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■オープニング本文 前回のリプレイを見る 開拓者の中には、名をあげる者も時折現れる。 大規模な組織に所属していたり、特殊な武具を保有していたり、高名な人物に覚えめでたき者や、大アヤカシや上級アヤカシを葬るような功績をあげた者だ。ことギルドの賞金首や指名手配犯を手に掛ければ、その名は開拓者中に広まるといっても過言ではない。 だからこそ。 昨年の冬に神楽の都を襲った、生成姫の妖刀「飢羅」を滅した彼らは、いっとき時の人となった。 上級アヤカシを破壊し、開拓者ギルドを裏切った恥さらしを処刑した……誇らしい仲間として賞賛された。 誰もが道行く彼らに振り向き、新米開拓者は羨望の眼差しを向ける。 彼らがいれば安心だ。 いつか彼らのようになってみせると。 けれど人々は知らない。 絵に描いたような正義だけでは、険しい道を渡ることはできないこと。 この世に、一切の秘密を抱えない人間など存在しないこと。 栄光の代償は、計り知れない苦悩と重責との引き替えであること。 華やかで栄光の道を歩く彼らの手が、真っ赤な血で濡れている、ということを。 + + + 凡庸な飛空船が空を飛んでいた。 五行国内や神楽の都に荷を運ぶ、民間人の商用飛空船である。 「人間一人の痕跡を処分するのは結構面倒な作業でしてね」 狩野 柚子平(iz0216)は緑茶を片手に、かつて御彩・霧雨(iz0164)と呼ばれていた男と向き合っていた。 ざっくりと切られた後ろ髪、顔の半分を隠す汚れた面や額あて、かつての高価な狩衣とは程遠い灰まみれの漆黒の作業服。彼はこの船の空夫、つまり従業員として働く為に連れてこられた。 「なにしろ『御彩霧雨』という人物は、アヤカシに組した世界の裏切り者ですからね。ご遺族も犯罪者の遺品を取りにこられないだろうと判断した心優しい私が、遺品や家財道具を全て売り払い、長屋を引き払ってきたりと大忙しでした」 つらつらと近況報告の中で、罪人の甲龍を封陣院の分室で引き取った事なども報告した。 長年労苦を共にした朋友が処分されなかった事に、ほっと胸をなでおろしたのが分かる。 「ところで君には、新しい名前が必要ですねぇ」 「だろうな」 「そこで有能な私は、船主に『陽炎』と紹介しておきました。いかにも影が薄くて余命がなさそうな名でしょう?」 「オィ」 「さて陽炎君。君は私の密命を受けて、潜伏先に此処『晴天』が選ばれた事になっています。莫大な支度金と引き換えに、船主は貴方に最大限の便宜を図ってくださるでしょう。しかし、あなたが潜伏任務に失敗すれば、芋蔓式に私が巻き込まれてしまいますので、いざという時は容赦なく斬ります。覚悟しておいてくださいね。陰陽術の使用は無論禁じます」 「……おぅ」 彼は全てを失った。 家や家財、高級な装備や資産、陰陽師としての経歴どころか名誉や名前すらも。帰る故郷は無く、かつての恋人や親しい友人にもあえず、なじみの店にも足を運ぶことだって許されない。 命つきるまで外界との接触を断つこと。 それが生存と引換の代償である。 「すまない。……感謝、してる」 「感謝する相手が違いますよ。あなたには何もない。武具を持つことも昔の友人と会うことも許されない身です。何処から何が知れるか分かったものじゃない。よって私も此処へは来ません。命令は樹里や船主を通します」 茶器を円卓に置いた柚子平が、手荷物の風呂敷を解く。 風呂敷の中身は、掌ほどの小さな人妖だった。 大切な女性に面影が似ている。 寝ぼけているのか目を擦っていた。 「私からの餞別です。懐か帽子にでも入れておいて、人前では決して出さないように。樹里ほど有能ではありませんが、イサナの研究過程で生まれた試作型なので、大抵の怪我や低級アヤカシは対処できます。話し相手位は必要でしょう。名前をつけてやる事です……到着したようですね」 飛空船は神楽の都に荷を運んでいた。 お忍び、でこの商船に乗り込んでいた柚子平が人妖の樹里と船を降りる。 見送りに出た陽炎の前で、何故か立ち止まった。 「ゆ……狩野様? お忘れ物でしょうか?」 「陽炎君。君には全く関係のない話をしますが……私にはとてもお人好しな小間使いがいました。一介の寮生時代から好き勝手に飛び回る私の後始末を任され、嫌な顔をしても仕事はこなし、貧乏くじばかりひいた、一般的にはかなり可哀想ですが、使い勝手のいい雑用係な友人です」 人妖の樹里が陽炎を見た。 陽炎周辺の空気が澱んでいる。 「私は有能な研究者でしたので、学び舎を出て昇進を繰り返しました。かたや小間使いくんは出世とは無縁の底辺暮らしです。良い家の生まれのはずでしたが、才能が花開かない。しかも腐れ縁の私にいいように使われる。挙句守られた立場と知らず、自ら犯罪行為に手を染める……愚かな人物だと思いませんか。ねえ陽炎君」 見かねた人妖の樹里が「ゆ、ゆず」と主人の髪を引っ張る。 空気が鉛のように重い。 「彼は救いようのないお馬鹿さんでしたが、何故か羨ましいほど友人に恵まれていました。危機的状況でも手を差し伸べてくれる人々です。……臆病な私には、手に入れられなかったものです」 静寂が満ちた。 「陽炎君。私はね……幼い頃から誰も信じず、暗い欲望を満たす為だけに生きてきました。口では『守る』と言いながら『兄弟を陥れる』ことも平気でやる冷酷な人間です。そんな私を、どこかのお馬鹿さんは見捨てませんでした。散々文句を言いながら、おだてず、恐れず、憎悪せず、真っ直ぐな目で、垣根のない友人としての付き合いを続けた。それが如何に心救われるものだったのか……彼は知らずにこの世を去りました」 つまらない話につき合わせた詫びに、と。 柚子平は駄賃替わりに翡翠が詰まった小袋を渡した。 換金すれば、暫くは苦労なく暮らせる額だ。 すれ違いざまに小さな声が、陽炎の耳を掠めた。 さよなら親友、と。 + + + ギルドに到着した柚子平は、噂の的になっている開拓者たちを集めた。 「皆さん、人気者ですね」 「イヤミか」 「とんでもない。さて、労いに温泉でも、と言いたいのですが、刀匠夫妻、覚えていますね?」 「ええ」 「先の一件以降、気がついたら奥方が正式に開拓者登録されていました。奥方の出自は疑わしいとはいえ確証はなく技量は充分でしたから。あとここ近日、お店は開いているものの奥方の姿が見えないそうで」 「どうするんです?」 「それがですね。最近、私、偉い人に呼び出される事が増えてしまったので、……あまり各地の状況が分かっていないんです。色々変だと聞いてはいるのですが」 「上? 召集に応じるなんて珍しいな。身動きがとれないって事か」 「ええ。お暇な方がいれば調査をお願いします」 人目を避けたい人は、精霊門から結陣へいった後に陸路ではなく、結陣と虹陣をつなぐ『晴天』という商船を使うといい、と柚子平は言った。 |
■参加者一覧
酒々井 統真(ia0893)
19歳・男・泰
乃木亜(ia1245)
20歳・女・志
大蔵南洋(ia1246)
25歳・男・サ
水波(ia1360)
18歳・女・巫
弖志峰 直羽(ia1884)
23歳・男・巫
萌月 鈴音(ib0395)
12歳・女・サ
アレーナ・オレアリス(ib0405)
25歳・女・騎
天霧 那流(ib0755)
20歳・女・志
ネネ(ib0892)
15歳・女・陰
蓮 神音(ib2662)
14歳・女・泰
ローゼリア(ib5674)
15歳・女・砲
刃兼(ib7876)
18歳・男・サ |
■リプレイ本文 誰がどこへ行くかを相談している時、刃兼(ib7876)が独り言を呟いた。 「飢羅を倒した賞賛、か……正直、慣れないな」 刃兼は、羨望の眼差しから逃れるように部屋へきた。 確かに討ち取った。 上級アヤカシを滅する事は、開拓者にとって誇れる功績には違いない。 得たものは多いが、失ったものも多い。 救いを求めた文彩雪は死んだ。勝也は利用され、一度は我を失った。けれど生成姫を侮らせる事はできた。魔の森の汚染が緩やかになったこと。生成姫に浚われた子供達の実態の解明。どうにもならなかった沼垂の悲劇。狩野家の秘密。妖刀飢羅の破壊。忌み子の解放。罪のない洗脳された子供達の処刑…… めまぐるしい日々だった。 「俺は……ただ我武者羅に、少しでも悪い方に転ばないように、進んだだけだ」 「そうですね。私たちは最善を探した……はずでした」 望まず洗脳された子とはいえ、人の子供を手に掛けた。友人を救う為、ギルドに偽の報告をした。他意のない賞賛の声は、乃木亜(ia1245)の心臓を締め付けた。 欺いているという、後ろめたさが消えない。 賞賛にたる資格があるのかを考えてしまう。 英雄とは、一体何なのだろう? 刃兼達が悩む一方で、ローゼリア(ib5674)は微笑んでいた。 「英雄、ですの……ふふ、いいではありませんか。背負う業の名前としては十分ですの」 弧を描く口元に微かに残る、皮肉の色。 ギルドの人前で、ローゼリアは賞賛に胸を張っていた。躊躇いはない。偽りも、偽りと知らぬ者には真実だ。影を感じさせない背中は、覚悟を負った者の強さがあった。 いつか後ろ指を指されても後悔はない。 それで理想を掴めるならば。 悩んでいる刃兼達を気遣うネネ(ib0892)が「これもひとつの決着、ですから」と告げた。 「そうだな。今は……まだ真の意味で終わったわけじゃないから、止まるわけにはいかない。白螺鈿、調べに行くか」 「じゃあ私は結陣へ行きます。柚子平さんと作戦会議したいこともありますから」 ネネの明るい声にローゼリアが微笑む。 「ようやくひとつの終わり……いえ、きっとこれが始まりですのね」 「ああ、まだ終わりじゃないさ」 似た決意を弖志峰 直羽(ia1884)は胸に抱いていた。 「全てに決着がつくまで、立ち止まってはいられない」 キレイゴトは簡単なようでいて、とても難しい。 全て救えたら、どんなに幸せだろう。理想を夢見て届かぬ現実。救おうと意気込み、理不尽に奪われる命を見た。関わらなければ生きていた人々。仲間や己を守る為に、罪のない命も狩った。真実ではないと知りながら、友を救う為に偽証した。選んだ道の正しさを、己に問いかける日々。 理想の高嶺を目指せば、代償も大きい。 人生とは選択の連続である。 「それでも俺は選んだんだ」 「私もですわ。私は虹陣へまいりますわ。商船でしたかしら」 ローゼリアの確認に、柚子平が頷く。 「結陣に着いたら、樹里に口利きを頼んでおきます。そこに陽炎さんという空夫がいますから、身の回りの世話は全て彼に頼むといいでしょう。最近まで、生死の境を彷徨っていましたが、今ではピンピンしてますので」 その言葉を聞いた蓮 神音(ib2662)は「よかった。元気になったみたいだね」と天霧を振り返った。弖志峰は話をきいて、ほっと胸をなで下ろした。天霧を一瞥して、自分の手を握りしめた。 大蔵南洋(ia1246)が声を投げる。 「今は『これでよし』とするよりあるまい。どのような未来も、死んでしまった者には訪れぬ。生きてあればこそだ」 話を聞いていた天霧 那流(ib0755)は黙っていたが、やがて気遣う蓮たちを振り返ると、可憐に微笑み。 「やはり一発殴るのは御約束よね?」 「ええ!?」 「どのみち私の行く場所は決まりね。虹陣と沼垂調査にいくわ」 「俺も一緒に行くよ。殴って傷が開かないように、傍につきそっておく」 と弖志峰が冗談めかして笑った。隣にいた乃木亜は現地で頼れる人間がいないかを柚子平に確認しつつ、ネネとともに願いを叶えた事について柚子平にお礼を述べた。 蓮が少し迷う素振りで天井を仰ぐ。 「陽炎さんや鬼灯も気になるけど、神音は白螺鈿の調査に就く事にするよ。夜の精霊門開放まで時間もないし、ちょっとギルドの名簿でヨキさんについて調べてくるね。依頼でいないのかは確かめておかないと。すぐ戻るから〜!」 蓮が飛び出していく。 「陽炎さま……ですか」 水波(ia1360)は少し考えてから「陽炎は摩利支天の象徴とも申します」と微笑んだ。 執念深い山神の復讐を逃れるには似合いの名前だと思ったのだ。 「私は白螺鈿へ参ります。裂雷、飢羅二振りの妖刀を失ったことで、生成姫がねちっこい報復をして反攻してくる可能性を考えれば、油断無く次の戦いに備えねばなりません」 アレーナ・オレアリス(ib0405)は陽炎がおとなしくしてくれることを密かに祈りつつ、話に耳を傾けた。 「それにしても腐る土地……兵糧攻めでしょうか?」 白螺鈿の噂を聞いたオレアリスは、妖刀飢羅を喪ったことで生成姫の戦略が変化したのでは……と考えていた。次の一手を読むには、情報収集に徹するに越したことはない。オレアリスは神楽の都で、市場を訪れ、今年の作物の出来高情報を調べにいくと姿を消した。 夜には精霊門の前に戻るらしい。 萌月 鈴音(ib0395)は「鬼灯に行きます」と手を挙げた。 「鬼灯に巣くっていた祟り神真朱に始まって……妖刀裂雷、亡霊姫白琵琶、妖刀飢羅までも討たれ、それなりに手勢を失った訳ですから、……生成も事態に気づけば何かしらの行動を起こすでしょう」 大蔵が立ち上がった。 「拙者も鬼灯を訪ねようと思う。天奈殿との約定も忘れたわけではないが、境城和輝殿に聞いておきたい事がある故……時間があれば、彩陣へも顔を出すつもりだ」 酒々井 統真(ia0893)も「鬼灯へいく」と言った。 「白螺鈿の食糧難は気になるが、俺の場合、白螺鈿は農場の仕事でちょくちょく様子見に行くしな。鬼灯は、信奉者たちが入り込むのに丁度いい状態でもある筈だ」 五彩友禅の品不足調査ときいて、里を訪ねたのはいつだっただろう。 思えばあちこち遠くへいったものだ。 深夜、精霊門を飛び越えたローゼリアは、結陣の夜道を歩きながら物思いに耽った。 「誰とは言いませんが……彼とはナマナリを追った私の開拓者としての初依頼から付き合っていたのですよね。意外に長かったものです」 それは生成姫の実在が確実視される以前のことだ。 「互いにあまり良く知らない内にこんな事になってしまい、残念ですわ。一度お酒でも酌み交わしたかった所ですが」 「いつかできるよ! きっと! 今は無理でも、いつか皆でお酒飲んで、馬鹿な話で盛り上がって、那流おねーさんを幸せにしてもらう為にも一日も早く生成をやっつけないと!」 蓮の訴えに「そうですわね」とローゼリアが笑った。 意気込む仲間たちの会話に耳を傾けながら、萌月が寒空の月を見上げる。 「……魔の森に篭られては、手の出し様も無いですし……何とか、生成を外に出さないと」 それは不可能にも近い望みではあったが。 「森の外、ですか」 柚子平の関心を引いたことを、萌月は聞き逃さなかった。 そして仲間たちは、其々の目的地へ散っていく。 翌朝。 柚子平に教えられた飛空船の前には、小太りの男がいた。 「失礼。樹里殿の手紙にあった、開拓者の方々ですかな」 「ええ。私、砲術師のローゼリア・ヴァイスともうしますの。右は乃木亜、左が弖志峰直羽。そしてこちらが天霧那流。みな仲間ですわ、よしなに」 結陣から虹陣へ。 柚子平に教えられた商船『晴天』へ乗り込んだ開拓者は、狭いながら客人用の部屋を割り当てられた。接待を陽炎一人に指名し、扉の前ではからくりの刺刀が番を務め、閉じられた部屋の向こうで行われている事と言えば。 「ほんっとにどれだけ心配かけさせれば気がすむのよ!」 「〜〜てぇ、俺、病み上がりの病人だって」 天霧と陽炎の痴話喧嘩だった。 「見事な拳でしたわね」 「舌噛んで治療、とかでなければいいんじゃないかな」 ローゼリアと弖志峰が長閑に見守っている。これ以降、しばらく二人は会えなくなると分かっているからか、天霧が落ち着くまで、乃木亜達は様子を見守ることにしたらしい。 罵詈雑言が飛び続けた後、天霧が肩で大きく息を吐いた。 「もういいわ。喧嘩してお別れじゃ、寂しすぎるもの。これ、お弁当の差し入れ。好きなおかず教えてよね、今度作ってくるから」 弁当を手渡す。 「……別れを、言わないんだな」 陽炎の呟きを聞いて、天霧は陽炎の頬をつねった。 「いひぇ(いてぇ)」 「ほんとバカね。なんと言われても、あたしはあなたの婚約者のままよ、これから先もずっと。又会いに来るのは当たり前じゃない。……生成姫を倒せば、誤解を解いて還俗できると思うの。それまで待っててくれる? あなたを元の名で呼べるその時まで」 「……待つも何も、捨てられるか怯えるのは俺の方だよ」 短く切られた後ろ髪、顔の半分を隠す汚れた面や額あて、かつての高価な狩衣とは程遠い灰まみれの漆黒の作業服。それでも笑う素顔は、昔のままだ。 弖志峰の口元が優しい弧を描く。 「……今は陽炎さん、か。生きていてくれて本当に良かった。それだけが俺の救いであり誇りだよ」 思い出すのは、噎せかえる血の臭い。 硬直していく肉の感触。冷えていく死肉の感触は、なかなか忘れられるものではない。 乃木亜がおずおずと近づく。 「少し、よろしいですか。お話があります。陽炎さんでなく、あなたに」 霧雨に。 ゆっくり近づいた乃木亜は、陽炎たちの前で膝を折った。 「……まず、こういう結果になったのは私が言い出したことが原因ですし、その事について謝らせてください。これからは自由もなく、何も出来ないことに歯痒い思いもすると思います。ですが耐えて下さい。あなたが生きている事は、私達が生成姫から勝ち取った数少ない成果であり、希望なんです」 「……俺は、感謝してるよ。世話をかけた」 天霧も乃木亜の肩を叩く。 「そうよ、謝ることなんてないわ。私は、この人が生きててくれて嬉しい、例え堂々と会えなくたって。こうやって触れる事ができるもの。そりゃ、前みたいに一緒に出かけたりできないのは寂しいけど、仕方ない事だって我慢できる。この人の命を守る為だもの」 寄り添える幸せ。 全てを失ったわけではないことに、乃木亜は「はい」と呟いて仕事の顔になった。 「時間もありませんし、生成姫の所に行った時のことを教えて貰えませんか?」 弖志峰も手をあげた。 「それ、俺も聞いておきたいな。取引の話。あの子供達に、生成姫は何をやらせようとしていたのか」 「みんなも気にしてるけど、生成姫とどんな取引をしたの?」 天霧を膝に乗せたまま、陽炎は「いや、生成姫とは話してない」と返事を返してきた。どうやら上級アヤカシを介して霧雨の取引が成立したらしい。仲介を行ったのは、魔の森に浚われた時、生成姫に羽衣を届けた、あの女型のアヤカシだったという。 「何を願ったの」 「……俺の余命延長がひとつ。もう一つは、彩陣にいる睦彩本家の子供を見逃して欲しい、手出しをしないで欲しいと頼んだ」 「睦彩本家?」 「彩陣にひとり、生まれたハズなんだ。志体持ちが。睦彩幸司の姉貴が、去年の七月初めに娘を生んだ。それで幸司から色々聞かれてたことを思い出した。成長すれば、俺と同じ目にあう。そうでなくても、例の子供たち同様に浚われるかもしれないじゃないか……単なる先延ばしにしかならないって、わかってたけど、俺」 霧雨に命じられた役目は、二人の少女の身元保証人の役割と搬送だった。 それ以上は教えられていないらしい。 虹陣に飛空船が到着するまでの短い時間、彼らは和やかな時を過ごした。 「そうだ、こいつに名前つけてやってくれよ。柚子平が置いていったんだ」 「誰かさんにそっくりですわね」 ローゼリアが天霧と人妖を見比べる。 「あいつ、こういう造形は得意だったからな。で、いい案ないか」 ローゼリアが「人妖の名前ですか」と唸る。 「那流の名前を逆さにして『ルナ』というのはいかがですの?」 天霧も首をひねっている。 「私も余り良い案が浮かばないけど、陽光(ひかり)でどうかしら? 陽炎さんだし、未来への希望の光があなたを照らしてくれるように」 「それじゃ、二人から貰おうか。陽光ルナ、て」 乃木亜は人妖の陽光ルナに「この人をお願いしますね」と言って紫苑のマントを贈った。天霧の髪と同じ色で、少しでも寂しさを紛らわせて貰えたらという願いからだ。天霧もまた「彼の事、お願いね」と囁いて、小さな人妖に髪留めを結んだ。 ふとローゼリアが悪戯っぽく「お酒を一緒に付き合ってくれません?」と、陽炎に話しかけたが「一応仕事中だから」という返事をされた。 「そういうところは相変わらず真面目なくせに、突拍子もないことをしますわよね」 「反省してるって」 「反省で済んだら、私たちは苦労してここにいませんのよ。まぁいいですわ。事が片付いたら、このお酒に付き合って頂きますからね」 ぴし、と指差すローゼリアの隣で弖志峰が笑う。 「そーそー、陽炎さん……いつか皆で一緒に酒でも飲もうね」 いつか。 大地に降りて、遠ざかる飛空船を振り仰ぎ、ローゼリアは手を振った。 「……迷い道を誤る事は罪ではないと私は思いますの。彼は…頼る相手を少し間違えてしまいましたけどね」 「次は間違えられちゃ困るわよ」 「同感」 「右に同じです」 笑える心の余裕が、幸せだと思える時間だった。 ところで。 以前、次代を失った鬼灯の卯城家では何故か子供の声が溢れていた。 当主の意向で屋敷が寺子屋に似た役割を備え、少し大人びた子供は迎火衆に加わったり、屋敷に奉公へあがっている娘もいた。山道入り口や町の片隅には、国から派遣されている陰陽師の寄り合い所もできていたが、物々しさはまるで感じられない。 「鬼灯くるのも懐かしいね?」 人妖のルイが酒々井に囁く。 「お久しぶりでございますな」 鬼灯の里を取り仕切る二大地主の一人、卯城家の当主が出迎えた。 「ああ、金が出来たから五彩友禅の山上でも手に入れてみようか、とな。あがっていいか? 八月の葉彩か十二月の御彩のがあれば最上だが」 「勿論。しかし山上をお買い求めとは……お相手は昨年お祭りでお見かけした女性ですかな」 「ほっとけ。……で、あるのか?」 「ございますよ。ある筋に全在庫を流す前で助かりました。境城の方から持ってこさせます、しばしお待ちを」 現在、友禅の商いは境城家が主体になってはいたが、互いに助け合っているようだ。 普段は腰を曲げた年寄りに過ぎない卯城家の当主も、今まで度々雇っていた酒々井が客人として現れたので、品物を揃え、仕事の顔で接した。 「お待たせ致しました。只今お出しできる本年度作の山上は、皐彩家5月作品の『朧ノ藤灯』、文彩家と葉彩家合作の珍品『薫風花扇』、そして御彩家のご当主作『天香国色』の三点でございますね。最近は各月のお品より、季節を通して着られる品が好まれておりまして」 「天香国色は、来月の山渡り分のはずでは?」 営業を遮った萌月の質問に、卯城の当主は気を悪くする風でもなく、物寂しげな顔を向けた。 「……霧雨殿が亡くなったと聞き、遺髪を見てお倒れになったそうです。例年でしたら今季に最後の一枚染めるはずが、悲しみで友禅を染めるわけにはいかぬ、と筆を置かれたとか。来月の渡りはなくなり、二着をこちらに、一着を手元に。恐らく暫くは……」 萌月と酒々井が顔を見合わせた。 「そうか……じゃ、御彩に決める。金はこれな。配送先は……書いたほうがいいか」 「かしこまりました。すぐに手配を。この友禅を纏う方には、末永く幸せになって頂きたい。この『天香国色』は、その為に染められたお品です」 彩陣の里長の手で『ただひたすらに纏う者の幸せを願って』染められた五彩友禅の一着が、酒々井の自宅へ後に配送される事に決まった。 酒々井が当主の顔を伺う。 「……長いこと、顔を出せなくてすまなかったな。誰か心の支えはできたか? 和輝以外に、卯城家を継ぐ有能な後継者候補が見つかったりとかは、しないのか?」 それは近況を伺う風を装った調査だったが、幸いにも酒々井の懸念しているような事はなかった。 「そうですなぁ、今の私には里の子供たちで十分ですよ。跡継ぎの事も、統合すべきか、子供たちから新たに見いだすか、迷っている所です。儂も歳ですからな」 「外部から新しい奉公人をいれたりしないのか」 「いたしませんよ。片親を亡くした子供たちの為に、仕事はとっておかねば成りませんからな」 萌月が躊躇いがちに話を切り出す。 「あの、個人的な話になりますが……昔あった飢饉について、お伺いしたいのですが」 それは今から数えて三十二年前。 天儀歴980年、ジルベリアとの国交が樹立した年のことである。 鬼灯の里では飢饉が発生した。不運にも鉱物が掘り当てられない年だった。里は疲弊し、弱い者は犠牲になり、里の子供を生かす為に、地主は苦渋の決断を迫られた。程なくして落盤事故が起こり、この時の『事故』を発端として悲しい事件が連鎖反応を起こした。 異変を調査した開拓者たちが、それら事故に付随する友禅職人失踪の【山渡り】事件を解決したのが一昨年の事だ。 時が経つのは早いものだと語りながら、昔の記憶を遡る。萌月が確認で念を押した。 「……では、単なる日照りや長雨による不作では……ないのですね?」 「儂らも手当たり次第で改善に努めたが、稲が枯れていくのを止める事はできなかった」 「土壌が何かに汚染されて腐ったり、ということは?」 「そういうことはなかったな。むしろ翌年は豊作だった位だ」 一通り話を聞いた萌月は「そうですか」と呟いて、感謝を述べた。 酒々井は卯城の当主に宿の手配を頼むと、人妖のルイを屋敷において、萌月と町中へ出かけていった。 もうじき鬼灯祭が始まる。 卯城家は鬼灯祭を、境城家は舞姫の養育や神器の保管を担っている。忌まわしい風習と舞姫は失われ、伝説を伝えた神器は境城和樹の意向で処分されたと聞く。 それでも死者とともに続いた祭は、消えることがない。 里の飯屋で奥座敷を頼んだ酒々井が、鈴音と向き合って難しい顔をした。 「卯城の話、どう思う」 「……鬼灯の飢饉と今回の白螺鈿、全く方法が違います。鬼灯には毎回同じ方法で飢饉を発生させていたようですが、生かさず殺さずを選んできた。……でも、白螺鈿は」 「ナマナリが方法を変えた、ってことか?」 「詳しい事は分りませんが……類似点が圧倒的に少ないです。真朱による生贄制度がなくなり、山渡りで襲われる者が減って……生成が新しい餌場を探しているのかもしれませんが……白螺鈿の土壌汚染は何かの予兆のはず、……早く手を打たないと」 「だよなぁ。それにしても……、渡鳥山脈の向こうはあんなに異常だらけだっていうのに、どうして鬼灯は静かなんだ? まるであいつらの気配がない」 嵐の前の静かさに似ていると、ぼんやり思った。 その頃、大蔵は境城家を訪ねていた。 「では渡りや酒造りは順調に?」 「ああ、去年は右も左もわからなかったけど、今年は何とか」 境城家は一度、滅びたと言っても過言ではない。先代地主が生きていた頃、次々に屋敷の中の者が夢魔にとってかわられ、一時期はアヤカシの巣窟となった。ある日突然アヤカシが撤退し、空の屋敷に引っ張り出されたのが、大昔に滅んだ天城家の忘れ形見、天城和輝である。元より養子の話が出ていた為、和輝は境城の姓を名乗り、数少ない奉公人の生存者と境城家を継いだ。 「秋の新米を使った鬼灯酒の初絞りは来月だし、火入れの準備もこれからだ。おじさんが見たら、まだまだだと怒るだろうけどね」 国の保護を受けるようになってからは勿論だが、ここ最近、何故かアヤカシ被害は格段に減った。 死んだ徳志を見たという話も聞かない。 「やたら腕の立つ流れの開拓者の来訪は? 居着いているといった話はあるだろうか」 「君たちみたいな? ここはいろんな人々が通るけど、長期滞在とんると、目立った話は聞かないかな」 「さようか。それから白螺鈿に関して知らせておきたい事があってな」 大蔵は、白螺鈿の地主家四男の不審死に始まり、妹から聞いた地主家三男の誘拐事件と闇組織暗躍の気配、農地が次々に腐るという異常事態に、大アヤカシの影ありと訴えた。 「従って、相当にキナ臭い状況だ。正直、過去に狙われた天奈殿を安心して置いておける状況に無いと私は思う。あちらを任すに足る者もそうはおらぬのであろう故、難しい話であろうが……」 「ああ、そのことなのか」 「そのこと、とは?」 曰く、最近白螺鈿の治安悪化に伴い、天奈は如彩家長男の奥方から護衛を紹介してもらった、という。 駿龍の驟雨と白螺鈿へ飛んだ水波は、天城天奈様の家を訪問して、雑談がてら悪夢を見ることがないかを尋ねたが、特に変化がないらしい。 「身の回りに、何か変わった変化などはいませんか?」 「専属の護衛を一人雇うはずだったんだけど……話が立ち消えになった事くらいかしら」 「護衛?」 「道を利用する者が増えて私の仕事も忙しいし、短期で護衛兼秘書の開拓者を雇ってたの。男性開拓者とかね。でも経費は嵩む一方だった。いっそ開拓者以外に専属で頼もうか悩んでいたら、如彩の奥方が、適任者がいると話していたのよ。奥方の護衛で紫陽花、っといったかしら。彼女の妹を紹介するって言われたわ」 「それで」 「失踪したんですって。その妹。故郷を出てから、連絡がないそうよ。謝りにきたもの」 物騒な世の中よね、と天奈は呟いた。 白螺鈿へたどり着いた蓮は、如彩神楽の店を訪ねた。夜の店が多いとはいえ、まがりなりにも飲食店の経営者だ。訪ねてみると、近隣農家の打撃に伴い、少なからず影響を受けていたが、こちらはあっさり、遠方からの仕入れに切り替えているという。 「やっぱり陸路?」 「勿論。鬼灯と白螺鈿を結ぶ直通の山道よ。使えるものは使わなきゃね。今だから言えるけど……いい仕事したんだな、って思ったわ。昔は正気じゃない、と思ったものだけど」 「それって」 「虎司馬よ。私は今でも大っキライだし、あいつの遣り口に同意もできなきゃ、擁護する気はないわ。女の子手篭めにするようなクズは死んで当然。だけど……あいつが一人でやってきた横暴なアレコレが、今、白螺鈿を支えているのよ。不思議なものよね」 その後、残念ながら蓮は、幸弥と誉を捕まえることはできなかった。 二人の担当区の農地が最も被害を受けており、寝る暇もないほど忙しいらしい。 「じゃあ、恵さんもいないの」 「はいです。いないです」 からくりの梨花が接待に出た。一日中歩き回ってクタクタだ。一緒にいない猫又のくれおぱとらには、蒼継のお店を見張るよう命じておいた。 「紫陽花さんはー?」 「ご主人様と一緒です。実は、紫陽花の妹が行方不明で、じっとしていられない、とか」 梨花曰く、紫陽花の妹を護衛として恵の知人に紹介する予定で招いたはずが、期日になっても白螺鈿に現れず、行方知れずらしい。ふぅん、と蓮は相槌をうった。 刃兼とオレアリスは、刀匠蒼継の店を訪ねていた。 まず刃兼は「妖刀との戦いに巻き込んですまない」と謝罪の後、事後処理の話になり「どういう経緯で、妖刀が刀匠の元まで来たのか、不明点が多い為、協力してほしい」と頼み込んだ。あくまで仕事ひいては業務処理上の一環である事を強調した。夫婦間に妙な不安を煽りたくない、という刃兼なりの気遣いがあった。 「あれは、妻の兄君が元々持っていたお品です。錆を取るために研いだ時、鍛えてる間もそうですし、ましてや喋るなどという現象も初めて目にしました。今思い出しても……」 蒼継は普通の人間だ。 アヤカシを扱っていたという事実や、恩人の屍を目撃したことは、少なからず心の傷になっているに違いない。刃兼は「もういい、すまない」と話を切り上げた。 「そういえば、奥方が開拓者になったという話を聞いたんだが……いない、のか?」 「はい。妹を探しに」 「妹?」 「兄君がアヤカシに取り憑かれていた事を故郷に知らせるべきだと話したら、すぐに手紙で返事が来たんです。妻の妹がこちらにくるはずでした。しかし一向に現れない。兄君がアヤカシに憑かれていた以上、何かあったのかもしれないから、と」 開拓者登録をすると、相応の権限が発生し、恩恵を受けることができる。ただし開拓者ギルドと契約を結んだ開拓者は、原則として神楽の町に居を構えなければならない制限がある。事情が事情だけにさっぱり家へ帰ってこない。 オレアリスがずい、と身を乗り出しました。 「蒼継殿、ヨキ殿が訪れそうな調査場所は考えつきますか?」 「すみません。全く。私は、刀鍛冶ですので……他の地域の事には疎くて」 「蒼継殿、ヨキ殿に知り合いの刀匠の事を聞かれたりはしていませんか?」 「聞かれるというか、私の友人関係でヨキが知らない者などおりませんし」 「それはつまり元より他の刀鍛冶を知っているということですか? 申し訳ありませんが、今すぐ名前と住所をお知らせくださいませ。刃兼殿、後をお願いします。夕方までには宿の方に戻りますわ!」 オレアリスは管狐のディンを連れて出て行った。 呆然と背中を見送った蒼継が、残された刃兼の顔色を伺う。 「……あの、彼女は何を調べにいかれたのでしょう? まさかヨキが妹の失踪を口実にして他の刀鍛冶に浮気をしている可能性とかじゃ」 「そ、そういう事じゃないと思う、ぞ?」 オレアリスの懸念は誘拐標的が変化した可能性だったが、事情を知らない者から見ると、こうなる。顔色が青から白に変わってオロオロし始めた蒼継を宥めることに苦労する刃兼が、蒼継が懐で握りしめているものに気づいた。 「それは、奥方から?」 「は、はい。毎週、手紙だけは神楽の都から届くんです。妹を見つけたら開拓者をやめて家に帰るから、と必ず一文添えられていますが……こ、これも嘘だったら」 「お、おい。早合点するな。妖刀からあんたを守る為に、実の兄貴を手にかけた奥方を信じなくてどうするんだ。……この手紙の住所、書き写してもかまわないだろうか?」 「はい?」 「俺も色々案件を抱えていて、あまり力にはなれないかもしれないが……一刻も早く奥方が戻れるように手伝うよ。奥方の兄君の方は、残念な結果になってしまったし……な」 「……ありがとうございます。ヨキをどうか助けてやってください」 こうしてヨキの居場所を手に入れた刃兼は、蓮の猫又くれおぱとらに見張りを任せる。 「次は市場に行ってみるか。作物が育たない、とか言ってたし」 悪天候による不作かと思いきや、どうやら違う。土壌汚染らしい。そして燃料不足により虹陣の材木屋が大儲けしているという話をきいた。街の様子を伺わせていた猫又のキクイチ、そして偶然、蓮と合流する。 蓮の話を聞いて、ふと霧雨が連れていた少女たちの事を思い出した。 共に処刑した幼い戦いの申し子たち。 「…………まさか、な」 ところで虹陣は活気に溢れていた。 わずか一年間でここまで里が再生するものなのか、と弖志峰は不思議な気持ちになる。 宿を確保した後、天霧とローゼリアは噂話を調べてくると言って、賑わう街の中へ消えていった。 「さて、俺たちどうしよっか」 乃木亜が悩み込む。 「……飢羅を滅ぼしたことで生成姫が人に対する認識を改める場合、魔の森の拡大が再び活性化する可能性がありますし、魔の森に近い虹陣でそういった兆候がないかの調査は必要だと思っています。あと失踪した子供がいるかどうかの調査も」 「うーん」 弖志峰は六月下旬頃、荒んだ虹陣を管理していた開拓者、刹那たちに虹陣で志体持ちの誘拐について尋ねている。 剣の華という義賊が活動していた当時、女衒が女児を売り買いすることは珍しくなく、消えても誰も気にしなかったという。一度は目立った胴元を摘発し、子攫いの数は激減したというが、根絶には程遠い……そういう話だった。 「一般的に志体持ちの発生率は、そう多いものじゃないし……ここ数年で失踪した子供たちを調べようにも、裂雷の騒ぎの頃を思い出すと洗い出すのは……そうだ、人買いの噂と孤児の収容施設があるか、調べてみよっか」 さらわれた子供の総数は不明だが『使える』まで育てるには、かなりの時間と手間がかかる筈だと弖志峰は考えていた。容易に補充がきかない以上、今も攫っている可能性は高い。 「……未然に防げるものは、防がないとね」 弖志峰と乃木亜は、紅木屋という最近有名になった材木商が建立した長屋をみつけた。 噂の若主人は、ここ数年の騒ぎで職を失った母子家庭や、子供たち数人にひと部屋を与え、最低限の衣食住を保証しているらしい。決して贅沢ができるわけでもなく、大金を持てるわけでもない為、多くはこの長屋で寝泊まりし、毎朝仕事に出かけて戻ってくるという。 聞き込みを続けて、二人はそこに貧しくとも穏やかで小さな調和を見た。 「ごめんくださーい。次の祠掃除の当番札、もってきましたー」 子供の声が路地に響いた。 その頃、甲龍の八ツ目に跨り、山道を通った大蔵は、異様なほど静かな道に首をかしげていた。鬼灯から彩陣への道は、一部魔の森の付近にある。それにも関わらず、アヤカシの気配がまるでない。屍人すら見かけない。 不気味なほど、静かだった。 「さて、どの面を下げて訪れたものか。それが問題だ」 彩陣に到着した大蔵は、彩陣十二家の各本家……長の家々を巡って、山渡りは順調か、冬を前に困ったことはないかを聞いた。 すると不思議な事実をつかんだ。 アヤカシが里に現れないのだという。 魔の森の浸食が急激に緩やかになってから、昔から頻繁に起こっていた低級アヤカシの襲撃が減った。彩陣の里内部で襲われることは激減し、道を外れて奥まった場所へ行かない限り、食われる心配がない。 「力が弱まったのか? いやしかし……不可解な」 最後に御彩家を訪ねると、以前は威厳を持って話していた当主は、奥の座敷で寝たきりになっていた。頬は痩け、髪には白髪が増し、一回りは細くなった気がする。 「申し訳ない。体調が優れませんでな。今宵は冷えます、粗末な家ですが泊まっていってくだされ。お前、大蔵殿にお食事のご用意をしてさしあげなさい」 「どうぞこちらへ」 黙って頭をさげる。 ぱたん、と座敷の襖がしまった。 御彩霧雨の母は、大蔵に向き合った。静かに微笑み「ただの過労と風邪です」と大蔵に気を使う姿が……痛々しかった。 「奥方」 「よいのですよ。あの人も、私も。覚悟していたことです。ずっと昔、里裏の門を潜り、我が子を化け物に売ったあの時から……、私が悪いのです。我が子を追いつめてしまった」 ぐらり、と大蔵の心が揺れる。 本当は違うことを、知らせたい気持ちになる。 けれど心を鬼にしなければならない。よくわかっていた。 「開拓者は、諦めることを知らぬ者の集まりなれば。最後の最後まで足掻きつづけますぞ。私も、妹も……足掻いた先に何が待つかは、その時になるまで分かり申さぬ」 いつか再び家族で談笑する日々を取り戻してみせる、と願う真摯な表情を見て、霧雨の母は『必ずや敵(生成姫)を討つ』という風に受け取ったらしかった。 虹陣を離れた天霧と乃木亜は、沼垂を訪れていた。 天霧が心眼を使ってみたりしたが、ここは相変わらず寂しい里のままであった。 「お久しぶりです、勝也さん」 乃木亜の朗らかな挨拶に、勝也は戸惑った顔をしたが「久しぶり。怪我はもういいのか?」と声を返した。以前、乃木亜を殺しかけた事を申し訳なく思っているようだ。アヤカシに唆されていたとはいえ、本来ならば放火未遂と殺人未遂で捕まっても仕方がない身の上である。 しかし乃木亜は、その記録に封をした。 乃木亜自身に恨みがあれば話は別だったが、勝也の事件の場合、表の正義をかざしても誰も幸せにならない。悲しみが増えるだけだと知っていた。 あの日以降、勝也は静かに商売に打ち込んでいたそうだ。 「仕事に打ち込んでいると、全部忘れられるんだ。悲しむ暇がない。あんた達は、どうしてここへ?」 墓に手を合わせた天霧が「どうしてるかと思って、ふと気になったの」と告げた。 「前は偉そうな事言ってごめんなさいね。変な夢はもう見てない?」 「ない。夢も見ないさ」 沼垂では、ひどく静かな空気が流れていた。 ところでネネは柚子平の付き人のように、後を追っていた。何しろ頻繁に行方不明になる達人である。誰かがそばにいないと、仲間との連絡が困難だ。 柚子平は五行国の施設を飛び回っていた。流石のネネでも立ち入りが出来ない場所、つまり封陣院や王城になると、門番の隣でじーっと半日を過ごすような有様だった。 「またせましたか」 「大丈夫です!」 道中のネネは「卵合戦が楽しかったみたいですねー、次は参加して勝って見せます!」などと陰陽寮の話を主体にした。教師と寮生を心がけた。 外食では気軽な話もできないからと、物のない柚子平の屋敷で頼んだ料理をつつく。 隣部屋ではからくりのリュリュが、人妖の樹里と遊んでいた。 「それで、ですね。飢羅を喪ったと知った生成姫は、また新しい武器を作る可能性があると思うんです。今度はこっそり。第三の刀とか!」 ネネが箸を握りしめる。 「可能性はあるでしょうねぇ。ただあれほどの資質を持つ飢羅を作るのに百年かかったと言われていますから、その辺の中級はともかく、上級は……どうでしょうね。刀三本目とか、私は勘弁してほしいです」 三本目が造られる可能性はあったが、その要因になりそうな刀鍛冶は保護してある。 「でも一点集中超高性能より、子ども達のような数が多くてそこそこ高性能なものが多くなった場合における対処法も必要な気がするんです」 「さらわれた子供たちだけでも、相当手を焼いてますけどね」 「……あっちの調査とかも進んでますか?」 柚子平お得意の謎めいた微笑みが「どれでしょう」と返してきた。 「もうひとつの勢力っていうか、ともかくですね! そっちの方面の依頼があればどーんと頼ってくださいね!」 「充分頼りっぱなしですけどね」 「もっと頼ってください。あと……籍を戻す、話なんですけど……そこまでやって、決着だと思います。完全勝利目指したいんです。仲間が笑うところを、見たくて。……柚子平さんも、ですよ?」 「そうですか」 微笑みは多分、気のせいではない。 数少ない和やかな時間が過ぎていった。 |