【湖水ノ縁】斎竹椎乃の誤算
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: シリーズ
相棒
難易度: 難しい
参加人数: 12人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/11/28 09:57



■オープニング本文

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 魔の森での話だ。
 狩野柚子平救出の直後、開拓者たちの背後に、斎竹椎乃が立っていた。
「君達に相談したい話がある。……姉さんと狩野殿、抜きでな」
 茜色の太陽を背にした椎乃の表情は、重く沈んでいた。
「後日、改めて依頼を出す。その時に包み隠さず説明する。事態の後始末をしたいんだ」
 含みのある物言いに、開拓者達は眉を顰めた。

 +++

 遡ること、今年六月上旬。
 石鏡国に広がる三位湖の畔には鈴蘭が咲き誇り、湖水祭は賑わいをみせた。
 この時、精霊を祀る石鏡の双子王・布刀玉(iz0019)と石鏡へ招かれた五行王・架茂天禅(iz0021)の間で『密談』が交わされた。
 昨今の大アヤカシとの合戦や魔の森調査が進むに辺り、一分野の専門家だけでは完全解明できぬ現象が増えていく事を受けて、石鏡王と五行王は少しずつ、正反対の性質により相容れぬ二国の垣根を乗り越えて、協力関係を築く事を決めた。
 よって五行国と石鏡国の結びつきを強める為、複数の政略結婚が計画されたのである。
 五行王は独身且つ有能な研究者や高官を集めるだけ集めて湖水祭へ連れて行き、石鏡王は国内でも名だたる貴族女性や巫女に、彼らを引き合わせた。

 順調に見合い話が進んだ研究者の中に、狩野柚子平がいた。
 五行東のアヤカシに精通し、生成姫に関する研究では右に出るものがいない第一人者。最年少で『封陣院の分室長』と『玄武寮の副寮長』に成り上がった青年。大アヤカシ生成姫の合戦で王の覚えもめでたい。
 経歴だけを見れば申し分のない秀才。
 彼が引き合わされた相手は『斎竹桔梗(いみだけききょう)』という女性だ。
 斎竹家は、石鏡国の政に対して古くから強い発言力を持つ貴族五家のひとつ。

 開拓者女性の入れ知恵も手伝って、二人の関係は奇跡的に崩れなかった。
 交際後、僅か三ヶ月で結婚を視野に入れたのだから順調と言える。
 柚子平は結納の為、休暇をとって石鏡国へ渡る。

 ところが帰国日を三日四日と過ぎても柚子平が帰らない。
 流石に仕事に支障が出始め、風信術で石鏡国へ急ぎで帰国を促す連絡を送った。
 驚いたのは斎竹家だ。
 結納の準備をして到着を待っていたのに、柚子平は現れなかった。
 調査の結果、柚子平が乗船していた船は石鏡国へ到着しておらず、魔の森上空で墜落が確実視される。
 一週間近く経過し、柚子平の生存は絶望的だった。

 何分、失踪した相手が相手、且つ、仲人が両国王という事もあり、急ぎ開拓者による調査班が編成された。
 急行した墜落現場には、複数の遺体や積荷の全焼など悲惨な光景が広がっていたが、幸いにも柚子平と数名の船員が虫の息で救出される。調査結果と柚子平の証言により、報告書には『空賊の襲撃を受けた模様』と淡白な一文が記載される事になったが……

 どうやら事態は、このまま収束しそうにない。

 +++

「大変、申し訳なかった」
 再び集まった開拓者の前で、書類を持った椎乃が頭を下げた。
 意味がわからない。
「狩野殿の飛空船を襲撃した賊は、俺が雇った連中だった」
 開拓者たちが暫く静まり返った。
「謝罪の相手が違うのでは」
「何やら顔色が優れぬと思っていたら」
「納得のいく理由は聞かせていただけるのでしょうね」
 冷ややかな視線と空気に対して、椎乃は慌てた。
「襲撃を頼んだ訳じゃないんだ」
「では何を頼んだのですか」
「……簡単な腕試しを」
「どう違う」
 にべもない。
「つまり何か。姉君の婚約者に相応しいかどうかを、実力的に確かめてやろうと個人の判断でゴロツキを雇った。魔の森上空で飛空船を襲撃し、高額な結納品の数々の強奪は元より、飛空船を撃墜するとは考えてもいなかった……そう申したいのか」
 正座した椎乃は「浅はかだった、とは思っている」と呟く。
「それどころではあるまい。要人暗殺を計画した、と受け取られかねない振る舞いだ」
 面倒な話になった。

 狩野柚子平と斎竹桔梗の結婚は、両国王が計画した政略結婚の一つである。
 家柄、実力、地位、財力と四拍子揃った条件に加えて、半ば強制的な見合いにも関わらず、本人たちの関係は良好な状態が保たれている。これは願ってもない幸運だ。いずれ二国の国交を踏まえても、重要な柱の一つとなるだろう。
 ところが片方が『己の手の者を差し向けた』となると話が変わる。
 まず。
 両国王が認めた人材の技量を確かめよう、という振る舞いは、布刀玉と架茂天禅の顔を潰したことになる。
 斎竹家は、布刀玉と政の繋がりを失いかねない。
 さらに椎乃が雇った者達は、柚子平の飛空船を襲撃し、撃墜させた。
 多数の死傷者が出ており、空賊が高価な結納品の数々を狙った事も分かっている。こうなると『斎竹家ひいては石鏡国は、結納を装って五行国の要人をおびき寄せ、私利私欲の為に暗殺を企んだ』と言われても否定ができない。
 次に考えられるのは多額の賠償、責任問題、石鏡国への交易や渡航の制限、観光面への打撃など。
 二国の関係は良好どころか、諸々が悪化しかねないのだ。

「桔梗のことは、俺が守るって幼い頃に誓ったんだ。あんな男に任せられない」
 姉に対する強烈な執着心が伺えた。
「たかがそんなことの為に……」
「そんなことじゃない」
「逆にお尋ねしますが、分室長と同じ陰陽師でしたよね。あなたは多数の負傷者を連れて、魔の森で一週間以上も生存できるのですか」
 椎乃が黙った。
 義理の兄となる人物の技量を頭で理解しているが、心理的に納得ができないのだろう。
「椎乃さん。お姉さんもあなたも子供ではないんですから、依存も程々にしないと」
「何が誤算であったにしろ、事は起こってしまった。死んだ者も生き返らない。それより話さねばならぬことは山ほどあるぞ」

 今後どうするか考えねばならない。
 桔梗と柚子平、布刀玉と架茂天禅に知らせるか否か。
 現状は『空賊による不慮の事故』となっているが、報告すれば国家間の大事。
 このまま放置もできない。

「その話で依頼に来たんだ」
 再び椎乃に視線が集まる。
「事前に調査したつもりだったんだが、一杯食わされた」
 曰く、椎乃は傭兵『狩野柚子平の力量をはかる』よう依頼を出した。しかし対象の素性を知るや、飛空船を持ち出して撃墜した。其の辺のゴロツキが飛空船など持てるはずがない。空賊の刺青から再び辿った所、柚子平に襲撃命令を出したのは『雲』という裏組織だった。
「各地で人身売買から賭博まで幅広くやってる……らしい。石鏡の陽天にも小さい拠点があって、俺と契約書を交わした隻眼の男が、そこを任されてる奴だった。いずれ斎竹家にゆすりをかけてくると思う」
「なんてところに頼んじゃったんですか」
「……すまん」
 椎乃は資料を見せた。
 拠点の位置、外観、雲が陽天近辺で行った強盗や殺人の記録。
 正当な粛清、とみせかけて、ひっそりと椎乃が判を押した契約書を破棄する必要がある。

 考えなければならぬことは山ほどあった。


■参加者一覧
柊沢 霞澄(ia0067
17歳・女・巫
大蔵南洋(ia1246
25歳・男・サ
ネネ(ib0892
15歳・女・陰
叢雲 怜(ib5488
10歳・男・砲
緋那岐(ib5664
17歳・男・陰
ローゼリア(ib5674
15歳・女・砲
十河 緋雨(ib6688
24歳・女・陰
シャンピニオン(ib7037
14歳・女・陰
リオーレ・アズィーズ(ib7038
22歳・女・陰
朱宇子(ib9060
18歳・女・巫
スチール(ic0202
16歳・女・騎
火麗(ic0614
24歳・女・サ


■リプレイ本文

 人命を救助できた事を喜ぶのも束の間。
 墜落原因が椎乃にあった事を考えると、朱宇子(ib9060)たちは陰鬱だった。国同士の関係を悪化させたくないのは勿論、柚子平と桔梗の縁談が壊れるような事態も避けたい。
 椎乃本人はというと、リオーレ・アズィーズ(ib7038)につかまっていた。
「いいですか! 貴方が頼んでいる事は、見方次第で国家反逆者が証拠隠滅の片棒を担がせようとしている、と捉える事もできるのですよ。紛争を避ける為に協力はしますが!」
「わ、わかっているが、他に手が……!」
 椎乃の襟首掴んで、前後に揺すっている。
 後ろで様子を見ている朱宇子は、オロオロしていた。
 ローゼリア(ib5674)は開いた口が塞がらないのか、死んだ魚のような眼差しで責められる椎乃を眺めている。十河 緋雨(ib6688)も同じだ。
 想定していなかったとしても、私情で主君と他国の王の顔に泥を塗った。
 いくら事情が明るみに出ていないとはいえ『いやぁないわ〜』と思いつつ、十河は「ま、キッチリ仕事はしますよ」とだけ告げた。
 火麗(ic0614)もまた嫌味の一つは言いたい心境に陥っている。姉離れできない弟、という事は理解の許容範囲だが、直接でないにしろ、周囲に迷惑をかける騒動を起こしたところは頂けない。
「まったく」
 叢雲 怜(ib5488)が首を傾げる。
「んーと、椎乃の兄ちゃんのお手紙を取り戻して、悪いヤツをやっつけて……一石二鳥?」
「そうなるわね。椎乃さんの契約書がある以上、ゆすりは避けられないでしょうし」
 火麗の言葉をきいて、叢雲が厳しい表情になった。ぎゅ、と拳を握る。
「お手紙が変なことに使われたら……凄く駄目なことになりそう」
「だろ〜な〜。はぁ」
 溜息を零していた緋那岐(ib5664)は、キリリと表情を引き締め「これすなわち隠蔽だな」と頭を切り替えた。桔梗さんと仲がいい事を踏まえれば、悪い人ではないこと位は分かる。しかし国家間の問題に発展すれば、無関係な人間を巻き込みかねない。
 スチール(ic0202)は「難しいことは任せる」と言ってマスクの手入れをしていた。君子危うきに近寄らず、である。
「契約書を破棄できたとしても……問題はどこまで、誰に話すかだろな」
 柊沢 霞澄(ia0067)が考え込む。
 ある程度、皆の結論は同じところに帰結していた。
「やはり柚子平さんには話すべきでしょう、命を危険に晒す事になったのですから。その上で、桔梗さんはともかく両国王にお話するかどうかは……私達の判断を超えている気も」
 大蔵南洋(ia1246)は「まぁ、両国王に知らせぬ方がいいだろうな。一度『空賊による襲撃』で片のついた話だ。寝た子を起こす必要もあるまい」と言い、時計を見上げる。
 精霊門の開門は、午前零時……じきに時間だ。
「いずれにせよ、終わってからだな。行くか?」
「時間もないもんね。止めてくるよ」
 椅子を立ったシャンピニオン(ib7037)が、椎乃の傍らに座って手を握った。
「椎乃様。誰かの幸せを願うなら、独り善がりじゃダメなんだよ」
 気持ちは分からなくもない……と思う一方で、シャンピニオンは学び舎で馴染み深い教員を悪く思われるのは心外だった。けれど主張をぶつけ合う事より、前に進むのが先決だ。
「ちゃんと皆で幸せになろう? その為ならボクたちも頑張って力になるから」
 叢雲が椎乃の顔を覗き込み「気合入れて行ってくるの!」と告げた。
 アズィーズは『被害にあった罪のない乗員と家族への保証』と『狩野柚子平への謝罪』を椎乃に約束させた。
 ちなみに椎乃は事態の悪化を避ける為、ここで留守番決定である。


 石鏡国「陽天」に渡った開拓者達は、資料を手に屋敷に向かっていた。
 まず調査が必要だった。
 朱字子が「この辺です。鬼瓦の屋敷のはず」と周囲を見回す。
「内部がわかりませんし、ひとつずつ対応していくしかない……ですよね」
 顔ぶれの中に厩を担当する叢雲の姿はない。軽装に着替えて近隣の子供達と遊んでいる。
『近くに住んでる人なら、出入りの時間や顔とか、色々知っているかもしれないのだよ』
「あ、まって」
 ふいにシャンピニオンが仲間の歩みを止めた。
「もし心眼を使う者がいたら怪しまれる。10M位は離れて調査をした方がいいと思う」
「なるほど〜、じゃ、ここから始めましょうか」
 十河は人魂を雀の形に変化させ、屋敷へ放った。
 屋外の調査を開始する。建物の配置は勿論、警備の様子も見取り図に起こしていく。
「これだけ陰陽師がいるし、調査範囲を分担しない? ボクは西側に飛ばすね」
 東西南北で調査を分ける提案をしたシャンピニオンが、印を組んで人魂を邸内に飛ばす。
 土間から入り込んだ蠅は、西側の間取りを把握し、用心棒の詰所を探す。賭博に興じている者をすり抜け、虫を払おうとする手を避けながら、奥へ向かう。堅固な錠前のついた扉を探した。
 ネネ(ib0892)もまた人魂を羽虫の姿に変えて、屋敷内部の偵察に入る。
「やっぱり厩に馬がいますね。何頭かお出かけ中みたいです。中へ進みますよ」
 ネネが意識を集中する。
 内部の者に志体持ちがいるなら、宝珠仕込みの武器や防具を身につけている可能性が高く、それらから職種の想定がしやすい。皆、顔つきが鋭いが、ならず者の集団にも秩序はある。人員を束ねていると思しきものに目を配った。
 緋那岐とアズィーズも人員の配置と特徴を知らせていく。
 図面を覗き込んだ火麗が正面の門を指出す。
「それじゃあ予定通り、正面から派手に立ち回る陽動班、それと書類を抑える班って事で」
 夜を待って動き出すことになった。


 街の灯りも消え始めた夜のこと。
 正面の門を堂々と訪ねた重装備の大蔵は、扉を大槌で破壊し、気絶した門番をそのへんに投げ捨てて仁王立ちになった。
「なんだぁてめぇは。どこの組織のもんだぁ!」
「ここにある書類は、汝らの不正を暴くものである!」
 大蔵は重量軽減の為に身長よりも大きい槌をぶん投げた。
 べきべきと松が折れる。
 甲龍ナミと朱宇子が続いて現れ、立ち上がろうとした門番の体を爪で押さえ込んだ。
「ら、乱暴狼藉を働く、組織を成敗しに参りましたっ……えっと、御覚悟を!」
 荒事が得意ではなくとも、ナミに威嚇を手伝ってもらい精一杯立ち回る。大蔵も吠えた。
「武器を置かぬか……ならば世を騒がす無法者ども、ひとり残らず成敗してくれる!」
「上等だコラぁぁぁあ!」
 一方、変装して隣の建物の屋根から様子を眺めるローゼリアは、まるで道場破りのように一人で数十人を相手する大蔵が楽しそうに見えた。しかし朱宇子が傍で治療しているとはいえ多勢に無勢。加えて全員が凡人というわけではない為、ローゼリアは宝珠武器を持つ男に狙いを定めることにした。
「久々に狙撃手の腕を振わせていただきましょうか」
「殺すのですか?」
 からくり桔梗の質問に「転倒させるだけですわ」と答えて銃を構えた。
 そこへ更に甲龍モットアンドベリーとともに突入したのが、甲冑で外見がさっぱりわからないスチールだ。銃器を持ってる連中を、片っ端から尾で払って、壁に叩きつけていく。
 駿龍早火に乗った火麗も、誰ひとり屋敷から出さぬとばかりに平垣の上から睨みを利かす。屋根瓦の上を走って襲ってこようとする者には、容赦なく斬撃を加えた。
 大蔵はそのまま正面の門で踏ん張る事にしたらしい。
 正面玄関が破られた同時刻、裏門にはアーマーに乗った十河がいた。
 全長4メートルを超えるアーマー「火竜」は、体重800キロにも及び、常人が動かすことは不可能に近い。ごりあてと名付けた愛機を操り、裏門に配置して脱出を不可能にすると、屋根を登ってきた男たちを大斧で弾き飛ばした。
「こちらに来ると怪我しますよ〜、おとなしくしないと、キャノンで焼いちゃいます〜」
 裏門の足元には朱宇子の撒菱が巻かれていた。
「わー、正面の門と裏門は大騒ぎなのだよ。しばらくこっちはこなそうだけど、容赦はしないのだよ、と」
 厩の屋根に登った叢雲は、預かっていた猫たちを放つ。
「隻眼の男はあんまり出入りをしない人みたいだし……気をつけるのだよ」
 昼間偵察に屋根を歩き回っていた仙猫浦里や猫又うるるたちは、梁の上を歩いて屋敷の奥へ進む。猫心眼で様子を探った。
 一方、上空では駿龍ベロボーグにのったアズィーズが旋回していた。
 生憎と隻眼の男らしき人物が出てくる気配はない。
「斎竹家を幾らでも強請れる書類を、そこらにポンと放ってある事は無いでしょうが……」
 いつ持ち逃げされるかわからない。
 まるで蜘蛛の子を散らすように何もない塀から逃亡を試み始める者たちを見つけ、結界呪符で足場を弾き飛ばし、男たちを囲み込んだ。
「根性がない人たちですね、全く。皆さんは首尾よくいってるでしょうか……」


 陽動班の影で動くのが、書類を見つけて燃やすためだけに動く者たちだ。
 柊沢が宝狐禅ヴァルコイネンを召喚する。
「では……参りましょうか、ヴァルさんお願いします」
『うむ、ではやるとするか』
 柊沢は「皆さん、お怪我ありませんよう」と仲間を気遣った。
「だいじょーぶだって。こんな規模でも、一応裏組織ねぇ。接触してくる奴は得体が知れずっと。何処と繋がっているやもわかんねぇし……ま、とっとと仕事しようか」
 犬の頭をわしゃわしゃしていた緋那岐が又鬼犬疾風を放つ。
 開拓者に守られながら匂いを辿る疾風が目指す先は、椎乃の匂いがついた和紙の契約書だが……はたしてこの中で見つけられるか。
 ネネは「あれは稼ぎのもとになるのが間違いないです」と襲い来るならず者に毒蟲を放つ。
 一分間は動けなくなるが、やり過ごしたり、壁に閉じ込める分には十分だ。
「偽造や写を製造している可能性だってあります。でもお金になる原本を廃棄するわけがないと思うんですよ。下っ端は持たされないにしても、何か持ってる人は注意しないと」
 柊沢は「本物の判が押してある事を確認しなければなりませんね」と厳しい表情で呟いた。

 ところで噂の標的は、屋敷の奥で黙々と作業していた。

「侵入者の駆除に、どれだけ時間を使う気だ。相手は何人だ」
「申し訳ありやせん。どうも開拓者みたいです。数はわかりません。逃げてください親方!」
「ち、役に立たん連中め……家財は放っておけ。斎竹の契約書があれば金には困らん。お前たちは俺と来い」
 数枚の紙の束を懐に押し込んで立ち上がる。
「そうはいかないよ!」
 駆けつけたシャンピニオンが、結界呪符で逃亡路を限定していた。
「僕たちからは逃げられないからね!」
「なんだ……小娘どもじゃないか。それで追い詰めたつもりなのか。所詮、小娘の陰陽師。懐に入ればいい。数で押せ。踏み込んで片付けろ。死体は川に捨ててこい」
 外見に惑わされた男たちが勝機を錯覚したのか、獲物を抜いた。
「そうは……参りません」
「ん? 巫女か。か弱い娘ごときに何ができる」
 柊沢が地を駆けた。用心棒たちが隻眼の男を守るべく立ちはだかるが、足元から出現する結界呪符で弾き飛ばされる。柊沢の狙いは一箇所のみ。5メートルの距離に踏み込んだ段階で、指は印を組んだ。
「発!」
 男の懐にあった紙が、勢いよく燃え上がった。
 火種の術である。射程内であれば発火は自由自在。
「甘く見ないでください」
「この小娘が! 生きてかえ……さ……な」
 膝をつく。緋那岐が毒蟲で隻眼の男の動きを封じた。
「陰陽師には陰陽師なりの戦い方があるさ。そんでもって、俺は男だ!」
 顔面を蹴り飛ばし、荒縄で縛り上げていく。


 契約書を燃やして万事終了。
 といかないのが、この問題の頭の痛いところである。
 五行に戻ったローゼリアは「今回の件、一切他言無用ですわ」と念を押す。
 十二人が話し合った結果、多数決により『柚子平に話すが、両国王と桔梗には伏せる』という結論に至った。叢雲が「喧嘩の種になりそうな事項は、王様たちに内緒にするのだぜ」と言いつつ、屋敷の門をくぐる。
 差し入れを持ったシャンピニオン達が、柚子平の寝室に顔を出した。
「副寮長、具合どう?」
 狩野 柚子平(iz0216)が臥せっている邸宅には、居候の少年と特殊な人妖イサナ、看病に来ている桔梗がいた。椎乃をつれたアズィーズ達の表情から何かを察した柚子平は、少年と人妖と桔梗に買い出しを頼み、席を外させた。
「なにやら……吉報とは言い難い雰囲気ですね」
 ネネとスチールは『見ない訊かない言わない』を重んじ、彫像のように立っている。緋那岐も口を挟む気はなく、耳を傾けたまま相棒の毛を梳いていた。
「ほら、しゃんとしてくださいまし、椎乃様!」
 アズィーズに引きずられた椎乃は、腹をくくったのか、淡々と事の次第を話し始めた。
 話を聞いている柚子平は、少し眉が動いたくらいで表情に変化はない。
「だからその、申し訳ない! 原因は俺だ! なんならこの命、くれてやっても」
「それはそれで、重いというか」
 柚子平が返事に困っている。
 十河は「椎乃さんは自らの出処進退を決めて厳しく戒めるべきです」と目を光らせる。
 まともに顔を上げられない椎乃を見下ろしたアズィーズが「副寮長」と柚子平を見た。
「さっさと桔梗様と結婚しません? 下手に調査されると国家間戦争ですし、もう『話を蒸し返すと慶事に水を差す』と、襲撃事件は有耶無耶にした方が良いのでは」
 柊沢もまた「柚子平さんと桔梗さん、お二人の……ご結婚の意志次第だと思います、その上で……両家の行く末を考えた決断をして頂ければ……」と言葉を添える。
 柊沢にも『これ以上の事態の悪化はさけたい』という意地があった。
「うーん、参りましたねぇ」
 朱宇子が椎乃の傍らに立った。
「柚子平さん。椎乃さんの行動は、守るつもりが……ちょっと一方的になり過ぎていた気がしますし、いくら誤算とは言え、五行国側は命の危険にさらされた以上、公的な裁きや報告が必要と判断された場合は致し方ないとは思います」
 うつむいていた朱宇子が「でも」と声を少し荒げた。
「斎竹当主を継いで婿を迎えるか、柚子平さんの立場を踏まえて五行に嫁ぐか、桔梗さんは悩んで考えて、結婚を決められました。何より、失踪した柚子平さんをとても心配されていました。彼女の想いをできるだけ汲んであげてほしいな、と思います」
 今は何も知らぬ椎乃の姉、桔梗のことを。
「柚子平殿」
 黙っていた大蔵が柚子平の傍らに歩み寄り「お耳を拝借」とヒソヒソ話し始めた。
「私が思うに、椎乃殿への最大の罰は恐らく、姉に真実が露見することであろうと思う」
「ああ……そうかもしれませんね。曲がった事はお嫌いな方のようですから」
 私が根性を叩き直す、と言い出しかねない。
 弟の過ちを桔梗に知らせるのも一つの手であるし。
 逆に、あえて知らせぬまま頭を上がらなくしてしまう手もある、と火麗は思う。
「どのみち、両国王には『空賊による仕業』及び『偶発的な事故』報告のままでいいんじゃないかと思うわ。政治的な意図は一切なかったと強調して、万が一に備えるぐらいね」
 暫く考え込んでいた柚子平は、急に晴れやかな笑顔になった。
 その変わりように悪寒を感じる開拓者が数名。
「顔を上げてください、椎乃さん。次期ご当主ともあろう方が、あっさり頭を下げるなど」
「しかし紛争を引き起こしかねない問題を起こした俺に、もはや当主の資格など……」
「何をおっしゃいます。姉君は貴方に期待されている。それに私は『騙される方が悪い』等という野盗じみた事は申しませんよ。無論、人の上に立つ身である以上、より一層の思慮深さを身につける必要はございますし、そう水に流せる問題でない事は、そこにいる開拓者の皆様もおっしゃるとおり……しかしながら私も妹がいる身、母子家庭で母を亡くし、貧しい幼少期を過ごした分、大事な妹が嫁ぐ事になった時は取り乱したものでした」
 優美に手を取る一見とても出来た人。
 うわぁ誰だこれ、と柚子平の性格をよく知る数名の目が死んだ。
 一応、柚子平は何も『嘘』は言っていないが……後光輝く三文芝居は更に続く。
「大事な家族の行く末を心配するのは、誰にでもあること。私は数年前に実の兄まで凄惨な死を遂げました。若くして四肢がちぎれ、臓腑は散り散り……う、今思い出すだけでも力になれなかった自分が情けなく。湖水祭以降、兄のような義理の弟ができると知った時、私が如何に嬉しかったか。椎乃さん。私は同じ悲しみを背負う人を減らしていきたい。五行国と石鏡国の発展を願いつつも、桔梗さんとあなたとの縁も大事にしていきたいのです」
「か、狩野殿!」
 光輝く精神世界が広がる部屋の隅で、傍観気味のローゼリア達は「流石ですわ、戦いは既に始まっておりましたのね」と零したが……椎乃の耳には入っていない模様である。
 柚子平は窓の外眺め「桔梗さん達が帰ってきたようです。荷運びを手伝ってあげてください。積もる話もあるでしょう」と椎乃に気を利かせる。
「はい。失礼する」
 遠ざかる背中を眺めて、大蔵が顎を掻いた。
「……何やら、あっさり懐柔に走ったな。柚子平殿」
「まあ。こちらも理由があったとは言え反逆者を生かしたり、先祖が上級アヤカシと取引したり、聖人君子ぶっていられないというか……褒められない話が多いですからねぇ」
「違いないな」
「でしょう。なに、国や王への隠し事も今に始まった話ではありませんからね。同じ陰陽師ですし、なかなかいい義兄弟になれそうな気はしますよ。弱みも握ったことですし」
「引退した霧雨殿の代わりに振り回す気ではないのか」
「はて、何のことでしょう」
 トボけた顔の男は、笑いながら薬湯を啜った。