【神代】魔物が宿る器
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: シリーズ
相棒
難易度: やや難
参加人数: 7人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/03/13 11:34



■オープニング本文

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●魔性の声

 ついに生成姫が動いた――……
 そう考えているのは開拓者ばかりではなかった。
『紫陽花』
 人の唇を借りた異形の声が人の名を呼んだ。
 すると、闇の中から一人のシノビが現れた。華奢で小柄な体つきの少女。身にまとう武具の数々は開拓者と同様のモノだったが、その実態は『アヤカシから人々を救う者』ではなかった。
『むこうの首尾は?』
「今しばらく」
『早くしろ。姫様が動かれた。我らも急がねばならぬ』
「はい。おかあさまの為に命を賭して。しかし例の件、如何致しましょう?」
『最も毒に慣らした体を持つ、今の真朱の所在が掴めぬ今……代わりが必要だ。天奈を使う』
「……かしこまりました」
 すっ、娘の姿が消えた。
 禍々しい笛を持つ男の姿も、闇に溶けた。


●五行の混乱

 神楽の都で、生成姫が放った刺客の存在が明らかになりつつある頃。
 五行国内では、アヤカシの動きが活発になり始めていた。
 各地の里が襲撃を受け始めたのである。

 同時に、五行「結陣」から逃げ出す者が急増しつつあった。
 目の前で名高き陰陽寮が、アヤカシの大群による襲撃を受けて炎上したのだから、火の粉が降りかからぬよう逃げ出す者が多数現れても不思議ではない。無力な人々が逃げる先は、田舎や他国が大半である。
 そんな中で。
 五行東に聳える渡鳥山脈。
 なぜか、この山麓はアヤカシの被害が殆どなかった。

 昨年の一時期から渡鳥山脈を半ば覆っている魔の森の浸食速度が急激に緩やかになり、人里では小鬼一匹見かけない。
 今現在、五行各地で多くのアヤカシが暴れているにも関わらず、なぜか古の護大が封印されている付近――――例えば、渡鳥山脈の山麓『鬼灯の里』などは平穏なままだった。
 多くの者が小首を傾げる。

 どうしてそこだけ。

 アヤカシたちが何故、鬼灯を襲わないのか。地主や里の人間にはさっぱり意味が分からなかった。けれど襲われない事をこれ幸いと、人々は安全地帯の噂を聞きつけて集い始めた。

 鬼灯が襲われていないのだ。
 五行の東は安全に決まっている。
 田舎ならばアヤカシの襲撃被害も少ないはずだ、と。

 淡い期待と根拠のない自信を持って五行東「鬼灯」方面に殺到した。
 鬼灯の里には渡鳥山脈を安全に渡る為の二種類の通路があり、近年に開通した鬼灯と白螺鈿を結ぶ陸路は、押し掛けた人々で混雑していた。
 ただならぬ気配を感じ、積雪を理由に山道を閉鎖したのが、交易道の監督者である『天城天奈』という娘だった。現在、白螺鈿の屋敷に居を構えているが、鬼灯の二大地主、境城家を継いだ和輝の実妹に当たる。さらに言えば、かつて祟り神「真朱」という生成姫の配下に、過ぎた復讐心と人生を利用された一人である。
 愛する男も奪われた。

「いつまで山道を閉じる気ですか」
 部下が開通を迫る人々の気持ちを代弁する。
 天奈は鼻で笑った。
「いつまで? 静まるまでよ。開通させたら混乱するのが目に見えてるわ。開拓者以外、通さないで」
 鬼灯は五行東へ行きたい商人や、都から逃げ出した人々で溢れていた。かといって五行東の「白螺鈿」は、元々各地から集った人口が飽和状態であり、且つ、現在進行形でアヤカシの襲撃を受けている。
「全く、早く静まらないかしら」
 詳しい事情は流れてこないが、開拓者ギルドに問い合せても、多くがアヤカシ討伐に出かけているという返事が返される。疲労の色が濃い天奈は「少し休む」と言い残し、自室に戻った。
 そして微睡みに身を任せたのが……間違いだった。


●天女の末裔と呼ばれた娘

「天奈さま」
 覚えのある囁き声に瞼をあける。
「あなた、榛葉のところの紫陽花……」
『迎えに来たよ、天奈』
 少女の背後に人影があった。
 覚えのある顔だった。忘れもしない声だった。
 何年も前に死んだはずの婚約者が、青白い顔で微笑みかけた。
 凍りついた天奈が「とく……じ?」と声をかけた瞬間、男が笛を吹いた。強烈な睡魔が身を襲う。床に崩れた天奈を娘が縛り上げる。屍の男は笛を懐にしまい、意識のない天奈の頬を撫でて満足そうに笑った。
『本当に残念だよ。天奈。お前の体を姫様に献上したかった。
 だが今や、そうも言っていられない。
 忌々しい開拓者のせいで、他の連中を目覚めさせるのが先決だ。毒に耐性を持つお前の体なら……優れた知恵を持つお前なら、アレの器に適している。そうさ。かつての祟神真朱など、足元にも及ばぬ存在に昇華できる。私が名付け親になってやろう。毒華というのはどうかな?
 より美しく、より残酷に花咲くだろう。
 我らの眷属となり、永久の未来まで姫様にお仕えするがいい』

 
●浚われた娘を取り戻せ

 天奈が何者かに誘拐されたと連絡が入ったのは、それから数時間後のことであった。
 屋敷は血染めで、何者かが押し入った形跡が確認されている。出遭う端から屠ったのだろうという推測が成り立ったが、天奈が休んでいた部屋には、見覚えのない男の屍が倒れていた。妹の失踪を聞きつけて屋敷を訪ねた兄、和輝の話によると……その屍は、鬼灯の里の二大地主、卯城家の息子であったそうだ。
 何年も前に、屍の状態で鷲頭獅子に跨り、飛び去った事などが確認されている。
 アヤカシが屍を活用していたようなのだが、目的は分からない。
 放棄した理由も。
 そんな時に、農村からひとつの報告が成された。
 縛られた娘を担いだ鵺が一体と以津真天が二体、北を目指して飛んでいるという。
 生成姫のいる方角を。

 鵺といえば体長四メートルほどで、恐ろしい姿をした強敵だ。空を飛ぶだけでなく、爪に瘴気を集積して標的を鋭く切り裂いたり、六十メートル先の標的に落雷を落としたり、複数の人間を呪詛したりすることで知られている。
 また以津真天も鵺に並ぶ巨大な姿で空を舞う上、毒の旋風を放ち、瘴気を撒き散らすという。
 厄介な連中が人を食わずに運んでいる。謎めいた動きだ。
 娘の容姿から、行方不明の天奈である可能性が高い。

「何を考えているのか知らないが……嫌な予感がする。止めなきゃいけないな」
 かくして連絡を受け取った開拓者たちは、戦場から一時離脱して、東南を目指した。


■参加者一覧
万木・朱璃(ia0029
23歳・女・巫
劉 天藍(ia0293
20歳・男・陰
酒々井 統真(ia0893
19歳・男・泰
大蔵南洋(ia1246
25歳・男・サ
久遠院 雪夜(ib0212
13歳・女・シ
萌月 鈴音(ib0395
12歳・女・サ
蓮 神音(ib2662
14歳・女・泰


■リプレイ本文

「天奈さんが浚われたのか……。まずは手掛りの鵺達か」
 闇夜に紛れて戦地を抜けた劉 天藍(ia0293)達は、仲間と共に空を飛んでいた。
「生成たちは……まだ天奈さんの事を、諦めてなかったのですね……」
 陰鬱な眼差しの萌月 鈴音(ib0395)に対し、疲労の色が濃い酒々井 統真(ia0893)が頭をがりがり掻いた。
「まったく、ただでさえくそ忙しいのに引き回してくれるな……それだけ向こうの余裕も削れてるならいいんだが。鵺の背中にいるって娘、本物の天奈かね」
「真偽は分からぬが、無下には出来まい」
 大蔵南洋(ia1246)の呟きに「そうだよ!」と声を大きく荒げたのは蓮 神音(ib2662)だった。
「生成の奴、徳志さんを利用して天奈さんを浚ったんだよ! ここまで人の心を愚弄するなんて絶対許せない! 必ず取り戻すんだよ!」
「ボクだって天奈に借りがある……それを返すまで、死んじゃったら困るんだよ。だから、絶対助ける!」
 蓮と理由は違えど、久遠院 雪夜(ib0212)も救出に意欲的だ。万木・朱璃(ia0029)は「まぁともかく鵺ですね」と話を戻した。鵺は、そう簡単に倒せる相手ではない。
「逃げる上に厄介な敵、というのはなんともやりにくいものです……でも、止めなければ。まずは手がかりがそれしかありませんからね! 何がどうなっているか現地で確認するしかないでしょう」
 甲龍の田鳧の背中で、万木は腕を組んで悩んでいた。
「放置されていた、徳志さんの遺体のことも気になりますね。何の目的があって放棄したんでしょう」
「あからさまに妖しいよねぇ、囮かなぁ」
「まあな。雪夜の言うとおり、徳志の死体が出てきた、とか、天奈が攫われて……時間がたってから発見されたとか、ちと妙だ。勘ぐりすぎかもしれねーけどな」
 駿龍鎗真の背で、酒々井が渋面を作る。徳志の話に大蔵は目を伏せた。駿龍の凛麗が、ひらりと万木と酒々井達の横に並ぶ。劉が「これは単純に考えての仮定なんだが」と前置きした。
「代りに徳志の身体が置いてあった、という事は……彼に憑いてたアヤカシが、彼女についたとも考えられる。だとすると……天奈さんは、もう」
「やめてよ!」
 蓮が叫んだ。駿龍アスラの手綱を握ってぶるぶると震えた。
 救えない事例を何度も見た。
「もし、もし天奈さんがアヤカシに憑かれていた場合、何かを媒体にしているようならそれを壊すよ! そうでなければ神音には呼びかけるしか出来ないけど、どうしても駄目なら……殺すしかないのかな? 神音は……天奈さんを殺したくないよ」
 劉は「すまない」と小さく声をなげた。
「あくまで仮定の話だ。無事だといいが。無事な可能性は……とにかく彼女の身体をこれ以上利用させないように。それだけは阻止しないと」
 体を利用する。
 その言葉に炎龍の鈴の手綱を握っていた萌月が「そういえば」と声を投げた。
「……以前、アヤカシは天奈さんを『器に』と言っていたので……今回もそれが目的なら、天奈さんの中に……とは考え難いですが、十分注意しないと……。鵺が囮だとして、夢魔なら……どんな姿にもなれますし……」
 万木は「なるほど」と呟いて天を見上げた。星空はどこまでも穏やかだ。
「抱えているのが天奈さんでなく、違う人物なら……どこか別の場所にいるはず。やはり、鬼灯の道が怪しいでしょうか。鵺のこともありますからあまり時間は裂けませんが」
 劉が唸った。
「鵺の背にいるのが天奈さんでなければ、至急、手分けして他の捜索が必要になるだろう。鬼灯の道は、開拓者も暫く通行不可とし捜索行うような手配が順当か。他の旧道も捜索範囲にしたほうがいい」
 大蔵の眉間にも皺が刻まれる。
「むぅ。鵺の一団が偽装であった場合か。……だとすると、陸路で渡鳥山脈を目指していると考えられる。白螺鈿と鬼灯を結ぶ道か、彩陣の古道」
「ああ、さっき話してた放棄された道ね」
「……彩陣の方は、私も、鈴とご一緒します。酒々井さんは、白螺鈿をお願いできますか」
「ああ。そうなったら俺は、白螺鈿に急ぐぞ。わざわざ囮を立てるなら本命は目立たないよう、早くは動けないだろうし。人が隠せそうな荷は徹底的に洗ってやる。鬼灯に通じる交易路がくさいな。人が殺到してるそうだし」
 もし今、何者かの手引きで封鎖された白螺鈿へ人がなだれ込んだ場合、食いつぶされるのが目に見えている。自らの手で滅びへ向かうように仕向ける方法は、散々見てきた。
 駿龍の小烏丸の手綱を握り、久遠院は「まずは本当に天奈か確認かな」と結論づけた。
 あれこれ考えても仕方がない。けれど劉は胸内で思う。もしも天奈が死んでいたら、体を利用されないように荼毘に付すしかない。
 無事であるよう、祈った。


 空が白み始めた頃、人を背負ったアヤカシ――鵺と以津真天の一行が遠くに見えた。
 むこうもこちらに気づいたようだが、まるで怯む気配がない。以津真天が先行する。
 萌月が鵺の背に縛られている人影を見た。
「この高さ、落ちたら……怪我じゃ済みません……受け止められるよう、したにいます」
「分かった。行くよ、アスラ!」
 駿龍のアスラの手綱を操る蓮が、風を切るように飛んだ。萌月の龍が急降下する。酒々井が若干狼狽えた。
「うおぉ? よく見えねぇが、なんか光ってるぞ。雷撃食らわせる気満々だな、幾ら俺たちでも一気に四発も集中攻撃くらったら無事な保証はねぇぞ」
「ならば二手に分かれるまで。万木殿、劉殿、援護をお頼み申す」
「はいはーい、お任せ下さい。ただ私の田鳧も甲龍で足が遅いので、私は以津真天狙いで」
 甲龍八ツ目の手綱を握り、大蔵も別方向から鵺を狙う。
 久遠院も大蔵の背中を追った。
 じきに射程に入る。
「ひあ! アスラ避けて!」
 真っ先に空を駆けた蓮に雷撃が放たれた。寸前でアスラが雷の軌道を避けようとしたが避けきれなかった。同時に放たれた残り3発の雷は、久遠院と大蔵、酒々井をこんがりと焼く。
 今にも意識を失いそうな衝撃を身に浴びても、今は倒れるわけにいかない。
 態勢を崩した隙を狙われぬよう、遥か後方から万木の精霊砲が以津真天を貫く。以津真天の巨体は、一撃で無に還った。前を防いでいた障害は消えた。
「ぬうぅぅん!」
 隙をついて迫った大蔵の斬竜刀が首を落とすべく振り下ろされたが、鵺は恐るべき速さで太刀筋を回避した。かすり傷ひとつない。
 速い。
 その巨体に対して、余りにも動きが速すぎる。二倍近い差が、重く横たわっていた。
 どんなに威力の重い攻撃でも、当たらなければ意味がない。
 もう一方の以津真天も、酒々井と蓮が砕いていたが……鵺の素早さを前に舌を巻いていた。ぼう、としていれば雷撃が四人に襲いかかる。直撃は危険と判断するや、どうしても距離をはなさざるをえない。
 それにしても人質がいる状況下では大技が使えない。間違って殺したら大変だ。
「うわん、目を狙ったのに、早すぎ!」
「遠くて天奈か確認できないよ! こっちがやられっぱなし!」
 蓮や久遠院が悔しがる。
「くっそ、なんだあれ……やけにでかいし速いぞ!」
「さしづめ、迎えの鵺は精鋭、といったところか。戦場で見た落雷持ちでなくてよかった……と言いたいところだが、再び接近するまでに骨が折れるな」
 ちなみに。
 落雷を放つ鵺の射程は約120メートル。挙句、体力がひ弱な術者では一撃で死にかねない威力があるという。一瞬で四発も放つ鵺相手の場合、背を向けても逃げきれる保証もなく、殺されかねない。
 万木の体が淡く輝き、傷を癒す光が周囲へ解放される。
 焼けた肌が元に戻った大蔵は、仲間に声を投げた。
「誰か追いつける者はいるか!?」
 あの異様に速い鵺に。
 このまま、じりじりと時間を消費する訳にはいかない。
「ごめん、ボクだと逃げられる」
「悔しいけど、神音もムリ。天奈さんを生成に渡したりなんかしたくないのに!」
「今の逃げっぷりがな。……俺はギリギリ当てる自信はあるが、陸じゃないからな。狙った所を確実に、とは言えないぜ。本気で逃げ切ろうとしてる鵺の速さに、鍛えた駿龍でも追いつけないとくりゃ……どうする、食らうの覚悟で押すか」
「さて、どうするか」
 人質の生死を問わなければ、倒せるだろう。
 ある程度の大怪我を覚悟で、四方八方から攻撃すれば間違いなく。
 だがそれは人質の安全が一切保証されない。遥か北で高み見物をしている、忌まわしい生成姫に屈するようなものだ。
「なあ、みんな」
 紫色に淡く発光する符を持った劉が、声を投げた。
「全員でかかれば……鵺の動きは多少殺せるんだよな。それで、天奈さんを気にせずにいけば、なんとか当てられそうのが、酒々井さん」
「ああ」
「無茶を承知で、頼んでもいいかな」
 劉がひとつ提案をした。
 一か八かで再び五人が空を飛ぶ。
 万木は失敗した時に、皆の命綱となる為、様子を見守った。
 酒々井、大蔵、久遠院、蓮の四人が、四方から鵺を狙う。真下には萌月がいる。
 背に人質を乗せた鵺の選択は、雷撃で四人を撃ち落とし、弱った包囲網を抜けること。
 けれど鵺の動きを殺すのは、本命に打撃を与えないため。逃走方向に劉がいた。
「ここで逃がす訳にはいかないんだ!」
 符が紫色にきらめいた瞬間、おぞましい亡霊が召喚された。
 莫大な練力消費と引き換えに呼び出した式神は、死に至る呪いを鵺にのみ送り込む。
 劈く様な吠え声と共に、鵺が砕け散る。
「やったぁ!」
「って、ぎゃーっ!? 天奈――!」
 鵺の背に乗せられ、縛られていた女性が、縄ごと落下していく。鵺を倒しても転落死したのでは意味がない。六人が青くなったが、真下で待機していた萌月が受け止めた。
「いたい……けど、大丈夫です。……鈴、お願い……頑張って……」
 突然増えた重量にふらつきながら、炎龍は地上に降りていった。


 地上に降りてから、万木と龍が治療に当たる中、萌月は意識のない女性の拘束を解いた。
「……気絶してるんでしょうか。起こしますか?」
「どうだろ。確かに脈はあるし、手足あったかいし、天奈と同じ『顔』だけど」
 久遠院が、酒々井や大蔵を見た。
 全く安心ができない。
「本人にみえても、なぁ?」
「うーむ」
 かつて生成姫は救出対象の娘に取り付いていた。当然、内側から命を食われた娘は死んでいる。あれほど特殊な状況がそうそうある訳ではないにしろ、夢魔も他人に化ける技を持っているし、化け鬼などは擬態している間は瘴気を隠すことができる為、瘴索結界に反応がないからといって人間とは限らないのだ。
 劉が唸る。
「どうしようか、確かめる術、誰か準備してきたけ?」
「すみません、解毒と回復で手いっぱいでした」
 劉が万木を見たが、万木は首を横に振った。酒々井が唸る。
「うーん、ちょいと荒っぽいが、仕方ねえ。雪夜」
「なに?」
「ちょっと刀を貸してくれ。確かめるには、これっきゃないだろ。みんな、天奈の手足を抑えててくれ」
 酒々井が久遠院から刀を借りると、垂直に刃を立てて力を込めた。
 梅の香りと白く澄んだ気を纏った刃を腕に当てて浅く沈める。
「ひっ!」
「あ、起きたか」
「な、なにす、いた、いたい!」
「心配すんな。巫女と陰陽師がいるから死なねぇって。瘴気は出ねーな、大丈夫そうだ」
 刀を引き抜くと血が溢れた。劉が、すぐに治癒符で傷口を塞ぐ。
 目が覚めて、知らない場所にいて、挙句知人に物々しい刀を向けられている……という状況は、流石に説明するのに苦労したが、しばらくして『誘拐された』という事実を飲み込んだ。天奈が取り乱す。
「そうよ、徳志、徳志がきたの! 迎えに来たって」
「落ち着くがいい。徳志ならば『遺体』は戻った。手紙しかみておらんが、屋敷に捨て置かれていたらしい。不要になったのであろう。他に覚えていることはないか」
 大蔵の『戻った』という言葉に「そう」と言葉短く答えた。どこかほっとしたような顔をしていた。萌月が言葉を添える。
「お屋敷からたくさんの遺体が発見されました。鵺たちが、屋敷を襲ったとは思えません……他にも何か居るのかも……心当たりは、ありませんか?」
 鵺が屋敷を襲撃したのなら、もっと大騒ぎになって良いはずだ。
 大型のアヤカシではない、何かがいたはず。
 天奈がぼんやり考える。
「他に覚えていること……私、仕事に疲れてて、休もうと思って、うとうと眠って、そしたら紫陽花が起こしに来て、後ろに徳志が……」
「紫陽花って?」
 劉が首を傾げる。酒々井や久遠院が厳しい顔つきになった。
「如彩家の長男の嫁の秘書みたいな奴だな。農場の方にも、きてた」
「あの子が来たあと、畑腐ったけどねー。おかげで苺が!」
「雪夜、今それどころじゃねーだろ。で、それはマジなのか、天奈」
「そう、榛葉の護衛よ。うちにもよくお使いに来るの。あの子、もしかして死んだんじゃ!」
「……いや、そんな報告は聞いてない」
「ね。もしかして、その子」
 蓮が言わんとしている意味を、天奈以外の皆が察する。
 紫陽花は腕の立つ志体持ちだ。アヤカシの襲撃を受けたなら、戦うだろう。例え天奈を奪われても、死んだらその場に遺体が残るだろうし、重傷ならば担ぎ込まれていても不思議ではない。そういった報告が皆無で、痕跡がない、となると可能性は限られる。
 そして。
 現在の状況下で最も疑わしい存在。
 生成姫が育てた刺客『子供』である可能性。
 こんな所でゆっくりと長話をしている場合ではなくなった。

 天奈をこのまま白螺鈿に戻しても再びさらわれてしまう可能性が高い為、蓮たちは避難させることに決めた。鬼灯を通って、結陣から安全な場所へ移せばいい。そして白螺鈿に向かった者たちは、驚くべきことを聞かされる。

 紫陽花は数日前に『戦が始まるので、ギルドの招集に応じなければならない』と言い残し、主人の恵の元から去ったらしい。だが戦場で見た覚えはない。
 行方知れずだ。

 屋敷を出て、大蔵達は顔を見合わせた。
「五行にいた子供の使命は、多くが配下解放。紫陽花は桜火同様、封を破るべく現地の社や祠で作業中の可能性も考えられる。とはいえ、天奈の護衛もせず行方がわからないとなると……」
「あーんもう、全く、色々な思惑がありすぎて頭が混乱しそうですよ。裏で糸を引いている人物も含めて!」
 万木が頭を抱えて雄叫びをあげる。
 そこへ「……アノ」と声をかけてきた者がいた。
 恵の所有しているからくり『梨花』だ。忘れ物を届けに来た風ではない。
「封陣院、いきます?」
「なぜ?」
「りか、お手紙預かってます。ぶんしつちょーさま、来たら渡して、って。でも帰ってこないから」
「誰の、手紙だ」
「紫陽花。りか、お友達。親友だから、お手紙預けてくれるって。ご主人様には、内緒」
 消えた紫陽花が、残した手紙。
 宛先は封陣院の分室長――狩野柚子平。
 呪いの手紙ではないだろうかと、誰もが思った。
「……戦場で会う。渡しておこう。他に何か、言っていなかったか」
 からくりは空を仰いだ。
「紫陽花『ご主人様よろしくって、ちゃんと幸せになってね』って言ってた」
 異様だ。
 紫陽花が『子供』だとすれば、大凡理解できない発言ではあったが、一行は白螺鈿をあとにした。

 そして残った、手紙を眺めて。
 彼らはここでひとつの選択を迫られた。手紙を、柚子平に渡すか否か。
 どう考えても罠にしか思えない。
 宛先の人物は、現在、封印の維持に躍起になっている。
 もしも手紙が何らかの罠であるなら、貴重な人材を危険にさらすことになる。
「渡す?」
「何かあってからじゃ、遅すぎるぞ」
「でも普通の手紙みたいだし。柚子平さんの指示を仰ごうか」

 そうして一枚の不審な手紙が、祭壇の傍にいる男のもとへ届けられることになる。