに違いない。 今まで誰にもできなかった事を、農場の者たちは成し遂げた。 真の精霊の解放を。 「きっとこれで……永い償いは終わったんだ」 私たちは再会を祈る。絆を信じ、何度でも繰り返す。 いつか必ず、愛した時間を取り戻す為に。 もうじき。 大勢の人々が望んだ、新しい春が来る。 |