【忌み子】山吹の胎動
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: シリーズ
EX :危険 :相棒
難易度: 難しい
参加人数: 11人
サポート: 3人
リプレイ完成日時: 2013/06/28 15:21



■オープニング本文

前回のリプレイを見る


●生成姫の欠片

 ほんの数ヶ月前まで、この世には『生成姫』と呼ばれる大アヤカシがいた。

 冥越八禍衆が一旗であり、夢魔や鬼の軍勢を率いる大アヤカシとして知られているが、三面六臂の姿は天女と鬼女の容姿を併せ持ち、一部では代償と引き替えに願いを叶える神として崇拝された記録もある。
 歴史的年代の変遷はともかくとして、五行へ渡った生成姫は一度封印され、飢饉の際に誤って解放されたという経緯がある。その際、怒り狂った生成姫は未来永劫子孫を祟ると囁いた。以後、かの陰陽師達の血族に生まれ出た志体持ちは、皆一定の年齢になると人知れず変死していった。これが俗に『忌み子』と呼ばれた者たちである。
 忌み子とは。
 未来永劫、生成姫の玩具として嬲り殺される運命を背負った子孫達を示した。
 しかし人間というものは脆弱だ。簡単に全滅してしまう。
 一族のある女は、他の害意全てを薙ぎ払える生成姫と取引を行った。
 かつて生成姫を害した陰陽師と同じ志体持ちが産まれたら生贄として捧げる。その代わり、忌み子を産み続ける一族には手を出さず、存続することを許して欲しいと。
 生成姫はコレを受け入れた。

 その契約の証が『御印』と呼ばれる寄生型アヤカシだ。
 生まれた志体持ちを、生成姫のもとへ連れて行く。すると生成姫は里の安泰を約束して赤子に加護『御印』を与える。御印は心臓に寄生し、生成姫が支配下内にいる全アヤカシから宿主を守る代わりに、居場所を生成姫へ伝達し続ける。
 そして二十五年の猶予を経て、生成姫を呼び寄せる性質があった。
 数年前まで、忌み子は何人もいた。
 開拓者の知恵と力技で救えた者もいれば、救えなかった者もいる。

 そして今年『生成姫』は滅びた。
 けれど、御印はまだ残っていた。
 里に残った最後の忌み子から人知れず剥がされた御印は、膨大な数の意志なきアヤカシと生成姫を崇拝する子供の意思を取り込み、上級アヤカシ「山吹」として覚醒した。
 生成姫によく似た姿で。
 それが一体何を意味するのか、人の知恵では推し量れない。謀略に優れたという生成姫が、何かの手段として御印と変異性質を残した事は分かっても、答えを知る者は誰もいない。
 山吹は定められた本能と手順に従って、仲間を食い、人を食った。
 最後の到着地を知らぬまま、従順に、ただ機械的に……
 けれど。

 そこに横槍が入ったとしたら、一体何が起きるのだろう?


●山吹の葛藤
 沼垂から魔の森へ戻った山吹は、削れた体を抱え込むように丸めて唸り声を上げていた。魔の森ならば空腹を抑えられ、回復も早い。本能的に分かっている。しかし消耗の激しい体では移動もままならない。
『儀式の途中だったのに……うぅう!』
 くるしい。
 おかあさま。たすけてください、おかあさま。
 山吹はひたすら呻いて母――生成姫を呼んだ。眠らなくなった体にも、人だった頃の記憶が残っている。優しく微笑む、美しき全能の母を思い出す度に、とうになくなった心臓が軋むような感覚がした。
 そして体内の何かが告げる。本能が囁く。
 早く儀式を成し遂げて常世の森を守らねばならない。
 その時、闇の中から一羽のアヤカシが現れた。
『石榴が捕まった?』
 山吹が人の子だった時代から共に高め合ってきた妹である。殺し合ってきた、という方が正しい。生成姫消滅に伴い、二人は『次のおかあさま』を迎える為に、様々な素材を集めていた。石榴の任務は、火焔の人妖イサナの捕縛。けれど失敗した。恐らく、兄弟の透と同様に断頭台の露として消えることになるだろう。
『イサナが手二入らなイ』
 予定が狂ってしまっている。どうすればいい。
 もう頼れるものや適した材料は……
『そウだ』
 まだ大事な手駒がいたではないか。
 山吹はかろうじて人型をなすと、五行の東「白螺鈿」へと飛び立った。


●再会
 合戦後、シノビの紫陽花は榛葉恵の養女として籍に入りつつ、あまり表に出ることなく屋敷の中の雑務を行っていた。世間では、生成姫が洗脳して育てた子供を排斥すべき論者も多く、鬼灯と白螺鈿の交易を司る天城天奈にアヤカシと共にいた姿を見られていた事もあり……なにより、生成姫消滅は育ての母を失う事と同じ意味を持っていた。
 表立って顔には出さないが、憔悴している気配が強い。
「紫陽花、お客様が来たです」
 ふいにからくりの梨花が親友の手を掴んだ。
「お客様?」
「ヤマブキさん、だって」
 紫陽花は弾かれたように顔を上げて走り出した。玄関で出迎えた客人は、明るい金髪に茶色の瞳をした、懐かしい兄『山吹』だった。
「紫陽花……よカった。やはり此処にいタね」
「あの、私、お役目に失敗して」
 裏切ってしまった事をどう報告すべきか考えて……何か違和感を感じた。
「どうしタんだい」
「風邪なの? なんか声が変だわ」
「そうかもレれない。森からここまデきたから。とても腹がすいて、疲れたんダ。しばらく匿ってくれないか」
 ぎゅ、と抱きしめられた。尊敬していた兄に助けを求められ、紫陽花は嬉しかったが……何故か産毛が総毛立った。今すぐ体を離したい嫌悪感に駆られた。理由はわからない。すがるような兄を宥めて待たせ、仕事部屋の恵に『兄が訪ねてきた。説得して救いたい』と説明し、滞在許可をもらった。
 二階の自分の部屋へ連れてきて、ほっと一息。
「にい様、何か食べたいものはある」
「…………。」
「え?」
「いヤ。疲れすぎテて、お腹がすいてないんだ。喉モ痛いし」
 紫陽花は「そう」と言って流したが『とても腹がすいた』と言った口で『お腹がすいていない』という。やはり何かおかしい。
 山吹は紫陽花の手を掴んだ。
「それより俺ハお役目で来た、天城天奈には会えるか」
「手続きを、しないと。忙しい人だから。頼んでみるから、数日待ってもらえる?」
「……数日なら」
 紫陽花は部屋を出た。
 山吹の瞳が赤に染まる。鏡台で変化に気づいて、元の色に戻した。山吹は空腹に耐える。生命が蠢く位置を感じる。かつての妹も、屋敷の中の人間も、何もかもが美味しそうに見えていた。


●紫陽花の連絡
 ところで。
 紫陽花は天城天奈に面会手続きを書いた翌日、封陣院分室長、狩野 柚子平(iz0216)にも手紙を書いていた。

『お久しぶりです。狩野様。
 本日は、お願いがあってご連絡しました。以前、次のおかあさまを迎えに行ったはずの兄が、私を訪ねてきました。お役目に失敗したのかと思ったのですが、お役目に来たといい、天城天奈さまに面会を望んでいます。
 会うまでは、と何も食べず何も飲もうとしません。
 様子がおかしいので、一度会ってくださいませんか。できることなら、私は兄にも人として生きて欲しいと思っています。説得に知恵をお貸しください。
 兄の名は『山吹』と申します――……』

「……山吹の居場所は分かりましたが、どうしましょうか」
 柚子平の言葉に、手紙を眺めた全員が悩みこんだ。


■参加者一覧
酒々井 統真(ia0893
19歳・男・泰
乃木亜(ia1245
20歳・女・志
大蔵南洋(ia1246
25歳・男・サ
水波(ia1360
18歳・女・巫
弖志峰 直羽(ia1884
23歳・男・巫
萌月 鈴音(ib0395
12歳・女・サ
アレーナ・オレアリス(ib0405
25歳・女・騎
ネネ(ib0892
15歳・女・陰
蓮 神音(ib2662
14歳・女・泰
ローゼリア(ib5674
15歳・女・砲
刃兼(ib7876
18歳・男・サ


■リプレイ本文

 上級アヤカシが『天城天奈』という人間の娘を狙っている。
 その報告を受けた酒々井 統真(ia0893)たちは山吹をおびき寄せる為、五行東にある鬼灯の里へ足を運んでいた。 
「……ちっ、天奈が重要なのは生成姫が消えてもかわんねぇか」
 客間に通された酒々井は憎々しげに呟いた。天奈は単なる人間に過ぎないが、その頭脳は『人にしておくには惜しい』と生成姫が評価する度で、謀の巡らせ方は舌を巻く。幼少の頃から上級アヤカシの干渉があったと見られ、その体は特殊な猛毒に馴染んでいるらしい。
 仲間の様子を黙って眺めながら、アレーナ・オレアリス(ib0405)は、山吹の方も余裕が無いのかも、と想像を巡らせていた。勿論、精神が不安定でも強力なアヤカシには違いなく、タガが決壊して暴走する前に斃さねばならない事は承知の上だ。
 暫くして、境城家の使用人が天奈を連れてきた。

「面会相手は、上級アヤカシ!?」
 素っ頓狂な声をあげた天城天奈に、萌月 鈴音(ib0395)は「はい」と首を縦に降った。
「このままでは貴女だけでなく、如彩家や白螺鈿が危険です」
 乃木亜(ia1245)が言葉を添える。
「ですから、鬼灯と白螺鈿間の山道を封鎖して頂けないでしょうか。そこで山吹との会合をお願いします。当然、山吹と対面する危険はありますけれど、狙われている以上、取り逃がした場合に、再び狙われることはご想像がつくはず」
「……私を脅す気?」
 青ざめていた天奈の追求に、乃木亜は「そんなつもりは」と言葉を濁す。
 酒々井は頭を掻いた。
「事情は鈴音や乃木亜が話した通りだ。これまで何度も襲われ、誘拐されてきた以上、狙ってるのが一匹だけとは限らねぇ。会見の場なら、現場に開拓者がいる。下手に離れて無防備なとこ襲われても困るだろ。念の為に、俺のからくりを常時傍に置いておく」
 酒々井の背後にいた桔梗は頭を垂れて「天奈様のお傍で護衛させて頂きます」と告げた。
「俺たちも護衛につきます」
 仙猫の羽九尾太夫を抱えた弖志峰 直羽(ia1884)が進み出た。
 萌月が説明を重ねる。
「できれば山道を一時通行止めにして貰えると、一般人が巻き込まれる事態は防げると思うんです。理由は野良アヤカシが目撃されたとか、適当なもので納得してもらえると……」
「ねぇ」
 天奈は「どんな影響が出るか、分かって言ってるの?」と静かな声で首をかしげた。
「白螺鈿の地主一家や街に被害が出るのを防ぎたい。上級アヤカシを倒したい。だから狙われてる私を囮にしたい。護衛はつけるから協力しろ。……それは分かったわ。清々しいくらい私を逃がす気がないのは、この際横に置くにしても……他の事は考えてないわよね」
 天奈は煙管の紫煙をゆっくりと吐く。
「今年の春、五行国の命令で道を長く封鎖した。その影響で白螺鈿は物資が不足し、戦の影で街は寒さに怯えた。加えて山道で商いをしていた大勢の家族が飢えたわ。私の仕事は山道の管理だけど、兄様の為にやってるだけ。鬼灯と民を守るのは延長よ。白螺鈿の厄介事を善意で背負い込んで、道を再び封鎖して……私や鬼灯の里に、何の利益があるの」
 白螺鈿の厄介事は白螺鈿で片付けろ。
 天奈は暗にそう言った。
「ですが、狙われているのは天奈さんです。白螺鈿の人を巻き込む気ですか」
 萌月の言葉に天奈は「ぷっ」と笑った。
「万が一、私が『別に食われてもかまわない』と言ったら……あなた達、どうするの?」
 弖志峰は「なんて事を」と叫ぶ。
 天奈は冷たい目で酒々井たちを見た。
「私は『生きた屍』よ。あなた達の何人かは元々分かっていたはず。卯城家への復讐を終え、兄は境城家の養子に入った。私の復讐は成就し、徳志の遺体も……帰ってきた」
 天奈が見上げた先には、粗末な骨壷があった。
 彼女の婚約者、徳志の骨だ。
「私は屍のように生きるだけ。山道を封鎖し、兄と鬼灯に負担をかける位なら、白螺鈿の屋敷に出向いて食われた方が幾分かマシよ。白螺鈿で何人死のうと、鬼灯が無事ならば」
 乃木亜が立ち上がった。
「やめてください! あの街を守りたい人が沢山いるんです!」
 天奈は「随分とご執心ね」と皮肉そうに笑った。
 天奈は山道封鎖に非協力的だ。損得を天秤にかけて、提案を全く聞き入れない。両方の里と狙われた人を守りたいと思っても、現実はままならないものだ。
「そうね。私も鬼ではないわ」
 ぎしっと音を立てて天奈は椅子から立ち上がる。
「食われると分かってて、囮を受け入れて出向くなんて、愚かにもほどがあるけど。いいわよ、行っても。条件を飲むなら、山道を封鎖してあげても構わない」
「本当!?」
 喜んだ蓮 神音(ib2662)や乃木亜を押しのけ、大蔵南洋(ia1246)が「まて」と抑揚のない声を発した。
「条件と申したな? お主のことだ……何か要求する気ではないのか」
 数秒の静寂。
 天奈は肩をすくめて「相変わらず感がいいのね」と大蔵の渋面に微笑みかける。
「だって、私は如彩屋敷に出向くと行っているのに、それを阻んだ挙句、山道を封鎖して大義の為に大きな損害を受け入れろ、と貴方達は言ったのよ。白螺鈿の厄介事を鬼灯に持ち込ませろ、とね。当然、見合う保証を要求する権利はあるはずよ」
 口元が蛇のように釣り上がった。
 ゾッとするような天女の微笑み。
「急に莫大な補償金を用意しろ、って言ったって無理でしょ。問題のアヤカシは屋敷に居るようだし。モノで譲歩してあげる。境城家へ白螺鈿の四分の一の土地を寄贈するよう、如彩家から契約をとってきて。それと引き換えに、私はあなた達に協力してあげる」
 こういう女だった、と数名は舌を噛んだ。
 天奈の要求は、筋が通っている。けれど心の隙間や急所から枝を伸ばすような話術に長けていた。かつて天奈は『伝説の鬼姫のようだ』と周囲に評され、恐れられた。それ即ち、生成姫や鬻姫に劣らぬ、知恵の使い手ということを意味する。
「この話はあなた達が持ってきた。今の私は、あなた達と命の貸し借りはない」
 天奈は酒々井たちを一瞥し、一枚の契約書を渡して部屋を出た。
「これは取引よ」

 とんでもない事になった。
 到底、開拓者の一存では決められない話だ。
 けれど焦りが募る。放置すれば、いずれ山吹が手に負えなくなると分かっていて見過ごせない。
 だから一刻も早い討伐を優先した。
 それが開拓者達の決断だった。
 多くの者を導かねばならない者は、時に状況に応じた独断を強いられる。
 無論、付随する余波を『知らなかった』『考えなかった』ではすまされない。選んだ道の果てに待つ事は、背負って生きていかねばならない。
 そうして積み重ねて生きてきた。
 昔も今も。
 他の策はない以上、強行する他ない。
「白螺鈿の四分の一、……命と引き換えに、財産の約半分を手放せって要求する事になるわけか。のんでくれるかは賭けだな。最悪、強行か、屋敷で交戦だ」
 頭を抱える酒々井に、刃兼(ib7876)が「どういうことだ」と首をかしげる。
「白螺鈿の土地は、全て如彩家のもの、って訳じゃない。俺や雪夜が毎月訪ねる百家って農家があるんだが、そこが三分の一くらい権利を持ってるんじゃないかって言われてる。詳しくは未調査だから分からねぇ。だが天奈が要求する土地を寄贈した場合、如彩家が大地主としての力を失うのは明らかだ」
「何はともあれ、山吹の件はこの辺で終わりにしないと」
 ぱん、と水波(ia1360)は手を叩いた。
「恵様が天奈様との会見についてこないように、会見当日に恵夫妻に榛葉家にいく予定を組んで……もらいたかったのですが、天奈様の条件を受け入れさせるには、当日は無理ですね。どのみち巻き込まれないように配慮せねば。狩野様、榛葉家へ連絡お願いします」
 狩野 柚子平(iz0216)が「そんな重大取引に納得してくれますかね」と首をひねる。
 恵や紫陽花の護衛を考えている久遠院、イリス、フレス達も説得に同行することになった。
「仮に、了解を得ぬまま強行するとして、天奈さんを力づく抑えるのは容易でも、山吹はどうするつもりです?」
「奴が人の為りをしておるならば、それを逆手に取ることもできよう。紫陽花の縁者と信じきっている様を演じてやればよい。天奈という明確な目標に辿り着くまでは、大きな騒ぎを起こす愚を犯す可能性は低かろう」
 大蔵の隣にいた刃兼が『自然な理由でのおびき出し』に頭を悩ませる。
「そうだな。『天奈が管理者として山道の視察中で、その合間の時間に休憩用の幕の中で面会可能であること』を伝えれば、不自然はなさそうだ。護衛については『先日誘拐された為、多少の護衛がついていること』でいいと、思う」
 萌月も悩んだ。
「天奈さんは、対応の為に急遽そちらに行かねばならなくなったと。山吹に小細工をさせない為と、変更理由に現実味を出す為に、面会直前に紫陽花さんへ伝えて貰ったほうがいいのかもしれません」
 最も、事情を説明した後に紫陽花が『兄の肩を持たない』という保証はない。
 恵夫妻と暮らす時間より、山吹と共に育った時間の方が遥かに長い可能性は高い。
 不安要素が多すぎる。
 乃木亜は両手をぎゅっと握った。
「今度こそ被害がでる前に退治しないと……!」
「これ以上振り回される気はねぇ、出てきたならここで叩くまでだ」
「ええ。できればここで仕留めたい所ですわね」
 酒々井が拳を握り、ローゼリア(ib5674)も頷く。刃兼も気持ちは同じだった。
 蓮が「そうだ」と立ち上がった。
「境城和輝さんに頼んで、迎火衆の鬼面借りてくる。迎火衆に扮して天奈さんを護衛すれば、最初くらい山吹の目をごまかせるかも」
 壁際の大蔵が「確かにな」と相槌を打つ。
「アレは、およそナマナリの眷属と思えぬほど知恵が回らぬ。成長の最中ということかもしれぬが、単なる変装でも一度は誤魔化せる可能性がある。ただ……」
 ついでに相棒を置いてくる、と飛び出す蓮に壁際の大蔵が声を投げた。
「待て。迎火衆には年齢関係なく男しかいない。女人が扮するなら、体格を隠し、胸をしめるなどの対策は取らねばなるまい」
「……神音、水波さん達ほど胸ないから、平気だと、思う、よ」
 自身の発言が乙女心にザクザク突き刺さる。
 我に返った乃木亜もカミヅチの藍玉を鬼灯に預かってもらってくると頼みに出かけた。
「私も呼び出しの手紙を出してきますか」
 柚子平も立ち上がる。
 壁にもたれて腕を組んでいた大蔵は「おかしな事になったものだ」と言って、柚子平を呼び止めた。
「ナマナリは滅したが、世の中が良くなったという実感はまるで無い。そればかりか、却って悪化の速度が増したかのような知らせも最近は多い……当分、楽はできそうにないな」
 柚子平は「世話をかけますね」と苦笑いした。
 大蔵の隣にいたネネ(ib0892)が呟く。
「……手を潰されても潰されても、用意してあるのはさすが生成姫、ですね」
 山吹ではなく滅んだ存在を、ネネは思った。


 まず恵達夫妻に、状況を知らせ、どうにかして契約を取り付けてこなければならない。
 元より夫妻の護衛として残るつもりだった久遠院、イリス、フレスの三名の他に、水波たちをつれて柚子平は白螺鈿の榛葉屋敷へ出かけた。
 弖志峰や刃兼たち大半の男手は、山道で商いをしている者達に封鎖の予定があることを伝えていった。約束を取り付けた段階で、山を降りてもらわねばならなくなる。強い反発を受けながら、会談に適した峠の茶屋や山小屋を物色していった。
 一方ローゼリアは、生命感知を警戒して、会合場所が視野に入る遠い場所を探していた。
「山吹はさほど防御力はない……であれば初撃こそが肝心ですの」
 ローゼリアの射程は百メートル。
 古いかずら橋を渡り、対岸の岩陰に居場所を見つけつつ、周囲の地形を把握する為に歩き回った。
 天奈の護衛となるからくりの桔梗、弖志峰と蓮、水波と乃木亜たちには迎火衆の鬼面や衣装が用意された。どうしても体格に違和感の出る水波は建物の裏手などで見張りを装い、乃木亜は鬼灯の女性に扮して物売りのように隣接の建物に潜む予定だという。


 榛葉屋敷に到着早々に恵を呼び出し、事情を説明した途端、恵は青ざめた。
「あの客人が、上級アヤカシ?! っていうか何よ、その契約書。藪から棒になんでそんな話になってるの!」
「日にちもなく、皆さんはもうそのつもりで準備に入っておりまして……大変申し訳ないのですが、会談にこられるとご夫妻は危険ですので、榛葉屋敷で待機していて頂きたいのです」
 水波が淡々と説明する。
 恵の立場になってみれば。
 ある日突然『あなたの自宅に上級アヤカシがいます。娘さんが連れ込みました。屋敷の住人全員の命と、白螺鈿が危険な状態です。皆さんの安全を保証し、上級アヤカシを遠方へ連れ出す準備は整えたので、経費として全財産をください』と要求されているのだ。無茶な頼みだ。
「今の話は本当か」
 現れたのは恵の夫、如彩誉だった。
 妻を迎えに来たらしい。暫く黙り込んでいた。
「……いいだろう。土地の件は、私が当主に話しておく。戻らねば不審に思われるだろうから、適当な買い物を持って、急いで屋敷に戻るとしよう。食われぬよう祈っていてくれ」
「誉、待って!」
「不安定な上級アヤカシが街中で暴れだしたら、我々の手には負えない。家族を失うより、ずっとマシだ。私が後継者争いから身を引いて、当主から絶縁されれば、それで済む。白螺鈿には幸弥がいるさ。……恵、何の財産もない不甲斐ない夫でも一緒にいていいかい」
 紫陽花を養女にしたい、といったのは恵だ。誉は頼みを受け入れた。本来は背負わずに済んだ重荷への罪悪感で「ごめんなさい」と胸を炒める恵を、誉は責めなかった。
 久遠院とフレスが傍に立つ。
 二人は恵が心配でここへ来た。
「何も無ければ良いし、何も無いとは思うけど……山吹との会談と討伐の間、僕達がここを守るよ。山吹が空腹に耐えられなくなった場合や、紫陽花さんの行動を裏切りと認識して見せしめを行わないとは、言い切れないから。僕の命にかえても、死なせたりしない」
「恵姉さま、紫陽花ちゃんが心配でも、会談へついていったりするのは我慢して欲しいんだよ。ほかの人の迷惑になる。恵姉さまの役目は、まだこの後に有るから。紫陽花ちゃんには、イリス姉さま達が護衛でついてくれるよ」
 イリスは「必ず」と囁く。
「……狩野さん、渡鳥山脈にいる開拓者に伝えてくれ」
 顔を覆う恵を抱きしめ、次の地主となるはずだった男は、窶れた顔をあげた。
「天城天奈に話をもちかける前に……せめて一言、こちらに相談して欲しかったよ。こうなった以上、君らにかけるしかない。よって天城との取引は承諾する。だが忘れないでくれ。俺たちの娘に……紫陽花に何かあったら、絶対に君たちを許さない、と」


 会談当日の朝、紫陽花へ説明する為、数名が渡鳥山脈を降りた。
 萌月や弖志峰は、遠ざかる仲間たちの背を見送った。
「厄介な事に……なりましたね。また……辛い思いをさせてしまいます」
 取引の件を置いても、紫陽花が誘導に協力してくれなければ話は頓挫する。最悪、密告されないとも限らない。仮に協力を取り付けても、誘導役である紫陽花の目の前で山吹を討伐せねばならず、助けられないことを納得してもらえるかは……不明だ。
 弖志峰は痛ましげな眼差しで、遠ざかる背中を見ていた。
 萌月の話を聞くと、生き方を改めている紫陽花は望みであり希望でもある。
「そうだね。噂の彼女に、山吹の状態を告げるのは心苦しいけれど……」
「それでも……山吹は倒さなければいけません。放置は……絶対にできない存在です」
 間違わない道が、あればいいのに。

 ところで。
 急遽、町外れへ紫陽花を呼び出した。
 まず水波が、紫陽花を術視で問題がないか確認をしてから、本題に入る。
 つまり如彩屋敷にいる山吹を山道まで連れ出し、そこで殲滅作戦を行うことを。
「なん、で」
「山吹は既に怪物です」
「アレはもう、山吹の記憶を利用したアヤカシの集合体だ……受け入れろとは言わないが、覚悟は決めろ」
 水波も酒々井も畳み掛けるように話す。
 突然、話を聞かされた紫陽花はひどく困惑していた。
「でも、たとえアヤカシになったとしても山吹兄さまはその権利があるの、長年の夢だった、おかあさまの眷属になっただけよ。まだ何もしてないのに、そんな」
「紫陽花。山吹が君の養母を食っても、同じことを言えるか?」
 刃兼の手が、紫陽花の腕を掴んだ。
「山吹は大勢の配下を喰らい、旅人を無差別に襲い、人の頭だけ喰い残すアヤカシと化している。どう頑張っても、人に戻すことはできない。このままだと妹である紫陽花や、紫陽花の今の養父母を捕食しかねないんだ」
 時間の問題なのだと、刃兼は訴えた。
「人間だった頃の兄を知っている分、酷な話だと思うが……生き残るため、今の家族を護るため、力を貸してもらえないだろうか」
 そこで蓮が「辛い事させてごめん」と語りかけた。
「でも『一緒に戦って欲しい』なんて無理は言わないよ。紫陽花さんには家族で、お兄さんだもん。騙すことだって辛いよね。だから、これ以上辛いことはさせられない」
 蓮は知っている。
 紫陽花は、他界した妹の為に、魔の森の里の中で生きてきた。彼女が守ってきた妹を、目の前にいる開拓者が手にかけた事を……紫陽花は知らない。かつて御彩霧雨が生成姫から取引で託された二人の少女のうち、片方が彼女の実妹だったと考えられている。
『ごめんね。神音たちはずるいよね』
 大義を振りかざし、あれは化物だと罵っても。
 価値観の違う彼女にとって『アヤカシ』は恐怖ではない。
 それどころか紫陽花にとっては、開拓者こそが肉親の敵なのだ。
 本来なら殺したいほど憎いだろう敵なのに、無知を利用して『抹殺を手伝え』と迫っている。
『きっと……紫陽花さんは山吹を攻撃できない。仕方ないよね。それに神音は、また紫陽花さんの家族を殺さないといけないんだ』
 あれは仕方のない事だった、と。
 簡単に言えたら、どんなに気が楽だろう。
 失った命は戻らない。妹の事を償えるわけじゃない。
 だからできる事をするしかない。
「紫陽花さん。刃兼さんの言うとおり、山吹さんは大勢を食い殺してる。恵さんや紫陽花さんたちも食われるかもしれない。神音たちは、其れを黙って見ている訳にはいかない」
 蓮は紫陽花の手を掴んだ。
「だから少しだけ、見て見ぬふりをして。神音たちの事を秘密にして、連れてくるだけでいいから。危ないことや辛いことは、絶対させない。指一本触れさせない。紫陽花さんの帰りを家で待ってる恵さんの為にも、この身に変えても絶対守るよ。神音達を信じて」
 紫陽花にも守りたい者があった。
 切り捨てろと迫られて、自分を切り捨てようとした。
 そんな彼女に、自己犠牲を選ばせずに無理を強いるには、上手く説得する必要があった。
「……………………連れて行く、だけなら」
 沈黙を経て紫陽花の了解を得た蓮は「うん、ごめんね」と言って両手で包み込んだ。
 ほっと胸をなでおろした乃木亜が、柚子平を振り返る。
「柚子平さん。会談で紫陽花さんの様子を見ていてくださいますか。戦闘が始まれば連れて避難をお願いします」
 萌月たちが紫陽花に数点の注意を行う。
 先日の龍笛狂歌の襲撃以降、迎火衆が護衛に付いている事も山吹に伝えるように頼んだ。
 色々と不自然を正当化しておかねばならない。
「離れられない代わりに……来て頂ければ面会の時間は取れる、と……伝えて下さい」


 その日の昼、一台の駕籠が如彩屋敷の前に止まった。
 如彩誉の発案で『娘の大事な客人へのもてなしの一つ』という建前で、山吹を隔離して連れて行く為のものだ。誉たちは紫陽花に残るように言ったが、紫陽花は首を横に振った。自分がついていかないと、道中で籠を担ぐ駕籠者が食い殺される事を懸念していた。
 案の定ついていこうとする恵を久遠院とフレスが屋内で抑え、見送りに出た誉は「戦の後で山は危険だから」とイリスを護衛につけた。
 駕籠は人知れず上級アヤカシを街の外へ運び出す。

 長いような短いような時間が流れた。
 山は緑が生い茂り、人のざわめきも遠ざかる。
 目立つ大型の相棒たちは万が一、山吹が逃走を測り、白螺鈿や鬼灯を目指した場合の急行手段として隠してある。ネネの駿龍ロロ、刃兼の駿龍トモエマルもこれに同じだ。
 峠の茶屋に到着し、紫陽花は二階を見上げた。
 窓から身を乗り出した天奈が手を振る。
「ごめんなさいね。こっちの都合で来てもらって。そこで待ってて頂戴」
「天奈さま二階にいるみたい。呼んでくるわ」
「……ああ」
 紫陽花が茶屋の奥に消える。
 駕籠からおりた山吹が一歩、茶屋に踏み込んだ刹那。
 奥の厨房にいた酒々井と蓮が動いた。
 瞬脚で瞬く間に山吹に迫る。
 酒々井は拳に気を集中させて叩き込み、懐に入った蓮は掌により浸透勁を叩き込む。
 敵を内部から破壊する技だ。不意を疲れた山吹が後方へ吹っ飛ばされていく。突然の状況に驚いたのは籠を持っていた駕籠者で「ひゃあぁあ!? な、あ」と声を漏らしていた。
「効いたかな? ……って、起き上がってるよ!」
「ちっ、やっぱ一撃じゃ無理か。おい、そこの籠持ち! とっとと逃げろ!」
 酒々井が叫んだ途端、山吹が消えた。
「消えたぞ!」
 屋内の乃木亜は心眼で四十メートル四方にいる存在を探す。
「狙いは……私たちじゃない? いったい誰を……」
 立ち尽くす駕籠者の背に山吹が出現した。
 包むように抱えて虚空へ浮かび上がる。山吹の体から大地へ瘴気が降り注ぎ、駕籠者は生きながらアヤカシに食われた。
 同時刻、離れた森の中で息をひそめるローゼリアは、からくりの桔梗と山吹の隙を狙っていた。漆黒のマスケットで標的を狙い、神経を集中する。転移の瞬間と悲鳴を頼りに、視線を走らせた。建物の死角で見えない。
 一人食われたらしい。
 二人目を食おうとした山吹を、建物の隙間に見つけた。
「食われましたか。お許しくださいませ」
 銃弾が空を駆けた。
 山吹の後頭部が吹き飛ばされる。
 残りの駕籠者が、叫び声をあげながら逃げていく。暫くすると山吹の頭は元に戻った。
 萌月は斬竜刀に炎を纏わせ、地をけった。
「私を喰おうとした……御礼です!」
「『貴様らァ』」
 斬撃が弾き返される。ネネが瘴気を喰らう式を召喚し、山吹にけしかけた。

「アヤカシになっても兄と慕う人がいるのに……あの姿で人に害をなすなんて!」
 二階。天奈の護衛についていた乃木亜が、怒りに震える。
 長いこと飢えを抑えていた様子だから限界だったのかもしれない。
 どのみち、もう正体を隠す気はないようだ。
「ここも危なくなる。下がって! 裏口から逃げるんだ」
 弖志峰が天奈や柚子平を後方に押しやる。二人の腕に触れて祈り、精霊の加護を与えた。更に直衛の刃兼と乃木亜に精霊の加護を与え、二人の体が淡く輝く。
 そして大蔵は猫又浦里とともに、柚子平の護衛として付き従っていた。

 アレーナ・オレアリスが空龍ウェントスと崖上から真下へ飛来する。
 山吹を上空へ逃がさぬ為だが、一気に地上へ降りても山吹は逃げる気配を見せない。聖堂騎士剣で山吹の腹を塩に変えようと試みたが、オレアリスの狙いは外れた。山吹は胴を貫いても、呻く程度で消滅する様子はなく、挙句コウモリ拡散で空龍に群がって食い殺そうとした。
「そいつを飛ばせるな、逃げられるぞ!」
 空龍ごと攻撃する訳にもいかず、執拗に食おうとする蝙蝠を潰す。腹の膨れた蝙蝠はバサバサと隣の建物の中に入っていった。中にいるのか、消えたのかもわからない。
「消えた!?」
「俺が探す! 羽九尾太夫!」
 弖志峰が二十メートル四方に瘴索結界を張り巡らせ、仙猫に猫心眼を命じた。刹那。
「神音ちゃん、後ろだ!」
「あ――、」
 蓮の声が途中で途切れた。

 一方、呪詛射程外を警戒した水波は望遠鏡で様子を見ていた。
 空龍の驟雨と一気に間合いを詰めるすべは確保していたが、皆の威力にひるんだ山吹が次々と呪詛をかけ、近距離の蓮を洗脳した。慌てて飛来し、山吹と蓮の間に割って入った。
「驟雨、持ちこたえて!」
 空龍が腹を捌かれて食い殺されかけるまでの僅かな時間に。
 水波は、解術の法で仲間の異常を解いて回った。
 そうはさせまいと放たれる放電。
 広範囲に及ぶ放電の帯電状態は、二十秒も人の肉体を内部の臓腑から焼き続け、皆を痛めつけた。ただの人間に過ぎない天奈は一発で死にかける為、閃癒と加護結界を扱える弖志峰たちが常時傍にいる必要があった。
 場合によっては間違いなく死んでいただろう。
 萌月は浴びた雷が体内を駆け巡る状況に渋面をつくりつつ、仲間が攻撃する様を観察し続けた。現状では山吹に効果的な攻撃手段が分からない。粘泥の様な体を刻んでも、核らしきものが見つからない。
 焦燥感を感じながら、じりじりと時だけが過ぎていった。


「痛い、痛い、痛い!」
 放電で焼かれ続ける痛みに耐えかねた天奈が、射程から逃れようと走り出した。
 乃木亜と刃兼、弖志峰が後を追う。
 遠方で森に隠れていたローゼリアも気づく。
「彼女、根性は口だけですわね。最も常人に現場で体の炭化を繰り返せ、というのも酷な話ですけれど。桔梗、保護対象がこちらへ来ます。山吹も追ってくるはず。援護しますわよ」
 漆黒のマスケットを抱えて、ローゼリアが走り出す。
 一方、天奈はかずら橋を渡り、朱塗りの鳥居をくぐり抜けて、神社の果てに消えていく。それに山吹が気づいたのは随分遅れてからだ。急ぎ転移したが、何故か参拝道の前で出現し、遠ざかる刃兼の背を見上げた。雷が届かないと知るや、人型の足で追いかけていく。
 酒々井とオレアリスたちも慌てて追いかけたが……
 ネネはある事に気づいた。
 境内の中へ、山吹が転移しなかった。
 今は保護対象と護衛が離れている。さっさと転移で捕らえて捕食すれば早いのに、それをしない。
 かといって力が尽きている様子もなければ、遊んでいる様子もない。
 導かれる答えは一つ。
「私たちも天奈さんを追いかけましょう。紫陽花さんもつれて!」
 柚子平と大蔵が首をかしげる。
 蓮が「どうして?」と尋ねた。
「山吹の転移には一定の制約があるのかもしれないです。……多分、瘴気の殆どない聖域には転移できない。同時に聖域内の転移も封じられるはず。そうすればきっと大抵の術も当てられる。こんな道端にいるより、安全なはずです」
 そうですよね、とネネが柚子平を仰ぐ。教職にある柚子平は「冴えてますね」と褒めた。
 ネネの分析で、戦況は若干変化していく。

 境内に逃げ込んだ天奈を、刃兼たちが取り囲む。
 おってきた山吹は、形状は人間だったが、その形相は既にアヤカシそのものだった。
 飢餓のせいで、意識が食欲に傾いている。
 刃兼は山吹に向かって吠えた。絶叫が響き渡り、山吹を威嚇したが、まるで怯む様子はなかった。天奈との間に割入り、鋭い鉄のような爪を幾度となく弾き返す。それでも山吹の方が早い。腹を貫かれ、地面に縫い付けられた。
「化物に乗られる趣味は、ない!」
 刃兼が山吹をひと蹴りして、間髪入れずに逆さ袈裟に刃を走らせた。
「蛸でも蹴ってるみたいだ、な」
 ざ、と身を引いた。
 血で着物が濡れていく。
『血、チ、血ィィィッ! アァァアァ!』
 心覆で殺気を隠した乃木亜は、天奈を庇うように爪を受けた。鮮血が迸る。
 山吹を境内に繋ぎ止めておくには、絶えず食欲を刺激し続けなければならないと判断した。
 襲われた乃木亜は七色に輝く鉄扇で、山吹の横顔を打った。
 梅の芳香が漂う。
 仲間を食おうと狙う山吹に、森の中のローゼリアが挑発を飛ばし、銃弾をうちこんだ。
「汚らわしい姿ですわね。所詮、あなたは神の器などではないということですわよ。死んだ生成姫と同じように!」
 銃撃で肩を貫かれて動きを止めた山吹が、狙撃手の居場所を探る。
 その瞬間を待っていた。
「参りますわ!」
 後方に迫ったオレアリスが殲刀を構え、大蔵がドラグヴァンデルを振るった。
 挟み撃ちだ。
 青みを帯びた切先が、幾重にも分裂する。
 首を狙って縦に一閃された大蔵の刃は、僅かに狙いを外し、山吹の肩から胴を薙いだ。左腕がちぎれかかっている。痛みを感じるのか、山吹の口から獣のような咆哮が零れた。血の代わりに放出される瘴気をおさえ、切断面は触手を伸ばすように修復を試みていた。
「次は外さん!」
 オレアリスは空龍で間合いからの離脱を選んだが、大蔵は違った。
 放たれる雷撃の間合いに踏み込み、負傷覚悟で首を狙う。
 鬼神の如き一撃。鈍い音がして首が落ちた。
「やったか!?」
 ところが山吹の体は動き続けた。
 切り口からの瘴気放出が止まり、断面に巨大な目が生まれた。化物の姿のまま、刃物のように鋭い爪を振り回す。一方、落とした首は苦痛に歪んでいたが、断面から砂の造形が崩れるように、瘴気に還った。
「あの状態でも人の知恵って動いてるのか?」
「大蔵さん、胴体に……核みたいなものは見えましたか?」
 消耗気味の刃兼と萌月の声に「わからん」と素早く返す。
「切り落とせば、削れはするようだが、ある程度の修復はするんだろう。……どことなく鬻姫に似ているな。人としての見た目の部位に、何ら意味がないかもしれない」
 だが。
 ネネが言うように境内の中で、山吹が転移する気配はみせない。
 その代わり、山吹の形状は変化しつつあった。肥大化し、地を這う獣のような、よくわからない形状に関節が歪んでいる。既に山吹もかなりの力を消費しているはずだ。食えそうな人間がいない上、転移不能な状況は不利と悟ったのか、山吹は放電を放って数名を呪詛すると、瘴気の殆どない境内から参拝道を目指し始めた。
 ネネが叫ぶ。
「聖域の外へ逃がしてはダメです! 転移で逃げられてしまいます!」
 オレアリスが空龍と道の出口へ先回りする。
 雷で瀕死の天奈と戦えない紫陽花、食われかけた乃木亜と刃兼の為、弖志峰と水波が残った。癒しの光が皆の体を包む。猫又たちと大蔵、萌月や蓮、ローゼリア、そして酒々井が追いすがる。
「まさにバケモンだな、次で決めてやる!」
 酒々井が左右の篭手を構える。風神と雷神が刻印された篭手が、桜色の燐光を纏った。
 初手、内部からの炸裂で人型が崩れた。手頃な餌をすぐに食ったのだから、アレは内部からの衝撃に弱い。再び地を蹴り、山吹へ迫る。
「おおおおおおおおお!」
「やああああああああ!」
 酒々井と蓮の攻撃が、内部から山吹の殻を衝撃波で破る。ローゼリアの銃撃が首だった場所の目を潰し、大蔵と萌月の刃が、手足を地に縫い付けた。

「『――――カミが』」

 それは山吹の声ではなかった。
 既に大蔵が首を落としたのだから。
 この歪な肉の塊に、首はない。唇はない。第二の目は潰した。
 一体どこから、と周囲を見回しても、誰もいない。

「『必要ダト、分かってイルはず』」

 山吹の肉が脈動し、傷を塞いでいく。再び打撃を打ち込むと、腹のあたりから背筋に、何かコブのようなものが動いてきた。赤子の拳ほど膨らみは、徐々にはっきりとした線が入る。人面瘡だった。小さな唇がぼそぼそと何かを喋っている。
 瞼があく。
 真っ赤な瞳と、目があった。

「『シネ』」

 少女のような懐かしく可憐な声と共に、想像以上の雷が放たれる。取り囲んだ者たちの体に、容赦なく流れ込んだ。臓腑が焼けていく激痛に呻いていた所へ、大きな影がかかった。
 どん、という鈍い衝撃。
 水色の刀身が、人面瘡を貫いていた。
 放電が止まる。飛び降りた刃兼の体重に押されて巨体が地に崩れた。
「お前は神じゃない」
 物言わぬ肉塊は、それでも動こうとした。
 地を這うように、転移できる場所へ移動しようと蠢いた。けれど……途中で力尽きた。
 瘴気に還っていく。

 大アヤカシ生成姫が残した御印。
 山吹は繭を作り、羽化する前に、その役目を終えた。
 多くの人間を食い殺し、沼垂の里を破壊し、大勢の未来を歪め……奪い取りながら。