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■オープニング本文 前回のリプレイを見る 沼垂から保護した雪と勝也。 二人を神楽の都の安宿に入れたが、何も話さないまま日々が過ぎていく。 仮に事情を説明しても、二人は怯えるしかない。御彩・霧雨(iz0164)は溜息を零した。 放っておけば路頭に迷う前に帰るだろう。 「どーすっかな」 そこへ呼び出した開拓者達がやってきた。 雪と勝也の話で、沼垂の嘘が判明した。 亡き月花は、失せ物を探しが得意だった。 遭難者すら占いで探し出したので、次第に予言者として名が知られ、やがて現人神とされた。 山で遭遇するアヤカシが悉く二人を避けた件も手伝ったのだろう。 雪曰く、占いには秘密があった。 月花はアヤカシを操れたと言う。小鬼や眼突鴉が捜し物を手伝う程度だった。月花は才能が開花したのだと舞い上がり、アヤカシとの交流を悟られぬ為に雪も手伝い、双子で予言者を名乗った。歪な状態を受け入れた。 その結果。 雪と月花は里を守る為、常に矢面に立たされた。 だがアヤカシへの説得は失敗。 度々被害を度々受けていた里の落胆は大きく、人々の憎悪は里を守れなかった双子に向いた。嘲笑や石投げ、果ては放火。文彩家の焼死は、沼垂の者が火を放った結果らしい。幸い雪は勝也の元にいた為無事だった、が……里の敵意を恐れて息を潜めた。 時同じくして、里には修羅を名乗る楽団が現れた。 楽団は雪と月花を探していた。 宴の席で「二人に会いたい」と言ったらしい。 だが酔っぱらいの一人が数日前の放火を口走った途端、態度が豹変し、アヤカシは本性を現した。 沼垂は火の海と化し、一夜にして里の半分が消えた。 「つまり文彩の放火も、アヤカシのせいにしたと」 沼垂の者が言い淀む訳である。 「修羅を語るアヤカシ……そういえば一年前は【天儀と修羅】の騒ぎで似たような話があったな」 時は遡り、天儀歴1010年の11月上旬。 五行の隣国、石鏡の安須大祭では、大もふ様脱走と封印された修羅の王「酒天童子」が復活するなど波乱が撒き起こった。鬼に似た種族、修羅の名が広く世に知れ渡ったのも、この騒ぎ以降の話である。 また丁度この頃から、各地ではアヤカシの活動が活発化し、修羅を名乗る者達による襲撃なども頻発していた。これら襲撃は殆どが開拓者によって撃退され、修羅を名乗る者達も大半がアヤカシだった事が確認されたが、五行もその例に漏れず、沼垂周辺にも修羅を名乗るアヤカシが頻発していたのだろう。 「朝廷と修羅の和議成立は天儀歴1011年2月頃、事実上の陽州解放と修羅の開拓者登録は同年秋頃だ」 「沼垂を襲ったのが北面に現れた白琵琶姫だと仮定して、白琵琶は当時の騒ぎに乗じたんだろうな。あの頃、ギルドは手一杯だった。田舎里にまで気を配る余裕はない。……なるほどな」 「何」 「不思議だったんだ。なんで白琵琶が処分対象になったのか。この中の何人か、現場にいたろ? あの時白琵琶はこういった」 『生憎と人の世の情報操作は私の担当外でな』 「生成の暗躍の仕方は巧妙だ。少なくとも白琵琶の言動から察するに、頭のいい手下連中に、役目を割り振っていることは明白だ。生成の身になって考えてみろ。飢えの制御どころか言葉も話さない下級や、新米のバカを、大事な仕事に使う訳がない」 「なるほど」 「事実、白琵琶は妖刀裂雷達と肩を並べたと言っていた。片腕に準ずる程度の技量は持っていたはずだ。けど伝説の妖刀は折られた。使える駒は減る。仲間内で妙な疑惑をかけられた位で、融通が利く大事な手ゴマを処分する訳がない。共食いを命じたのは処分方法としては効率が良かったからだろうが……他に、大事な手駒でも処分する理由があるとすれば……生成の逆鱗に触れたこと位しか考えつかない」 話を聞いていた霧雨が依頼書を漁る。 「白琵琶の討伐は今年2月。生成姫が賞金首になったのは昨年の秋。調査で判明したのは八月。今から一年前だと、生成の話が公になる前だ。少なくとも大胆な行動は一切してない頃だな」 「役目に失敗して制裁を受けた、とかでしょうか」 「かもな」 沼垂問題の大凡は判明したが、問題は今後どうするか。 「明日、今後を考えようぜ」 霧雨が手を叩いた。 集まっていた開拓者達は、同じ宿に部屋を取っていく。 そして、いつもの明日は来なかった。 手が、冷たい。 「起きてください!」 体が重い。目を覚ますと、顔面蒼白の雪がいた。 近くに見知った仲間達が薄汚い床に転がされている。勝也と雪が皆を起こしていた。 何が起こったのか、理解できない。此処はどこだろう、と建物の外へ出てみた。 まだ薄暗いが、朝陽が昇り始めている。 誰もいないし、音もしない。 小さな集落らしい。 集落は濃い瘴気が漂い、集落の外には魔の森が広がっている。 「神楽の都じゃない」 次々に仲間が目を覚ました。 勝也曰く、一番先に目を覚ましていたのは勝也らしい。 少し前まで女の姿をしたアヤカシがここに居た。そして雪を抱く勝也に告げた。 『人の身でよくぞ逃げ延びたものだが……御印を持つ者の傍に来てくれて助かったぞ。おかげで探す手間が省けた。さて、今周りに倒れている者は、貴様に手を貸した者で違いないな? 姫様は大層お怒りだが……貴様に感心し、娘の体をくれてやっても良いと申しておられる。条件は、姫様を楽しませること』 『楽しま、せる?』 『左様。ここは姫様の森。そこな無礼者共と、日没までに森を抜けてみせよ。さすれば、そなたの勇気を認め、娘を裂かずに解放してくださるぞ。失敗すれば不敬の罰として貴様の命も貰う。その娘に監視をつけておく。さぁ皆を起こせ』 異常事態だ。 全員、神楽の都から五行東の魔の森まで誘拐されてきた。 しかし怯えている暇はない。目を覚ましてから知恵を持ち寄った。 「見回ってきた。近くにアヤカシはいないみたいだ。ここ多分、柊さんがいた所だよ。それと太陽は西から東へ動く。だから向こうが北で、反対が南。柊さんと色々話したけど、虹陣にいた頃より朝と夜は冷えたといっていた。ここは空気も薄いから山麓より……少なくとも中腹よりは上だと思う」 「かなり範囲が狭まったのです」 古地図と睨めっこが続く。 「さっき外で見えた山の崖崩れあと……あの岩肌は彩陣から見た覚えが……逆位置なので、山の反対側なのだと思います。距離感が曖昧ですが……多分この範囲内です」 「該当するのは古地図の『裏松』だな。現在地をこの辺だとして、森を闇雲に下るより、彩陣に向かう方が早い。だが日没までに小山を越えるのは難しいぞ」 「御彩のお義母様から伺った忌み子の門は、この小山の麓よ。社裏の洞窟を少し歩いた。小山を抜ける洞窟があるんだわ。鍵だってあるもの」 「決まりだな」 全員が瘴気に感染した状態で、何処まで持つかは時間の問題。 脱出経路は決まった。 あとは雪や勝也達を守りながら抜けるだけ。 けれど。 何か、禍々しい者の気配を感じる。 |
■参加者一覧
酒々井 統真(ia0893)
19歳・男・泰
霧崎 灯華(ia1054)
18歳・女・陰
乃木亜(ia1245)
20歳・女・志
大蔵南洋(ia1246)
25歳・男・サ
弖志峰 直羽(ia1884)
23歳・男・巫
萌月 鈴音(ib0395)
12歳・女・サ
アレーナ・オレアリス(ib0405)
25歳・女・騎
天霧 那流(ib0755)
20歳・女・志
ネネ(ib0892)
15歳・女・陰
刃兼(ib7876)
18歳・男・サ |
■リプレイ本文 脱出前に御彩・霧雨(iz0164)達が行ったのは点呼だった。 まず酒々井 統真(ia0893)と人妖のルイ。 弖志峰 直羽(ia1884)の隣には猫又の羽九尾太夫がいた。 天霧 那流(ib0755)と萌月 鈴音(ib0395)と霧崎 灯華(ia1054)の龍の姿はない。 顔面蒼白の乃木亜(ia1245)もミヅチの藍玉がいない事に気づく。 アレーナ・オレアリス(ib0405)のアーマーことヴァイスリッターもいなかった。 一方でネネ(ib0892)の猫又の埜乃や刃兼(ib7876)の猫又キクイチが見つかったので、部屋にいなかった朋友達は置き去りになったのだろう。 一人巻き込まれた者がいた。 猫又の浦里を抱えた大蔵南洋(ia1246)である。 「いかな私と言えども流石にこれは、な。見知った者も多い故助かった。大蔵南洋と申す」 大蔵は落ち着いた態度で初見の者に挨拶した。 偶然、同じ宿にいた。だが過って共に誘拐されたとは言い切れない。 大蔵は幾度も生成姫討伐を実現する為に力を貸してきた。そして昨年末、神楽の都に妖刀飢羅が襲来した時に『妖刀裂雷を折った者だ』と堂々宣言して馳せ参じた経緯があり、逃亡した妖刀飢羅は大蔵を負かすことに執着している。 不憫な話だ。 だが幸い、状況を推し量れるだけの知識と経験を、大蔵は備えていた。 酒々井や弖志峰、天霧たちは手短に話した。 雪は文彩分家の志体持ち、即ち『忌み子』であること。 かつて虹陣で妖刀裂雷が暗躍した義賊「剣の華」結成時に関わった夏葵達八人の開拓者の一人であり、妖刀飢羅に寄生された『柊』が浚われていた場所が、此処であること。 御彩霧雨は彩陣の女衆のしきたりにより、誕生直後から生成姫の監視下にあったこと。 そこまで聞いた大蔵は三人の声を遮った。 「承知した。後は生還後に伺おう」 「ありがと、大蔵さん。……あー、宿の朝飯楽しみにしてたのになァ。俺の日替わり定食……にしても、アヤカシに夜這いかけられてたとか、ぞっとしないんだけど」 軽口を叩く弖志峰の眼は笑っていなかった。 萌月が言葉を添える。 「誰にも気付かれずに……浚ってくる事など、容易いと言いたいのでしょうね」 今回。 大アヤカシが本気を出せば安全な場所など何処にもない、と証明された。 敵の力を甘く見ていたと、萌月は思った。 近年、大アヤカシ撃破の報告が相次いでいる。あの弓弦童子すら滅した。 だから気が緩んだのかもしれない。一刻も早く、生成姫の領域から抜け出す必要がある。 緊迫する空気の中で、霧崎は面白いことになったと胸を躍らせていた。敵の掌で踊るのは酌だが、踊らされてやるのも一興。オレアリスも『態々自分の庭までご招待頂くとは、面白い趣向ですこと』と考えていたが、手が込みすぎている気もする。別な意図があるなら堪能ついでに見破りたい。 一方の刃兼は、魔の森の奥深くにいる現状を虚ろに認識していた。 自分の窮地より、冥越に身を置く修羅達の苦労を思った。 「今は……生きて、森を抜けることに注力しないとな」 振り向くと勝也と雪が説明を求めていた。 酒々井が「長い話になるから落ち着ける場所で」とかわして、霧雨にも一言釘を差した。 「何をしくったとか今は言っても仕方ねぇ。まずは生きて戻ろう」 「生き残る事。それだけですね」 ネネも魔の森の中にいる危険を重々承知していた。古地図を懐にしまう。 気づかれたこと。命運を握られていること。そして『戯れなら約束を守る保証も……』と延々乃木亜は考えていたが、仕方ないと割り切った。 「他に道がないなら、気持ちを切り替えて脱出に意識を向けましょう」 念の為、天霧は門の鍵を懐にしまう。 「雪さんと勝也さんを御願い。少し周囲を調べたら、出発よ」 勝也と雪へ寄り添う乃木亜が「森を抜けてから説明しますから」と言いながら二人に食料を持たせ、オレアリスが符水を渡しつつ使い方を教え、勝也が重圧に負けぬよう元気づけ始めた。 その様子を酒々井が難しい顔で窺い、霧崎が魔の森からアヤカシが襲ってこないか見張っている間に、他の者達は裏松の里を調べ始めた。 何か見つかるかもしれない。 ネネが見る限り、裏松の里に残された生活必需品はゴミばかりで、私物が余りない。住んでいた者が、引っ越したような感覚を覚える。 天霧は集落を走り回り、生成姫との謁見が叶う屋敷を探してみたが、生憎とそれらしい建物がない。裏松ではないらしい。 萌月は廃村の母屋の内部を、扉や窓から伺ってみた。薄く埃の積もった屋内は、どこも静寂が漂っている。 大蔵は、北面で滅んだ白琵琶姫が『志体持ちの子供』を浚った真意が気になっていた。大人の開拓者が教師役ならば、子供の役目や白琵琶姫と妖刀飢羅が語ったという『計画』は何を示すのだろう? 『能力を高め、良質の餌にするには非効率的すぎる。北面の時のように、隙をついて餌を確保したほうが早い。餌以外。子供でなくてはなせぬ何か……という可能性があるか』 胸中で呟き、一軒に足を踏み入れる。 文机が沢山ある。寺子屋に似ていた。埃も少ない。 乱れた座布団を持ち上げると、十数枚の和紙があった。子供の字だ。 墨字の上から整った朱文字で訂正や補足が書き足されている。 各下級アヤカシの倒し方が記されていた。状況や子供故の身長差なども考慮され、より効果的で無駄がない。熟練開拓者の目で見て、戦いの高等教育が施されていた。 しかし何故アヤカシが、志体持ちの子供達に『同族の狩り方』を教えているのだろう? 首を捻った大蔵は『アヤカシの教書』を拾い、懐にしまった。今は熟読する暇がない。 弖志峰も、白琵琶達が里の跡地を使い、子供達に何の教育を施していたのか考えた。 『生成姫のよりしろ用……は、今更か。アヤカシの息がかかった人間を作って、人里で工作しやすい態勢でも作ろうとしてたんだろうか。でも紛れ込ませるなら夢魔がいるし』 胸中で呟きながら散策を続ける。 猫叉の猫心眼で仲間以上の人数は観測できない。 生活の痕跡を探ったがゴミが多く、子供達が残した落書きなども時々見たが、歪でよく分からない。箪笥と壁の隙間から猫又が引きずり出した襤褸の冊子を適当に開いてみた。 『○月×日。きょうは、しけんのひです。ずっとみずくみをてつだってくれたおおかみを、ころしました。ほめられたけど、ぜんぜんうれしくありません。かなしくなくなるまでたおしなさい、といわれました。ゆうがたになると、べつのおおかみがきて、みずくみをてつだってくれました。でもころさないといけないので、なかよくなるのはやめました』 次の項を捲る。 『○月×日。きょうは、おひめさまにあいました。おひめさまはかみさまで、わたしたちはとくべつに、かみさまのこどもになるんだよと、おとうさんがいいました。いいこのわたしは、きょうからおひめさまを、おかあさま、ってよんでいいみたい。また、おかあさまにあいたいな。がんばれば、ほめてくれるかな』 ……では逆に問おう。母を愛さぬ子がおるのか? 何かが脳裏を掠めた。弖志峰は『破れた絵日記』を懐にしまう。今は読む時間がない。 刃兼は、子供達や柊の仲間の痕跡はないかを探した。 手紙や書物が無いか、猫又のキクイチに低い位置、狭い場所を走らせる。 数軒目の神棚に花札の小箱が放置されていた。 手に取った。妙に軽い。振ってみるとカラカラと音がする。意を決して、あけてみた。 中身が殆ど無く、何故か『梅に鶯』と『藤に不如帰』しかない。 そして二枚の間に小さな鳥の卵が挟まれていた。 食事の残りだろうか。中身はない。 二枚の花札と鳥の卵を取り出すと、更に琥珀色の数珠玉、乾燥した蜜柑の皮と折り畳まれた和紙が入っていた。和紙は白紙だったが、一瞬だけ表面から蜜柑の香りがした。 刃兼は『花札と鳥の卵』と『白紙の書状』を懐にしまう。 裏松を出立した一行は、先行偵察役に酒々井と乃木亜を選び、勝也と雪を中心に据えて、霧崎、大蔵、霧雨の三人を前の壁とし、左に萌月とネネ、右に弖志峰と刃兼、後方をオレアリスと天霧が守った。大物との遭遇に備え、練力消費を抑えて、可能な限り回避する。 だが此処は魔の森だ。 虫や小動物に似た下級アヤカシの排除は、砂漠の砂を数えるようなものだった。 乃木亜は心眼を使ったが、全方向に存在を覚えて、自分の恐怖心を煽るだけに留まる。 「岩人形が歩いてるな、鷲頭獅子も何頭かいるし……迂回するか」 酒々井は人妖のルイを人魂を使い後方への連絡係にしたが、四十秒しか持たない上、最大八回と限られていたので、突破できない中級アヤカシの群を発見した時に限定した。迂回しても遭遇する敵は、倒すしかない。 「次から次へとよくもまー……まあ全部潰してやるけど。押し通るしかないわ、でかいのはまかせて」 酒々井の後方にいた霧崎が、木の陰から三十メートル先の赤小鬼に呪声を放った。 熟練者には脅威ではない。一発で楽勝だと思った。 だが一撃で倒れない。 これが魔の森において飢えを抑え、倍近く強化されたアヤカシ達の実態なのだ。 「無駄討ちはゴメンよ!」 歩き出して僅か十五分。 時間と体力と精神力、果ての見えない戦いが始まった。 乃木亜と共に先行する酒々井は、奇襲に警戒しながら悩んでいた。 『生成姫がただの遊戯でこんなことをしたとは思えねぇ……生成姫自身が見逃してた忌み子を俺達が見つけたってことで、他の忌み子の居場所でも会話から探る気か』 迂闊な話は口にできない。皆、筒抜けると分かっているから異様な沈黙が保たれる。 とはいえ、沈黙に耐えられない者もいる。 勝也や雪だ。 「……ねぇ、本当にこっちであってるの? 私たち助かるの? 勝也もなんとか言ってやってよ。私たち、なんでこんな目にあわなきゃいけないの」 勝也が情緒不安定な雪を慰める。仕方がないので、萌月は目覚めた時の事を話題にした。 雪と勝也の話を聞いて、萌月が指摘する。 「姫様と呼んだ以上……生成ではないですね……私たちの知らない、腹心でしょうか?」 「なまなりってなんですか? 俺が会ったアヤカシに覚えが?」 「ちょっと、お喋りは森を出てからよ」 霧崎が勝也を叱咤した。隣の大蔵も頷いた。 「左様。今は脱出が先だ。だが……戻ったら理由を調べねばなるまい」 乃木亜は「すみません」と囁き、後方の勝也達を見た。 「ここを抜けたら私の知りうる話は全てお話しします。今は私達に付いてきてください」 後ろの天霧も「助かる為に今はあたし達を信じて」と言葉を添えた。 刃兼は通った場所に白墨で印を付ける。 傍らの弖志峰は、柊と共に浚われた琥珀と子供達の行方を考えていた。 『誰も居なかった。大人しく解放されたとは思えない』 長く歩くと体力的にも瘴気感染の度合い的にも勝也達の体調は悪化した。 せめて靴擦れや軽い怪我を、治癒符で治してやりたいが、今は消耗を避けるべきと分かっている。ネネは二人の足に包帯を巻きながら、無理に微笑んでみせた。 しかし手当ついでにネネは気づいた。 雪の肌は異様に冷たかった。そして勝也はオレアリスの符水をがぶ飲みしているのに、雪は勝也に差し出されるまで一滴も口にしない。嫌な予感がしたが、笑顔の裏に隠した。 「急ごう。……昼になるな」 刃兼は契約の時計で時間を確認した。目的地は遠い。 時は刻一刻と過ぎていく。 何十体を倒したのが、考えるのも嫌になってきた。 「ぬぅん!」 気力で体調不良を凌駕した大蔵が、鍔に鬼女と紅葉の透かしの入った刀を一閃させる。 偵察と本隊を分断するように樹上から奇襲した二体の女郎蜘蛛のうち、一体はやっと瘴気に還った。女郎蜘蛛は、がしゃどくろや鵺と同等の手強いアヤカシに他ならない。 退治は困難を極めた。 振り返ると、刃兼と萌月が左右から湧く子蜘蛛を片っ端から切り裂いていた。 後方で梅の香りと白く澄んだ気を纏った太刀をふるう天霧と、聖堂騎士剣で女郎蜘蛛の胴を塩に変えるオレアリスの背中が見える。 「絶対に……諦めない!」 「勝也殿と雪殿には、指一本ふれさせません!」 倒し終えると、ネネが負傷者を最低限回復させる為に走り、弖志峰が残り少ない練力で加護結界を前衛にかけ直し、大蔵は猫又の浦里を走らせ、先行する二人に無事を伝える。萌月が膝をついた。 「こんな状態で戦い続けたら……体が持ちません」 「諦めるな、鈴音。後少しだ」 刃兼も『ここで死ぬのか』と時々考えた。でも口にすれば現実になってしまう。 毒々しい木々の狭間から見える空は、茜色に染まっていた。 山の影に入ると、景色から刻限を判断するのは困難になっていく。 唯一、刃兼の時計が時間切れまでの猶予を示した。 急に視界が広がった。 魔の森を抜けたのだと理解するまでに、時間がかかった。 人魂で鳥に変じたルイ飛んできて道を示し、霧雨の肩に降りる。人妖の樹里との交代伝達も既に限界。少し歩くと酒々井と乃木亜が洞窟の前にいた。弖志峰と乃木亜が松明に火を灯す。所々に鬼火がいたが、近づかない限り襲ってはこなかった。洞窟の中は一本道で、奥へと進む度に狭くなっていく。 奥に重苦しい門が鎮座していた。 「ありました! 天霧さん!」 松明に照らされた狭間の門には、鬼の顔をしたカラクリ錠がついている。押しても引いても動かない。呼ばれた天霧は首にかけていた御彩家の鍵を持ち出し、以前教えられた通りの手順で鍵を回す。 すると扉の中で奇妙な音がした。 キリキリキリ……カチカチカチ…… 扉が手前に開きはじめた。 「みんな出て!」 仲間が全員、門を潜ったのを確認してから、天霧達は扉を閉めた。 閉じると再び奇妙な音がして、門は固く閉ざされた。 この先は霧崎と萌月と天霧が経路を知っている。 少々入り組んでいるが、じきに広い場所に出て、洞窟の外には彩陣があるはずだ。 洞窟の広い場所に出ると天井が崩落していた。崩落した場所から空を窺うと、空が茜から鳶色に変わっていく。 約束通り、日暮れまでに抜けたのだ。 「助かった、のか? 助かったんだろ? 雪、俺達助かったんだよ! 帰れるんだ!」 勝也の喜びように、他の者達も少し肩の力が抜けた。 守り通せて良かったと思った。 けれど。 「……そうね。日暮れまでに森を、抜けてしまったのだわ……」 雪は異様なほど落ち着いていた。 勝也の背中に手を回し、一度だけ抱擁に応えた。道中の情緒不安定ぶりが消えていた。違和感に体を離した勝也と、寄り添っていたネネが見たものは、微笑みと頬を伝う涙のしずく。 アヤカシの言葉が脳裏を掠める。 「勝也、大好きよ」 ……条件は、 「それだけは忘れないで」 ……姫様を、楽しませること。 次の瞬間、全員が弾き飛ばされていた。 「ぐ、……なんなのよ!?」 霧崎達、重傷を負った者が起きあがるのは容易ではない。這うように身を起こして見たものは、口や鼻、耳や毛穴、穴という穴から黒い煙を吐き出す雪の姿だった。 煙ではない。 あれは瘴気だ! 洞窟の中へ瘴気が充満していく。汚染が飛躍的に悪化するのを肌で感じた。 『ほほほ、なかなか愉快な散策であったぞ』 美しい声が響く。 膨大な数の鬼火が出現した。地獄絵を思わせる輝きだ。 瘴気の一部が盛り上がり、卵形を形成した。霧散した先には、金銀細工の宝飾と紅蓮の着物を纏った豊満な美女の姿があった。いいや、普通の女ではない。毛先が鬼火のように燃えている。腕が六つある。白皙の顔は慈愛に満ちていたが、左右に鬼の首がついていた。 このアヤカシの名を知らぬ開拓者はいない。 「ナマナリ、ヒメ」 雪の屍に憑依した監視者。 それは紛れもなく魔の森を統べる、古の天女であることを認めざるを得なかった。 全身から冷や汗が吹き出す。生成姫は優美に微笑んだ。 このままでは殺される! 『褒美じゃ。娘の体を持ち帰るがよい。約束通り、裂かずに帰してやろう』 どしゃり、と雪の抜け殻が勝也の前に投げ落とされた。 『おかえりなさいませ、姫様。如何でしょう』 ふいに羽衣を持った女が現れた。 見覚えはないが、上級アヤカシだと察しがつく。 『暇つぶしの戯れとしては有意義であったが、検証としては無意味な試みじゃったの。白琵琶や飢羅、龍笛や夢魔の報告ほど脅威とは思えぬ。真朱は兎も角、裂雷を折ったとは真に信じがたい。岩人形ですら戦わず逃げたのだぞ? 木偶共は物事を大げさに捉え過ぎる。おかげで長い間、余計な警戒に力と時間を浪費してきたようじゃ。よもや憎い顔と瓜二つの娘の肉を纏ったばかりか、直接食う羽目になるとは思わなんだ……そなたは妾を失望させるな』 不気味な羽衣を受け取った生成姫が、纏いながら睨視する。 『肝に銘じます。この者達の処分は如何します?』 『捨て置け。じきに死ぬ。生き残ったところで、気を配るほどの価値もない。御彩の方はまだ頃合いではないしな。むしろこやつらを見て、人間共も身の程を知るであろうよ』 生成姫は、闇に溶ける様に何処かへと消えた。 上級アヤカシも膨大な数の鬼火を引き連れ、崩落した天井から遠くへ飛び去った。 それから少々大騒ぎになった。 開拓者達は生還したが、まずは瘴気感染を回復する為に神楽の都へ搬送された。 汚染の程度により、一人2000文から4000文の出費と、朋友も問題だったが勝也達の費用を皆で折半した。また彼らがいた宿屋には置き去りにされた朋友達が主人の安否を気にしており、宿屋の周囲では神隠しの話が持ちきりだった。アヤカシに浚われたと話しても、信じる者は少なかった。 一部の開拓者達を除いて。 疲労困憊していた面々に、依頼人の御彩霧雨は頭を下げた。 「皆には、すまないことをしたな。俺は死神と繋がっているようなものだ。忌み子を調べたり、救おうとするだけで……敵に知れる、物事が裏目に出てしまう。よく思い知ったよ」 「霧雨さん待って!」 「庇わなくていいんだ、那流。むしろ忌み子の救済を望むなら、刻印の持ちの俺は関わっちゃいけないんだよ。それが分かっただけで充分な収穫だ。……この中の何人かでいい。後日、勝也さんを沼垂へ護送してもらいたい。それを最期に、俺は調査の依頼を取り下げる。依頼料は払うから心配するな」 「金の問題じゃない。あきらめるのか」 酒々井が、霧雨の胸ぐらを掴んだ。 「諦めはしないさ。ただ、世の中にはどうにもならない事がある。別の手を考えるさ」 霧雨が立ち去った後も、皆の表情は重苦しいままだった。 無理もない。 刃兼が震える手を握りしめた。 「……生成姫、御自ら値踏みに来ていたとは、な」 運命の悪戯で生き残った、存在するはずのない奇跡の忌み子。 雪の生存が漏れた。皆、仕方がない事だったのだと、薄々分かっている。 遅いか早いかの違いだけだった。 「私達は、守れなかった」 ネネは顔を覆った。弖志峰が肩をさする。 「そうね。でも考え方次第よ」 霧崎の言葉に乃木亜が絶叫した。 「もとより救えない命だった……なんて割り切ることはできません!」 だが大蔵や酒々井達は、何かに気づいたらしい。 「……雪を救えなかった。それは俺達の不注意かもしれない。だが俺達は生成姫の思惑には一切のらなかった。雪は、最高の置き土産を残したんだ」 「置き土産……ですか?」 萌月やオレアリスが首を傾げる。 開拓者達が、最良の未来を求め、あがいて、無意識に選び歩んだ道。 「俺達を庭で泳がせて観察し、雪を吸収して、記憶から俺達と交わした会話を吟味した」 それは。 「生成姫は『今の人間は気に止めるほどの価値がない』と判断したんだ」 守りたかった娘の命を代償にして手に入れた、幾千万の人々を救う為の優位だった。 数日後。 『五行東に広がる魔の森の侵食速度が、何故か急激に緩やかになった』 という報告がもたらされることになる。 |