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■オープニング本文 前回のリプレイを見る ●夏の終わり 入道雲が姿を顰め、空には薄い斑雲が泳いでいる。 「祭も明日で最終日だねー、ヒルデ」 「杏。遊びに行くのは帳簿おわってからよ、ためっぱなしなんだから」 「はーい」 街の祭囃子に耳を澄ませていた杏が、帳簿を付けに走っていく。 ここは五行東方、白螺鈿。 五行国家有数の穀倉地帯として成長した街だ。 水田改革で培った土木技術を用いて、彩陣の経路とは別に渡鳥山脈を越えた鬼灯までの整地された山道を数年前の12月1日に開通。結陣との最短貿易陸路成立に伴い、移住者も増え、ここ一帯の中で最も大きな町に発展した。 白螺鈿は毎年8月10日から25日まで、白原祭で賑わっている。 しかし白螺鈿郊外に莫大な敷地を保有し、農場を支える杏は祭に行く時間が殆ど無い。 祭の警備に呼ばれていた家族が、気を利かせて連れ出してくれた程度だ。 家族みんなで祭に行く為には、帳簿の管理がかかせない。 「最終日くらい、みんなでいきたいよね」 「とーぜんよ。じゃあ早速」 「杏、ヒルデ」 そこに立っていたのは、農場の実質所有者であるはずの姉ミゼリだった。 精霊の影響で記憶が一時的に封じられている彼女は、見覚えがあるはずなのに大きく変わった環境に違和感を感じつつも、加工品の作り方や家畜の手入れを学んできた。 時々「前にもやったことがあるような気がするの」という発言からして、家業の手伝いは良い方向に向いていると言える。 「なあに、姉ちゃん」 「帳簿つけるの?」 「そうだよ。勿論帳簿だけじゃないけど。何を買って、何を売って、いつ何を植えたか……とか記録しておかないと、収穫時期を逃がしちゃうんだ。取り引きしているお店も多いし」 「そうなの……ねぇ、昔のとか見てもいい?」 「別にいいよ。春より前はそっちの棚。表紙に年号が書いてあるから」 「分かったわ」 ミゼリは見覚えのない冊子を眺め始めた。 「じゃあヒルデと僕は帳簿つけてるから。わからないことがあれば聞いて。炎鳥ー!」 現れた別の人妖が「何だよ、蒲公英の根っこ片づけてたのに」と文句を連ねる。 「姉ちゃんに、帳簿の解説してあげて」 「ああ……わかった」 後を任せて、机に向き直る。 ●帳簿整理 杏を手伝う人妖ブリュンヒルデは、まず家族から届いた手紙の封を切った。 手紙には、精霊が置いていった財宝売却の総額が『31万2000文』になったと書かれていた。 「結構な金額になったみたいね」 「皆はじぃちゃん(百家)の借金返済に充てようって話してたけど……返済に関しては今度かな」 「そうね。祭に半日でも出かけるなら、家畜や畑、加工をやんなきゃいけないもの」 杏は早速、最近の出費について記録していく。 みんなの生活費、雇いの女性達の雇用費6000文、市場の許可証10000文、新しい畝に植える種や苗の購入費。畑に使う、鳥よけや日除けの布。鶏小屋を覆う簾、釣り具一式。大蒜や小麦粉、砂糖や塩の食品。 しめて30110文。 「……結構、いったね」 毎度ながら維持費はかかる。 次に売り上げの計算を始めた。 蒲公英は洗って天日に干したので、次は細かく刻んで焙煎していく必要がある。 だが収穫した作物は快調だ。 韮3畝分で2490文、菠薐草1畝分で623文、春菊1畝分で332文、長期で収穫できるトマトの一度目は1100個を売り上げて2200文、塩卵840個が6440文、牛乳432Lが1732文、マヨネーズが90文、夏場の冷えた発酵乳は高額で一壺300文、氷の販売が26キロ650文。 さらに袋詰めしてあった牛糞堆肥33袋が132文、鶏糞堆肥が30文。 これに薄荷畑の総収益が54000文。 畑を見ていった収穫の業者が、高品質のカモミールとヘンルーダも試しに欲しいと言ってきたので、それぞれ375文と250文で少しだけ販売した。 こうした各種収益を加算していくと、64240文を売り上げていた事になる。 「……なんだかちゃんとした農家みたいだね」 「農家でしょうが」 「違うよ」 杏はきっぱりと否定した。人妖が首を傾げる。 「何が?」 「まだちゃんとした農家じゃない。借りたお金を返せてないし、みんなにお給料も払えてない」 杏が拳を握りしめた。 「それじゃだめなんだ。だって最初に約束したじゃないか」 大勢の開拓者がここへ来た。 沢山の援助をしてくれた。 毎月、当たり前のように力をかしてくれる。 彼らを家族同然に思っている。 けれど……彼らの善意に甘えて依存してはいけないことを杏は胸に刻んできた。 遠いあの日、彼らは言った。 『これは貸すだけ。 いつか返せるようになった時に、これの分を返してもらえれば構わないから』 この農場を完全に再建すること。 それが杏の目標だ。 当時、一緒に話を聞いていた人妖ブリュンヒルデが跋が悪そうな顔をして「そうだったわね」と肩を竦める。 「いつか……みんなにも借金返して、お給料も払って、ちゃんとした農場になりたいわね」 「なってみせる。だから、頑張らなきゃだめだよ」 「そうはいうけど、ちょっとは肩の力抜かないと倒れるわよ。やること書き出したら、お祭りに行く準備もしないと。みんなも来るわ」 まだ堆肥の袋詰めが沢山残っている。 畑は南瓜、トマト、枝豆、豌豆の収穫も行わなければならない。 焼き物を本格的になるのは来月になるし、茸の収穫はまだ遠く、魚は釣れば高額で捌ける品質と分かっているが量を取る暇が無い。 そして新しく建物をたてる事についても相談しなければならない。 鶏や兎など小さな家畜を囲っておく小屋なら一ヶ月で作れるようだが、きちんとした高床構造で人間が中で暮らせるような小さな家となると、大工を一人雇った後、五人が三ヶ月ほど農場に滞在してかかりきりになる。雪が本格化する前の完成を目指す場合、遅くとも9月下旬には建築に着手する必要があった。 すべて外部委託する場合は、大工一人につき毎月5000文かかる。 「人並みに作業できるからくりを専属につけたり、材木を軽々持ち上げられる龍がいれば、一ヶ月くらいは短縮できそうなんだっけ」 「まぁねぇ」 杏と人妖の相談をミゼリが黙って聞いていた。 一旦、人妖は仕事の一覧を書きだした。 1、家畜の世話。 2、作物の収穫。(南瓜、トマト、枝豆、豌豆) 3、堆肥の袋詰め。 4、作物の収穫と販売。氷の調達。苗の調達。 5、各種加工品づくり。 6、建築をどうするか。 秋が近づくにつれ、別の仕事が迫ってくる。 |
■参加者一覧
鈴梅雛(ia0116)
12歳・女・巫
酒々井 統真(ia0893)
19歳・男・泰
若獅(ia5248)
17歳・女・泰
アルーシュ・リトナ(ib0119)
19歳・女・吟
ロムルス・メルリード(ib0121)
18歳・女・騎
久遠院 雪夜(ib0212)
13歳・女・シ
ハッド(ib0295)
17歳・男・騎
白 桜香(ib0392)
16歳・女・巫
ネリク・シャーウッド(ib2898)
23歳・男・騎
桂杏(ib4111)
21歳・女・シ
蓮 蒼馬(ib5707)
30歳・男・泰 |
■リプレイ本文 農場に到着した時、久遠院 雪夜(ib0212)の駿龍小烏丸は大荷物を抱えていた。 「みっぜりちゃーん、杏くーん、たっだいまー」 「ミゼリ、杏、約束してた財宝の換金分よ」 ロムルス・メルリード(ib0121)は早速、蓮 蒼馬(ib5707)の炎龍レーヴァティンに積み込んだお金を下ろしていく。みんなの分を運んだ炎龍と駿龍はそのまま道に転がった。疲れたと見える。 「お疲れさま。みんなありがとう」 「どういたしまして。それで、杏、もう泥だらけなのは夜明け前から頑張っていたから?」 メルリードに問われて「みんなでお祭り行きたいし」と頬を染める。 白 桜香(ib0392)と上級人妖桃香は「お祭り、楽しみですね」とはしゃぎ気味。 「皆で出かけるなら小夜さん達もお誘いしましょう。子供が結陣にいて寂しいでしょうし」 お祭りの話になると鈴梅雛(ia0116)の瞳も輝きだした。 「花車大行列も見たいですし、縁日で食べ歩きもしたいですね。昼に間に合わせたいです」 白原祭ときいて蓮が古い記憶を漁る。祭に行った年もあれば、いけなかった年もある。 メルリードが腕を組んで悩み始めた。 「収穫後にお祭りにいくにしても……白原祭の時期ってかなり人が多いし、はぐれた時に探し回って時間を無駄にするのももったいないし、最終的に集合する場所は事前に決めて置いた方がいいかもしれないわ。いざという時、それぞれで楽しんでから集合場所に向かえるもの。縁日へ行ったら場所を決めないとね。その前に収穫があるけど」 「わかった! よーし、絶対におわらせる!」 『へへ、皆で祭! 楽しみだなあ』 若獅(ia5248)は上機嫌で畑に向かう。人妖の黄・雀風もトマトの苗が伸びる畝を目指す。 久遠院は畑を見て「収穫できそうなのは南瓜とトマト、枝豆と豌豆だねー」と畑をのぞきこむ。できればすぐに売りたいが、悲しいことにすぐに売れないものがあった。 南瓜である。刈った後、日陰で寝かせて熟成が必要だ。 「運ぶの重そう。できればもふら様に運搬とか頑張ってほしいけど、無理かなぁ」 もふもふくーん、と居着いたもふらを探しに行く。 桂杏(ib4111)は上級人妖百三郎に、蔓を切った南瓜を荷車に運んで積み込むように伝えた。固い蔓を一体何で切るかというと、鍛錬された忍刀蝮だ。アヤカシを屠るべく生まれた鋭い切れ味の忍刀は、野菜の茎をサクサク切っていく。 薪割りの時もそうだが、お高い武器が泣いている気がしなくもない。 酒々井 統真(ia0893)は「とりあえず収穫を全力でやるぞ」と声を投げた。天妖の雪白は「トマトを収穫してくる」といって倉庫に籠を取りに行く。 ハッド(ib0295)も「枝豆の引き抜きは王の力がいるの〜」と良いながら手袋を取りに行く。 アルーシュ・リトナ(ib0119)は「トマトはまず傷があるか無いかで籠を分けましょうか」と娘や相棒達に促す。大きさや色つやなど、見た目の良さで値段に差が出るからだ。雨に当たって弾けてしまったトマトは、勝手に自己修復するものの良い値では売れない。 底値のトマトをどうするかというと、白達がドライトマトに仕上げたりするのだ。 「そうだ。恵音、思音、栽培箱の見方を教えますから一緒に来て」 赤紫蘇や唐辛子も料理で活躍する。娘と羽妖精を連れて栽培箱を見に行った。 「じゃあ気温も未だに高いので、飲み物をつくってきます」 鈴梅はからくりの瑠璃を連れて母屋に向かう。 ネリク・シャーウッド(ib2898)が朝陽を見上げる。 「祭も楽しみだしな。まだまだやることは山積みだ。さぁ今回も頑張りますかね」 豆類の収穫が落ち着いた頃、皆は井戸水を汲んで手拭いで汗を流した。 リトナはトマトの品分けをしていたミゼリを呼ぶ。 「そろそろお祭りの支度をしませんか? ミゼリさんも浴衣を着てはどうですか? 髪も結い上げますし、簪もお貸ししますよ。こんな時ぐらい、楽しんでください」 「ちょーとまったー!」 久遠院が廊下から滑り込んだ。 「もし浴衣とか着物を着るなら、とっておきの思い出の品があるんだ。持ってくるから」 やがて久遠院が持ってきたのは五彩友禅『花籠』だった。 「覚えてないかもしれないけど、昔、白原祭の花車でこの五彩友禅を着たんだよ」 「のけものの私達が、花車を出したの?」 「うんそう。あの頃に比べるとミゼリちゃんも髪がずっと伸びたし、成長したよね」 ミゼリは渡された着物に触れた。一生に一度、婚礼の衣装として手にする者も少ないという五彩友禅を見て「……綺麗」と呟く。 「でも……こんなに良い品を借りるなんて悪いわ。汚したら弁償できないもの」 「いいんだって。汚れとか弁償なんて気にしないで。ミゼリちゃんと杏君にお祭りを楽しんでもらえたら、ボクはそれが一番うれしいな」 久遠院はミゼリに五彩友禅を着付け、リトナは簪を貸し出した。更に若獅が現れ「これを忘れちゃだめだよな」と蓮の花を飾った。 「ここの習わし、よく知ってるのね。……て、長く住んでるんだったわね、ごめんなさい」 赤の他人の様に振る舞った事を詫びた。 若獅は「気にしなくていいって」と声をかけつつも、青い瞳を覗き込んで思う。 『なんか、まだ慣れない、かな』 初めて農場に来た時、ミゼリは目が見えなかった。 『記憶がないミゼリには『見る事ができる』という感慨も特にないのだろうけれど……今は普通にみんなを見て、着物に感動して、祭を楽しむ事ができてるんだ。ミゼリが笑顔でいられるなら俺は嬉しい。そうだ、喜ばなくっちゃ』 やがて支度を終えると、相棒達に留守番を任せて出かけることにした。 白が上級人妖桃香に「お留守番を頼んでごめんなさい、美味しいお土産を買ってきますね」と約束する。雇いの女性達も連れて、白螺鈿の街へでかけた。 街は連日のお祭り騒ぎで賑わっていた。早速シャーウッドが屋台の店員を気にする。 「どうかした? 知り合い?」 「ん? ああ、一応馴染みのところが出店してるかもしれないし、そういうところには顔を出しておくほうがいいかなって思って。まっ、あくまで祭りを楽しむ序に、だけど。そういえばロムルス、集合場所決めるんじゃなかったか」 迷子対策に集合地点を一カ所決める。 遠くから見えるものと言えば大鳥居だ。 「じゃ、はぐれても自由行動で、夜八時の鐘が鳴ったら、鳥居の下にくればいいんだな」 鳥居を見上げた若獅が確認する。シャーウッドが肩を竦めた。 「各々楽しみたいだろうし、はぐれても場所さえ決めておけば各人そのまま楽しめるからな。でもあんまりハメを外しすぎないようにな」 早速、鈴梅が「遊びも良いですけど、やっぱり、お祭りと言えば、屋台ですよね」と拳を握る。沸き上がる妄想と行動力。しかし散財の気配を桂杏が止めた。 「お祭りは大切です。一年で一番の楽しみに、日々頑張ってる方々も少なからずおられる。私達も例外ではなく、皆で盛り上げて皆で楽しんでまた一年頑張る。素晴らしいことです」 「どうした、急に」 「だからといって!」 カッと双眸を見開いた桂杏が、人数分の封筒を取り出した。 「分不相応に何かしようと思わなくて良いのです。大盤振る舞いなんて帳簿が許しません。というわけで皆様のお小遣いの上限を決めて、綺麗に分割致しました。お受け取り下さい」 「お、おう」 光臨した帳簿の番人に、たじろぐ酒々井達。守銭奴の如きいかした気遣いをする桂杏だが、これもまた長く見据えると大事なことである。息抜きは大事だが、加減は必要なのだ。 ハッドが祭の小遣いを受け取り、ひらひらと顔を仰ぐ。 『確かに息抜きも必要じゃろうからの〜、うむ、ここはひとつ気負い過ぎぬようにさせてあげたいところじゃの』 「小遣いが決まった所で思うんじゃが、居間しか楽しめぬキラキラな雰囲気を感じることも必要じゃ。ミゼリんや杏んはじめ皆、買いたいものもあろう。何か欲しそうなものがあるよ〜ならば、今宵は我輩がおごるのじゃ。杏ん、遠慮は無用ぞ」 太っ腹な発言に反応したのは……杏たちだけでない。 「ハッドのおごりか! 食べ捲るぞ!」 「やっぱり祭の夜は吟醸酒だな! 飲み過ぎると明日に響くが偶にはかまわん!」 「もふら飴のお店が白螺鈿にも出たそうですし、人数分とかどうでしょう。恵音もいる?」 「塩焼きの制覇とかいいなぁ。うちの川魚の味と食べ比べて値段も調べたいしな」 酒々井、蓮、リトナに若獅。 大の大人達が遠慮無用の会議を開始したので、言い出しっぺは「ぬしら」と呟いたものの後には引けなかった。男に二言はないのである。今夜の財布が確定したハッドを引きずって大人数が屋台を目指す。色々買い込んで大荷物になりそうな気配だが、偶にはいいのかもしれない。勿論、ミゼリと杏の警備は久遠院と若獅が担う。 シャーウッドと後を追うメルリードが「楽しそうでなによりだわ」と双眸を細める。 「そうだな。ロムルスは楽しいか? 俺は、凄い楽しい。また来年も一緒に来たいな」 「ええ、もちろんよ。また来たいわね……来年も、その先も、ね。でも本当にすごい人込み……気を付けてないとみんなとはぐれてしまいそうね。でも、そうなったときのために待ち合わせ場所は決めたし……迷惑には……」 ふいにメルリードが何かを思いつき、シャーウッドに囁きかける。 瞬きしたシャーウッドはポリポリと頭を掻いた。 「……えぇっと、ロムルス。それは……まぁ、そういうことだよな。ま、少しくらいなら問題ないだろ。はぐれても。最近、二人の時間もなかったし……」 「それじゃあ決まりね」 祭の音色は大人を子供の心に引き戻す。 悪戯めいた笑みを浮かべた二人は人の波に消えた。 祭が明けた翌日、酒を飲んで飲んでのみまくった蓮が床に潰れていた。 「廊下で寝てると風邪ひくよ。あの後、何処にいってたのさ」 「……神楽の店に」 「もー。あ、ボク森を調べにいくから」 日が昇る前から、久遠院が森の調査に出かけた。 秋になれば果物や木の実、山菜を初めとした秋の実りが手に入るからだ。 やがて皆が起き出す。軽い朝食の後、台所では白がドライトマトを作り始めた。リトナは塩卵を作る為に、卵の回収と洗浄、そして大窯で茹で始めた。この後の殻剥きが毎度ながら果てがない作業になる。鈴梅はからくりの瑠璃にトマトの追加収穫を任せ、保冷庫に目一杯の氷を作って押し込むと、身なりを正す。 「ひいなはご近所の挨拶巡りにいってきます」 午後に出かけようと思っていたリトナが「塩卵もっていきます?」と問いかける。 「いえ。今はまだ氷がいりような季節ですから、手土産は氷にします」 夏場は氷が高くつくので手土産代わりになる。 「何かひいなが聞いてきた方がいい話ってありますか?」 リトナは部屋の奥を見た。ハッドとシャーウッドが資料を探してバタバタしている。 「えっと。そうですね。こちらでも元の母屋を建てた大工さんが何処の方か調べますが、外の方に、杏さんの母屋を建てた大工さんを知っているか、や評判の良い大工さんの話を聞いても損はないかなと。大工さんも代替わりしてもまた、と言うなら悪い扱いはされないと思います」 「わかりました。聞いてみます」 鈴梅は出かけた。道中に見えるのは、生い茂る田圃の稲穂。 「幸弥さんが新しく作った田圃、今年は豊作ですね」 その頃、ハッドとシャーウッドは家の中を調べていた。 洋室塞いで保冷庫にしたり、蜂の飼育室を作ったり、三年半の間にかなりの改造を行ってきたが、この母屋は元々特殊な構造をしていた。土間、居間、和室三部屋、広間一部屋、潰してしまった洋室三部屋、昔は馬小屋だったらしい倉庫。天儀の建築技法とジルベリアの建築技法が使われている。そして天儀とジルベリアの国交が成立したのは天儀歴980年の事だ。少なくとも34年前にはこの母屋は存在していなかったことになる。 シャーウッドが「ミゼリ、今何歳だ?」と問いかけた。 「十な……じゃない。今1014年なのよね。ひぃ、ふう、みぃ……今年で21のはず」 「ミゼリが子供の頃から住んでたとすると、改築はそれより前か」 バッサバッサと古びた和紙を睨むハッドは「大工は生きてるかの〜」と声を発する。 「ジルベリア様式の改築時期は兎も角、母屋の基礎を立てた大工が判ればな。もしくはその後継がいるならそこへ頼みたいところだが……」 屋根裏を調べたシャーウッドは、支柱にくくりつけられた不自然な板に気づいた。草履もある。人妖たちに手伝って貰って木板を外す。そこには本来の母屋の見取り図と大工の名が記されていた。大工を捜す手がかりになるだろう。 「捜索はしまいじゃな」 ハッドは大工探しを任せ、アーマー戦狼「てつくず弐号」で資材の調達に行くという。 「ま〜材木にしても薪にしても乾燥させねばならぬから腑分けして積んでおくかの〜」 「頼む。俺は街で聞き込みに行く。ついでに馴染みへの顔出しと買い出しもしておくか」 シャーウッドは昼食作りを白に頼んで母家を出る。 一方、発酵乳の増産処理をした桂杏は、池のイネの状態を確認しに行った。 重そうに首を垂れる稲穂を摘むと、確かに中身がある。少しは試食できるかもしれない。 後方では酒々井が堆肥の袋詰めをしていた。完成した堆肥も袋に詰めなければ商品にならない。涼しくなってきたといっても、日向の作業は暑く、匂いは付き物である。天妖の雪白は差し入れにはきたが、汚れるのが嫌なのか堆肥に近づく気配をみせない。 「雪白、ちったあ手伝ってもいいんだぜ」 「こっちはこっちで忙しいの。見回りしないといけないからね」 ぴゅーん、とどこかに飛んでいく。 小屋の方では心なしか機嫌のいいメルリードが鶏の世話をし、祭あけでも元気の余る若獅が気合いを入れて牛の餌やりをしていた。掃除の後に、前回作った日除けの角度を微調整する。 「よーし、おわりー。オルトリンデ達が戻ってくるまで釣りでもしよっかな」 雌牛たちは気性が荒いが時間には勝手に帰ってくる。愛犬がきちんと時間をしらせるからだ。若獅が釣り具一式を持って池に行ってみると、蓮が釣りをしていた。 「お、先にやってたんだ。ヤマメつれてるー?」 「先ほどから餌だけ食われているな。折角祭の時に燻製用の桜の木片をかったんだがな」 立ち上がった蓮は「かくなる上は爆砕拳で!」と拳を構え…… 「イヤアアア! ダメですー!」 叫び声と共に背中からドンッと押された。蓮が浅い池に落下する。水飛沫が上がった。 「だ、大丈夫か……桂杏どうしたんだ!?」 「もう、傍に稲穂があるんですよ! 倒れたらお米がダメになってしまうんですからね」 「す、すまん。横着せずに地道に釣る」 ぷりぷり怒る桂杏とずぶ濡れで謝る蓮を見て、若獅は……釣り針をそっと垂らした。 三日目も朝早くから忙しい。 久遠院は森の調査に出かけたまま。 シャーウッドとメルリードは街の大工店巡りに出かけた。 「もふらさま。刈った牧草は良く乾く様に、あっちの日当たりの良い場所に運んで下さい」 鈴梅と瑠璃はもふらを連れて牧草刈りに専念し、酒々井は堆肥の袋詰め二日目にして悟りの境地に至る。 『なんだかんだで、こういうのも日常だと思ってきた自分がいるな』 戦いも騒動もなく。 ただひたすらに堆肥の袋詰めをする日々を日常の一部として違和感無く受け入れつつあるらしい。 『家飛びだした頃には思いもしなかったが……ま、杏達が自信持って農場やってけるようになるまであと少し、気張るか』 「雪白。追加の袋を倉庫から……あれ? 雪白?」 天妖雪白はトマトの収穫。若獅は家畜の放牧後にヤマメ釣りに戻り、人妖黄雀風はガラガラと攪拌機を回していた。何故か餌だけ食われる蓮は、若獅の釣った魚を捌いて薫製機で燻していた。 桂杏とリトナ、白は畝に種まきし、ハッドは納品に出かけた。 畑に植えたのは、白菜と玉葱だ。さほど大変な作業ではなかったが、昨日できなかった赤紫蘇の加工や蒲公英の焙煎で一日が終わった。 夕食後は夜食を摘みながら今後の会議だ。 今夜の夜食は、白特製の枝豆の塩ゆで。 「明日は枝豆の炊き込みご飯です。南瓜が熟成したらプティングを作りますから」 楽しみだね、と杏達が微笑む。鈴梅は窓を開けた。 夜風が帳簿を捲っていく。 「最近は、涼しい日も増えてきましたし。もうすぐ、秋ですね。のんびりしていると、あっという間に冬です。そろそろ冬の準備も、考えて置かないといけないです」 氷は九月を過ぎれば不必要になるだろうか。白は拳を握る。 「これから収穫の秋に続いて厳しい冬がきます。気を抜く事なく準備していきませんと」 白の言う通りだ。 「農場はいつもの報告をやって、あとは加工品と大工関係でしょうか」 祭の夜に、白は焼き物を見て回ったが、どうも流行の形や色があるらしいことは分かった。売れ筋を掴めば、炭焼きの釜で良い商品をつくれるかもしれないという。窯元では体験会もしているらしく、勉強してくる手段もある。 リトナが「それで」と図面を一瞥した。 「小屋の建築、どうします? 大工を呼びますか?」 酒々井は「そうするのも悪かねぇわな」と言った。 「個人的には、臨時収入もあったわけだし、こういう時に思い切って頼んじまうのもありだと思う。数日単位の俺らの仕事じゃ、流石にどうにもならねぇしな」 久遠院は「どうせ立てるなら本職の家が良いよ」と大工採用を押す。 ここを手がけた業者なら、という条件で慣れた大工採用に若獅も意欲的だ。蓮も頷く。 「作るならきちんとした物を作る方がいいだろうし、そうなると本職に頼む方がいいだろう。母屋を作った大工の業者に頼むという案には賛成だ。何か分かったか」 メルリードとシャーウッドが街を巡った結果、母屋を作った大工は見つかったが、高齢である為に現場に立てない事から、もし頼む場合は三代目になるという。 ハッドは杏に「どのよ〜な建物を求めておるのじゃ?」と問いかけた。 「加工品の貯蔵をしたり、季節に使わないのを置いたり、かな」 メルリードは「後々を考えて色々な用途に使える家がいいわよね」と唸る。 「ねぇ杏」 「なにー?」 「建築が始まったら、私達の何人かとか相棒たちを居ずっぱりにさせてもいいかしら。今までは毎月何日か来る感じだったけど、長期滞在した方が仕事も速いと思うのよ」 「別に問題ないよ。ね、ミゼリ姉ちゃん」 「ええ」 蓮は、白螺鈿の街で如彩神楽を訪ねたが、龍やからくりは借りられなかったという。 シャーウッドが唸る。 「そうか。次くる時には龍とか連れてくる必要がありそうだな……早目に着工しないと。杏、教えた数字で見積もりを出せるか」 「今やってるよ」 決まった事を帳簿に書き留めていく杏の姿に、皆が嬉しいような寂しいような視線を向けた。 蓮は『もう肩車をしてやる程、子供ではないかな』と感じながら双眸を細めた。 杏と初めて出会って四年。物乞いの少年は逞しくなった。 リトナは杏と娘が重なって見えた。 『杏さん、成長しましたね。何時かはここのお手伝いの手を離れる日も……良い事なんですけど少し寂しいですね。それまでにやれるだけの事を。残せるだけの事を』 久遠院が杏の頭を撫でる。 『杏君、君も農場もゆっくり大きくなればいいんだよ。焦らなくっても、ボクたちは居なくなったりしないんだよ?』 そんな思いが胸をよぎる。 杏は首を傾げていた。久遠院が皆を振り返る。 「さて。方向も決まってきた所で、どんな外観や内装にするか話を詰めない?」 話を聞きながら、白はもふらをブラッシングしていた。仲良くやって行ければ、とおもっての行動だったが、随分抜け毛が多い。もふらは丸刈りにしても翌日には綺麗に生えていると言うから、不自然でもなかった。 「洗って縒ったら糸になりそうですね……」 「もふー」 穏やかな夜が更けていく。 |