【農場記】愛のない未来
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: シリーズ
相棒
難易度: 普通
参加人数: 9人
サポート: 1人
リプレイ完成日時: 2011/05/15 09:58



■オープニング本文

前回のリプレイを見る


 杏が高熱で倒れた、と農家から連絡があった。
 救援の依頼書を書いたのは、言わずもがな、農家の姉弟に付き添い、世話をやいている優秀な人妖達である。

 五行結陣の遙か東、金山を越えた先にある白螺鈿。
 その傍にある農場の一つに、幼い杏と障害故に嫁にいかず日々を暮らす姉のミゼリ、そして二人に付き従う人妖のブリュンヒルデと炎鳥は暮らしていた。

 多数の開拓者を雇い、土地を開墾し、小屋や生き物の世話を再開し、農場が本来の機能を取り戻すにつれて、少年の体には大きな負荷がかかっていた。

 姉のミゼリは視覚と聴覚、そして声を失っており心を閉ざしていて殆ど何も出来ない。
 人妖達と手分けをしても、家事や畑、獣の世話が間に合う訳がない。

 他に人がいないのだから仕方がないとはいえ、このままでは元のような荒れた環境に戻ってしまう。

 現在、三千平米の畑は肥料を混ぜて耕されたままの状態だ。
 倉庫の中に前回仕入れた苗がそのまま保存されている。
 なんとか水やりはこなしていたようだが、種芋などは芽が出始めていた。
 ほうれん草、小松菜、春菊、人参、牛蒡、三つ葉、葱、の種や苗を百ずつ合計七百個の小鉢。ジャガイモの種芋大袋を四つほど買ったが、一袋五十位と言われるだけで、正確な数は数えないと分からない。そして農家から分けてもらった『謎の苗』は二種類、各百株ある。前回は畜舎の修繕に労力を奪われ、植えている暇がなかったのだ。
 人海戦術で早めに植えた方がいいだろう。

 人を雇うにしても、現在のつては染め物職人だったという女達三十人の何人を雇うかという話になる。女達は働き者で手先が器用な代わりに、足が悪く、力仕事や重労働に向かない。雇う場合は『住み込みが前提』となり、それでもよければ『一人一ヶ月三千文』で手配するという話が出ている。母屋の部屋割りや何処に何人の人材を割り振るかという問題も考えなければならない。

 今後市場に品物を出荷することに関しても、白螺鈿には面倒な決まりがあると分かった。
 毎週末に四カ所の広場で行われる白螺鈿最大の市場に店を出すには納税が欠かせない。如彩家発行の『年間出店特別許可証』を毎年一万文で購入し、更に売り上げを明確に報告して一割を所場代として支払う。これが出来ない者は場所から追い出されるという。
 所場代の集金方法は区によって違う、という話もある。
 今後、どうするか考える必要があるだろう。
 
 鶏小屋は修復及び強化され、現在雄鳥と雌鳥の区別なく十五匹が一緒くたに飼育されている。毎日一個の卵を産んでいるが、時々二個生む鶏が居て、去る四月十一日には偶然、取り忘れた有精卵から雛が八羽孵化した。ぴよぴよと賑やかになりつつある。
 大きな問題は、中途半端に余る卵の処分だ。
 姉と弟、姉弟二人。毎日卵を食べているわけではない。また一日一人一個から多くてニ個。消費は一日四個がせいぜいだが、卵は延々と増え続ける。鮮度を保てるのは精々二週間。古いものから食べるにしても、余って腐った分は殻ごと畑に蒔いている状態だ。

 畜舎は屋根が修繕され、屋内が掃除されただけに留まり、気性の荒い雌牛たち十二頭はといえば畜舎屋内に放し飼い状態で勝手気ままに積まれた牧草を食べ、寝るという状態だった。現在牛乳は一頭一日十リットル前後に落ち込んでいるが、こまめに世話をすれば三十リットルまで戻すことができるかもしれないと聞き出した者がいる。しかし満足な搾乳は勿論、掃除がままならないので、雌牛のストレスが増し、屋内環境が余り宜しくない。また雌牛たちの計画性も何もない暴食により、鶏と牛、一ヶ月分の牧草の買い足しを迫られている。
 牧草は一束五文、大束五十文。
 一束は牛一頭一日分、或いは鶏十羽一日分に相当する。

 圧倒的に人手が足りない。
 そして先日、白螺鈿の有力者が農場の土地を狙っていることが間接的に分かった。

 白螺鈿には、街を牛耳る四人の若い男達がいる。
 如彩の当主は、彼らに課題を与えた。街を四分割し、一定の期間だけ納めさせる。最も功績を挙げた者を正統な後継者として、全財産と権限を与えると。その筆頭が凄まじい勢いで街を成長させている虎司馬という名の若者だ。彼はミゼリの容態を気にかけている。

 しかし。

「そろそろ返事が欲しいって」
 何不自由ない生活と未来を保障されようと、実家を奪われ愛のない結婚生活が上手くいくとは思えない。
 人妖は断言した。
「数日後にはみんなこっちに到着するでしょ? きっと最終日あたりに来ると思うの。だから一緒に撃退する方法を考えて!」
 はてさて、今回の結末は?


■参加者一覧
酒々井 統真(ia0893
19歳・男・泰
若獅(ia5248
17歳・女・泰
ブラッディ・D(ia6200
20歳・女・泰
アルーシュ・リトナ(ib0119
19歳・女・吟
ロムルス・メルリード(ib0121
18歳・女・騎
ミシェル・ユーハイム(ib0318
16歳・男・巫
白 桜香(ib0392
16歳・女・巫
ネリク・シャーウッド(ib2898
23歳・男・騎
桂杏(ib4111
21歳・女・シ


■リプレイ本文

 ふぅふぅと苦しげな吐息が聞こえる。
 白 桜香(ib0392)が部屋をのぞいた。
「杏さんのご容体は如何でしょうか」
 汗ばむ前髪を退け、濡れた手拭いを額に乗せると杏の表情は幾分か和らいだ。
「ひとまず落ち着いたわね。着替えもさせたばかりだし、このまま様子を見ましょう。お水、取り替えてくるわ。そうだ、井戸の場所を教えるから三人ともついてきて」
 ロムルス・メルリード(ib0121)に促され、白と人妖、桂杏(ib4111)が後に続く。
「こんな広い牧場に姉弟お二人‥‥大変でしょうね。桃香も頑張りましょうね」
「仕方ないわねー、でも牧場の絞りたての牛乳や新鮮卵は楽しみよ」
「ふふ、そういえばミゼリさんはどちらでしょう?」
 声が遠ざかる。遠巻きに見守る酒々井 統真(ia0893)達男性陣に対し、女性陣は入れ替わるように布団の傍らに腰を下ろした。
「杏の奴、無理してたんだよな‥‥やっぱ。気付いてあげられなくてごめんな‥‥」
 若獅(ia5248)はしょんぼりと肩を落とし、意識のない杏に語りかける。
 アルーシュ・リトナ(ib0119)は、そっと右手の甲で杏の頬に触れた。子供の体温は普段から高めだが、温もりと言うには熱すぎる。
「こんなに頑張って‥‥どうか少しの間でもゆっくり休んで‥‥」
 不運と不遇故に、甘えることを許されなかった少年にしばしの休息を与えてやりたい。
 お土産を手にしていたミシェル・ユーハイム(ib0318)は、熱が引いたら食べさせてやろうと、甘味を枕元に置いて皆と一緒に部屋を出た。
「‥‥人は『どうしようもないもの』に直面すると、弱さゆえに浅ましくもなるものだけど、それすら乗り越えて、包み込んでくれるものがあるとしたら、それが「愛」なのかもしれない。最近良くそんな事を思うんだ。特にここに来るとね」
 少し気障かな、と笑いながら、日溜まりの部屋を振り返る。
 ところで当面の間、杏の世話と家事を一手に引き受ける者が必要になる。
 襖の隙間から見える杏の寝顔。ミゼリへの求婚。そして農場と動物たち。
「全く、やっとここからって時に厄介な問題が増えたもんだ。ミゼリたちも余計なストレス抱えなきゃいいんだが」
 ネリク・シャーウッド(ib2898)の溜息。ある程度はこちらで負担を補うしかない。
「次から次へと問題が出てくるなぁ‥‥だけど、負けてなんかいられねーてなっ! あ、俺仕事ばっかじゃなく暇見て母屋に寄るよ。これからは杏にもなるべく無理はさせないようにしないとな」
 ブラッディ・D(ia6200)の頼もしい言葉に、若獅も感化された。
「そうだよな。護るものに相応の労苦があるって事、分かってても辛い時は辛いんだ。少しでも杏達の重荷を軽くできるように、俺も頑張るな!」
 共に腕を組んで声を掛け合う。いいコンビである。
 ブラッディはそう言いながら、ミゼリの方向をちらりと見た。
 心を閉ざした彼女に個人を認識させるには、途方もない時間と努力が必要だった。
 今でこそ彼女に触れられるメルリード達を、羨ましいと感じない、といえば嘘になる。
「‥‥‥‥急いで、押しつけることじゃないよな」
 覚えて欲しいけれど、拒絶されるのは寂しいものだ。
「ゆっくり、仲良くなっていこう、うんっ!」
 一人熱意を燃やすブラッディに「その意気よ! そうでなくちゃ牛たちはついてこないわ!」と体当たりをかましたのは、ここの人妖ブリュンヒルデ。もんどりうって倒れる。
「ブリュンヒルデ。怪我人を増やさないで」
 メルリードが冷静に声を投げた。新顔二人に色々案内をすませて戻ってきたらしい。
「初めまして。白 桜香と申します。こちらは人妖の桃香です。宜しくお願いします」
「桂杏と申します、農場での務めは初めてですが、宜しくお願い致します」
 人妖やミゼリにも挨拶を済ませると、誰が何を担当するのか話し合った。皆で一斉作業する日や、それぞれの仕事を確認しあう。
 ふとシャーウッドが人妖の炎鳥を呼んだ。
「なあ、金庫の隠し場所分かるか?」
「あ、うん。なんで?」
「杏がアレじゃあ整理しないとな。あと、これは俺から。貯蓄に回しておいてくれ」
 きらりと光る翡翠の粒。白もはっと思い出して懐を探った。
「あ、あの! 翡翠の貸出は私も。同じ年頃のお二人と人妖、他人事とは思えません」
 翡翠は元々高級品だ。現在、白螺鈿で価値が上がっている分、いい意味で保険として役立つだろう。他の者達も複数提供しているが、農場が失敗すれば返却される保証はない。
「ありがとう、ねーちゃん。杏達に代わって礼を言うぜ」
 人妖がぺこりと頭を垂れた。

「さぁて。杏が倒れちまったし、その場凌ぎじゃ限界あるが、今はこの場を凌ぐしかねぇ。頭使うのは苦手なんだがな」
 酒々井は肩を回しながら「ちょいと行ってくらー」と声を投げて、農場から出かけていった。
 目指すは白螺鈿に滞在している知人の家。鬼灯と白螺鈿間の道を統括している天城兄妹に頼み込んで、子連れの女衆を二人雇う為だ。上手くいけば、杏に友達が出来る。
 その背中を見送ったメルリードが溜息を零す。
「まだまだ課題は多いわね‥‥でも、何とかしなくちゃね」
 守ってみせると、約束したのだから。
「‥‥で、俺も塩とか色々買いにいってくるつもりだが、‥‥大丈夫か?」
 シャーウッドの何気ない一言に、メルリードがぎくりと肩を奮わせる。
「い、一応、最低限のことはできるわよ‥‥多分」
 視線が泳いでいる。
「‥‥そ、その‥‥幼い頃から、家のことよりも剣術の訓練してることの方が多かったし。家事については、正直あんまり得意じゃないのよね」
 不安の的中したシャーウッドが目眩を覚える。さて買い物より家事が優先か、と悩みだした男の袖を、白がひいた。「私にお任せ頂けませんか」とたおやかに微笑みかける。
「家事は得意です。一人より二人、二人より三人。充分に補い合えると思います。私も桃香も、精一杯お手伝いさせて頂きます。手始めに、杏さんミゼリさんの好物をお伺いしたいのですが、どなたにお伺いすればよろしいでしょうか?」
 頼もしい率先力である。
 シャーウッドの苦悩、解決。
「それじゃ、出発前にスープだけ俺が作っておく。後は任せるよ」
 味見は任せて! と白の人妖こと桃香が、ぴゅーんと台所に向かった。素早い。
 女子力ならぬ主婦力でやや負けたメルリードが「どうせ家事は苦手よ」とそっぽを向いたが、「すねるなよ」とシャーウッドが笑って声をかけた。
 料理をしながら姉弟について話す。
「ミゼリはああだし、杏も素直じゃないんだ。杏の場合は、我が儘を許されない環境だったからかな。嫌いなモノも残さず食べて涙目で『ご馳走様でした』って言う。でも好きな物はおかわりしてもいいか聞いてくるんだ。ミゼリの場合は、安堵の溜息っていうのかな。食べ終わって、ふぅーっと長く息を吐いた時に『ああ、これは気に入ったんだな』って分かる。今は会ったばかりで分からなくても、じきに分かるようになるさ」
 シャーウッドなりに、地道な努力を重ねた成果だった。
「研究熱心ですね」
「せめて飯くらいは、美味い物を食べさせてやりたいからな」
 接触が可能になる女性と違って距離の遠い男性陣は、全く接触をもたないか、間接的な方法で接するかの二つに一つだった。白達が手順を覚えていく。
「あとは氷を作って卵粥を‥‥あ、蓬や土筆等野草があればご飯の彩りにしませんか?」
 
 シャーウッドが出かけた頃、外仕事の者達も賢明に作業に励んでいた。
 若獅は再度固くなった畑の土を耕し、鶏糞・牛糞とよく混ぜて、畝を作り出した。
 農場の柵は定期的に点検しないと、野生動物に破壊されたり天災で壊れてしまう。牛の世話を済ませたブラッディが歩き回って丁寧に修繕や補強を行っていった。休み無く手を動かしながら、ふと廃材の山を眺めて「‥‥栽培用の箱つくれねぇかな」と有効活用を思いつく。

 リトナは余っている大量の卵と土を回収し、相棒のフィアールカを連れ、ミシェルと共に近隣農家へ土作りの助言を仰ぎに向かった。
 今は無理でも、来年以降に協力しあえたらと考えてのことだ。
 なにより年輩の多い近隣にとって、これから逞しく成長する杏は有望な働き手になる。お孫さんを見る思いで見守って欲しいと訴えた。
「ありがとうございます。早速帰ってから試してみますね。それと、この辺りの農家は何処へ野菜を出していらっしゃるのでしょうか?」
 近くの農家はてんでばらばらに四カ所いずれか一カ所の市場に所属し、或いは専属でどこぞの飲食店に卸しているらしい。ただ白螺鈿近郊で土地の狭い農家の多くは虎司馬に土地を買い上げられており、そうでなくても相手優位の取引を余儀なくされていた。また歴史の長い農家は如彩家の誉という人物の影響下にあり、大した利益もなければ納税も難しく誉や虎司馬に相手にされない農家は、幸弥という人物の元に集まる傾向があるらしい。
 ユーハイムが頭を垂れる。
「ありがとう。そうだ。子犬を捜しているのだけれど、この辺で譲って頂けそうな家をご存じないだろうか」
 実はこのあと夏場の氷と引き替えに犬を連れ帰ってから、犬嫌いのシャーウッドが仰天して逃げ回ることになるのだが、この時はつゆほども知らないユーハイム達であった。

 ところかわって大量の食塩を購入したシャーウッドは、馴染みの店で盛大に悩んでいた。
 塩が1キロ20文と、米より安かったのに対して、砂糖は一キロ200文と約十倍の値段がついていた。塩同様十キロも買い込むのは無謀すぎる。
「無いよりある方がいいか、親方ー、砂糖一キロ。そういえば卵の値段があがってないか」
 答えは是。卵は一個5文が相場だが、近郊では6文、7文と値上がり傾向を見せており、これに伴い、白螺鈿老舗の卵焼き屋『貴船亭』等、総じて料亭が苦労しているとか。
「そっか。あとこの辺で氷仕入れる店、どの辺か知らないか?」
「中央に行けば色々あんぜ。じきに夏だからなぁ。氷1キロ25文でも、去年の売り切れ具合見てると、毎日仕入れるのは難しくなるだろうから早めに頼んどくのがオススメだ」
 うちの場合は心配なさそうだな、と考えつつ、シャーウッドは「またくるから」と声を投げて帰路についた。今の処、訪ねた商店との関係は良好。人間関係は大切にしてきたし、許可証や売り出す場合の手段も少しずつ視野に入れていた。


 二日目になり、酒々井は二人の女性と二人の子供をつれて農場へ戻ってきた。
 荷物を纏めるのを手伝っていたらしい。
 彼が雇ってきたのは、葉彩小夜と五歳になる息子の聡志。
 そして文彩翠と四歳になる娘の小鳥。
「‥‥本当に子供と一緒で大丈夫なのかい?」
「心配すんなって。さあこっちだ、覚えてもらわなきゃいけねぇことは山ほどあるからな」
 部屋に向かうと、丁度杏を寝付かせたメルリード達が部屋を掃除し終えたところだった。荷ほどきや指導を任せた酒々井が、五日目の作戦の為にミゼリに覚えてもらおうと奮闘するも、接触することは一日かけても叶わず撃沈。

 外仕事に奮闘する若獅は引き続き畝を造り、ロープを張って、区画整理をし、何を植えたか分かるように立て札も制作するという順調ぶりだ。リトナもフィアールカと畝作りを手伝った。勿論前日の助言をいかして土壌改良も進める。
 曰く、雨の多いがゆえに土壌の必要要素が溶けだしてしまい、根っこが腐りやすい土壌になると言う。見てもらった砂質の状態も含めて治すため、石灰と堆肥、細切れになった緑肥作物も徹底して蒔いた。

 ブラッディとユーハイムは細胞用の箱について難しい顔で打ち合わせていた。午後にブラッディは森へ木箱の材料探しに、ユーハイムは豚被害の農家へ。

 シャーウッドと桂杏は町へ出かけた。近日中にここへくる虎司馬を含めた町の権力者達の人柄や施策のみならず、桂杏は町の仕組み、市の客層や特色、自然環境への取り組み、新しい商人や独立を控えた料理人の情報、その他、具体的な調査内容を虱潰しにした頃には日が暮れた。

 明日は全員で苗植えという深夜、若獅はいい匂いにつられて土間へ向かうと白とリトナが目の下に隈をつくりながら賢明に何かを作っていた。
「まだ起きてたんだ? それなんだ?」
「マヨネーズとプティングの試作です。味見してみます?」
 マヨネーズは卵・酢・植物油・塩・調味料を合わせ攪拌。プティングは卵と牛乳と砂糖と自作バターで‥‥と、事細かく説明するリトナ。
 寝起きでよく分からない若獅に白が付け加える。
「マヨネーズはジルベリアで習った卵の調味料です。美味しいですよ。酢を入れるのである程度の保存も効きますし。プティングも子供達におすすめです」
 形になってきたので、明日の夜は塩卵をつくるのだと二人は笑った。
 家事をして、看病をして、皆の分の家事をこなし、子守歌で杏達子供をねかしつけ、深夜遅くもこうして試行錯誤を重ねて地道な成果をあげていた。


 あけた三日目。
 雇い入れた女性二人に杏の看病とミゼリの世話を任せて、開拓者達は一斉に苗植を開始した。区画分けした畑に、連作障害が発生しないよう、注意を払って苗を種類事に植えていく。勿論、前日夜遅くまで必死になってブラッディ達が作っていた栽培用の箱も活用し、軒先のひさしの下によしずの囲いを作って、新たに並べた。様子を見て、家畜たちには最低限の水やりと餌やりを行ったが、終わる頃には多くの者が腰痛を訴えた。
 中腰で長時間の作業は、流石にこたえる。
 種芋は二つに割って、切り口を下にして植えるという徹底ぶりをみせた。仕入れていた葉物は枯れはじめているものもあり、ユーハイムが何らかの為に作付けせずに残して保管した謎の苗五十株ずつについては、恐らくじきに一部が枯れることになるだろう。
 リトナは肉体疲労で夜間の料理研究を断念した。
 また白は地下室を捜してみたが、生憎と地下室と立派に名の付く空間はなく、古びた縁の下収納は複数箇所あった。無造作に置かれた食料とネズミ被害を心配し、母屋の倉庫空間をいっそ貯蔵庫にでもしてしまおうかと色々と悩んでいる様子だが、こことて、元々は四頭も入ろうかという広い馬小屋だった。いっそのこと空いている洋室を一室改築するかしたほうが、手っ取り早い気がしなくもない。卵や牛乳の保管を考えると、氷を置ける令貯蔵庫は是非とも欲しい、そう思いながら眠りについた。


 四日目ともなると普段の仕事に戻る者と、明日の来客に備える者で分かれる。
 土間には新しい仲間になった子犬が片隅に繋がれていたが、まだ躾も行儀もなっていない。ユーハイムが根気よく頑張っていたが、一日二日で出来るほど甘くなかった。何より雇った女性の子供二人が、犬と遊びたがってしょうがない。完全に子守だ。
 杏は熱が引いたものの、まだ床に伏したままだった。
 メルリードが姉弟の世話をし、白が料理を行い、リトナは友人を呼んでミゼリを調べてもらった。懸念していた邪悪な反応は無いことが分かると、いそいそと蜜蜂を探しに森へ出かけた。
 必要とはいえ短期間で慣れようと試みた酒々井は、切ないことに幾度も手を払われてしまい、炎鳥に急すぎるとぶーぶー文句を言われていた。やはり近くにいるのが精一杯らしい。
 ただ助けたいのにままならない、現実とは非情である。
 足の悪い女性二人を連れて水まきに精を出すシャーウッド。
 その様子を遠巻きに眺めながら、畜舎の天井を改造する若獅は、忍犬の天月を牧羊犬代わりに雌牛たちに同行させた。ブラッディが不満たらたらの雌牛ーズのストレス解消に向けて一日外へ連れ出してくれるらしい。そして何より、桂杏が畜舎の清掃を買って出た。
「おーい、大丈夫ー? 終わりそうー?」
「終わらせて見せます。‥‥今は無理ですが、あの子達も牛舎に押し込められたままでは可哀想ですから、昼の間は牧草地で過ごして貰って、夕方牛舎に戻る生活を目指せないものでしょうか。牛舎から牧草地までの道にも牧柵を設置するとか、犬が成長したあかつきには牧羊犬として働いて貰うとか」
 成る程と相づちをうちつつ、かの雌牛に言うことを聞かすには、ハードな肉体作業が待っていそうだった。なにしろ強い者にしか従わない、野生感溢れる性格だったからだ。躾の済んでる忍犬はともかく、あの子犬や子供達にも仕込むには相当な時間がかかる。
「あ、そうだ。鶏小屋にも天窓をつくらないとな」
 すっかり忘れ去られている鶏が一声鳴いた。


 さて、あけて五日目の昼になって招かれざるお客様が現れた。
 白螺鈿を取り仕切る四人の一人、虎司馬だ。

 この日、いつものように農場の時間は過ぎていた。
 訪問者など目もくれずに畜舎に歩き出す者、畑の様子を見守る者、家事に追われる者、忙しそうにせっせと塩卵を試作する者に、よからぬ噂を聞いて突き放すように、或いは守るように立ちふさがる者‥‥
「手紙の件は考えて頂けましたか」
 杏は病人だからと隣の部屋で話を聞いている。
 酒々井達は皆で貸し出した翡翠に関する借金を、予定通り『農場を安定させてその収益で返す事』とする証文を用意した。一時的に共同所有に近い形にある為、勝手に縁談で片づけられては困ると。
 相手側の切り返し方は周到で陰湿だった。
 開拓者という存在の特異性。開拓者が原則として神楽の町に居を構えなければならないギルドの契約事項を持ち出し、例え正規の手順を踏んだとしても土地を所有することはギルド契約に反する、また対魔の森つまり必然的な自己防衛以外の理由で開拓者を囲うような状況は、氏族間ひいては国家間の外聞的に余り望ましくない印象と結果を招くのではという言い回しに加え、外の者に迷惑をかけるわけにはいかないから引き受けるという話に持って行かれた。
 少なくともバカではないらしい。
 何より、開拓者やギルドの事情に精通している時点で、単なる一般人とは言い難かった。
「土地を所有したいなんて言ってないわ。私達はこの姉弟を助けたいだけ、ミゼリの結婚相手は、この子が全て取り戻したときに、この子の意思で選べるようにする。その方がきっと幸せになれるはずよ。それに貴方を選ぶとはかぎらないわ」
 メルリードの発言を皮切りに、偽装婚約者大作戦を実施した。
 酒々井が農場に関わるうちに、同情から好意へ、そして婚約者に、というアレである。
 杏にも慕われ、骨を埋めるのも悪くはないような‥‥まぁ演技なのだが。
「では私と君はある意味ライバル。それなら今後‥‥ん?」
 虎司馬は奥のミゼリを見た。彼女の隣には白と、シャーウッドがいる。
 食事をしていた。
 ミゼリの表情が、幾分か綻ぶ。
 何日もかけて得た成果に、シャーウッドも喜びを隠せない。
 そんな二人の優しい横顔が、なにやら勘の鋭い男に、あらぬ勘違いを抱かせた。
「‥‥これは、私などに踏みいるなと言いたくもなりますね。納得です」
「‥‥あ?」
「いえ、おかまいなく。流石にそこまで野暮ではありません。私も忙しいですし、四人で泥沼をする余裕は少々難しいと申しますか。まぁ人形めいた状態より回復してくれるのであれば、その方がこちらも色々とアプローチの仕方があるというものですし」
 勝手に納得して頷いて、そして立ち上がった。
「‥‥手厚い環境で見守るのも愛情、というつもりでしたが、確かに今の私ではあんな顔をさせるのは難しい。一旦お任せしましょう。ある程度、落ち着いた頃にまたお邪魔しますよ」
 と、再訪問をほのめかして帰っていった。
「‥‥なんだ‥‥アレ」
「状況から判断するに、三角関係に加え、水面下で絶賛取り合いの真っ最中だと思われたのでは?」
 ぼそりと桂杏が呟いた。

 ひとまず嵐は去った。
 が、ただでさえ問題山積みの農場なだけにちっとも気の休まらない開拓者達であった。