【農場記】幼子の人形劇
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: シリーズ
相棒
難易度: 易しい
参加人数: 9人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/02/17 20:11



■オープニング本文

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 いいなぁ。
 いきたいなぁ。
 そう願うことは、いけないことだと。


 ギルドへ依頼書を出しに行く時は、大きな街へ行かねばならない。
 この家から最も近い場所といえば、白螺鈿だ。
 五行結陣の遙か東、金山を越えた先にある白螺鈿のすぐ隣に、杏達の家はある。
 飛脚に五文。それから結陣を通して、遙か遠い神楽の都へ依頼は届く。
 長いこと家を空けていた間、鶏の面倒と姉の目になることに疲れた炎鳥は、帰って早々倒れていた。ブリュンヒルデは『根性がない』というけれど、大変なのはわかっている。

 この家を、離れることは出来ない。

 開拓者ギルドはアヤカシを退治する者達が集う場所だと聞いていた。
 けれど、助けて欲しいと頼めば、人によっては安いお金でも助けてくれるのだと、祭りの夜に教えてくれた人がいる。
 いい人に巡り会えたと、杏は思った。
 怒られたけれど、それは仕方のないことだ。
 それでも援助をしてくれたあの人達は、また来てくれるだろうか。

 前は、自分しかいないと思った。
 何とかしようとあがいてみても、子供の考えや力など程度が知れている。
 守ろうと思っても、守れない歯がゆさ。
 そんなことを繰り返すうちに、ここの土地は丸裸になってしまった。

 面倒を見てあげるから、と家畜は次々奪われていった。
 畑はしなび、仕事もしない労働者達。
 やがて家の財産が尽きた。
 姉の母親は過労でこの世を去ってしまった。
 本来の農場主であった父親は、元開拓者で、何年も昔に依頼を受けて旅立ち、どこかで勝手にのたれ死んでしまったという知らせだけ。

 白螺鈿の行政管理官の虎司馬に、滞納分が払えないなら土地をもらうと脅されたものの‥‥借りた翡翠の利益だけで、滞納していた税金は払うことが出来た。
 白螺鈿では今、翡翠が高値で売れている。
 身分の高い人に人気があるらしいと調べたブリュンヒルデは言っていた。

 でもそんなことはどうでもいい。

 家を元に戻したかった。
 温かかった毎日を取り戻したかった。
 なんとか家を奪われずにすんだのだから、これから元に戻さなければ。
 一ヶ月の生活は6500文あればなんとかなる。


 寺子屋に行ける子供達を、羨ましいと思ったりなんかしない。
 旅の一座がやっているという人形劇を、見たいと我が儘をいったりしない。
 だから神様、どうか元の生活を返してください。
 杏は祈りながら、家の状態を汚い字で記した紙をギルドに託した。


 助けてくれる人が、きてくれますように。


■参加者一覧
酒々井 統真(ia0893
19歳・男・泰
水月(ia2566
10歳・女・吟
若獅(ia5248
17歳・女・泰
ブラッディ・D(ia6200
20歳・女・泰
アルーシュ・リトナ(ib0119
19歳・女・吟
ロムルス・メルリード(ib0121
18歳・女・騎
ミシェル・ユーハイム(ib0318
16歳・男・巫
ネリク・シャーウッド(ib2898
23歳・男・騎
緋那岐(ib5664
17歳・男・陰


■リプレイ本文

 結陣の遙か東。
 渡鳥金山の山脈を抜け、白螺鈿のすぐ近くの農場へ訪れた開拓者達は立ちつくした。
「んー‥‥思った以上に荒れ放題だな、これは」
 遠くに見える廃屋の有様に、思わず目を背けたくなる。
 文字通り『廃屋』の呼称が相応しい建物からして、この分厚い雪の平原を一枚めくれば、さぞや荒れ放題に違いない。
「俺の叔母さんも農場手伝ってたらしいけど、こりゃ確かにやりがいがありそうだ」
 ネリク・シャーウッド(ib2898)の呑気な呟きに、ロムルス・メルリード(ib0121)は涼しい顔をしていたが溜息と落胆は隠せない。
「この状態から元の農場に戻すとなると、なかなか大変そうね」
「少しずつ、出来る事をしていきましょう」
 アルーシュ・リトナ(ib0119)の視線は、比較的健全な建物の扉からこちらへ向かってくる少年‥‥杏の姿を捕らえた。真綿のような髪は雪にとけこみ、子犬が跳ねるような錯覚を覚える。相づちをした緋那岐(ib5664)が予想される重労働に悩む者達の肩を叩いた。
「やることは多そうけど、ここは親御さんが残してくれた大切なモノだ。先は長いけど、まぁ諦めずに頑張ろうぜ」
 あの子には、導くべき親がいない。若獅(ia5248)の表情が浅く翳った。
「‥‥保護者も後見人もなく子供が二人、生きていくってのは、生半可な事じゃねぇよな」
 そればかりか愚かな大人達が、飢えた禿げ鷹のように農場に群がっていたときく。
「俺もまだ十五だけどよ、志体があるおかげで、どうにか開拓者でやっていけてるってだけで。農業とか初めてなンだけど、少しでも力になってやれたらいいな」
 生まれは選べない。
 不運は勝手にやってくる。
 踊らされ続けた姉弟は、普通の生活すら困難になった。ブラッディ・D(ia6200)は興奮気味の少年に向かって、手を振ってやった。
「何かを取り戻すこと。それは大変だろうけど‥‥必死で手を伸ばせば掴めるもんなんだって思いたいよな」
 努力は報われるものである、ということを伝えられるような支えでありたい。
 ミシェル・ユーハイム(ib0318)には自然と笑みがこぼれた。
「何だか‥‥くすぐったいような気分だ。杏やミゼリに会うのが楽しみだよ」
 己が参考であり教師であるとともに、道標になるなど思いもしなかった。
 開拓者たちは、杏達が初めて出会う存在。
 悪意のない人、なのだ。
「杏に一家団欒を取り戻してあげないと」
 ミッシェルの傍らで水月(ia2566)がこくこくと肯き、人妖のコトハが「あげないとー」と同じ言葉を繰り返していた。酒々井 統真(ia0893)有らぬ方向を見やる。
 遠くに聳えるこの地の不夜城『白螺鈿』を。
「ったく、税金が上がり続けてるとか、翡翠の値が上がってるのと買占めようとした客がいたとか。きなくせぇ話はあるが、まずは農場からどうにかするか」
 地を知ることから始めなければ。
「いらっしゃい!」
「お久しぶりです。改めまして、吟遊詩人のアルーシュです この子は駿龍のフィアールカ。どうぞ宜しくお願いしますね。ご家族をご紹介して頂けますか?」
 リトナ達は、少年の頭を撫でた。


 全てを拒絶するような外観だった。
 北口玄関の扉一枚を隔てた先に、温かいが‥‥薄暗い土間と囲炉裏が現れる。
 奥には、襖で締め切られた蹴上がりの部屋が見えた。
 土間に入って右手の西側に、一段高い位置で板張りの渡り廊下が続く。三部屋分の部屋は襖で区切られており、最奥の数寄屋造りのうち区切られた書院部分だけ、天井が色鮮やかな群青色で彩られ、岩絵の具で半永久的な色合いを保持していた。
 対して。
 左手の東側には段差が無く、石が精緻に敷き詰められた廊下がある。土足のまま進めば、同じ土壁で区切られ独立した小部屋が三部屋横並びにあり、最奥には倉庫化した大部屋があった。小部屋の一つには、鶏が野放しになっている。
「数寄屋造りにジルベリアの特徴を加えたのか。相当だな」
 緋那岐が囲炉裏の傍から天井を見上げた。ミッシェルが首を傾げる。
「すきや造り? なんだろう」
「ん? ジルベリア生まれだと唐物数奇に馴染みがないか。正式には数寄屋風書院って言って、珍しい物を飾る為の床の間や生け花、茶室の特徴がある和風家屋のことだ。茶道位なら、聞いたことがあるだろう?」
 由緒ある良家生まれ故にわかる話をした緋那岐が、こんこん、と壁を打った。
「つまりだ。この屋敷を最初に造った奴は、元々相当な大金持ちで多用な趣味を持ち、国外に強い関心があった、ってことになるな。造りからして、後からジルベリア建築をまねて増築したんだと思う‥‥ただ気になるのは」
 全く様式の違う西と東の内部に共通すること。
 それは共に、本来外壁代わりのガラス戸が全て取り外され、冬を凌ぐための木戸が内側から木材をあてて和釘で打ち付けられていること。
 まるで外敵の侵入を防ぐかのように。
 杏が家族に会わせると言って、正面の小上がりの部屋に消える。
 襖の向こうに畳の広い部屋があった。ただし上に絨毯が敷かれている。部屋の片隅に燃える暖炉があり、そこだけ大理石が敷かれていた。中央に円卓と椅子が鎮座している。
 ジルベリア風の調度品で誂え直された和室の片隅に、姉のミゼリと人妖の炎鳥がいた。
 顎の辺りで切りそろえられた金髪と青い瞳。
 何人かが挨拶をして、ふと思い出す。
 彼女は心理的な問題で目が見えず、耳が聞こえず、言葉は発しない。
「一応、お客さんが来るって教えてあるよ」
 寂しげに言った杏を元気付けるように、リトナが語りかけた。
「滞在中はお屋敷のお部屋をお借りして良いでしょうか?」
「うん。でも他の部屋ぜんぶホコリっぽいと思う」
「大丈夫です! 掃除は皆でしますし、賑やかなのも空気が変わって良いと思うのですよ」
「それじゃあ私が家の中を案内してあげるわ! ついてきなさいコトハにスズシロ!」
「はい! ブリュンヒルデセンパイ! いきましょう、雪白センパイ!」
 叫んだ人妖が二体。ブリュンヒルデとコトハ。
 呆れた眼差しの人妖が二体。炎鳥と雪白。
「ヒルデ〜、そいつらコキ使うなよ」
「やれやれ、僕もついて行かなきゃだめかな。統真には、また貸し一つだね」
「雪白、変な貸し付け増やすなよ」
 酒々井が言葉を投げたが、元々雪白は水月提案の人妖劇の方の練習手伝いに行かせるつもりであったし、ここの人妖とも慣れさせておいた方が良いという判断だった。
 水月はいそいそと手短な掃除と食事の準備を始めた。家事手伝いから始めるらしい。
「きちんと食べないと‥‥いっぱいお仕事できないの」
 普段はコトハが代弁してくれているだけに、意識して声を張る。演劇に関してはまずはこの家の他の部屋を使えるようにしてからだ。ミッシェルがじっと土間を見た。
「今まで料理は誰が?」
 人妖の炎鳥が「あ、俺」と手を上げた。
「‥‥君たちも頑張ってるんだろうとは思ってたが」
「なんだその目。うおお、なでんなー! 俺は『わいるど』なんだー!」
 怒る炎鳥。杏が調理具の入った場所、干飯や味噌の壺などを教えに向かう。
 どうやら食事は杏と人妖達で賄ってきたらしい。米を炊いてみそ汁を作り、漬け物という粗食。杏が不在の時は、暖炉に吊しっぱなしの鍋に水と調味料と干飯を入れて雑炊にしたようだ。
「今日はみんなで家ん中の掃除で終わりそうだな。俺、明日小屋を見に行ってみようか」
 ブラッディが頬を掻く。まずは居住空間の確保が先決だ。
 男女共に一部屋で雑魚寝という訳にもいくまい。
 若獅が「道具の確認をしてくる。在庫確認は必要だろ」と倉庫に向かう。
 開墾や建物修繕作業に必要な道具、使える物の点検をした後、不足分や今後在庫が多く要る物を街に買い出しにいかねばならない。シャーウッドも「俺もいく」と手を挙げた。
「まずは、元になるものがないとどうにもならないからな。家畜を養うなら飼料、畑を開墾するならその道具、開墾した後は肥料に種その他諸々‥‥まっ、これくらいのほうが面白そうか。なんせ俺たちは開拓者、だしな。あ!」
 シャーウッドは杏に、一粒の翡翠を差し出した。
 以前持ってくるのを忘れたから、必要なら使えばいいと告げて。
 杏は頭をさげて、翡翠を大切に隠しに奥へと消えてゆく。
 緋那岐が炎鳥を呼んだ。
「で、以前は何を作ってたんだ? 覚えてるのは?」
「畑か? 春は夏用の茄子とか。三月末から二週間位は準備してたかな?」
「かな?」
「茄子の話はミゼリから聞いただけ。茄子科って連作できないんだよ。七年ぐらい時間がいるから、前に収穫したのは杏が生まれる前、って言ってたから、後一、二年は無理じゃないか。次に里芋やって、枝豆やって、大根やって、玉葱やって、胡瓜やったけど‥‥」
 炎鳥が指折りで記憶を辿る。
「大体、盗難にあって損ばっかで、あとよその豚が芽ごと食い荒らしにきた」
 荒れ放題らしい。
 やるべき事は多そうだが、俄に活気が出始めた。メルリードが唸る。
「まずは農場の状態確認が必要ね。畑、建物、周囲の柵がどんな状態か‥‥と、その前に」
 メルリードがひとり、ミゼリに歩み寄る。
「おい」
 人妖の炎鳥が慌てて咎める。メルリードは構わず正面に跪いた。
 手を取る。びくん、と大きく体が揺れた。知らない手を拒絶するように腕を払う。
「‥‥彼女、意識はあるの?」
 心を閉ざしている、そう聞いていた。炎鳥が端切れが悪そうに呟く。
「‥‥そうさ。ある日突然、目が見えなくなった。『ずっと夜のようだわ、でも心配しないで』って無理して笑ってた。次に耳が聞こえなくなって『誰もいないの? 誰かいたら答えて』と半狂乱で叫びだした。最期には、喉から声が出なくなった」
 何も見えない。
 何も聞こえない。
 何も伝えることができない。
 彼女には嗅覚と触覚だけが残された。やがて考えることを放棄し始めたらしい。
「家の中は歩けるし、物の場所は覚えてる。毎日此処へ座るのが仕事みたいなもんだ。振動と匂いで、俺や杏達とそうでない人間の区別はつくらしい。でも前に」
 そこで炎鳥が口ごもった。
「‥‥その、前に雇ったゲスに乱暴、されかけて‥‥俺達気づくのが遅れて‥‥」
 人形のような時間が増えてしまったのだ、と。
 メルリードの表情が少しばかり歪んだ。そしてもう一度、払われた片手を掴んだ。
「聞こえていないかもしれないけれど‥‥私達が力になってあげるわ。敵じゃない」
 見えていない目をまっすぐに見て、微笑みかけた。
 しばらくして。
 体の痙攣が止まった。メルリードの華奢な手を、もう一つの手が触れる。そのまま指が顔にのびた。顔中撫でるように触れて、ようやくミゼリの顔から警戒がとけた。
「‥‥どういうこと?」
「手が女だ、って分かったからだろ? 男だとこんなに早く静まらないぜ。今のは、目と耳が使えなくなって、俺やヒルデや杏にもやったんだ。識別する気になったんだろ」
 炎鳥が「手伝ってやるよ」と一言告げて、娘の手に『ロムルス』と刻んだ。
 そして再び、ミゼリの手を顔へ運ぶ。
 ふ、と目元が緩んだ気がした


 その日。全員で掃除をして、やっと母屋が全て使えるようになった。

 二日目は、酒々井、フィアールカを連れたリトナ、月牙を連れた緋那岐が畑の除雪に明け暮れた。
 水月は一気に増えた人数分の食事作りで手一杯。
 若獅とシャーウッドは倉庫を調べて農具の補修と買い出し一覧の作成に一日がかり、ブラッディは小屋掃除にかかったが中の物を一度運び出して溜まっていた乾いた鶏糞を桶に集めて畑の近くに運ぶだけで日が暮れた。
 ロムルスは壊れた柵をはじめ、農場の状態確認に走り回った。
 ユーハイムは近所の農家を巡り、挨拶がてら巫女の加護を授け回ったが、どうにもこうにも農家間が離れている上に年寄りの話が長く、駿龍のモードレッドで巡っても一日三件が精々だった。

 三日目になると疲労が色濃く現れる。
 酒々井、リトナ、緋那岐の戦いは若獅が除雪に加わっても、日暮れまで続いた。
 水月は人数分の食料や外に出かけっぱなしの者への弁当を人妖達と作っては届け、合間を見て人形劇の相談をしようと心に決めた。
 シャーウッドは農具の購入と一気に足りなくなった食材を、水月に頼まれて白螺鈿へ買いに出かけた。何件か仲良くなった店があるらしい。
 ブラッディは一人黙々と小屋の掃除を継続し、中を綺麗にして小屋の壊れた屋根瓦を外した頃には日が暮れた。
 ロムルスとユーハイムは手分けして近隣の農家を巡り、どこか異質な空気を感じ取った。

 四日目になると、除雪完了と引き替えに、無理の続いた緋那岐が倒れた。
 加えて水月とリトナが体調不良を訴えた為、水月は料理をシャーウッドに引き継ぎ、保留中の演劇準備に取り組んだ。
 リトナの方は、緋那岐の看病と道具をひかせて畑を耕すフィアールカへの指示に留まる。
 除雪を経ても元気な酒々井は、一人乾いた鶏糞を撒き続けた。孤独な作業だが大事な事だ。
 ユーハイムは今日も疑惑を確かめるために近隣の農家を回った。
 ロムルスは町の方へ買い出しに出かけ、食料購入ついでに、物価を調べているところは抜かりがない。
 若獅は天井の抜けた建物の安全点検を行いロープを張って立入禁止にするのに半日。昼食後に使えそうな道具を持って小屋へ訪れる頃には、ブラッディが小屋の瓦を新しく張り替え、扉を直していた。そして日が暮れるまでに、金網を張り替えて完全に修復を完了させていた。色々手をつけずに一人で戦った成果と言えよう。

 そして。
 慣れない仕事で疲れ果て、中休みとした五日目の夜のことだった。


 陶器の湯飲みが音をたてた。
「うっしゃあ! 金具と金網以外は全く金かけずに直したぜー!」
「かんぱーい! お疲れ!」
 ブラッディと若獅が確実に上げた成果を祝う。瓦も廃屋の廃材から補った。
「あの壊れた小屋、鶏用だったみてぇだし、すぐにでも移せるな!」
「明日にでも鶏洗濯して移すかー、巣箱も増やして」
 そこに水月が「私もお世話を手伝うの」と控えめに手を挙げた。
「‥‥鶏さん増やして‥‥卵とか売れるようにしていきたい‥‥街へ行く人に仕入れてもらえるよう頼んでみるの」
「盛り上がってるところ悪いんだけど」
 メルリードとユーハイムが「防犯対策をしてからのほうがいい」と口を揃えた。二人は近隣農家に連日知恵を請うたのだが、白螺鈿の様子も調べていて、どうやら読みが根本的に見当違いだと分かったのだ。
 ブラッディと若獅、水月が首を傾げる。
「順番に説明するけど、かなり環境が酷いの」
 メルリードが目を配るとユーハイムが咳払いした。
「残念な知らせが多くて申し訳ないが‥‥近隣農家は互いに疑心暗鬼の状態になっていた。前々から豚を放逐して被害を及ぼしていた所の目星はつけた。あとは‥‥この家から家畜を奪ったと思しき家が何件かある。うち一件は、折角預かってやったのに暴れ牛で柵を破って消えたから行方は知らないし、壊した柵の損害を賠償を求めたいくらいだと言われて」
 頭痛がすると訴えるユーハイムに、晩飯を作っていたジャーウッドが声を投げた。
「家畜は元々高いからなぁ。ほら、鶏だって一羽一千文前後だろう? 白螺鈿近辺って、野菜や肉類が基本的に他所より少し高いみたいなんだよな」
「‥‥なんで、そんなことに?」
 緋那岐が疑問を投げると、今日町中へ様子を見に行ったリトナが唇を開く。
「見えない食糧難のようです」
 栄華に潜む翳り。
 ここは治安が良い場所ではないらしい。年々酷くなる一方だという。
 遙か大昔、白原平野は集落が点在するだけで、地元の人々は長閑に暮らしていた。
 祖父母が若かった代に、如彩家という一族が北西から移り住んできてから、土地が改良され始める。湿地帯は住みやすくなり、街道が整地され、集落同士が統合。白螺鈿の基礎となる町が建設されていく。更に北と南の魔の森汚染が加速し、上下の街道が消滅。閉鎖区域に分布していた人々が中央に集結し始めたのが数年前。年々居住者が増加し、白螺鈿は都市にひけ劣らぬ超過密地帯に成長した。
 しかし深刻な問題が浮き彫りになる。
 急激な人口増加に伴う、食糧難だ。
 幸いにも、五行有数の穀物地帯と謳われるだけあって米には困らなかったが、特定の農作物や家畜は急激に価格高騰。乱獲が激しく、窃盗が相次いだ。挙げ句、白螺鈿と鬼灯間を結ぶ山道が昨年末に完成し、強引に開通。大勢の観光客や移住者、行商人が雪崩込み始めている。
 益々膨脹する白螺鈿。高騰する食材。相次ぐ窃盗。
 杏達の農場は白螺鈿の町に近く、打撃を最も強烈に受ける場所にある。
 屋敷を内側から徹底して板で塞いでいたのは、低下する治安に対する防衛策だったのだ。外の小屋で飼っていたはずの鶏を家の中に移した理由も同じ。
 外は、ほぼ間違いなく誰かに盗まれてしまう。だから人間が小屋をこじ開けられない対策が必要だ。
 加えて、畑の難題も浮き彫りになった。
 元々今よりも広大な土地で野菜を作っていたらしい。しかし白螺鈿から垂れ流しになっている汚水のせいで近くの川の水が使えなくなった為、畑の規模を大幅に縮小。
 なんとか掘った母屋裏井戸から地下水を汲み上げて使っていることが分かった。
「効率のいい方法を捜さないと厳しいな。水源の確保をしようにも、白螺鈿の川は飲めたもんじゃねぇって話だしな」
 酒々井が古い記憶を辿る。あの川から水はひけない。
「森近くに細い小川みたいなのがあったな。あれを拡張すれば」
「わき水なら森の奥にあるわよ。最も近づけないけどね」
 人妖のブリュンヒルデだった。杏の家の敷地内だ。なんでそれを早く言わないんだ、という話に対して「近づけないもの」と潔い答えが返ってくる。
「さっきの話にあった、強奪されて脱走した雌牛十二頭、アレよ。勝手に帰ってきたの。だけど畜舎が天井抜けてて酷い有様だから戻せないし、そもそも好戦的で強い奴にしか従わない性格だったから、勝手にノラ牛化したのよ。水源に近づく連中は軒並み返り討ち」
「要は相手が強いと認めれば従うのか?」
「うん」
 包丁を持ったシャーウッドが無言で酒々井を見た。見つめ合う。
 お互いに‥‥何か必死に役目をなすりつけあっている。
 目は口ほどに物を言う。
「ま、追々な。さー、食事だ。明日も忙しくなるからな、みんな、しっかり食べて精をつけろよ。食事の後は、人妖劇だ」
 それは。
 水月が考案し、経営が軌道に乗って収入が入ってくるようになるまでの間の、手早く収入を得る手段として提案からはじまったが、子供らしい楽しみがない杏へ見せては、という話に移り変わった。
 白螺鈿では今、旅の一座の人形が流行っている。
 杏がその話に興味を示したのも知っていた。だから夜遅く、杏達が寝静まってから練習をしたりもした。決められた役を振舞うのには思うところあると言っていた雪白も、役柄を譲ったりしていたし、ブラッディの黒緋も悪役を頑張っていた。
 リトナの伴奏が始まる。
 水月の朗読に合わせて朋友達が演技して見せた。
『悪霊を従える悪い領主さんが、天女と称えられるほど美しい娘さんに一目惚れ。
 無理やりさらって自分のお嫁さんにしてしまいます。
 でもそんな無法は許さないと天の力が宿った剣と笛を授けられた2人の男が現れて、領主のところに乗り込んで悪霊の力をものともせずに見事領主を成敗。
 領主が貯め込んでいた財宝を人々の為に使って立派に街を治めたのでした‥‥めでたしめでたし』
 鬼灯の伝説に手を加えた話だ。
 ミゼリは相変わらずだったが、杏は若獅と一緒に興奮気味に眺めていた。
 普段は子供らしからぬ疲れた表情の杏。
 それが、年相応に晴れた顔を見せた。


 農場での生活は瞬く間に過ぎてゆく。

 いつか。
 この荒んだ農場が、ぼろぼろの姉弟が。
 元の生活を取り戻せますように、と祈るような思いを抱えて。