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■オープニング本文 前回のリプレイを見る 五行東、白螺鈿。 ここには百宴という習わしがある。 殆どの地域で廃れてしまっているが、元々は大凡三十七年前を境にして廃れた行事で、元々はお金持ちの家が近隣に餅などの食料や反物の施しをしていたものが、今日では大農家などが順番を決めて担当し、年末になると豪勢な料理や贈り物を山と用意して様々な家庭を招くという内容である。 二年前、農場はこの習わしを担当した。 当時既に白螺鈿を納めていた如彩幸弥の意向により、百宴の経費と担当順を如彩家が管理していく……という話であったが、実際に催しをやってみると評判は上々だった。昨年は精霊にかまけていて他家に出席する余裕がなかった為、今年は進んで実施することに決めた。 かの笑楽庵で。 「遅くなったけど今回の経費だよ」 開拓者に渡されたずっしりと重い布袋には6万文が入っていた。 「あの、幸弥さん。前より多くありませんか?」 以前は人件費を含めて4万文の経費が用意された。 今回は前よりも明らかに多い。 「うん。去年のを見てると足を運ぶ人も多くなりそうだから」 「昨年はそんなに沢山こられたんですか?」 「君達の後だったからね。一年前と同じ様に豪華なもてなしを期待して足を運んだ人と、評判を聞いた人が押し寄せて会場から溢れたらしいよ。130人は、いたんじゃないかな」 「……あのお屋敷、たしか100人が収容限界ですよね。大丈夫でしょうか。食材もまだ100人分の鍋材料やお蕎麦しか用意していないもので」 「そう言うと思って回覧を回して置いた。時間をずらして行くように」 相変わらずそつがない。 「幸弥さんは、いらっしゃいますか?」 「いってもいいなら」 控えめに微笑んだ。 農場では仕込みが大変な事になっていた。 百人前の蕎麦が用意され、大鍋も海鮮酒粕鍋、トマト鍋、塩バター鍋の三種類が準備され始めているが仕込みに過ぎないので、当日は大鍋の面倒を幾つも見ていなければならないだろう。肉は買わずに済むよう農場に居残った者が必死に狩りへ出かけ、一応、野ウサギ10匹と猪1頭が捕獲してあるが、これらを捌くのは一日仕事だ。餅つきの道具一式は新しく買ったので、あとは餅米を買えば宜しいが、餅を振る舞うにも冷水で洗って蒸して叩いて……と半端なく忙しいのが目に見えている。ここに子供が好みそうなお菓子を入れると、既に物量を考えるのが嫌になってくる。 「……追加で30、いや、50?」 「昨年より来るのは間違いないわね」 予算は大丈夫だが問題は『追加分を時間内に作れるか』という問題だ。 「肉と野菜の仕込みは前日前におわらせて、夜明け前から延々と作るしかないな。時間が来たら一斉に七輪に点火できるようにしないと」 「設営は今夜の内にやっとくー? あ、ミゼリちゃーん、杏くん、手伝って」 キリキリと胃の痛い台所を任せ、買い出しついでに設営に向かう。 「あ、雪だぁ」 牡丹雪が頭上に降りそそぐ。 美しい空と白銀の町並み……しかし、木の枝にカマキリの卵を見つけて笑みが凍る。 「降るね」 「そうね」 「除雪か」 今年は何メートルほど雪が降るのだろう。 願わくば家が埋まりませんように。 |
■参加者一覧
鈴梅雛(ia0116)
12歳・女・巫
若獅(ia5248)
17歳・女・泰
アルーシュ・リトナ(ib0119)
19歳・女・吟
ロムルス・メルリード(ib0121)
18歳・女・騎
久遠院 雪夜(ib0212)
13歳・女・シ
ハッド(ib0295)
17歳・男・騎
白 桜香(ib0392)
16歳・女・巫
ネリク・シャーウッド(ib2898)
23歳・男・騎
桂杏(ib4111)
21歳・女・シ
蓮 蒼馬(ib5707)
30歳・男・泰 |
■リプレイ本文 百宴の会場屋敷の前で、通路沿いをハッド(ib0295)が除雪し、子供達向けに雪だるま型のだるまを作っている。門松前には若獅(ia5248)の又鬼犬天月が門番の如く座っていた。若獅は蕎麦茹での補助で、そば湯を茶釜に詰めて運んでいく。 煮ているのは蕎麦だけではない。 『……俺の腕、もつかな。まぁ料理人冥利に尽きるともいうか』 ネリク・シャーウッド(ib2898)は耳饂飩を作っていた。 まず小麦粉を塩と水で練って、厚めに平たく伸ばす。次に小さく切った生地をくるっと丸め、さらにそれの周りに生地を巻いて耳のような形にして茹でる。同時進行で兎と猪の骨を野菜の切れ端などで臭みを取り、濃い目の出汁を取る。この出汁に醤をあわせた汁へ耳うどんを入れ野菜などを盛り付ける。 主に蕎麦が苦手な人や子供用だ。 「耳饂飩って面白い形ね。ネリク」 「耳を食べると悪霊に話を聞かれなくなるから寄らなくなる、なんて話もあるらしい。とはいえ俺一人じゃここまでできなかったから、出汁取りをしてくれて助かるよ、ロムルス」 猪骨や兎骨を茹でるロムルス・メルリード(ib0121)は「私も以前に比べたら少しは料理できるようになってるんだから」と告げる。 後方のアルーシュ・リトナ(ib0119)は足下に気をつけつつ、養女の恵音と共に延々と食器を洗っていた。沢山の器や小皿に箸の数々。次から次へと対応しないと追いつかない。 鍋の準備をするのは蓮 蒼馬(ib5707)だ。捌いた猪でぼたん鍋を作るべく、焦がした味噌をといた鍋に野菜と茸と猪肉を入れて煮立たせる。更に兎のガラで取ったスープの鍋も用意し、野菜や豆腐、そして薬味大蒜や葱をグラグラと煮込んだ。 更に白 桜香(ib0392)が牛鍋と鶏すきに粕汁の鍋で種類を増やす。鍋は汁の調味をしてしまえば後は煮るだけだが、饂飩はシャーウッドがこしらえていても、米は炊かねばならない。100人以上の為の米を炊くべく七輪が並べられ、轟々と炭がもえていた。台所はさながら真夏の縁側。 「あ、床の間にお花……すみません、花を生けてきますので、少しの間、番を御願いします。桃香、お花を取ってきて。廊下に活け飾りもしないといけないですから」 「分かったわ。お花をとってくる!」 「御願いね」 「お米はまだ暫くかかりそうですね。お焦げは別途あんかけでしょうか」 米の番を桂杏(ib4111)に代わる。蓮が居間の仲間に声を投げた。 「鍋を運んでくれ。俺は杵を取ってくる。折角新調したし、使わないと雛の目が怖い」 餅つき大会用の一式は決して安くないので、家計簿の鬼にその成果を魅せねばならない。 ちなみに鈴梅雛(ia0116)は大量の葱を刻んでいた。鍋の具材に蕎麦の薬味、葱はあちらこちらで必要になるからだ。からくりの瑠璃は黙々と広間に料理を運ぶ。 杵を運びながら蓮はふと思った。 『そういえば幸弥の件、まだ完全に解決した訳ではないが……ひとまず大事に至らずに済んでよかった。このまま百宴でも何事もなく終わればいいんだがな』 おなじような心配を久遠院 雪夜(ib0212)がしていた。 『何事も起らずにただの宴で終わればいいんだけど、心配だなあ……報復とか。流石に目立つか』 どうにも心配だったので忍犬天国は農場で留守番だ。 「今はこっちに集中しようっと」 久遠院はエプロンドレス姿で宴の部屋にひかえ、新しく運ばれる鍋に火を入れる時間を調整したり、お年寄りや子供にあわせて味の最終調整を行っていた。 台所が灼熱地獄とはいえ、会場は肌寒い。 だから空気を入れ換えつつも、メルリードが度々部屋に置いた火鉢の様子を見に行った。部屋を温かくすれば薄着でも賑やかに過ごせるだろう。 「これでよし」 「こんばんはー。おじゃましまーす」 一昨年に見かけた家族の子供が率先してやってくる。 会場には膨大な数の珍しいお菓子や玩具が山と積まれていた。 塔が作れる物量のキャンディボックス。林檎のタルトに色鮮やかなジャムセット。子供になじみ深い麦芽水飴に、大人が欲しくなる珍しいチョコレート。落ち着きたい老人には桜の花湯。双六大会用やお土産用に集められた品々は大人にとっても魅力的。牛の面、黒猫の面、白猫の面、木彫りの大もふ様像、ペンダント「スターライト」、アローブローチ、瑪瑙の玉簪、ブローチ「グリーンクローバー」、金魚風鈴、サボテンの鉢植え、獣耳カチューシャ、コサージュ「白花」、ヴァイスファレン・スカーフ、アロマキャンドル、コインネックレス、りゅうのぬいぐるみ、うさぎのぬいぐるみ、ぬいぐるみ「にゃんすたー」、青い羽根、筆記用具、薔薇の石鹸、甘味マップ「アル=カマル」、もふらフレイル、指輪「ライトレイン」などなど。 豪華な料理に並んで、これを目当てにしている家族が圧倒的に多い。 時々リトナ親子が即興で笛を吹いていた。 懐かしい民謡が畳に響く。 「よし。これから餅をつくぞー! やってみたい子は一列に!」 蓮のかけ声や、子供と遊ぶ若獅の「うわー、まけたー!」という賑やかな声が響いてくるとシャーウッドが鈴梅達にも声をかけた。 「俺は料理番してるから皆楽しんでこいよ。俺は……今日はいいから」 「ひいなは大丈夫です。お鍋の様子も任せてありますし、まだまだ葱が足りません」 「……流石に30本も刻んでいると上達したんじゃないか」 「上達しても……葱の山はきえません」 夢に見そうだ。 そして米焚きから解放された桂杏は……乙女の酌がほしいおっさん達に捕まっていた。 「いやぁ! 姉ちゃん、強いね」 「それほどでも」 『今年の私はひと味違います。潰れませんよ、ええ決して』 等と昨夜から豪語していた桂杏は死毒に酒笊々を駆使して、ケロリとしていた。 恐るべき酒豪ぶりに、酔い潰そうとしていたおっさん達もタジタジである。 「私がこちらにお邪魔するようになって三年になりますが、随分と様子が変わりましたよ。農場も杏君達も。これからどんな風に変わっていくのか、変わらないのか見当もつきませんが、とても楽しみにしております。皆さんは杏君達はどんな大人になると思われますか?」 「あの年で一端の経営者だもんなぁ、すごいよなぁ」 さほど悪感情は抱かれていないらしい。 空の酒瓶を回収しながら様子を眺めていたハッドは子供に混ざる杏を見た。 『昔の宴の経緯は兎も角、杏んの代は皆と仲良うなってもらいたいものじゃな』 リトナは皿洗いをしおえると時の蜃気楼を行い、不審者に気を配る。 「大丈夫そうですね」 夕方に差し掛かるとリトナと蓮が仲間に挨拶して回っていた。都で大晦日と元旦を迎える為だ。何しろ白螺鈿から渡鳥山脈を越えて鬼灯を通り、首都結陣にある精霊門で戻らなければ大晦日を超えてしまう。今から全力で飛んでも遅いくらいだ。 「それでは後日戻ります。恵音、フィアールカを呼んできて」 「ええ」 「俺も戻る。すまんな。娘が孫を連れてくると言っていたから……お?」 蓮が玄関に如彩幸弥の姿を発見し、安全を確かめてから厨房の方へ連れていく。 白が手元の鍋蓋を落とした。 「ゆ、幸弥さ……」 「こんばんは。白さん。邪魔すると悪いから、って言ったんだけど」 案内をした蓮が「何を言う。婚約者みたいなものだろう」と言って笑った。幸弥と白は結婚の約束もしていない為、微妙な関係にある。それを知っていて蓮は脇を小突いた。 「幸弥。娘も気にしてたから、式の時は呼んでやってくれ。ではな」 炎龍レーヴァティンで優雅に飛んでいく。 仲間達も気を利かせて居間に追加具材を置きに行ってしまった。 残される二人。 「何か手伝おうか」 「え、……では、洗い物を! 汚れたお皿が山積みなので。ありがとうございます」 暫く作業に打ち込む音が響いた。 「……幸弥さんは、私を説得するのが上手です」 大根の面取りをしている白が小声で話し始めた。 話題は先日の会話について。 綺麗事ではすまない幸弥の立場を理解していること。白自身の開拓業に対するあり方。培ってきた開拓者としての誇り。 「私は……農場の方々のご迷惑になる事は今後もできません。今までの生き方を否定するような事があれば、幸弥さんにも呆れられてしまうと思うのです」 かつて幸弥は白に選んだ基準を告げた。 『自分の妻に選ぶ相手は……ここと縁の薄い者にしよう、と思っていたんだ。長期の不在を託せるほど聡明で、働き者で、思いやる心があって、多くの人に愛される徳の高い女性を選ぼう、ってね』 幸弥は桜香を高く評価していた。 けれど桜香本人は自信がなかった。 「色々考える事が多くて、でも今の正直な気持ちだけはお伝えしようと決めていました」 大根と包丁を置いた白は、やわらかく微笑んだ。 「あの……会えて嬉しいです。大好きです、幸弥さんの事が」 幸弥と白の様子を、若獅達が襖一枚挟んで聞いていた。 『……このまま少しずつでいいから、白螺鈿が安全に暮らせる街になりゃいいんだけどな』 若獅の目の前で鈴梅が倒れた。思わず「どうした」と助け起こす。 「もう、猫の手も、借りたいです」 怒濤の百宴が大好評で終わりを告げた。 翌朝、リトナと蓮がいない農場では年越しの準備が始まっていた。 百宴ではなく、今度こそ農場の年越しだ。 昨日、猛烈に酒を呷っていた恐るべき酒豪こと桂杏は、けろりとした顔で母屋の大掃除を始める。鈴梅は気疲れの残る体で会場の再掃除にいった。夜にやる掃除では見落としがおおいからだ。久遠院と若獅が除雪道具の点検を行った後、若獅は桂杏を手伝い、久遠院はシャーウッドを手伝いながらおせちを作り始めた。 「今年も色々大変だったよね。来年こそはのんびり農作業に専念できると良いなぁ……」 「のんびりといえば寝正月だよな! 寝正月といえばおせちに鍋に蕎麦だろ?」 発想が食べ物に直結する若獅の声が聞こえた。 「あー! 年越しそば食べたい!」 「うむっ、大晦日といえば大掃除と年越し蕎麦じゃな」 若獅の声に影響されたのか……掃除中のハッドを始め、複数人が年越しそばを連呼した。 小屋と畜舎に藁を引いて戻ってきた白が、綺麗に体を洗った後、希望通りの年越し蕎麦を打ち始める。白や久遠院と手分けをして料理をしていたシャーウッドは、時計を気にしつつ、メルリードを外へ呼び出した。 「俺たちも随分長く一緒にいるよな。それこそ本当の家族みたいな……いや、家族じゃ困るんだけど」 「幼馴染みなんだから当然でしょ」 にべもない。 搦め手を諦めたシャーウッドが率直に話し始めた。 「あー……つまり、だ。俺はずっとお前のことが好きだった。そしてこれからも好きでいたい。何時か本当の意味で家族にもなれたら嬉しい……ってこれは気が早いか」 「本当の意味での、家族……それってつまり……そういうこと、よね?」 メルリードの顔が、ボッと赤くなる。 牡丹雪が降りそそぐ中、シャーウッドは沈黙を破った。 「ずっともやもやを抱えたまま新年を迎えたくなかったから気持ちをぶっちゃけたわけなんだけど」 「……うん、わかった。ごめん、少しだけ、待ってね。きっとちゃんと返事するから」 「別に……返事はすぐじゃなくていい。ただ、少し考えてくれたら嬉しい。寒いのに悪かったな。皆も心配するし戻るか」 メルリードの手を引いて母屋へ戻る。薪を抱えていたミゼリに出くわして、ぱっと手を離したメルリードは「ちょっといい?」とミゼリと小部屋にひっこんだ。 「なに?」 「えっとね。ミゼリは結婚って考えたことある? って突然言われても分からないわよね、ごめんなさい。ほ、ほら、最近色々あったから、結婚って意識するようになって……」 「さっきの彼?」 メルリードの顔が赤く染まった。 「その、そうね。ただ私は……あなたにも幸せになって欲しいなって思ってるわ」 「私はここを守るので精一杯……っていっても、農場がここまで立派になったのは貴方達のお陰よね。でも私は私と杏の事で手一杯で、杏が成人するまで誰かに恋する気もないの。でも、いい人が隣にいたら、自然と考えるのかも。あなたはどう?」 通りかかった桂杏が物陰で話を聞いていた。 『う〜ん……立ち聞きしてしまいました。不可抗力ですよね、これ。ミゼリさんはああ言っているけれど……農場にお邪魔するようになった頃と比べたら、豊かになったのは間違いないんだけど、十分かといえばそうじゃない』 変わった。 様々な事が。 でも。 『じゃ、色々な意味で際限なく上を目指すのかといえば、それも違う気がするし…今現在、町の皆さんが杏君達にどんな期待をしているのかは、酒の席で聞いた話をまとめておくにしても……後は杏君本人ね、どんな大人になりたいとか、考えたことあるのかな?』 そのうちきいてみよう、と頭の片隅に考えを片付けた。 暫くして鈴梅が帰ってきた。 「これは……夜から本格的に降るかもしれません」 珍しく木槌を握りしめた鈴梅は二本の棒の間に木の板を打ち付けて、すのこ状にした物を、入り口の前に斜めに立てかけた。更に杭で地面に固定する。 「これで、入り口が埋まって、戸が開かないと言う事はないと思います」 寝起きの脱出作戦は勘弁である。 夜までに大掃除を終え、暖炉や火鉢に火を入れて、温かくした部屋で囲むお手製おせちに、熱々の牛すき鍋。不揃いなお蕎麦に薬味を添えて。 時計の針が、0時を迎える。 「あけましておめでとうございます。瑠璃さん共々宜しくお願いします」 「あけましておめでとうございます。桃香も、挨拶……寝てしまいましたか」 「あけましておめでとうじゃな。今年こそ雪若になって王の威光を示せるかの〜」 「あけましておめでとうだなー。ネリクー! 炭焼き肉おっかわりー!」 「はいはい。沢山食べるといい。あけましておめでとう。今年も旨いものを作るからな」 「早いものね。もう、あけましておめでとう、なんて。今までと違う一年になりそうね」 「あけましておめでとう! ミゼリちゃん、杏くん、今年も宜しくだよー!」 「あけましておめでとうございます。こうしていると、初めて来た頃とは見違えましたね。将来どうなるか見当も付きませんが……私は発酵乳を増やさないと」 桂杏がしみじみ呟きながらお茶を啜った。 その日、桂杏の目覚めは早かった。 連日の飲酒によるものなのかもしれない。 扉を開ける。鈴梅作の簀の子のお陰で戸は開いた。 しかし軒先に積もる雪が外界と屋内を遮断している。屋根から少し落ちたのだろう。かなりの積雪だ。 「これは……二日酔い? いえ、三日酔い?」 んなものはない。 愕然としていた桂杏の後ろから「やっぱ積もってるよなー」という声が響いて積雪が現実である事を知らしめてくる。 桂杏は思わず戸を閉めた。 見なかった事にして布団に戻りたい。 「扉を閉めても雪は消えないわよ」 心境を察したメルリードが釘をさす。 シャーウッドも「元旦でも休む暇はないか」と疲れた声を発しながら竈に火を入れた。 おせちがあるのでお餅を焼いて簡単な食事をすませたら除雪をしなければならない。 雪の重みで家が傷むからだ。 「でもまだこれは可愛い方だよな……昔は家が埋まったし」 若獅の脳裏に蘇る、古い記憶。 桂杏も正気に戻り始めた。 『……は! このまま降り続けたら更に壁に! だめだ、これはやっておかないと!』 「うーん、降ったね。屋根の雪下ろしと町への通路の確保だけは最優先でやらないと」 久遠院が首を鳴らす。 ハッドが「うむ。街までの通路は我が輩に任せよ」と胸を張った。 アーマー戦狼こと『てつくず弐号』は毎年、除雪で大活躍である。問題は本来の用途とかけ離れている事だが、それはお高い武器で薪作りをしている皆にも言える事なので今更な話だ。 「せめて屋根の雪下ろしはさくさく終わらせてしまいましょう。除雪は瑠璃さんも手伝ってくださいね。屋根に上がる時は、絶対に一人ではしないで下さい」 鈴梅がからくりに道具を渡す。 鋤を使い、手慣れた仕草で雪を四角く切り分けると、固まりで除けていく。母屋、鶏小屋、畜舎、そして広大な農場の敷地に池の氷割り……かなりの作業量だ。メルリードは屋根から雪の平原を眺めて肩を竦めた。 「ひたすら雪かきになりそうね」 夕暮れになって農場の一角に雪山が築かれた頃、空龍フィアールカに乗ったリトナが帰ってきた。 「かまくらが複数作れそうですね」 母屋では疲れた者が何人か畳の上に撃沈していて、若獅は白とシャーウッドによる雑煮鍋を空にして驚きの胃袋を披露していた。 新年の挨拶をすませたリトナが、玄関から雪の降り出す外を見る。 『もう何年になるでしょうね……見慣れても少しずつ変わっていく風景。新しい年が良い年でありますように』 元旦の翌日、杏が発熱して倒れた。 百宴の気疲れや除雪など年末年始も色々立て込んでいて大変だった分、気が緩んだのかも知れない。家畜の餌や水やりへ桂杏が向かう間、若獅は鶏小屋から卵を持ってきた。 「杏、おかゆ作ろうか? 何か欲しいものないか!?」 わたわたする若獅の隣で、若獅から卵を受け取った白が卵粥を作る。 「無理は禁物です。よく寝ててください。今、お粥の準備しますね」 シャーウッドが「杏、大丈夫か?」と声をかけると、鼻を啜りながら何か言っている。 「杏。口を開けて見ろ。……喉が腫れてるな。食べたらぐっすり寝ることだ。水分も大目にとって。寒い日が続くからこじらせないような」 「杏君の看病なら、僕がやるよ」 久遠院が冷たい井戸水で絞った布を杏の額にのせた。 「杏君も大変だったもんね。良い骨休めだと思ってゆっくり休んでね。ボク達が出来る事ならなんだってするから。まずは食べられるだけ食べて、ぐっすりねよう」 リトナが「擂り林檎でも作りましょうか」と悩んでいると、ハッドが「買い出しじゃのー、行って来よう」と立ち上がって出かけた。久遠院に看病を任せたリトナと鈴梅は近所へ新年のご挨拶に出かけていく。若獅がミゼリを見た。 「ミゼリは体調大丈夫か?」 「平気よ」 「そっか。お前まで無理すんなよ。じゃ、畜舎にいってくる。なんかあったら呼んでくれ」 メルリードが仲間達を見送りながら「そういえば」と古い記憶をたぐり寄せた。 「以前にも杏が熱を出した事があったわね」 「そうなの?」 「ええ。私たちがここに来るようになって、すぐ後くらいに」 ミゼリとメルリードが話していると、都に戻っていた蓮が帰ってきた。 杏の発熱を知ると「解熱薬があるぞ」といって久遠院に薬を渡す。 杏に呑ませて様子を見た。 「少しはましになるといいが。やはり疲れが出たのだろうか?」 「たぶんねー。あ、そーだ。池が氷張ってたから、割ってきてくれない?」 「かまわないが、誰かアーマーで割らなかったのか」 「明日も明後日も除雪が目に見えてるからねー、そっちで使わないと。よろしく!」 炎龍を連れて蓮が氷を割りに行く。 穏やかな日々。 新しい年が幕をあけた。 |