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■オープニング本文 前回のリプレイを見る 生成。 意味は、女の怨霊、或いは、生きたまま鬼になった女。 それは現在において、能や歌舞伎でしか聞かぬ言葉のはずだった。 今年、開拓者ギルドから一体のアヤカシの存在が明らかとなる。 かの名は、冥越八禍衆『生成姫』。 美しくも恐ろしい、天女と鬼姫の首を持つ伝説上のアヤカシだ。 歴史上、最初に姿が確認されたのは、大凡400年ほど前の冥越である。 当時の冥越は他国との国交を持ち、多くの人々が暮らしていた。その冥越を壊滅に追い込んだのが『冥越八禍衆』と呼び名高き、凶悪なアヤカシ達である。それらのうち人々から『生成姫』の呼称で恐れられたこのアヤカシは、冥越で百年近く猛威を振るい、何処かへ姿を消した。 ところが近年、歴史の断片が知られ始める。 生成姫は約300年ほど前に冥越から五行へと渡り、幾度か禍を成した後、貴人の娘に憑依した。この際、倒すことは叶わなかったが、陰陽師の手で封印された。これが約250年前の出来事である。また約100年ほど昔、過って封印を解いた男の記録が発見される。 昨年から、複数の事件と開拓者達の努力の末、生成姫が現在も五行の東で暗躍していると判明した。 これに伴い、五行は国内の脅威を警戒。 開拓者ギルドは賞金をかけて、生成姫の討伐を実現する為、行方を捜し続けていた。 + + + 話変わって。 初夏の頃から、とある事件が虹陣へ派遣された開拓者達の頭を悩ませていた。 虹陣がある五行の東は山脈に囲まれた湿地帯で、国内最大の穀物地帯として誉れ高いが、いつしか魔の森が北と南から浸食を始めた。人々は居住区を制限され、商いも陸路より空路が目立つようになるが、次々と商船が襲われ、幽霊船の騒ぎが発生した。 元凶を数名捕まえて話をきくと、虹陣を影で支える義賊『剣の華』の一員が元開拓者という驚きの事実と、義賊を率いる頭目の少女の豹変に加えて、少女がオトモダチと呼ぶ謎めいたアヤカシの存在が判明する。 いざ調査を進めようとした矢先に、盗まれた十五隻の飛空船が炎鬼により放火炎上。駆けつけてみれば多くの家族が暮らしており、彼らが虹陣から村八分にされた者達で、匿われていたことを知る。 幸い死者は出ていない。 が、奇妙な物言いで走り去った娘がいた。 挙げ句、傍の森で元開拓者が一人、瀕死で発見される。 命を取り留めた青年はセリュサといい、幽霊船事件の際、犯人一味の中で姿が確認されていたが、シノビの少女と逃げ延び、後に行方不明になった。瀕死の傷を癒して話を伺ってみれば、恋人に殺されかけたという。 実は最近、五行の東地域では、夢魔などの珍しいアヤカシが人に成り代わる事件が多発していた。 夢魔といえば、吸精、変身、魅了、錯乱、嘘、悪夢などと芸が細かいことで有名だ。状況から察するにセリュサも『恋人に化けたアヤカシに襲われたのだろう』という結論に至る。 アヤカシ達は、何故元開拓者を襲って化けるのか。 その理由は、彼らが虹陣で重要な地位にいることだ。 義賊『剣の華』は、春花の豹変により、三つの派閥に分裂した。 豹変した春花を盲目的に信じる、狂信派。 旧来の状態をまだ継続すべきだと考える、保守派。 剣の華を解体し新しい道を模索すべきだと主張する、革新派。 これら三つの派閥の頂点にいるのが、元開拓者達に他ならない。つまり彼らの発言は虹陣全体を動かす。 状況を把握した途端、今度は町中で派閥同士の暴動が起こりかけていた。裏で糸をひくアヤカシの存在に気づき、本物の元開拓者を救出、暴動を鎮めることには成功したが‥‥ 救出劇すらも利用され‥‥ オトモダチを抱えた春花は、虹陣から配下を多く引き連れて姿を消した。 月日が過ぎた。 + + + 話は春花発見の報告から始まった。 虹陣から渡鳥金山への途中には、道を繋ぐ集落がある。 春花は箱を抱え、二体の炎鬼と夢魔と思しき女1人を集落へ現れた。 『オトモダチのお弁当が尽きたの、ゴハンをちょうだい』 集落の生存者はいない。 「子供の足です。道中の集落を食い荒らしつつ移動している様子。向かう先には魔の森。次の集落も迫っています」 「では先回りして集落保護を?」 「いいえ」 ちゃりん、と。 円卓の上に投げられた、金色の鍵。 「以前、某開拓者が苦労して探しだし、無事回収したものです」 「おもちゃの鍵?」 「オトモダチが探していた鍵です。発見された古文書によれば、この鍵は『剣の華』と呼ばれる太古の陰陽師達の傑作封印具を開く鍵だそうです。つまりオトモダチを『我々の手で解放する』ことが可能です。アレは、冥越八禍衆・生成姫の愛刀『裂雷』と推測されます」 「冥越八禍衆の愛刀? 入手しろと?」 勿論「春花一行を倒し、箱を持ち帰るか」という意見もあった。けれど五行の封陣院で討論した結果、遅かれ早かれ、封印具『剣の華』は壊れるという結論に至った。外界干渉は崩壊の片鱗で、徐々に瘴気を集め、やがて許容量を超える。加えて、今は上級アヤカシに匹敵する存在を封じる封印道具や技術がない。 「封印具『剣の華』は遺失技術だそうで」 持ち帰っても、ただ壊れていく様を見守るだけ。 ならば。 「‥‥あえて解放を? もしや倒せと」 「はい。人里に辿り着く前に平野で待ちかまえ、解放し、倒すようにと」 隣で黙っていた柚子平が差し出した一枚の書類。 それは生成姫の軍勢と闘った者達の記録を書き写したものだ。 遙かな昔。 冥越を壊滅させた厄災の一つと闘った陰陽師達がいた。 子よ、子の子よ、その孫よ。 不甲斐ない我らを許して欲しい。 問題を先送りにしてしまった。いつかお前達が困ると知りながら。 願わくば、汝らに運命が微笑むように。我らにできる最期の仕事を、ここに記そう。 妖刀『裂雷』は人ほどの大刀だ。持ち主を例外なく惑わし、魂の輝きを啜った。 呪いの声は、立ち向かう者の脳裏に一人ずつ響き渡り、甚大な害をなす。強靱な精神力と肉体を持つ者が束になって触れれば雷が迸った。雷は半径10Mにも及び、時には真空の刃が舞った。 ある剣士が戦いを挑んだ。妖刀は楽しげに応じた。妖刀は踊るように宿り身を捨て、虚空に浮かんだ。空を飛び、50Mもの距離を一直線に突進してきた。 妖刀の一撃を受けた者は語る。重く、固い。なんという妖刀だ。刀が折れた。差し違える覚悟で傷を負わせても、一時間もすれば元に戻ってしまう。このアヤカシは痛みを感じない。 我らに残された手段は‥‥ 軽く読んだだけで強靱な本体だけに留まらず、軽い跳躍、呪声、突進、無痛覚、飛行、吸精、再生、衝撃波、放電、幻惑といった能力保有が伺える。 「皆さんに重要な使命を託したいのです。危険な任務です。無理強いは致しません。生成姫の完全復活を阻止する為、妖刀『裂雷』を解放し、撃破せよ」 痛いほどの沈黙。 「これはギルド決定です」 |
■参加者一覧
志藤 久遠(ia0597)
26歳・女・志
大蔵南洋(ia1246)
25歳・男・サ
露草(ia1350)
17歳・女・陰
弖志峰 直羽(ia1884)
23歳・男・巫
神咲 六花(ia8361)
17歳・男・陰
ジークリンデ(ib0258)
20歳・女・魔
萌月 鈴音(ib0395)
12歳・女・サ
天霧 那流(ib0755)
20歳・女・志
蓮 神音(ib2662)
14歳・女・泰
煉谷 耀(ib3229)
33歳・男・シ
鳳珠(ib3369)
14歳・女・巫
ローゼリア(ib5674)
15歳・女・砲 |
■リプレイ本文 五行の結陣から狩野 柚子平(iz0216)の飛空船に乗った開拓者たち。 天霧 那流(ib0755)達は、眼下に広がる渡鳥山脈を見下ろして柳眉を顰めた。 魔の森に侵食されつつある山、春花はここを目指している。 再びこの世を、血の海に沈めるために。 「……じきね」 思いつめた表情の天霧。 その隣にいた志藤 久遠(ia0597)が呟く。 「動乱失敗も織り込み済みとは、どこまで深く策略を張っているのか」 全ては相手の思うがまま。 計略を完全に阻めなかった自分に腹を立てながら、志藤達は今はできることに全力を注ごうと決めていた。大蔵南洋(ia1246)は文献を手にとる。 「先人達はどれほど優れていたことか。そして今の世まで力や知識が受け継がれなかったのは何故なのか……謎はつきぬが、ひとまずは妖刀を滅するが使命。生成の元へ戻ることこそ、裂雷の狙い。なんとしてでも此処で阻まねばならぬ」 その意見には萌月 鈴音(ib0395)も同意した。 「あれは、ナマナリの片腕……合流されたら…大変です」 ただでさえ脅威の冥越八禍衆。 生成姫の愛刀と呼ばれる妖刀を、合流させる訳にはいかない。 「うん、生成の力を削ぐ為にも裂雷を撃破しなくちゃ!」 陰鬱になりがちな雰囲気の中で、石動 神音(ib2662)は元気良く立ち上がる。 「それに春花ちゃんには自分の罪を自覚して欲しーな。絶対に生かして確保しようね!」 思いやりに溢れる石動の頭を撫でつつ繊細な指。 微笑む神咲 六花(ia8361)は、窓の向こうを見下ろす。 「さて、黄泉のものは黄泉に。そして正ある者は現世に戻さないとね。春花を……取り戻さないと」 眼下から船内へ視線を戻す。 その先には、弖志峰 直羽(ia1884)から作戦を聞いている元開拓者六人と救援に駆けつけた仲間達がいた。 「平野で戦ってる間に、住民避難に手を貸してほしいんだ。セリュサ、避難が完了したら迅鷹を自分達へ飛ばして合図を頼むよ。待避が済んだ集落で、夜間戦闘に備え篝火など照明の準備を頼む。みんなで持ち寄ったし、多分数は足りると思う」 忙しそうな露草(ia1350)は手持ちの松明を、里人の救出に向かう者達へ手渡した。 上手く雑魚を引き剥がしても…… 恐らく、妖刀との戦いは夜を跨ぐことになるだろう。 弖志峰は「到着まで身を潜めていて欲しい」と頼んでから、具体的に指示を出す。 「群雲さん、花菱ちゃん。春花が術で眠れば即保護を頼むよ。炎龍で戦域から離脱して、飛空船へ春花ちゃんを護送する方針で考えてる。琴音さん、セリュサさん、夏葵さんは、其々の得意分野で戦闘に加わってもらってもいいかな。刹那さんは、裂雷包囲の際は甲龍に騎乗して空中から援護射撃をお願いするよ」 加えて露草は、妖刀との交渉について誤解を生まないように六人に解説した。 「交渉時、春花嬢を傷つけることを言いますが、あくまで彼女から此方へ危険物を移す為の手段なので、堪えてほしいんです。家族の貴方達なら、彼女を救えると信じています」 陰鬱な表情の元開拓者達。 彼らの肩を叩いたのは煉谷 耀(ib3229)だ。 「もはやあの娘に言葉程度では届かぬ事くらい、お前達の方が痛い程に理解しているだろう。ならば、この戦いとその後に為すべき事はわかるな」 態度で示せ。 もう一度信頼を取り戻すこと、それこそが六人の役目だ。 「お前達が誰を思い、何の為に這いずり回ってきたのか。その姿こそを春花に見せろ」 自ずと答えは出るだろう、と。 ローゼリア(ib5674)も琴音達の手を握りしめた。 「彼女を助けたい、まだそう思えるのでしたら……彼女の事をお願いします」 全くの赤の他人が、家族と呼べる間柄になれることを、ローゼリアはよく知っていた。 さればこそ間柄を引き裂こうとする目論見を、許すことはできない。 作戦を遠くで眺めていた大蔵は、立ち上がって夏葵へ歩み寄った。 「先だっては手荒な真似に及んだこと、許されよ。ここは一つ、我らを信じて頂きたい」 協力を要請した大蔵は、自分が隙を作ってみせると宣言した。 夏葵も命を懸けると誓う。 神咲も手違いがないよう、再度打ち合わせた後、シノビの親子……群雲と花菱に、お香と三位湖の水を手渡した。 「使って。ささやかでも、春花の気を落ち着かせる助けになるといいな」 ジークリンデ(ib0258)は群雲と花菱に変装して同行して欲しいと伝えた。 空を駆ける飛空船は、渡鳥山脈を通り過ぎ、森を抜け、平野の上を進んでいく。 幾つもの集落の上を過ぎた時、遠くに春花達を見つけた。 船は集落を通り過ぎ、春花と夢魔、そして炎鬼達の上空を旋回する。 柚子平の合図で扉を開け放つ。 突風が皆の顔を凪いだ。 「石動、こい!」 「うん! おいで、くれおぱとら!」 石動と猫又が、煉谷の駿龍、若月に乗り合わせ、大空へと飛びだした。 その背後を炎龍に騎乗したジークリンデと、駿龍ガイエルに騎乗したローゼリアが続く。 「大蔵殿、どうぞこちらへ!」 「うむ。かたじけない! 参るぞ、浦里!」 猫又を腕に抱いた大蔵が、志藤の炎龍こと篝へ跨り、床を蹴る。 「一緒に良いですか?」 「もちろんよ。衣通姫も飛ばされないように捕まって!」 人妖を間に挟んで、露草は天霧の背中にしがみついた。 天霧の号令と共に、炎龍の炎生が咆吼をあげる。 「可愛い女の子じゃないけど、後ろいいかな」 猫又のリデルを抱えて冗談めかした神咲に、弖志峰は緊張がほぐれた。 軽く笑って手を差し出す。 「いこうよ、みんな待ってる。いいぞ、天凱!」 甲龍が翼を広げて大地を目指す。 「私達も参りましょう。皆さんも遅れませぬよう。集落の方は頼みます!」 後方に一声投げた鳳珠(ib3369)は駿龍の光陰に騎乗し、炎龍の鈴に乗った萌月と共に戦場を目指す。その後ろを、群雲と花菱が追いかけ、飛空船はきびすを返して集落へと向かっていった。 偽琴音もとい夢魔の物陰に、春花がいた。 相手も此方の存在に気づき、身構えている。 萌月が様子を伺って接近を試みたが、炎鬼の吐き出す業火が接近を許さない。三十メートルもの距離から吹き付ける火炎を避けるように、龍達は空を飛んだ。乗り合わせた者は重量の問題で機敏な動きができなかった。 石動が煉谷に何かを囁く。 覚悟を決めた煉谷は手綱を操り、急接近を試みた。 「ありがとう、煉谷おにーさん! 飛び降りるよ、くれおぱとら!」 接近した大地に飛び降りる石動達。 炎鬼との距離、約十メートル。 一方の煉谷は再び羽ばたくが、吹き付けてくる火炎が尻尾にかかり、軽傷を負った駿龍が体勢を崩した。 このままでは炎鬼の餌食だ。煉谷は駿龍の綱を引く。 「諦めるな! ここで倒れては、今後待つ苦難に立ち向かう力など知れたものだ!」 主人の一喝。 奇跡的に持ちこたえた若月は、煉谷を振り落とすことなく体勢を立て直す。 「相棒への返礼、させてもらうぞ!」 倒さない方の炎鬼を石動が引き剥がしにかかった間に割入り、確実に夢魔へと狙いを定めた煉谷は、すれ違いざまに円月輪を投げ放った。 白刃が閃く。 偽琴音の肩を、容赦なく切り裂いた。 虚空を飛ぶ刃は、上空を旋回する持ち主の手元へ戻っていく。 「琴音ちゃん! 大丈夫?」 がっくりと膝をつく夢魔に駆け寄る春花。 それを好機と狙いを引き絞るのは、四十メートル離れた地点で様子を見ていたジークリンデだ。 夢魔を初手で撃破すると決めていた。 「アークブラスト! 私の限界を思い知りなさい」 打ち出された四発の雷撃。 すると膝をついていた夢魔は春花を抱きかかえた。 耳元で何かを囁く。 大蔵は夢魔の目論見に気づいた。 「いかん! 逃げよ!」 記憶の片隅に残る、夏葵達の体験談を記した夏の報告書。 『……実力行使を試みたけど、歯が立たなかった。その箱、傷一つつかないの』 古の陰陽師達が作り出した、対上級アヤカシ用の封印具『剣の華』……それは、箱を害する者から封印を守る為、あらゆる攻撃を跳ね返す! 「なっ……きゃああああああああ!」 絹を引き裂くような悲鳴。 限界まで動いた彼女に、逃げる余裕は残っていなかった。 己の放った強力すぎる雷撃を跳ね返されたジークリンデは、四発全てを受ける羽目になった。 一発目、二発目、と死の危険に脅かされた刹那、彼女の炎龍が身を挺して主人を庇う。重傷を負った相棒を振り返った為、四発目が腕を焼いて通り過ぎていく。纏っていた外套のスピリットローブは己の威力で襤褸布と化し、ジークリンデと炎龍は瀕死に陥った。 炎龍がいなければ、特殊な衣を纏っていなければ。 ジークリンデは確実に死んでいた。 一方、ジークリンデと連携を想定していたローゼリアは、一手遅れたことが幸いし、大蔵の大声を聞き分け、寸前で夢魔を打つのを止めることができた。 危機一髪だ。 「く、なんて奴ですの。今のままでは狙えませんわ!」 運が良ければ何処かに弾かれ、最悪ジークリンデと同じように跳ね返ってくる。 様子を見ることに決めたローゼリアが手綱を操り、上空を旋回する。 志藤と大蔵が、炎鬼との距離約十メートルの範囲に飛び降り、龍と猫又を拘束から解き放つ。 大蔵同様、志藤も状況を的確に判断する。 「まずは雑兵共を剥がさねばなりません。その上で、裂雷と春花殿を引き離さねば」 今のままでは守りが堅い。 石動達が、倒さぬ炎鬼を引きつけているが、通常より強力な炎鬼は更にもう一体いる。夢魔は能力が厄介で、封印具は最強の盾と同じ。 「まずは手下を減らさねば話にならんな。任せよ、志藤殿。裂雷をそそらせる意味合いにおいても、前戦で剣の腕前を見せておく必要があるのではと考えていた所だ」 全身を重装備で固めた大蔵は、既に覚悟を決めていた。 「いざ参らん!」 共に大地を駆け抜ける。 炎鬼が大蔵と志藤に向かって棍棒を振り落とした。 「おおおおぉぉぉぉぉお!」 獣のような咆吼をあげて、大蔵が逆五角形をした騎士盾を天にかざした。 激しい衝突音。 直撃である。しかし、大蔵は炎鬼の打撃に耐えた。 びりびりと痺れる腕と、大地にめり込む足に渾身の力を込め、狙いを定めた。 「かああぁぁぁぁぁぁあ!」 大蔵の気合いと防御力が炎鬼のそれを上回る。 武器を素早く交差させ、炎鬼の攻撃を抑え込んだ! 「ゆけ!」 大蔵の背後に潜み、腰を低く落として槍を構えていた志藤が、大蔵の肩を蹴って、鳥のように高く跳んだ。巨大な穂先を備えた大身槍は、巨大な炎鬼を砕くために突き進む。 「はああああ!」 気合いを込めた渾身の一撃が炎鬼の肩を貫いた。 千切れかけた腕を押さえて奇声を発する。その隙を逃がす者などいない。 大蔵と志藤の後ろを追い、着地から十メートルの距離を駆け抜けた天霧は、呪殺符に精霊の力を宿し、素早く飛ばした。 「どいて!」 力の解放。 呪殺符が解放した強力な一撃は、隙だらけの炎鬼に直撃した。 鼓膜が破れんばかりの咆吼が轟く。 強化された炎鬼はまだ立っていたが、最初の余裕は伺えない。 いける。 このまま押せる気がする。 まだ闘わなければならない敵が、春花の腕の中にいる。 こんな所で負けてなどいられない。 一方、天霧とともに大地に降りた露草は、撃破しない方の炎鬼に向かって走っていた。 「衣通姫、あっちの回復をお願い。私の傍に来てはダメ」 遠く離れた場所で、ジークリンデが虫の息だ。衣通姫がふわふわと跳んでいく。 露草は紫色に淡く発光する符に力を込めて解き放った。 符は炎鬼の足に絡みつき、動きを制する。 「やった! すごい!」 強烈な抵抗を感じながらも成功した。石動の歓喜が上がった。 しかし露草が止めておけるのは約二十秒の間だけだ。 露草は「まだ喜べません」と仲間の姿を探す。 ところで神咲は、不運にも全攻撃を跳ね返されて墜落したジークリンデを一瞥し、夢魔から約六十メートルほど離れた地点に降りたって、様子を見ていた。 春花が傍にいては攻撃できない。 強力な力は、跳ね返された時に我が身を滅ぼす。 だから様子を伺った。 仲間の戦いを観察し、その隙を探した。 既に煉谷の攻撃を受けて、夢魔は重傷を負っている。まだ妖刀を解放していない今なら倒せる。春花を抱えて盾にしていた夢魔が、再び膝をついた。重傷を負った身で、誰かを長時間抱え続けることは不可能だ。 春花が投げ出された。 「この一撃にかける!」 神咲は天儀人形を手に瘴気を集約していた。 やがて瘴気は、ふっと虚空に溶け消えた。 「黄泉の使者から逃げてみなよ!」 姿もなく声もない、恐るべき高位式神。死に至る呪いが襲ったのは、夢魔だ。 投げ出された春花が土埃を払い、振り返った先にいた偽琴音は、大きくのけぞった。 何も見えない。ただ動きを止めた。それだけだったが。 「ぎえええええええええええ!」 夢魔は一瞬で霧散した。 形を保てなくなった禍々しい瘴気は霧散し、大地へ戻っていく。 「よし! もう一度!」 次を外せば力が底をつく。 しかし神咲は諦めなかった。再び精神を集中し、莫大な瘴気を集約する。失敗すれば全てが水の泡。これ以上、本命と闘う前に戦力を損なう訳にはいかない。 狙うは、志藤、大蔵、天霧が相手をしている炎鬼だ。 「敵を滅するんだ! いけ!」 形を持たぬ高位式神は、術者の声に応えた。 夢魔同様に炎鬼が大地へ倒れ、のたうち回りながら砂のように形を失っていく。 残るは炎鬼と春花、そして封印されし妖刀『裂雷』のみ。 一方、鳳珠は走っていた。衣通姫と共に、ジークリンデ目指して。何度も何度も大声で名前を呼んだが、全く動かない。戦域の外にいるジークリンデを救うべく、鳳珠は走る。 そして弖志峰は約十メートルほど走って、近くで斬竜刀を構えた萌月の肩に触れた。淡い光の加護が、萌月を包み込む。 「これで大丈夫だ。頑張って!」 「……はい!」 残る炎鬼を倒すと後が面倒になる。かといって、加勢されてはたまらないので、適度に弱らせる必要があった。 萌月は渾身の力を込めて、斬竜刀を大地に叩きつけた。 小柄な体のどこにそんな力があったのかと思うほどの衝撃が地を走る。一瞬の間を置いて、萌月と炎龍を繋ぐ大地が轟音と共に捲り上がった。衝撃波は蛇のように大地を走り、炎鬼の足に軽傷を負わせる。 「やはりあの時と同じ……この炎鬼も…しぶといです。お願いします!」 萌月が上空を振り仰いだ。 「これを待っていましたのよ! 鉛玉を、たっぷりお見舞い致しますわ!」 上空で戦域の様子を伺っていたローゼリアの歓喜の声。露草のおかげで動きを止めた巨大な炎鬼に銃口を向けると、ローゼリアは更に狙いを引き絞った。露草が指示を促す。 「狙うなら間接です!」 「お任せ下さいませ!」 耳を劈く発砲音の連続。 弾は炎鬼の腕関節を打ち抜き、吹き飛ばした。 概ね、予定通りに夢魔と片方の炎鬼を撃破した。 想定外なのは、致命傷を負って、身動き不能になってしまったジークリンデである。 これではアムルリープを使って春花を引き剥がすことができない。 様子を伺ったが、鳳珠と衣通姫はなんとかジークリンデの元に辿り着いたものの、走り疲れて、技が正確に発動しなかった。何しろ彼女の龍も重傷だ。回復には相当な時間を要する。 天霧達は、交渉で隙をつくるしかなくなった。 一方の炎鬼だが、露草が炎鬼の自由を幾度も奪い、萌月が刀を奮っていた。 気を利かせた神咲が、残り少ない力を使って、春花と炎鬼の間に結界呪符の真っ白い壁を出現させる。これで向こうの様子は見えない。 先ほどから泣いている春花に向かったのは志藤と大蔵、そして天霧と弖志峰、石動だった。 「ねぇ、春花ちゃん。きみの心の闇は、きっと俺達が想像できない程深いのだろうと思うよ。灯りを翳しても底が見えないくらいに。でも、全てが闇だと思うのは、そこに身を置いているからだよ。どうか気付いて欲しいんだ。本当にきみを愛する温かい光が他にあることを」 弖志峰の語りかけに、春花が泣きやむ様子はない。 「……ねえ裂雷、力があるなら誰でも良いんでしょ? なら春花をやめて他にする気はない? 良い物があるわよ」 天霧の語りかけに、箱から声は聞こえない。志藤も話しかける。 「今や人は大アヤカシを倒すにも至っていますし、ナマナリも不完全なら倒せ……」 『おのれ、黙っておればぬけぬけと。貴様らのような小蠅が、かの方に叶うものか』 初めて声が聞こえた。 大蔵が懐から金色の鍵を取り出した。かつて苦労して手に入れた、この鍵こそが。 「これを欲しておったのではないのか? なぁ、裂雷とやら」 ちゃりちゃりと鳴る、解放の鍵。 裂雷が言葉を呑んだ。 「その娘、もう必要ないのではないか?」 そうだよ! と石動が言葉を挟む。 「生成の存在や復活は、もう皆に知られてる。賞金首になっている事、しらないでしょ? 時代が進んで、にーさまみたいに、昔より力を持つ陰陽師も増えてるもん! 悠長に剣の華が壊れるのを待っていたら、その前に生成が討伐される可能性もあると思うなー。神音たち、春花ちゃんを連れて帰らないとお仕事にならないんだよね。だから代わりに」 刹那、予想外の事態が起きた。 偽琴音の消滅後、延々泣き叫んでいた春花が、オトモダチを抱えて果敢に立ち上がった。 「大事なおともだちなのに! 守ってくれたのに! 許さない! みんなしんじゃえ!」 封印具を振り回しながら志藤達に突進してきた。 その瞳には明確な殺意が宿っていた。 だが、春花は隙だらけだ。 今が好機と判断した煉谷は、早駆で地を蹴った。 所詮、相手は戦い慣れしていない少女である。大きく封印具を振りかざした瞬間を狙い、煉谷は背後に回り込んで、軽く手刀を送り込んだ。春花は正気を保てず、ぐったりと地に倒れ伏す。 裂雷の入った封印具は、ごとりと重い音をたてて大地に落ちた。 意識が遠のく春花に、天霧は囁く。 「あれは貴方には不要なものよ。待っている家族の所へ帰りなさい、春花」 「今の君には君の心を照らしてくれる人がいる。助ける為とはいえ、君を家族と引き離してしまってごめんね」 弖志峰もまた囁く。ふ、と意識が途切れた少女の体。春花のすりむいた膝小僧をみた神咲が、止血をして包帯を巻いた。煉谷が運んでいく。 「さあ、いけ。後はこちらの仕事だ」 「後をお願い致しますわ。彼女を第一に」 ローゼリアの声に我に返った群雲と花菱は、正気のない春花を抱えて炎龍に騎乗し、飛空船へと飛び去った。 残されたのは、封印具『剣の華』と、弱りつつある炎鬼のみ。 他にアヤカシが現れる様子はない。 住民の説得と避難が完了した、という知らせを受けた弖志峰は、甲龍を飛ばし『こちらも今から向かう』という意志を示す。志藤は露草と萌月を手伝いに向かった。少しでも弱らせておく必要がある。また鳳珠と衣通姫のおかげで、ジークリンデはやっと起きあがれるまでに回復し、己の体と力を元に戻すことに専念していた。 そして天霧は、封印具『剣の華』から目が離せなかった。 腕が、指が震えていた。 これは恐怖だ。 朋友の炎生に指示を出し、露草へ余った符を使うように言い残し、皆から背を向ける。 「……じゃあ、いくわ。集落に入ったら、見通しのいい場所で解放するから。絶対に倒しなさいよね? 躊躇わないでよ」 守るために果てるなら、それもいい。 大蔵は天霧の意志を感じ取った。素早く動き「待たれよ」と引き止める。 「よいか。生成を滅するまで戦いは続く、これが最後などと、決して思いつめられぬよう」 まだ立ち向かうべき脅威が待っている。 一部には何年も追い続けてきた宿敵とも言うべき脅威の存在は、まだ何処かで息を潜めている。此処で仲間を失うわけにはいかなかった。ぐ、と手に込められた力に複雑な笑みを零して「できるだけやってみるわ」と天霧は再び歩みだした。 「私も、護りたいものがあるのよ」 微笑んだ天霧。 彼女が体験する地獄の葛藤は、今まさに始まろうとしていた。 集落に広がる静寂。 つい先ほどまで人が住んでいた痕跡があるのに、誰一人としていない。 これも無事に劉と鬼啼里、御樹とグライフ、ラインハルトと砂魚、そしてネシェルケティ達が説得し、飛空船へ避難させた成果だ。 離れた場所では石動と萌月達が炎鬼を相手に闘っている。 誰もいない集落の中を走り抜けるのは、金色に輝く鍵と不気味な箱を手にした天霧だ。 『仲間を裏切るか、娘。それもまた面白い。お前のように我に魅せられた持ち主は……』 「ほざいてなさい」 一喝した天霧。 松明と篝火が作り出す路の果て。そこは小さな広場だった。 上空を龍達が旋回する。仲間達は家の影に隠れているはずだ。 深呼吸ひとつして、天霧は運命の鍵を、鍵穴に差し込んだ。 カチャリ。 音がした。天霧の心臓が早鐘のように鳴り響く。蓋に手をかけ、あけた。 現れたのは漆黒の刃。 不気味なほどに黒光りする、一本の大刀だった。 少しばかり剣術に覚えのある者なら誰もが分かる。これは名刀だ。 この世に二つとない、素晴らしい刀だ。 天霧は恐怖を忘れ、吸い寄せられるように美しい刀に手を伸ばした。柄を握る。人の体ほどもある大刀は、竹光よりも軽かった。羽根を手にしたような、夢を見ているような幸せな心地になる…… 『おお、この時を待っていたぞ!』 天霧は我に返った。しかし、もう遅かった。 妖刀が血の色に輝き出す。まるで燃えるような、強烈な気配だった。 体の自由が利かない。よく見ると柄の部分から膨大な黒い糸が現れ、肌を舐めるように天霧の全身を巡り出す。まるで漆黒の蜘蛛の巣に捕らえられたかのようだ。絹糸に似た触手は、瞬く間に天霧の全身に達し、体の支配権を奪い取る。 『「……くくく、悪くない、悪くないぞ。人の娘よ」』 天霧と裂雷。 二つの声が喉から零れる。 『「ほほう、何百年経っても、夕暮れの色は茜のままか。よいよい、とてもよい」』 全身の支配権を取り戻そう、と。 必死にあがく天霧だったが、妖刀は嘲笑った。 『「かゆいのぉ……やめておけ。お前の精神がすり減るぞ。折角、仲間の血飛沫だけは見せてやろうと言うのだ。体をくれた礼に、おとなしくそこで高みの見物をするがよいぞ」』 冗談じゃないわよ! と中の天霧は吠えた。 嗤った妖刀は、幾度か素振りをしてみた。 『「夢魔に比べて色々と足りんが、力も零という訳ではない。吸い上げても暫くは持つな」』 何人かが気づいた。 妖刀「裂雷」の宿り身とは、その身に寄生するのが真意ではない。 高度な能力を維持する為の『燃料』として、より強い練力をもつ者が宿り身に適する。 『「ではまず。遊ぼうか。十数えたら、こちらも参るぞ? ひとーつ、ふたーつ」』 冗談か本気か分からない。 だが、天霧の声を借りた妖刀は声を張り上げた。 『「みぃーっつ、よぉーっつ」』 煉谷が動いた。 暗視により、闇夜など恐れる必要はない。 狙うは妖刀ではなく、持ち主の天霧だ。天霧の死角に回り込み、宿り身の動きを制限する為、己の影を解き放つ。影は瞬く間に伸びて、天霧の片足を絡め取る。 「く、少しばかり失敗したか。だが今なら動けぬはず! 狙え!」 『「いつーつ」』 天霧、いや天霧に取り憑いた妖刀は、微笑みすら浮かべて瞼を閉じ、数を数えていた。 ローゼリアは銃を構えた。 狙うは妖刀、裂雷のみ! 「どれほどの強度があろうと、必ずや破壊してさしあげますの!」 既に準備は万全だ。 連続する発砲音。 しかし天霧は人では考えられない速さで、銃弾をはじき返す! 幸い、弾は家屋に突っ込んだ。だが、目を凝らしても、妖刀のへこみは大したこともなく、ひび割れ一つ見えなかった。攻撃力には相当の自信があったローゼリアは、そこで改めて強靱な敵に戦慄した。 「な、なんて硬さですの!」 『「むぅーっつ」』 妖刀と天霧の声は止まらない。 児戯に等しいと嘲笑っているかのようだ。 そこに降りそそいだのは、鋭い氷の刃だった。先ほどの礼だといわんばかりに、ジークリンデが四発お見舞いする。人質がいようといまいと、狙うは妖刀ただ一つ! 「善いも悪いも、正も邪もなく、ただ斃すべき敵を斃すだけ。もう会わぬことを祈ります!」 天霧が妖刀を天に翳す。 次々に着弾し、炸裂した氷の刃。 激しい冷気の向こうには、全く身じろぎ一つしない化け物がいた。 微かに妖刀に亀裂は入ったが、天霧から吸い上げた力が妖刀を一瞬で元通りに修復した。 「そんな、嘘でしょう。あれだけ受けて、ヒビだけだというの?」 『「ななぁーつ、……なかなか楽しい相手がいるようだ、あはははははは!」』 ジークリンデは力の四分の一を注ぎ込んだ。 だが相手は無傷に戻る。 「なんという防御力。なるほど、安い攻め手は不要というわけですか」 「ならば我らが壁となるまで。なんとしてでも、この状況を打破せねば!」 志藤が衝撃波を放ち、大蔵が地を蹴った。 二人の狙いも、妖刀に絞られる。 「力比べといきましょう!」 「貴様の同胞、真朱は既に滅した。お前も後を追うが良い!」 志藤の衝撃波をうち払った妖刀の隙を狙い、大蔵が渾身の一撃を叩き込む! 「ぬおおおおおお!」 『「……やぁーつ、ここのぉーつ」』 最初は大蔵が優勢だった。 漆黒の刃がキチキチと嫌な音をたてる。しかし徐々に押されていく。 妖刀に操られた天霧の体は、人の限界を超えて動き続ける。 体勢を整えた天霧は、大蔵を自由の利く片足で蹴り飛ばした。 だが、それも計算の上だ! 「今だ!」 大蔵の合図。 銃を構えた夏葵が「おっけーい」と答え、符を手にした露草が妖刀を狙う。 「これ以上は、させてはなりません。最強の武器かどうか、見定めてさしあげます」 露草が叫んだ。 夏葵の銃弾を払って無防備になった一瞬を狙い、符が妖刀に張り付く。 放たれた符は強酸性の泥濘に変化し、妖刀の切っ先を錆び付かせた。錆壊符である。微かではあるが半永久的な効力を発揮する錆壊符は、苦しい戦況を大きく変えていく。こればかりは研がなければ元に戻らないからだ。 だが、露草の符が張り付いたのと、妖刀の声が「十」に届いたのは同時だった。 『「とーお。……さぁて、うしろのしょーめん、だぁれ?」』 妖刀が宿った天霧の愛らしい声音が、標的を見定める。 天霧の背後に立っていた者。 露草に続いて攻撃を仕掛けようとしていたのは、神咲だった。 天霧は微笑んでいる。 妖刀を大きく振り上げている。 過去に感じたこともない殺意が、神咲の体を震え上がらせた。神咲は本能的な恐怖を感じ取って、攻撃をやめ、全力で天霧と自分の間に結界呪符を放った。高さ、四メートル半、厚さ二メートルにもなる白い壁が、二枚重なって出現した。相手の様子は見えない。 それでも体の震えは止まらなかった。 『「……くくく、その程度で防いだつもりか!」』 志藤達とは比べものにならない、強力な衝撃波が放たれた。 大木や家を凪ぎ払えてしまう渾身の一撃は、合計四メートルにもなる壁を蒟蒻のように切り裂き、逃げようとしていた神咲を襲う。 「くあぁ! 神……音」 大地に倒れ伏す。 二重に作り出した壁と、寸前で露草が放った錆壊符のおかげで、狙いはずれ、威力が弱まった。しかし頭や心臓を裂かなかったといえども、その威力はあまりに大きく、神咲は一発で瀕死に陥った。 二重の壁がなく、威力が落ちていなければ。 神咲は間違いなく即死していただろう。 『「残念……耐えたか。確かに昔の陰陽師よりは、骨があるらしい。だが、所詮はその程度よ。もう三発ほどお見舞いしてもいいのだが、耐えられそうにないな? ひひひ」』 天霧の可憐な唇が蛇のように吊り上がった。 その姿は、漆黒に染まった鬼に似ていた。 余計な気を利かせて『「息苦しかろう? 楽にしてやろうか?」』等と笑顔で言い放つ妖刀から瀕死の神咲を救出する為、回復役が駆けつけるのを見て、隠れていた鬼啼里やグライフ、ラインハルトや砂魚、ネシェルケティ達が果敢に立ち向かう。 走り寄った鳳珠が、血を吐く神咲の頬をさすった。 「死んではいけません。どうぞ気を確かに!」 死んだ者に術は効かない。 朦朧とする神咲の意識をつなぎ止め、鳳珠が鈴を鳴らし、劉と御樹は傷を塞ぐべく符を施す。 運が悪ければ、否、本来ならば胴が千切れていた怪我だ。 神咲は一命を取り留めたが、次も生きられるとは限らない。 家屋に投げ飛ばされた大蔵を助け起こした弖志峰は、皆の盾となる大蔵に加護を与えた。 「よし。これで、なんとか。きっと勝てる、よね」 「かたじけない……勝てるか? いいや、勝たねばならん相手だ」 揺らぎ無い決意。 勝たなければならない。逃げられては終わりだ。そして仲間を救わねばならない。 向き直った彼らの前で、漆黒の網に囚われた天霧は、妖刀の思うがままに操られ続ける。 『「では、もう一度いこうか。ひとぉーつ」』 絶望の児戯が再開された。 日が沈んでいく。 茜色の空は鈍色へと変化し、集落には篝火の炎が燃えていた。 千メートル近く離れた飛空船から、詳しい様子は分からない。時折一カ所が爆音と共に吹き飛ばされ、上空を飛び回る龍が次々に衝撃波の余波を受けて打ち落とされ、攻撃に一苦労している様だった。集落の外れで炎鬼を相手にしていた石動と萌月が生かしていた囮を消滅させると、集落の中へ走っていく。今の所、死者は出ていないようだが……重傷や瀕死に陥った者は何人もいるようだった。勝てる可能性は、あまりにも低い。 怯える集落の住民達を宥めながら、男は願った。 「……勝ってください」 見慣れぬ玉飾りを握りしめて、男と住民達は行方を見守る。 裂雷との戦いを平野ではなく集落に選んだ。 その決断は、幸いにも住居などの障害物が邪魔をして敵の命中率を大きく変化させた。 本来なら殆どの者がとっくの昔に絶命していたのだろうが、障害物と救援が効果を発揮し、少なくとも重傷者を妖刀から引き剥がし、傷を塞ぐ猶予は手にすることができた。また五度に渡る露草の錆壊符が、最終的に妖刀の攻撃力を四分の一ほど削ったことも大きく影響している。 とはいえ。 何度攻撃しても元に戻る様子は、絶望感しか運ばない。 何秒とかけず、立て続けに攻撃ができたのは、煉谷が縛り続けた最初の四度だけだった。 遊びに飽きた妖刀は、姿を見つけた者を手当たり次第に襲い始めたのだ。 一度に最大四発も衝撃波を放たれては、いくら大勢いるといっても回復の手は足りないも同然だ。 戦況は益々悪化していく。 だが正面から闘おうとしても、宿り身である天霧の練力が底をつくまで、妖刀の破損は瞬く間に修復されてしまう。元々強靱な本体は、一時間もすれば元に戻る始末だ。妖刀に何度も体を切り裂かれ、死の恐怖を思い知らされながら、集落を這い回るようにして志藤達は逃げ延び続けた。 物陰を見れば、入れ替わるように倒れる瀕死の仲間。 力は尽きかけ、盾は砕かれ、心身共に限界に達し始めたなかで、大蔵達が十一度目の奇襲作戦をかけようとした時のこと。 長時間に渡る戦いの中で、唯一勝ったものが二つある。 ひとつめは、妖刀の想定より早い天霧の練力枯渇。裂雷の修復回数が減り、ついには負傷を気にせずに石動達と闘っていた。 もう一つは、常に天秤のように揺らいでいた精神の葛藤が大きくなり、時折天霧の精神が再び顔を出し始めたことだ。余裕が無くなるということは、中で抑えている天霧に勝機を導く。少しずつ妖刀に慣れ始めていた。 けれども。 『「ち、あまり構っている場合ではなくなったか。まあいい、宿り身に使えそうな者は他にもいるようだしな。貴様の代わりを得て、我は主の元へ帰らせてもらうとしよう」』 ボロボロになった天霧の次に狙われた存在。 それは高い練力と回復薬を備えた者、ジークリンデと鳳珠の二人だ。 そんなことさせないわ! 天霧は吠える。 持てる全ての気力を使い果たし、体の支配権限を奪い返した。 「戻った。ぐっ……みんな急いで! あまり持たない、二度目はないわ!」 妖刀は再び支配権を取り戻そうと更に触手を伸ばしてくる。 耐えられる時間は精々、四十秒……否、もっと早いかも知れない。 既に手の感覚が再び消えてゆこうとしていた。 今しかない。 天霧が正気だと気づいた者達が走ってくる。 「いくよ、くれおぱとら! 裂雷、にーさまを怪我させたなんて、許さない!」 石動と猫又が、恨みを込めた一撃を放つ。 「先ほどは、あの世とやらを見せてくれて礼を言うぞ。次はお前を送り込んでやろう」 煉谷の合図で駿龍の衝撃波が刀に直撃した。空高くからローゼリアの鉛玉と、ジークリンデの氷の刃が降りそそぐ。セリュサや琴音、刹那や夏葵もまた最初で最後の好機を逃さない。 「貴様の野望も、もはやここまで!」 「さっきの礼はさせてもらうよ!」 大蔵と神咲が渾身の一撃を放った。 だが、快進撃はそこまでだった。 どん、と鈍い音がした。 再び体の支配権を奪われた天霧が、正面の露草をはじき飛ばして大地を駆ける。 露草には、もう力が残っていない。宿り身には適さない。 狙うは重傷を負った萌月の手当をしていた弖志峰と鳳珠の二人だ。 悲鳴と叫び声が交錯する中、神咲が出現させた壁すらも切り裂いて、妖刀は人の胴を貫く。 おびただしい血液が流れ落ちた。 貫かれたのは、衝動的に鳳珠を突き飛ばした弖志峰だ。 漆黒の糸が、傷口から弖志峰の四肢を蹂躙していく。 「かはっ、な……る、ちゃ」 『「貴様の体、もらい受ける!」』 「させるかあああああああああああ!」 志藤の気力を込めた一撃が、天霧と弖志峰を繋ぐ妖刀めがけて振り下ろされる。 パキィィィィン。 美しい音だった。鈴の音に似ていた。 天霧の体に張り付いていた、蜘蛛の巣に似た拘束が砂のように零れていく。 消える。 霧散していく。 それは四百年前、冥越八禍衆「生成姫」の愛刀としてこの世に生まれ、星の数ほどの人々を屠った妖刀の……あっけない最期だった。 気づくと、船の中にいた。 集落の人々が、傷付いた開拓者達を世話している。 「お疲れさまでした。どうぞゆっくり、お休み下さい。一部の方に回復薬を先に配ってしまって在庫が……」 云々、という柚子平の声がした。しかし酷い疲れで言葉が理解できない。 声がでない。 なにより、もう体が動かない。 何度も、何度も、死ぬのではないかと思った。 死者が出なかったのは奇跡だった。優位とは言えなかった厳しい戦い。 それでも五行に、天儀に、まだ見ぬ未来に、輝く希望を託すことができた偉大なる貢献者達は……今はただ、安らぎの眠りへと落ちていく。 |