【農場記3】虫の知らせ
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: シリーズ
EX :相棒
難易度: やや難
参加人数: 14人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/11/21 15:39



■オープニング本文

前回のリプレイを見る


 一体、秋は何処へ消えたのだろう。

 酷い残暑が通り過ぎると、何度かの雨が降り、急激に気温が下がり始めた。
 発酵乳の発酵に適した温度よりも気温は低くなり、倉庫から土間や居間に壺を移したのはつい先週のこと。少し早いが薪で暖炉に火を入れたくなる朝が増えた。
 家族が事前に薪を割ってくれたおかげで132日分の薪は手に入ったが、後で売ることも考えるとまだ無駄遣いできるほど余分はない。炭も伏せ窯を四箇所ほど掘ったっきりで、これから焼かなければならない。
 何枚も重ね着して誘惑を断ち切り、寒さを凌ぐ。

「おかしいと思わない?」

 人妖のブリュンヒルデがそう言ったのは、夕食を済ませ、家族をギルドから呼ぶ為の依頼書類を書いている時だった。
 今回は秋の嵐で傷んだ建物の補修に、新しい保管庫の建造作業、薪割りに炭の増産作業、いずれも数日間かかりっきりになる作業だ。この他、森へ柿の収穫があり、残る鶏九羽を捌いて食堂に届けねばならない。蜂の格納や畑の世話もある。株分けや定植は物によって忙しいし、定置養蜂を行う以上、十一月から三月の間は巣箱を回収し、室内つまり越冬庫に保管しなくてはならない。昨年、その為に母屋の洋室一部屋を改築したので余裕があるが……
 冬囲いの準備も含めて、とても忙しい。

 椅子に座った杏は、家族が収穫した無花果の甘露煮をお湯で溶きながら「なんの話?」と首をかしげる。隣では物静かな姉のミゼリが、人妖の炎鳥に焼き栗を剥いてもらっていた。
「物価よ物価。色々よ。絶対普通じゃないと思うの」
「ヒルデ〜、いろいろじゃ分からないよ」
「みなさいよ!」
 それはここ一ヶ月の帳簿だった。
 なんの変哲もない帳簿。むしろ好調で嬉しい数字だ。
 先月、家族に来てもらった時に2畝の馬鈴薯を収穫した。昨年より小ぶりな芋が多かったにも関わらず、何故か昨年より高値で売れている。幾度目かのトマトは最後の収穫ではさほど量をとれなかったにも関わらず、これも高値で買い手がついた。厳しい残暑で氷はバカみたいに売れたし、森の実りも既に柿が収穫時期を迎えている。精々薄荷の代金を受け取っていない位だ。

「これが?」
「平和ボケしてないで、もっと考えなさいよ! 食糧が高すぎるのよ」
「この辺の食糧難って、今に始まったことじゃないじゃん」

 五行有数の穀物地帯として知られる白原平野、そして白螺鈿の街は、何分僻地にあった為、大昔は長閑な田舎町だった。ところが魔の森の拡大に、鬼灯と白螺鈿を結ぶ陸路の開通、それらは人口増加を促し、今まで細々と暮らしていた場所に許容量を超える人間が雪崩込んだ為、夏場は局所的な食糧難が白螺鈿を悩ませていた。
 昨年の冬は食糧難に加えて、深刻な燃料不足に見舞われている。

「それに今年の燃料は余裕ができる、って聞いたよ?」
「虹陣の話ね」

 白螺鈿の北西に『虹陣』という街がある。
 かつて観光業で栄えた街も故あって衰退し、昨年、開拓者の手引きで林業を主体に扱うようになった。虹陣の材木は、今年から多くが白螺鈿に持ち込まれるという噂だ。

 人妖は溜息を零す。
「燃料はそんなに心配してないのよ。薪泥棒は出てないし、うちの分はこれからでも割ったり炭焼けば間に合うもの。そうじゃなくて値段が異常なのよ」
「高く売れるって、いいことじゃないの?」
「悪いことでもあるの! うちは畑あるし物々交換してるから、まだ苦しくないけど、市場価格では葉物が四倍で、根野菜も三倍になってるって異常でしょ! しまいには大量の堆肥がすっからかんよ!」

 笑えるくらい色々売れた。
 しかし冷静になってみると異常だ。
 まず葉物の値段が急激に高騰している。先月、買い物ついでに街に出た家族が聞き込みした所、他の農家で葉物がうまく育たない事例が多発していたという。葉物の次に根野菜も腐る事が多くなったと言った。
 酷暑の影響かと思いきや……どうも違う。
 市場に出かけた家族によると、何故か飛ぶように堆肥が売れた為、数名に何に使うのか聞いてみた。
 すると皆、同じ話を口にした。
『土が腐ったんだ』
 畑の土をまるごと入れ替える者もいるらしく、これから虹陣の商人に土を買い付けにいくと話す者もいたという。遠い土地の土を大金を積んで買わねばならぬほど深刻な状況らしい。
「……でもさ、うち平気だよね?」
「ええ」
「あれから一ヶ月たったけど、葉物も立派に育ってるし、根野菜だって太いし……馬鈴薯は酷暑のせいで実が小さかったけど高値で売れたし、何かの病気だったら、もうとっくにウチもやられてる気がするよ」
「……そうねー。正直、気になる話は他にもあるけど」
 料亭や食堂は、この価格高騰で首が回らなくなっていると聞く。
 渡鳥山脈麓の養蜂家を訪ねた家族は、蜂の集団が幾つか山から姿を消したという奇妙な話をもって帰ってきた。あとは最近、街では旅の吟遊詩人が災いを払うと評判で、その人が三時間ほど聖歌を歌うと、腐った畑が蘇るとかなんとか。
「少し警戒したほうが……」

 その時、扉を叩く音がした。

「ごめんください。杏さんの御宅はこちらですか?」
 扉の向こうに立っていたのは見知らぬ開拓者の娘だった。
 小柄な杏に合わせて膝を折り、にっこりと微笑む。
「どちらさまですか?」
「榛葉家の使いで参りました、シノビの紫陽花です」
 紫陽花は、農場に故あって毎月5000文の支払いをしている榛葉恵の側近であり身辺警護を担っていた。紫陽花の主人こと榛葉恵は、白螺鈿を統べる如彩家の長男、如彩誉の妻。そして単身では白螺鈿の商会元締めと噂されるほどの権限を持つ女性でもある。
 紫陽花は多忙な主人に代わり、手紙を届けに来たと話した。
「借用している土地をお返しする、とのことです」
 恵は、杏たち所有の森に小屋を借りており、使用料に毎月5000文を払ってきた。
 つまり契約を打ち切るという。
「どうして突然?」
「私、詳しくは存じ上げません。最近何かとお金が必要らしいご様子で……それで娯楽などのお金を切り詰めていく、と伺っております。申し訳ございません。……あの、ここのお野菜は美味しいとお伺いしました。私、苺が好きで……帰りに畑を見てもいいですか?」
「うん」
 書状を届け終えた紫陽花は、杏の案内で畑を見て回った。少し興奮気味の紫陽花に「立派な畑ですね」と褒められたので杏は嬉しくなり「お土産に」と無花果の甘露煮を持たせた。
 手を振って、紫陽花の背中を見送った。
「月5000文の収入減は痛いわね……」
「しょーがないよ、ヒルデ。依頼書を書いて、明日の朝一で出しに行こう」
 肌をさすって、母屋に戻った。
 
 翌日、杏たちは驚くべき光景を見た。

 畑の葉野菜の多くが枯れ始めていた。
 収穫間近だった苺も全て腐っている。
 そして冬を越す為に屋内へ移動させようと思っていた蜂が、一匹残らず消えていた。
 慌てて現状を書き添え、依頼書を送った。


■参加者一覧
鈴梅雛(ia0116
12歳・女・巫
酒々井 統真(ia0893
19歳・男・泰
若獅(ia5248
17歳・女・泰
アルーシュ・リトナ(ib0119
19歳・女・吟
ロムルス・メルリード(ib0121
18歳・女・騎
久遠院 雪夜(ib0212
13歳・女・シ
ハッド(ib0295
17歳・男・騎
ミシェル・ユーハイム(ib0318
16歳・男・巫
白 桜香(ib0392
16歳・女・巫
ネリク・シャーウッド(ib2898
23歳・男・騎
桂杏(ib4111
21歳・女・シ
蓮 蒼馬(ib5707
30歳・男・泰
マハ シャンク(ib6351
10歳・女・泰
白木 明紗(ib9802
23歳・女・武


■リプレイ本文

 畑に駆けつけたアルーシュ・リトナ(ib0119)の表情は暗く沈んでいた。
「何故こんな……ただ此処にある自然でさえ厳しいものなのに……」
 ここ白原平野は穀物地帯ではあるが、人口増加に伴い、米以外の物品が品薄になることは多い。
 まして数年に一度は川の氾濫に悩まされる地域なのだ。
 それを思うと、リトナの胸は傷んだ。
「普通では考えられません」
 ロムルス・メルリード(ib0121)が溜息を零す。
「確かにこれは普通じゃないわね。まったく……何が起こってるのかしら」
「はい……調べないことには、分からないと思います」
 白 桜香(ib0392)はじっと畑を見た。
「あっちと……こっち、向こうもそうですね。葉物が……ほぼ全滅ですか。苺の辺りが一番ひどそうに見えますね。苺、楽しみにしてましたのに……苺が、苺が……」
 年に一度の苺の収穫。
 砂糖で煮詰めたり、飲料にしたり、その用途は様々だった。
 去年の楽しい思い出が脳裏を駆け巡り、そして悲しみに覆われていく。好物なだけに心のそこから落胆している白がいた。
「話には聞いていたが、想像以上に酷いな」
 ネリク・シャーウッド(ib2898)は柳眉をしかめて畑を見渡す。
「うちだけじゃない以上、さっさと原因を突き止めないとまずい。原因はなんだ……?」
 そんな仲間達の後ろ姿に、何故か蓮 蒼馬(ib5707)が悩ましげな視線を向けている。
 視線に気づいたマハ シャンク(ib6351)が「どうした?」と尋ねると「なんでもない」と頭を振る。
 蓮は神楽の都を出る前、趣味は異様だが恐るべき偵察能力を持つ人々に協力を仰いだ。けれど条件が彼や男性のみならず、仲間全員の個人情報と仮装だったので断念した。
 例えば、鈴梅雛(ia0116)やマハにフリルとリボンたっぷりの驚く程少女趣味なドレスを着せて、乙女なぶりっこをさせるとか、普段の状態からは想像できないアレやコレの羞恥心を煽る希望が男女ともに人数分だ。
 流石の蓮も、仲間を萌の世界に売る事はできなかった。
「……妙なことに巻き込むわけにもいかないしな。で、どう動く?」
 蓮が頭を切り替える。
 鈴梅が畑を眺めて難しい表情をしていた。
「病害虫に鉱毒物……色々可能性は有ります。もしも病害虫が原因なら、ひいなたちよりも周りの農家さんの方が詳しいと思います。でも聖歌で改善する、と言う噂がある以上、瘴索結界で瘴気汚染が起こっていないかも調べてみます」
 まず一発目の瘴索結界で、畑の問題部分一帯が、霧が被さるように、瘴気がうっすら漂っていることが判明した。鈴梅の表情を見た酒々井 統真(ia0893)が畑を振り返る。
「早速か」
「はい、でもこんな局所的なの見たことないです。苺の辺りから何かが湧くような」
 農場調査を終えたら、近隣農家を訪ねて、瘴索結界で状態を確認してくると言った。
 鈴梅の胸中から嫌な予感が消えない。
 なにか……もっと、恐ろしいことが始まるような、そんな予感がする。
 それまで農場の有様を見るやいなや「……どうしてこうなった」と呟いて打ちひしがれていた久遠院 雪夜(ib0212)も、瘴気の単語に我に返る。
「僕、天国つれて調香師さんや養蜂家さんに会ってくる! あと林業関係者も」
 蓮が立ち上がった。
「じゃあ、俺も一緒にいこう。養蜂家を調べたい。絆、お前もこい」
 蓮が荷物を纏める。今や立派な成犬の絆が「きゃんッ」と一声吠えた。
 森に逃げたと思しき農場の蜂は、シャーウッドと白木 明紗(ib9802)に任せ、世話になっている山の麓の養蜂家を訪ねて、蜂の回収の手伝いや水源調査に出かけてくるという。こちらの農場と比較して、違いの有無を調査するらしい。
「わかった。いくよ、天国。あ、そうだ」
 久遠院はリトナを呼び止めた。遠出する以上、近隣は回れない。
 ご近所訪問は、午後になったらリトナが行くという。桂杏(ib4111)がそっと手を挙げた。
「すみませんが……畑の処理、お任せしてもよろしいでしょうか。……私は全体的な被害区域を尋ねてこようと思います。今一番に状況を把握しているとすれば如彩家です。今頃大騒ぎでしょうし」
 難しい顔をしていた桂杏は、白螺鈿の地主である如彩家に状況を聞きに行ってくる、と告げた。
 酒々井達に「頼む」と任され、人妖の百三郎とともに急いで白螺鈿の街へ向かう。
 農場から続々と人が消えていく。
 必要なことだから仕方がないが、それらは同時に人手不足を意味する。
「謎の現象、か。ま、わけのわからん土の対応は任せたぞ。代わりにこちらは任せておけ」
 畑を見回ったマハは、母屋に荷物を投げると小屋に向かった。
 ただでさえ忙しい農場なのだ。人が調査に出かけるということは、その分の作業を行う者がいなくてはならない。とくに牛や鶏といった獣たちの世話は最優先される。
「菫」
「は、はい? なんですマハ様」
 人妖の菫が坂を歩く主人に驚きつつ近づくと、筆記用具を渡された。
「今日は堆肥の方や家事は手伝わなくていい。代わりに、小夜と翠の二人に料理を聞いてこい。なるべく易く簡単に作れるものがいい。粗末なものしか手に入らない山岳地に住んでいた女性だ、私より食材は詳しいだろう。桜香に試作をたのめ。明日、食堂で品目を見直す」
 小夜と翠は、ここで住み込みで働いている女性達だが、山を降りて此処へ働き口を紹介されてから随分経つ。料理も手伝い、あるものでやりくりをしてきた。
 その主婦としての知恵を活用する。
 菫は「分かりました!」と言って母屋に戻った。
「さて、堆肥の販売は一時的に取りやめるか。……切り返しは夜、かな」
 人妖の背を見送ったマハは、仕事に優先順位をつけながら小屋の中に消えた。

 一方、残された白木達は、どこから手をつけるか悩んでいた。
「小屋は任せていいのかしら。それにしてもコレ、誰の仕業かしらね……」
「なんにせよ動かねば始まらん。我が友、杏を助けようぞ」
 ハッド(ib0295)が枯れた植物と枯れていない植物の境界を区切るため、畑を見回りながら杭を打って縄を張って行く。被害を見比べていく限り、苺の周辺が最も深刻だ。
「んじゃ、はじめっか」
 首を鳴らした酒々井が歩き出す。シャーウッドも「やるか」と気合を入れた。
「時間もないことだし、始めましょ。一旦、集める場所は向こうでいいのかしら」
 メルリードが手袋をはめて問題の畝を見て回る。
 シャーウッドが笑った。
「汚染されてて堆肥に使えないしな。仮に使ったらマハにどやされるぞ?」
 鈴梅達も、からくりの瑠璃とともに、傷んだ作物抜いて、一カ所に集め始めた。
 リトナも家の周囲をざっと確認し、畑以外に被害が出ていないことを確認してから作物の除去を手伝う。手塩にかけて育てた作物が腐り、枯死している姿は胸が痛む。
「このままダメにさせるもんか」
 除去作業をメルリードたちに任せた若獅(ia5248)は、隣接する畝で収穫可能な品物は収穫し、無事と判断できた苗は栽培箱に植え変えて、一時避難させることに徹した。可能な限り根を傷めない程度に土を落とし、マハの肥料と別の場所の土を混合した新しい土に植えておく。
 原因が分かるまでの辛抱だ。
 畝を歩いて確認した白は、若獅たちを振り返った。
「葉物がまず先に枯れている、という事は、地中よりは地面上で、何か瘴気を発する物がある、とか……でしょうか。もし何か変わった物があれば教えてください。調べる価値はあると思います」
 瘴索結界や術視参の準備はしてきたから、と告げて、白はひとまず畑を仲間に任せ、みんなの分の食事と支度をする為、土間に戻った。全員で作業をすると空腹で動けなくなってしまう。料理をしながら、雇いの女性たちや人妖、杏にも話を聞いてみると言った。
 珍しく天気が良く、皆は作業に徹する。
「みな気をつけるんじゃぞ〜、瘴気まみれなら普通の虫もおらんじゃろぉしの……、て」
 手に痛みを覚えたハッドが手を引っ込めると、その手には茶色の毛虫がぶら下がっていた。じわりと赤く染まる手袋。手の肉を食い破ったらしい。畑から外へ出る。
「おーい、白よ。すまんが、瘴索結界を頼めるか」
 肉に牙が食い込んでいる。土間の白が走ってきて術を発動させると、低級のアヤカシであると分かった。ハッドはしばらく考えた後、ぶっちり自分の肉ごと虫アヤカシを引きちぎると小瓶の中に入れて蓋を閉めた。流石に非力すぎる虫アヤカシは瓶を壊すことはできないようだ。
「どうするんですか?」
「ひとまず後回しじゃな。重要そうなら専門機関に送ってみるのも手じゃろうし」

 一方その頃、桂杏は白螺鈿に向かっていた。
 桂杏には、気になる事があった。
 今まで度重なる事件の影には、農場のミゼリと杏、つまり百家の姉弟の血筋や権利が問題になる事が多かった。
 ところが今回は違う。
 どうも杏達が狙われたようには思えない。
 話をきく限り、被害は広範囲で、無作為に選ばれている……そんな気がする。
 原因が瘴気だと仮定して、特定の家が狙われていないとすれば、その目的は一体何か。
「アルーシュさんの聖歌で対応が可能だとしても、原因をつきとめない事には何度でも被害が繰り返されそうね……何かわかるといいんだけど」
 急に瘴気が湧く理由が、よくわからない。

 午後になり、大半の枯葉を離れた場所に積み終えると、シャーウッドは畑の調査や家畜は仲間に任せて、消えた蜂の回収に向かうと言った。
「白木、すまないが……蜂探しを手伝ってもらえるだろうか?」
「もちろんよ。私も蜂を探しに行くわ。悪路は任せて」
 そこへ若獅も便乗した。
「ごめん。オルトリンデ達の世話があるから、俺も少し離れていいかな。餌やりと掃除、糞の運び出しとかが終わったら戻ってくるけど」
「一人で平気か?」
「小屋はマハがやってくれてるみたいだし、放牧は控えるからなんとかね。でも、畑に戻るより蜂を手伝った方がいいのかな? ネリク、どうすればいい?」
「白木が手伝ってくれるから問題ない。そっちを任せる」
「分かった。雛、ちょっと調べたいことがあるんだ。端に置いといた栽培箱の雑草、そのままにしておいてくれるか? 後で植えて調べる」
 どうやら若獅は、土壌汚染の拡大範囲と侵蝕速度を調べる為、枯死した作物の範囲を囲むように雑草をぽつぽつ植えたいらしい。翌朝の変化を見るという。

 かくして。

 汚染された作物の除去を終えた後、酒々井はぽっかりとあいた空間を眺めた。
「ひいな、地中でも探るか? 一気に全体がやられてるわけじゃなく広がってるんなら、中心がある筈だしな。土が腐るのなら、地中も考えられるだろうし」
「そうですね、やってみます」
「あ、少し待っていただけますか」
 リトナはダメになった土を採取し、苺ジャムに使う予定だった小瓶に入れた。目に付くミミズや蜘蛛、カメムシなどの昆虫や、胡桃に似た丸い種のような物も小瓶に入れて、畑の何処で採集したか分かるように札をつけた。
「お待たせしました。それで、あの、私これからご近所に出かけてきますので……これ、どなたか預かっていただけません?」
「じゃあ私が」
 メルリードは午後から土の調査に徹するというので、出かけるリトナから畑の土や虫を詰めた瓶を預かり、母屋や畑、畜舎から離れた場所で汚れた土や虫の死骸観察を始めた。

 リトナは宣言通り、午後から駿龍のフィアールカを連れて、ご近所を巡った。
 やはり作物が枯れ、土が腐り始めている農家もあり、資産もないところは廃業するしかない、と項垂れていた。
「でも、街にはこの現象を沈めてくれる吟遊詩人がいるっていうし、なんとか親戚に金を借りて雇うしかないのかも……」
「あきらめないでください!」
 リトナは老婦人の手を握って励ました。
「私は開拓者です。仲間も確実な処置ができないか確認中です。早まらないで。すこしだけ時間をください。噂の吟遊詩人が来ても、高額な報酬を求められたらすぐ応じないで。私も長く旅をした吟遊詩人の端くれ。お力になれるよう、力を尽くしますから」
 農家にとって畑は命。憔悴していた近所の人々を励まして歩いた。

 そして残された畑組はというと。
「もう一度やってみます」
 鈴梅は一通り作物を取り払った土を眺めた。
 表面が『腐っている』というにふさわしく、汚れている。再び瘴索結界を試みると、表面に濃い瘴気がべったり張り付くように漂っている。
 鈴梅は意を決して土を掘り返した。不思議なことに二センチも掘ると、まっさらな土が現れる。ここの進行は浅いようだ。
「土の中じゃない、っつーことは表面か。けど湧き出すようだとか言ってたな」
「はい……でも、ひとまず剥いだほうが」
「だな。俺とひいなとハッド……後はからくり達しかいないが、表面だけだしなんとかなるだろう」
 若獅は畜舎。マハは鶏小屋に堆肥の世話。
 近所巡りはリトナ。地主訪問は桂杏。養蜂家などの業者には久遠院と蓮。
 蜂の回収にはシャーウッドと白木が出かけてしまったし、メルリードは預かった土の分析と農地の検査がある。白と杏は家事に奔走し、雇いの女性たちは菫に明日の食堂訪問に備えて、加工品を作る傍らで質問攻めを受けている。
 こうしてみると、見事なまでに人手不足だったが、市場や収穫がないだけ、まだマシな方だったのかもしれない。


 ところで消えた蜂の回収に森へ向かったジャーウッドと白木は、地図を広げて、何処から探すかを相談していた。一人では到底探しきれるものではない。蜂を発見したら、蜂蜜が詰まった巣箱を設置して、戻ってくれるかを試すという。
「この二箇所が一番怪しいから、そっちを手分けして探すか」
 白木がじっと担いできた巣箱を見つめる。
「ね、……蜂を戻しても、結局また逃げられるんじゃないかしら? 土が枯れた事で逃げたならまた逃げる可能性が高いけど、枯らす原因が近くにいた時が、逃げる条件なのかしら? それなら蜂は持ち帰ってきても、駆除ができてれば逃げないでしょうし、元凶を炙りだす役目を果たすかもしれないわ」
「つまり……虫の感を使う、というわけか」
 そうなるわね、と白木は肩を竦めた。
「そういえば畑はやられたが森は無事だったみたいだな……森の中は何もないのは何故なんだろうか? 一応、警戒しておくとしよう」
 今日は蜂が最優先。薪や茸の回収はまた今度だ。


 日は傾き、沈んでいく。
 森から帰ってきたシャーウッドと白木は、池の傍にしゃがみこんでいる杏を見つけて驚いた。母屋の屋根から煙が上がっているし、皆もう戻ってくる頃だ。
「杏、どうした。夜は危ないぞ」
「どうしたの。もう日も落ちたし、風邪をひいちゃうわ」
「うん、でも……皆がんばってるのに、僕だけのんびりできないよ。おかえりなさい」
 にっこり笑った杏に「……私たちを待ってたの?」と白木達が問いかけると恥ずかしそうに笑った。冷え切った手は、若獅が作った木桶を抱えている。中に魚が泳いでいた。
「白木。悪いが杏を頼む。俺は早くこいつらを中に入れてやらないと」
「ええ、分かったわ」
 シャーウッドが蜂を屋内へ運びにいく。白木が「帰りましょ」と手を差し出すと「うん」と言って白い指を握った。歩き出すと、じゃぽんじゃぽんと抱えた桶から水が溢れる。
「それは?」
「コブナ。本当は九月しかとらないけど、最近まで凄く温かかったから。甘露煮にして食べるんだ。池に沢山いるし、川からイワナやヤマメも迷い込んでくるけど、僕らが食べる分しかとってない。外敵がいないから、居心地がいいみたいだよ」
「……売ったりしないの?」
 杏はきょとんと白木を見上げた。
「人手がたりないよ。皆それぞれ仕事があるから釣る暇なんてないし。皆が窪地の枯れ葉を掃除して、川の水が来るように工夫して、池が元通りになって、魚も沢山戻ってきたけど……畑と家畜で手一杯だから放ったらかし。でもいいんだ。街で魚を買わなくて済むから。お魚がとれる間は食費が楽になるって、ヒルデが言ってる」
 酒々井と若獅が池を復活させてから、この池は杏たちの胃袋を満たす為だけに存在している。しかし冬場は厚い氷に覆われてしまう為、池の魚を酸欠で殺さない為には、定期的に酒々井たちが氷を破壊する手間が必要だ。
 これから冬に入る。皆が来た時にしか魚が食べられなくなるね、と杏が笑った。
「……街の魚って、そんなに高かったかしら」
「昔は安かったって。白螺鈿がおっきくなってからは、街の汚水が川に流されて、ここの農場より先の川は汚れて、鮭が上ってくる数も減ったんだって。白螺鈿で売られてる新鮮なお魚の殆どは、北の沼垂周辺のお魚を運んできてるんだって、市場のおじさんが言ってた」
 鮮度を問えば、空輸する分、値が上がる。そういうことなのだろう。
 タダ同然に手に入る魚が、今晩の白木達の晩御飯らしい。


 そして二日間の成果を話し合う夜が来た。
 昼間、家畜の世話をしていた若獅は、人妖の黄・雀風と見回りから帰ってきた。
 まず皆が畑仕事の報告から始めた。
 壁にもたれかかっていたマハが「食堂の方は心配するな」と声を投げた。
「一時しのぎだが、価格を値上げせずに日替わり定食だけは維持できるようにしてきた」
「新しいメニューは、桃香も手伝ってくれたのよね」
 白がにこにこ囁くと「茸のはもうちょっとお塩が必要だけどね」と小言を付ける。
 白と桃香の仲睦まじい姿を見て、そろっとマハに近づいた菫が囁く。
「あのぅマハ様、そろそろ御褒美的な何かは…………ないですよね〜」
 扱いが違いすぎても、よそはよそ、うちはうち。
 菫は悟りの眼差しを天井に向けた。
「一体、白螺鈿に何が起きてんだ? 長い冬を前にこの有様じゃ堪らない」
 若獅の言葉に、鈴梅が手を上げる。
「ひいなと統真さんは今日、幸弥さんに、地主さんとしてギルドへ依頼を出して貰える様にお願いしてきました。白螺鈿全体に影響を及ぼす事件ですし、お金も兄弟間で工面して頂いて、少なくとも、農地の浄化は何とかして頂けると思います」
 桂杏は陰鬱な顔をしていた。
「私も昨日と今日で被害範囲を調べてまいりました。あくまで地主の如彩家に報告が上がっている分のみ、にはなりますが」
「どうだった」
「まずですね。被害の広がりは、御長男の誉さんが担当する区域の農家が圧倒的多数を占めました。被害報告がなくても急に出店を取りやめた農家などは、実際に訪ねてみると同じ現象が起こっています。日付で追うと、そこから幸弥さん達の担当区に広がっているんですが……被害が出ているのは農家の方ばかりなんですよね」
「どういう意味?」
「如彩の管理記録にない畑、つまり趣味で家庭菜園をやっている方などは無事だった、という事です」
 話を聞いていた酒々井が「アルーシュ」とリトナに話しかけた。
「鶏の納品ついでに浄化してもらった家を訪ねたそうだな。手応えは」
「まだなんとも。随分気前のいい方のようですが」
「……そうか。明日農場を浄化したら、精霊の聖歌で浄化に回ってくれないか。穿ち過ぎかもしれないが、例の吟遊詩人の正体が、善人かわからねぇ。無償で他の所を解除して回るようなことを続けて、この町での絶対的な信頼を勝ち得る事になったら……後々面倒だ」
「ええ。もとよりそのつもりです。けれど……一時的に瘴気を払っても再度の進入は抑えられないので、原因がつかめないと堂々巡りです」
「それなんだけど」
 メルリードは建物の手入れをしていたが、昨日今日と土の入った瓶を観察していて気づいたことがあるらしい。
「汚染された土と一緒に放り込んだミミズや昆虫は死んだわ。だけど、誰か覚えてない? 胡桃に似た木の実みたいなの。あれが入った小瓶の虫は、アヤカシ化してたの」
 驚異ではない。
 しかし明確な違いだ。
「それ、もしかして、あれと同じか?」
 蓮が久遠院を見た。久遠院が懐から瓶を取り出す。
 確かに同じものだ。どうやら養蜂家の蜂の巣箱のそばで見つかったらしい。
 残念ながら、農場と違い、どれもこれも割れていたそうだが。
「調香師さんのところは何も情報が手に入らなかったけど、養蜂家さんのところで蜂の巣箱周辺を歩いてたら、こういうのが見つかってさ」
「……胡桃の殻か? いやでも、似てるな」
「この瓶持って、鬼灯から白螺鈿へ通った帰りに、山道を管理している天城天奈にあってみたよ。こんな木の実は見たことがない、って言ってた。ほら、彼女は渡鳥山脈での山暮らしが長いから、大抵の植物は目利きできるみたいだったけど、知らないって。飢饉についても目立った収穫なし」
「そうか」
 大した情報なくてごめん、と萎れる。
「少し試したいんだけど、いい?」
 白木が蜂を近づけてみる。すると蜂は嫌がった。
 ハッドは何を思ったのか、剣を抜いて殻の破片に刃を当てた。そしてちょっと力を発動すると、殻は白い粉となって崩れ落ちた。
「……これは瘴気に汚染されておるというか、まんまじゃの〜」
 聖堂騎士剣で塩に変わるのは、アヤカシや瘴気だけだ。それを見ていて、杏達を残し、開拓者全員が外に飛び出した。嫌な予感がして家に持ち込まなかった胡桃に似た木の実を、ゴミ捨て場から持ち出す。
「……ハッド」
「言いたいことはわかっとる。少し下がっておれ、ゆくぞ」
 意を決して、松明の炎に照らされた木の実を一粒叩き割る。
 その瞬間、殻は塩に変化したが、中から猛烈な瘴気が吹き出した。
「ぐぁ!」
「なんだこれは!?」
「杏! ミゼリ! 他者も家の外に出るんじゃない!」
「いけません、このままじゃ広がっちゃう! アルーシュさん!」
 白の悲鳴に、リトナが精霊の聖歌を奏でた。
 まるで魔の森と錯覚するほどの瘴気は、三時間かけて浄化されていく。
 彼らが畑で見た不審な木の実は、濃い瘴気が詰まった木の実だった。
 たった一粒潰してこの有様だ。複数潰せば、この一帯から低級アヤカシが発生するに違いない。幸いにも風向きが真逆だったので、畑や家の方角は無事だった。牧草地は少し枯れてしまった。

「アレが原因だとして……瘴気が染み出している、ということでしょうか」
 殻を割る前は、汚染された植物だとしか感じなかった。
 桂杏の指摘に「木の実の瓶だけアヤカシ化してる理由にはなるわね」とメルリードが呟いた。
 メルリードが杏を手招きした。
「杏。紫陽花とかいう人物が畑に入ったそうだけど、なにか変わったことはなかった?」
 杏が首をかしげる。特に変わった事はなかった。苺を味見したそうに手を伸ばしていたとか、紫陽花の傍を飛ぶブリュンヒルデが妙に張り切っていて喧しかったとか。
 シャーウッドが蜜を溶いた牛乳を配る。
「まぁ、みんな。何時までも落ち込んでいるわけにはいかないからな。それが農家ってもんだ。杏たちもしっかりな。農家は天災に見舞われて全部駄目になることもあるもんだ。全てが水の泡にならなかった事を喜んで、また明日から働こう」
 話は終いとなり、皆が寝室に引き上げていく。
 鈴梅と桂杏だけは、急いで知らせてくるといって、夜の街へ出かけていった。


 三日目。
 朝早くから酒々井は、白に今から植えられるものがないか相談していた。
「どうにか栽培箱に移した作物はあるが、やっぱ植えられるものは植えないといけねぇと思うんだ。また同じことの繰り返しになってもまずい。少なくとも一気に全滅、を避けるために分散して植える方がいいのかね……どうだろう」
「私も間に合うなら植え直したい、と考えていたところです。……少し考える時間をください。さっき桂杏さんからも『できれば玉葱を植えたい。ひと冬寝かせるのはどうでしょうか?』って言われましたから。ご心配なく。巻返してみせますよ。苺……はもう無理でしょうから」
「おう、頼む。んじゃ行ってくる」
 冬に備えた例年の作業に専念する。
 昨年の積雪量を考慮し、メルリードが家や小屋の強度補修や、万が一埋もれた時に備えて高い棒を立てていた。掘り起こす時の目安になる。
 朝食を終えた後、リトナが精霊の聖歌で畑の瘴気を一掃した。
 桂杏は徹底的に、問題の種やアヤカシ化した虫の死骸がないかを探した。リトナが折角浄化しても、種が残っていれば瘴気が滲み出す。白に時々瘴索結界を頼み、虱潰しにしていった。勿論、初日二日で破棄した土や草の中に紛れていないかも徹底して探す。
 畑の方の確認作業は蓮に任せた。
 延々と腰を曲げて作物の間を見て回る為、時々腰を痛めていた。
 ところで姿が見えない鈴梅は、午前中は薄荷の集金に街へ出かけ、帰ってくるとリトナやからくりの瑠璃と牧草を刈って干し草を作る作業に専念した。運搬はフィアールカだ。
「飼料も危ないでしょうから、沢山刈り取りをして乾燥させたいですね」
「はい」
 若獅は汚染されていない土と堆肥を混ぜ合わせ、畑の土の入れ替え作業と植え替えに取り組んだ。土の被害がごく僅かに止められた為、夕方から夜になるまで鈴梅の干し草作りに手を貸した。
 久遠院は柿などの収穫や薪拾いの為、忍犬の天国とともにでかけている。
 シャーウッドは前に運んだ建材が割れていないかの確認に出かけている。
 ハッドは榛葉家へ出かけたが、多忙を極める恵を捕まえる事はできなかったようだ。
 白木は噂の吟遊詩人の人となりを調べてくると、白螺鈿に出かけたままだ。
 珍しく料亭へ出かけたマハはというと、経営が厳しい状況を感じ取ったのか、食堂と同様に今入手できる作物を聞いて、聞き出した料理本を元に一言二言投げていた。料亭というプライド故か、必要なものの納品以外で殆ど会話も交わしたことがない。精々、桂杏が発酵乳の売り込みに来た程度だ。
「助かったよ。しばらくコレで乗り切ってみようと思う」
「そうか……また、何か手伝う事があれば言ってくれ。値上がり続きの魚の件は、そうだな。私は堆肥の世話があるし、仲間も色々と忙しいから値引き交渉に代理で行くとか、そういう事はできないが……少し考えがある。手が空いていそうな仲間に、話してみよう」
 吉報を待て、と頼もしい背中で農場へ戻った。


 四日目になると、何故か芝生の上には雹が落ちていた。
 夜の間に一雨きたらしい。
 この日は飼料作りと燃料の確保で殆どの者が出払っており、若獅は積雪に備えた道具の点検をして、古い除雪道具を買い換える為に白螺鈿へ出かけた。リトナは奇跡的に晴れている午前中を利用して布団を干し、午後からは近所の畑を浄化する為に出かけている。
「必要なら噂の吟遊詩人を手伝う、って言ってたけど……一人で大丈夫かな、アルーシュ」
「丸二年もここの土地に尽くしてきた吟遊詩人だぞ。ぽっと出の不審者に負けるかよ」
 リトナの身を心配する若獅に、酒々井が笑って告げた。
 母屋の裏手では、黙々と煙が上がっている。
 主に久遠院とハッド、マハがつきっきりで番をしていた。
 昨年の同じ時期に、詳しい炭の伏せ窯焼きのやり方を覚えたと言っても、完全に万遍無く熱を行き渡らせるのは至難の業だ。三人の傍では炭焼きに使う薪を、蓮が延々と叩き割っている。複数箇所同時で焼くので、酒々井が増産した薪の数が激減していた。それを補充する為、必死に割っていく。久遠院の炭の作り方を、隣で白木が見ていた。
「……で、この松毬の炭が、去年の焼きの残り物なのね」
「人妖たちが僕らの目を盗んで勝手に入れたんだよ〜。一応は燃料にもなるし、消臭剤にもなるし、置物としても売れるけど……できたのは偶然だから、今回はどうかなぁ。おーい、そっちの伏せ窯の温度どおー?」
「多分まだじゃ〜王の手が〜〜」
「ハッド、手を休めるな。こちらもまだだ……明日は手が動かんな」
 窯口の焚き火を団扇で仰ぎ続けて二時間。熱だけ送り込む懐かしい作業で手首が痛い。
「聞いていい? 窯の中の温度なんて、どうやってみるの?」
 白木が首をかしげる。
 縦長の穴の一番奥に組石の煙突があるが、そこは白い煙をもうもうと吐き出している。久遠院は「簡単だよ〜」といいつつ、一旦窯口を医師で塞ぎ、白木にマッチを持たせた。
「マッチ1本を煙突にかざして、三分以内に火がつけば頃合。そうしたら今閉めた窯口あけて、煙突塞いで、もう一度窯口閉じて、完全密閉するんだ。空気供給を断つと、七時間くらいで消火するって訳。去年、僕が調べて見た本の受け売りだけどね。やってみる?」
 火傷しないように、と言われつつマッチの先端を近づけると、一瞬で燃え上がった。
「……これ、煙よね?」
「煙だけど危ないよ。こっちの密閉は僕がやっておくから、あっちの確認もしてあげて」
 全ての窯を密閉した頃、久遠院が蓮に恐ろしい言葉を投げた。
「備蓄増やしておきたいし、僕、完徹で炭作るから。その分の薪割り頑張って!」
 恐るべき薪割り作業に「夜は寝かせてくれ」と声を返す。久遠院達の騒ぎを眺めつつ、マハが地面に転がった。手首が腫れていたが、それも、いい勲章に思える。
「ふー、……私はいつからこんなに動き回るようになったんだろうな……ここに来る前は、こんな風に誰かを自分から手伝うなんて事は、していなかったはずなんだがな……」
 考えが口から溢れていた。
「そうなの?」
 白木に独白を拾われたマハは、一瞬押し黙ったが「そうだな」と声を返した。
「……最初は、単に農作業の手伝いだ、と思っていたような気がする。いつだったか……誰も堆肥を作っていなかったから、畜舎の掃除ついでに暇つぶしに始めた。一年かかったが、今ではバカみたいな高値で売れる。変な話だろう? 例えば食堂の主人もな、私が叱り飛ばすまで、ここの連中に頼りきって怠けていたぞ……はは、あの時はひどい顔だった」
 思い出すと、馬鹿馬鹿しく単調な日々の積み重ねだ。
「皆も同じかもな」
「同じ?」
「此処は元々、農場の体裁を整えていなかったそうだ。昨年私が来た時は、最低限のものがあったが、一昨年は荒れ放題だったと聞く。家畜はいないし、畜舎はあばら家、小屋もなければ池も畑もない。当時の杏は物乞いをしていて……何もないところから始まった」
 家を掃除し、建物を修繕し、土を耕し、家畜を育てた。誰に言われるまでもなく、各自が手探りで農場を育て上げてきた。マハが誰も見向きもしなかった堆肥を育てて商品に変えたように、今日の炭作りも久遠院が昨年農場に持ち込んで始まっている。
 ここは何処までも白い、キャンバスのようなもの。
「白木、おぬしは何か見つかりそうか?」
「さあ……どうかしら」
 人は皆、旅の途中だ。冷たい風が、炭の香りを運んでいく。


 干し草の値上がりを恐れた鈴梅は、飼料づくりでくたびれていた。
 酒々井は植える作物の仕入れで各地を走り回り、白目を向いて畳に倒れている。
「大丈夫ですか? ……無理そうですね」
 白は白木と一緒にシャーウッド達が収穫してきてくれた柿の皮を包丁で剥いて、細い紐にくくりつけていた。これを熱湯の中に十秒浸して殺菌し、軒先に吊るせば干し柿だが、瘴気が怖いので今年の乾燥は廊下の予定だ。桂杏は暖炉の傍で発酵乳と格闘していた。
 シャーウッドは「今度は何もないといいんだが」と呟きつつ、玉葱、大根、青梗菜を適当な大きさに切り、鍋に野菜と牛乳を煮込んで味噌をとかし、香草を散らした野菜ポタージュを作っていた。
「皆さんお疲れですね」
 純粋に人を助ける為の歌でありたい、と。
 昨日今日と浄化に走り回っていたリトナは、喉を痛めて声が枯れていた。一回につき三時間も歌い続けるのだから無理もない。それでも母屋に帰ってくると、白に用意してもらった足湯で体を温めつつ、ミゼリ達を気遣った。
 マハはミゼリが物静かな事を気にしていた。異常な事態で忙しい中、彼女は結局、瞳に光を映さないまま日々を生きている。リトナがすすめる塩入りの足湯を用意すると、ほっと息を吐いた。リトナと顔を合わせたマハが甲斐甲斐しく世話をやく。
「ミゼリ。熱かったら言うといい」
「うん。平気……ありがとう、ごめんなさい」
「なぜ謝る」
「私、結局何もできていないもの。いつまでたっても、目だけが治らない。病気でもないし、術でもないと言われているのに……一生このままだったらと考えると、申し訳なくて」
 微笑みに差し込む影を見て「いいえ、きっと治ります」とリトナが励ます。
 蓮は迅鷹の絶影を連れて帰ってきた。特に騒いでいない為、不審者の出入りはないとみていい。
 メルリードが暖炉の前を譲る。
「見回りお疲れ様。……土が腐る件、このまま落ち着いてくれるといいわね」
 シャーウッド特製ポタージュを皆に配りながら、メルリードは呟いた。
 原因は見つけたけれど、なぜそんな物質が農家に撒かれていたかは不明のまま。ひとまず如彩家がギルドに依頼を出して浄化や討伐役を集めるという話だと聞いた。杏の農場で発見された種も、他の農家と同じく、町外れの空き地に汚れた土ごと置いてきたという。
 処分待ちだ。
「正直、少し歯がゆいわね……剣の腕を磨いて戦う術を身に着けていても、この場合はあまり役に立たないもの。これが、ただアヤカシかなんかを倒せば解決する、とかいう問題だったら……もう少し力にもなれるのだけど、どうにもそう単純な話じゃなさそうだし」
「たっだいまー、なに土の話? 僕もなーんか裏ありそうで怖いんだよ、今年の冬越えは注意しなきゃ」
 久遠院と若獅達も帰ってきた。
 今まで若獅は昨日手伝えなかったから、と完徹した久遠院やハッドとともに炭焼きに出ていた。ただいま、と窯を密閉して戻ってきた時には、全身真っ黒。濡れた布で顔や腕を拭いながら若獅は暗い顔をした。
「へんな種だよな。一応見つけたし注意はできるけど、このまま広がり続けたら、白螺鈿が人の住める場所じゃなくなっちまう……そしたら、ここはいずれ魔の森になっちまう、のか……?」
「魔の森、か」
 呟いてから、若獅たちは不気味な発想に首を振った。
 今心配しても、仕方がない。

 農場の夜は、静かに過ぎてゆく。