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■オープニング本文 前回のリプレイを見る ● 帝国が、傭兵団から齎された「フェイカーが斃れた」という報告の真偽を開拓者に求めるという行動を起こし、帝国から指名を受けた開拓者達が神教徒を慮る説明方法を苦慮していた頃、傭兵団の面々は別の事でも頭を悩ませていた。 原因は一つ。 隠れ里に逃がした神教徒達から預かった、アヤカシの侵入を防ぐための結界に用いられた貴重な『聖書』がいまだ彼らの手元にあるからだ。 「まさか帝国が強制調査を行うとは思いませんが、やっぱりあの里の方々の大切なものですし、無事な内にきちんとお返ししないと……」 アイザック・エゴロフの思いには仲間達も同調する。 しかし其処には一つの問題があるのだ。 あの里の人々を開拓者達の協力を得て避難させる事に成功はしたものの、隠れ里の神教徒粛清を命じられた帝国軍は今なおその捜索を続けているし、更に帝国は、逃げた神教徒と傭兵団の繋がりを疑っている。 それも、相当強く。 「下手を打てば俺達だけでなく里の人達も危うい。いや、そもそも彼らの避難先はかつての俺達の里だ。帝国もその場所は知っているだろうし、改めて逃がすのが賢明かもしれないな」 「逃がすって何処に」 「……もういっそ天儀とか。商船ならアイツに交渉すれば手配出来るし、帝国だってさすがに天儀までは追えないだろう?」 「しかし俺達が何を言ったところで里の人達が納得しない限りは無理だ」 うーん……と考え込む一同。 しばらくしてアイザックは言う。 「……俺達が動く事で更なる危険を招く恐れが捨て切れないなら、あの方々に判断をお任せするのが良いかもしれません」 あの方々と言われるのが、アイザックと共に神教徒を逃した開拓者の面々だということはすぐに判る。 そして、それが最良だという判断に至るまでそう時間は掛からなかった。 アイザックは今は不在のボス、スタニスワフ・マチェクと、八人の開拓者達と共にフェイカーを斃した報告のため帝国に向かう予定になっている。 イーゴリとニコライも一緒だ。 であれば、自分達が帝国の目を引けている間に、開拓者達には目立たない様に隠れ里に向かってもらえないだろうか。 その道案内には――。 「俺しかいないよな!」 元気な声を上げたのは傭兵見習い、まだ少年の域を出ていないディワンディだった。 件の聖書はアイザックからディワンディに預けられ、開拓者に委ねられる。 開拓者達にはこの聖書を隠れ里に避難している神教徒達に返却し、且つ今後の事を伝えて貰いたい。 そのまま隠れ里に潜んでいれば帝国における粛清の危険が付き纏うこと。 もしも天儀に渡るのであれば傭兵団が商船を手配したのでそれに乗船出来る事。なお、商船は三日後の夕刻にジルベリア大陸北の港から出航する。隠れ里からは子供の足でも半日ほどで到着する距離だが、終始獣道を通る上、傭兵団が仕掛けた罠等が点在しているため油断は出来ない。 また、アヤカシと遭遇する危険は常にある事も忘れてはならないだろう。 開拓者達にはアイザックから事前に手紙を送り、且つ開拓者ギルドには「いつか開拓者になりたいと夢見る少年に修行を付けて欲しい」という内容で依頼書が張り出される。 ディワンディは精霊門付近で皆の到着を待ち、其処から一緒に移動する事になる。もしも隠れ里に向かう前に立ち寄りたい場所があれば事前に赴くのが良いかもしれない。 神教徒達がどのような結論を出すかは、結局のところ本人達次第だが、少なくとも傭兵達は願っている。 もう二度と帝国によって神教徒の命が散らされる事の無い未来を――。 「でも良いのか? 聖書を開拓者に渡せば、神教徒達が巻き込みたくないと願って伏せていた秘術を知られる可能性がある」 「もう皆さんお気付きですよ」 仲間の言葉に、アイザックは困ったように笑う。 それこそ、もはや本人達次第なのだ。 「……しかし不安だなぁ」 仲間が尚も零すのは、だが、開拓者に向けられたものではない。 それは開拓者を案内する事になるのがディワンディだという事。 「こいつに聖書渡して本当に大丈夫か?」 「どういう意味だよ!」 「いやぁ不安だ……」 「確かに……」 「俺にだってちゃんと出来るよ!!」 ディワンディは顔を真っ赤にして言い張るが、団員達の表情は微妙。 と、不意に上がった声。 「でしたら、私がディワンディと開拓者の皆さんとご一緒します」 「え?」 声のした方を見遣ると、団員達に昼食を持ってきた女性が笑顔で挙手している。名前をエーヴァ。 傭兵団の副長イーゴリの恋人でもある彼女の同行を、話し合いの報告を受けたスタニスワフは楽しげに了承するのだった。 |
■参加者一覧
劉 厳靖(ia2423)
33歳・男・志
劫光(ia9510)
22歳・男・陰
霧先 時雨(ia9845)
24歳・女・志
エルディン・バウアー(ib0066)
28歳・男・魔
リディエール(ib0241)
19歳・女・魔
アイリス・M・エゴロフ(ib0247)
20歳・女・吟
ジークリンデ(ib0258)
20歳・女・魔
アルマ・ムリフェイン(ib3629)
17歳・男・吟 |
■リプレイ本文 ● 仲間達との合流を前に天儀の各地を回って来たエルディン・バウアー(ib0066)の目的は一つ。 ジルベリアで命の危機に晒されている神教徒の避難先を得るためだ。 「かの国で人々を苦しめたフェイカーという敵を倒すために協力してくれた信徒達の受け入れ先を探しています。おかげで目的が達せられましたが、帝国軍の手が迫っています。同胞達を助けていただけないでしょうか」 何十人もの同胞のため、神楽の都だけに止まらず、その近郊にも駿龍を駆って足を延ばし合流時間いっぱいまで粘った。 必要あれば資金も自分が提供するつもりで、劉 厳靖(ia2423)にも手伝ってもらい本当にたくさんの教会を回ったのだ。 だが、色よい返事は一つもなかった。 当然だ。幾ら同胞のためとはいえ五十余名の老若男女を受け入れるのにエルディンの自己資金だけで諸々賄えるわけがなく、問題は決して金銭面だけはない。 子供数人、家族一つならば……という声はあったが、ではそれをジルベリアの彼らが受け入れるかと言えば、それもまた難しい。 リディエール(ib0241)が自分の里の人々に問うても答えは同じで、結果として『全員一緒に避難出来る場所』は見付ける事が出来なかったのである。 「せっかく手伝ってもらったのにすみません」 力及ばない事に悔しそうな表情のエルディンに謝られた厳靖は「別に構わんさ」と。 「そもそも避難先が見つかったって、移住するかどうかは本人達次第だ」 そしてその本人達への説得が一番難しい事を彼らは確信していた。 「ま、あとで酒の一杯でも奢ってくれ」 「ええ、勿論ですよ」 せめて美味しい酒が飲めれば良いのだけれどと胸中に思う彼らの前方には、精霊門を共にくぐるべく先に集まっていた仲間達の姿。 リディエール、劫光(ia9510)、霧先 時雨(ia9845)、イリス(ib0247)、ジークリンデ(ib0258)、アルマ・ムリフェイン(ib3629)――全員が自分達からの報告を待っていただろう事を思うと、エルディンは再び申し訳ないやら悔しいやらで浅い溜息を零すのだった。 ● 精霊門をくぐった先、ジルベリアの夜空の下で再会したディワンディは満面の笑顔で開拓者達に近付く。 「来てくれてありがとう!」 「こんばんは、ディワンディさん。今回もよろしくお願いしますね」 「こっちこそ! と、あ」 イリスと挨拶を交わした少年は、ふと気付いたように後方の女性を手招きする。 「エーヴァ! この人がイリス姉ちゃんだよ、アイザックのぐぉっ。んぐっ、んぐっ」 唐突に誰かの腕が首に回されて声を奪われた。 離してと何度もその腕を叩くと、その主である時雨はいい笑顔だ。 「何を言おうとしたのかしらね、少年?」 「んぐっ、んぐっ」 「時雨、どうしたの?」 「……そのままだと死ぬぞ」 イリス、劫光に順に言われて仕方なさそうに腕を放す時雨。 「口は災いの素。覚えておくのね?」 こくこくこくと激しく上下に頭を振る少年と、頭上に「?」が飛び交うイリス。エーヴァと呼ばれた人物は楽しそうに笑うと、イリスの前に立ち止まり、開拓者全員にお辞儀する。 「初めまして、エーヴァと申します。今回は皆さんの道案内をボスから仰せつかっております。何かあれば遠慮なく仰って下さい。ボスと、アイザックは、明後日には合流出来ると思います」 イリスに向かってにこっとするエーヴァに、当の本人は目をぱちくり。 「あー……そういえばフラグ立ててたっけな」 「そうだよ、アイちゃん立ててた!」 厳靖とアルマがこそこそ。 「合流したらしっかり突いておかなくちゃ♪」 時雨も応援……否、楽しむ気満載で呟くが、ふと声を上げたジークリンデ。 「あのスタニスワフ様が貴女の同行を容認されたとは少し意外ですね」 「そう、言われてみれば……少し違和感が……?」 小首を傾げたリディエールに、やはりディワンディ。 「あ、だってエーヴァはイーゴリの恋人だもん」 「え」 ゴンッ! 「ぐふっ」 「……」 敢えて何も言うまい。 しかし開拓者達はにこにこ笑顔のエーヴァを見て「なるほど」と理解するのだった。 ● 一行は深夜であるにも関わらず、そのまま隠れ里へ向かって出発した。 夜間の強行はアヤカシとの遭遇の可能性を高めるが、人目を忍ぶには夜闇に紛れる方が良い。 今の彼らにとってはアヤカシとの遭遇よりも帝国軍との遭遇の方が危険なのだ。 手元のランタンの明かりを頼りに先を急ぐ。足元を掠めるように飛び出してくる鼠や蛇型の下級アヤカシは少なくなかったが、何せ下級だ。歴戦の開拓者が揃う一行にとっては黒光りする害虫よりも楽な相手で、彼らの道を阻む存在には成り得ない。 大して時間を消費する事もなく、その道行は順調だった。 唯一つ気になったのが、たまに時雨が息を切らす事だ。 イリスや劫光が心配して大丈夫かと問うても本人は「平気よ」とあっさり。 時間との勝負なのだから急ごうと言われれば仲間達に否はなく、そうして空が次第に白みはじめ、鳥の声が聞こえて来るに至って、彼らはあの日アヤカシに襲われた場所まで辿り着いていた。 左右に連なる絶壁。 大人二人が並んで歩くのも難しいという狭さを流れる細い川、その上流に向かって更に進む。 「その辺、罠があるから気を付けて」 「罠?」 劫光がディワンディに聞き返すと、少年は周りを確認して枝から垂れ下がっている一本の蔦に触れる。 「そうそう、枝から垂れ下がって見える蔦をこうやって引っ張ると、蔦が金網の紐と繋がってて、足元からバーンと包まれちゃうようになってるんだ」 「なるほど」 「此処まで来るとさすがに足腰疲れるから、つい手近なものに掴まりたくなっちゃうんだよね。そういう人間心理を利用するんだってさ。兄ちゃん達は大丈夫だろ?」 「気を付けるとしよう」 応じる劫光は勿論平気なのだが、やはり気になるのは時雨だ。 イリスも先ほどから何度目かになる質問を彼女に投げ掛けている。 「本当に大丈夫? 顔色も悪いようだし、体調が悪いんじゃ……?」 「平気よ、……と、言いたいところだけど」 そして今になって彼女の返答は変化した。 肩で呼吸し、小刻みに震えている指先。 それでも時雨は笑顔で言うのだ。 「あまり調子は良くなかったんだけど、最後までやり切りたかったのよね」 イリスは眉間に皺を寄せる。 「最初から体調が悪かったの?」 「悪阻よ、悪阻」 「――」 あっさり、きっぱり。 時雨は笑う。 「やっぱり無理出来ないわ」 沈黙、一瞬。 仲間達が言葉を失う中でイリスが怒った。 「時雨――――っ!!」 ● イリスの怒声で隠れ里の信徒達は彼らの到着に気付き、早朝だと言うのに笑顔で出迎えるべく入口に集まったのだったが、そこからが大騒ぎだった。 時雨を休ませるための場所を準備して彼女を休ませ、体を温めるために火を焚いて温かなスープを用意し、水分を摂らせ、更に甘いもので糖分も補給させる。 状況は割と深刻なのだが、なのにさっきから肩を震わせ、声を殺して笑っている開拓者が絶えないのは、偏にイリスが全員分怒っているからである。 「本っ当に信じられないっ、そんな大事な体で徹夜の山越えなんて無理があるにも程があるわ!」 「そう怒るなイリス、時雨だって反省して……」 「劫光さんは黙っていて下さいっ。そして時雨は反省していないでしょう!?」 「え、反省してるしてる、ほらこんなに反省中」 スッとイリスの肩に手を置き、ぴんと伸ばした腕に額を乗せるような恰好をする時雨にイリスは眦を釣り上げる。 「冗談で怒ってるわけじゃないのよっ?」 「まぁまぁ。怒り過ぎるのも体に悪いだろうさ」 「そうだよイリスちゃん、お腹の赤ちゃんがびっくりしちゃうかもしれないよ?」 厳靖、アルマも庇うように声を上げ。 「そもそも全員で此処にいては霧先様も気が休まらないでしょうし、私達は例の話を里の方々にしてまいりましょう。時間も有限です」 「賛成です」 ジークリンデの提案にエルディンが頷き、リディエールも。 「そうですね。聖書もきちんとお返ししなければなりませんし……」 「時雨さんには私とディワンディが付き添いますから、皆さんは皆さんのお役目を全うしてらしてください」 エーヴァにも背を押され、まだ怒りを……否、怒りではなく不安、だ。 大切な幼馴染の体。 その幼馴染のお腹に宿った小さな命。 イリスは二人の事がただただ心配だったのだ。 勿論、時雨も判っているから笑顔で居続ける。 「イリス、もう大丈夫よ。……ね?」 「……判ったわ。くれぐれもおとなしくしていてちょうだい」 「ええ」 そうして部屋を出て行く仲間達の背を見送って、エーヴァは言う。 「良いお友達ね」 「ええ、最高の幼馴染よ」 ● 時雨を除いた七人で神父ジェッシュの元を訪れ、今後の事を話したいからと各家族の代表に集まって貰ったのが、その三〇分後。 大半が働き盛りの男性だったが、集まった十七名の内、三名が女性だった。 「つまり十七家族ということですよね」 「単純計算だとそうなるな」 十七家族五十余名。その大所帯を一カ所に避難させる事の難しさを考えると改めて気落ちしたくなるエルディンだ。 女性が家族代表で来ているのは、夫と死別し女手一つで子供を育てているという二人と、そして。 「おばあちゃんが元気そうで、ほっとしたよ」 アルマが笑顔でそう話し掛けたのは、赤い石の男の話を聞かせてくれた老女である。 「えぇ。えぇ、せっかく助けて貰った命だもの。大切にしないと」 「うんっ」 顔を皺くちゃにして笑んで見せる彼女にアルマは心から安堵の笑顔を返すのだった。 まずは、と。 劫光からジェッシュ神父に返却されたのは件の聖書だった。 「おかげでフェイカーを斃す事が出来た。感謝する」 「本当に、ありがとうございました」 リディエールの、僅か一言ながらも万感の思いを込めた感謝に、アルマやジークリンデ達も深々と頭を下げる。 神父と里の人々はとても驚いた顔をしていたが、どのような戦闘の場であれ、この聖書が役に立ったと言うならばそれはアヤカシの群れに襲われる危険があったという事であり、其処でアヤカシの群れが『何か』に阻まれれば、他には無い特殊な力が働いたと気付いて然るべきだろう。 その上で傭兵団でなく開拓者の彼らが『聖書』を返しに来たと言う事実に、里の神父は大凡の事情を察する。 「傭兵団の方々がお話ししたのではない……んでしょうね」 「彼らは何も明かしてはくれません。ただ、大切なものだから一刻も早くお返ししたいと。ですが自分達では此処まで来られないので私達に託したのです」 エルディンの補足説明に神父は静かに頷いた。 「なるほど……つまり、傭兵団の方々には此処に来られない理由があるのですね。……帝国軍でしょうか」 出来れば傭兵団と神教徒の繋がりを疑われている事は伝えたくなかったが、聖書の存在を伏せられていた開拓者がこれを持ってきたと言う時点で察せられてしまうのは仕方がなく、これに対し、開拓者が出来るのは正直に応じるだけだ。 「だから皆さんが此処に再びいらして下さった、と」 「……そうです」 頷いたのはイリス。 此処に留まる事が危険である事、その事情に関しては誠実に里の人々に伝えるという点で開拓者達の意見は一致していたから。 「僕達は、貴方達に天儀への移住を勧めに来ました」 アルマが言うと同時、里の人々がざわめく。 彼らの反応に胸の痛みを覚えつつもアルマは続けた。 「今後も此処に残る限り帝国からの粛清の危険は絶えません。三日後の夕方に北の港から出る商船に貴方達が乗れるよう、傭兵団が手配しています」 「三日後……?」 「天儀って……」 判っていた事とはいえ誰一人「判った」と即答する者は無い。 この場所に避難して来てからまた数か月しか経っていないのに、今度は儀をも変えて新たな地へ移住するなど考えもしなかっただろう。 「……天儀へ移住と言いますが、あちらには私達全員が移り住める場所があるのでしょうか?」 固い声音で問い掛けて来たのはジェッシュ神父。 里の人々は暗黙の内に決定を彼に委ねると決めたらしく一様に口を閉じていて、……一方の開拓者達も神父の質問には返答を躊躇い言葉を途切れさせてしまった。 全員が移り住める場所――それは、とてつもなく難しい課題。 「……残念ながら全員が一緒に暮らせる移住先は見付けられていません」 エルディンが沈痛な面持ちで答え、しかしと言葉を繋げたのは劫光。 「帝国の現状が今のままである限りは、ジルベリアで暮らし続けるのは難しい」 劫光は言う。 「この地があんた達にとっての故郷だ、離れ難い気持ちがあるだろう事は判る。信仰ってもんを自分の力にしか求めない俺なんかじゃ到底及ばない気持ちがあるとも思う。だが、この先にある未来の為に少しでも安全な道を選ぶのは逃げではない――と、俺はそう思う」 「……生きていれば、違った未来が見えて来ると思うのです」 リディエールも言葉を重ねる。 「神教徒迫害も、いつかはなくなるかもしれません。けれど、それにはまだ時間が掛かるのが現実……ですから、今少し、命の危険のない場所でお待ち頂きたく。私の故郷も、同じく移住した神教徒の隠れ里です。全員を受け入れるという訳には行きませんが、困った事があれば快く力を貸してくれるでしょう」 「それに天儀ならまだ信仰を広める機会もあります、友愛を謳い広めるのが教義にはあったかと……皆さんには生きてそれをして欲しいと思います。酷い決断を迫っているのも承知しております。けれど、どうかこの先の未来を担う子供達を護る為にも、どうかお願いします」 そう告げて頭を下げるイリスに、里の人々は慌てた。 「あんたが頭を下げる事なんてないよ」 「助けて貰ったのは我々だ」 だから顔を上げてくれと彼らは口々に言うけれど、天儀への移住には難しい顔のまま。 「……天儀への移住と、ジルベリアで生き続ける事……どちらが大変かと言われれば、それは比べる事が間違いなのだと思います」 ジェッシュ神父は言う。 「全員が一緒でなければ嫌だと我儘を言うつもりはありません。そして、そう出来る土地を探そうしてして下さったのだろう皆さんの気持ちを大変嬉しく思います……ありがとうございます」 深々と頭を下げる神父に続き里の人々も開拓者達に感謝の気持ちを伝える。 だが、と。 ……それきり言葉が途切れて生じる沈黙は彼らの複雑な心境を物語っていた。 天儀に移り住んで欲しいと願う気持ちすら里の人々を追い詰めているのかもしれないと開拓者達は思う。 それでも願うのは「生きていてほしい」から。 「僕は貴方達に、天儀へ渡って欲しい。恩人で、貴方達だからこそ、僕は……失いたくない」 一言一言を選び、噛み締めるように告げるアルマ。 もう神教徒達の命が無残に奪われる事などあってはならない。 奪われずに済む未来を、――信じたい。 「……私が天儀に渡ったのは自分らしく生きるため。少しでも多くの信徒達が安心出来る場所を作るためです」 エルディンは言う。 「今すぐには無理でも、きっと貴方達が移住できる土地を見付けます。ですから前向きに考えて貰えませんか。愛した土地を離れるのは辛くても、いつか帰れる時が来る――それはもしかしたら、私達のずっと先の世代でかもしれませんが、それでも永遠の別れではないのです。いつか帝国の態度が軟化して信仰の自由が認められる未来を、共に天儀で祈りましょう」 開拓者達の心を込めた言葉の数々を、里の人々もまた心の耳で聞く。 真剣に考えるからこそ即答は出来なかった。 「……少し時間を下さい。考える、時間を……」 人々の間に流れる困惑や不安の色濃い空気に、それまで黙って聞いているだけだった厳靖が誰にも気付かれない程度の浅い息を吐いた。 そしてもう一人、静かに事の成り行きを見守っていたジークリンデが静かに口を開く。 「これは一つの提案としてお聞き頂ければと思うのですが、いま天儀朝廷は希儀と呼ばれる新たな儀を発見し、この開拓に乗り出しています」 「希儀……?」 「宿営地の明向という土地は人を求めており、聖書があれば多くの人々が助かります。……ジルベリアも天儀もない土地で、新たな生活を築くという選択肢もあるのだと、胸の片隅にでも覚えておいて頂ければと思います」 ジークリンデは多くを語らない。 例えば天儀に渡ったとしても全員が一緒に暮らす事は困難だと現実に直面した時、村という家族を離散させたくないと彼女は考えた。 帝国の粛清、アヤカシの襲来――、神教徒達を常に取り巻いて来た命の危機を、これまで共に乗り越えて来た人々の絆を思うと、とにかく『全員が一緒にいられる選択肢』を一つ増やす事が必要だったのだ。 里の人々は黙する。 そしてやはりジェッシュ神父が口を開く。 「少し、考えさせてください」と――。 ● 里の人々の今後は未定ながらも、きっと移住を決意してくれると信じ、開拓者達は現時点で可能な移住の準備を始めた。 例えば荷車の整備や、港までの道程の確認などである。 仲間達から「今日はあれを」「これを」という話を布団の中で聞くだけの時雨は「あーもー」と天井を仰ぐ。 「私は一体何をしに来たんだか」 退屈と、僅かばかりの憤りを含んだ声音に付き添いから見張り役に転職したエーヴァは笑う。 「仕方ないわ。妊娠って病気じゃないんだもの。何かあったら誰にも何も出来ない。だから安静にしてし過ぎって事はないのよ」 言い終えると、エーヴァは「食器を片づけて来るからおとなしくしていてよ?」とからかうように告げて家屋を後にした。 「……ホントにもう」 一人きりになった部屋で時雨は溜息を吐きそうになるが、間一髪でそれを呑みこんだ。溜息を吐くたびに幸せが逃げていくなんて迷信を信じている訳ではないけれど、今は。 「来年には私も母親、か……。……ま、決戦の時まで待っててくれたこの子には感謝しなくっちゃ、ね」 指輪を嵌めた左手で日々大きくなっていくお腹をゆっくりと撫でる。 いま懸命に成長しようとしている、命。 そしてあの日に失った命――コンラートの最期の姿を想った。 「……助けられなかった分は、少しは報いられたかしら、ね」 今この状況を見て彼は何を思っただろうかと想像して自然な笑みが毀れた。あの純粋過ぎる真っ直ぐな性根の持ち主も、きっとこの里の人々を生かすために尽力しただろう。 すべては命を繋ぐため。 人間は、人間らしく。 「命を繋ぐ、か」 時雨はぽつりと呟き、しばらくして戻って来たエーヴァに一つの頼み事をした。 曰く「里の子供達を集めて欲しいの」と。 ● 時雨が子供達を集めて『話』を始めたのと時を同じくして、アルマはジークリンデと共にジェッシュ神父へ『赤い石のペンダント』の出自を話していた。 そして其処にはもう一人――かつて帝国からの粛清を受けた夜に『赤い石のペンダント』を持った老人を見たと話した女性も同席していた。 彼女をこの場に呼ぼうと決めたのはアルマ。 辛い過去を話してくれた彼女だから知っていてほしいと考え、その想いを彼女もまた受け止めたからだ。 フェイカーと名乗る赤い石がかつては神教徒の元にあって封印されていた事。それをロンバルールという男が解き放ち、粛清された神教徒達の、帝国への強い怨みの感情を糧として強大化していった事など、ジークリンデが理路整然と説明していくのを二人とも黙って聞き続けていた。 途中で相槌を打つこともなく、ただ真剣な表情で。 「……大丈夫?」 老女の手が小刻みに震えている事に気付いたアルマが、そっとその手を握った。 「ごめんね、とても怖い話を聞かせちゃってるよね」 「いいえ……いいえ、そんな事はないのよ。けれど……そうね、私達は……帝国が、怖いわ」 争うつもりなど毛頭ない。 自分達はただ平穏に里の仲間達と暮らし寿命を迎えたいと願っているだけだが、帝国はそれを決して許さないだろう。 いつ殺されるかもしれない恐怖を、……知らないものにして。 そんな恐ろしい感情が己の内側に有る事など考えないようにして。 そうして、逃げ続ける。 逃げる、……いつまで……? 「この話を、しようって決めた時も、……本当は、悩んでいたんだ」 アルマは老女の手を握ったまま語った。 「けれど、里の人達を導く貴方と、奴を目の当たりにした貴女には、知っておいて欲しくて。……おばあちゃん、お話し、ありがとうね」 「……ええ。お役に立てて、嬉しいわ」 そうして老女の浮かべる皺だらけの笑顔に一粒の涙が伝い、神父も深々と頭を下げる。彼に言葉は無かったけれど、その思いは伝わって来る気がした。 「……結局のところ帝国も神教徒も変わらねば、この憎しみの連鎖を終わらせる事は出来ないのではないかと……。まずはこの里の方々が、全員で共に暮らせる未来を模索しましょう」 ジークリンデも声を僅かに落として語る。 変われるのはいつなのか、誰も知りはしない。 だからこそ、彼らが天儀にしろ季儀にしろ、移住する事と逃げる事を同一視しないで欲しかったから。 これからの未来をどう生きる? それは大人達だけで決めて良い事だろうかと時雨は思った。 大切な事はきっと変わらないし、その選択を大人がするのも解るけれど、その先の未来を担うのは今の子供達だ。 その子供達に伝えたいことがある。 生きて、と。 とても難しい話だ。 時雨は子供達に「ジルベリアにいても危ない事だらけ」とは伝えない。 「天儀は安全」とも断言しない。 話を聞いている間に何度も首を捻る子がいたし、途中で寝てしまった幼子もいた。それでも時雨はゆっくりと、一つ一つの言葉を噛み締めるように伝えていく。 たくさん、……たくさん考えて、親とも相談して、未来を選んでほしかった。 今はまだ小さな、その自分自身の手で。 時が残酷なほど正確に過ぎていき、気付けば傭兵団が手配した商船の出向まで一日を切っていた。 天儀に渡るならもう里を出なければならないと説明したエルディンに、ジェッシュ神父は答える。 「私達はジルベリアに残ります」と――。 ● 里の人々がジルベリアに残るという選択をした二時間後、スタニスワフ・マチェクとアイザック・エゴロフが里にやって来た。 そんな彼らに傭兵達は一つの朗報を齎した。 「実は三日前に、ジークリンデさんのお姉さん達と一緒に帝国にフェイカーの件の報告に行って来たんですが、その場に皇帝陛下もいらしていて。開拓者の皆さんの強い思いは、届きました。今回の神教徒の件については保安庁長官でもある皇女に一任され、皇女は皆さんの隠れ里を見付けたという報告そのものを、フェイカーによる虚偽とする、と」 つまり捜索は終了する、と。 「とはいえ、皆さんが粛清の危機から逃れられたわけではなく、それは今後も続きます。ジルベリアにいる限りはずっと……」 続くアイザックの言葉に、しかし神父は微笑む。 「ええ、それは承知しています。……ですが、フェイカーの話を聞いたからこそ私達は決めたのです。この地に残り、帝国と向き合える未来を手繰り寄せるために動こうと」 そうしてジークリンデとアルマに笑顔を向け、エルディンやリディエールには深々と頭を下げる。 「貴方達のお気持ちは大変嬉しく思います。……ですが、もう逃げるのは止めたい」 そのために動けるのは、この地の神教徒である自分達しかいないから。 「待っていて下さい。いつかきっと……帝国と手を取り合えた事をご報告に伺います」 そうまで言われては開拓者達も引き下がる他なく、その夜はささやかな宴でフェイカーが斃れた事を祝う事になるのだった。 ● 里のほぼ中央で火を焚き、開拓者、傭兵、里の人々が全員座れるだけの丸太で囲んでの宴は星空の下でとても賑やかに催された。 「まぁそれが考えた結果なら別に構わんが、若けぇやつらは新天地を求めるってのもいいんじゃねぇか?」 盃を浸す程に注がれる酒を豪快に煽った厳靖の言葉に答えたのは一人の子供。 「うん、十四になったら俺は天儀に行ってみたいって思ってるよ」 それまでのあと三年は強い大人になれるように努力するのだと語る。その時に帝国がどうなっているのかなど誰にも判らない。 どのようにして天儀に渡るのかもその時次第だが新天地での未来を掴みたいと思ったのは時雨の話を聞いたからだ。 同じように今は無理でも近い将来には――と語る子供が大勢手を挙げる。 繋がる命。 命が続く未来。 選び取るのは、自分自身。 「……皆さんの教義を教えてください」 告げたのはイリス。 神の名は伏せつつも、その教えを広める歌を作りたいと彼女は願う。 これからもジルベリアの地で穏やかな未来を掴む為に戦い続ける事を決めた彼らのために自分が出来る事は、歌う事だと思ったから。 「皆さんの想いを私に託してくれませんか……?」 緊張した面持ちで問い掛けるイリスに、周囲に集まっていた人々は笑顔で応える。 「ありがとう、……本当にありがとう」 遠く離れようとも応援してくれている人が居る事――それがどれほど心強い事かイリスに伝わって欲しい……里の人々はその想いを胸に、自分達が信じるものを精一杯伝えていくのだった。 そんなイリスの姿を遠目に見つめる青年が一人。無論、アイザックであり、彼に気付いた時雨は皆が寄せ集めて来てくれた毛布を体に巻いたまま立ち上がると、その横にススッと近付く。 「アイザック。もう決着もついたんだし、イリスに言わなきゃならない事、あるんじゃないの?」 にやにやと鋭い指摘をする時雨に言葉を詰まらせたアイザックだったが、再び神教徒達に囲まれて歌を作る事に夢中になっているイリスを見つめて、……微笑んだ。 「……今は良いです。って、決して先送りにしたいわけじゃなくてっ。俺は一生懸命なイリスさんが好きなので、今の彼女の邪魔は出来ませんし、……今度は俺が天儀へ会いに行って、伝えます」 「……絶対だから、ね!」 「っ」 どんっと背中を叩かれてよろけるアイザック。 そこから少し離れた場所で「それを本人に言えよ……」と胸中に呟く劫光だった。 ジェッシュ神父の左右隣でエルディンとリディエールが件の聖書を興味津々に眺めていた。 「教会神父としてのプライドというか、知らないままでは悔しくて。発動条件は信仰心ですか」 「それがよく判らないのですよ。アイザックさんにも使えたわけですし、かといって志体がなくても使えますし……」 「古くから伝わるものというお話でしたし、色々と未知なままなんですね……」 しみじみと呟くリディエールだったが、視界の端にスタニスワフの姿を見止めて動きを止めた。 「……ちょっと、すみません」 少し迷ったが、この機を逃してはという焦りのようなものを感じて立ち上がると、スタニスワフの元へ足早に近付いた。 宴の輪から少し離れた場所に並んで腰掛け、リディエールはスタニスワフと言葉を交わす。 これまでの事や、これからの事。 心配も不安も尽きないが、フェイカーを斃せたことへの、労い。 どんなに言葉を紡いでも足りなくて。 紡げば紡ぐほどに、……胸中に生まれる不安。 リディエールはふと言葉を途切れさせると、意を決し彼の顔を見上げた。 「……思えば、マチェクさんには謎掛けのような言葉ばかりもらっている気がしますね」 「そうかな」 「以前の言葉も、そうです。人は、沢山の人に支えられて生きているから『生かすは万の愛』。けれど…本人が『生きたい』と……何があっても生きようと思うのは、大切な人の元に帰るため……」 大切な、誰かのため。 「だから『生きるは一の愛』……そうですよね?」 「そうとも取れるね」 意味深な笑みで返される言葉に、リディエールの胸は鈍い痛みを訴える。 どこまでも本心を見せない彼。 感じる、……壁。 今回、彼女は自分の想いよりも自分に出来る事を選択した。 彼の傍にいるよりも、目の前にある問題により近づける立場を選んだ。結果としてリディエールは仲間達と共に目的を果たしたけれど、それは正解だったのか。 「剣を振るう事は出来なくても、傍にいられなくても、私に出来る事を……と、これまで進んで来ましたけれど。……いつも、どこか不安で」 そうして真っ直ぐに見つめたスタニスワフの、瞳の蒼。 「私は、……私は、貴方の帰る場所に……「生きる」理由に、なれますか……?」 リディエールの真摯な想いを受けて、不意に、……何故だろう。傭兵の瞳の色が翳ったように見えた。 「……君が今すぐにその答えを求めるなら、否だよ」 スタニスワフは言う。 相手の言葉が真剣であればこそ、率直に。 「俺の帰る場所は決まっているし、生きる理由も既にある。君が解釈した『一の愛』に応える事は、俺には出来ないよ」 真っ直ぐに見つめ合う二人はしばらくそのまま、星の瞬きに見守らていた。 ● 最終日、里の人々と別れてから天儀へ帰るための精霊門が開くまで少なからず時間があった事もあり、アルマは一人、今は亡き傭兵達の眠る墓を参っていた。 献花し、手を合わせ。 そうして胸中に呟く言葉。 ――いつか僕と友達になって下さい 今すぐに答えを聞く事は叶わないから、いつか。 「……もう、止まれないもんね」 フェイカーが斃れても戦いは続く。 むしろ彼らにとっては此処からが本当の戦いになるのかもしれない。 いつかのアイザックの台詞を思い出しながら紡ぐ言葉に伴うのは痛み。 「……あんな事を言わせてごめん」 もう二度と、言わせない。 「さて、と。アイちゃんやワフ隊長にも友達になって下さいって申し込まなきゃだから、行くね」 そうして立ち上がった彼に、姿の見えぬ友達は、……きっと微笑んでくれた。 |