【忌み子】生成姫の残蝕
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: シリーズ
EX :相棒
難易度: やや難
参加人数: 11人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/06/18 00:59



■オープニング本文

前回のリプレイを見る


●生成姫の爪痕

 あなたは『生成姫』と呼ばれる大アヤカシをご存じだろうか。

 冥越八禍衆が一旗であり、夢魔や鬼の軍勢を率いる大アヤカシとして知られているが、三面六臂の姿は天女と鬼女の容姿を併せ持ち、一部では代償と引き替えに願いを叶える神として崇拝された記録もある。
 歴史上、初めて『生成姫』の名が確認されたのは、天儀歴611年頃、冥越に出現した記録である。古文書によれば、天儀歴711年頃に冥越から五行に渡り、潜伏していたという。天儀歴761年頃に、一度は五行国の東、現在の鬼灯の里で封印されたらしい。しかし天儀歴911年に、人の手で誤って解放されたことが分かっている。

 そして何処かに息づく大アヤカシ『生成姫』に恨まれている者が実在した。
 俗に『忌み子』と呼ばれる者達だ。

 約250年前(天儀歴761年)頃に生成姫を封印したと言われる陰陽師の末裔たちは、約100年ほど前(天儀歴911年)に局所的な飢饉に伴う複雑な事情で封印を解放した。その際、怒り狂った生成姫に、未来永劫子孫を祟ると囁かれており、以後、かの陰陽師達の血族に生まれ出た志体持ちは、皆一定の年齢になると人知れず変死している。

 忌み子とは。
 未来永劫、生成姫の玩具として嬲り殺される運命を背負った子孫達を示した。

 時は流れて天儀歴1012年、春。

 忌み子の一人である御彩・霧雨(iz0164)は生き残る可能性を探す過程で、古い依頼書から同じ境遇を背負った娘の存在を突き止める。
 名は文彩雪。
 開拓者達の調べで肉親への危険や、死期が迫っていることが判明し、救出作戦に乗り出すも、沼垂にある雪の実家は全焼。調査の末、隠れ住んでいた雪には接触できたが、問題の年齢は過ぎており、依頼書も実際には一年近く昔に書かれたものだと判明した。一旦、雪と恋人の勝也を神楽の都に連れてきた。
 しかし時同じくして、忌み子達の多くに、生成姫の監視が働いていることが発覚する。
 御印を授けられた忌み子達は、決して逃げることはできないという。

 たかが伝承と侮るなかれ。

 霧雨との対面により、雪は護衛の開拓者共々、神楽の都から五行の東に広がる魔の森へ、一晩で誘拐された。
 何とか開拓者達は生還したが、努力虚しく雪は息絶えた。
 直接の死因は瘴気感染ではない。
 自らを神と称する伝説の大アヤカシが、雪の体に憑依していた。
 数百年ぶりに姿を現した生成姫は、開拓者達を弄んで、配下と共に姿を消したという。

 世間では神隠しと騒がれる一方で、浚われた者達が何を見たのか。
 詳しいことは、知られていない。


●勝也の悪夢

 人生とは、選択の連続であるように思う。

 赤い月の下で、勝也は手元の桐箱に目を落とした。時々開けて中身を除く。
 砕かれた白い破片。掬った破片は八重歯だった。
 変わり果てた、愛するひと。
『勝也、大好きよ』
 あれが雪の言葉なのか、アヤカシの言葉だったのか。
『それだけは忘れないで』
 勝也には分からなかった。
 だが熟練の開拓者ならば、憑依された対象の生存は絶望的だと知っている。魔の森で、皆を起こした時の青白い顔、手当の時の冷たい肌、それらは雪の体が生命反応を失っていた事実を示す。

 では、あの言葉はなんだったのだろう?
 遺言?
 死の間際に、雪が内なるアヤカシに勝った?

 否、そんなはずはない。
 相手は大アヤカシだ。屍の記憶を食ったアヤカシの善意など考えられない。
 傷を癒す間、勝也は延々と己に問い続けた。
 最近、同じ夢を見る。
『私を苦しめた全てに復讐して。私の墓前に愛を証明して。私には貴方しかいないの』
 勝也は考える。
 自分は無力だ。アヤカシには敵わない。開拓者にも勝てる自信はない。
 だが普通の人間なら?
 里の者は、雪から日常を奪った。
 一番大切なものを失った今、もはや故郷に意味など無い。
「……雪、全部終わったら、俺も傍にいくよ」
 愛しい桐箱を抱く。
 人は見たいようにしか現実をみない。
 心の闇を知り尽くす魔物は、着実に人の心を蝕んでいく。


●樹里の後悔

 開拓者ギルドを訪れた人妖の樹里は、霧雨の代理としてギルドに依頼を出した。
 霧雨が最期に頼んだ依頼は『勝也を護衛し、安全に故郷まで送り届けること』だが、樹里に依頼を代行させたのは、自分の同行は危険だと判断した為だろう。
 呼び出した開拓者に護衛を頼み終えた所で、部屋に現れたのは狩野 柚子平(iz0216)だった。
「失礼。樹里、あなたは依頼に同行するのですか?」
「まだ決めてない。少しみんなに話したいことがあるし」
「そうですか。私はいつもの宿にいますから、決めたら知らせにきなさい」
「うん。後でね」
 後ろ姿を見送った樹里が「あのね」と開拓者の袖をひく。
「……ゆずがね。生成姫の加護を無効化する手段も、御印の呪縛から解放する方法も知ってるみたいなんだけど……全然やろうとしないの。一人じゃどうにもできないからって」
『私も人の力を借りるべきなのかもしれません』
 遠い日の言葉。
 知るには遅すぎた事実に、数名が目を剥いた。
 聞き慣れぬ名前に、何人か首を傾げる。
「今、廊下にいた男か」
「狩野柚子平。樹里の本来の主人で、五行の陰陽師だ。玄武寮の副寮長と封陣院の分室長を兼任してる。前は霧雨とよく一緒にいたが……最近は殆ど見かけない」
 彩陣十二家が如彩家の血統……即ち忌み子だという話をした所で、人妖が淡々と呟く。

 ギルドへ来る直前。
 主人の元へ戻った樹里が、神隠しの一件を柚子平に聞かせた時の話である。
『そうでしたか。大変でしたね。……霧雨君の近況が敵に知れるようになったのは……半分は私の責任ですね。昨年の【太古ノ書】で仲違いをして以降、彼の傍を離れてしまった。長いこと続けてきた対策を怠ったツケです。可哀想なことをしました』
 天儀歴957年の如彩家の惨劇と972年の御彩家の変死が原因で、973年に彩陣と決別して本家ごと山を下りた如彩は、女衆の秘密を知らない。よって妾の子である柚子平は、御印の話を知らないと考えられていた。
 だが、何故かその事実を知っていた。
『え? 知られずに済む方法があるなら、なぜ教えてあげないの!』
『アレは術とは根本的に違うんです。一時的に無効化することはできますが、永続はできない。そして生成姫への報告を無効化できる手段を知っていると漏れたら、別な手段を使われる可能性があります。だから本人に教えることはできません』
『呪縛から解放してあげることは、できないの?』
『……ひとつ、方法は見つけましたが、私一人ではどうにもできません。毒をもって毒を制する難しさですよ』

 喋りながら、樹里は服の裾を握りしめた。
「あたし、ゆずに色々聞いておけばよかった。そしたら……雪さん、助かったのかなぁ。ごめんね……ごめんね、みんな」
 戻らない過去。
 通り過ぎた時間。
 遅すぎた救済の手段は、誰かを救えるのだろうか。


■参加者一覧
酒々井 統真(ia0893
19歳・男・泰
乃木亜(ia1245
20歳・女・志
大蔵南洋(ia1246
25歳・男・サ
水波(ia1360
18歳・女・巫
弖志峰 直羽(ia1884
23歳・男・巫
萌月 鈴音(ib0395
12歳・女・サ
アレーナ・オレアリス(ib0405
25歳・女・騎
天霧 那流(ib0755
20歳・女・志
ネネ(ib0892
15歳・女・陰
蓮 神音(ib2662
14歳・女・泰
刃兼(ib7876
18歳・男・サ


■リプレイ本文

 相談の結果。
 沼垂まで勝也を護送するのは、乃木亜(ia1245)と水波(ia1360)、アレーナ・オレアリス(ib0405)と天霧 那流(ib0755)の四人となった。
 酒々井 統真(ia0893)と萌月 鈴音(ib0395)は虹陣へ行くという。
 廃村で見つかった品物を調べるため、大蔵南洋(ia1246)と弖志峰 直羽(ia1884)、そして刃兼(ib7876)の三人が残った。調査後に狩野 柚子平(iz0216)との間を取り持つ為、ネネ(ib0892)もその場に残ることになった。
 酒々井と萌月はすぐに経つという。勝也にかける言葉がないようだ。
「何はともあれ……一通り目を通さねばならんな」
 大蔵が首を慣らしながら書類の束を懐から出した。
 オレアリスと話していた刃兼は「俺もこれを焙ってみようかと思っている」と呟いた。
 弖志峰が唸る。
「なんにせよ、アヤカシに養育されていた志体持ちの子供達の行方探しが重要だよな。白琵琶の仕事を引き継いだ者とその目的の手掛かりをつかめるといいけど……まずは、裏松で入手した子供の書いたと思しき日記帳の解読してみるよ」
 天霧と乃木亜は共に、魔の森での雪の発言に『企みがあるのでは』と囁きあっていた。
 そこへネネが近づき、天霧の袖をひいた。
「ここへ来る前に勝也さんのご様子を窺ったら、あまり眠れていないような顔色でした」
 どれだけ謝っても届かない。そう思うネネの手には、いまも雪の冷たい手足の感触が残っていた。忘れられない。定められていた運命だなんて信じない。
 だから最善を尽くす。
「勝也さんのところ、一緒に行けなくてごめんなさい……無理、しすぎちゃ駄目ですよ?」
 そっと薬草を手渡した。
 弖志峰も天霧達に伝言を頼んだ。
「勝也さんに二人を護り抜けなかった事を謝罪しておいてほしい。行けなくてすまない」
 水波は季節のお菓子を買いに出かけた。
 刃兼に私見を述べていたオレアリスが歩き出す。
「さて。生き残った私たちは何をすべきか。やるべきこと為すべきことは多くありますけれど、今は霧雨殿の依頼を最後まで果たしましょう。参りましょう、乃木亜殿」
「ええ。それでは宿に勝也さんを迎えに行って、支度ができ次第、出発します。皆さん、資料や品物の調査、よろしくお願いします。それと……樹里さん」
 乃木亜は人妖の樹里を呼び寄せ、ひっそり耳打ちした。
「霧雨さんへ伝言をお願いします。『大切な人を、悲しませる様なことはしないで下さい』と」
 ちらりと同行する天霧を一瞥する。
 仲間を気遣う乃木亜を見て「うん。わかったのよ」と人妖は答えた。
 人妖の樹里が、沼垂へ向かう四人を見送る。
 その様子を蓮 神音(ib2662)が偶然見かけた。
「久しぶり〜! 元気だった? 神音は苗字が変わったんだよ〜、お?」
 人妖に飛びついて頬すりをしていると大蔵達が顔を出した。そこで、ぴーんと第六感のようなものが働いた蓮は「今、暇なの。神音にもお手伝いさせて!」と手を挙げた。
 噂の神隠しの一件が事実であることをきかされつつ、大凡の経緯を聞かされた蓮は「ちょっと調べものにいってくるよ!」と飛び出していった。


 大蔵が読んでいるのは、廃村で発見された『アヤカシの教書』だ。
 おそらく子供達がアヤカシから、戦いの英才教育を学んでいると考えられる。
「うぅむ……浚われた子供達は『アヤカシに襲われる』もしくは『倒す必要性を強いられる可能性がある』という事になろうか……解せぬ。しかし数発で仕留めろとは随分酷な」
 古い文字で読みにくい。
 だが、獲物が徐々に大きくなっている事が読みとれる。
 屍人、屍狼、目突鴉、化猪、化蜘蛛、吸血霧、小鬼、豚鬼、鎧鬼……正直な話、豚鬼や鎧鬼を一人で倒せる技量となると、少なくとも、この教書を持っていた子供は、既に相当な使い手だと考えるべきだ。ギルドにも子供の開拓者はいるが、豚鬼や鎧鬼討伐の依頼は、必ず四人以上集めて討伐依頼を担当する。たった一人、それも数発で着実に仕留める腕前の場合、味方ならばどんなに頼もしい逸材だろう。将来が有望視されるのは間違いない。
 と、そこまで考えて。
 大蔵は、急激に血の気がひいていくのが分かった。
 襲ってくる開拓者に対する人質兼盾だというなら、洗脳までする必要はない。単なる諜報員なら変幻自在の夢魔がいる。
 では何故だ?
 幼少より生成姫を母と慕い、戦いの英才教育を施された、志体持ちの子供が……或いは成長した大人が、開拓者ギルドに来たら、一体どうなる?
 ギルドでは年齢、出身、思想は問われない。高い技量の開拓者は重宝される。
 それだけではない。
 人間なのだから探知には反応しない。濃い瘴気に長年晒された体は、陰陽師達のように瘴気への抵抗力を持っていると仮定して、彼らが慕い崇めるのは『生成姫』だ。

 刃兼は白紙の書状が燃えないように焙っていた。
 蜜柑の汁で白紙に文字を書くと、焙ったときに文字になって浮かび上がるという話を思い出したからだ。
 残るは二枚の花札と中身のない卵と琥珀色の数珠玉。
「うーん、花札と卵については、単純に書状を隠すためのモノなのかもしれないが……」
 旅立つ前のオレアリスは次の考えを述べていた。
『蜜柑の皮と臭いは白紙の炙り出しの暗示といった処かしら。花札は、梅に鶯は2月、藤に不如帰は4月。二枚の間の小さな鳥の卵を坊主ととらえるのでしたら、芒に雁の暗示になると思いますし、花札が2月と4月と考えるのでしたら、卵の殻は「から」月とか方角を表すものかも。琥珀色の数珠玉は里跡で柊嬢と共に浚われた、琥珀とかいう人物を示しているのかも知れませんね』
 多すぎる解釈に悩んでいると白紙に文字が浮かんだ。

 ・こころおく
   ・をちかたびとに
     ・ことのはを
       ・ろうたしみざま
         ・せいめいたり
(心に残る、遠くにおられる方に言葉を贈ります。今も瞼の奥に残る、かわいらしい容姿は、清らかで曇りがない!)

 ・たちばなの
   ・すゑつかたより
     ・けさうびて
       ・るりづきふたつ
         ・なべてととのふ
(実は、橘の花が終わる頃に恋心を抱いて、硝子の杯を二つ並べて買い揃えてしまいました)

 刃兼の目が、死んだ魚のようになった。
「……恋文か? いや、妄言か? なんだこれ……色々めちゃくちゃなのは素なのか?」
 弖志峰が肩を叩く。
「次はこっち。母親を慕わぬ子はいない、か……酷い詭弁もあったもんだ」
 魔の森の廃村『裏松』で入手した『子供の破れた日記』だ。
 これを別の紙に書き写す準備をしながら、ネネと刃兼に声を投げた。所々にある墨の指紋は、持ち主が十歳未満の子供だという事実を伝えていた。ネネよりもずっと手が小さい。
「北面に現れた白琵琶姫が、子供達を教育してやろうとしていた事は、きっと今も他の腹心が引き継いで実行してる筈だ。生成姫の手駒として育てていたと考えて……子供である事が、目的の為、崇拝させる為に都合が良く必要な事なんだろうな」
 始めよう、と項を捲った。
『○月×日。あたらしいかぞくができました。だからきょうは、おべんきょうを、しなくてもいいひ、です。いっぱいあそべて、たのしかった。あしたのおやつはなにかなぁ』
 里に新しい子供が加わった日らしい。
 その後しばらく、里の子供全員で際限なく遊ぶ日々が続いた。
 帰りたいと思わせる暇がない。
 やがて里での暮らしを教える内容に変化していく。
 新しい子供が来て半月は労苦のない生活が与えられ、やがて家事の当番が決まり、決まりを遵守するごとに『ご褒美』を与えられていた。おやつ、おもちゃ、豪華な食事、綺麗な衣類。一度覚えた贅沢を忘れられない子供達は、確実に与えられた課題をこなしていく。
『○月×日。おなか、すいた。きのうは、かりで、へとへと。またにっきをかかなかったので、きょうはごはんがありません。こがたなで、ずっとおはしをつくるしごとです。きょねん、にっきをさぼって、おこられてから、ずっとつづけてきたのに。くやしい』
 どうやら幼い子供ほど家事に専念している。
 文字を覚えさせられると、日記の義務があるらしい。
『○月×日。きょうは、いっぱい、さんさいがとれました。さとおさに、おぼえがはやいのはいいことだ、とほめられました。あしたから、せんせいのおべんきょうです』
 様々な山菜を沢山見分けたり、魚を捕らえたり、固く絞った雑巾で丹念な掃除ができたり。優れた身体能力や幅広い知識が身に付いた子供から『せんせい』のいる館への出入りが許され、戦術を叩き込まれはじめている。
 そして魔の森で見た項が続く。
 更に捲った。
『○月×日。きょうは、すきながっきを、ひとつだけ、もらえるので、わたしは、ふえ、にしました。だって、おかあさまが、きれいなえんそうと、おどりをおすきなのだもの。ふえもおどりも、じょうずになって、またおかあさまにあって、ほめてもらうの』
 刃兼が、弖志峰とネネを見比べて、首を捻った。
「……なあ、この日記の子。7歳から8歳くらいなんじゃないか?」
「え?」
「俺の家、兄弟が多いんだが……俺の面倒をよく見てた兄貴曰く、俺、五歳くらいには文字を書いたり読んだりしてたらしいんだ。別の兄貴より少し早いって。多分、この辺の成長は、修羅も人間も余り変わらないんじゃないか?」
 刃兼が日記の一部を示した。
「仮に……この子が遅くとも六歳頃に日記を書き始めたとして、少なくとも一年が経ってる。まだ難しい字が書けてる様子はないし、指の大きさがネネより小さい。雑巾を絞ったり短刀を握るのは、結構な握力が必要だ。向上心があるから、それなりに自我も育ってる。だから、そのくらいじゃないかと……思う」
 ひと通り読んでから、柊と柚子平の元を訪ねる話になった。
 急にネネが弖志峰と刃兼の服を掴んだ。じっと見上げる。
「どうか、柚子平さんの力にもなってください」
 浚われる前に見た、孤独な背中。事情を話したネネの懇願に、二人は頭を撫でた。


 虹陣へ向かう酒々井と萌月は、二人とも陰鬱な顔をしていた。
「狙ったわけじゃねぇ成果を誇る気にはならねぇ、雪を霧雨の所に連れてったのは手落ちだ……雪にとっても、勝也にとっても、霧雨にとっても。こっからどうするか……」
「霧雨さんを守って、これ以上の犠牲を出さない事……それが今、目指す事だと思います。生成姫がこちらへの興味を失っている間に……一矢報いる何かを、手に入れないと」
 焦りだけが、身を覆う。


 弖志峰と刃兼、ネネの三人は、瘴索結界などで周囲の警戒をしつつ、昨年末に妖刀飢羅に寄生されていた人物……柊のいる家へと向かった。
 道中、大蔵と合流する。行き先が同じなので共に訪ねた。
 ネネの手土産のキャンディで和みつつ、柊は琥珀の数珠玉を見る。
「琥珀の数珠だと思う」
 初対面の挨拶を済ませた跡、刃兼が発見した花札の箱の状態を再現した。
 書状は恋文らしい。
 だが、花札と卵との関係性はまるで分からない。まだ何か重要な意味がある気がする。
 弖志峰が日記を見せたが「誰の物かはわからない」と言った。日記を確認する係が別にいて、柊は『剣を教えることだけ』を架されたという。
 弖志峰は琴音と刹那を見た。
「あのさ、刹那さん達って。春花ちゃんと義賊を……『剣の華』が活動していた時に、志体持ちの子供達が攫われた、っていう話は聞かなかった?」
「ないな。というか志体持ちかは分からない。あの頃の虹陣は治安が荒れていた。女衒が女児を売り買いするのは珍しいことではなかったし、消えても誰も相手にしない。胴元を摘発するのに春花を使って暴れた以降は激減したが……根絶した、とは言えないな」
 今でも女子供の誘拐は相次いでいるかもしれない。
 しかし確かめようがなかった。春花や琴音たちは、虹陣で死んだことになっている。
 大蔵が唸った。
「柊殿。白琵琶と思しき壺姿の娘から子の教育について具体的な指示や声掛けは?」
「あったわ。毎月、子供達の技量を試すのはアヤカシの役目で、みんな『里長』と呼んでいた。里長は子供の扱いをよく知っていて……まるで年老いた乳母みたいだった」
 人間の子供の育て方を知っているということは、それだけ長期間、人の子供を手元で観察していたことになる。
 一年や二年どころの話ではない。
「子供達は何のために戦うか、理解していたのか?」
「ご褒美を貰う為だけど……大きくなった子には『おかあさま』を哀しませない為だと」
「おかあさま?」
「里長より上のアヤカシよ。私は見たこと無いけど、選ばれた子供だけが会えて『凄く綺麗』とか『神様の子供になった』って自慢にきたわ。それで、同じことをいうの」

 せんせい、知ってる?
 おかあさまは、みんなを愛しているのに、よその大人はおかあさまが嫌いなんだって。
 おかあさまが偉大で厳しいから、大人は我が儘なお願いばかり、するって。
 沢山お願いを叶えても、おかあさまを殺そうとするんだって。
 ひどいよね。
 だけどおかあさまは優しいから、よい子を家族にしてくれるんだって。
 みんな神様の子供になれるの。おかあさまは、常世の森を守らなきゃいけないから、私達が代わりに、家族を探しに行くの。森のお外では、おかあさまのことは秘密なのよ。
 悪い大人にはお仕置きする。
 そしたら、おかあさまも喜ぶよね。

「柊殿。集められた子供達の人数、年の頃はバラバラか? それとも大凡揃っていた?」
「赤ん坊は連れてこなかった。殆ど三歳から五歳前後で……十二歳とか、最初から大きい子は既にアヤカシを怖がるし『適さぬ』って言って、何処かへ連れていかれた。親に化けた夢魔を慕わない子や臆病な子もそう。査定に落ちると……里から消えたわ」
 柊が肩を奮わせた。
 刃兼が身を乗り出す。
「いつから子供が、裏松に誘拐され始めていたのか、見通しはつくか」
「……分からない。里から旅立った子もいるってきいたし、里にあった武器や防具は、開拓者から剥ぎ取ったような品物もあったから……あれが全部そうなら、相当な数だと思う」
「では、この書状の筆跡に見覚えがないか? 何か気づくことがあれば教えて欲しい」
 そこで琴音だけが眉をしかめた。
 刃兼の持っていた書状を、食い入るように見つめて翻す。
「……大昔、まだ和歌が盛んだった時代。どっかの悪戯好きの旦那が、同じ文を複数の奥さんに送りつけて、返歌を贈った妻を全員、笑いものにしたそうよ。歌の文頭には『あわせたきものひとつ』つまり『歌ではなく香をよこせ』と書いてあったのね。これ同じよ」
 一見、とぼけた恋歌。
 文頭だけを抜き出して読んだ四人は『ゾッ』と背筋が冷えた。


 虹陣は穏やかな空気が漂っていた。
 少し前まで、桜並木の見物客で賑わっていたという。あちらこちらに建材が積まれ、小さな活気が生まれていた。
 恋人の為に虹友禅を探しに来た、と告げた酒々井が、見事なまでに営業文句の雨を浴びている。ちらりと店番の親父達に「家族で染めてんのか? 立派な仕事だな」等と世間話を交えてみたが、どうやら志体持ちらしき人物はいない。
 農場の小夜の名前は、出さなかった。
 今は狙われる子供がいない、という幸福な事実に、酒々井は束の間の幸せを願った。
「不安の種がひとつ減った……かな。次の冬に向けて、伝手でもつくっとくか。おーい」
 周辺の聞き込みもかねて。
 からくりの桔梗をつれた酒々井は、材木屋を訪ねて、短期の力仕事を申し込んだ。開拓者業と農場で鍛えた体力が、重宝されることになる。
 一方の萌月は、覚えのある顔に声をかけつつ、一つ気になっていることがあった。
「……妖刀裂雷を封じていた封印具『剣の華』は、この里で発見された。……誰が、何のために、持ち出したのでしょう」
 妖刀飢羅は逃がしてしまったが、妖刀裂雷は折った。封印具も五行に回収された。
 しかし出所が、全く分かっていない。
 かつて虹陣の頂点にいた義賊の頭『春花』が『小さな頃から一緒にいる』と称していたのを聞いただけだ。
 春花がどこから『剣の華』を入手したのか。一体、いつ、誰が、何故、危険な妖刀を鬼灯の封印の間から外して、封印具に上級アヤカシを押し込むという驚異的な芸当をこなし、虹陣まで持ち出したのか。
 途中経過が、謎のままだ。
「……なんだか、嫌な感じがしますね」
 炎龍の鈴を撫でながら、萌月はざわめく胸に手を当てて、平穏な街を眺めた。


 目的の少女に会えなかった蓮は、猫又のくれおぱとらを連れて白螺鈿にきていた。
 色々聞きたかった天城天奈は、残念ながら榛葉家という大屋敷に呼ばれており、またもすれ違った。なんでも取引相手が亡くなった為の後始末と、夏の祭りが近いからとても忙しいのだ、と留守番の男が教えてくれた。この時期、家人でも捕まえるのは難しいらしい。
 如彩家四男、虎司馬の他界については、近くの農場に時々働きにいく家族から聞いていた。
 だから次男の神楽と三男の幸弥から情報を聞くつもりが……問い正される羽目になる。
「どういうことか説明して!」
「にーさん落ち着いて!」
 蓮に飛びかかりそうな女装次男を、三男が羽交い締めにしている。
 曰く、神音が来るのを、二人は今か今かと、ずっーと待っていたらしい。
 兄弟の一人が他界し、二人とも夜も眠れない恐怖に晒されていると訴えた。
 そこまで聞かされた神音は『……あ。そういえば二人も危ない、って。にーさまと一緒に、びみょーな嘘ついたんだった』と遠い昔の約束を思い出した。如彩家に探りを入れる為、兄弟全員が狙われていて危険だ、と信じこませたのだ。
 となれば。
 四兄弟の一人が死んだ以上、神楽も幸弥も『次は自分では』と恐怖のどん底に落とされる。誰にも相談できず、調査状況が分からぬまま、二人は恐怖の日々を過ごしていた。
「えっと……前に話した如彩にもかけられている呪い。虎司馬さんの死はそれに関係しているのかもしれない。もし知っているなら詳しい事を教えてほしい。神音は、神楽さんも幸弥さんも好きだよ。死んで欲しくない。だから危険だと思うなら無理強いはしないよ。でも、小さな一歩かもしれないけど、呪いを解く為に必要かもしれないんだ」
 神楽が押し黙り、幸弥が戸惑いながら話し始めた。
「虎司馬兄さんの遺体は……ひどい状態だったんだ。損傷が激しくて、葬儀でも棺の蓋は一切開けなかった。他殺が人為的かアヤカシの仕業が調べるから、って。封陣院の分室長様に言われて……表向きは病死になった」
 蓮は幸弥に、虎司馬の妹の香華の嫁ぎ先を尋ねたが「分からない」と言われた。香華には関わらないで欲しいと、生前の虎司馬達から念を押されていたという。


 一方、沼垂へ勝也を護送する間、勝也は殆ど喋らなかった。遺骨の入った小箱を抱え、遠くを見ている。オレアリスが雪との馴れ初めや思い出を尋ねても、天霧が自分の恋人が雪と同じ忌み子で死の淵にいると話しても、一切反応を示さず、空虚な時間が過ぎた。
 深夜、乃木亜は目が覚めた。
 ミヅチの藍玉がいることを確認して、安堵の息を吐いた。
 神隠し以降、眠りが浅く、自分の居場所と朋友の姿を確認して眠る癖がついていた。
 夜は仲間と交代で勝也を見張る。水波が術視をしたが何もなく、乃木亜の瘴索結界に何も反応はなかったが……イヤな予感が拭えなかった。そして勝也の寝顔を見る度に、心の中で謝罪を繰り返す。
 勝也を沼垂へ送り届けた後、四人は帰るふりをして近くに潜んでいた。
 その日の夜、動きがあった。
「どこへ行かれるのです」
 オレアリスが呼び止めた。
 闇の中に、淀んだ目つきの勝也が立っている。松明や火打ち石を持っていた。
「帰ったんじゃなかったのか」
「あなたが心配で」
「心配?」
 嘲笑う。狂気の笑みだ。正気ではない。
「里を、放火する気ですか」
「関係ないだろ。これは俺たちの問題だ。俺が雪の為にできることは……これだけだ。その結果、死刑になろうと本望だ。邪魔をするな」
 乃木亜が一歩前に出た。
「残された者は、生きなくちゃいけないんです! このままアヤカシに玩ばれて、悲劇を繰り返せば、本当に雪さんに申し訳が立ちません!」
 乃木亜の言葉に続いて、天霧が前に進み出た。
「彼女はただ、貴方がいれば十分で、一緒に暮らす幸せが大切だったはずよ。思い出してみて、彼女と過ごした思い出の日々を。復讐に手を汚す事なんて絶対に望んでない! その恨みはあたしが引き受けるわ。殴るなり好きになさい、抵抗しない。それで気が少しでも晴れ、心を癒やす事が出来るなら……」
「……気が晴れるか、だって? だったら俺と同じ場所に立ってみろよ! そうさ、あんたの恋人もじきに死ぬ! おれの雪はもう、いないんだ!」
 勝也の絶叫が迸る。
 同じ忌み子を愛した。同じ境遇だと思った。だが勝也と天霧は……決して同じではない。
 目の前にいるのは、生成姫を葬らなければ訪れる、暗闇の未来だ。
 乃木亜が囁く。
「勝也さん、あなたは開拓者を勘違いしています。私達は所詮……只の人間です」
 乃木亜は自分の姿を見下ろした。
 アヤカシを葬る為、人を救う為に。恐怖を押し殺して戦場に立ち、湯水のように金を使いながら自分と装備を鍛えてきたのも……全ては自分と同じ境遇の者達を無くす為だった。
 それがどうだ。
 狂気に憑かれた若者がいる。守ると約束しながら死なせてしまった娘を思う。
 たった一人の人間すら守れず、一体、誰を救えるというのだろう。
「……神楽の都へ連れ出したのは、私です」
 私は、逃げない。
 意を決した乃木亜は、蒼い鱗光を放つ刀「蒼天花」を勝也の足下に投げた。
「雪さんを殺した者が憎いなら、私を斬って下さい」
 金属製の扇「精霊」も捨てた。
 木彫りの能面を外し、烏帽子兜を脱ぐ。白鳥羽織を脱ぎ捨て、胸鎧「マーセナリー」の留め具を外した。ガシャガシャと音を立てて、乃木亜は身を守る全てを地面に放り出した。
「……武装を解きました。私は逃げません。あなたが刀を持って……ココに刃を立てれば、私は致命傷を負う。簡単に殺せます。他の誰かを手に掛けたいなら、私を斬ってください。その代わり……これで他の人を恨むのは、終わりにしてもらえませんか?」
「乃木亜殿!」
「全員動かないで! 藍玉も、そこにいてください。動いていいのは、勝也さんだけです」
 乃木亜の苛烈な声に、オレアリス達は足を止めた。
 振り返った表情は微笑んでいだ。
「皆さんには『帰りを待っている人』がいます。愛してくれる人がいます。皆さんに何かあれば、その人達は心配します。……きっと復讐しようとするでしょう。例えば隣のからくり達も、主人を害した勝也さんを許さない。でも私は、違う」
 刀を拾った勝也の元へ、乃木亜は一歩進み出た。
「勝也さん、あなたには私を斬る権利があります。私はあなたを、恨んだりしません」
 さくさくと進んで、刃の切っ先を……心臓の位置に当てた。
「私には……家族も、大切な人もいません。故郷もない。これは私の役目です。私の、けじめです」
 揺るぎのない、鋼の覚悟。
「まって! 乃木……」
「うああぁぁぁああああぁぁぁあああああ!」
 獣のような雄叫びが響き渡り、天霧達の声をかき消した。
 肉と骨を断つ鈍い音が響く。
 目の前で黒ずんだ血液が間歇泉のように吹き上がり、乃木亜の背中に生えた刃が、不気味に青白く輝いていた。ずぶりと深く突き刺さっていく。水波も、オレアリスも、天霧も、足が動かなかった。
 こぽ、と。
 血の泡が、乃木亜の唇から零れる。
「……こ、ご、ごめ……ん、な……さ……」
 い、と唇が微かな形を刻む。
 乃木亜の体が、ずしゃりと地面に崩れ落ちた。
 皆が息を呑む。
 全身に血を浴びた勝也は、呆然と手を見下ろした。
 金臭い。ぬるりとべとつく他人の血液。肉を裂いて骨を断った鈍い感触。勝也の手が震えはじめ、血塗れの刀が滑り落ちた。膝をついて、乃木亜をゆさぶってみる。大量出血で痙攣を起こしていた。血が衣類と大地に染みこんでいく。
 瞳から光が消えていく。
 このままでは、死んでしまう。
「バカ野郎! なにやってんだ!」
 勝也の喉から零れた怒号は、水波達に向いていた。
「術で回復しろよ! 死んじまう! 血が、血がとまんねぇ! 早く助けろよ! 仲間だろ! なんで立ってんだよ! なんでよけなかったんだよ! 俺なんかぶっ飛ばせるくせに! なんで斬られたんだよ! 畜生! 畜生! 畜生ぉ! わあぁぁあぁあぁぁ……」
 泣き叫ぶ声を、乃木亜は死の淵で聞いていた。
 自分一人が斬られて里の焼き討ちを止められるなら安いものだ、と本気で思った。
『ごめんなさい』
 言葉は音に成らず、涙だけが無性に零れた。
 そして……意識だけが急激に浮上していく。あの世だろうか。
 いいや違う。
 覗き込む顔、顔、顔。そして血塗れの勝也がいた。
 水波が閃癒を使っていると気づくまでに、随分と時間がかかった。
「ごめん」
 涙と鼻水にまみれた勝也の顔が見えた。
「あんた達は、お荷物だった俺達を守って、魔の森から、助け出してくれたのに。……そうさ。雪が出すのをやめた手紙を勝手に出したのは俺で、俺は何もできなかった。誰も守れなかった。……俺は自分の無能を棚にあげて、八つ当たりをしていたんだ……」
 何か言おうとした乃木亜の譫言は音にならず、朦朧とする意識の果てに消えた。

 そして勝也の放火を止めた数十分後。
 沼垂には不審な人影が現れた。
『……おかしいぞ。里が静かすぎる。オィ、ちゃんと、お言いつけ通りにしたのか?』
『おぉ。あの女の言葉であおれば、勝手に殺し合うはずだ。何故だ?』
『知るか。虹陣で内乱の誘発に失敗した今、今度こそ、里を一つ、滅ぼさねばならぬ』
『だが、これでは持ち帰れぬ。白螺鈿の龍笛様を呼ぶのは、まだ早いな』
『人の仕業にならぬよな? もう少しあおって様子を……ゲベッ!』
 人に姿を変えた夢魔は、一瞬で塩に変わった。
 夢魔達が大きく飛び退いて見やると、月光に浮かび上がるオレアリスと天霧の姿があった。皆、修羅か羅刹のような形相をしていた。
「やっぱり。……思い通りにさせない、彼も村も護る。梓、護衛と戦闘援護頼むわ」
 天霧の指示に、からくり達が退路を塞ぐ。偵察部隊らしきアヤカシを討ち取る為、オレアリスは地を蹴った。

 翌日、沼垂には変わらぬ朝がきた。
 別れ際、水波と天霧が順番に、勝也へ声をかけた。
「アヤカシの言葉に踊らされないで、本当の雪様を思い出して、そして彼女の分も生きて前へ歩んでくださいな」
「人はね、二度死ぬそうよ、生命の死と、誰からも思い出されず記憶から消える死。一番よく知る愛した貴方が居なくなれば本当に彼女は消滅する。だから……辛くても生きてて欲しい。何かあったら、知らせてね」
 語りかけて歩き出す。
 オレアリスは弱った乃木亜を支えていた。勝也が歩み寄る。
 乃木亜が首を傾けた。
「……他の人を、憎まないで、くれますか?」
 黙っていた勝也は「ああ……すまなかった」と答えて、頭を下げた。
 彼は二度と、人の道を踏み外すことはないだろう。

 道中、水波は空を仰ぎながら話を整理していた。
「昨夜の夢魔達の発言から思いますに……アヤカシ達はそれぞれの里を滅ぼそうとしている様ですわね? 自分たちは手を下さず、人間に大がかりな殺し合いをさせたがっているように見えますわ」
 天霧が悩む。
「……随分前、鬼灯では大勢を死なせてしまったけど、祟り神の真朱を討伐して、生け贄の供給を断ったわ。昨年、虹陣の派閥衝突は、血を流さずに止められた。潜んでいた妖刀裂雷も折った。沼垂は一年前の騒ぎで里の半分は焼けたけど、白琵琶姫は北面で討伐したし、乃木亜さんが勝也さんの暴走を止めた。残るは……」
 白螺鈿。
 五行の東で、最も大きな街。
 そこでは最近、不可解な事件が相次いでいると酒々井達は話していた。
 気になることは沢山あったが、重傷者もいる今、他の場所へ調査にいく余裕はない。


 一方、ネネと弖志峰、刃兼と大蔵は、五行の陰陽寮の前にいた。
 四人が柊を訪問している間に、柚子平は結陣へ戻っていた。柚子平は、玄武寮の副寮長を務めている。丁度、玄武寮は試験で忙しく、ネネは「柚子平さんに面会を申し込んできます」と寮に消えた。
 翌日。
 訪れたのは柚子平の屋敷だ。隠れ家ではない。
「アヤカシの傾向と分類の件で、質問のある方をお連れしました」
 ネネが門を叩くと、人妖の樹里が出迎えた。
 柚子平は、広い居間にいた。
 生活感がない。前にネネが聞いたとおり、普段は使っていない物置の家なのだろう。
 直羽や刃兼達を「仲間です」とだけ告げた。
 からくりのリュリュや猫又のキクイチや羽九尾太夫達朋友を廊下で見晴らせ、四人は腰を据えた。
 まず大蔵南洋は「質問したいことがある」と告げた。
「専門家としての意見をお聞きしたい。『アヤカシの死は消滅では無い』という可能性はありうるか? 死に何らかの意味があるならば、アヤカシがアヤカシを殺す理由となる気がするのだが」
 柚子平が大蔵を見据える。
「……共食いに関してでしたら、粛正の意図が大きいと思います。それと……アヤカシは生物ではありませんので、生死の概念は適用すべきではないかと。そこかしこに漂う瘴気が凝縮し、固まる事で『アヤカシ』の個体になる事は通説の通りです。個体に一定量の攻撃を与えると、形状を保てなくなり、霧散、散じた瘴気が大地に降りそそぐ。個体の形状や質量、芽生えた自我や特殊能力を完全に失う……という意味では『死ぬ』と言えなくもありませんが……消滅と言うには、ほど遠い」
 次に刃兼が尋ねた。
「霧雨は自分達の代で終わらせたい、と言っていた。柚子平は、どういう結末を望んでいるんだ?」
「正直、他人の命や国に、興味も忠誠心もありません。手の届くものが守れれば、それで充分……でした。守れませんでしたが」
 柚子平の兄弟が死んだと、仲間が話していた。
「あとは失わぬ為に、戦うだけです」
 弖志峰と刃兼が顔を見合わせたのを見て、ネネは瘴索結界を試みた。
 アヤカシらしき反応は、ない。
 ネネの「大丈夫です」という言葉を待って、弖志峰と刃兼が早口に問うた。
「単刀直入に言う。柚子平さん。生成姫の監視を欺く手段について、俺達でも応用できるなら、教えて貰えないだろうか?」
「そうさ。雪を救えなかったこと、生成姫に相まみえたこと……何も感じていないわけじゃない。今でも思い出して、手が震える」
 刃兼が拳を握る。
「これが悔恨か恐怖か、よく、分からない。だが……立ち止まることも、途中で降りることも、俺は御免こうむる。今は一つでも多く、情報を集めたいんだ。対抗策を知ってるなら御印自体の効果についても詳しいんじゃないか? 教えてくれ」
 柚子平は茶器を置いた。
「……御印を授かった忌み子は、心臓に寄生型のアヤカシを飼っているそうです。ごく少量の血液を吸血し続け、宿主を殺すことなく、与えられた役目を果たす為だけに存在する。寄生虫と代わり映えはしませんが、異様な耐久力を誇る為、取り除こうとすれば瞬く間に宿主を食い殺して、主人の元へ戻る」
 陰陽師は、根本的に瘴気の探知に反応する。
 その為、周囲は全く気づかない、と言う。
「生成姫、御自ら創り出して、追跡したい相手に寄生させたアヤカシです。その辺の蛭とは段違いですよ。寄生アヤカシの元には、定期的に伝達役となるアヤカシが来ます。人語や獣の声ではない所からすると、人の耳では聞こえない超音波の様なもので伝達している様ですが……その伝達役を虱潰しにすれば、一定期間の情報を消すことができます」
「本当にそれだけか」
「と、申しますと?」
「霧雨と雪の接触はバレて、霧雨と柚子平の接触は、何年もバレなかった……この違いは何なんだろうか」
 刃兼の双眸が光った。
「穿った所をついてきますね……そうですね。私なりに徹底はしましたが、それで防げたとは思っていません。私の話だけが向こうに漏れないのは『狩野の陰陽師だから』だと考えています。蔵の古文書を調べていて、仮説が生まれました」
「狩野家の蔵って……潰れていた、アレですか?」
 脳裏をよぎる、隠れ家の蔵跡。
 柚子平はネネを見た。
「さて。玄武寮入寮の時に主席だった貴方に、問題を出しましょう。アヤカシとは、瘴気が具現化した存在で、我々を食料にしていますね。当然ながら下級アヤカシは我々を食べるために襲う。では『中級アヤカシ』とは何ですか?」
 急な問題に戸惑いながら、ネネは天井を仰ぐ。
「えっと……下級アヤカシが力を蓄えたか、もしくは魔の森付近で瘴気が結合し、強力なアヤカシとして生まれた存在で、下級アヤカシには絶対的な命令力を保持して……います」
「では『上級アヤカシ』とは何ですか?」
 柚子平の問題はまだ続く。
「中級アヤカシが飛躍的に力を溜めるか、大アヤカシから直接生み出される強力な個体で、アヤカシを統括する指揮官的な地位にいます。下級や中級アヤカシが集めてきた餌を独占する特権を持っていて、高い知能を持つ者もいるので人語を話せたりしますし、徐々に強力な個体になるので、発見され次第、殲滅が望ましいとされています」
「では『大アヤカシ』とは何ですか?」
 意図を推し量ることができないまま、ネネは答え続けた。
「高い知能を持つ者から、全く知恵を持たない者まで様々ですが、上級や中級、下級アヤカシを生み出すことができるアヤカシの母体で、魔の森を構成することができます。上級アヤカシが大アヤカシになる、という事は原則無くて、理論上、大アヤカシを滅ぼせば魔の森の繁茂を止めることができます」
 拍手が聞こえた。
「素晴らしい。では……ここで、質問を変えましょう」
 柚子平の双眸が妖しい光を纏う。

「自ら魔の森を構成でき、配下を創造できる大アヤカシは……何を望むと思いますか?」

 それは。
「……え?」
 遠い遠い、遙かな昔。

「高い知性、強大な力、膨大な配下、広大な魔の森、そして途切れることのない餌の供給。全てを手に入れた狡猾な大アヤカシが、自ら封印されるリスクを冒してまで欲したモノは……何だと思いますか?」

 生成姫、唯一の失態。

「約300年前。冥越から五行へ渡り、猛威を奮った生成姫を、250年前の陰陽師達は封印する事に成功しました。七日七晩戦っても大アヤカシを葬れなかったにも関わらず、封印できたのは『大アヤカシが欲していたモノ』を、とある愚かな陰陽師が『取引をした裏切り者』から聞き出して知っていたからです。……これは宿題にしましょうか」

 気づけば、茜の空は鈍色に澱んでいた。
 柚子平の暗い微笑みが、四人の脳裏を離れなかった。