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■オープニング本文 前回のリプレイを見る 早朝。 扉の向こうに広がっていたのは、濃密な朝靄だ。 「さむ〜ぃ。ヒルデー、上着どこだっけ?」 ぶるりと身を震わせた杏は、慌てて半纏を探しに屋内へ戻った。 刺さるような熱い日差しは通り過ぎ、青かった空には薄い雲が広がっている。 白原祭も終わった、今は秋。 急激に冷えたり、突然晴れたり、時には嵐がやってくるが、なにかと過ごしやすい時期には間違いない。森の実りは豊かになり、気軽な散策で宝物を見つけては、夕食に美味しく頂ける恵の季節なのだ。 「帳簿を整理したら、街に依頼書をだしにいこっか」 「来週の茸狩り、楽しみね」 傍らの人妖ブリュンヒルデが、まだ眠り深い森を見て囁く。 森の散策は、今年に入ってからできるようになってきた。 いつも侵入者に怯えていた頃とは違い、開拓者を雇い入れるようになってから周辺の安全は保証されつつある。何しろ修復された建物は勿論、手練れの開拓者が定期的に沢山働くうえ、恐ろしげな朋友達が母屋を中心に一帯を監視する姿が度々目撃されている。 これは一般人には異様に見えた。 中には、金持ちなのでは、何か凄いお宝があるのでは、と危険を冒してやって来る者もいたが、返り討ちにあったり捕まるのが関の山で、今年に入って杏達の屋敷から何かが無くなる事件もおきていない。 農場としてあるべき姿を取り戻しつつもある。 毎月、杏は『家族』と会うのが楽しみだった。 何でも知っていて、悪意がない。尊敬できるお手本だ。杏が何も知らなくても、彼らは周囲のことをいつのまにか調べてきて、解決してくれる。凄い人達だ。けれど、一つだけ、腑に落ちないことがあった。 親のことを、教えてくれないのだ。 何一つ。 姉のミゼリは声と視覚を失っているとはいえ、聴覚は戻っている。前も聞いてみたが、困ったように微笑むだけだ。全く同じ事が家族にも言えた。ある者が父親の事だけを調べてきたが、何も教えてはくれなかった。 『知らない方が、いいこともあるんだぜ』 そう返事をしただけだ。 「杏、まだおわんないの? 依頼書書き終わっちゃったわよ」 ブリュンヒルデの声で我に返る。 うっかりしていた。慌てて帳簿を片づける。 夏の収穫期は、沢山の出荷があったので纏めるだけで大変だ。 あの時作った桜桃の甘露煮は高級品として、塩卵やマヨネーズと一緒に巷を賑わしたが、瓶に詰めきれなかった甘露煮が500g残っている。偶然仕入れた蜂蜜も、空になったので新たに仕入れるか、砂糖を買ってこないと紫蘇ジュースなどの甘いものが作れない。そう言えば、蜜蝋も濾過したまま放置している。 白原祭の時は花車造りに忙しく、加工品を余り増やせなかった。 でもその分、祭で出資が沢山あったのでいいのかもしれない。何故36000文もの出資が集まったのか、杏はよく分からなかった。出資の内16000は、家族が懇意にしているお店から1000文ずつ来たのだそうだが、残りの10000文ずつ包んできた2カ所は、家族にも覚えがないという。 「手が止まってる!」 「はぁい」 杏は在庫や畑の収穫も書き加えていく。 倉庫に仕舞ってある400個の馬鈴薯。刈り取った葛は一通り葛粉に処理してあるが、葛8キロに対して多くても50gしか採取できない為、出来上がったのは約150gの葛粉だけ。牛乳の量も増え、雛だった八羽も立派な鶏になった。畑は上々と言えるが、何故か一部は花が咲かなかったのを、ぼんやりと覚えている。 「ヒルデこそ、ちゃんと書いたの?」 「今回は、人参と蝦夷蛇苺、玉蜀黍と不断草、枯れ始めてる赤紫蘇と大葉、を収穫したいって書いておいたわ。あと牛乳や卵、調味料の納品と、牧草の購入ね。もう雨が多いから買わないと。五日間の何処かで茸狩りしたい、ともね」 「くいしんぼ」 「いーじゃない。ついでに茸の近くに、木の上に小屋があったでしょ? 調べようと思って。傍に干涸らびた海藻が大量にあるとか、どうなのよ。あそこ、うちのトチじゃない! ふほー侵入よ! 誰の悪戯かをつきとめて、文句いってやるんだから!」 ぷりぷり怒るブリュンヒルデ。 そういえば。 この家の敷地範囲を、ぼんやりとしか覚えていないながら、莫大であることに今更気づいた杏だった。人が住めるのはこの辺だけだが、森を丸々持っているのは多分普通ではない気がする、とも。 |
■参加者一覧
鈴梅雛(ia0116)
12歳・女・巫
玖堂 柚李葉(ia0859)
20歳・女・巫
若獅(ia5248)
17歳・女・泰
ロムルス・メルリード(ib0121)
18歳・女・騎
久遠院 雪夜(ib0212)
13歳・女・シ
ハッド(ib0295)
17歳・男・騎
ミシェル・ユーハイム(ib0318)
16歳・男・巫
白 桜香(ib0392)
16歳・女・巫
ネリク・シャーウッド(ib2898)
23歳・男・騎
桂杏(ib4111)
21歳・女・シ
蓮 蒼馬(ib5707)
30歳・男・泰
マハ シャンク(ib6351)
10歳・女・泰 |
■リプレイ本文 空は秋晴れだ。 佐伯 柚李葉(ia0859)は久々に訪れた農場の空気を胸一杯に吸いこんだ。 一方のハッド(ib0295)は初めて訪れた農場を見回しつつも森の方向をじっと見ていた。何か思うところがあるらしい。開拓者達を出迎えにきたのは、現在の農場主の少年杏と、彼の傍を離れることのない人妖ブリュンヒルデだ。 「前にも来たよね?」 杏が気づいて佐伯の顔を見上げる。 「えと、以前にミゼリさんの症状の見立てでお邪魔しました。覚えていてくれて嬉しいです。佐伯柚李葉です。塩卵のこととかを頼まれてきました、宜しくお願いします」 ぺこりと頭を垂れる。 同じようにぺこりと頭をさげる杏。ネリク・シャーウッド(ib2898)が「挨拶は大事だからな」などと頷きながら、満足げに笑って杏の頭を撫でた。そしてハッドの方にも「初めまして、杏です」と短く挨拶をする。 「うむっ、よき声ぞ。農業においても我輩が王であることを示さねばならぬの〜。このハッドが来たからには安心して、のら仕事をまかせるがよいぞ!」 胸を張る。その姿勢は大げさなくらい礼儀正しい。 「今回は忙しいですものね。もう秋、秋が来れば直ぐに冬。冬支度は、重要です」 胸躍る白 桜香(ib0392)が空を見上げる。 斑模様や霧のような雲が目立った。若獅(ia5248)が腰に手を当てて、ぐっと背を伸ばす。 「この秋独特の澄んだ空気、正に労働日和! 今日も働くぞー! そういや初めて農場に来た時は、雪ががっつり積もってる時期だったよな」 必死に雪をどけて。 翌週元に戻った豪雪をみた時は、うっかり絶望したものだ。 「ふむ、どのくらい降るのだ?」 冬場の光景を知らないマハ シャンク(ib6351)が尋ねると、こんくらい、と若獅が体を使って語り出す。豪雪の苦労を切々と語る若獅。腕を抱えて悩むシャンクは「埋まるかもしれんな」と、自分の身長がもたらす冬場の苦労を考えていた。 今年はあまり雪が降らないといいのだけれど。 「ところで家に入っていいかな?」 相変わらずの大荷物を持参しているミシェル・ユーハイム(ib0318)が、後ろで荷物持ちをさせられている蓮 蒼馬(ib5707)と朋友達を示しながら懇願した。 害虫や病予防の薬草に、新しく植える一畝文の加密列。 収穫の前に、体力がなくなってしまう。 到着早々、初日の作業は全員での大収穫である。 今回収穫するものは次の通り。 十月に収穫期を迎えた不断草は、畝一本に125株。 一株につき大きな葉を茂らせていた。今年は水害で葉物が高い為、高値が見込めそうだ。収穫中にナメクジが時々顔を出し、女性陣を盛大に騒がせる。 同じく十月に収穫期を迎えた蝦夷蛇苺は、およそ100株。椀で計量して売るにしても、四十杯分にはなるだろうか。 ぎざぎざが特徴的な葉の裏に小さな赤い実が見える。鈴なりの実を収穫するのは、皆楽しそうだった。二株か三株の苺を収穫するだけで、両手に溢れる量だ。 「‥‥みんなでつまみ食いをするとなくなっちゃうよ?」 久遠院 雪夜(ib0212)が声を投げる先には、白の桃香はじめブリュンヒルデ達人妖と子供達がつまみ食いに必死だ。油断も隙もない。白が慌ててやってくる。 「桃香ったら。味見よりこっちを手伝って?」 そして畝一本に広がる赤紫蘇と、隣の畝に広がる大葉も、傷んでいない葉から収穫する。 それぞれ約80株。一株につき二十枚近くは取れただろうか。 今まで害虫予防に力を注いできた効果だろう。蛾や蝶の被害はかなり少なかった。 大葉は塩漬けにすれば数ヶ月は日持ちする。売り物にならない葉は、加工したり、家で楽しむために使われる。 ちなみに大葉と赤紫蘇は近距離にあったことと穂紫蘇を放置した為、種が飛び散りこぼれたことから、来年、雑草に混じってあいのこ、つまり交雑種が出てくることになる。 来年の雑草抜きが面倒な予感だ。 9月下旬収穫だった畝1本ぶんの人参は、166本収穫できた。 同じく9月収穫予定だった50本の玉蜀黍は草丈が大人の背丈をゆうに越えて成長し、収穫できた玉蜀黍は100個になった。 この手入れは人妖達がしていたそうで、玉蜀黍は、最上部の雌穂のみ残して、余分な雌穂は綺麗につみ取られていた。若い玉蜀黍が何度も食卓にあがって、杏は飽きたらしい。 収穫をする傍らで。 他の作業も休むわけにいかない。 蓮は冬支度に備えて柵の点検に出かけた。雨風や獣が壊してしまうこともあるので、度々見回って修復しなければ冬が悲惨だ。ユーハイムは新しく植える苗に備え、香草を煮出す作業で汗をかいていた。もはや大変な作業もなれっこである。久遠院はマハと一緒に出かける明日に備え、畑で取れる香草の目録作りも行っていた。 ちなみに人参収穫を手伝っていた桂杏(ib4111)とシャーウッドは、収穫の途中、なにやら二人で秘密の話に興じていた。綿密に打ち合わせている様を、通りかかったロムルス・メルリード(ib0121)が見かけて首を捻った。 「随分楽しそうね。何の内緒話?」 なんだか棘が刺さるような気がするのは、シャーウッドの気のせいだ。 「え? ああ、加工品の件で見解が一致したんだ。じゃ、頼む。続きはやっとくから」 桂杏の籠を受け取るシャーウッド。 「分かりました。ではお先に。ええっと、大したことではないのですが‥‥宣言しておいて失敗したら二人ともお馬鹿さんな気がしますので、成功を楽しみにしていてください」 「‥‥よく分からないけど、成功を祈ってるわ」 メルリードの励ましを受けて桂杏は畜舎に向かった。 何をするかというと、牛乳を搾った後、火を通さずに甕に貯めて、何か別の物を作るつもりのようだ。 「そちらも片づいたのか」 畜舎に向かう途中、人妖の菫を頭に乗せたシャンクが藁を抱えて歩いていた。 「ええ。というより、頼もしい男性に任せて参りました」 「そうか。蓮が畜舎の柵を修繕していたから、人手が足りなければ呼びつけるといいぞ」 爽やかに鬼二人。 和やかな会話はさておき、一通り収穫の手伝いを住ませたシャンクは、若獅と畜舎の掃除にとり組んでいた。綺麗に清掃し、藁を敷き詰める。 という作業はいつもと変わりないが、今回は少し違う。 「この辺でいーかなぁ? どうだろ?」 「池や牛舎からも離れているし、良いのではないだろうか?」 何をしているかというと、生真面目な堆肥作りだ。 今まで鶏の糞は畑に、牛の糞尿は旧畑に撒いたりしてきたが、きちんとした堆肥を作ろうと考えたらしい。 何かと勤勉なシャンクは、発酵した土が高値であることを調べてきた。 シャンク達がここで作るのは『牛糞堆肥』と『鶏糞堆肥』が中心となる。 牛糞堆肥は基肥に向き、肥効が穏やかだ。将来、葉は豊かに茂るだろう。一方の鶏糞堆肥は、牛糞堆肥より肥料成分がかなり高く、肥効の発現も高い。それら全てを考慮し、適した作り方をすれば将来有効と判断したようだ。 ちなみに鶏糞堆肥を乾燥させた『乾燥鶏糞』は鶏糞堆肥より多くの肥料分を含む代わりに、土壌で急激な分解が起こりやすく植物の根を傷つけることが稀にある。また『鶏糞焼却灰』は灰分が多い為、酸化した土壌を改善するのに有効だ。 いずれにせよ、今後の畑が楽しみな試みである。 「堆肥って奥が深いんだなぁ。撒けばいい訳じゃないんだな、知らなかったよ」 「私も調べるまでは知らなかった。環境の改善こそ長い目で見ればよいものになるはずだ。多少の匂いは耐えるとしよう」 凛々しく働くシャンクと若獅。 日が暮れて夕食を終えた後のこと。 鈴梅雛(ia0116)と桂杏は帳簿とにらめっこしていた。 遠目から見ても頭がゆだっている。 「出費が‥‥すっごいです」 「確かに‥‥まだまだ、ね」 多くの者が数字との戦いを諦め、或いは放棄する中で。 この二人は辛抱強く闘っていた。 そんな後ろ姿を遠巻きに眺め、農場の見回りから戻ってきた蓮が声を投げる。 「頑張ってるな。次から現物支給に切り替えるんだったか? もしそれなら野菜がいいな」 自分で育て、自分で収穫し、自分で料理した野菜。 日持ちはしないが、味は格別だ。 「絶影さんは?」 加工品を仕込んでいた白が、朋友の姿がないことを尋ねると。 「絶影なら、夜間の見張りを命じて空に放してきた」 「お疲れ」 割烹着を着たシャーウッドが、熱い鉄板から何かを皿に移した。 「見回りで小腹がすいたろ? 雛たちも、休憩にしないか? 田舎の料理もどきを作ってみた」 シャーウッドの田舎というのは、当然ジルベリアである。 この農場は五行の東。 それも渡鳥金山の山脈を越えた向こうに位置する為、基本的に異国の食材は結陣を通して流通している。檸檬やバター、マヨネーズが高値で、シャーウッドが何度も母国の食材が手に入らないと嘆くのもこの所為だ。早々に現地調達を諦めたユーハイムが蓮と一緒に神楽の都で大量の買い物をしてくるのも同じ理由。 話が横に逸れたが、ありものを使って似たものを作るのはいつも苦労している。 「いい香り。なんです?」 桂杏達が興味深げにのぞき込む。 「むこうでよく食べられている卵料理だな。賽の目に切った野菜なんかをバターで炒めて、ハーブや牛乳、塩胡椒で味を足した溶き卵に混ぜるんだ。それで蒸し焼きにすると」 折角なので。 シャーウッド先生直伝、今宵の簡単総菜の作り方を詳しくご紹介する。 まず倉庫に眠っていた馬鈴薯と人参、玉葱の皮を剥き、さいの目切りにして裂いた茸類とバターで炒める。 次に、卵を溶き、牛乳とみじん切りのハーブを混ぜて塩で味付。 最初の炒め野菜に火が通ったら、味付き溶き卵を入れかき回し、少しの間蒸し焼きにする。その後、裏返し裏も焼いて出来上がりだ。 以上、『田舎風おむれつ』の作り方だ。 「ここに肉や魚の身を入れても美味いんだが、今ある材料でつくれたのは、この辺だ」 美味かったら明日の朝御飯に杏やミゼリ達にも食べさせてやろうと、シャーウッドは考えた。 美味しい夜食に舌鼓をうつ。 再び作業に戻る者と、布団に直行するちゃっかり者に別れていく。 当然ながら鈴梅と桂杏は、再び帳簿との戦いに戻った。 二人の戦は紙の上だ。 「‥‥出費がすごく膨らんでいますし、少し節約しないといけませんね」 節約、と言ってはみたものの。 鈴梅の脳裏には必要経費ばかりが乱舞していく。 「当面は加工品の質と量を増やす必要がありそうですが」 「そうですね。可能な限り、出費が収入以下になるのが理想ですけど」 二人は過去のものも含めて、人件費や生活費以外、つまり農場の生産関係の数字を目立った分だけでも手分けして書き出すことに決めた。作物は季節や時期によって価格が上下するが、いつもの固定金額は決まっているものだ。 以下、食事と休憩で頭がすっきりした鈴梅と桂杏の血と汗と涙の書き付けの一部である。 塩卵の販売価格。まほろばで7文。ほたるで7文。市場で9文。牛乳の販売価格、1Lにつき4文。紫蘇飲料や紫蘇味噌などに必要な材料価格は、砂糖1kg200文。味噌1kg40文。結構な経費だ。因みに紫蘇飲料は、市場で180mlを10文で販売していた。紫蘇味噌は250g瓶1個につき5文。いつも9Lほど作っているマヨネーズは合計で90文。桜桃の高級甘露煮は150g瓶1個を10文で販売。450g瓶1個は30文の値をつけた。ちなみに甘露煮などに使っていた小瓶の価格は大きさにより2文から4文だった記録がある。 などなど、ごく一部だが。 「牧草が一束5文で、一束が牛一頭一日分或いは鶏十羽一日分で、普通の量が十文で、大束一つが50文で牛一頭の十日分‥‥いけない、餌に大豆と塩も入ってましたね」 桂杏が計算しながら目の下に隈を作っている。 鈴梅も同じく。 「この前、シャーウッドさんが沢山売った馬鈴薯、キロ販売しましたっけ‥‥えっと、1キロが一袋の6文で235袋? 結構売れてますね。そういえば、白螺鈿は食品が高騰気味でしたっけ。前の葉物が‥‥、今日は‥‥ここまでにします?」 「‥‥まだ収穫したもののお値段を決めていませんものね」 鈴梅と桂杏。 布団の誘惑に負ける。無理もない。こうして一日目の夜が過ぎていく。 二日目の朝早く。 佐伯とユーハイム、白は手分けをして近所を巡った。 白とユーハイムは、主に冬支度に関して聞く為だ。 時に約五ヶ月もの間、白銀に閉ざされる地域である。厳しい冬場を乗り切るには備えが必要だ。 冬期間の暖房や煮炊き用の薪寄せ、漬物の仕込み、野菜貯蔵。また、浸漏りのないように屋根の修復し、家から土蔵まで仮廊下を作り、小さな窓にヨシ簀を張ったり、雪が降ったら毎日のようにカンジキを履いて雪を踏みしめ道を造る、など。昔ながらの知恵は沢山あった。そしてユーハイムはこの際、若獅達が以前復活させた池が、実はタネと呼ばれる消雪池の役割も果たしていたことを知る。 家畜や家を守る知恵なのだろう。 ついでに白螺鈿周辺では、塩引き鮭の酒浸しやいぶし大根などの保存食に加えて、真冬に根野菜と揚げ麩のお鍋が愛されていると聞き、白は冬の食卓にあげようと考えた。 一方の佐伯は杏を連れて、収穫野菜のお土産を持って渡鳥山脈の麓の養蜂家、芳茂の元へ出かけた。祭の件もあって長らく顔を出していなかったことと、巣箱に居着いた蜂の扱い方を聞いてこなくてはならない。定置養蜂を行う以上、十一月から三月の間は巣箱を回収し、室内つまり越冬庫に保管しなくてはならなくなる。 来月も忙しくなりそうだ。 メルリードは町中へ出かけ、翡翠の価格調査に出かけていた。 農場の資産もここで一旦増やす為、今だ換金せずに残してある六個のうち、二個の換金を仲間との相談で決めている。 思えば、一年前の農場は、廃屋同然だった。最初に持ち寄った翡翠九個を換金し、225000文もの大金を集め、そして現在の状況にまで農場を再生させることができた。 ここで潰すわけにはいかない。 「翡翠を二つ売りたいのだけれど、今の相場を教えてもらえるかしら」 後で祝儀の調べもしなければ、と考えながら、メルリードは宝石商と話し込んでいた。 その頃、久遠院とシャンクは、白螺鈿で店を構える調香師を尋ねていた。 手土産は塩卵と残っていた桜桃の高級甘露煮だ。 二人が尋ねた調香師は、香蝋燭やお香を専門に扱い、昔ながらの干し花をつめた香り袋などを主体に作っていた。ただし最近神楽の都や各国の首都を中心に『香水』が出回るようになってきている為、取り扱いを視野に入れて、現在交渉中らしい。 「では、香水はまだここで作れない、ということか」 豪商の娘などが時々身につけており、若い娘達も興味が高いので仕入れれば売れることは間違いないが、何分、作り方は一部にしか出回っていないらしい。 当然といえば当然だが。 「香や匂い袋などは作れるということか」 「そうだねぇ。香は香りの調合こそ難しいけど、道具や材料はすぐに揃うし」 かつては公家の娘などの嗜みや芸術として『香道』が盛んだった時代もある。とはいえ、いい香り、を作り出すのは並大抵のことではない。二人で粘って話を聞く内に、最も簡単なお香の作り方を教えてもらった。 まず香料の少ない市販の線香を買ってきて、一束ばらし、すり鉢で原型が無くなるまで粉々に潰す。そこへ小さじ3杯の蜂蜜と小さじ2杯の水、精油六十滴を垂らして練り続け、うまく乾燥させると、二十個ほど出来上がるそうだ。 ただし香りの調合に成功するかは、神のみぞ知る。 「ありがとうございました」 久遠院は再び頭を垂れて目録をひっぱりだし。 「えっと、もしこっちのお店で欲しい香草があれば、取引しませんか?」 「へぇ、結構色々‥‥おやまぁ、近くに薄荷を育ててる場所があったんだね。まだ契約してないのかい? 畑単位で契約してもいいのかね?」 ここにきて初めて、二人は薄荷の香があることを知った。 本日は買い出し日和である。 蓮はユーハイム指定の品を買い出しに来ていたし、シャーウッドは必要な材料の買い出しついでに、祝儀を包んでくれた店を尋ねて巡った。 「んじゃ。今農場で色々作ってるから、またよかったら来てくれ」 「おうよ! 少しはまけろよ、ネリク!」 「その少しが怖いだろ。ま、卵一つ位なら考えてやらんでもないな」 そんな軽口を叩きながら。 小店を巡り終えて、大口の祝儀を包んでくれた二件は、と足を運んで‥‥それが偉く立派な門構えであったことに、思わず踵をかえした。買い物のついでで挨拶出来るような場所ではなかったと、シャーウッドはメルリードに語ることになる。 ところで桂杏も楽しい買い物時間を満喫していた‥‥というわけでもなく、昨夜遅くまで数字と格闘していたせいか、瓶詰用の小瓶の買い出しや、砂糖に味噌といった加工品用の材料を買うにも悩んでいた。 「まだ裏手の巣箱は開けてませんし、砂糖はそんなに多く買わなくてもいいでしょうか?」 結局、少しだけ買った。 ついでにこの周辺で発酵乳が手に入らないことを嘆いていた。 一方、近所巡りから戻ったユーハイムは、病害虫予防の続きをしながら冬支度の手順を考えていた。来月は益々気温が下がっていくだろうし、早ければ月末には霜がおりたり雪が降ってくるかもしれない。と、考えると、聞き込んできたのを説明するのは夜になってしまうだろうか。 「‥‥しまった。栽培箱の整理をしないといけなかった」 屋内に加工したものや、玄関に並べてあるもの。薬用サルビアに加密列、大蒜と。 今回買ってきた植えるための苗も含めて、あれこれおきっぱなし箱を整理しなければならない。昨日久遠院が香草の目録を作っていたことを思い出し、栽培箱も書きとめておこうかな、と考えた。その方が、杏達の為にもなるはずだ。 母屋に戻ろうと歩き出したとき、どしーん、と派手な音が聞こえてきた。 ぶもおおぉぉぉぉぉぉ! 「元気だなぁ」 ふふふ、と笑うユーハイムは驚く顔一つみせない。 温かい眼差しで微笑まれた畜舎では、買い物から戻ったばかりの蓮が雌牛に戦いを挑んでいた。というのも、彼の命令を聞く雌牛はゲルヒルデ一頭だけだったからだ。 自分たちをなぎ倒せる強い者に従う。 それこそが我らが雌牛たちの掟! 「なかなかの美人揃いだが、相当なじゃじゃ馬だな。‥‥いや、じゃじゃ牛か? 言う事を聞かん、お嬢さんには躾が必要だな。こい!」 ぶもおおぉぉぉぉぉぉ! どしーん。 「はいはーい、オルトリンデのまけー。次なー」 さくさく誘導するのは若獅だ。その隣でシャンクが餌の入れ替えを行っている。 逞しい蓮の輝く汗と、勝者の微笑み! 無駄に格好いい見せ物状態だが、残念ながらここは闘牛場ではない。見せ物にしたら見物料を取れるのではないか、とシャンクは少し考えたが、考えるだけにした。負傷させては意味がない。なぜなら乳牛用の雌牛ーズだからだ。若獅が声援を送る。 「終わった奴から散歩なー。頑張れよ!」 「さて、鶏小屋にいってくる。放牧は任せても良いか?」 まだおわらんだろう、という意味を込めてシャンクは蓮と雌牛を一瞥した。若獅は「天月もいるし、まかせときなって」と朋友の頭を撫でながら返事をしつつも、まだ終わらないと思う、と目で告げた。 目は口ほどに物を言う。 「その程度か! 手応えのある奴はいないのか!」 ぶもおおぉぉぉぉぉぉ! 改めて念を押すが、相手は牛だ。乳牛用の雌牛だ。 ただちょっと闘争心に溢れていて、言うことを聞かない。それだけだ。 しかし畜舎の外で聞いていると、蓮が武道の試合で闘っているようにしか聞こえない。 「凄い音がしますね?」 刈り取った牧草を積んだ、もふらさまこと長老様を連れて通りがかった鈴梅が、激しい畜舎を眺めた。シャンクは「まだ暫くかかるぞ」と短く告げる。 母屋の方では白が冬支度に備えて屋内を見回っていた。本格的な支度は来月になるのだろうが、やらなければならない事は書き出しておくに限る。 「冬場って私ら、どうしたらいいのかね」 雇っている女性達は、不安そうな顔で白に尋ねた。元々牛や鶏の世話は杏や人妖達が行っていた為、冬場は仕事もなく追い出されるのではないかと思っていたようだ。 「やって頂きたい仕事は沢山あるんですよ」 仲間達も、冬場に彼女たちへどんな仕事を割り振るか、少しずつ想定していた。 「これから蜜蝋で蝋燭を作るんです。よかったら手伝ってください」 蜜蝋の蝋燭作りは勿論、虫除けの軟膏が作れたいいな、と。白は考えていた。 ところで不在のハッドはというと、杏の記憶を頼りに、この農場の敷地範囲を朋友のかめにのって調べつつ、正確な所有地の割り出しを行って地図に書きこんでいた。加えて噂の『樹上の小屋』と『海藻だらけの一帯』をぼんやりと眺めて。 「まさか他人の土地だとは思わなかったぞよ〜。恵に会いにいかねばの〜」 と、意味深な独り言を呟いていた。 三日目は多くの人間が食堂へと出かけていく。 農場に残った鈴梅は、どうにか牧草代を浮かせようと、刈り取った牧草を梁にひっかけ、風通しを良くした。雨の多い季節でもあるため、カラカラに乾かすのは困難かも知れないが、少なくとも乾いた分が出来れば経費が浮く。 「もしダメだったら、堆肥にできるか相談してみればいいでしょうか。ね、長老様」 少し前なら餌に出来なければゴミ扱いだったはずだが、今回シャンクが生真面目な堆肥を作り始めたので、例え乾燥に失敗しても、何とか別な形で再利用が出来るはずだ。 「やっぱりほら。体と心でぶつかれば雌牛たちも認めてくれるんだって!」 「‥‥体と心でぶつかって、畜舎は少しばかり悲鳴をあげてくれたがな。‥‥まあ仕方なかった。ああしなければ、壁どころか柱が折れてたしな」 若獅と蓮は、盛大に暴れたこともあって、畜舎の修繕にかかりっきりだった。 とはいえ牛は言うことをきくようになったし、畜舎の冬支度はどのみちしなければならなかったので、丁度良かったのかもしれない。壊れた壁を修繕し、点検を終えると、一通り牛の飼育を習い、余った時間はユーハイムに頼まれた栽培箱を造りと、冬用の薪割りに取り組んだ。 「‥‥こういう事は覚えているんだがな」 「ん、どうかしたか?」 若獅が首を捻ると「なんでもない」と蓮は笑った。 母屋では、佐伯が加工品の作り方を一冊に纏めようと頑張っていた。 例えば塩卵の配分なども詳細に書き記すため、帳簿で苦しんだ鈴梅と桂杏と似たような意味で数字に苦労していた。今後改良することも視野に入れて、綺麗に書き込む。何よりも苦労したのは、雇っている女性達に文字を教えることだ。 「ごめんねぇ、あたしら絵を描くのは得意なんだけど」 「いいえ、そんなに大変なことではありません。向こうのほうが大変です」 佐伯の視線の先には、シャーウッドと桂杏が土間で‥‥踊っていた。 否、一心不乱に腕を動かしている。 初日に密談していたこと。それは牛乳から作る、バターと生クリームだ。 『バターも作っておけば便利か。新鮮な牛乳もあるし』 『私もバターや生クリームが作れればと思っていました。やってみます?』 『ああ。ただ無塩バターであんまり日持ちしないし‥‥間違いなく手が死ぬだろうけどな』 結論から先に言えば、二人はこの日、バターと生クリーム作りに成功した。 料理の幅と可能性は広がった。 確かに成功はしたのだが‥‥バター作りで腕が筋肉痛になっていた。 二人の苦労を知りたい者は、是非新鮮な牛乳を使ってやってみることをオススメする。ついでに腕が鉛のように重くなっても責任は持たない。 メルリードは身なりを整え、白螺鈿にやってきていた。 シャーウッドが引き返した屋敷を訪ねる為だ。 そこは如彩四兄弟の長男、誉が統率している地域で、関わりがあまりない。名の知れた商家が何故白原祭の賑わいに混じり、如彩家三男の幸弥に組みする此方の農場へ多額の出資をしてきたのか、全く意図が分からなかった。出迎えられ、客間に通され、この度は‥‥と堅苦しい挨拶と感謝を述べた後、メルリードは10000文も出してくれた理由を尋ねた。 「なんと言えばいいのかな‥‥気を悪くしないでほしいんだが、罪滅ぼし、というのかな」 罪滅ぼし? 「正直、白原祭の時は、心底驚いたんだ。返り咲くとは思っていなかった。あんなことがあって如彩の決まりに準ずるとは思っていなかったし、まさか如彩側も受け入れるとは‥‥ああ、いや、でも今は関係ないかな。ご子息達が競い合っているようだし、昔のしがらみを気にしている場合ではないのかもしれないね。儂らにはできんことだ」 あんなことがあって? しがらみ? 「少なくとも、これだけは理解して欲しい。儂は、儂だけでなく、多くの家がそうだ。決して見捨てた訳ではないのだよ。儂らも守らねばならないものがある。天秤にかけたことは否定しない。しかし決して、貶めたかった訳ではないんだ。それだけは本当だ。表だっての力添えは難しいかもしれんが、出来ることはしてやりたいと思っている」 メルリードは沈黙を破った。 「ごめんなさい。私は雇われた使者で‥‥詳しく事情を知らないのです。出資に感謝していることを、伝えてきて欲しいと言われただけで。差し支えなければ、ご関係をきても?」 屋敷の主人は目を丸くした。 「‥‥何も知らないのかね? あの子達の母君は、百家の忘れ形見だ。あの子らの祖母は、如彩の計略で没落した百家唯一の生き残り。六女だったかな。百家は、如彩一族が此処を渡ってくる前までの大地主でね。今も、一帯の多くの土地を所有しているはずだ。あの百家に世話になっていない旧家などいないさ。‥‥あの子らのご両親は、元気かね?」 既に他界した杏達の両親のことを、老人は何も知らないようだった。 一方、杏達が莫大な土地を所有しながら、そのことを知らない事実をつきとめたハッドはといえば、人妖の炎鳥はミゼリの傍に置いたまま、人妖のブリュンヒルデを連れて一見の商家を訪ねていた。 ハッドは、別件で幾度もこの家を訪ねていた。 「ふ、不法侵入ですって?」 久々に実家に帰ってきていた榛葉家の愛娘、恵は仰天して湯飲みを落とした。 実は彼女、如彩四兄弟の長男、誉の奥方である。去る白原祭の夜に結婚式をあげたのだが、そこに至るまでは、開拓者達による長〜い苦労の歴史があったりする。詳しい経緯は省くとして、実は杏の家の森に放置された家、恵と開拓者が攻防戦を繰り広げた産物の一つである。かつて恵は樹上の家に立てこもり、開拓者を一泡吹かせようと闘った。 ハッドはその迷惑な戦いの時に同席していた為、元凶が恵だと知っていたのだった。 「さよう。法に基づき不法占有への抗議と‥‥言いたいところなのじゃがの〜、どうであろう? 新婚夫婦の暮らしは? 時に羽根をのばせる場所として、別荘にしてみぬかの?」 「だけどあそこは」 「ほれ、その土産の紫蘇飲料に桜桃の甘露煮、美味であろう? ここできちんとしておけば、また味わえるかもしれぬぞよ〜」 にたり。 散々繰り広げた熾烈な戦いで、恵の嗜好は知り尽くしている。 恵豚よ、餌にかかれ。 「だって、お父様があそこはうちの庭だって言ってたわよ。そうよね?」 話題は父親に飛び火した。恵の父親は非常に挙動不審だった。何か隠しているらしい。恵が激怒しながら父親の襟首をひっつかむと、ぽろりと白状した。 どうやら『昔はうちの土地だった』が正解らしい。 恵の祖父にあたる人物の弟が、良家から妻を娶り、分家として別れた時に財産分与された。その後、当人つまり恵の祖父の弟が突然の離婚。直後に自殺した為、てっきり本家に権利が戻ってきていると思ったらしい。しかし実際は、土地の権利は離縁した妻と娘に譲渡されていたという訳だ。 現在、あの森の所有権は間違いなく杏達にある。 「‥‥うむ? つまり恵よ、もしやこちらの農場と縁者なのではないか?」 恵に締め上げられた父親曰く、土地の権利を譲渡された妻の娘、というのが年齢から換算して、杏達の母親であるらしい。一緒にいたブリュンヒルデが家系図を遡り始めた。 「えー? じゃー、杏やミゼリと、この恵って子‥‥はとこ同士?」 榛葉の家も、目が点になった。 この後、ハッドは予定通り迷惑料として榛葉家から大金をせしめつつ、別荘使用料として毎月五千文を支払うよう契約を取り付けて帰ってきた。過去何十年も権利を侵害していたのだから、非礼を詫び少しは誠意をみせよ、という言葉に恵が折れたのである。 食堂の方では四人が給仕と料理を担当しつつ、新しい食事の考案に勤しんでいた。 「これから寒くなるし、あったかいメニューをおすすめするんだよー」 愛らしい格好に着替えた久遠院が、客の減った頃合いを見て声を投げつつ厨房へ戻っていく。どうやら馬鈴薯のケーキを試験的に作ってみるらしい。楽しげな後ろ姿を眺めるのは『たまには土いじりから離れてみるのもいいかな』と珍しく食堂へ来た、給仕兼楽師を務めるユーハイムだ。人の多い昼時や、頼まれたときに『それでは一曲』と華麗に弾き語り、人々の関心を集めていた。厨房の様子をのぞき込み、一声励ます。 「なんだか自信ありげだね。雪夜の試食メニューが楽しみだよ」 「美味しくできるといいなぁ」 「今回は加工のしがいがありますね。期間限定で出します? 桃香、菫さん、味はどう?」 「これ、おいしーい」 「悪くないわ」 給仕姿の人妖達が幸せそうな顔で揚げ物にかぶりついている。 新たに収穫した食材と、新しい加工品は料理の幅を広げてくれる。白は次々と新しい品目に挑戦していた。ほくほくの馬鈴薯を使って揚げ物にしたり、加熱した馬鈴薯に切れ目を入れて塩やバターを振りかけて軽食に、玉蜀黍は下準備が大変だったが、ゆでたりスープにしたりと使い方は沢山ある。途中、はの抜けたり実が小降りの玉蜀黍は、塩湯でをして皆のおやつになっていた。熱々の玉蜀黍を二つに割って、箸をさせばいい。 「休憩ですよー? 熱々のうちが美味しいです」 白が外に声を張り上げる。 「いまいく」 シャンクは食堂の改修に取り組んでいた。なにしろ食堂の主人は要領を得ない物言いが多いので、どんどん改修工事を進めることにしたのだ。古さも歴史の一つと、決して趣を消すことなく外観の修繕をしていた。 「桃香、これを食べ終わったら桂杏さんのメモを持ってきて」 預かってきたキッシュの作り方。 『ボリュームもありますし、中に入れる物でバリエーションもつけられますし、どうですか?』 味見させてね、と言い張る人妖達に、夕飯が食べられなくなりますよ、と食べ過ぎ注意のおしかりが下った。しっかり給仕はしていたから、ご褒美でもいいけれど。 四日目は平穏な作業が続いた。 鈴梅は不足分の牧草を買いに出かけ、佐伯は杏と塩卵の納品に行き、メルリードは出資元の調査に出かけ、若獅は畜舎の世話と畑の残務を手伝った。久遠院は天国と絆を連れて明日の茸狩りに備えて森の下見に出かけ、ハッドは母屋で本日の料理当番を志願した。蓮とシャンク、ユーハイムの三人は畑の整備と苗植が忙しい。白とシャーウッドは加工品作りに忙しかったが、主に苺ジャムを作っており、少しだけ買い足した砂糖がすっからかんになった。その見事な無駄のなさは、帳簿との戦いの成果でもある。因みに桂杏は収穫したばかりの作物をもって、市場に出かけていた。泥付きで新鮮さを主張する。鈴梅が買い物を済ませて様子を見に行くまでに、大半を売り切っていたのは商魂の逞しさといえた。 五日目は、待ちに待った茸狩りだ。 空は晴れていた。森の中は静かだが、日光が差し込み、木漏れ日が心地良い。 ユーハイムは「こんな秋晴れもいいものだね」と歩いているが、昨日の重労働で体調を崩さないかどうか、シャンクが時々気にかけていた。 「きのこ、どこかな?」 杏が周囲を見回す。 佐伯は「あっちにあります」と楽しげに杏達の手をひいていく。 メルリードはミゼリの傍らに寄り添っていた。足下が不安定な所は、鈴梅に頼んでもふらさまに乗せて貰ったが、平面で茸の多い場所には降りて摘んだ。 「いい匂いでしょ? ネリク達に、茸づくし料理でも作らせてみる?」 「人使いが荒いぞ、ロムルス‥‥まぁ、作るけどな。おっ、忘れてた。杏ー、分からない茸があったらすぐ誰か呼ぶんだぞ」 はぁい、という元気な声は、果たしてきちんと聞いているのかどうか。 「やれやれ、ま、いっか」 籠を背負って隣を歩いていた蓮が笑う。 「ははは、こういう時くらいは杏にも子供らしく思い切り楽しんでもらいたいものだ」 同感だ、と父親のような話をしながら、先頭を歩く杏達に負けず茸を拾う。 若獅は籠に溜まっていく茸を見て、夕飯を想像した。 「取れたて茸のご飯とかいいなあ」 ちらちらと、シャーウッドや白といった料理の得意な面々に、夕食希望を囁いてみる。 「ちゃんと作るから。心配するな」 久遠院もまた籠を背負って荷物持ちをしているが、楽しそうな杏達をみていると疲れも吹っ飛んだ。時々野の獣に注意を配りつつ、その視線は時折、ミゼリに寄り添う人妖の炎鳥と杏に寄り添う人妖のブリュンヒルデに注がれる。 「開拓者って感覚麻痺しがちだけど‥‥人妖が二体もいるのって、ふつーじゃないよね」 ぽつりと呟く。 ところで鈴梅は、皆が拾ってくる茸が食べられるか否かを、野草図鑑を持ったハッドと一緒に、慎重に仕分ける作業に没頭していた。時々手が空くと、あちらこちらを見回し、トチや栗を見つけて籠に入れていく。 「柿がありますよ、柿! 枝ごと持って帰って、干し柿を作りませんか?」 白が指さした場所に実る柿がある。 流石は秋だ。 散策の途中で噂の樹上の小屋の傍を通りかかったが、桂杏が軽快な身のこなしで周囲を調べたのでとくに問題は起こらなかった。たまーに縄とかがぶら下がっていたが、危なそうな物はしっかりと処分する。様子を眺めていた蓮が呟く。 「縄に小屋、干乾びた海藻、な。何か怪しげな儀式でもやっていたのか?」 事情を知っていそうなハッドに尋ねると。 「乙女の秘密の花園というものぞよ。さ、奥へとすすもうぞ! 赤松や楓を探さねば!」 煌めく笑顔でかわされた。 茸狩りは沢山の収穫を得た。実り豊かな森の一日を満喫し、皆が母屋へと戻っていく。 やがて土間から香る秋の香り。 少しばかりの不穏な気配を隠して、賑やかな時が過ぎていく。 今を生き、ともに食卓を囲もう。 幸せな団欒が。 温かい時間が。 厳しい冬を乗り切っていく、絆へと育っていくのだから。 |