【忌み子】願いの代償
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: シリーズ
EX :危険 :相棒
難易度: 難しい
参加人数: 12人
サポート: 7人
リプレイ完成日時: 2012/10/20 22:51



■オープニング本文

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 その日、狩野 柚子平(iz0216)に呼び出された面々は呆然と立ち尽くした。
「霧雨が消えた?」
 これからという時に、救出対象の行方が分からない。
 そんな話を聞かされて、冷静でいられるはずがない。
「まさか飢羅にまで逃げられたとか。蒼継達は?」
「刀匠夫妻は、里帰りを先延ばしにしてもらい、白螺鈿で監視下におきました。妖刀は大丈夫です。五行の研究所に保管してあります。なにしろ手持ちでは会話が筒抜けだという事は、裂雷の時に分かってますので、持ち歩いて作戦筒抜け、なんてことになったら大変でしょう」

 妖刀飢羅といえば、昨年末、炎鬼と鷲頭獅子を率いて神楽の都を襲撃した大アヤカシ生成姫の妖刀に他ならない。生成姫が冥越に出現した当時の妖刀裂雷を兄貴分とするならば、生成姫の脇差しと考えられる妖刀飢羅は妹分と言ったところ。
 既に破壊された妖刀裂雷の性能を考えれば、劣るにしろ勝るにしろ、妖刀飢羅の破壊は一筋縄ではいかないことが想定された。大アヤカシの片腕に挑むことは、命をかけることと同意義である。そんな危険極まりない仕事に、柚子平はもう一つ厄介な仕事を被せてきた。

 それは忌み子、御彩・霧雨(iz0164)の救出作戦である。

 霧雨は忌み子と呼ばれる生成姫の呪いを受けた彩陣一族の生まれであり、その心臓に『御印』と呼ばれるアヤカシを飼っている。蛭のような形状で原則無害だが、一定の期限を迎えれば大アヤカシを呼び寄せ、強制的な摘出を行えば宿主を食い殺す性質を持っていた。

 友のために柚子平が考案した救出策。
 それは妖刀を破壊寸前で、並外れた剣の腕前と強靱な精神力を持った者に寄生させて、奪われた肉体の支配権限を取り戻し、霧雨の心臓を傷つけない位置に、妖刀を的確にうち込む事だ。
 そして意図的な共食いを誘発する。
 成功すれば理論上、妖刀飢羅は下位の寄生アヤカシを食い、霧雨の練力を吸い上げて回復を計るだろう。ここで霧雨は御印から解放されることになる。
 かくして計画を実行に移すため、適性検査や更なる調査が行われた。
 長年秘密にされてきた重大な事情も明らかになりつつも、開拓者たちは計画実行の日を待っていた。

 にも関わらず、この醜態。
「人を使って監視していたのでは?」
「してましたよ。私は向こうに呼び出されたので話をしにいっただけです」
「それで?」
「……暴行されました」
「は?」
 そこで人妖の樹里が「ゆずを責めないで」と、庇う様に間に入った。
「ゆずは悪くないの! あっちがおかしいのよ! 突然、襲ってきたから」
「樹里、あなた現場にいたの? 説明して」
 人妖の樹里曰く。
 柚子平は霧雨に呼び出された。場所は鬼灯の里。
 ここ数ヶ月遊郭で腐っていたくせに、妙に鬼気迫る表情をしていたのが印象に残ったらしい。酒を酌み交わして何の話をする気なのか、柚子平自身も見当がつかず、樹里が野暮用で出かけていき、気を抜いていた所を殴り倒されたらしい。霧雨は柚子平から目的のものを奪い取ると、何処かへ姿を消したという。
「……玉飾りは大丈夫なのか?」
 柚子平が管理している中で最も危険極まりない品物。
 それは護大の封印を解く、開放宝珠だ。
「その点はご心配なく。不幸中の幸いといいますか。しかし私も流石に、霧雨くんに追い剥ぎされるとは思わなかったので、油断していました」
「霧雨さんは、何を奪って行かれたんですか?」
 柚子平と樹里が顔を見合わせる。
「如彩家の鍵です。彩陣の裏手の祠から魔の森につながる少々特殊な鍵で……」
「魔の森に行ったの!?」
 同じ物を、開拓者達は知っている。
 霧雨の実家、御彩家から託された鍵だ。彩陣十二家で志体持ちを授かった女たちのみに受け継がれ、彩陣と魔の森を繋ぐ門を開放することができる。彩陣の女たちが、生き残るために生成姫と契約を結ぶ為の道具だ。
「彼は『すまない、これしか手段がないんだ』と言っていました。彼の力量を考えると、一人で魔の森へ踏み入ることは自殺行為です。あまり考えたくないのですが……霧雨くんは生成姫と取引しようとしている可能性が高い」
 見合う代価があれば、どんな願いも叶える。
 無力な人間にとって神のように振舞う魔物。
 それが生成姫だ。
 嬲り殺す玩具に過ぎない忌み子相手に、どう出るかも不明である。
「ですから危険を冒して救出にいくか、或いは……」
 その時だった。
 ギルドの職員が来て、一通の手紙を柚子平に渡した。顔色が変わった。
「魔の森へ行く話は中止です。霧雨くんが現れました。……複数のアヤカシを連れて、白螺鈿を目指しています。急ぎましょう」
 今から急げば、夜明け前に白螺鈿から二十キロ手前で止めることができる。


 + + +

 空は果てしなく続く。
 鷲頭獅子の背中に跨った霧雨は、手綱を握ったまま何処か虚ろな目をしていた。
「……実力でお前らを操れたら、俺だって一気に昇進なんだけどなぁ」
 一介の陰陽師が中級アヤカシを操れたら、それこそ都では大いにもてはやされる。しかし悲しいかな。今、従順に付き従うアヤカシは、霧雨の命令に従っている訳ではない。主人の命令に従い、彼に貸し出されているだけだ。
 霧雨の後方には、二人の少女がいた。同じように鷲頭獅子に乗っている。
『面白いことを言うな、人の子よ』
 脳裏に蘇る、魔性の声音。
『姫様は「考えてやらんでもない」と仰せだ。喜べ。ただし、条件がある』

 ただで願いが叶うと思うなよ。

「……落ちたなぁ」
 馬鹿なことをしたと、思う。
 人として恥ずべき行動だと、思う。
 いっそのこと犠牲になって死んだほうが、人々に感謝されると分かっている。
 けれど、できなかった。
 一縷の望みに縋ってしまった。
 それが間違った道だと分かっていても、目の前に提示された甘い夢を選んだ。
「死にたくないんだ。あいつを残して逝きたくない」
 残していく人間より、残される人間の方が辛い。
 魔の森に誘拐された時、勝也と雪を見て思った。だから手放せなかった。人殺し以外で、自分が生き残るためなら何でもやる。その発言は間違いだ、と度重なる事件と経験から理性は警鐘を鳴らしていた。
 けれど良心の声に耳を塞いだ。
「おい、おまえたち」
「なんです?」
「俺は、紹介をするだけでいいんだよな? それで証明書を持って戻る。誰にも話さない」
「はい。あなたは可哀想な私たちを保護して戻った、幸いにも二人は志体持ちだった。簡単でしょう? 心配いりませんよ、私たち人里のお金は沢山持ってますし、姉様達が武器や防具も手配してくれますから、後は知らんぷりで」
「大丈夫ですよ! おかあさまが約束を破ったことなんてありませんもの!」
 だからタチが悪いんだ、と。
 霧雨の言葉は、荒々しい突風がかき消した。


■参加者一覧
酒々井 統真(ia0893
19歳・男・泰
乃木亜(ia1245
20歳・女・志
大蔵南洋(ia1246
25歳・男・サ
水波(ia1360
18歳・女・巫
弖志峰 直羽(ia1884
23歳・男・巫
萌月 鈴音(ib0395
12歳・女・サ
アレーナ・オレアリス(ib0405
25歳・女・騎
天霧 那流(ib0755
20歳・女・志
ネネ(ib0892
15歳・女・陰
蓮 神音(ib2662
14歳・女・泰
ローゼリア(ib5674
15歳・女・砲
刃兼(ib7876
18歳・男・サ


■リプレイ本文

 狩野 柚子平(iz0216)の言葉で静寂が広がる。
 話を聞いた萌月 鈴音(ib0395)がしょんぼり肩を落とす。
「霧雨さんも……ただ待っているだけでは……居られなかったんですね」
 水波(ia1360)は「迫りくる死の恐怖が人を狂わせるのでしょうか。儘ならないものです」と頬に手を当てた。
 蓮 神音(ib2662)は「もー、霧雨さんの馬鹿! 後でお仕置だよ!」と壁に向かって叫んでいる。
 ローゼリア(ib5674)は眉間に皺を寄せて怒りを押し殺しつつ……延々と罵倒している。
「まったく……あの唐変木! 私達がみすみす思う通りに行かせるとお思いですの!?」
 刃兼(ib7876)が腕を組んで頭を働かせた。
「霧雨が、生成姫とどういう取引をしたのか、よく、分からないが……とにかく、今は追い付いて、俺たちのするべきことをするだけ、だな」
 大蔵南洋(ia1246)が溜息を零す。
「取引……か。霧雨殿が何を願ったにせよ、代価は必要となろう。なれど自らの命でさえ既に生成の持ち物と言って差し支えないはず。この上、一体何をかけたやら……」
 大蔵が難しい顔で悩み込む。
 萌月が首を振った。
「……何にせよ、放っておく訳には行きません。事が露見すれば霧雨さんの立場が悪くなります。作戦の時期が早まっただけと考える事にしませんか」
 酒々井 統真(ia0893)が頭を掻いた。
「まあな。……言う訳にはいかなかったにせよ、ちと荒っぽい仕置きにならざるを得ないな。まあ色々誤魔化すには都合がいい、と思うしかない」
 乃木亜(ia1245)は思いつめた表情をして、手を握り締める。
「ええ。霧雨さんに事情を知らせる訳にはいかなかったとはいえ、異変に気付けなかった私達にも責任があります。せめて霧雨さんが本当に過ちを犯す前に止めないと」
 乃木亜は龍の石榴を含め、支度にいった。
 今夜にでも出発だ。弖志峰 直羽(ia1884)が拳を握る。
「残された時間は少ないんだ……彼がどんな気持ちで取引を持ちかけたのか責めるつもりはない。俺達も霧雨君も、目的はきっと同じなんだと……思いたい」
 そして「彼はあたしが止めないと」と思いつめている天霧 那流(ib0755)の手を取って「きっと止められるさ」と微笑んだ。蓮も手を取って「那流おねーさんの為にも絶対失敗しないんだよ!」と元気づける。
 アレーナ・オレアリス(ib0405)は「困った方」と紅茶を手に呟く。
「なんと申しますか。霧雨殿のお陰で状況が多少複雑になり行程が増えましたが、問題はないでしょう。此処まで来れば、討ち果たし、救うのみでしてよ。違います?」
「うむ、相違ない。が、しかし……」
 大蔵は柚子平に「霧雨殿への施術について確認しておきたい」と告げた。
「御印を吸い尽くした事をアレーナさんは手応えで感じ取れるとお思いか?」
「まず無理ですね」
 にべもない。
「これは妖刀の習性を研究した、理論上の話に過ぎません。確実性という意味での自信は八割……が精々です。情報が漏れれば失敗する可能性は高い。結局、実際に刺してみて、頃合を見て消滅させるまで分からないのですよ。ですから『たった一度の賭け』なのです」
 アヤカシを探知する術は、瘴気を扱う陰陽師は不向きだ。
 飢羅を刺し、消滅させ、体内を探って始めて分かる。
 難儀な作業である。
「……さようか。して天霧さん、この件について裂雷の時の経験から推測できることは?」
「不快感云々は宿り身になった人間しか分からない感覚だけど……乗っ取られたら本気で抗っても長く持たないわ。なんていうのかしら。人の感覚が麻痺していくのよ。四肢が言う事をきかないだけじゃなくて、刀の虜になるような……手放したくなくなるの。変よね」
 誘惑を振り切る強固な意志が必要だ、と。オレアリスは言い聞かされた。
 ふと水波が柚子平に近づいた。
「柚子平様、戦闘時に予備戦力として上空に待機していただけません?」
「飛空戦に混ざってほしいと?」
 そこで萌月が「待ってください」と服の裾を掴んだ。
「あの、柚子平さん……彩陣を中心に魔の森周辺の警備及び監視強化って、できないでしょうか? 御印の除去は『重大な契約違反』と取られる可能性があります。それに……裂雷に続いて飢羅も、となれば……生成が人間への評価を……再び変えるとも考えられます」
 現在、生成姫は『人間や開拓者など恐るる価値なし』という評価を下している。
 苦労して出し抜いた評価が覆る時、如何なる事態が起こるか分からない。
 その機微を察知するには、可能な限りの対策が必要だ。
 柚子平が唸る。
「既に鬼灯と彩陣は保護区ですが……更に人を割くとなると、再び上に掛け合わないと、なんとも。というか私の体は一つしかありませんので多数決でもとりますか」
 手を上げさせた結果、開放宝珠持ちの柚子平は危険、というわけで実戦参加はしないことになった。申請手続きをしたら、飛空戦で様子を見に行くと言う。
 ネネ(ib0892)は霧雨が連れている少女たちが気になった。
 武装をしていないという報告だが、もし万が一、彼女たちが『浚われた子供たち』ならば、武器を所持した途端、手ごわい相手となりうる。刃兼がネネの方を向く。
「……ヨキの姉妹、ってことになるのか?」
「どうでしょう。きいてみます?」
「あんまり……会話が通じる気がしない。ヨキが兄を屠った時の凄まじい技量は目の当たりにしたし、彼女らも相当な使い手なんだろうな」
「ですね。現地では武器を奪われないようにしないといけませんね」
 武器を奪われない対策について悩んでいた。


 深夜0時、精霊門を通って結陣へ出た一行は、地上班と飛行班に分かれた。
 地上班は妖刀飢羅を持っていく為、封陣院の分室に立ち寄り、飛行班は一足先に五行東を目指す。
 鬼灯の里から白螺鈿に向かう山道を渡り、白螺鈿への道の途中から目撃証言のあった方角へ向かって飛んだ。
 やがて前方に見えたのは、鷲頭獅子の群れに跨る、御彩霧雨と見知らぬ少女の二人組だ。
 酒々井は苦虫を噛み潰したような顔をした。陰陽師に中級アヤカシを使役する術はない。鷲頭獅子に騎乗しているという事は、敵に下ったという事実を意味する。
 彼らの進行方向には白螺鈿が鎮座していた。
 まずは確実に鷲頭獅子を止めて、霧雨を確保に動かなければならない。地上班の到着まで待っている事はできない。
「やるしかねぇな、覚悟はいいか?」
「ええ。霧雨には色々言いたい事もありますが、自身の役目を果すのみ。参りましょう」
 怒り収まらぬローゼリアは、駿龍ガイエルの手綱を操り、他の者もあとに続く。

 酒々井達に包囲された霧雨達は、足を止めざるを得なかった。天霧が双眸を細める。
「こんな形で会う事になるなんて思わなかったわ」
「よ、よお」
「一体どこへ行くつもりだ?」
 酒々井の追求。大蔵や水波達が様子を見守る。
 霧雨は「魔の森の傍で子供を保護した」と。見え透いた嘘を言った。
「中級アヤカシを操れるようになって、俺もやっと昇進ってな。じゃ、またあとで」
 はいそうですか、と見逃すほどお人好しではない。
 蓮が「いい加減にしなよ!」と叫んだ。
「柚子平さんにすらできない事が、霧雨さんにできるわけないじゃん! 魔の森から現れたって連絡がきたから来たんだよ! 裏切り者に貸す耳なんてないんだよ!」
 胸中で謝罪しつつ、今は作戦を感づかれないように気を配る。地上班の到着が遅いので時間稼ぎが必要だ。それまで黙っていた萌月は、自分達と戦わざるをえない状況を考えた。
「霧雨さん、……その子たち、生成が育てた……娘たちなのでしょう?」
 沈黙は肯定と取るべきだ。萌月は溜息を零した。
「例え霧雨さんの紹介でも……人を害さなくても、私たちがその子達の正体を公にバラせば……確実に要監視対象です。疑われるだけでも……動き辛くなりますよ?」
 天霧が「いい加減にしなさいよ!」と声を荒げる。
「開拓者として見逃せない状況だって事くらい、分かってるでしょ? 生成姫の子供達をどうするつもり? 一体何を取引したのよ!」
 人がアヤカシの元に下った時、その者は討伐対象となる。
 そうして高額な賞金首になった者は数多い。
 弖志峰は悲しそうな目で、隣の天霧の背をさすると、決意の瞳を向けた。
「あの日、護ると誓った大切な友人の為にも。俺は、全力で君を止める」
 それまで障索結界を行っていた乃木亜は、酒々井や大蔵たちに目で合図をおくった。
 あとで、と唇が動いた。
 乃木亜は深呼吸して霧雨を睨みつける。
「あなたが生成の手下になったというなら、私はあなたを討つことを……躊躇いません!」
 乃木亜達が飛ぶ。ローゼリアと刃兼も、それに続いた。


 ところで封陣院の分室に立ち寄っていたアレーナ・オレアリスとネネは、互いに管狐とからくりを連れて、分室職員の龍に乗せてもらい、戦場を目指していた。
「遅すぎましてよ。もっと早くなりませんの!?」
「そんな事を言われたって、龍に二人乗りなんて明らかに定員オーバーですよぅ」
 柚子平はいない。
 萌月の頼みを引き受けた為、代わりに部下に二人を送らせた訳だが、何しろいつ壊れるか分からない封印具の中に上級アヤカシが入っている、とくれば、普通の者は心臓が縮み上がる。ネネの方は、からくりを連れていたので、更に不安定に飛んでいた。
「リュリュ、落ないでね」
「私達は裏切り者を処刑せねばなりません。急いでくださいまし!」
「充分急いでます! そもそも、なんで自分の龍でこないんですか!」
 へっぴり腰の職員と口論を繰り広げながら、オレアリス達は仲間の後を追う。


 前方を阻む者たちの出現に、黒髪の子供は動揺こそしたものの、その瞳から闘志は消えなかった。
 視線が周囲の者の武器に注がれている。丸腰なのは見て分かった。
 蓮が酒々井たちに叫ぶ。
「統真おにーさん! 向こうをお願い! あっちは神音たちが倒す!」
「いっちょ、やるか。頼むぜ」
「はい」
 炎龍の柘榴に跨った乃木亜は、他の者の攻撃を与える隙を生みだす為、正面から鷲頭獅子に襲いかかった。駿龍のトモエマルに跨った刃兼が左で、駿龍の鎗真は酒々井とともに気流を味方につけた動きで右へ羽ばたく。
 はっきりと殺意を感じ取った霧雨が「やめろ、やめてくれ! まだ子供なんだぞ!」と鷲頭獅子を操り、救出に向かう。しかし駿龍のガイエルに跨ったローゼリアが遮った。
「邪魔はさせませんわ! 飛んでガイエル!」
 霧雨の跨る鷲頭獅子を葬るべく、発砲を繰り返す。流石に早い。
「龍乗りだからこそ、可能な連携見せてあげますの! おとなしく諦め……きゃ!」
 術でローゼリアとガイエルの視界が遮られた。
 霧雨の「どいてくれ!」という言葉とともに鷲頭獅子はガイエルを突破した。
 一方、酒々井は力を温存する為、鎗真を盾に体当たりをしては殴りかかっていた。刃兼は酒々井が離れるのを確認して、真空刃を叩き込む。
 翼が斬られて、均衡を崩した。
「このまま落下させて押し切るぜ! おくれんなよ!」
「分かってる。いくぞトモエマル!」
 カマイタチのような何かが二人を襲う。しかし怪我が浅い。
 強力な武器を持たない、今しかない。
 鷲頭獅子の腹に龍が牙を立て、酒々井が飛びかかって殴った。刃兼が腕を振りあげて、視界の隅に何かが通ったのを見た。瞳だけが動きを追う。鷲頭獅子の手綱が千切れている。
 ローゼリアを突破した霧雨が、子供を受け止めていた。

 そして霧雨の援護を失った鷲頭獅子と赤毛の子供を、蓮と大蔵、萌月の三人が取り囲む。
「他に術が無いのは我らも同じ、引く訳には参らぬ」
 大蔵と萌月が刀を抜いた。
 蓮は鷲頭獅子の突進を回避しつつ、逃げようとする鷲頭獅子に追いすがって爪を立てた。強い衝撃でも子供を振り落とせない。大蔵は好機を伺う。鷲頭獅子の翼に、駿龍アスラの爪が食い込んだのを確認して、甲龍の八ツ目に体当たりを命じた。
「かあぁぁぁぁっ!」
 かわされる事は計算の上だ。
 大蔵の刃が擦れ違いざまに胴を割った。蓮も傷口を抉るようにして渾身の叩き入れる。二人の技を受けてもなお、鷲頭獅子は虚空を羽ばたいた。
「うそー! ふつーなら、もう瘴気に還ってるよね!?」
「かの炎鬼同様に強化型か。大事な手駒だ、当然かもしれんな。だが瀕死には変わらん!」
 二頭の龍に押さえ込まれたまま、振り落とそうと身をよじる鷲頭獅子。同じく振り落とされそうな蓮と大蔵。そして堕ちゆく動きを見極めた萌月が、刃に炎を纏わせた。
「可愛そうですが、よけいな事に構っている暇は……無いんです!」
 萌月は鈴を体当りさせた。
 螺旋を描くような動きが一瞬止まった。
 刹那、燃える刃は鷲頭獅子ごと、しがみついていた子供の体を切り裂いた。肉を裂き、骨を断つ。
 幼い断末魔が空に響く。

 天凱の甲龍に乗った弖志峰達が様子を見守る。
 適宜閃癒を、と考えていたが、仲間たちは強かった。やや下方に位置取り、霧雨の落下に備えていたが……誰かが霧雨と子供を引き剥がさない限り、救出は困難だった。


 ようやく望遠鏡で戦域を発見したオレアリスとネネは、近くで地上に降ろしてもらった。
 オレアリスは封印具『剣の花』をマントで隠し、武器を天狗礫に持ち替える。管狐のディンを召喚し、煌きの刃で同化すると、鷲頭獅子を狙った。
 放たれた天狗礫が鷲頭獅子の肉にめり込む。動きが早く、狙った場所には滅多に当たらない。それでも幾つめかの礫が翼を折った。更にネネの放った毒蟲が鷲頭獅子の動きを鈍らせる。
 大蔵たちが落下していく霧雨と子供を追う。
 四方上下から包囲された霧雨に逃げ場はない。
 翼を失った鷲頭獅子は大地に叩きつけられた。重い地響きとともに鷲頭獅子が瘴気へかえり、残されたのは鷲頭獅子を下敷きにして生き残った霧雨と子供だ。
 次々に大地へ降り立つ。大地に降り注ぐ瘴気の向こうに、横たわって動かない霧雨がいた。
「霧雨さぁん!」
「お待ち下さい。天霧殿。彼を手加減した当て身で気絶させて無力化し、呪術武器を没収して参ります。これをもっていてくださいませ!」
 マントでくるんだ剣の華を預けた。
 オレアリスが接近した瞬間、彼女の両肩から血が噴き上がった。更に萌月が大地に倒れる。困惑する刃兼達の前に、凍てついた眼差しの少女が立っていた。その手に握られていたのは、魑魅魍魎刀と菱形の石……天狗礫だ。
 大蔵の表情から余裕が消えた。
「……あの娘、霧雨殿の武器と鷲頭獅子の体に刺さった礫を奪ったのか」
「らしいな。しかも今の技、厄介にもほどがあるぜ」
 酒々井が構える。
 シノビの究極奥義、夜。
 莫大な練力消費を代償に、一般の体感時間約三秒間を止めたかのように動くことができるという。見かけに騙されてはいけない。少女は様々な技術と殺戮の戦いを仕込まれた、戦の申し子に間違いないのだ。倒れ伏したオレアリス。天霧は霧雨に言ってやりたい事が沢山あったが、子供が武器を所有した今、そんな暇はなくなった。
「娘の練力切れを待つか?」
 大蔵が仲間たちに声を投げる。
 萌月の怪我は神座早紀が治療中だが、前方のオレアリスは救出しないと危険だ。
「のびてる霧雨が目を覚ましたら、対応二倍だぞ? 勘弁しろ」
 その時、霧雨のうめき声がした。少女が後ろを振り返る。
「げっ……起きやがった。俺達がひきつけてる間に弖志峰、後ろの連中と一緒にオレアリスと霧雨を頼む。どうせ腕は2本しかないんだ、数で押し切るぞ。皆ためらうなよ!」
「分かってるさ!」
 刃兼と大蔵が走り出した。
 少女は再び、夜で攻撃を試みたが、重装備の前には大した攻撃を与えることはできない。別の武器の調達が必要だ。片方から武器を奪おうとした時。
 死角にいた酒々井が、少女に肉薄していた。
「……悪いが、加減も容赦もしねぇ。余裕がねーんでな」
「ひっ!」
 酒々井は、渾身の力で細い首を握りつぶす。
 骨の砕ける嫌な感触がした。だらりと垂れた掌から刀が落ちる。瞳から光が消えるのを見届けて「……すまねぇ」と呟いた酒々井は、少女の瞼をそっと降ろした。
 子供の首が、干した大根のように垂れるのを遠巻きに見て、弖志峰とネネは目を伏せた。
 皆、分かっていた。
 生かしておけば危険に晒されるのは自分たちで、救う術を持っていた訳ではない。
 これが生成姫の術策だと理解している。
 愛も情けも、全てを利用する敵。非道と紙一重の壁を越えられなければ、先手は打てない。
「ネネちゃん」
「……覚悟の上でここまで来ました。引く気なんてありません」
 そうだね、と弖志峰はネネの頭を撫でた。


 残る霧雨は四肢の動きを封じられていた。
 劉 天藍とリオーレ・アズィーズ、セレネー・アルジェントの三人が呪縛符を使い続け、ネネがからくりのリュリュに羽交い絞めを命じて、毒蟲で体に麻痺を与えた。リュリュと刃兼が力で押さえ込む。御樹青嵐が暗影符のタイミングを図っている。
 神座早紀がオレアリスに治療を施している間、乃木亜は天霧から乱暴に封印具「剣の華」を奪って見せるフリをすると、男性陣に天霧を捕まえさせてオレアリスの傍に箱を置いた。
「ありがとうございます。お手数をおかけしましたわ」
「いいえ。さて……霧雨さん、麻痺で喋れないでしょうね。そのまま聞いてください。霧雨さん、あなたはギルドを……いいえ、人間を裏切った。アヤカシに組した者の末路はご存知のはず。私たちはもう一度、妖刀飢羅と戦って自分達が生成姫と戦えるか、試したいと思います。申し訳ありませんが、飢羅を活性化させる為に……死んで下さい」
 残酷な宣言だった。
 固唾を飲んでローゼリア達が見守る。
 オレアリスが箱を開き、漆黒の妖刀飢羅を見下ろした。不気味なほどに黒光りする一本の小太刀は死んだように反応を示さない。しかし長い戦いの日々の中で数多の刀を目にしてきた者ならば分かる。
 これは名刀だ。 
 この世に二つとない、素晴らしい刀だ。
 折れていても、主人を得れば元通りに修復できる。
 オレアリスは吸い寄せられるように美しい刀に手を伸ばした。柄を握る。小太刀は竹光よりも軽かった。羽根を手にしたような、夢を見ているような幸せな心地になる……
『我に触れたな、愚かなり人間よ!』 
 オレアリスは我に返った。
 妖刀が血の色に輝き出す。まるで燃えるような、強烈な気配だった。 
 体の自由が利かない。柄の部分から膨大な黒い糸が現れ、肌を舐めるようにオレアリスの全身を巡り出す。まるで漆黒の蜘蛛の巣に捕らえられたかのようだ。絹糸に似た触手は、瞬く間に全身に達し、体の支配権を奪い取る。
『「我を使う身分にでもなったつもりか、人間風情で。貴様の全てをくろうてやるわ!」』
 オレアリスと飢羅。 
 二つの声が喉から零れる。
 折れていた刀が、力を吸い上げて元の姿を取り戻した。
 立ち上がった漆黒のオレアリス……飢羅が、最初の獲物を探す。
『「さて。先日の礼をしようではないか! 貴様らの中で一番適した体を土産に今度こそ……」』
 びくん、と体が震えた。
 抵抗が始まった。荒い息遣いとともにオレアリスが正気を取り戻す。
「……ふ、流石は妖刀、確かに模造品とは訳が違いますわね。この私が精一杯などと」
 オレアリスは首を横に振って四肢を動かし、刃を構える。霧雨の方を向く。
 獲物を狙う獣の瞳だ。 
 緑の瞳が狙うのは、心臓と横隔膜の隙間。刃は横にし、肋骨に当たらない様に気を配る。
「アヤカシに組する者に死を! 参りますわ!」 
 可憐な唇から溢れた咆哮。刀は鞘に収まるような、迷いのない動きをしていた。
 御樹の暗影符が放たれた。
 寸分狂いのない剣先が霧雨の胴を貫く。手加減はした。心臓は貫いていない……はず。
「リュリュ殿! 刃兼殿! そのままではとり込まれる、離れられよ!」
 大蔵が霧雨の傍にいた者たちに警告を促した。
 修復の為にオレアリスの力を吸い尽くした妖刀が、練力が有り余る霧雨の体に移行する。飛び退きながら、刃兼が梵露丸で練力の回復をはかり、皆に緊張が走った。
 肩で息をしていたオレアリスが支配から解放され、後方に飛び抜くと同時に、衝撃波が放たれた。
 周囲に砂煙が舞い上がる。
 霧雨が、ゆらりと立ち上がった。禍々しい気配を感じる。
『「……人は利害が一致せねば仲間も屠る、か。我を元の状態に戻して戦いたい、とはまた、奇特な連中だな。武人としての精神とやらだったか。まぁ下手に抵抗されるより『屍同然の体』の方が操りやす……」』
 飢羅の言葉が止まった。
「長ったらしく喋ってんじゃねぇぞコラァ!」
 不意をつくことで桜色の燐光を纏った拳が二発とも貫通した。
 鬼神のような拳を妖刀で受けた霧雨の体が後方に飛ぶ。明らかに大きなヒビが走っていた。
 飢羅は『「妙な術が幾度もつかえると思うでないぞ!」』と酒々井に呪封を施したが、酒々井は不敵に笑う。
「残念ながら俺の練力は空っぽだ。今の二発にかけたんでな。無駄打ちで残念。そう何度も使える術じゃねぇんだろ? 相変わらずバカが健在でなによりだ。そう例えば、右がお留守だとかな!」
 飢羅が右を向いたが、誰もいない。
「やあああああああああああああああああああああ!」
 姿勢を低くした蓮が左の下方から回り込み、奇襲が効果を発揮した。
 二発とも刀で受け止めたが、空からのローゼリアの銃撃と相まって、与えたヒビが広がりを見せる。
「絶対退かない。諦めない! ここが死に場所だと思いなよ!」
 蓮が飛び退いた。
 大蔵が一撃蹴りで霧雨の上体を崩し、間髪入れずに袈裟懸けで刃を走らせる!
「此度は小細工なしで参る!」
 回復の隙を与えない白刃の閃きは、酒々井と蓮、ローゼリアが与えたヒビに、致命的な衝撃を与えた。
 パキィン、と割れた。切っ先が瘴気に換える。
 大蔵の二発目は無事な箇所で受け止められてしまったが、微かに亀裂が入ったのが確認できた。
「倒したか!?」
「まだだ!」
『「お……の、れぇ、人間風情がぁ!」』
 懐に入りすぎた大蔵が、正面から衝撃波をくらって弾き飛ばされた。
 周辺にいた天霧やハッドも一撃で重症に陥る。水波は龍ごと墜落した。衝撃波の射程に入らない遥か後方から援護をしていた水波だが、回復術は対象から二十メートル以内に接近する必要がある。駿龍の驟雨というマトは大きすぎた。いかに翼が優れた駿龍でも、本気をだした妖刀の前には叶わない。
 大蔵に駆け寄った乃木亜が、急いで閃癒を唱えた。
「動かないでください!」
「ぐぅ……すまぬ!」
 弖志峰が加護結界の為に走った。神座早紀と朱宇子も回復に急ぐ。
 時間を稼ぐ為、劉と御樹、アルジェントとアズィーズが呪縛符を放つ。
 隙を伺いつつ萌月と刃兼が地を蹴ったが、彼らが目にしたのは元通りに修復された妖刀だった。萌月が囮になり、死角から刃兼の炎を纏った刃が襲う。
「……刀が、元通りに! やっぱり宿り身が術者だと……」
「何かおかしいぞ」
 違和感を感じ取った刃兼が、飛び退きながら目を凝らす。
「飢羅の奴……俺が与えた亀裂を治して、ない?」
 刃兼はオレアリスを一瞥した。練力を根こそぎ吸い上げられた為、彼女は梵露丸で練力を回復しなければならなかった。飢羅はオレアリスの力を根こそぎ吸い上げて刀を修復した。
 答えは一つだ。
「あいつ、霧雨の力を全部吸い上げたんだ! だから形状が戻った」
 もはや飢羅が悠長に回復をしている場合ではないという事を示す。
 ネネが声を張り上げる。
「皆さん、あとは押し切るだけです! 霧雨さん、戻ってきて! 帰ってきてほしいって思っている人がいるんです! 貴方はひとりじゃないんです!」
 しかし。
 昨年、天霧が妖刀に乗っ取られた時やオレアリスの時と違い、霧雨の抵抗は見られなかった。
 毒蟲の効果はおよそ一分。もう切れてもよい頃合だが……反応がない。
 弖志峰が何かに気づいて青ざめた。
「……やばいよアレ! 皆、急いで! 霧雨さん、たぶん時間がない!」
 言葉の意味を説明している時間が惜しい。
 逼迫した空気を感じ取り、酒々井や蓮、大蔵や天霧、乃木亜とオレアリス、そして刃兼と萌月が一斉に地を蹴った。
 だが酒々井と萌月を除く五人の能力が一気に封じられた。
 術無しの攻撃では、いくら相手が弱っているといえど妖刀の防御力の前には届かない。
 普通に戦って防御された時にカスリ傷一つ、つけられない。
 その現実に戦慄が走った。
『「ふふ、はは、あはははは! 妙な力が使えぬ貴様らなど蟻も同然!」』
 飢羅を傷つけられぬ状態で攻撃しても、負傷するのはこちらの方だ。
 先ほどの負傷から立ち直った水波が六十メートル後方で「早くこちらへ」と叫んでいた。彼女ならば一度に三人の呪封を解除できるが、前線から彼女の元に行く途中に、間違いなく直撃を受けるだろう。呪封を解く前に、がら空きの背中から致命傷を負わされる。そうでなくとも術師達や傍の回復手は一撃で落とされる。
 防御戦に転じたかに思われた。
「それはどうですかしら!」
 空から銃撃が降り注いだ。ローゼリアだ。
「早く行ってくださいまし! 一気に呪封を試みた今、余裕がないのは飢羅ですわ!」
 陰陽師達が援護に動いたのを見て、比較的近くにいた神座と朱宇子が動いた。
 賭けに負ければ貴重な回復手ごと失う。弖志峰は呪封を浴びなかった前衛に加護結界を施す。
 上空から降り注ぐローゼリアの攻撃を、飢羅は刃で弾き返した。
『「邪魔ばかりしおって!」』
「ほらほら、どうしたのですか!? さっさと私を撃ち落としたらどうですの!?」
 命中の腕や速さは飢羅が上回っているはずだ。上空に漂う龍など飢羅にとっては打ち落とすのは造作もないはず。しかし衝撃波で落とさない。呪わしい声が聞こえてくる風もない。飢羅は陰陽師たちを次々になぎ倒す。
 余裕が失われている。
「容赦は致しません、別の誰かに乗り移られる前に、確実に仕留めますの!」

 飢羅の優勢は長くは続かなかった。

 元より万全の状態ではなく、力も底をついた。寄生を試みようとしても、ローゼリアや天霧達が妨害を試みる。逃走の兆しを見せ始めた飢羅を、刃兼が巧みな言葉で惑わした。
『「そこをどけ!」』
 カチカチと刃が嫌な音を立てる。体力も限界に近い刃兼が嘲笑した。
「……ははっ、封印された挙句、封印した相手を討たずに逃げ帰って……主人はどう思うだろうな? 長年鍛えてもらっておきながら、何の成果もあげられない。愚図なお前のことを、兄刀より上と認めてくれるか? とんだ懐刀だな!」
『「言わせておけば!」』
 力で弾かれた刹那「叩き込め!」と酒々井の一声で皆が襲撃を試みる。
 しかしもはや術が封じられることはない。
 大蔵が大きく刃を振るった。
「祟り神真朱、妖刀裂雷、そして白琵琶! 飢羅、貴様もこの世から退場せよ!」
 渾身の一撃が振り下ろされた。
 覚えのある炸裂音。砕かれた破片から瘴気に還る。
 最強の刀を目指したアヤカシは、兄を乗り越えることなく野に散った。


 妖刀飢羅消滅とともに、胸の傷から血が噴き上がった。
 肌が白い。全身を覆う糸が消えると、霧雨の服は内側がぐっしょりと血に濡れていた。駆け寄った弖志峰は、年の為に傷口から指を入れて臓器に触れた。確かに御印は消えていた。後は傷をふさげばと思った矢先に……脈がないことに気づいた。
「……まずい。瞳孔が開いてる」
「どういう……ことですか、霧雨さんは助かるんですか?」
 弖志峰は生死流転を施していた。
 萌月の言葉に首を振る。
「……分からない。医学の知識から言わせてもらえば、人は体の二割の血液を失うと、意識に障害が起こるんだ。半分以上失えば失血死する。術で傷を塞いで肉を補えばいいわけじゃない。乃木亜さん、ネネちゃん、早く来て! 手伝ってくれ!」
 全身の大きな裂傷をふさいでも、霧雨は覚まさない。
 皆に決着を急がせた理由を、弖志峰は淡々と口にした。
「飢羅と戦ってる最中も、霧雨さんの出血は止まらなかった。ネネちゃんの呼びかけにも反応がなかった。じわじわと血が染み出してた。……妖刀が栓になってたんだよ。俺たちは、妖刀を倒すことで栓を抜いた。血液を失えば臓器が動かなくなる。心臓が止まって十五秒もすれば、人は意識を失う。俺が生死流転を使えたけど、戦闘が長引いて出血量が多いから……元通りには、ならないかもしれない」
 考えられる事態は記憶障害、体の麻痺症状、或いは人形や植物のような抜け殻か。
 天霧は『時間がない』という意味を悟った。
「……まってよ、助かるんでしょ、助かるって言ってよ! お願い!」
「俺だって助けたいんだ!」
「き、霧雨……さん、いや……いやよ、そんなの嫌!」
「頼むよ。霧雨さん。助ける為に来たんだ。死ぬんじゃない……これ以上、目の前で誰かに死なれるのはごめんだ!」
 やがて。
 全ての傷を修復した。
 しかし霧雨の意識は戻らない。
「頼む、頼む、頼む、頼む、頼むから……っ!」
 傷を修復しても、弖志峰は生死流転をやめなかった。
 霧雨が瀕死の状態で、やめる訳にはいかなかった。もしも完全に蘇生できていなければ、生死流転を止めた途端、肉体は生命活動を停止してしまう。あとに残るのは、傷が綺麗に塞がれた……魂のない抜け殻だけなのだ。
 皆が固唾を飲んで見守った。神に祈るような気持ちで、意識が戻るのを待ち続けた。
 けれど意識は戻らない。戻らない。戻らない。……帰って、こない。
 だめか。
 弖志峰の表情が苦悶に歪む。乃木亜が喉から声を絞り出した。
「…………そんな。やっと、ここまで」
 絶望感が皆の身を覆う。
 彼を救う為に、他の全てを捨ててきた。
 けれど目前の光景は、残酷な現実しか示さない。
 天霧が弖志峰の腕にすがった。色のない白い顔をしていた。
「お願い、やめないで……この人を、殺さないで」
 弖志峰が息を呑む。
 もう、練力が残っていない。
 それまで黙っていた刃兼が、懐の梵露丸を取り出し、弖志峰の口元に持っていった。
「使え。遠慮はいらない……別れを言う時間が、必要だろう」
 弖志峰は刃兼の言わんとする意味を悟った。頭では、最初から懸念を抱いていた。
 ただ……悟りたくなかった。誰も救えない、そんな悲しいだけの戦いなんて望んでいなかった。
 全てを救いたかった。
 己の無力感を痛感しながら、弖志峰が梵露丸を噛み砕く。己の役目をこなす為に。
 正気を失いつつある天霧が、霧雨の枕元に膝をついた。
 何ヶ月も会えなかった、今は物言わぬ婚約者。
「…………霧雨さんの、うそつき」
 ふ、と。
 息を吹きかける。
 霧雨の瞼が、微かに揺れた。


 開拓者たちを迎えに来た柚子平は、経緯を聞いた。
「……大変でしたね」
「ん」
「よくまぁ、蘇生させたものです。普通なら完全に死んでますよ」
 さらりと怖いことを言う。
 飢羅は万全の状態ではなかった。前回、街で削った分も大きい。
「察するに……術の早期処置と医術の知恵、あとは生死流転を早期且つ長時間継続できた事が大きいのでしょうね。生死を分かつ、三分の壁という奴です」
 裂雷の時のように長引いていたら確実に死んでいただろう。
「すぐに見切りをつけられなくて、よかったですね。霧雨くんは皆さんに感謝すべきですよ……と言っても、軽口を叩ける状態ではありませんね」
 弖志峰は疲れ果てたので、今は水波が代理で術を施している。
「しばらくは安静にしておきましょう。肉体的な問題や記憶が部分的に抜けていても不思議ではない状態ですから、あまり気は抜けませんが……幸い命には別状ないですし」
 息を吹き返した霧雨は、回復術を行使しても衰弱が激しい。
 飛空船に搬送されていく。
 愚かな彼の傍には、行き場のない怒りと心配を抱えた者たちが一言二言投げていく。
「霧雨さん。ただ生成に殺される日が近付くのを待つ、という事に耐えれなかったんですか? 私たちだっていますし、こうして生きることを約束した人が居る事を忘れないで」
 乃木亜がつきそう天霧の肩に触れた。
「……よりにもよって生成姫と取引だなんて、何考えてるのよ、もう」
 その呻くような声をきいて、刃兼が霧雨に問うた。
「霧雨、返事は後でいいんだが……生成姫本人の口から『命を助けてやる』って言葉が出た、のか? ……雪の時だって「体を裂かずに返してやる」と言っただけで、遊びながら命は奪っていったんだ。そんな相手に話を持ちかけるなんて、無茶が過ぎるだろうに」
 隣のローゼリアが「全くですわ!」とぷりぷり怒って霧雨の頬をつねる。
「思いっきり頬をひっぱたいて差し上げたいところですが、負傷者という肩書きに免じて勘弁して差し上げますわ。……怖いと思う事も、一時の迷いも、何一つ恥じる事はありません。生きたいと、そう思う事は当たり前の事ですの。私が貴方を怒りたいのは、それを相談する相手を間違えた事ですわね。ま、それを言うのは私の役ではないですの」
 ローゼリアがちらりと天霧の方を一瞥する。
「……前も、何か考えてた風だった、こんなバカなことをしのは、私のせいなのかしら」
 蓮は「そんな風に考えちゃだめだよ!」と手を握る。
「今は無理でも、霧雨さんはお仕置として、絶対那流おねーさんを幸せにするんだよ!」
 温かい空気があった。
 遠ざかる影を眺める大蔵が目を伏せる。
「責めはせぬ、他に術も無かったのであろうゆえ。だが、気がかりが消えた訳ではない」
 萌月もまた「生成が……黙っているとは思えません……表にしろ裏にしろ、衝突は必至かと思います」と呟く。
 作戦を終えた後も、彼らの戦いは終わらなかった。
 柚子平が迎えに来るまで、酒々井達はずっと、近くの戦域にいる下級アヤカシを殲滅し続けた。交戦前に、乃木亜が気配を察知していたからである。
 戻ってきた乃木亜が「相談があります」と柚子平の腕を掴んだ。
「柚子平さん。霧雨さんを死んだことにして、生成から身を隠す手配をお願いします。生成の手の者の目は、天儀各地にも入り込んでいるでしょうから……」 
 柚子平は「難儀な仕事ですね」と溜息を零す。
「ま、なんとかしてみましょう。ですが……その前に、彼女たちを無縁仏として供養してからですね」
 促した方向に見える、赤黒く染まった布にくるまれた遺骸。
 名前も知らない。
 もしかしたら、自分達の隣で笑っていたかもしれない。生成姫に浚われて、歪んだ人生を終えた幼い二人の天才児。彼女たちを腕に抱えた弖志峰と蓮が、眼を赤く腫らしていた。
 今回もまた救いきれない命はあった。けれど状況は変化しつつある。

 少しずつ、けれど確実に。
 私たちは努力を積み上げていく。
 円環が如く続いてきた闇の軌跡。奈落に誘う見えない鎖を、断ち切れる日を目指して。