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■オープニング本文 前回のリプレイを見る 昔、妹が箪笥で美しい着物を見た。 父は色々な話をしてくれた。 『和輝、天奈。お母様は昔、天女様だった。私が飢饉の重責を友に話したりしなければ‥‥』 その言葉の意味を知るのは大人になってからのこと。 あれは父が身も心も病んでしまい、里の叔父さんが家を訪ねた冬の祭り日。 手渡された図面を握りしめて、怒った母は山を下りた。 そして二度と帰ってこなかった。 母親似の優しい妹が、変わってしまったのはいつだったか。 今はもう思い出せない。 山渡り失敗直後、卯城と境城の当主、徳志の会議があった。 じき鬼灯祭、白螺鈿に通じる山道も開通する中、大量の荒御霊を出せば客足に大打撃を与える。挙げ句、重傷を負った霧雨は彩陣の長の息子。皆を守るべき徳志の無傷帰還は褒められた話ではない。 不始末の責任は『卯城の当主が年内で引退』話に行き着いた。 加えて相次ぐ彩陣の職人失踪事件。 開拓者達が集めた証拠と、持ち帰った彩陣からの手紙を元に、全ての事実が明らかとなるまでの間、徳志は境城家の地下牢に監禁され、卯城家は彩陣との取引を禁じられ、天城家の焼け跡は境城家が管理し調査すると決まった。 そこへ「何かの誤解です」と涙ながらに乱入してきたのが徳志の恋人名乗る娘だ。 現れた柚子平の苦笑い。隣に立っていたのは境城当主の兄の息子、和輝。 徳志の恋人は、天城家の遺児だった。 名を天奈。 牢へ連行される徳志を庇いすがりつき、高まった里の不平不満を払拭してみせるからと機会を請うた。自分の輿入れの為に、と徳志が蓄えた私財を殉職した迎火衆の見舞金に充てるという。 綺麗な着物も、身飾りも、何もいらない。 職人の誘拐など何かの間違いだ。 愛する人さえ戻ってくれれば、それでいい‥‥ 機会は与えられた。 天奈は一軒一軒、家を尋ねて回り、婚約者の力量不足を詫びた。 未来の伴侶として里を守ってみせる、と。 賢明に走り回る姿は、鬼灯の里の人々の心を捕らえて放さなかった。 無人の廊下に和輝と天奈がいた。 「職人の件、徳志がお前の入れ知恵だと話したら、どうする気だ」 「私は学を持たぬ娘。何故、知恵が働きましょう? 恋した男が地主の子だったのは偶然。採掘村や秘密の地下通路も、両親の教えてくれた昔話を話しただけ。美しい染め物への憧れは、たわいのない女の戯れごと。貧困にあえぎつつ、いつか贅沢をしてみたいと囁いたにすぎない。贋作工房に職人の誘拐、卯城に富が集まるよう算段したのも‥‥徳志一人の思いつき」 「しかし」 「私達は『何もしていない』んですのよ。親と共に里を追われ、境城を妬む卯城の刺客に怯え暮らし、請われて里に下りたら、私達の昔話を悪事に利用する欲深い者がいた‥‥それでよいのですわ」 「お前は聡いというか、伝説の鬼姫のようで恐ろしいな」 「天城家は天姫の血筋。鬼姫の名は誉れです」 不敵に笑い、天奈は部屋を出る。 後ろ姿を見つけた小さな影は後を追った。 卯城家屋敷の最奥で、霧雨は療養中の‥‥はずだった。 「霧雨様。わたくしの声が分かりますか?」 霧雨は高熱で朦朧としていた。 更に手足を四隅に縛り付けられ、身動きもできない。 「勿論分かりませんわよねぇ? 大丈夫、今は苦しいだけです」 純真無垢の天女の笑み。 濡れた手拭いを絞って額におく。 「偶然伺いました。御彩霧雨はお節介な親友だと。情にもろい柚子平様を引き止めておくより‥‥貴方を呼び寄せるのに苦労しましたわ。彩陣が困窮し、親友が失踪すれば‥‥必ず親切な誰かが貴方を呼ぶはず」 傍の道具で『薬』を作り始めた。 薬草学に長けた者がいれば、解熱剤や傷薬でもないことに気づいただろう。 「貴方が平穏に暮らした二十余年。卯城に陥れられ身も心も壊れた父と、保身を優先した境城に見放された母に代わり、幼少より我ら兄妹は復讐を待ち望んで参りました」 卯城の差し金で、境城の現当主がひきおこしたという落石事故。 里の者に焼かれた天城の屋敷。 真相を知る者は数少ない。 最も『誰にとって何が真相か』は別の話だったが。 「お兄様は労せずして境城家を継ぐのです。私が憎き卯城家の嫁となれば、やがて我ら兄妹の子が夫婦となり天城家は必ず返り咲ける‥‥そう信じ耐えるつもりでした。火を放った鬼灯への恨みも、天城から鞍替えした彩陣への恨みも、子か孫に託そうと」 手が止まった。 「なれど憎き卯城にもはや未来はありませぬ。徳志が彩陣の職人を私欲で飼い殺した責任を追及されるのは時間の問題‥‥開拓者達は本当に優秀です」 赤い唇が残酷に笑う。 「分かりますか霧雨様。私は『哀れな花嫁』なのです。父母に聞いた思い出を恋した男に悪用され、義父と夫を同時に失う。愚かな夫の帰りを待って、健気に当主の代役を務める私は‥‥里が認めざるを得ない卯城の主となる。御彩の長子たる霧雨様の子を授かれば、彩陣の不信を完全にかわし、我が子の代でふたつの里はひとつに戻るのです」 天城家から土地を分ける形で始まった彩陣の里。 門番二家が地主の座について三十年。 数多の闇を抱えた鬼灯の里は、事実上の天城家復権を認めざるをえない。 天奈は、霧雨の頬にすり寄った。 「哀れな私と夫婦になってくださいませ、霧雨様。子を授けてくださった後は、永久の休息を差し上げます。卯城次期当主を守り、アヤカシに負わされた命に関わる怪我ですもの。看病の甲斐なく逝ってしまったと‥‥沢山の方が泣いてくださいます。あなたの子供は忘れ形見となり、末永く大切にされますわ」 ヤバイ話を聞いた気がする。 ルイは襖を叩こうとした姿勢のまま廊下で戸惑っていた。 「わああ! アヤカシだ!」 人の声。天奈が現れる。 胸中で散々狼狽えながら、ルイは無表情をつくった。 「私、使い。傷、酷いなら、治す、言われた」 意図的に言葉を発する。険しい表情の娘は安堵の息を吐いた。 「私が看病してるから心配いらないとお伝えして」 「治す、いらない、看病、伝える」 人妖は逃げた。 騙された柚子平は境城家にいた。 天城家の焼け跡は境城家の監督下に入り、山彦が卯城家の迎火衆を片っ端から叩き出した。準備が整い次第、坑道を調査し、職人達に冬越えに必要な荷を与え、本格的な救出や移住話は年明けとなる。 「よいお手紙を頂きましたね、御当主」 当面の間、五彩友禅は境城家が全管理する。 「これで友禅の値を暫くは下げられる。女性の開拓者が五彩友禅を探していたんだ、喜んでくれるだろう」 「失礼ですが、開拓者のお名前は?」 名を言うと柚子平が唸る。 「それ、私の頼んだ開拓者です。妹の香華が結婚するので、入手の委託をしてて」 「ではウチで結婚式を挙げてはどうかな? 色々と世話になったし、和輝や天奈、開拓者も呼んで披露宴を楽しんでもらうというのは。秘蔵の酒もつけよう」 「光栄です」 何も知らない境城家の当主と柚子平は、呑気に宴の準備に勤しんでいた。 |
■参加者一覧
万木・朱璃(ia0029)
23歳・女・巫
劉 天藍(ia0293)
20歳・男・陰
酒々井 統真(ia0893)
19歳・男・泰
大蔵南洋(ia1246)
25歳・男・サ
神咲 六花(ia8361)
17歳・男・陰
久遠院 雪夜(ib0212)
13歳・女・シ
萌月 鈴音(ib0395)
12歳・女・サ
天霧 那流(ib0755)
20歳・女・志
蓮 神音(ib2662)
14歳・女・泰 |
■リプレイ本文 御彩・霧雨(iz0164)が囚われ、酒々井 統真(ia0893)達は重い空気を吐いた。 「護衛失敗。挙句に踊らされて卯城の当主は失脚、か。腐ってる暇はねぇが‥‥情けねぇ」 柚子平の妹の結婚式という明るい話題の影で、卯城の当主は失脚がほぼ確定。 事態は刻一刻と変化していく。 選択を誤った、と天霧 那流(ib0755)も己を責めた。 「起こった事はどうしようもないわね。本当に好きで当人同士の意志の上でならともかく、霧雨の件は許せない。結婚は打算や政略でしても幸せにはなれないわ」 傍の萌月 鈴音(ib0395)が不安げに館の方向を見る。 「霧雨さんが‥‥大変です」 石動神音(ib2662)が相づちを打つ。 「とにかく助けださないと!」 妙な薬の話に劉 天藍(ia0293)達は巫女の万木・朱璃(ia0029)の助力を要請した。 「何にせよ、目の前のことを全力でこなします」 詳しい事情を知らない万木。 昔、流し素麺を御馳走した陰陽師に、女性を虜にする甲斐性があったか、いまいちピンとこない。 「経緯をお聞きしてよろしいですか? 随分と動きやすくなるでしょうし」 「わかった、朱璃さん。それじゃ‥‥事の始まりは真夏に五彩友禅の流通数が激減して」 「そんな前からですか!」 生真面目に話し始める劉へ、思わず突っ込む万木の紫水。 現在、真冬の真っ直中。神咲 六花(ia8361)が笑う。 「僕も最初、詳しい事情を察するのに苦労したけど、ざっくり分かっとけば大丈夫」 「経験者は言葉の重みが違うんだよー」 久遠院 雪夜(ib0212)が般若面を荷物から探る。 石動は談笑する神咲達を不安そうに見た。 「六花にーさまと天藍おにーさん。彩陣までの空も危険が増してるから、気をつけてね」 ありがとう、と石動の赤い髪を撫でた神咲。大蔵南洋(ia1246)が猫又を地に放つ。 「さて浦里。ルイ殿達の手助けを頼むぞ」 大蔵達が地主の元へ相談に向かった。 「早く助けたい」 劉が救出の準備が難航している話を聞いて、救出と天城家の秘密地下道調査手伝いを申し出た。また警備状態を確認し、出入りを見張る者を強化するように注意を促す。 神咲が便乗して手を挙げた。 「そうだ境城の御当主。彩陣との連絡役に、僕らを雇ってもらえないだろうか。今回は劉さんも同行するし、必ず辿り着いてみせるよ。結果だけ見れば、僕らは彼らを裏切った」 名誉挽回を訴える。 「では浚われた職人達に関する報告類を届けてもらおう」 「劉さんが地下通路の下見から戻ったらすぐに。必要物資と地図をお貸し願いたい」 「用意させておこう」 神咲が地図を受け取った後、徳志尋問を許された大蔵は席を外し、残りの者は霧雨の元へ向かう。折角の晴れの日だから、出席できない者も祝いを、と。 「‥‥背負う命が重過ぎると、修羅が現れるのかな」 地図に描かれる渡鳥金山。脳裏に嫌な想像が浮かんだが、神咲は首を振って皆の後を追った。 晴れ着姿の柚子平の妹の所に劉達六人が来た。 「結婚おめでとう」 「神音は結婚式の準備のお手伝いをするよ」 「私も準備をお手伝いさせて頂くわ。お式が楽しみね。そうだ、少しお兄さんをおかりして良いかしら」 天霧が自然な流れで話を切り上げ、劉と神咲が柚子平を捕まえる。 全員で別室に引っ込んだ。 結婚式に天奈を呼んだか尋ねると「和輝さんだけ来ます」と言った。 「絶対に天奈さん呼んで。お話してみたいの。恩人が頼めば断りにくいだろーし」 石動に続き、劉も質問の嵐を突きつけた。 天城兄妹の生立ちや人格、知り合う切っ掛、彼らの両親が死んだ事についてと、踏まえて跡を継ぐ事に対して。ひいては彩陣、鬼灯里が心配で覚悟や考えを聞きたいと。 「急に血相を変えて、どうしました?」 「では質問の角度を変えるわ。霧雨の具合の経過は? 見舞いに行ったの? 気にならない? 親友なんでしょ?」 天霧の剣幕に思案し数秒。 「ははぁ、いつかやるだろうと思ってましたが、案外早くに毒牙が。その割には動きが無い‥‥不発かぁ」 「分かるように話してください」 万木が柚子平の耳をつねる。 「イタイ! えー可哀想な身の上故か、妹さんは性格が歪んでるっぽいです。無理もない話ですが、人の上に立つ人種ではないですねぇ。むしろアヤカシに好まれそうな」 「何故、頬染めて話すの」 「研究者ですから。しかし霧雨クンに被害が出たなら潮時ですね。霧雨クンの命の方が大事です。天奈さんの血統や環境からして、ナマナリヒメの器と睨んだのに‥‥あ」 「あんた、今なんて言った」 劉が怖い顔で柚子平を睨みつけた。 「話が見えないんですがー」 万木達に溜息を零した神咲が説明する。 「柚子平さんが相当の狸だって事が分かったかな。ね、劉さん」 「私達を騙したの?」 劉が首を振る。 「ナマナリヒメ、なまなりという言葉は、今は能や歌舞伎でしか耳にする機会がない。意味は‥‥女の怨霊、或いは、生きたまま鬼になった女」 「流石は同じ陰陽師。知識にさほど差はありませんねぇ」 劉と神咲に笑いかける。 「どうも。雑学は豊富な方なんだ。説明してもらおうか」 「確証が集まるまで話す気はなかったんですが、同職がいたのを忘れてましたよ。やれやれ‥‥ここに蔵の取り壊しで見つけた品があります」 懐から取り出したのは小汚い書物だった。 「なんですか?」 萌月が小首をかしげる。 「数百年前の陰陽師の記録で、武勇伝に『なまなり、禍をなすこと』という話があります。美女に取り憑いたナマナリという鬼の怪物と七日七晩戦ったが倒すことが出来ず、鳥が渡る東の地に封じた。と」 「鳥が渡る‥‥東の地?」 萌月が窓の向こうの雪景色を見た。 「察しが早い。五行の都の東にあって鳥が渡る地。それは『渡鳥金山』なのではないか。私が此処へ来た本当の目的は、話の真偽を調査する為です」 「天城の護衛は」 「土地の権力者と懇意になった方が調査範囲は拡大します。ついでです」 腹が立つほど素直な返事に、脱力せざるを得ない。 「ご存じの様に鬼灯は『鬼』に関する習慣や逸話が異常に多い。伝承とは絶えず変化するので、どこまで本当か分かりませんが‥‥例えば地名や独特の風習には理由が伴う。山渡りを行う迎火衆が良い例でしょう」 天霧達の脳裏に記憶が蘇る。 「迎火衆の名は元々鬼火衆だったわね」 鳥居に見立てた里の構造、埋葬に関する逸話、鬼灯の地名の由来、異質な里の成り立ち、子供の詩、山を支配する迎火衆、山を恐れる里の人、三大地主の家紋や力関係、急激に侵食を始めた魔の森、そして今、外で煌めく無数の鬼灯籠と迫った鬼灯祭。 何か関係があると考えるのが筋だ。 「本当に伝説の怪物がいるのか?」 「わかりません」 にべもない。 「確証がないんです。封印に関する資料集めをしようかと考えていました。ただ最近の話にも妙な点は気づきましたよ」 劉が眉をひそめた。 「地下通路が発見されましたね」 「境城当主のお兄さんが使った道だな」 「それ『一体いつからある』んでしょう?」 神咲が眉をひそめた。 「金山から屋敷の下に通路を掘る大工事、一朝一夕ではできませんよ。人手と年月が必要なはず。兄君が生還した時、既に屋敷は焼かれていた。誰かが通路の存在を知っていたら抜け道を持つ天城家を焼くなんて、バカな事はしないでしょう。しかし誰も通路の存在を知らなかった」 「大昔に必要に迫られて造ったのか?」 劉が唸る。 「他にもありますよ。当主達が持つ古地図にも明確に位置が載っていない様々なものが」 天霧が「どういう意味?」と追求する。 「さあ? 忘れ去られた秘密が色々転がっているようですが」 柚子平は両手を叩いた。 「海老鯛作戦は失敗です。さて天奈さんを結婚式に呼びますか」 「海老で鯛‥‥海老にされてた事を知ったら、霧雨さん、怒り狂いそうだな」 「実際にする気はありませんでしたよ? 何故か来ちゃいましたが」 あんたが失踪した所為で呼んだよ。 数名が胸中で罵った。 田畑を人の背丈も掘れば、固い地盤に当たるものだ。 地下通路は真っ暗で空気が酷く澱んでいた。引火を恐れて蝋燭や松明は一切使わない。 三人が横に並ぶのが精々な広さで、劉の背丈では頭をぶつける高さだ。 「時々空気穴があります。犬など獣を調教して暗闇の道を抜けていたようですね」 境城家迎火衆の山彦曰く、謎の横穴が沢山あいていて、壁を伝うと迷子になるらしい。実際に、何体か白骨遺体があった。劉も犬を腰に繋がれたが、念のため人魂を飛ばす。試しに壁に手をつくと無数の溝が真横に走る事に気づく。五本一束で、時々途切れている。指に触れる薄片が妙に気にかかった。 「連中は屋敷で薬を飲ませ、動けない者を担架で運んでいたとみられ‥‥どうしました?」 「いや。なんでもない」 やがて採掘場に到着し、光の下に現れてから掌を見た。透明な鱗のようなもの。 目をこらして、ゾッ、と肝が冷える。 固い壁に膨大に刻まれた五本で一束の真横に走る溝。時々あった鱗は『人間の爪』だ。 屋敷から採掘場方向に付いた『もがき抵抗し、真横に引きずられた爪痕は、いつの時代の誰の物』なのか。劉はその後、十年前の話の聞き込みついでに職人達の指を見て回ったが、誰一人として爪のかけた者はいなかった。 徳志は単なるバカではないらしい。 人払いし、椅子に腰掛けた大蔵と徳志の二人きり。大蔵は順に問うた。 『職人拉致の目的は?』 『山中でアヤカシの被害も受けぬまま、数年に渡って職人の拉致に成功し続けてこられたのは何故か?』 『何らかの有効なアヤカシ避けの術を持っていたとするならば、何故先日の渡りの際は上手くいかなかったのか?』 『天奈とは何時どういう経緯で知り合ったのか?』 総じて黙秘。 仏像と語らうような空しさがこみ上げる。溜息を零して大蔵は頭を切り換えた。 放置はできない。折角の生き証人だ。亡き者にされては困る。 「お前さんの為になる話をしよう。まず天奈からの差し入れには口をつけぬようにな。命の保証をしかねる。それと天奈が卯城の家に、徳志殿の妻でなく妹、つまり当主の養女として入る道に気がついたとしたら何とする?」 「養女?」 「思うに、お前さんには二つの道が有る。一つ、天奈様とつましく卯城の家を守っていく道。二つ、拉致の責を一身に負わされ総てを失う道。‥‥洗いざらい話してくれぬか。今なら間に合う、我等もお前さんの力になれるかもしれぬ」 「‥‥っ」 揺れている。信じたい思いと、目の前の現実。大蔵は立ち上がる。 「また来る。その時に返事を聞きたい。遅くなると手に負えなくなるやもしれん」 一言脅しをかけて、大蔵は立ち去った。 鉱山から戻った劉と神咲が彩陣へ向かった頃、境城家では結婚式が行われていた。 この華やかな衣を手に入れるために、散々な苦労をさせられたものだ。 本来ならば皆で花嫁を祝っているはずだが、生憎とみな役目がある。 式場に唯一残った石動と天霧は、天奈に張り付いていた。 柚子平に拝み倒させ、来るようにし向けた。 天奈の『師』が誰なのか、石動は気になった。 『わー! 天奈おねーさん、ありがとう。全然痛くないよ!』 意図的にくれおぱとらの爪で怪我をして泣いてみせた。少々危険な手段だったが、天奈は自分の愛用している軟膏を差し出したのだ。痛みを感じなくなる麻酔作用と、切り傷や腫れ物に対する薬効がある、と。欲しいと話すと自分で作ったものだからという。 『神音も覚えたーい』 返ってきた答えは『調合が難しいから修行が必要よ』というものだった。 宴も闌という頃に「霧雨様が心配ですから」と天奈が席を立った。帰られては困る。 「待って頂戴。実は見舞いに伺ったのだけど、一目でも会わせて頂けないかしら」 「でも、お加減が優れない以上は少しでも長く休息される時間が必要かと」 「でも彼は大事な仲間だし、私の依頼主でもあるの。会わせられない理由でも何かあるの? そんな事ないわよね? 二言三言だけでもいいのよ」 キラーッ、と輝く天霧の後光。 「霧雨様に伺って参ります」 神音が天奈の袖を掴んだ。 「天奈おねーさん帰っちゃヤー! 禄多くんと一緒にお話してくれる約束だもーん!」 みつきめあそびの謎の詩や天城家の栄光、知りたい話は幾らでもある。 里を懐柔する気なら、慕う子供の相手を無下にはすまい、と。 彩陣に向かった神咲と劉は、やや遠回りになるが、炎龍のアリスと駿龍の凛麗にまたがり、前回大蔵が渡った空路を使う。近距離の道では危険極まりないと判断したのだ。遠巻きに見ていると、魔の森は道にかかっている程度のはずなのだが、放っておけば獣道になるだろう。 「詳しくは年明けか。晴れた日でも」 別れ際に祝千と温泉水を置いた帰り道、劉と森の様子を長めながら戻る神咲が呟く。 「霧雨への伝言は後日伝えるとして‥‥彼も僕らも皆守りたいだけなんだろうにね」 多分、和輝も。 炎が揺らめく鬼灯籠。 鬼面を被った人で溢れる道。 「荒っぽいけど霧雨さんを救出する事だけを考えよう」 久遠院は破錠術で難なく屋敷に入り込んだ。 祭の準備で迎火衆の多くが出払っている。萌月は不安げに呟く。 「卯城の方たちは、何処まで‥‥知って居るのでしょう」 ルイの先導を受けながら、最奥を目指す。時折遭遇した迎火衆の若者は、可哀想だが少々眠ってもらった。各所に鍵が設けられていたが、順調に破っていく。 不思議なことに、徐々に人気が減っていった。 人払いでもして出かけたように。 抹香に似た匂いがする。 奥へ進むたびに、頭に影かかかった。体が重い。 霧雨の部屋へ来ると、匂いが一層酷くなった。指の感覚が薄れていく。 「よかった霧雨さ」 「これは、吸いこんじゃ‥‥だめです」 毒草の知識に長けた萌月が袖で口を覆った。 皆も準じる。充満する煙にたじろぐ。人払いがされている理由を今頃察した。 「かなり色々‥‥毒草が混ぜてありますが‥‥主原料はヒカゲシビレタケだと思います」 四隅に配置された香炉。 霧雨の枕元に置かれた調合された品を、萌月と久遠院が手早くしまう。 「僕、聞いたことあるかも。山に自生してる毒キノコだっけ?」 久遠院が目眩をおこしつつ記憶の糸をたぐる。 「はい。大昔、祭事に使われた茸‥‥です。記録によれば、吐き気や手足の痺れ‥‥幻覚症状が出て、服用者は瞳孔が開いて‥‥外の光を、極度に恐れるように」 えげつない。 「少なくとも‥‥こういう時に、使う物では無い筈です」 「何か対策してるだろうとは思ったが、あの女。長居すると俺達も危険だ」 酒々井が促すと「全く霧雨さんはどうしようもないですね」と万木が天火明命で膿んだ怪我を癒す。手足の拘束を解き、霧雨を覚醒させる。何か譫言のように呟こうとするが舌が回らない。 「俺が支える。先導と護衛を頼む。霧雨、しっかりしろ」 酒々井の言葉に何か言おうとするが、言葉にならない。歩けるだけ幸いだ。 「裏路地に、鈴を‥‥待たせてます」 久遠院達は霧雨を連れて脱出し、人混みに紛れて萌月の炎龍に霧雨をのせた。 「おまたせしましたぁ」 柚子平だ。隣にいるのは天霧。 結婚式が済み、石動が地元の子と共に天奈を質問責めにしているらしい。 霧雨の姿を見た天霧がほっと息を吐く。 「良かった。このまま置いて帰れないし、担いででも一緒に連れて帰ろうと思っていたの」 結陣まで萌月達数名が同行する。二匹の竜は大空へと羽ばたいた。 里を去る夜、鬼灯祭で里は賑わっていた。偶然、和輝とすれ違った神咲が囁く。 「和輝さん、と呼べば良いのかな? 霧雨さんは、仲間が助けたよ。僕たちは、知ってしまったからね」 ぴたりと足が止まった。顔は合わせないが、耳は話に傾けられた。 「香華さんの結婚式、綺麗だったそうだね。あれは柚子平さんが妹の為に手をつくした成果だよ。君の妹を助けられるのは君だけ。妹を幸せにしたいかい?」 「妹は幸せだ。今は不幸でも」 「いつか報われる日が来る? それは本当の幸せかな。外には、依頼人に力を貸してくれる組織がある。抱え込んでも、得なことはないよ」 返事はなかった。すれ違ったまま、二人は廊下に消えた。 酒々井は大蔵及びと久遠院共に、卯城当主に面会していた。 「成る程。君らは二手に分かれていた訳か」 「真実の解明が急務であった故、どうかご容赦願いたい」 「徳志の企み、半ば気付いてて黙ってた。こんなことになって、申し訳ない」 謝罪を含め、尋問結果を報告し、ルイの聞いた話を伝えると卯城当主は憂鬱な顔をした。 「儂は息子に期待しすぎたか」 酒々井が話を整理する。 「職人が囚われていた場に黒鬼面がいたのは事実だ。ルイが聞いた天奈の話で『徳志が彩陣の職人を私欲で飼い殺した』って発言がある。迎火衆を指揮する徳志が職人誘拐に関与した可能性は高いし、天奈は黙認した節がある。俺は、現状は天奈を追求する気はないが」 「拉致の一件、徳志殿を巧みに利用し事に及ぼさせた者がいたとするなら、その者も罰を受けるべきと思われますかな?」 大蔵の瞳が光る。 当主は煙管を置いた。 「言いたいことに察しはつくが、儂は、それに答える資格は持っておらん。天奈達が真に天城の子ならば、儂は名付け親になる。子を叱るのは親の勤めだが、愚かな儂には無理だ」 彼らは『償いきれない負い目』を察していた。 「三十年前の事件のせいか? 飢饉の年だと境城の方で聞いた奴がいる。卯城におとしめられた、とも。崩落事故が口減らしとすりゃ、その目的が明かされず、手段だけが漏れたことで、天城が焼き討ちされた‥‥そんなところじゃないか?」 「穿ったところをついてくるな」 「ボクたちは過去の闇や罪を暴きたいわけじゃない。でも今起っている事の原因がそこにあるなら出来れば話してほしいな。このまま抱えて、すれ違って溝だけが深く修復できない‥‥それは良い事だとは思えないんだよ」 「はは、修復か。アレは『事故』だ。秘密を教えよう」 卯城の当主は古い帳面を持ち出した。 「我が家に伝わる秘伝書だ。恐るべき緻密さで金山と採掘の手段が記されておる。しかも何故か『自然な落石の起こし方』までな」 一瞬、三人は耳を疑った。 「これは門外不出の忌み書なのだよ。鬼灯は何年かに一度飢饉が起こる。不運にも鉱物が掘り当てられない年だとする。すると里が疲弊する。やがて弱い者が犠牲になる。子供は宝だ。一定の無駄飯食いが邪魔になる。しかし非人道的な事は絶対に許されてはならない。心労を背負いたくない里人全体から、地主に暗に頼まれる事はなんだと思う?」 「建前か」 大蔵の凍った声がした。 「誰よりも『重い責任』を負うのが上の仕事だ。皆は口々に言う。『不慮の事故で大勢が亡くなった。元々危険な仕事だから、運命だったに違いない。仕事に一切の不備はなかった。幸いにも若者だけは生き残った。せめて皆で先祖を手厚く葬ろう』そして嘆き悲しむ。‥‥吐き気がするほどよく出来た話だ」 一人の思惑で進む話ではない。 「では古くから里全体が共謀」 「続きを言ってくれるなよ。あれは『事故でなければならない』、そして儂は手順を誤った。里の女達は『全員死んだ』と思ったのさ。境城の現当主は‥‥次男の方は若造でな、兄と違いしきたりは知らんよ。騙された貶められた、俺に罪はないと、声を大にして言えたら‥‥どんなに楽だろうな」 涙も涸れた声だった。 「天奈が仮に予想の通りだとして、行いを責められる者は、儂らの代にはおらん。形は違えど、日陰で遙かに惨いことを成してきた。己を棚に上げて責められるほど、恥知らずではない。誰かに命を狙われたら、儂は喜んで差し出すだろう。儂はもう疲れた」 遠い笛の音色。 飢えた先祖を供養し、死者と戯れる鬼灯祭のにぎわいが外から聞こえる。 願わくば、新たに開かれた山道が里に変革をもたらすことを。 祈るような言葉が唇から零れた。 |