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■オープニング本文 前回のリプレイを見る 『‥‥私のこと、本当に好き?』 思い出すのは、記憶の片隅に残る声音。 あの朝の真実を、今更誰が信じると言うのだろう? それは、とある男と女の最期の会話。 心迷い処遇を決めかね、手料理を持って牢座敷を訪ねた朝のこと。 『好きだよ』 毒入り料理かもしれないぞ、と開拓者から忠告を受けていたことは知っていた。 それでも。 『‥‥私が最悪な女でも? 何も持っていなくても?』 『前から知ってる。俺の妻は、おまえだけだよ。‥‥心配ない。大丈夫だ。もし俺がいなくなっても、おやじに頼んで養子にしてもらえば不自由無く暮らせるだろう。泣くことはないんだ‥‥ご馳走さま、美味しかった』 人は愚かだと笑うだろう。 幾度も利用され、いつか殺されることが分かっていて。 それでも遠い日の思い出に誓い、縋り守ろうとする姿をバカな男だと笑うだろう。 『違うの。ふたり必要なの』 もう充分すぎるほど頑張った、そう己を褒めたことを覚えている。 『あのね‥‥これからはずっと一緒にいてあげる。ふたりだけよ。誰からも責められない。誰にも手の届かないところで、あなたに償うから』 のばした手、後悔と喜び、絶望感と開放感、戦うことに疲れていた。 『‥‥‥‥ハ、勝手ニ真朱ニ食ワれテわ困るゾ? 天城ノむスメ‥‥‥‥』 知らない声と大切な人の呼ぶ声。後頭部に重い痛み。遠のく意識。 『オ前ニわ大事な役目があるノだかラ』 その後、屋敷の男衆が意識の無かった私を見つけて手当てをした。 牢屋の中は空っぽで、留め金は引きちぎられていた。 彼は何者かの手引きで脱獄したらしい。 翌日、かつての婚約者は山で死んだ。 アヤカシに浚われ、食い殺されたと聞いている。 + + + 私と取引をしませんか、と。 神器を取り戻し、返却するかどうかを考えあぐねている開拓者達に鬼灯の里が境城家、次期当主和輝の妹、天奈は言った。 「里をおわれた私としては、どちらでもよろしいんですのよ。鬼灯や彩陣など、滅びてしまえばいい。例えそれがアヤカシの差し金でも、事実は変わりませんもの。心に染みついた憎悪は簡単に拭えません。でも、それでは貴方様は困るのではなくて? 魔の森の実害は、鬼灯よりも彩陣が深刻。‥‥霧雨様、これは取引ですのよ」 開拓者に同行していた彩陣の跡取りである御彩霧雨は険しい顔で問い返した。 「‥‥要求は?」 「天城の再建のために私と結婚を、と言いたいですが」 予想外の切り返しに一部の者の目が点になった。 「アレ? 違うの?」 「申し込めば応えてくださるのですか?」 「いや、それは無理だけど‥‥」 怯えながら再び隠れた霧雨。溜息を零した天奈は、改めて要求を伝えた。 「卯城家の嫡男を‥‥徳志を見つけたら、壊さないでくださいませんか」 開拓者の一部が目を剥いた。 「徳志が消えたのは昨年末の鬼灯祭。アヤカシに食い殺されたと伺いましたし、普通に考えれば生きてはいないでしょう。仮に遺体だとしても、破壊せず、徳志と分かる形でいいのです。そのまま私にくださいませ」 「‥‥彼ではなく化けた相手だったら?」 「彼の形をまねた者が不愉快です。偽者なら確実に仕留め、理由を聞き出すこと。それが私が手伝う条件です」 開拓者達は顔を見合わせた。 「‥‥その二つを約束すれば、全面的に協力するんだな? 一切の隠し事をしないと誓えるか?」 「その言葉、努々忘れませぬよう。では手始めに、刀を」 模造品だった神器の刀を手に取ると、パキン、と軽い音をたてて柄から刀を引き抜いた。 「ええええ! こ、壊‥‥」 「分解しただけよ。‥‥本当にあったなんて」 柄の中から、古びた布きれを取り出した。所々穴が開いている。 「‥‥なにそれ‥‥」 「天城の先祖が記した真の天女の記録、とでも言えばいいのかしら」 今にも粉々になって破れそうな絹の布きれに、びっちりと黒い点‥‥いや古い文字が書かれている。 「伝説に残る『鬼姫の厄災から鬼灯を守った守り神・真朱』が、祟り神と称されるアヤカシとして実在していたならば、天城の先祖とされる天女或いは鬼姫もまた何らかの形で実在するんでしょうね。亡き母はいつも私に言っていました。神の道具には大いなる威光と正史が刻まれるのよ、と。口頭で歪む前の記録であるとすれば、鬼姫の威光とやらがあるのかも」 もし上手くいけば。 解き放たれたと思しき鬼姫の行方や、相手の能力がわかるかもしれない。 解読するには時間がかかる。そしてこの所々の穴をどうしたものか。 「あの‥‥何となく‥‥なんですが‥‥」 開拓者の一人が、おそるおそる、山中の『ハフリの宮』にあった記録の写しを持ってきて比べた。 「‥‥劣化が激しかったので、なんとなくしか分からなかったんですが‥‥こことか、似てませんか?」 どうやらより正確な解読が行えそうだ。 「ひとまず、結果待ちかな」 そうして何週間かが過ぎ‥‥ 残りの神器も必要だ、という連絡が入った。 玉の持ち主である柚子平は所用で忙しくて動けないが、どうやら『鏡』は白螺鈿を納める如彩家の骨董好きな権力者の手に渡ってしまったらしいことが分かった。 現在白螺鈿には、実質統治者が四名いる。 天奈の兄・和輝が取引をしている虎司馬もその一人だが、どうやら四兄弟で覇権を争っているという。誰の手に渡ったのかは不明だが、調べて譲って貰うかどうにかして、なんとしてでも手に入れる必要があるだろう。 如彩家長男、誉(ほまれ)。 如彩家次男、神楽(かぐら)。 如彩家三男、幸弥(ゆきや)。 如彩家四男、虎司馬(とらしば)。 分かっているのは、名前だけ。 そして月に一度、白螺鈿では有権者が集まる宴があるということだった。 「招待状が無ければ会場に入れない。そこで、ここに二通ある」 彩陣の後継者、霧雨。 鬼灯の後継者、和輝。彼らにあてられた招待状だ。 「これ一通で二人。合計四人。本人でなくとも代理人は立てられるから、俺達でなくても入ることは出来る。ただし後継か家族、或いは奥方でないと相方は入れない」 「つまり、和輝と霧雨の婚約者か何かとして女性二人が潜入するか、男二人を代理人に立てて男女一組でいくしかない、ということかな。その上で、彼らと親密になりつつ情報を仕入れてくると」 「そうなるな」 怪しい雲行きの鬼灯と、行方知れずの神器。 果たして調査の行方は? |
■参加者一覧
大蔵南洋(ia1246)
25歳・男・サ
水波(ia1360)
18歳・女・巫
神咲 六花(ia8361)
17歳・男・陰
煌夜(ia9065)
24歳・女・志
萌月 鈴音(ib0395)
12歳・女・サ
天霧 那流(ib0755)
20歳・女・志
蓮 神音(ib2662)
14歳・女・泰
蒔司(ib3233)
33歳・男・シ
アル・アレティーノ(ib5404)
25歳・女・砲
ローゼリア(ib5674)
15歳・女・砲 |
■リプレイ本文 ローゼリア(ib5674)は朗らかに挨拶した。 「砲術師のローゼリア・ヴァイスと申しますの。引き続きよろしくお願いしますわね」 しかし一部の開拓者が、負の空気を放っている。 「‥‥事態はよりややこしい方向に向かっておりますね‥‥」 相変わらず、柚子平の失踪病は治らない。 御彩・霧雨(iz0164)に居場所の検討すらつかない、と言われた大蔵南洋(ia1246)が肩を落とした。あいつのことだからアヤカシを愛でにいったんだろう、という霧雨の慰めも、慰めにならない。 大蔵には一つの疑念があった。 それは、柚子平もかの有資格者なのでは、というものだ。 以前、柚子平は開拓者にぼやいた。ナマナリヒメの器かと思ったのに、と。 ナマナリの器に必要とされる資質、資格とはどういうものなのか。不幸な境遇など、ごまんといる。正直、気になって夜も眠れない。 大蔵の背中を眺めていた煌夜(ia9065)は気遣うように声をかけた。 「いないなら仕方ないわ。関わった以上、引き返せない。気を引き締めていきましょう。それにほら、私達は宴の支度もあるんだし。そうね、立場的には‥‥南洋さんの妻役? 流石に天儀人とジルベリア人で姉とか妹は無理でしょうからね。どうかしら」 気苦労で頭痛の止まらない男は、改めて思い出した代理の件で「宜しくお願いいたす」と頭を垂れた。 「そうそう、六花にーさまと神音もおめかししないといけないもん。あ、そうだ」 猫又のくれおぱとらを抱えた石動 神音(ib2662)は、憔悴した屋敷の人々と規則的な生活しか送らない人々の話を伝えて、鬼灯に向かう面々に注意を促した。 「鬼灯の町で‥‥何が起こっているのでしょうか」 しょんぼりと肩を落とした萌月 鈴音(ib0395)は境城家の様子がおかしい話をきいて、卯城家の様子を見に行くと言い出した。卯城家まで何か変わっているのではないかという、心配があった。 「‥‥あ、でも余計な負担をかけぬ様に‥‥境城の事は、今は伏せておきます。‥‥御当主の‥‥最近のお加減や、神器に関して‥‥何か聞ければと。あと‥‥」 萌月が目を配る。 鬼灯に向かう萌月に同行する酒々井 統真(ia0893)は、近隣農場の都合で調べた四兄弟情報、すなわち誉は歴史古い農家と繋がりが強く、虎司馬は最も頭の切れる相手で、幸弥は残る農家の受け皿になっている事を、宴に行く面々に伝えた。 そこで蒔司(ib3233)が手を挙げた。 「ワシも境城の動向も気になるき。当主に剣の神器奪還の経過報告かねて、そっちで隠密裏から調査しよかと思うちょるから、天霧を待ってから行こうか。ワシはこの通り神威人やき目立たないようにの‥‥」 ギルドで調べ物があるから、と。天霧 那流(ib0755)は遅れて来ることになっている。 アル・アレティーノ(ib5404)も慌てて立ち上がった。 「あたしも行く行くー、あ、でもねー、あたしの場合は聞き込み中心に鬼灯で動くつもりー。観光客に混じれば目立たないかなーって、前回回ったところも聞き込んで顔見知りになっておいたほうが良さそうかな」 眉間に刻まれる皺が深い。 ローゼリアも同じ心配をしていたらしい。 当面の間は、色々と不穏な鬼灯・境城家の調査を行っていくつもりであることを伝えた。 先入観を交えないからこそ、見つかる何かがあるかもしれないからと。 こうして行き先が決まった。 和輝と霧雨の代理で白螺鈿の宴に出席するのは、神咲 六花(ia8361)と大蔵、そして二人の相手役に石動と煌夜。 残りの者は、鬼灯へ向かう。 卯城家に顔を出すのは、萌月とその友人。 境城家に顔を出すのは、天霧と蒔司 そして外部からの観察や施設を含め、鬼灯の町を調査して回るのは、水波(ia1360)とアレティーノ、ローゼリアとなった。 「ああ、いるねぇ」 ギルドの老齢職員は、資料庫に天霧を連れて行った。 胸中の疑問を払拭すべく天霧はこんな質問を投げかけた。 『忙しいところ、ごめんなさい。眠っている間に悪夢により、まるで乗っ取られたかのような別人になる、そんな能力を持つアヤカシの記録はないかしら?』 答えは是。 「一般的には『夢魔』の名前で知られてるアヤカシが、比較的似てるか。どこいったかなぁ、コレとアレ。あとこっちの棚が五行の東側の事件だったかな」 ‥‥夢魔。 それは『人に悪夢をみせて殺すアヤカシ』につけられた呼称である。 一般的に、とても臆病者で知られ、人間並みの知恵が働く。発見や捕獲が難しく、深夜遅く、孤立睡眠中の若者がよく狙われる。それ故、ギルドが扱う記録の中にも、あまりおおっぴらに名前は聞かない。 「あたしが捜してるのは悪夢で殺すのではなくて、悪夢で別人になる奴で‥‥」 「すげかえ能力はあった気はしたが」 ぴたり、と手が止まった。 「すげかえ?」 「正確には『変身』というべきかね。殺した獲物の姿になることで、次の獲物を探すのさ」 しかも一時的ではなく日常に紛れ込む。さほど強くはないらしいが、発見例が少ないので、そもそも能力の多くは分かっていない。 「調べれば、何か分かるかしら」 「コレをか」 どーん、と積まれた事件の記録に目眩がする。虱潰しにするには、あまりにも数が多すぎた。何しろ、五行の東側、鬼灯や彩陣の辺りは、広大な魔の森が広がっているのだ。 アヤカシ絡みの事件など、毎週の勢いで運び込まれてくる。 「‥‥少しだけ目を通して出るわ、ありがとう」 がんばれよ、と職員は去っていく。 天霧は溜息を零して何冊か手に取り、膨大な記録を調べ始めた。 ふと目が留まった。 『不眠で変貌した妻に、殺された開拓者の無理心中事件について』 場所は、彩陣。 「お待たせいたしました」 霧雨達の前に現れた水波は、普段の艶めいた装束ではなく、銃と剣を持ち地味で物々しい装いをしていた。事件にアヤカシの暗躍を睨んでの警戒に他ならない。巫女であることを知られぬように念を入れて来たようだ。 霧雨に頼んで天奈を紹介してもらい、徳志の人相風体、生前好んだ場所を伺い、容貌特徴を訪ねてから一言礼を述べて白螺鈿の市井へと驟雨で出かけていった。関わりのありそうな噂を見つけて調べて来るという。 去っていく姿に煌夜が溜息を零してひとりごちる。 「アヤカシの暗躍、ね。‥‥私は古い話に興味を引かれて、だったんだけど、古い話ですまなくなりそうね。思った以上にきな臭そう」 みんな無事だといいんだけど、と。 同じく遠ざかる後ろ姿を眺めて神咲はぽつりと呟く。 「‥‥流石に、こちら側の町中に徳志はいないと思うんだけどね」 ここは五行東方、渡鳥山脈を越えた先にある町、白螺鈿。 昨年末に徳志が失踪した鬼灯からは距離がある。元々人目を避ける動きをしていたアレが、人の多い白螺鈿に来ているとは思えないのだが‥‥と、ぼんやり眺めていたが、まさか水波が偶然にも予想外の収穫を集めてこようとは、この時はまだ想像もしていなかった。 「ああ、そうだ和輝」 「なにかな」 「何が起こってるか分からない以上、たとえ境城から呼ばれても、近づかない方が良い」 「あ、ああ、‥‥分かった」 狙われても対抗する術が思いつかない。常時傍で守れない以上、保険は必要だと判断したのだろう。天奈を呼び「和輝が戻ると言い張ったら」と相棒のリデルを差し出した。 一瞬、ぷいっ、とそっぽを向いたリデルに、神咲はくどくどと天奈を見張る曲者がいないか見回りをするように言い聞かせた。元々気位の高い猫又なので致し方あるまい。 宴と言うことで、大蔵の威圧感溢れる凛々しい表情をどうにかするように霧雨に頼まれていた。また一方では、偽装とばれぬように『乙女の柔らかい体を密着大作戦!』っぽい案を、本気で実行するか真剣に悩んでいる煌夜がいた。 神咲と石動は宿を取り、共に身分を偽って四兄弟について聞き込みをしに出かけた。 高く聳え、所々魔の森の侵食を受ける山、渡鳥山脈。 鬼灯はかのやまの山麓に存在し、白螺鈿をはじめ山脈向こうの穀物地帯とを繋ぐ大きな要である。絶えず足を踏み入れる商人や旅人がもたらす昼夜の活気は人の心を躍らせるが、この鬼灯に古くから根を張る異形の気配を開拓者達だけは知っていた。 鬼灯の二大地主である卯城家と境城家。 そのうち、卯城家を訪ねたのは萌月とその友人。 屋敷の前まで来て、以前との変わり様に驚き、足を止めた。 昔、物々しい空気包まれていた屋敷は、大きく開かれていた。門番が立っていない。木彫りの看板が表に飾られ、幼い子供達の嬌声が響いてくる。かつて山渡りで命を落とした男達の忘れ形見の生活を保障し学問を与える、開拓者達が提示した案を家主は守っていた。 「せんせぇ、さよーならー」 「寄り道するんじゃないぞぉー。‥‥お?」 目があった。やや草臥れた装いの好々爺だ。 かつて見た威厳と格式の高さを誇った顔は、面影を残すのみ。「どうも」と言葉少なく答える友を見上げながら、萌月は「お久しぶりです」と、おずおずと進み出た。 「色々と‥‥御苦労も多いと思いますが‥‥お体の具合は大丈夫ですか‥‥?」 部屋に通された萌月達は、様子を伺って差し障りのない話を続けた。彩陣へ繋がる道のアヤカシ駆除、山渡りの再開、卯城の今後の見通し。 しかし一連の話をしていても、際だっておかしな所は無かった。憔悴していた以前と比べて、笑う余裕が生まれたことは幸いである。萌月は軽く身の回りに注意するよう告げた。 「もちろんだとも」 地主直々の無償での寺子屋解放は随分忙しいらしい。 その後、他愛もない話をしてから、彼らは聞き込みのために鬼灯の町へと消えた。 白螺鈿の有力者を初め、近隣の長や商いの有名所が顔を出したこの日。 会場に入り込んだ四名の開拓者のうち、いかつい顔が怖いと評判の男は、見目麗しい美貌の乙女を連れて石のように立っていた。 男の腕に絡みつく、滑らかで細い肢体に視線が集まる。 華奢な四肢。折れそうな細い腰と豊満な胸。透き通るような白い柔肌を辿れば、幼さの面影を残す小顔がある。美しく編み込まれた白銀糸を花で飾り、蠱惑的な緑の瞳が通り過ぎる男達に視線を投げかけ、ふっくらとした甘い唇が天女の微笑を振りまく。 「‥‥やりすぎではなかろうか」 隣の妻に声だけ投げる。目のやり場がない。 「ちょっと過剰なぐらいに親密っぽく振る舞った方がバレないわ」 煌夜はするりと体をすべりこませ、大蔵の正面に回り込んで顔を寄せた。 遠目からみれば、口づけを強請る可愛い女と、それに困り果てながらイチャついている男にしか見えない。なぜあんな強面にこんな美女が、といわんばかりの視線を時々感じる。 「ジルベリアでは、天儀よりもこういう表現は直接的だもの。それにどうも、聞いた話だと虎司馬って人が開拓者事情に精通してるようだから、取り合わせだけで勘ぐられそうだし、念には念をって、こと」 大蔵の唇を人差し指でなぞり、恋人を演出しながら首元に顔を寄せる。 小声で秘密話をする為とはいえ、どこからどうみても熱烈な恋仲にしか見えない二人。 「さようか。しかし相方がこのようなむさい男で真に申し訳ない」 ぷっ、と小さく吹き出した煌夜は「とんでもないわ、旦那様」と切り返し、仕事に戻る合図を示す。二人は獣のような鋭い眼光を会場内に走らせた。目的の誉が、いない? 「仲睦まじいのですね」 声をかけてきたのは、杯を持った如彩家長男の誉だった。 「私は如彩の誉と申します。先ほどからお声をかけたかったのですが、なかなか機会を見いだせなかったもので。そちらの美しい方は奥方ですかな。どちらからこちらへ?」 「お初にお目にかかる。御彩家後継者の代理で参った、大蔵南洋と申す。こちらは家内の煌夜。煌夜、ご挨拶を」 煌夜は楚々とした雰囲気を崩さずに頭を垂れた。 「初めまして、如彩誉様。このような美しい里にお招き頂き、嬉しく思いますわ」 「こちらへ代理で出席すると知ってから、どうしても共に来たいと訴えたもので」 「だってあなた。彩陣はアヤカシの害に怯える日々で、息がつまりそうだったんですもの」 苦笑いする大蔵と演技に徹する煌夜に、誉はうっすらと微笑んだ。 「‥‥気に入って頂けましたか?」 「ええ勿論」 「いやはや、素晴らしい発展ぶりですな。彩陣はなにかと難しい環境になっているもので‥‥遅まきながら、彩陣の里も変わらなければならない、如彩家に学ばなければならない、と常々霧雨は申しておりますな」 機嫌を盗み見ると、誉は上機嫌とはかけ離れた、しみいるような表情をしていた。 「その言葉、是非祖父に聞かせたかった。祖父母は彩陣を離れた時の話を、よく我々に話してくれたもので‥‥実は招待状を出した時、頭の固い父は『来る訳がない』とまで言うものですから。来てくださったこと、家長に代わり、心から感謝します」 握手を交わしながら、大蔵は昨年の記憶の糸を辿る。 そういえば。 如彩家は、霧雨の祖父母の代に、魔の森の侵食を受ける彩陣に見切りをつけて山を下りた。分家だけが山を下りた虹陣や沼垂と違い、本家ごとという一族の大移動だったと聞いている。その上、彩陣十二家随一の養蚕技術を保有していた為、如彩家の離脱で蚕の多くを死なせてしまい、彩陣は絹糸を復活させるのに相当苦労したはずだ。 正に御彩と如彩は、水と油、犬と猿。 何十年もの長きに渡り、交流が断絶していた家同士だ。つまり大蔵と煌夜による御彩霧雨の代理出席は、御彩と如彩の交流の再開という記念すべき重要な意味合いがあった。 すっかり忘れきっていた事情を思い出し、一瞬別の問題が芋蔓式に降りかかってきそうな気がした大蔵だが、一瞬でその考えを脳裏から消した。今は別の目的がある。 「‥‥確か、かつて如彩家の山渡り担当は境城家でしたな」 ぎくり、と誉が肩を奮わせ「そ、そうでしたか。ですが道の件でしたら愚弟が」という声を遮り「実は色々ありましてな。御彩も今年境城に世話になっておるのですよ」と言った。途端、誉の肩から力が抜ける。此処へ来る前に鬼灯へ立ち寄り、境城家の当主にあったことを伝えてから本題に入る。 「実は、白螺鈿に行くなら探して欲しい物がある、と頼まれましてな」 時は少しばかり巻き戻り。 萌月達が卯城家を訪ねている間、境城家を訪ねた者達もいる。 白螺鈿でアヤカシ絡みの事件を調べた水波は鬼灯に来て、赤い柱の屋敷を見上げた。 「鬼灯祭の舞に興味をもって参りましたが‥‥ままならぬものですね」 舞姫は行方不明。教育係も失踪。肝心の舞も、年末までどうする気なのかわからない。 溜息ばかりをこぼしながら、境城家の傍まで来た。術視「参」で状態を見破ろうというのだが、この術は敵の個体一体の様子しか伺えない。物々しく不気味な屋敷は、中に立ち入らない限り門番の状態ぐらいしか分からない。しかし術により水波は、かの門番が、半永続的に姿を変えたアヤカシだと気づいた。 その時、仲間の三人組が近づいた。 蒔司と天霧、そしてローゼリアだった。 「ぬかるんだ地の上に立っとるような‥‥何とも言えん心境やな。何処までが人為で、何処から人ならざるものが関わっとんのか‥‥少しずつでも、明らかにせんとな。取り返しのつかん事になる前に‥‥おっと。わしは境城の地主に経過報告にいこうと思うちょるが、天霧とローゼリアは山彦の方じゃき、お互いに充分気ぃつけんとな」 「ええ‥‥山彦君、もうあたしの知る彼でないかもしれないのね。その覚悟の上で会うわ」 「私は遠巻きに、できるだけ山彦さんという方から目を離さない様にしたいです。自分にでは無いにせよ、「自分が変わってしまうかも」と不安を訴えてきた方を無碍にはしたくありませんもの。‥‥余り考えたくはありませんが、彼の言葉を考えるなら彼自身も既に変わってしまっていないか警戒する必要はありますし‥‥考えたくはないですが」 嫌な予感しかしない。 ローゼリアと別れ、蒔司が奥に消え、天霧はきょろきょろと山彦の姿を探した。 遠くから蒔司の声が聞こえた。 「久しいな。疲れているようだが、変な夢でもみて眠れてないのではないか?」 「単なる徹夜明けですよ。それでは」 驚くほど淡泊な返事にどきりとし、そして棒のように立ちつくした。 周囲に目もくれずに淡々と歩く青年の横顔が、記憶を呼び覚ます。 『‥‥俺は眠るのが怖い。そのまま一生、目が覚めない気がして。次の日には『俺ではなくなっている』気がして。毎夜、眠るのが怖くてたまらない‥‥』 「山彦君!」 名を呼ばれた若者がこちらを見る。虚ろな目が天霧を捕らえた。そして沈黙。 「はっはっは、バカだな山彦。お前、なぁに恋人に見惚れてるんだよ。すいません、こいつ徹夜勤務開けなんですよ。ええっと」 同じ虚ろな目をした若者が、突然現れてまくし立てた。山彦が「そうだった」と呟く。 だが恋人というのは、あくまで演技だ。何が起こっているのか、尋ねる予定だった。 「‥‥天霧‥‥那流、よ。突然、お邪魔してごめんなさい」 無事であれ、と願ったのに。 口の中が急速に干上がる。迎火衆の一人は「ごゆっくり」と言って立ち去り、残された山彦はゆっくりと歩み寄り「どうしたんだい」と微笑みかけてきた。まるで恋人に接するような仕草だ。周囲には人が居なくなっていた。そして、どうすべきか考えた。 「近くに、寄ったから、顔が、見たくて。ね、山彦くん、背中から抱きしめても、いい?」 「寂しい思いをさせて、ごめんよ。おいで」 天霧は口元にだけ笑みを浮かべて、そして背中に隠れて、意識を集中させた。 ‥‥もし抵抗にうち勝つことが出来れば、心眼で何か分かるかも知れない。 それはたった一瞬で。 感じ取ったのは、屋敷中に充満した歪な気配だった。およそ人がいるはずもないような場所から気配がする。天井、床下、井戸、一見無機物しかない場所‥‥人かアヤカシかの区別まで出来ないが、明らかに大半が『生き物ではないモノ』だと察した。 培った開拓者の感と鋭い洞察力がものをいう。 ここは、巣窟だ。 脳裏に蘇るのは、ギルドの職員との会話。 『正確には変身というべきかね。殺した獲物の姿になることで、次の獲物を探すのさ』 もしコレが『変身』ではなかったとしても。 例え、殺されていなかったとしても‥‥アヤカシに憑依された対象の殆どに、命はない。 本当の山彦の生存は、明らかに絶望的だった。 「山彦君」 「なんだい、那流」 天霧には、こんな風に山彦から名を呼ばれた記憶はない。 「忙しそうだから、またにするわね。ちゃんと体を治すのよ。これ以上、心配させないで」 不思議と動揺はしなかった。 涙も出てこなかった。心臓が早鐘のように鳴ることもない。 それでも一抹の寂しさを覚え、魂のそこから沸き上がるような己の決意を感じた。 「たとえ鬼灯から遠く離れていても、あの約束を‥‥忘れたりしないから」 あたしは忘れない。 『来月は丁度ウチなんです。俺達、責任重大です! 命かけて迎火にいってきますね!』 ここにいた、本当の彼を。 孤独な戦いの中で、必死に言いしれぬ恐怖と戦った平凡な青年を。託された願いを。 『‥‥わかりません。ただ俺もいつまで正気でいられるか。お願いです、天霧殿。この先、我々が変わってしまっても、どうか里を見捨てないで頂きたい!』 忘れない、決して。 蒔司は神器奪還依頼の経過報告を当主に行った。人手に渡っているが、交渉は進んでいる事。残りの神器の行方も追って調査中で、進展があればまた報告する、と伝達してから屋敷を離れた。天霧、ローゼリア、水波の三人と合流し、それぞれ話し合った。 結果、蒔司は屋敷周辺で身を潜め、状況の監視を。 天霧は地下坑道内を探索した後、彩陣へ向かうと言った。 ローゼリアは巫女や老婆の消息を中心に、境城家の変化について聞き込むという。 実は舞姫の館関係は既に萌月も向かっていたのだが、こちらは卯城の関係を調べて回っているようだった。 またアレティーノは白螺鈿の四兄弟について、こちらでの評判を聞き込んでいた。 急ごう、と蒔司は境城の屋敷を見上げた。 敵の思惑は、まだ分からない。 ところ変わって、こちらは白螺鈿の宴である。 「うわー。こんな華やかな宴初めてだよー! おめかししてよかった」 「うん。神音のおかげかな。向こうは順調のようだね」 和輝の代理である神咲と石動は、遠巻きに大蔵と煌夜の色めいた様子を眺めた。 「結構、長く一緒に仕事をしたつもりだったけれど‥‥あんな風にも装えたとはね」 「そーかなぁー? 神音の時は、誰も何も言えないにーさま、って感じだったから、おねーさんの誘導が上手なんだと思う」 かつて兄と妹を演じた時のことを思い出す。あの時は疑われても大蔵が言い負かした。今回は捻子が一本はずれた溺愛夫婦ぶり。あれをみて間柄を疑う者はいないだろう。 「あら、いい香り。って、誰かと思ったら」 甲高い声がした。振り返った先にいるのは、女物の虹友禅を纏った蠱惑的な美女。 「開拓者がどうやって、この宴に? 警備を頼んだとは聞いていないんだケド」 「君は」 「わー、綺麗だねー! って、にーさま知り合い?」 「あらやだ。この前、闇市の件でお父様の所に来た時に会ったじゃない。神楽よ神楽。如彩の神楽。このアタシの美貌を忘れるなんて、いい度胸ね」 神咲は、すっかり忘れさっていたのだが。 以前、彼は紹介状を使って如彩の四兄弟に会っている。しかし虎司馬が柚子平に似ていたという衝撃が上回り、女装した次男坊の件は記憶の中からすっぽり抜けていた。 「あ、いや‥‥‥‥ただ、綺麗だな、と感じたんだ。見違えてしまって、こんな美人にあったことがあったかなって、本気で驚いてしまったんだ」 頬を染めながら言い繕う神咲。 神楽の方はまんざらでもなさそうで、笑顔で「そちらのお嬢さんは?」と問うた。 「そうだな。僕の大事なヒト、かな」 「初めましてー、神音です。神音も綺麗になりたいなー。お化粧の仕方とか。どーすれば女らしくなれるのかなぁー。ねぇねぇ、神楽さん。神音にごくいを教えて?」 「あら、イイ女になるには絶え間ない努力が必要なのよ。でも神音ちゃんはとってもかわいいから、うちの店で働いたら、人気者は間違いなしね!」 「お店か。いつか君のお店にも、ぜひ行ってみたいな」 滑り出しは、なかなかの好感触だ。 その後「美人になる鏡があればいいのに」と石動が呟き、境城の失われた神器について話そうとした所、神楽の方から「そういえば闇市の首尾はどうだったの? 望みのものはあった? 今日は誰かに御用?」と矢継ぎ早に尋ねられた。 神咲や石動も一瞬顔を見合わせた。 「実はその件で相談があって。今日は和輝の代理でここへ来たんだ」 と境城の依頼で来たことなどを偽らずに伝えた。 「へ? ア、アタシ達の誰かが買ったぁ?」 すっとんきょうな声を上げた。 「君が持ってるとは考えてないけど‥‥そうだな、こういうのは、君の好みに合うかい?」 そこで海のようにきらめく青い香水瓶を取り出す。神楽の「素敵ね」という返事に「良かったら贈るよ」という返事をしたが、神楽はやや困った微笑みを浮かべて辞退した。 「ごめんなさいね。月に一度あるこの宴では、お偉い方々がいっぱい集まるから、どんなものでも贈り物は禁止なの。気持ちだけ、ありがたく頂くわ。でもそうね、古い鏡‥‥」 「もし、心あたりがあれば教えてくれないかな?」 うーん、と悩むことしばし。 「‥‥もしかして、アレかしら」 「アレ?」 「くまちゃんがねー、アタシにって持ってきたんだけど、小汚くてつっかえしちゃって」 「くまちゃん?」 「あら、知らない? 私達四兄弟はね、みんな裏では獣の名前で呼ばれるのよん。説明するより、直接聞いた方が早いわね。って、あら? 一緒の子は?」 「へ? あれ、神音?」 忽然と姿を消した石動はどこに消えたかというと。 幸弥を探していた。そして見つけて暫く、ぼうっと魅入った。 幸弥は兄弟の中で、群を抜いて小柄だった。大人に混じって賢明に話す姿が愛らしい。乙女のような華奢な四肢に、青白くシミ一つない素肌。長いまつげが印象的で、神楽よりよほど女装が似合いそうだった。はっと我に返り、にこにこと笑顔を絶やさない少年の背後に回って、べそをかきながら袖をひいた。 「にーさまぁ」 「え?」 「‥‥にーさまじゃない。う、ふぇ‥‥」 「え、ぇ? あれ? す、すいません。取引のお話はまた後ほど! きみ、どうしたの?」 「ぐす、にーさまとはぐれちゃった‥‥わあぁん、にーさまぁ、にーさまぁ」 「ま、迷子かな。泣かないで、ね、お名前は言えるかな、お水はのめる?」 慌てた幸弥が、神音の世話を焼く。 周囲の人は面倒くさそうに視線を投げるだけだ。 温厚な人物かもしれない、という話を聞いていただけに、これは話が良い方向に進みそうな気がする。丁度その時、神咲と神楽が人をかき分けて現れた。 「ダメだろう、神音。勝手にいなくなったら」 「ごめんなさぁい」 「にーさまが見つかって良かったね」 「うん! あ、お礼に横笛を演奏するよー、神音得意なの。ね、にーさま」 「君があやしてくれたんだね、ありがとう。もしかして、君が神楽の言う『くまちゃん』だったりするかい?」 「うん、そうだけど‥‥神咲さん、でしたっけ? この前、父に会いに来た方ですよね」 ふわ、と綿毛のような穏やかな微笑みを浮かべる。話しかける前に神楽が抱きついた。 「流石、熊ちゃん。一度見た人は忘れないその特技、絶対アタシのお店向きよ!」 「やりません、てば」 「あぁん、つれない。絶対似合うのニィ。そうだ熊ちゃん、この前の贈り物のことだけど」 「あ、はい。今度は綺麗な細工のあるものにしますね」 「勿論よ! じゃなくて、まだ持ってる?」 幸弥はこっくりと首を縦に振った。 「神楽兄さんに返されてから仕事場に飾っておいたんだけど、虎司馬兄さんが気に入ってくれて‥‥」 虎司馬兄さん? 四男を兄と呼んだ幸弥を見る神咲。神楽は露骨に嫌悪感を露わにした。 「アタシに贈ろうとした品を、あいつにやったのぉぉぉぉぉお?」 「ひィ! ま、まだだけど、今度また見に来たいって言ってて」 そこへ。 「それは丁度よかった」 突然割入った声は、如彩誉のものだった。後ろには大蔵と煌夜がいる。 「幸弥、話がある。‥‥そちらのお二人は」 目を凝らして首を傾げる誉を、神楽がどついた。 「やぁね、お兄さま。この前会った闇市調査の開拓者じゃないの。ほほほ‥‥この鳥頭」 誉の方は、あまり人を覚えるのが得意ではないらしい。「失礼した」と咳払い一つして、誉は大蔵達の方に向き直り、兄弟の神楽と幸弥を紹介した。 「神楽、幸弥。こちらは御彩家の代理で遙々彩陣より来られた大蔵ご夫妻だ」 挨拶する兄弟達の後ろで、密かに笑いを堪える神咲達がいた。 「さて幸弥。お前が前、市で部下に手に入れさせたという鏡だが、盗品の可能性がある。宴の後に速やかに調べ、真だった場合は明け渡すように。境城家にお返しする」 「どーやって調べんのよ」 「お前は黙ってろ、神楽。そちらの大蔵殿は、昨年神器を間近で拝見されたというからな。見れば分かるそうだ。盗品を兄弟が持っていた場合、これは由々しき問題だ。私が責任を持って謝罪と弁解の文を書き、御彩の方を通して届けて頂く」 神楽が一瞬空を仰ぎ、大蔵と煌夜を冷たい目でみて、神咲と石動を振り返り。 「それ、開拓者に頼んだ方がいーんじゃないの?」 「お前は幸弥を牢送りにしたいのか」 「家族への贈り物を市で探していて盗品と知らず買っていた。事情を相談したら購入者は快く明け渡してくれた。かくして元の持ち主に戻りました。それでいいじゃない。それとも何? アイツに先を越されたのが、そんなに悔しいの? それとも目当ては彩陣?」 「神楽、ここでする話ではない」 「あら失礼。ごめんなさいねぇ、彩陣の方。私、口から先に生まれてきたみたいなの」 うふふ、と微笑みながら、神楽の双眸の奥には、微かな敵意がちらついていた。 誉が大蔵達の方を向き直り、ひそひそと囁く。 「大蔵殿。不快な思いをさせて申し訳ない。神楽は祖母に似て美しい染め物を愛していますが、祖父母の確執まで受け継いでしまいまして‥‥決して彩陣を嫌っているわけでは」 「お気遣い痛み入る。なぁに、気にしてはおりませんよ」 傍らの煌夜は、交換条件をつけられるのではないかと、内心ヒヤヒヤしていた。 大蔵は俯いたままの幸弥を一瞥する。 「誉殿。先ほども説明致しましたように、かの鏡、真ならば三体揃ってはじめて鬼灯の御神体。不運続きの鬼灯を元気付けてやりたいのです。お譲り願えないものだろうか?」 「ええ、私も同じ思いです。幸弥、返事をしなさい」 「‥‥兄さんが。誉兄さんと虎司馬兄さんが、仲良く食事して話し合って決めて下さい!」 非常に重い沈黙が満ちた。 どうやら兄弟間には、随分と色々な確執があるらしい。 「はーい、間を取ってアタシの開拓者案に決定ね! あ、そうだ神音ちゃん。お得意の笛を聞かせてくれないかしら? 私も実は少し出来るのよ‥‥」 結局、どちらに転がっても鏡が手に入るならそれで良い。 神楽と石動が演奏し、誉が大蔵と煌夜に平謝りするなか、神咲は幸弥に近づいた。 「ありがとう。いい報告ができそうだ」 「お礼なんて、‥‥僕はただ、どちらも選ばなかっただけです。臆病者なんです」 「立ち入った事を聞くけど、兄弟仲が悪いのかな?」 「ええ、白螺鈿じゃ、兄さん達の仲の悪さは有名なんです。誉兄さんは、虎司馬兄さんを認めないから。あ、でも、二人とも本当は優しいんですよ。神楽兄さんだって。ただ少し意地っ張りで‥‥父が競わせるような事を始めたら、益々悪化してしまって」 「幸弥、君って確か三男じゃなかったっけ?」 「はい、そうです」 「四男のことを、なんで『兄』って呼んでるのかな」 「四人の中で、僕が一番年下だからです。虎司馬兄さんの母親だけ違って、如彩家には養子という形で入ったので、表向きは四男になりました」 「最期に一つ。柚子平、という名前を知らないかな」 「虎司馬兄さんの兄弟にいますよ。表向きは『いない』ことになっています。父は迎えようとしたんですが、『自分は老い先が短いから』とおどけた理由で断られて。あ、でも、妹の香華さんは時々尋ねてきますよ。昨年末に嫁がれたので、家は別ですが」 鬼面を被り、相棒の水稀を連れて。密かに地下坑道内へ潜った天霧は、地図を更新しながら進んだ。終わったら彩陣に向かうつもりで。そしてあのもぬけの殻になった封印の間で、ゴミのように積み上げられた人間を見つけることになった。どれもこれも、見た顔で、山の下敷きになっている者は押し潰れ、猛烈な腐臭を漂わせていた。しかし。 「‥‥まだ脈がある! 水稀、手伝って。掘り出すわ」 それはごく最近に此処へ捨てられたと思しき迎火衆だった。面を剥いだ下にあるのは。 「山彦君、しっかりして。死んではだめよ!」 残酷なばかりの運命に、初めて奇跡を見た。まだ3人の息がある。しかし放置すれば間違いなく彼らは死ぬ。人知れず運び出し、白螺鈿へ連れ去るには回復手と龍が必要だった。 今、鬼灯にいる開拓者の中で、閃癒が使えるのは水波のみ。 呼べる龍は、水波の駿龍、萌月の炎龍、アレティーノの甲龍、ローゼリアの駿龍。 蒔司を呼んで迅鷹の颯と同体化してもらえば、上空の穴まで彼らを運び上げられる。 時間との勝負だが、不可能ではない。 天霧は身を翻した。間に合え、そう願って。 徳志を見つけることは叶わなかったが、瀕死の生き証人を見つけることが出来た。 人目を忍び、旅立つ風を装い、彼らは手分けをして生き残った者を白螺鈿へ連れ去った。 向かう先は白螺鈿。天奈と和輝、そして仲間達のもとへ。 「霧雨さんを諦めたのなら、もうこちらも何も言う事はないわ。取引に応じるだけで。憎しみを簡単に捨てられない気持ちは分かるから。ただ、徳志が条件なのはちょっと不思議。どう思ってたかきいていい? 霧雨の時みたいな打算とは‥‥少し違うんじゃない?」 廊下で天霧と天奈の話し声がする。 「‥‥‥‥そう。愛の形は人によって様々、なのかもしれないわね。あら、戻ってきた」 医者と共にいた水波が戻ってきた。 そしてゆっくりと首を振った。 一命は取り留めたがまだ安心はできない、と医者は告げた。 心身共に極度の憔悴、生きているのは奇跡だという。しばらく様子を見守るしかない。 開拓者が顔を揃えて、炎を見つめた。 「これではっきりした、ちゅうことやな。取り憑かれるんゆうのと違う。対象が弱るのを待つ。そして入れ替わる。わしは影で観察しちょったけど、殆ど同じ目やったわ」 あの屋敷に殆ど人間はいない、ということだろう。 徳志の遺体は見つからず、境城の当主と思しき遺体は、ゴミ山の下で原型も分からぬほどに崩れていた。早々に陥落した者は死に、強靱な精神力で耐えた者だけが生き残った。 「問題は、何が目的でそんな面倒なコトを境城でしてるのか、ってことだよねー」 アレティーノが首を傾げる。 そうなのだ。萌月は卯城の系列宿をくまなく調べたが、卯城の方に変化はない。平和そのものだった。逆に境城系列を訪ねたローゼリアが昔との差異を問うと、境城の者がつき合いが悪くなったとか、あまり家に帰ってこないとか、そういう話を多くきいた。 境城の屋敷勤めの者達は、外界との接触を可能な限り避けている。 「その理由、わかるかもしれません」 「ええ、似ている事件を見つけたの。関連が分かるかもしれないわ」 水波は白螺鈿で謎めいた事件を中心に、集団失踪や変貌、心中事件を集めてきた。 天霧はギルドで見た、彩陣の開拓者の無理心中事件など、似通った悪夢関係の事件を。 萌月は立ち上がり「‥‥天奈さん‥‥」と声をかけた。 「あの‥‥その古文書には‥‥何が書いてあるのですか?」 蒔司もまた、現在神器扱いではない「笛」について、鏡に移り変わった所以や、他の神器のように現物として存在するのかを訪ねた。 不可解な事件と手に入れた鏡、そして文献の話は、夜遅くまで続いた。 見えてきたのは、色濃い死の影。 誰も、気づかぬように。 誰も、助けられぬように。 誰も、巻き込まれぬように。 決して叶わぬ願い、と知っていればこその残酷な決断は、何も知らせぬこと。 仕組まれた忘却。 「柚子平さんがひた隠しにしてきたモノ、か」 様々な記録に残る、憎悪と怨嗟。 目を覆うような凄惨な事件。 降りしきる雨のなか。 復讐にまみれた赤黒い鉄錆の匂いが、微かに漂う気がしていた‥‥ |