【痕】痛みをこえて
マスター名:四月朔日さくら
シナリオ形態: シリーズ
EX
難易度: やや難
参加人数: 5人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/05/27 20:57



■オープニング本文

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 少年は目を閉じている。
 思い出すのはかつての日々。
 懐かしい、二人の学友。
 けれど、彼はもう二度と、その学友を見ることはない。
 なぜなら、その瞳は。
 光を永遠に、失っているのだから。


「この間はありがとう」
 月島千桜(iz0308)は、改めて礼を述べた。
 集まった開拓者たちも、優しい眼差しで頷く。
 千桜と、その学友であった茉莉の仲違いもいまはすっかり鳴りを潜めているらしく、先だっても千桜のもとに手紙が届いたということである。
「もともと一番学問好きなのは彼女だったから。今は、師匠からお仕事を分けて頂いてるみたい」
 家の外にでるのが困難な状態で生活の糧を得るのには、確かに良い手段であろう。大都市から離れての作業では、難しいところもあるかもしれないが、なにもせずに才能を腐らせるよりもうんといい。
「それで……もう一人。紅葉の、事なんです」
 その名前を言う時の響きがわずかに曇っていることを、開拓者たちは感じることが出来た。
 紅葉。
 千桜の学生時代の親しい友人で、自分たちが起こした事故によって光を失った――【少年】。ちなみに、読みは『くれは』である。
 彼の所在地は、以前調べたことでおおよその見当が付いている。
「紅葉は、自分たちの過ちのせいで、一番取り返しの付かない状態になってしまったから……今、彼がどう思っているかはわからないれど、謝ることができたらと思って」
 彼の故郷は朱藩南部。
 どう謝ればいいか、まだ千桜も決めあぐねてはいるが――この自分の今の思いを、素直にぶつけたいと考えている。

「なにもできないでモヤモヤしているより、きちんともう一度話したくて。お手伝い……してもらえます?」
 千桜の恐る恐る言う声に、開拓者たちは頷き返したのだった。


「……会いたいな」
 少年は小さく言葉を紡ぐ。
 光を失っても鮮やかに思い出せる二人の友人。
 今、何をしているのだろう……?
 少年は懐かしそうに、もう一度言葉を風に乗せた。
「会いたいなあ……」


■参加者一覧
ルオウ(ia2445
14歳・男・サ
御陰 桜(ib0271
19歳・女・シ
无(ib1198
18歳・男・陰
蓮 神音(ib2662
14歳・女・泰
葛 香里(ic1461
18歳・女・武


■リプレイ本文

 ――ひかり。
 それは物理的な意味も持つし、あるいは精神的な意味合いを持つこともある。
 ものを『見る』ことのできなくなった少年は、いま、『ひかり』を見出しているのだろうか。
 
 それは本人にしか、わからないことかもしれないけれど。


 開拓者たちの待ち合わせは安州、愛犬茶房であった。
「それにしても、何度もわがままを聞いてくれて、本当にありがとう」
 依頼主である月島千桜(iz0308)は改めて何度も頭を下げる。
 彼女がおかした過去の過ちを、彼女自身が見つめなおし、当事者たちにもう一度会って話をしたいという――それは、まさしく贖罪のための巡礼と言っても過言ではないだろう。
 集まってくれた仲間たちは、そんな千桜のことを好ましく思ってくれている――のだろう。だからこそ、人だって集まってくれる。
「そういえば、茉莉が手紙くれたんだって? 良かったじゃん」
 そう言ってニカッと笑うのはサムライのルオウ(ia2445)。今回もその持ち前の明るさが、千桜のみならず皆の心を暖かくさせるのが、見ているだけでわかる。
「それに、乗りかかった船っていうのもあるけど、イイコ達には笑って過ごしてほしいものね。ここまで来たら、最後まで付き合わせてもらうわよ♪」
 同じく、いつも明るい笑顔を振りまいてくれる御陰 桜(ib0271)。彼ら「仲間」の存在が、どんなに力強く感じられるものか、千桜は改めて実感していた。
「でも、本当にこの間の茉莉さんと和解できてよかったよ。もう一人の紅葉さんともうまくいくといいんだけど」
 そう言ってポンと千桜を励ますように肩を叩く泰拳士の蓮 神音(ib2662)。まだ彼女は幼いが、逆にその若いが故の有り余る元気さが、千桜はもちろんのこと、他の仲間達にも明るい空気を与えているのは見ているだけでも十分わかって、微笑ましい。
「今回も神音たちにまかせて!」
 そんな言葉も、ひどく心強くて、千桜は笑顔で頷く。
「うん、ありがとう」
「気にしないで、ね!」
 神音が笑顔を浮かべる。その一方、横にいた葛 香里(ic1461)は、ここまでに聞いていた話を思い出してぼんやりと思った。
(でも、紅葉様はお一人だけそこまで重い怪我を負っているなんて……もしかしたら、女性お二人をとっさに庇われたのかもしれませんわね)
 千桜、茉莉、紅葉――同年代で、朱藩出身の、同門の少年少女。
 彼らの関係は、果たしてどんなものだったのか。
 ただ、少年がかばったのだとしたら……なんて、美しくて、悲しい話。
「でも、光を失う――ね。でも、心にはまだあるはず」
 そう誰にともなく呟いたのは、无(ib1198)だ。それを聞いた玉狐天のナイが、目をパチクリさせる。无の言うことはもっともだと言わんばかりに。
「そうだ、都の先生に、会いに行こうかと思いましてね」
 无はそう、言葉にする。千桜や仲間たちは、おお、と声を漏らした。
「今回、特に茉莉の件で、先生にもすでに随分世話にはなっているけれど、紅葉のことについてはもう少し調べておきたいですしね」
「それは私も同感です。時間の余裕はあまりないかもしれませんけれど、あらかじめ何か調べておいたほうがいいことは調べてから出立した方がいいでしょうから」
 香里も優しげに頷いた。
「じゃあ……今回はあたしも、先生に会いに行きたいです」
 千桜が、そう言った。周りは一瞬ぽかんとしたが、すぐに頷いてくれたのは、千桜が良き仲間に囲まれている証拠、なのかもしれない。


 神楽の都の一角に、陰陽師を目指すもののための私塾がある。
 千桜はかつてここで教えを請うていた。茉莉や、紅葉とともに。
 そして今、千桜は无とともに久々にここに足を踏み入れたのである。
「おや、またいらしたのかね……」
 かつて千桜の師匠だった老人は、教え子の姿を見て目を大きく見開く。そして、ポツリと言葉を漏らした。
「……久しぶりじゃな」
 その声は静かで、そして優しい。かつて三人で競い合いながら通っていた当時を思い出して、少女の瞳には涙が浮かんだ。

「お前さんたちがここを出てから、この私塾も少し生徒が減ってのう」
 老人は苦笑しながら茶を振る舞う。
 言われてみれば、千桜がいた頃よりもずいぶんと閑散としていた。……自分たちの起こした事故がその遠因になっているのかもしれないと思うと、千桜はちりちりと胸が痛くなった。
「今日は、その。千桜と茉莉の友人だった紅葉に、これから会いに行くという事になりましてね」
 无が簡単に説明をすると、「ふむ」と老人は頷いた。
「茉莉の件については本当に有難うございます。あの子も、故郷でずいぶんやる気を取り戻したみたいなので……。それで、紅葉にも会って……いろいろ話したいことがあるんです、あの事故のあと、すぐにバラバラになってしまったから」
 千桜が熱っぽくそう主張すると、老人は目を細めた。
「千桜も茉莉も、そして紅葉も。良い生徒に囲まれて、儂は幸せじゃな」
「それで、紅葉のことについてなんですが」
 无は言葉を引き継ぐように続けた。
「あなたからみて、紅葉の傷の具合というのはどうだったんですか?」
 老人は顎をしごく。
「……そうじゃな。あの時の事故で一番ひどかったのは、紅葉じゃよ。両目と、それに手と足と……そのままではとてもじゃないが見ていられんくらいじゃった。でも、あの子がいたから、千桜や茉莉がまだあの程度ですんだ、といえるかもしれぬがな」
 それほどまでだったのだろうか……千桜もあの時を思い出して、わずかに震える。
「それで、提案なんですがね」
 无は自身が青龍寮の所属ということを告げ、そしてその提案は――思いもよらぬものであった。

「人魂の術を改良して、視覚を取り戻すことは可能ですかね?」

 ――人魂の術。
 それは符を小動物に変化させ、その小動物と術者自身の視覚と聴覚を共有するという陰陽師の術の一つである。無論その術は式が消えれば消滅してしまうが、たしかにそうすれば盲ていてもあるいは――というわけだ。
 これは千桜も初耳だったようで、目を丸くしている。開拓者たちで相談して、こういう手段はあるだろうかと考えていたらしい。
「……ふむ」
 老いた陰陽師はその発想に、わずかに眉を上げた。
「面白いことを考えておるな。ただ、少なくとも前例はないと記憶しておる。今後もそうである可能性は高い。無論、やってみんとわからないが……本人がそれを望んでいるかはまた別問題じゃがな」
 老人はそう言って顎をしごく。しかし、すっと顔を引き締め、そして无に頭を深々と下げた。
「この千桜のこともそうじゃが、開拓者さんたちのおかげで狂いかけた人生がもし元に戻るものなら……儂も、及ばずながら力を貸しましょうぞ。それに、あの子たちの心の傷を癒やすのは、師としての務めでしょうからな。どうか、改めてよろしくお頼み申す」
 无は、頷いた。そして思うのだった。千桜の行動で救われた人は、ここにもいるのだな――と。


 仲間たちは安州で再度落ち合うと、とりあえず紅葉の住む故郷、朱藩南部に行ってみようということになった。
 なんだかんだ言って、やはり行動を起こさないとすべて始まらない。
「紅葉ちゃんって、優しいコだって言うから多分大丈夫だとは思うんだけど、事故のせいで恨んだり、ココロに闇を抱えちゃってたりするかもしれないわよねぇ? 万が一、ってことがあるから」
 桜はわずかに眉根を寄せて考えこむ。普段明るい彼女を知っている千桜からすれば、そんな桜の真剣な面持ちは嬉しいと同時になんだか少し申し訳がない気分にさせられる。
「ダカラね、その万が一を考えて、千桜ちゃんが会うよりも前に一度あたしたちが接触して、様子を見極めたほうがイイかもしれない、と思ってるの」
 言われてみればそれもそうだ。
 もし茉莉の時のように自暴自棄に陥って話もまともに聞けないような状態であったなら、この依頼の依頼主である千桜を危険に晒す可能性も少なくない。
 いや、依頼主だとかそういうこと以前に、千桜はすでに桜を頼れる存在だと認識している。それは桜の方とて同じ。だからこそ、余計に危険な目に合わせる訳にはいかない――そう考えるのだった。
「そうですね。この間のように、村の方からお話を聞くのも大事だと思います。お医者様などなら、現在までの容態の経過や視力の回復の可能性などもわかるかもしれませんから」
 香里も、優しく頷く。
「……病だけではなく、怪我も気持ち一つで変わると思うのです。会える機会を見つけてまいりますね」
 そのとおり、病は気から。
 千桜自身も気に病んでいて、結局なかなか踏み出せなかった一歩――しかし歩み始めることができるのなら、きっと他のものだって同様のはず。
 とりあえず、身体に負担をかけられない千桜より一足早く、何人かで様子を探ることになった。


 その村は本当に小さかった。
 朱藩南部、どちらかと言うと貧しい村にはいるだろう。そこに、紅葉は住んでいたのだという。幼い頃から。
 海が近いためか、わずかな潮の香りも漂ってくる。千桜が現在暮らしている春夏冬は内陸の街だから、同じ朱藩国内とはいえずいぶんと様子が違っていた。
「おや、お客人かい?」
 しかし人の優しさというのはどこも同じ。見慣れない出で立ちの神音を見て、日に焼けた青年が話しかけてくる。
「はい。神音たち、開拓者なんです」
「とある人からの依頼で、この村の出身だという紅葉という人に会いたいんだけど、いるか?」
 ルオウも言葉を続けた。と、村の若者達は複雑そうな顔をする。
「紅葉――は、今は目や手足やらをやられちまってて、満足に動くのが厳しいんだけど……それは知ってて?」
「それは知ってるんだけど……何か問題があるの?」
 神音が問う。
「いや。ただ、あいつはちょいと人見知りだからな。この村は魚を捕まえたりすることを生業にしている人が多いんだが、あいつはもともと頭がいいかわりに運動とかが苦手で、その上人見知りなもんだから、あんまり訪ねてくる友達っていうのもいなかったんだ。それで、学問はそれなりにできるし、志体持ちなのもわかって都に行ったけど、ひどい怪我で戻ってきてさ。詳しいことは話してくれないけど。だからさ……ああ、いや、あんたたちも友達とは言いづらいかもしれないけど、そうやって訪ねてくる人がいると思わなかったから、ちょっと驚いてさ」
 仲間はずれとかそういうわけではない。ただ、孤立しやすい性質なのだと村の若者は説明する。必要最低限のやりとりで生活をする、そういう種類の人間らしい。
「ご両親はおられないんですか?」
 香里は首を傾げると、
「ああ、あいつの両親は、あいつが都に行ってまもなく、はやり病で亡くなっちまってさ。まあこの村の出身だし、あいつの親類もこの村にはいるけどな……あんまり迷惑かけられないからって、一人暮らししてるけどさ。そんなかんじだからさ、大怪我をして戻ってきた時も、最初はずいぶん苦労していたみたいだったな。最近は相棒にいろいろ手伝ってもらって、なんか書き物を頼んだりしているみたいだけど。帳面とか、墨とか、あの身体じゃ使うのに苦労しそうなのに結構相棒が持ち帰ってるみたいなんでね」
 なるほど、相棒にずいぶん身の回りの世話を焼いてもらっている状態らしい。これは茉莉も似たような状態だったので、ある程度予想の出来たことだったけれど、この様子から察するに相棒がずいぶんとしっかりしているようだ。この村に親類もいるということで、むやみに頼るという事こそないが、生活もそれなりに安定しているらしい。
「実は今回の依頼主は紅葉さんが都にいた頃仲が良かったっていう元開拓者で、今どうしているかって心配して様子を見に来たんだ。本人も足が少し悪いから、今はこの村にはいる手前で待っているんだけどね」
 ルオウが説明すると、なるほどと村の青年たちは頷く。
「あいつにも、そうやって心配してくれる人がいたんだな。それだけでもずいぶんありがたい話だけど」
 青年たちは、そう言って彼の家の所在を丁寧に教えてくれたのだった。

「――そういえば」
 无は、千桜にポツッと尋ねる。
「今更ですけど、今の想いは整理、出来ていますか」
 千桜は一瞬息を呑んだが、すぐにコクリと頷いた。
「あたしは、紅葉も、茉莉も、不幸になってほしくない……というか、荒んだ生活をしてほしくないんです。事故のせいで体が満足に動かなかったりして、なんていうか……人並みの幸せを送れるかというと、あたしには判断つきかねます。でも、今この一瞬も大事にして生活しているのなら、それは紅葉や茉莉にとって、幸せなことなんじゃないかって、そう思うんです」
「なるほど。それならきっと大丈夫じゃないかと思いますよ。千桜さんの場合は、不安かもしれない。でもその不安も含めて飾ることをせずにそのまままっすぐに伝えればいいと、そう思います」
 无はそう言って、静かに微笑む。
「そうね。千桜ちゃんのそういう真っ直ぐなところ、あたしはとても大切だと思う。大丈夫よ、きっと」
 桜も笑う。やがて先発隊が戻ってきて、紅葉の住まいがわかったと報告してきた。
「さあ、行きましょうか。……大丈夫。たとえ何があっても、あたしは最後までつきあせてもらうわよ♪」


 村のやや外れ、海からは距離のある場所。
 そこに、こじんまりとした家が一軒立っていた。これが紅葉の住まいらしい。
「まずは、千桜さんよりも先に神音たちが面会してくるね。この間みたいなことがあってもよくないし」
 この間――茉莉の時、彼女はずいぶん自暴自棄になっていた。それを思い出して、一対一にするのは危ないかもしれない、そう感じたのである。
「……よろしくお願い、します」
 いくら信じているとはいえ、仲間であったのは過去のことには違いない。当時と今とで違いがないとは言い切れない――だから、千桜は言われるままに従う。
「そうだ、千桜さんにはこれを貸すね」
 神音が渡したのは香水。盲ていても、コレなら匂いで千桜の居場所を判別できるであろうという心遣いであった。
 千桜は、もう一度、深く頭を下げた。

「こんにちは……紅葉さん、いらっしゃいますでしょうか」
 香里が、慎重に声を上げる。
 屋内はわずかに薄暗い。光を失っている青年の住まいだから、そうなってしまうのかもしれないけれど。けれど、屋内は清潔であった。相棒の人妖が、手を加えているのかもしれない。
「……紅葉は、僕ですが」
 と、部屋の奥の方からやや細い、しかし凛とした声がした。行ってみると、ゆったりと座椅子に座り込んでいる、まだ少年と言って差し支えないくらいの若者が一人、そこで静かに佇んでいた。目には、白い包帯。
「紅葉ちゃん、ね。あたしたちは開拓者なんだけど――」
「開拓者、ですか? 何の用かはわからないですが、こんなところにようこそいらっしゃいました」
 少年の受け答えは、よどみない。開拓者たちも、そんな少年に好感を覚えた。
「ああ。俺はルオウ。よろしくな」
 続けて入ってきた桜は、優しく紅葉を抱きしめる。目の見えない彼にとって、触れ合うことが存在の確かな証明だからだ。とはいえ、紅葉の方はわずかに顔を赤らめていたけれど。
「あたしは桜よ、ヨロシクね♪ その身体だと色々と不便だとは思うけど、特に困っているコトとかあるかしら?」
 そして、
「私は葛 香里と申します。月島千桜さんのことは、ご存知ですよね?」
 香里がそう、尋ねると。
「千桜――? あの、千桜って、月島千桜のことですか?」
 紅葉は、わずかに声を揺らがせる。しかし、その揺らぎに怒りの色は見受けられなかった。どちらかと言うと、ひどく懐かしげで、そして同時に驚いたという感じだ。
「どうしてるんですか、今、千桜は。僕はこうなってしまってからすぐに戻ってきたものの、千桜と茉莉のことが気にかかってるんです。ずっと、ずっと――」
「――ご主人!」
 しかしそこで声を遮ったのは、甲高い少女のそれだった。見れば、泰国風の衣装に身を包んだ人妖が一体、頬をふくらませて腰に手を当てている。あれが彼の相棒の人妖、ということだろう。茉莉の相棒であった猫又に比べ、気の強そうな印象を受けた。
「申し遅れました、自分は人妖の遥といいます。それよりもご主人、急いで聞いても始まらないですよ。とりあえず落ち着いて。お茶を用意しますから、ね?」
 
 彼は、事故のあとに都を去った中では一番最後だったという。そして、彼が最後に目にしていた光景を、ぽつりぽつりと口にした。
「あの禁じられていた術式を試していた時、突然衝撃が走って……二人が悲鳴をあげたんです。僕は慌てて術の展開を中止して、二人の様子を確認しに行こうとしました。ちょうど三人で、正三角形を描くように立っていたのだけど、様子を見に行かなくちゃ、って思ったら、身体が動いていました。その時点で恐らく術は暴走していたんだと思います。そして、」
 ……気が付いたら、彼は両手足に深い傷を負い、光を失っていたことに気づいたのだという。
「そこは僕らが当時住んでいた家から近い医師の家でした。あの事故があってすぐに僕を回収してくれたんだそうです。かなり危険な状態だったそうですが、なんとか命は取り留めることが出来ました。でも、二人は先に都を去ってしまって……話すことも出来ないままで」
 長らく意識を失っていて、気づいたら友を失っていた……それは想像したくてもなかなか出来ない。いや、したくないというべきか。
 お互い心に傷を負い、そのまま帰郷したというわけだ。そしてその傷は、まだ癒えていないのだろう。
「……んで、どうする?」
 沈黙を破ったのはルオウだった。
「どうする、とは」
「千桜は今、ここと目の鼻の先まで来てる」
 えっ、と驚いた声を上げる人妖。ルオウはもう一度、確認するように尋ねた。
「千桜に、もう一度会いたいか?」
 紅葉は一瞬ぽかんと口を開け、そして首を大きく縦にふる。
「あのままは、嫌だ。僕からも、伝えなきゃいけないことがあると思うんだ」
 声はわずかに震えていたが、それは恐れというよりも緊張だろう。
「……千桜さんもね、すごく苦しんできたんだって」
 神音が言葉を続ける。
「この間、茉莉さんにも会ってきたんだ。お互いに、背を向けてたらダメだよね、やっぱり。茉莉さんと会ったときに、すごくそう思ったんだ」
 そして先日の、千桜と茉莉との間のやりとりや顛末をざっくりと話す。足が満足に動かなくて半ば自暴自棄になっていた茉莉のこと、そして彼女も失ってしまった何かを取り戻すために動き始めていること……。
「そうか、茉莉も元気なんだね」
「ええ。あのお身体でこちらへくるのは難しいでしょうけれど、懐かしがっておいででした」
 香里も付け加えた。
「今、千桜様は外で待っておられます。どうか、千桜様とお会いする機会を頂きたいのですが……これは私の勝手な想像ですが、紅葉様がお二人を庇われた、あるいはかなわずとも庇おうとなさったのなら、その無事というのがきっと何よりも、心の糧となりましょう」
 全ては取り戻せなくとも、痕は少しずつでも薄れるだろう。
 会うことで何かが変わるのなら、会うべきだと。そしてそれは、その場にいる誰もが少なからず思っていることだった。
「ご主人、この人達いい人ですねっ」
 人妖が言うと、
「そうだね。……千桜に、会いたいです。連れてきていただけますか?」
 しっかりとした口ぶりで、紅葉はそう告げた。


 外で待機していた无と千桜は呼ばれて屋内へとはいる。
 神音が貸してくれた香水をつけた千桜からは、上品な森の香りがした。
「いい香りがするね……もしかして、千桜?」
 その声音は、優しい。口元が、自然にほころんでいる。
「紅葉……」
 千桜は息を呑んだ。話したいことは山のようにあるのに、言葉が出てこない――。しかし、かつての姿と大いに異なる友人のなりに、一滴涙をこぼした。
「千桜さん、ご主人はずっと千桜さんと茉莉さんを気がかりにしていたですよ。でも連絡先がつかめなくて……」
 遥が、そう言ってペコリと頭を下げる。周知の間柄なのだろう、千桜は慌てて涙を拭い、そして言葉を紡ぐ。
「……紅葉、ごめんなさい」
 その言葉だけでは、伝えきれないかもしれないくらいの想い。
 神楽の都で起きた事故のきっかけは自分だったのだからと、怪我を負った二人に謝りたくてならなかった千桜。しかし、紅葉は首をゆるりと横に振った。
「ううん。僕も、男なのに……千桜や茉莉のことを庇いきれなかった。本当に、ごめん」
 そのくせこれだけ傷ついてるんだからしょうもないよね、と彼は苦笑する。
「遥に頼んで、届くわけでもないのに手紙を書いてもらっていたんだ。手紙、というよりも手記かな。これまでのことを思い出しながらね」
 遥はその帳面を見せる。人妖が使うのだから小ぶりではあったが、なんとか開拓者たちも解読が可能な程度の大きさだった。そこには、都に出る前から今日に至るまでのことが、事細かに記されていて、彼の几帳面さがうかがえた。
 そしてその中には、恨みがましい言葉はひとつもなかった。
 むしろ、二人の仲間を気遣う言葉が山のように書き連ねられていて、読んでいるこちらが微笑ましく思ってしまうくらいだ。
「また、三人で会えたら……いいな」
 懐かしそうに、紅葉が言う。会って話したいことは、やはり山のようにあるのだ。それは、千桜だって同じことだけれど。
 ――と、无が口を開いた。
「そういえば、目が見えないということだけど。紅葉さんたちの師匠にも確認して、前例はないと言われましたが……あくまで可能性ですけど、擬似的な視力を得る方法を、研究することは出来るんじゃないかと思うんですよね」
「擬似的な、視力……?」
 思いがけない言葉に、コクリ、と紅葉の喉が鳴る。
「そう。人魂の術、ってあるじゃない? あれを使えば、式と視覚の共有ができるから――」
 桜も言葉を付け加えると、紅葉はああ、と頷いた。声が、わずかに震えている。
「可能、なのでしょうか」
「それはさっきも言ったけどわからない、けど。前例もないそうだから、不可能なのかもしれない、けど。でも、研究してみる価値はあるんじゃないかと思ってる」
 陰陽寮出身の无は、力強く頷く。その気配が伝わったのだろう、
「そうか……思っても見なかった」
 紅葉は、口元をわずかに歪ませた。包帯の奥では、ひっそりと涙を流しているのかもしれない。
「どっちにしてもさ。歩き出すには、パワーが要るよな。これって、いい機会なのかもしれないぜ?」
 ルオウが言う。――彼は思い返していた。己の、腹違いの兄を。
 その出自などからすれ違い続け、なかなか会うことがかなわなかった兄。出会ってもその距離は縮まる気配を見せない。もちろん、彼はその距離を縮めたいと思っている――が、同時に思う。
 もう少し、早く出会えていればと。
 そんな自分の苦い記憶を思い返しながら、ルオウはぽんと紅葉の肩を叩いた。
「もちろん、いろんな時間が必要なことはあるさ。でも、もう時間で埋められる部分は埋まったんじゃないかって思う。千桜とも、茉莉とも話して、今がその時なんだと、俺は思うんだ」
 そしてそのパワーで、三人で会うようにすればいい。
「そうだ、せっかくでしたら……千桜様、お二人を愛犬茶房にご招待なさってはどうでしょう」
 香里が嬉しそうに提案する。
「愛犬茶房?」
 少年は不思議そうな顔をした。
「愛犬茶房っていうのは、あたしが女給をやっている勤め先なの。犬を飼えない人とかが、犬とたわむれることの出来る場所にしたいって、支配人はおっしゃっていたけど」
 千桜が慌てて説明すると、紅葉は思わず苦笑した。
「そうか。千桜はやっぱりイヌ好きなんだね」
「私達も随分お世話になっているんです。犬のぬくもりは目が見えないぶん一層優しく感じられますでしょうし、犬達は痕なんて気にしないはずですから。茉莉様の戸惑いも、埋めてくださるでしょうし……きっと、千桜様も、そんな癒やしを求めて愛犬茶房にいらっしゃるのでしょうし」
 香里は、ほっこりと微笑んだ。
 

「とりあえず、さっき言った人魂の術については、千桜ちゃんや茉莉ちゃんと協力したらそれこそ今度は上手くいくんじゃないかしら? それに、自分だけのためじゃなくて、他の目の見えない人の助けにもなるでしょうし」
 もちろん、前例のないことが成功するなんて保証はない。研究だって、決して楽な道のりではないだろう。でも、三人で力を合わせることは、事故を乗り越えることにもつながる。その『力を合わせること』こそが、何よりも大事なのだろうから。
「もちろん、今度はお師匠さんの目の届く範囲で、だけどね」
 桜はそう言って笑う。

 そして桜はまた茉莉にも手紙をサラサラと書いて、現在の紅葉の状態や心境、そして今後についてのことを伝えることにした。
 そこにさらに、矜持の高い茉莉の、顔についた傷を隠す方法を色々提案などもして。
「神音は後で、茉莉さんにまた会いに行こうかと思うよ。手紙はあずかろうか?」
 神音がそう言うと、桜は微笑む。
 まだ幼さの残る少女は自分の口で励ましに行きたかったのだ。今回の結果を携えて。
「自分のために頑張ってくれる茉莉さんを、紅葉さんは嫌ったりしないと神音は信じてる。千桜さんもそう思うよね? だから、茉莉さんには、自分が好きになった人をもっと信じて欲しいって、そう言いたいんだ」
 たとえ傷があっても、きっと受け入れてくれるだろうと――そう言いたい。
「ありがとう、本当に何から何まで」
 千桜が恐縮すると、桜は楽しそうに微笑んだ。
「だって、女の子はやっぱり笑顔がイイもの♪」

 一方で、紅葉には。
「術の行使や研究を三人で行うことが大事だと思うんですよねぇ。あと、視たいと本当に願っているのなら、想像力を広げていくのはやはり大事だと思うんです。視力が戻らなくとも、想像が手助けしてくれることはあります。それに、盲目の陰陽師自体は他にも存在なさっている。今だって生活は相棒の手助けも含めて出来ているわけですし、視界が戻るかはともかく、研究する価値はあるでしょう。もしほんとうに大変なようだったら、それこそ周囲に助けを求めればいい」
 无がそう言って励ます。
「二人のことをどう思われているか、そしてどうしたいと思っているか――それは、紅葉さんの様子で大体わかりますけどね。でも、こうやって交流を深めることは、大事だと思います」
 言われた紅葉も、頷き返した。
「ええ……僕の、大切な友人たちです」
 その言葉には、ほんのりと照れが見受けられたが、それはあえて気づかなかったふりをして。
 そんな紅葉の初々しい様子を、開拓者たちは微笑ましく見つめていた。


 三人の少年少女の痕。
 それは少しずつ、しかし確実に癒えていく。
 ――きっと、消えない痕も、それが気にならなくなる日が来るに違いない。
 それを信じて。
 少年少女は、歩み出す。