【忌み子】生成姫の呪い
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: シリーズ
EX :相棒
難易度: 難しい
参加人数: 10人
サポート: 1人
リプレイ完成日時: 2012/04/08 07:24



■オープニング本文

『死も恐れぬ者に、協力を求める』

 物騒な一文しか書かれていない、陰陽師の依頼書。
 その依頼書に興味をひかれた者達が指定された相談室に顔を出すと、依頼人の御彩霧雨がいた。肩には彼が悪友から預かっている抹茶色の髪をした人妖の樹里。
 陰鬱な表情で椅子に座った。
 革袋に詰まった多額の報酬が置かれる。
「依頼を話す前に、まず一つ。近い将来、俺は生成姫(ナマナリヒメ)に殺される可能性が高い。大アヤカシが一介の開拓者を狙うなんて、と思うだろう? 信じられないよな。俺もそうだった」
 書類の束を、目の前に置いた。
「賞金首の話が公になってから、生成姫が一度封印されていた話を知ってる奴は多いと思う。俺は、その封印を行った陰陽師達の子孫だ。事情は割愛するが、過って解放した一件に、俺より昔の子孫が一枚噛んでいる」

 約250年前(天儀歴761年)頃に生成姫を封印したと言われる陰陽師の末裔たちは、約100年ほど前(天儀歴911年)に飢饉に伴う複雑な事情で封印を解放した。その際、怒り狂った生成姫に、未来永劫子孫を祟ると囁かれており、以後、かの陰陽師達の血族に生まれ出た志体持ちは、皆一定の年齢になると人知れず変死している。
 時は流れて天儀歴1011年、生成姫の存在が公のものとなり、祟りを受けた子孫が再び世の中の明るみに出るにつれて、不安を募らせている者達がいた。

 現在の子孫『忌み子』たちである。

「これは昨年、書庫で発見された報告書の一部だ」
 それは後彩霧雨の故郷、五行東の山奥にある五彩友禅染めで世界に名が知られている「彩陣」の怪死事件記録である。

 とある開拓者の妻が、不眠に悩まされていた。
 医者にかかっても病状は悪化の道を辿っていく。
 しかし突然、症状が回復する。
 その日は開拓者の誕生日。妻と友人を招いての小さな宴。
 けれど遅刻した弟が見た光景は、死んだ兄と血染めの者たち。
 兄は滅多刺しで、妻と友人は凶器を握り、笑ったまま己の首を裂いた。
 この事件は天儀歴957年の出来事。無理心中とある。

「今から54年前……否、年が変わったからもう55年前か。個人名はないが如彩本家だと分かっている。同じ子孫の家だ。他の家にも沢山、似た状況で殺された陰陽師の記録がある」
 不審死の被害者は、彩陣十二家生まれの陰陽師ばかりだ。

 霧雨は淡々と事件の記録を引き合いに出す。
「今も続く先祖の業とでも言えばいいのかな。けど、俺は考え直すことにした。普段は魔の森奥深くで動かない大アヤカシが、魔の森の外に出現する可能性があるとすれば……それは俺たち忌み子を嬲り殺す時に違いないだろ?」
 空気が凍りついた。
「……まさか自分を餌にして、俺達に大アヤカシを倒せとか言わない……よな?」
 霧雨は軽く笑った。
「そんな風に言えたら格好いいなぁ……少し前だったら、頼んでたかもしれないけどな。それはない。長生きがしたいんでな」
 心臓に悪い。
「で、もう一つ。この『忌み子』は、俺だけじゃないんだ。他にも何人か居る。忌み子を生む彩陣十二家は枝分かれしたり、移住しているから、正確な数は分からない。呪いを知っている人間も、知らない奴もいる」

 恨まれた存在が中級アヤカシや上級アヤカシなら兎も角、相手は冥越八禍衆と呼ばれた大アヤカシ。陰湿かつ巧妙な策略を操る相手なだけに、生成姫を討伐して死の呪縛から解放されるなど、夢のまた夢。

「……俺達に、何を頼みたいんだ?」

 霧雨は手元から、一枚の依頼書を取り出した。
「これは随分と前に開拓者が集まらず、取引不成立で破棄された依頼だ。場所は五行の沼垂(ぬったり)で、出生の秘密を知りたい、っていう内容だった。読んでみてくれ」
 沼垂は五行の東の果て、虹陣沿いに墨染川を下った所にあり、川魚などの漁業や稲作で成り立っている小さな里だ。民家の数も百件前後と多くない。
 文字がかすれた襤褸の依頼書に目を通す。


『はじめまして、開拓者の皆さん。私は百姓の雪と申します。
 実は私、本当の親を知りたいのです。私は魔物の子かもしれない。
 私は幼い頃からキョウダイ達と違いました。
 家族は私を疎んでいました。実は志体持ちなので、隣の商家や周囲の方々が期待をかけてくださった事もありますが、両親は全てを拒絶しました。十六歳位の時でしたから、八年か九年前になるでしょうか。今も親の方針は変わりません。
 そしてあの日が来たのです。
 先日、里が楽団に化けた鬼のアヤカシに襲われました。最初、旅の修羅だと名乗り友好的だったので……沢山の方々が亡くなりました。でも私は真っ先に襲われるはずだったのに無事だった。アヤカシ達は悉く私を避けた……いいえ守ったのです。
 里人が私を現人神としてまつり上げ、試しに私もアヤカシを操る力があるのか試してみましたが、最悪な結果になりました。
 結局、私に特別な力などありませんでした。
 アヤカシが私を襲わない。
 ただそれだけ。
 思えば、死んだ祖母は私を毛嫌いしてた。毎年誕生日になると両親は満開の桜の影で泣いていましたし、理由があるのかもしれません。
 今では里にも居場所はありません。
 教えてください。私は魔物の子なのでしょうか?
 不安で夜も眠れません。どうか調べてください。文彩 雪(あやさい ゆき)より』


「俺と同じ忌み子……だと思う。文彩は彩陣十二家の一つだった。しかも、猶予が殆どない。年数の逆算と誕生日が桜の咲く時期だという話からすると、恐らく今年の四月から五月頃に殺される」
「ら、来月!?」
「俺の故郷では、志体持ちを生んだ親は、変死の呪いを伝え聞かされてきたらしい。彼女の親も、娘が変死することを知っている可能性が高い」
 一刻の猶予もない状況で、霧雨はもう一枚の紙を置いた。
「この依頼書を知って、俺はすぐに依頼書の住所に手紙を書いた。都に呼ぶつもりで……けど手紙は里の長から返送されてきた。そんな娘も家族もおりません、とな」

 何か起こったに違いない。

 この娘の依頼書到着から、霧雨が破棄寸前の依頼書に気づいて手紙を送るまで、僅か二ヶ月間の出来事だ。
「これは敵を知る好機だ。ただし、間違いなく怪我ではすまない。それでも俺は……生成姫を消滅させる為の糸口を探し出したい。生成姫の弱点、詳しい勢力、忌み子が助かる道を探りたい。……正直、こんな危険な頼みはしたくない」
 それでも。
「今や上級アヤカシや大アヤカシを打つことは不可能ではなくなった。まだ見ぬ子孫に、厄災を先送りにした先祖の過ちを繰り返したくない。できるなら同じ境遇の連中を助けてやりたい。俺達の代で終わらせたいんだ。どうか……君達の力を貸してくれ」

 必ずや、生成姫を滅ぼす為に。

 依頼を承諾した者達は、微かな予感を感じていた。
 これは。
 命を懸ける大仕事になるだろう、と。


■参加者一覧
酒々井 統真(ia0893
19歳・男・泰
霧崎 灯華(ia1054
18歳・女・陰
乃木亜(ia1245
20歳・女・志
水波(ia1360
18歳・女・巫
弖志峰 直羽(ia1884
23歳・男・巫
萌月 鈴音(ib0395
12歳・女・サ
アレーナ・オレアリス(ib0405
25歳・女・騎
天霧 那流(ib0755
20歳・女・志
ネネ(ib0892
15歳・女・陰
刃兼(ib7876
18歳・男・サ


■リプレイ本文

 話は纏まった。
 御彩・霧雨(iz0164)は神楽の都に残り、生還した女性の所へ見舞いへ行く。
 弖志峰 直羽(ia1884)とアレーナ・オレアリス(ib0405)が霧雨の護衛として残ると告げた。
 沼垂へ先に向かうのは乃木亜(ia1245)と刃兼(ib7876)だ。二人に結陣から虹陣(こうじん)への空路を使えば、沼垂への移動も短縮できると萌月 鈴音(ib0395)が教える。
 萌月は天霧 那流(ib0755)や霧崎 灯華(ia1054)と共に鬼灯へいき、最終的に彩陣へと渡る。
 酒々井 統真(ia0893)と水波(ia1360)は用事があるらしく、鬼灯までは萌月達と移動した後は白螺鈿を目指す。沼垂へ急げるように努力すると告げた。ネネ(ib0892)は結陣に残り資料を洗い出すという。

 出発の直前、五行を脅かす生成姫の関与と聞いて、月酌という男が「遅れたが俺も手を貸すぞ」と現れた。
 霧雨は唸った。生成姫討伐に人生や命をかける者は世に大勢いる。今回の依頼に気づかなかった者や所用で来られなかった者も……ここに集った十人に命運を託した。
 今は一から説明する時間がない為、どこまで月酌を頼れるか、霧雨は要点を聞いた。
 その後、月酌の求める鬼灯の事件は【山渡り】の件で、図書館の賞金首欄に全報告書の写しがある事を教えた。
「分かった。どんな些細なことでもいい、皆の力になりたい。手伝わせてくれないか?」
 熱意に押され、霧雨は一枚の書類の調査を頼んだ。
 仕事を受け取った月酌が「任せろ!」と走っていく。


 次々に部屋を出る中、天霧は霧雨に近づいて服の裾を掴み、顔を伺う。
「さっきの? 沼垂周辺の事件記録の調査。妙な話が見つかったら知らせる」
「そう……霧雨さん。生きる選択をしてくれてありがと、絶対護る」
「鬼灯で誘拐された時といい、俺、情けないな。道中、気をつけてな」
「平気よ。本当は一緒に居たいけど、公私混同になるから我慢してるのよ。だから今度つきあってね」
 ふと霧雨は己の赤い髪留めを解いて天霧の髪に結んだ。
「親が腰抜かすかもしんないけどな。ま、お守り」
 笑って送り出した。


 神楽の都に残った霧雨は、身を案じる弖志峰とオレアリスを伴い、昨年末に神楽の都を襲撃した妖刀飢羅に操られていた女性の借宿を訪れた。だが保護されていた女性は、身元を知る者が迎えに来たらしい。
 色々尋ねる予定だったオレアリス達は顔を見合わせた。職員が呟く。
「琴音さんと刹那さんでしたか。二人組がギルドの個人情報を照合して見せたので、知り合いには間違いないという話に」
 そして療養の為に引き取られた。二人組の家は不明。
 人口約100万人と呼ばれる神楽の都から探すのは至難の業だ。
「知り合いが見つかったのは、いいことだな」
「裏で何か蠢いている気もしますが……糸を手繰り寄せていくしかないですね。霧雨殿、これから紅茶などいかがです? 心が落ち着きます」
 肩を落とす霧雨にオレアリスが提案する。
 その背後で、弖志峰は考え込んでいた。オレアリスに「一人でも霧雨さんの護衛って頼めるかな」と確認すると「勿論、腕には自信がございます」と優雅な仕草で答えた。
「霧雨さん、ゴメン。俺、一旦宿場街に出かけてくる。すぐ戻るよ、とその前に」
 落ち合う場所を決めつつ、霧雨に加護結界を付与した。
「お守り代わりに、ね。こういうのは意中の女性にしてもらった方が男としては嬉しいんだろうけど、この際目ぇつぶってよ! ……霧雨さんには、生きて幸せになって欲しいんだ
俺の大切な友人の幸せの為にも……だから、一緒に戦わせてくれな」
「急にどうしたんだよ」
「んー、ちょっと、昔を思い出して。湿っぽくなったかな、また後で!」
 陽気に笑う弖志峰は街へと消えた。


「とにかく集め、分析し、知識を手に入れるしかありません。お気をつけて」
 結陣で皆と別れたネネは陰陽寮にいた。
 ネネは生徒である為、玄武寮の図書館の中から情報を集めようと考えた。
 まずは非常に古い地史や地誌から始まり、考古資料や民俗学資料の一次資料を探す。
 しかし不自然な欠番が多い。
「ここも? 持ち出し厳禁の資料を持ち出せる人がいるとすれば寮長か副寮長」
 副寮長、狩野柚子平。封陣院分室長にして……霧雨と同じ忌み子の一人。
 やはり先を越されている。
 そう思ってもネネは諦めなかった。
「んー『アヤカシの傾向と分類〜第二巻〜』? どうして研究の本が地理の棚に」
 無造作に表紙を開き、目次を見たネネの手が止まった。

 序 文 魔の森に発生するアヤカシの地域別考察
 第一章 五行国内におけるアヤカシの分布
 第二章 結陣東にて増殖し続ける魔の森について
 第三章 東の魔の森付近の区画別調査

「珍しいですね。こんな時間に」
 振り返ると玄武寮の寮長が立っていた。
「それは国内のアヤカシを、地域別で分類を試みた研究書ですよ。古い本なので、今の魔の森はもっと広いんですが」
 付録の古地図は碁盤目状に細分化されて、番号の項をみると遭遇したアヤカシが記されている。研究者は魔の森の奥へ入れず、代わりに山脈の麓を虱潰しにしていた。
「寮長、この本を借りたいです。いけませんか。せめて書き写すだけでも」
「かまいませんが何の授業に使うんです?」
 ネネは返事に困った。
 研究以外の目的です、とはいいがたい。
「まだ魔の森へ行く授業は……そういえば貴女の研究は半妖の考案でしたね。ずばり、今から使えそうな素材を見繕っておきたいとか?」
「は、はい」
 ああああ、ごめんなさいごめんなさい。
 ネネは心で謝った。
 かくして『半妖研究』という理由を掲げ、幾つかの資料を確保した。
「この本の解説は、私より副寮長が適任ですね。私がお手紙を書きますから、副寮長の実家をお訪ねなさい。その研究書の著者は、副寮長のお母様ですから」
 紹介状を受け取り、ネネは寮を去った。


 一方、鬼灯に向かう五人の話は続いていた。水波が呟く。
「先祖の恨みを子孫が……、ナマナリには数百年前も昨日のように思い出されるのでしょうか。相手を出し抜くには苦労しそうですが、救える道があるのでしたら手を伸ばしましょう」
 隣の霧崎は「呪いのからくり暴いてやるわ!」と息巻いていたが、知りたい内容の大半は仲間から確認でき、裏付けもあった。
 雪に関しては、結陣から空路で虹陣を通り沼垂にいく乃木亜と刃兼に託すしかない。
 次に忌み子の末路を洗い出そうと考えたが、既に一定の答えがある。
 まず『家出の場合など、何等親まで忌み子として扱われるのか』という話だが、現状彩陣十二本家の血を引く志体持ちが全て該当していると考えられる。
 忌み子の呪いは、天儀歴911年の生成姫解放を契機に始まり、百年間を経過した。この百年、彩陣は里内での婚姻が圧倒的で、里から出たのは、忌み子達と里を降りた分家達のみ。
 また『どこまで呪いの効力が及ぶのか』は、判明した事件から国内は間違いない。更に北面や神楽の都を襲撃した過去を考えれば『生成姫は必要があれば国外へ下僕を使わす』事も忘れてはならない。
 神楽の都も安寧の土地ではないのだ。
 逃げ場などない。
「呪いが発生しなかった事例は?」
「殺すと『家が絶える』或いは『大きな問題となる』人物です」
 霧崎に萌月は説明を重ねた。
「あ、そう言ってたわね。生成姫の封印に関しては?」
 霧崎に問われた酒々井が頭を掻いた。
「云百年前だぜ? 今あるのは地下道の果ての痕跡だけだ。事情通の仲間が何度か封印の話を探ったが収穫はない」
 霧崎は空を仰ぐ。
「じゃあ忌み子の家系を当たるのに、ギルドや浪士組とか、調査上で正当性と拘束力をくれる紹介状は? 文献とか家系図を家捜しするのに、それなりの人のがいいと思うけど」
 萌月は「紹介状の拘束力は……難しいです」と囁いた。
「人の権力は殆ど意味を成しません……彩陣十二家がナマナリとの取引を告白してくださったのは最近ですし……彼らは『誰もナマナリに叶わない』と考え……立ち向かうことを諦め、犠牲と年月と直接交渉を重ねて……現状へ辿り着きました。人の権力を翳すなら……大アヤカシを消滅させられる保証でもないと……」
 だから徐々に土地の問題へ介入し、信頼を獲得した。
 人によっては、もう二年も。
 霧崎が唸った。
「私達が必ず倒します、じゃダメ? 血の契約で命掛けて本気で調べてる事を見せて協力を仰ぐとか。あと派手に囮攻撃を仕掛けたら、うっかり敵も尻尾だすんじゃないかと思うのよ」
「んな話、彩陣の爺共も聞き飽きてるぜ。大物相手だ。口先だけで屍になった連中は散々いただろうさ。囮や挑発で済む相手なら、二年も唸ってない」
「厄介な相手ねぇ。時間の制約もあるし、デカい所から当たるとして……あれが鬼灯?」
 渡鳥金山の山麓の里、鬼灯が見えた。


 鬼灯に到着後、酒々井と水波は白螺鈿へと旅立った。
 霧崎は土地に不慣れな為、萌月と天霧が卯城家と境城家の当主に会いに行く間、里をみて回ることにした。黒鬼面は卯城家の家紋、赤鬼面は境城家の家紋、各地主の影響化にある鬼灯の里は、鬼面で溢れていた。

「これは萌月殿」
「ご無沙汰しています……お加減は如何でしょうか?」
 鬼灯では、沢山の事件が起きた。
 染め物職人の失踪、迎火衆の殉死、滅びた天城家の遺児発見、三十年前の悲劇、守り神名乗るアヤカシ真朱の裏支配、舞姫の失踪、神器の盗難、境城家の集団失踪……遡ればキリがない。
 多くの死者を出した、多くの犠牲を払った。
 それでも開拓者の手を借り、此処まで再生を果たした。
 現在の鬼灯が落ち着いていることに、萌月は胸をなで下ろした。
「資金調達の話が順調で、よかったです……これから彩陣へいくので……何か用があればご一緒に。境城に……和輝さんにもお会いしてからいきますね」

 ところで天霧は境城家の迎火衆、山彦という若者に話があった。
 山彦は夢魔に殺された先代境城家当主の片腕で、境城家が乗っ取られた際の数少ない生存者である。現在は新当主の和輝に仕えていた。
 天霧が問う。
「急にごめんなさいね。つらいことを思い出させるかもしれないけど……随分前に聞いた境城家異変前の来訪者の事、特徴とか覚えてる事を教えて欲しいの」
 先代が夢魔に成り代わる寸前に訪れたという不自然な来訪者とは何者なのか。
「壺装束を着た、とても美しい方でした」

 挨拶と用事をすませた萌月達は、彩陣を目指す。


 オレアリスに護衛を託した弖志峰は、ある家の前にいた。
 此処には弖志峰が昔手助けした開拓者達と少女が住んでいた。
 引越祝いをして早3ヶ月。瘴索結界で念入りに周辺を警戒し、戸を叩く。
「久しぶり。琴音さん。刹那さん。元気そうで安心した。実は妖刀飢羅に寄生されてた人に話があって来たんだ」
「ヒイラギに?」
 琴音に紹介を頼んだ弖志峰が「初めまして」と挨拶した。

「柊さんは同心の依頼を受けた八人の一人?」
 弖志峰と話す刹那や琴音は、かつて虹陣のある事件に関わった。他に夏葵と花菱、群雲とセリュサという四人がいるが、彼らは牢の中だ。事件後八人中、二人が旅に出た。
「春花ちゃんは別として、後一人は?」
 弖志峰の言葉に首をふる。
 柊の存在を知り、琴音と刹那は面会後、すぐに身柄をひきとった。暫くして残る依頼仲間を思いだして調べると……案の定、行方不明だった。回復した柊曰く、帰路の渡鳥金山で誘拐されたという。
「救出依頼を出すか、刹那と考えていたの」
 弖志峰は俯く柊に歩み寄った。
「教えてくれ。何があったんだ。神楽の都で保護されるまで、何ヶ月もの時間が過ぎたはずだ。何故妖刀を? 妖刀の所持者となった時、飢羅と白琵琶姫に会っている筈だ。奴らの会話を覚えている限り教えて欲しい」
 柊は虚ろに囁く。
「私と琥珀は何処かの里に連れて行かれたわ。古い家だった。志体持ちの子供が一杯いて、変なのよ、大人の姿をしたアヤカシを家族だというの。私は子供達に剣を教えるように言われたわ。役目を果たせば、食料や水が貰えた。里の外は魔の森で、脱走は死を意味した」
 湯飲みを握る手が震える。
「何ヶ月も経って、アヤカシの危険性を疑い始めた自分がいたわ。アヤカシは共存を望んでいるのかもって。ある日、里を支配するアヤカシ……白琵琶が私を呼んだわ。この剣を取れ、抵抗すれば教え子を殺す、と」
「そこで妖刀を?」
 浅く頷き、飢羅と白琵琶の会話を思い出す。

『これが計画の為に貴様達が飼っている志体の子か、白琵琶よ』
『それは……を教え込む為に浚……者だ。寄生した体を使いこなせぬ貴様に、大事な手駒をやるものか。この前も食い潰……ではないか』
『仕方……まい。だが子の方が、人にはコタエルの……?』
『左様、人間に子は切れぬ。だが生憎、狙……は連中の……地だ、子の体では持たぬぞ』
『我の……?』
『貴様が暴……いる間に、私は仕事を済……るだけだ。終……ば北面へ……ぞ。不在……は、……に任せる』

 徐々に記憶が混濁した為、寄生後の会話は殆ど覚えていないという。


 一方。酒々井は駿龍の鎗真で僻地の農場へ来た。
「杏、翠に会わせてくれ。……何処かに出かけるのか?」
「招待状もらったの。にーちゃんもくる?」
「悪いが俺は急ぎだ。気をつけていけよ」
「うん! あ、翠さん呼んでくるね!」
 目当ては文彩翠という雇われ女性である。実は問題の文彩分家が、彩陣から沼垂へ引っ越した理由の一つが文彩翠にあった。翠は友禅職人誘拐事件に巻き込まれ、周囲に死んだと思われていた。翠の家族はこれ以上アヤカシの害には耐えられないと山を下りたが……酒々井達により事件は解決し、一族の交流が復活していた。
 事情を説明した酒々井が依頼書を見せる。
「前に小夜と、雪と月花の話をしただろう。雪の依頼に月花の名がなかった。双子なら誕生日は同じなのに、同じ境遇の月花に何故触れない?」
「私には……」
「手紙はまだ来てるか」
「きてるけど……言われてみれば、近所の話はするのに、みんなは元気ですとか、淡泊な言葉が多い気がする」
「みせてくれ」
 酒々井が過去の手紙を全て広げて読んでいく。平凡な文面だが、確かに手紙が単調だ。書くことが無い風にも見て取れる。沼垂に移ってから染め物をやめて、百姓生活を始めた事も判明した。
「文通を始めたのは?」
「ここに雇われて、安定してからだから、初夏頃?」
 悩んだ酒々井は、重大な違いに気づいた。
「依頼書と……手紙の住所が違う……? この手紙借りるぞ!」
 頼む、間に合ってくれ。
 酒々井は鎗真に跨り、先に沼垂へ向かった乃木亜と刃兼の身を案じた。


 その頃、乃木亜と刃兼は、虹陣から沼垂へ移動していた。
 刃兼は依頼人の話を思い出す。
「生成姫と忌み子達、か」
 大アヤカシは魔の森の頂点に君臨する怪物だ。
 そんな化け物に恨まれては、命が幾つあっても足りない。
「生成姫……冥越八禍衆と関わるなんて思ってもみませんでした。けれど、封印した陰陽師の子孫というだけで彩陣の人達を祟り玩ぶなんて、見過ごせないんです!」
 乃木亜が拳を握る。
「呪いに抗う、か。どこの家に生まれるか自分じゃ選べないが……どう生きるか、は自分で決めていいモノだろうしな」
 遠くに人里が見えてきた。乃木亜は刃兼を振り向く。
「あの、関連する報告書を見たのですが、生成姫は夢魔を配下に使うそうですし、霧雨さんから雪さんへ宛てた手紙が返って来たという事は、村長さんを始め村の方が夢魔に入れ替わっているかもしれません」
 刃兼が唸る。
「警戒するに、こしたことはない、か。少しでも早く雪に接触できればいいんだが……里の中では気を抜かないようにしよう」

 かくして乃木亜と刃兼は、沼垂の長の家を訪ねて「鬼アヤカシの襲撃について調べに来た開拓者だ」と告げた。
「今更、何の御用向きでございましょう」
 どうやら人間らしい。
 刃兼の角を見て怯えるので、刃兼は「参ったな」と首に手をやってから言い方を変えた。
「鬼アヤカシ達は最初、修羅を名乗ったらしいな」
「はい」
「同族を騙られるのは……あまり愉快じゃない。だからこそ来たんだ。アヤカシと俺たち修羅を混同しないでもらいたい。俺は修羅だが、歴とした開拓者だ。修羅と称して里を脅かすアヤカシは根絶していく。調査の為に里を彷徨かせてもらってもいいだろうか」
 刃兼の言葉は、半分本音である。
 乃木亜は念の為『脅されていたりはしませんか?』と里長に書き付けをみせたが、特に問題はなかったのが喜ばしい。その後、里の長の了承を取り付けて、二人は沼垂の中を歩き始めたのだが、乃木亜と刃兼は依頼書の住所へ赴いて、立ち尽くした。
「……そんな」
「……嘘だろ」
 家は、あった。
 随分と前に、焼け落ちた真っ黒な家屋が。
 里長の言うとおり、そこには家族なんていなかった。

 焼けた家の前で乃木亜が立ちくらみを起こし、刃兼に寄りかかった。
「……刃兼さん、相談があります」
 演技だ。小声で続ける。
「雪さんの行方や村も心配ですが、酒々井さんが『アヤカシの手が伸びているなら、周りに守りがついてたりする可能性もあるな』って言ってました。私も、夢魔が小動物などに化け見張っている可能性も高い、と感じたんです。事実、村に来てから瘴索結界で妙な反応がありました」
 反応がないことを期待したのですが……と顔を曇らせる。
 刃兼は驚いた。
 乃木亜が術の使用に人の目を気にかけ、神経を尖らせていたことに気づかなかった。
 隣の刃兼が気づかぬほど、乃木亜は警戒して術を使用していたのだ。
「変身対象が人間とは限らないって?」
「はい。ですから、仲間が来る前に監視の目を減らすのを手伝ってくれませんか? 私たちは例の件で調査にきただけ、偶然に擬態したアヤカシを発見して駆除したとして、喜ばれこそすれ、疑われはしないと思うんです」
「なるほど、分かった。なら……まずは焼けた家の周囲からだな。隣の商家からいこう。伝達はキクイチに頼む」
 刃兼は猫又を呼び、役目を架した。


 駿龍の驟雨で白螺鈿に来た水波は、天城天奈という娘に会いにきた。
 この天奈、幾度か生成姫の配下に身柄を狙われていた人物である。
「最近のご様子はいかがです?」
 仕事の合間に甘味処へ誘った水波は、今も笛の音色や恋人の幻覚に魘されていないかと気遣った。念の為に術視で様子も確認する。しかし水波の心配をよそに、天奈は健康だった。特に異変が起きた様子もない。
「少しばかり安心致しました。けれど身の危険を感じましたら開拓者ギルドに連絡を下さいませ。力になりますわ」
 天奈と別れた水波もまた、仲間の待つ沼垂へ向かう。
「そういえばアレも『まだ時間がある』と言っておりましたっけ」
 何か謀りことでもあるのかしらと、水波は考えていた。


 ネネが辿り着いたのは、五行の高級住宅地から遠く離れた貧民街の……半ば崩れた母屋だった。表札すらない。瓦礫の山は倉の跡だろうか。そんな廃屋から洗濯物を持って現れたのは、小汚い女物の着物を纏った狩野柚子平だった。
「ネネさん?」
「なぜ女物を」
「誰も着ない服を作業着に」
「そう、ですか……あ、これを、寮長から預かってきました」
 手紙を差し出す。柚子平が読みだしたのでネネも覗いた。
 長文を要約すると『いつも逃げてるんですから、研究の面倒みてあげてくださいね! 叩き返したら講義を架しますからね!』だった。
 柚子平が苦笑を零しつつ「あがっていきますか?」というので、ネネは頷いて背中を追いかけた。

「ここは母の実家です」
 縁側に腰掛けたネネは、桜茶を片手に茶菓子をつまんだ。洗濯物を干している柚子平曰く、彼の持ち家は別にあるが、殆ど呪具や仕事道具の物置場と化しており、忙しい時に寝に帰るか、接待でしか使わないという。
「人からも恨みを買う人生を送ってきましたのでね。今は崩れかけた生家が隠れ家です。で、本当に研究の為に此処へきたのですか?」
 洗濯を終えて隣に腰掛けた。
「……ごめんなさい。実はギルドで霧雨さんの依頼を受けて、忌み子が生き残れる方法を探すお手伝いを」
 本を抱いたネネは正直に答えた。
「では私の事も知っていますね」
「はい。仲間から忌み子を生む彩陣十二家の……如彩家の血縁者だと聞きました。でもあの、何かあれば必ず駆けつけます。みんなもそう言ってます! 独りで挑まないでください。背負い込まないでください。玄武寮で教えを請う身で、生意気かもしれません、力になれる保証が無いのが悔しいです、だけど!」
 ぽふ、とネネの頭に手が降ってきた。
 白く骨張った男の掌。顔を上げると、飄々とした微笑みがない。
「……ネネさん、私の母はね。何故か金にならない仕事や研究をする陰陽師でした。育児放棄は日常茶飯事。覚えているのは、深夜も机に向かう後ろ姿だけ。そんな不出来な母の真意を知ったのは、皮肉にも彼女が亡くなる寸前で……病床で出生の秘密を明かした後、母の研究が全て、魔の森と忌み子に関するものだと知りました。あの時ほど、見知らぬ父親の血と、無力な自分達を憎んだことはありません」

 黙って話を聞きながら、ネネは直感した。
 この人は。

「愛人だった母は、如彩の長から忌み子の末路を聞き、言われたそうです。今すぐ子供をおろせ、さもなくば息子の前から去れ、何処か遠くへ消えてくれと。母は悩んだ末に私達を生み、以後研究に没頭した。母を早死にさせるまで追いつめたのは、志体を持って生まれた私だった。……幼い頃の自分に、ネネさんの様に行動に移す知恵があれば、私は母を救えたのかもしれません」

 この人は、ずっと誰かに許してほしかったのだ。

 長く伸ばした髪も。
 女物の着物も。
 追いかけているのは、早死にさせた母の幻覚。

「ネネさんが持ってきたこの本は、母の人生そのもの。倉にあった古地図をもとに母が作った、魔の森の地図です。険しい山脈に阻まれて大半が未解明ですが、密かに山奥に入る道があれば、滅んだ里を渡ることができる。例えば『蕨』や『黒杉』や『裏松』……これらは全て、ざっと300年以上は昔ですね」

「どうしてお母様は詳しかったんですか」

 鬼灯の【山渡り】事件や【太古ノ書】経緯に関わった仲間から聞いた話では、生成姫が冥越から五行へ渡ってきた話も最近まで忘れ去られ、生成姫は伝説として風化していた。
 天女、鬼姫、あるいは山神。
 多くの土地で『アヤカシ』ではなく『恐ろしい神』として認識されていると聞く。
 忌み子はまさに神の祟り。
 実態が知れていない十数年も前に、どうやって、こんな研究ができたのか。

「狩野の秘密を知った、という所で、今は勘弁して頂けませんか?」

 狩野家は無名に等しい。
 忌み子を生み出す彩陣との関わりも、柚子平の母に関してだけだ。
 しかし仲間の話で、分かっている話がある。
 狩野家の倉から『ナマナリ禍をなすこと』と記された例の書物が発見されたこと。生成姫の捜し物が百年以上前に鬼灯の地下から失われ、先日まで狩野家の倉の壁に隠されていたこと。柚子平が何かを隠して動いていること。

 この家が全ての始まり。
 彼は何故、倉を潰したのだろう。

「私も人の力を借りるべきなのかもしれません」
 長く孤独を歩んできた隠者は、ネネの頭を再び撫でると、目映い太陽を見た。


 萌月は炎龍の鈴に、天霧は炎龍の炎生に、霧崎は駿龍に跨り、渡鳥金山の彩陣へ訪れていた。萌月が鬼灯の使いだと告げた為、彩陣の警護を司る陰陽師達は特に干渉しなかった。
「ご無沙汰しております。鬼灯からの書状をお持ちしました。あの……人払いを……お願いできませんか?」
 萌月には懸念があった。その為、公に知られることなく話を進めたかった。
 商売の密談を理由に人払いした後、萌月は頭を垂れた。
「今回は、私たちが把握している他にも……生成に狙われている人が居るかもしれないと考えて、参りました」
 天霧も伏して願った。
「霧雨さんの依頼で、彼は勿論、これから狙われる命を助ける為に生成や忌子の事を知りたいのです。身勝手とは承知です、どうかお願い致します」
「霧雨が……」
 萌月達の調べでは、御彩霧雨、狩野柚子平、如彩虎司馬、文彩雪と月花、睦彩の子、が該当すると考えられる。
 しかし志体持ちの発生率は約300人に一人と多くはなく、小さな里に1人か2人、大きな里に数人いるか否かだ。
 長老達曰く、彩陣に限って言えば、御彩霧雨の以外の志体持ちは、山を下りた文彩分家の双子、そして昨年生まれた睦彩の赤子だけ。
「双子……ではやはり」
『なぜ月花の事が書いてないんだ』
 酒々井の違和感は証明された。
 また生成姫が公になった以後に呪いで死んだ者はなく、飢えた下級アヤカシ以外の被害は少ない。

「一つお尋ねしてよろしいか」
 御彩の家長は、何故か天霧を見た。
「その髪留めは、どうされました」
「霧雨さんから『お守りに』と。……何か意味が?」
 長老達が目を配ると、霧雨の母と名乗る初老の女性が「少しお時間をくださる?」と天霧の手をひいて裏口から出ていく。追いかけようとする萌月と霧崎を止めた。
「何処へつれていく気?」
 霧崎の追求に老人は淡々と呟く。
「女衆には女衆の、しきたりというものがあるのですよ」

 天霧は社に連れて行かれた。
 室内には老婆がいて、霧雨の母に「大婆様」と呼ばれていた。
 霧雨の母との密談後、老女は天霧を見据えた。
「里の人間は……これと決めた相手に特殊な組み紐を贈る習慣がございましての。いわば目印。失礼を承知でお伺いする。貴女様は霧雨と男女の仲におなりか」
「だ!? ……その、約束を、しました。もしも」
 霧雨を生きる気にさせたのは天霧だ。
 時間に追われ、会う事も少なく、それでも記憶の片隅に残る約束の言葉。
 もしも二年後、生きていたら。
「貴女も霧雨も志体持ち。仮に子を宿すような事があれば、その子は高い確率で忌み子となる……貴女は夫も子も失う絶望を、ご覚悟の上か」
 天霧は衝撃を受けた。
 愛や幸福を求めても、無意味だと警告されている。
「そんなこと、させないわ。生成には渡さない。覚悟なんてとっくに決めてるわよ。霧雨さんには、約束守って貰うんだから!」
 沈黙の末、老女は伏した。
「貴女は忌み子の話を知った上で、霧雨を受け入れてくださった。一族の女を代表して、厚く御礼を申し上げる。貴女の心が変わらぬ限り、彩陣は第二の故郷となりましょう」
 霧雨の母は、古い鍵を天霧に託した。
「これより貴女は御彩家の鍵守。我ら女衆の姉妹も同じ。忌み子を生んだ家の女が授かる秘密を、貴女に引き継ぎましょう。お友達と一緒についてきて」


 社の裏の洞窟は、湿り気を帯びた空気で充満していた。
 先導の後ろに続くのは、天霧と萌月、霧崎である。
 霧雨の母が微笑んで呟いた。
「一生こんな機会はないと思っていたわ」
「あの、お義母様。志体を持った産まれた子達はいずれも陰陽師に?」
「ええ」
「忌み子に……先祖達に似ているか否かの判別基準となる物はあるのですか? 絵姿や記録とか。如彩家以外の変死事件や生成と取引した娘の詳細をご存じでしたら、教えてください」
 唐突に足音が止まり、明かりを照らす。
 鬼面を掲げた不気味な門があった。周囲に解読不能の古い文字が刻まれている。
 門にはカラクリ錠がついていた。
「鍵は、この門の?」
「そうよ。忌み子を生んだ女親が、神への謁見を許されてきたの。私も霧雨を産んだ時、鬼面を持って此処を通った」
 霧雨の母は語る。
 洞窟の果ては魔の森。何故かアヤカシに襲われぬまま歩き続けた。
 やがて荘厳な屋敷についた。
『ほほほ、新しい子が生まれたか』
 声が脳裏を離れない。
「美しかった。神々しい天女そのもの。でもアレは加護と称して霧雨に何かしたわ。これで見失うことは決してない。正直に告げた褒美に、二十五年の猶予と里の安泰を保証しよう、と。翌朝、私は里に返された。私は里の為に……アヤカシに我が子を売ったのだわ」
 泣き崩れる背中に、天霧が寄り添う。
 萌月が訪ねた。
「申告をしないと……どうなるんです?」
「周りの者も巻き込まれるのよ。天罰を受けた如彩の話をきいたはず」
 ギルド報告書にあった天儀歴957年に死亡した如彩の陰陽師は周囲の者ごと惨殺された。生き残ったのは、不在だった当時17歳の如彩の次男坊。しかし次男坊が32歳の時に遭遇した天儀歴972年の事件では、御彩家の変死現場に居合わせたのに、夢魔と入れ替わっておらず、死ななかった。
 二度も祟りに遭遇しながら生き残れた違いは何か。
 一度目は幸運。二度目は御彩家がしきたりを守ったからだ。
「貴女もいつか、ここを通るのかしら」
 冷えた風が頬を撫でた。


 彩陣を離れて。
「雪さんは……未申告なのではないでしょうか?」
 合流する途中、萌月は天霧に話しかけた。
「ありえるわね。だから隠すように育てた。生成は発見に苦労する。息を潜めれば生きられる。でもそれは危険な賭よ」
 萌月が俯く。
「あと『見失うことは決してない』という話は……何らかの方法で、忌み子の居場所を探せる……のだと思います。流石に話が筒抜けることはないでしょうが……時期が迫れば、手下が様子を見張るのは簡単かも」
 霧崎が我に返った。
「つまり雪と月花は、助かるかもしれない。だけど、今回の依頼人は逃げられない、って意味よね」
 そうね、と呟いた天霧は唇を噛みしめた。

 この数日後に、もう一つ判明する話がある。
 天儀歴957年の如彩家の惨劇と972年の御彩家の変死が原因で、973年に彩陣と決別して本家ごと山を下りた如彩……今で言う如彩の祖父は、女衆の秘密を知らない。そしてネネの調査を考慮すると、愛人の腹から生まれた柚子平と虎司馬は申告が出来るはずもなく……発見され次第、周囲の者が徐々にアヤカシへ入れ替わり『天罰』の名の下で惨殺される可能性が高いという事実だった。


 白螺鈿から到着した酒々井を物陰で出迎えたのは、猫又のキクイチだ。
 別行動の乃木亜と刃兼を密書で取り次ぐ。

『待たせたな。状況は?』

『こちらは調査と称して、刃兼さんと擬態アヤカシを虱潰しにしています。幸い強敵はいませんし、住民の異変は認められません。何か進展は?』

『依頼書と親族の文通先が違った、罠かもしれねぇ』

『本当か? 俺も乃木亜と依頼書の住所を訪ねたが焼け跡しかなくて……すまない』

『ボロ家を今確認した。二ヶ月間に何かあったのかはわからねぇが……呪いには早すぎるし、一人足りねぇ』

『鬼アヤカシ襲撃に関して、乃木亜と聞き込みをしたが、妙な話が。攻撃手段や容姿からして、沼垂を襲ったのは炎鬼と、北面で消滅させた上級アヤカシの白琵琶姫と楽団だ』

『白琵琶の消滅は確認したぞ。生きてたっていうのか?』

『違います。刃兼さんの聞き込みの結果、実際の沼垂襲撃は一年以上前なんです。ですから里長も「いまさら」と言われた。里中の廃屋はその名残です』
『だからな、酒々井。白琵琶の討伐は今年の2月だ。沼垂に現れたのは、昨年の春頃。それを先日なんて書くだろうか? 時間がかみ合わない。隣の商家に尋ねたら、襲撃の時に文彩分家の五人は焼死したらしいんだ。埋葬された焼死体は四つ。里の人間は弟が浚われたと考えてる。ここは危険だ』

『……なるほど。やっと手紙の謎がとけたぞ。いや、大丈夫だ。緊急性はない、と思う』

『どういう意味だ?』

『説明は後だ。雪が見つかったぞ。脱出させる為に、一芝居打つ。手を貸してくれ、集合先は同封した手紙の場所だ』

 再び猫又のキクイチを放った。
 酒々井は水波と、農場の手紙に書かれた住所の家にいた。
「つまりあんたは」
 酒々井の視線の先には、雪本人と雪に寄り添う恋人の勝也がいた。
「家族と片割れを犠牲にして偶然生き残った、運良くな。喜べねぇか。両親も片割れも、自分の代わりに弟まで死んでちゃ……そりゃあ『みんな元気です』しか書けないよな、翠は家族との再会を願っていたし」
「あなた誰? 翠を知ってるの?」
「ああ。で、あんた今何歳だ」
「来月26だけど」
 時期を過ぎている。
 三人の話を整理すると、こうなる。
 一年以上前、沼垂には上級アヤカシが修羅を装って潜入した。
 多分、忌み子を狙って。しかし何らかの問題が起きて、家を丸焼きにする大雑把な処分になった。結果、原型を留めない焼死体四つを確認して、双子の忌み子を処分したことになったのだろう。弟は雪の身代わりになり、雪は此処一年、恋人の家に匿われていきた。
「残るは、依頼書がなんで今更届いたか。繰り返すが、自分で書いたんだな?」
 頷いたが、昔紛失したと雪は言う。
「……俺が出した。ずっと、悩んでたみたいだったから、やっと開拓者を雇える金も溜まったし」
 彼氏の告白に「へたすりゃ死んでたぞ」と深い溜息が零れた。
「どういう意味だ? 依頼で来てくれたんじゃないのか?」
 酒々井は頭を掻いた。
 依頼書がアヤカシの目に触れなかったのは、不幸中の幸いだろう。
 だが、将来バレる可能性は充分にある。
 あえて乃木亜と刃兼を呼び出した酒々井は、一計を案じた。
「あの野郎をぶっとばすのはまだ無理だが、せめて好きにはさせねぇ。乃木亜、悪いが服を脱いで……変な意味じゃねーぞ。雪と背格好が似てるだろ。水波じゃ目立つ」
 乃木亜と雪を入れ替えて、連れて脱出させる。
 困惑する雪と勝也に「過去の因縁でアヤカシに狙われてんだ」と告げた。
「襲撃前後の詳しい話は都で聞く、今は時間がねぇ」
「出生の秘密を知る方の所へ案内致します。勝也さんは私と刃兼さんと水波さんでお連れします。私達を信じて」
 乃木亜が戸惑う雪の手を握った。
 酒々井が「悪いな」と言って仲間を振り返る。
「幾ら監視対策したとしても……死ぬなよ」
「ご心配なく、酒々井様」
 水波に続き乃木亜も頷く。
「囮になるとお約束しました。雪さんを御願いします」
「困難を極めるのは覚悟の上だ。やってやろうじゃないか」

 こうして雪は沼垂を無事に脱出した。
 存在を秘匿したまま、下級アヤカシ達を蹴散らして。
 道中と結陣で、ネネと天霧、萌月と霧崎とも合流し、結陣の精霊門を渡る。
 神楽の都への護送に成功した。

 一方、居残り組はというと。
「推測ですが、生成姫が定期的に自分の器となる美女を求めているのは事実。これは生成姫の前身の叡智の天女が大鬼に喰われ、肉体を失った幽体のアヤカシとして復活したことに起因しています!」
「……後半は全く裏付けないぜ?」
「推測です! 生成姫は未知数ですが、私が思いますに器となる人間には……あら、皆様。お帰りなさいませ」
 霧雨の護衛は暇を極め。
 オレアリスが霧雨と弖志峰 相手に延々推論を並べていた様である。

 緊張感のない夜のお茶会。
 普段通り過ぎて、救出組と調査組は気が抜けたようだ。