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■オープニング本文 前回のリプレイを見る 人はいつも勝手なことばかり言う。 文句を言ったところで、何一つ変わらないのだけど。 今日も五文の飛脚代を握り、遠いギルドへ依頼書を出しにいく。 五行結陣の遙か東、金山を越えた先にある白螺鈿。 その傍にある農場に、幼い杏と障害故に嫁にいかず日々を暮らす姉のミゼリ。 そして二人に付き従う人妖のブリュンヒルデと炎鳥は暮らしていた。 開拓者を雇うことを学んだ杏は、その効果が絶大であることを理解した。 たった一部屋か二部屋しか使っていなかった母屋は、かつてのように全室が使えるようになっている。 開拓者曰く、この家は少し珍しいらしいが、幼い杏にはあまりよく分からなかった。家のことよりも、この農場を立て直すことが目標だったからだ。 先日、開拓者の一人が放りっぱなしの帳簿を見て悩んでいた。 杏は盗まれないようにお金をあちこちに隠し、節約する生活には慣れていたが、経営や経理に関してはさっぱりだった。教え込む必要の有無を一人呟いていた事から察するに、農場をやっていく上で大事なことなのかな、とぼんやり意識し始めたに過ぎない。 子供の認識とは、その程度のものなのだ。 白螺鈿の町中では、大道芸が人気を博していると調べた開拓者は言っていた。 立て直すまでは別のことをして働いたほうがいいのかなという気もする。 問題は山積みだ。 荒れ放題で手つかずだった三千平米の畑は、再び雪に降られて白銀の平原の真下に埋まってしまったものの、満遍なく鶏糞がばらまかれ、開拓者と彼らに従う龍の活躍で、深さ三十センチほどの深さまであらかた耕されている。今度こそまともな収穫をできたらいいけれど、よその豚に食い荒らされないかが心配で仕方がない。 鶏小屋は綺麗に掃除され使用できるようになったが、鳥を放すのは些か不安だった。勝手にこじ開けて盗んでいく大人達が何度もいたからだ。時には遠い昔に雇った男達が、酒のつまみにと一羽丸々深夜に料理していたのには背筋が凍った覚えがある。 畜舎は天災で襤褸同然になったままではあるが、今現在はロープでぐるりと囲まれて、誰も入れないようになっている。 気になるのは、親切装って高価な牛たちを持っていった養豚を生業にしていた家だ。 気の強い雌牛たちは、あそこから脱走して敷地内の森に戻ってきた。 なんとか暮らしているらしいが、気性が荒くて子供の身では手がつけられない。 その上、長いこと絞っていない所為で、遠目から見ても少しずつ弱っているのが分かった。あのままにしておくと、遠からず病気になるだろう。 さて、今度はどうしたものか。 「いってきまーす! いくよ、ヒルデー」 「まちなさいよー」 その時。 どん、と誰かがぶつかった。 「おやおや、お出かけですか?」 糸のような双眸が弧を描く。 見上げた扉の向こうに立っていたのは、白螺鈿の権力者。 虎司馬という名のこの男は、白螺鈿を牛耳る如彩家の後継者として有望視されている。白螺鈿を作り上げた如彩家は皆、賢人ぞろいで有名だが、中でもこの若者は際だつ存在だった。少なくとも、この地方に住む者は大人も子供も名を知っている。 人々は彼をこう評する。 『天が与えたもうた、時代の寵児だ』 或いは、 『あれは恐るべき魔物の子だ。騙されるな』 と。 杏は扉を閉めようとしたが、相手に扉をつかまれ腕力で負けてしまった。 「何のようだ!」 「家の人の許可なく家にはいるのは、悪いことなのよ!」 人妖のブリュンヒルデも叫んだ。 虎司馬は足を止め、スッと薄く目を開く。 「おやぁ? これはこれは‥‥どなたか、知恵を入れた方がいらっしゃるようで」 一歩下がって、扉から手を離し、にっこりと笑った。 「ふふふ、そんな怖い顔をしなくてもいいじゃありませんか。税金の件は、お仕事ですよ。仕方がありません。決まりですから。大人の義務‥‥と言っても、あなたには分からないかもしれませんが」 ぴっ、と一枚の手紙を掲げる。 「私としても、あなた達姉弟の苦労に胸が痛むのですよ。そこで一つ提案に参りました。こちらは書類ですが、あなたの姉君は目も耳も声も不自由なさっている‥‥というわけで、直接お話したいのですが、入っても宜しいですか?」 杏は人妖に目を配った。 ブリュンヒルデは手紙を奪い取り、家の奥にひっこむ。そして勢いよく扉を閉めた。 「もしもぉーし?」 「うるさい! バカにするな! 俺が相談しておくから帰れ!」 扉の向こうの虎司馬は、暫くその場にいたが「では一ヶ月後に」と一言残して去っていく。 杏はブリュンヒルデを見やった。 「ヒルデー、それって燃やせばいいの?」 「おばか! こういうのこそ、開拓者と一緒に悩んでもらうべきよ! あんましいい予感はしないし、彼らがきてから開けましょう。時間はあるみたいだし」 「うん」 そういって、怪しげな手紙が一通、机の上に置かれたのだった。 |
■参加者一覧
酒々井 統真(ia0893)
19歳・男・泰
水月(ia2566)
10歳・女・吟
若獅(ia5248)
17歳・女・泰
ブラッディ・D(ia6200)
20歳・女・泰
アルーシュ・リトナ(ib0119)
19歳・女・吟
ロムルス・メルリード(ib0121)
18歳・女・騎
ミシェル・ユーハイム(ib0318)
16歳・男・巫
ネリク・シャーウッド(ib2898)
23歳・男・騎
緋那岐(ib5664)
17歳・男・陰 |
■リプレイ本文 広大な農場を、冷たい風が駆け抜ける。 ミシェル・ユーハイム(ib0318)は懐かしげに目を細める。 「風も木も、太陽さえも、この土地に来ると、何だか違ってみえるよ」 アルーシュ・リトナ(ib0119)も目を細める。遠くに見える小さな雇い主。 「‥‥この子達の道に、春の陽射しが注ぎます様。私達の撒く種が、一つでも多く芽を出します様‥‥杏さんお元気でしたか? 人妖さんもこんにちは」 「こんにちは!」 「よく来たわね。褒めてやらなくもないわ!」 「また宜しくお願いしますね。それにしても凄い雪」 じきに春とはいえ、この辺りは今だ雪が降り積もっていた。前回耕したはずの畑が再び雪に覆われているのをみると、徒労感は拭えない。過労で倒れたうちの一人、緋那岐(ib5664)は、忍犬の疾風を撫でながら申し訳なさそうに笑った。 「前回はちと無理をしたようで‥‥迷惑をかけたな。すまない。適度にってところか?」 体力有り余る酒々井 統真(ia0893)が労うように肩を叩く。 「心配すんな。今回も倒れるほど頑張ってもらわにゃなんねぇ」 輝く歯が眩しい。 「え? おい、ちょ」 「それはさておき周りも必死なんだろが、子供相手に意地汚ぇことしやがる」 華麗に話を逸らす。ブラッディ・D(ia6200)も話に加わって闘志を燃やす。 「ったく、大の大人達が好き勝手にしやがって‥‥早く、なんとかしないとな」 「おう、その前に‥‥まずは雌牛の件だな」 そうなのだ。 力自慢達は、本日凶暴極まりな‥‥失礼、雄々しい戦乙女なる『雌牛』を連れ戻すべく、森へ旅立たなければならない。従って緋那岐の様な男手は益々貴重であり、間違いなく疲れ果てることが確定していた。 ロムルス・メルリード(ib0121)は遠くの畜舎を眺めた。 「今回は畜舎の修復作業に加わるわ。牛を連れ戻すためには、まず連れ戻す場所の確保をしないとね。何とか使える状態にまでは持っていけるように」 若獅(ia5248)が手を挙げる。 「ロープで封鎖してあるから案内するよ。何とか滑り出しはまずまず、とはいえ、本格始動にはまだやる事多いけどなー。あ、でも俺、先に除雪手伝うから、終わったら畜舎の屋根修繕ってことでいいかな」 「除雪が先ね。‥‥まあ、急いで直しても牛を連れ戻せないと意味無いわね。‥‥しっかり頼むわよネリク」 隣で息を潜めていたネリク・シャーウッド(ib2898)の肩を叩き、酒々井とブラッディの所へ送り出した。 「牛か‥‥、いやな予感しかしないのは俺だけか」 前世の記憶か、野生のカンか。 青ざめたシャーウッドが水月(ia2566)に本日の食事当番を任せて歩いていく。 雌牛に挑む三人の背中を見送りながら、水月は珍しく独り言を口にしていた。 「初めは気楽に考えてましたけど‥‥お手伝いしてみて、農場ってすごく大変なんだって‥‥思い知りました。力仕事は難しいですけど、家事や買い出しで‥‥お手伝いします」 全くの零から始めなくてはならない此処の暮らしに新しい世界を見た。 残った者達は屋敷に入り、再び目も見えず、耳も聞こえず、言葉を発することのない娘‥‥ミゼリに一言ずつ挨拶していく。中でも覚えられたロムルスは手を取って語りかけた。少しでも何か変化を与えられると信じて。 若獅もまた、頼もしい相棒の忍犬『天月』を番犬代わりに置いていく。 「俺達の作業中は不用心だしな。天月、ミゼリを守ってお行儀良くしてるんだぞ?」 わふ、と一声鳴いた。少しでも心の慰めになればいい。 「さぁて! 人が通ったり、物を運搬するのに邪魔にならないよう、耕地の外へ寄せないとな!」 「雪は、甕やかつての畜舎の水のみ場に入れておけば後々の農耕用の水の足しに出来ないでしょうか? 防犯用に網と鈴も用意しないと。いきましょう、フィアールカ」 リトナに続いて、ユーハイムもモードレッドに指示を出す。 人妖の炎鳥を呼ぶ。 「炎鳥。里芋、枝豆、大根、胡瓜を何年前にどのあたりに作ったのか教えてくれないか? 縄で目印をつけて、何処に何を植えるか相談がしたい」 「りょーかい。見張り番がいるなら俺も少し手伝うよ。頼むぞ、オィ」 若獅の天月が「わんっ」と一声鳴いた。 ぶしーっ、という荒ぶる鼻息。 野生化していると噂の雌牛たちは、群を成して逞しく生活していた。 「‥‥すげぇ」 縄張りに入った酒々井達を侵入者と見なしたのか、闘牛さながらの敵意をむき出しにして睨んでくる。悟りを開いたシャーウッドは、武器を投げ出す。 「連れ去った農家のこともあるが、まずはこいつらを連れ帰らないと先には進まないな」 諦めたわけではないらしい。酒々井は目眩がした。 手段を問わなければ間違いなく勝てる。しかし彼の火力は牛の丸焼きを作り上げる。 「傷つけてもまずいよな」 「傷つけないようにしないとだし」 ブラッディも同じ事を考えた。奴らは自分より強い者にしか従わない。それまさしく大自然の掟。戦乙女と化した元雌牛ーズを配下に従えるには、勝たなければならない。戦え、挑め、そして越えていけ。などと気分を盛り上げた所で、ブラッディは深呼吸ひとつ。 「でも俺達についてきたら安心だって強いとこ見せて、認めて貰わないといけないかな? んじゃま、精一杯やってみせまっショウ! かもーん、雌牛ーズ!」 観客はいないが覚悟は決まった! 荒い鼻息が聞こえる。巨体が動き出す。 カウベルに刻まれた栄えある戦乙女の名は『ゲルヒルデ』! 「‥‥此処の農場主は、随分とジルベリア贔屓だったんだな」 シャーウッドが目を凝らすと他の牛にも名前がある。オルトリンデ、ヴァルトラウテ、その他もろもろ。何故が全部、異国の名前だ。ついでに『猛獣注意』の文字がみえる。 「昔から『ああ』なのか」 「凶暴な割に戻ってくるとか、利口なのかよくわからないな」 戦うブラッディと雌牛を遠くから眺めながら、酒々井とシャーウッドは淡々と語る。 ブラッディは雄叫びを揚げながら突進した。 雌牛も一頭だけ立ち向かう。激突するかに思われたが、ブラッディは裏一重で動体視力を増幅させ、雌牛の突進を華麗に横切った! 体勢を変えられない牛の死角に着地し、すかさず急所に一撃を加える! ずしん、と音をたてて雌牛が横に倒れた。 戦乙女ゲルヒルデ、ブラッディに破れる。 「やるな。俺も負けてらんねぇ」 「うーん、雌牛が幾ら強かろうが、俺にだって譲れないもんはあるから負けん!」 外野の男二人は観賞中だ。とりあえず一勝! とガッツポーズを決めたブラッディは、雌牛に怪我がなく止血する必要がないことを悟ると、外野に退く。負けたゲルヒルデは、見事に従順だった。 「痛くして、ごめんな。ゲルヒルデ? 連れ帰ったらまずは乳搾りかな! んでもって、軽く体洗ってやろう! 森の生活大変だったろ? 汚れの洗い流しとブラッシングは欠かせないよな! 二人もがんばれよー!」 気分は猛獣使いだ。そしてまだ十一頭の気性の荒い雌牛がいる。 「次は俺だな、‥‥オルトリンデ、俺が相手だ!」 酒々井が対戦相手を指名すると、鼻息荒い雌牛が進み出る。律儀だ。というか賢い。 「覚悟しろよ。俺はこの後、水源の水量確認と森調査と畜舎が待ってるんだ」 仕事が多すぎる。 酒々井の力業を眺めながらシャーウッドは自分が戦うヴァルトラウテを見た。 「真正面からぶつかってよけて、力でねじ伏せるしかないか。しかしなんでこいつら気性が荒いんだ‥‥まぁこれを見たら、二度と奪おうなんて考えないだろうけど」 三人は苦労して十二頭の雌牛を四頭ずつ配下に下らせることができたが‥‥追われたり追いかけたり睨み合ったりを繰り返すうちに非常に消耗し、日が傾く頃になってズタボロの格好で戻ってきた。 開けて翌日。 筋肉痛が酷い酒々井とブラッディは、牛に関して難癖つける酪農家へ出かけた。本音はどうあれ、穏便な形でしっかり話をつけてくるという。柵の修理を命じられた事も考えて、夜遅くまでかかる予定だ。 ユーハイムは先日の挨拶回りの中から杏宅同様に豚放逐の被害を受けていると思しき農家を巡るといい、雛あられを手に出かけた。巫女として話して依頼を出させ、外堀から埋めていく気なのだろう。ついでに種苗を分けてもらえるように頑張ってくるらしい。 なにやら皆、逞しくなってきた。 リトナはこの日、白螺鈿へ出かけた。大道芸の調査である。此処一帯で風刺された物語がないかも気にかけていた。事実が面白おかしく歪んで伝わっていることも多いのだ。その日は『町の半分が消えた町』、『双子の予言者』、『裏七不思議』の三つが、おとぎ話にしては詳細な地名が出ていた。 除雪二日目。 前回の教訓が身にしみたのか、五人とも適度な休憩をとり無理はしない。効率の良さを重視し、いずれは作物が実るであろう畑を眺めると期待がよぎった、水月の昼食を食べながら、若獅が朗らかに笑う。 「育てた作物の収穫の日って、きっと凄くわくわくするんだろうなぁ。収穫できた物、一番に杏やミゼリに見せてあげたいよな! 早く春にならないかなぁ」 気ばかりが急ぐものだ。 三日目になると、酒々井とユーハイムに加えて水月が白螺鈿の町へと出かけた。 町の有力者に知人がいて頼みに行くのだと言う。酒々井と水月は境城家という鬼灯の後継者、ユーハイムは如彩家こと白螺鈿の支配者に。微妙に話が食い違っており、会える保証はなかったのだが。 朝、様子を見に母屋に戻ったメルリードが首を傾げる。 「あら? じゃあ、ネリクも午後は買い物で白螺鈿に出るのね」 「色々回って仲良くなったところで話をしときたいしな。俺に出来るのは美味いものでも作ってやるくらいだ。今回は外に出る時間も長いし、予め暖かいスープを作っておく」 黙々と人数分の食事を用意する。 農場の台所は水月かシャーウッドの分担になってきていた。ミゼリの食事を別に用意しながら「今日も話しかけないの?」と尋ねると、シャーウッドが苦笑いする。 「心配じゃないわけじゃない」 とぽとぽと注がれる琥珀色のスープ。 「色々あったみたいだし無理に近づくのはやめとこうと思っただけさ。だけどまぁ‥‥料理は人の心が素直に出る。少しでも通じると嬉しいんだがね」 怯えさせたくはないし、怖がらせたいとも思わない。 女性陣と違って距離感が難しい。 「‥‥そうね。なかなか全てが順調とは行かないものね。少しずつできることをやっていきましょう。苗の買い出し班に、私が前回街で調べたこと…物価だとか作物の需要だとかの情報を伝えて、仕入れの参考にしてもらうわね」 結局、午後には食事の買い出しの為にシャーウッドも出かけ、メルリードから話を聞いたリトナも、先に出かけたユーハイムと町で合流して種芋や苗を買いに出かけた。 一気に手薄になった農場では、ブラッディが地道に小屋の防犯対策として鍵や窓の補強を行い、若獅とメルリード、そして緋那岐が畜舎の修繕を賢明に頑張った。 気性の荒い雌牛を従えたところで、入れる場所がなければ意味がない。 「こっち終わったら、黒緋とそっち手伝いにいくからなー!」 ブラッディが畜舎に向かって手を振ると。 「頼む! 足場は木箱だから気をつけてくれよなー!」 若獅が答える。朽ちた屋根を取り替え、新しい材木で屋内外から穴を塞ぐ。この機会に、脆い場所も取り替えようと、益々辛い作業になった。龍のおかげで荷運びも順調だが、連日の重労働に緋那岐が屋根の上で仰向けになる。 「‥‥しぬ‥‥」 そこへ再び次の材木が運ばれる。メルリードが龍を撫でた。 「ありがと、ライカ。少し休憩したほうがいいかしら。‥‥ここから見ると絶景ね」 広がる白銀の大地と、青い空が溶けていく。 忘れられた自然があった。 シャーウッドが食材の買い出しに白螺鈿へ出かけると、偶然水月と合流した。 「へぇ、じゃ酒々井さんは、まだその兄妹のところ?」 こくこくと水月が肯く。 鬼灯と白螺鈿間を結ぶ交易道を管理する境城家側の代表者として和輝及び天奈という兄妹がいるのだが、色好い返事が出なかったらしい。兄妹はまだ白螺鈿へ来たばかりでここでの実権が薄く、白螺鈿の街に直接干渉はできない。 客分に近い立場にあるらしい。 彼らの故郷、鬼灯に迎火衆という頼もしい男衆がいるのだが、道の治安維持が精一杯。散々粘って、とある染め物職人の女達ならば三十人程度いるという返事が出た。働きたくても職がないらしい。女達は働き者で手先が器用な代わりに、足が悪く、力仕事や重労働に向かない。雇う場合は住み込みとなり、それでもよければ『一人一ヶ月三千文』で手配する。 という返事だった。 「手は器用で足が不自由な女性達か‥‥住み込みが条件だと雇う数が限られるな」 まだ作物もない。 現在出来ることは数少ない卵と牛乳だけだ。 雌牛たちは長く絞っていなかった為、牛乳が出にくくなっていた。神経質な牛では一日休んだだけで一生牛乳がでないというから、戦乙女達は鈍感なのか有能なのか微妙なところだ。現在一頭一日十リットル前後に落ち込んでいるが、こまめに世話をすれば三十リットルまで戻すことができるかもしれないと、仲のいい店先で助言をもらった。 「今は廃棄するだけでも、何か加工できたらいいよな。作物も今は葉物の在庫が少なくて高いっていうし、みんなと相談しないと。‥‥その果物は?」 「‥‥杏さんとミゼリさんの、お土産に‥‥」 小声を出す。 水月はミゼリ達が安心できる雰囲気を家の中に作りたいと考えていた。皆が賑わい楽しそうな空気は、たとえ心を閉ざしていてもきっと伝わると信じて。その手始めが、好みの料理を積極的に聞き出して、食卓に取り入れていくことだった。 シャーウッドは笑った。 「志すところは同じってとこか。頑張ろうな。後は‥‥最近この辺で変わったことがなかったかとか聞いとくか。うちの農場に何かあってからじゃ遅いし」 これが予想外の話を知ることになるとは露知らず。 如彩家に会えなかったユーハイムは、リトナと合流し種芋や苗を買いに出ていた。 「全く、事前に地主級の紹介状がいるとか、面倒な‥‥まぁ大きい街のようだしな」 ユーハイムが炎鳥に聞いたところ、三千平米の畑に植えていた物や位置について、およそは分かった。ミゼリが話せないため人妖の情報には限りがあるが、後で皆と相談する必要があるだろう。 何よりも悩みの種はユーハイムのもらってきた『謎の苗』なのだが。 「それにしても何の苗だろう」 先日尋ね歩いて分けてもらった苗が二種類各百株あるが、何の苗なのか分からないと言われた。リトナが唸る。 「多分植えてみるしかないでしょうね」 ユーハイムは葉物を中心に、ほうれん草、小松菜、春菊、人参、牛蒡、三つ葉、葱、の種や苗を百ずつ合計七百個の小鉢を仕入れた。リトナはジャガイモの種芋大袋を四つほど買ったが、一袋五十位と言われるだけで、正確な数は数えないと分からない。 リトナは買い付けの際、此処での流通ルートなどを尋ねたりしていた。 「失礼します。知人が此処で青果物の商売を行いたいと 計画しておりまして何方にまずご挨拶をすれば宜しいでしょうか?」 曰く、毎週末に四カ所の広場で行われる白螺鈿最大の市場に店を出すには納税が欠かせない。如彩家発行の『年間出店特別許可証』を毎年一万文で購入し、更に売り上げを明確に報告して一割を所場代として支払う。これが出来ない者は場所から追い出されるという。 「所場代の集金方法は区によって違うけど、許可証が必要なのは何処も一緒だな」 「区ごとに違う?」 眉をひそめつつ、お土産を買って二人は帰った。 四日目と五日目は、殆ど全員が畜舎の修理に追われた。 此処が治らない限り、雌牛たちを上手く働かせることが出来ない。種を蒔く暇はなく、リトナとユーハイムが集めた苗や種は母屋の倉庫に仕舞って毎朝世話し、ブラッディは強固にした小屋に鶏十五羽を移し替えて今回の仕事は終了。ひとまず若獅が柵を修理した。最終的に畜舎は、屋根を修復しただけに留まった。畜舎の中から危険物は運び出してあるが、雌牛を中に放すのが精一杯で機能的とは言い難い。また牧草の半分が腐っていた為、今後市場で買い足すか、森の牧草地からとってくるか、近くの旧畑で自生させるか選択が迫られた。 暇を見て森に入った酒々井が、蜂の大群に襲われて帰ってきた夜のこと。 今後植えるものや出来そうな加工食品、保存方法を話していると会話が弾んだ。 薪で暖をとりながら若獅は呟く。 「環境の事、同業者との関係の事、運営の事‥‥あと、杏やミゼリや人妖達の事‥‥考えなきゃいけない事は沢山あって、どれも大変だけど‥‥働くのは楽しいし、頑張りが形になって報われたりすんのはすげー嬉しい!」 普段アヤカシばかりを倒していると、通り過ぎてしまう普通の生活。 「泥棒とか、ずっと見張りができたらとっ捕まえてやるのになぁ」 ひとまず鶏は平気だが、不安は拭えない。 杏の手を引いたリトナが戻ってきた。その手には先日お土産にした色鮮やかな飴がある。もったいなくて食べられないらしい。よほど嬉しかったのだろう。 ミゼリの手には、花の刺繍が入った手拭いを結んで。 少しずつ子供らしさが戻るのを見ていると、心が洗われる気がした。 「教えられ育てられてるのは、僕らの方かもしれないな。難題山積みなのに胸がときめくしさ」 ユーハイムがそんな事を言った。 そんな中で、人妖のブリュンヒルデが持ち出したのは、如彩家の跡継ぎとして有望視される虎司馬という人物からの手紙だ。経緯を聞いて、皆が眉をひそめた。 水月がぽそぽそと何か色々話している。コトハが代弁した。 「どんな事が書いてあったとしても、正直信用出来ないの。あと‥‥虎司馬みたいな偉い人が直接農場にくるのがちょっと不思議。なにか理由があるのかな?」 メルリードが肩をすくめる。 「ひとまず中を確認してみないことにはどうしようもないわね。見る前から嫌な予感しかしないけど」 手紙を開く。 内容は、親のいない二人への気遣いと、杏を学舎にいかせてやりたいという話に加えて、なんと姉ミゼリに婚儀を申し込む内容だった。確かにミゼリは本来、嫁に行っていてもおかしくない年齢だ。厳しくつらい暮らしではなく、町中で穏やかに満ち足りた生活を与えたいという、なんとも頼りがいのある真摯な青年の文面ではあったのだが。 「‥‥なるほど、街のはそういう意味なのか。確かに噂に違わずやり手かもな」 シャーウッドが、待ったをかけた。 「ネリク?」 「皇帝を理解するために、皇帝である必要はない。‥‥だろ?」 「ネリク兄ちゃん、なぁにそれ?」 「ジルベリアの諺みたいなもんかな。状況から考えて白螺鈿拡大の為の土地が欲しいんだろう。家督を譲り受けたミゼリと結婚し、杏を引き取って世界有数の学舎に送り出せば、街に近いこの土地を自由に出来る。俺ながらいい読みだと思うんだがな」 シャーウッドはこんな話を聞いた。 如彩家四兄弟の決着がつきそうだ、と。 白螺鈿には、街を牛耳る四人の若い男達がいる。如彩の当主は、彼らに課題を与えた。街を四分割し、一定の期間だけ納めさせる。最も功績を挙げた者を正統な後継者として、全財産と権限を与えると。その筆頭が凄まじい勢いで街を成長させている虎司馬という名の若者だ。 「市場も北と南、東と西で色々仕組みが違うんだそうです」 リトナが記憶を遡る。 善意に溢れる文面と、巷で漏れ聞く不穏な話。 「大丈夫よ、この農場を誰かに渡すようなことには絶対させない。みんな守って見せるわ」 メルリードはミゼリの手を強く握った。 守ってみせる。 忌まわしい、悪意の全てから。 静かな夜は、少しずつ更けていった。 |