心音〜躙り寄る悪意 結
マスター名:月原みなみ
シナリオ形態: シリーズ
EX
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/11/18 02:15



■オープニング本文

前回のリプレイを見る



 フェイカーが斃れた夜、その場所で。
 しかし喜びの笑顔を見せる者はいなかった。
「……まだ終わっていない」
「今度は、嵐に巻き込まれようとしている人達を助けに行かなければ」
 開拓者達は、いまこの瞬間にも他所で起きようとしている戦の情報を、ギルドを通じて得ていたのだ。
 フェイカーの陰謀によって踏み躙られようとしているたくさんの命を思えば、彼女達の選択肢は常に一つ。
「君達に休みはない、か」
 スタニスワフ・マチェク(iz0104)は穏やかに微笑むと暁の傭兵達に馬を用意するよう指示を出した。せめて移動くらいは力にならせてくれ、と。
「準備が整うまでは此処で休んでもらうよ。彼女が目覚める迄はしばらく時間が掛かるだろうし、君達も体力を回復させないとね」
 言いながらフェイカーの憑代となってくれた女性開拓者を抱き上げ、アイザック・エゴロフ(iz0180)が用意した布の上に横たえると、すぐに巫女の少女達が彼女に治癒術を施していった。
 そんな中で彼女の親友でありスタニスワフが妹のように思う女性騎士は、彼女の手を握り締めて自分の額に添えると、万感の思いを込めて呟いた。
「ありがとう……っ」
 一度ではない。
 二度、三度……繰り返される言葉を、他の仲間達も己の口唇に乗せる。
 そうしてようやく毀れた笑顔。
「終わったな」
「ええ、……長かったですが、これで、ようやく報告が出来ます」
 藍銀の騎士、紅蓮の騎士の言葉には蒼氷の麗しき魔術師が瞳を伏せて頷いた。
 長かった。
 本当に、……長かった。
「ま、何にせよこれで一段落だよな。まだ終わってはいなくてもさ」
 すっかり普段の装いに戻ってしまっている陰陽師の少年にはスタニスワフがくすりと笑う。
「もう君の女装姿が見られなくなると思うと寂しいね」
「そんなの期待するなんて、おっさんやっぱり……」
「やっぱり何だい?」
「い、いや、なんでも、ないけどっ」
 嫌がらせ同然に迫る傭兵と、逃げる少年の姿に笑い声が広がっていく。
 そんな中でフェイカーにトドメを刺した泰拳士の少女が膝を付いたままでいる事に気付いたアイザックが心配そうに近付いた。
「大丈夫ですか?」
「ぁ、はい……大丈夫、です。ちょっと……実感が無い、と言うか……」
 少女は自分の足を眺め、手を見つめ、しばらくの間を置いて再びアイザックを見遣る。
「フェイカー……斃せたんですよね……?」
「はい。皆さんのお陰です」
「良かっ……わっ」
 良かったと言い掛けた少女を抱き締めたのは親友の歌姫。
 揃いの耳飾りが微かに震えていて、アイザックは目頭が熱くなるのを無視出来なかった。

 開拓者達の胸の内に、ゆっくりと沁みだしてくる実感。
 手放しで喜べる状況には程遠いけれど、……けれど、それは確かな成果。
 長きに渡り多くの人々を苛み続けた元凶は此処で絶たれたのだ。

 少しずつ、少しずつ。
 開拓者達の表情が和らぎ、聞こえて来る声は明るくなる。
 しかし一方でそんな仲間達の輪の中から消えた姿があった。いつも妹の傍で、妹を守るように佇む彼女が――。
「……マチェクさん」
 無論、その事に気付いていた妹騎士が傭兵に声を掛ける。
「お姉様の傍に居てはくれないの?」
「今の彼女に必要なのは俺ではないよ?」
 それを誰よりも判っているのは君のはず……視線にそんな言葉を乗せて来る傭兵に、少女の瞳が儚げに揺れた。


 準備が整い、暁の傭兵達は開拓者を送り出す。
 遠ざかる一行の背を見つめながらアイザックがぽつりと呟いた。
「大丈夫でしょうか……フェイカーとの戦いはアヤカシとの戦いだったけれど、これから皆さんが赴くのは人と人の争いだ……」
「だからといって目を背けるわけにはいかないんだろう」
 スタニスワフが言う。
「人間は醜い。彼女達はそれを知っていてなお人間が愛しいんだ。守らずにはいられないんだよ、……『双方』のためにね」
「え?」
 長の言葉の意味を掴みかねて聞き返す若き傭兵だったが、その答えを彼が口にする事はなかった。
 ただ、祈る。
 一つでも多くの命が救われる事を――。



 そうして、あの夜から一月。
 開拓者の元に二通の手紙が届いた。
 一通は暁の傭兵達からのもので、恐らく近々帝国から招集の知らせがあると思うから準備しておいて欲しいというもの。
 そしてもう一通が、先にあった帝国からの招集の知らせ。
 フェイカーは斃したという報告を傭兵団から受けたものの前科者である彼らからだけの報告で信頼する事は難しい。故にその場に同席した開拓者にも証言を求めたいというのだ。
 加えて傭兵達からの手紙には、フェイカーの件が一段落した事で立ち寄りたい場所、挨拶しておきたい相手もいるだろうからこの機会にどうかと綴られていた。

 あれから一月。
 彼らは、いま――……。


■参加者一覧
フェルル=グライフ(ia4572
19歳・女・騎
フェンリエッタ(ib0018
18歳・女・シ
ルシール・フルフラット(ib0072
20歳・女・騎
フレイア(ib0257
28歳・女・魔
ファリルローゼ(ib0401
19歳・女・騎
風和 律(ib0749
21歳・女・騎
レジーナ・シュタイネル(ib3707
19歳・女・泰
緋那岐(ib5664
17歳・男・陰


■リプレイ本文

●あの日以来の
 その日、集合場所で顔を揃えた八人の開拓者と四人の傭兵。
 誰もが少なからず緊張した面持ちだったが、中でも見ている方が可哀相になるくらい表情を硬くしていたのはルシール・フルフラット(ib0072)だろう。
 特にスタニスワフ他、傭兵団と言葉を交わす段階に至っては呼吸困難に陥るのではと思われた程だ。
「る、ルシールさんっ、深呼吸ですよ、深呼吸!」
 アイザックが彼女の顔の前で手を叩くなどし、ルシールも「は、はいっ」と熱い返事をする姿は、状況を無視すればまるで熱血師弟。
 これには、彼女ほどでないにしろルシールと対面する事に不安のあったイーゴリやニコライも笑うしかない。
 軽い吐息と、竦められる肩。
「そう気負うな」と告げられる声は純粋に温かかった。
「あんたは生き抜いた、それで充分だ」
「イーゴリさん……」
 目頭を熱くするルシールに、ニコライも。
「……それに、ショーンの事だけでなく、うちに犠牲が出た事であんた方全員が重いモンを背負い込んだ事は、俺達だって、……その、まぁ、判ってんだし」
 語尾は囁くような声量だったがフレイア(ib0257)を始め一人一人に向けられた視線が彼の言わんとした言葉を全員に悟らせていた。
 ショーン。
 ユーリー。
 マーヴェル。
 彼らの名前を、自分達は決して忘れない。
「……後で、お墓参りさせて下さい。自分の口で報告したい事が、ありますから」
「ああ」
 ルシールの願いを傭兵達は静かに受け入れ、そしてスタニスワフは全員を促す。
「皇女をお待たせしたとあっては後が面倒だからね、そろそろ行こうか」
「そうですね……」
 フェンリエッタ(ib0018)は頷きながら改めて傭兵達の装いを見つめ、小さくくすりと笑う。
「それにしても皆さん、とても素敵。そういう装いもとてもお似合いです」
「うっ……茶かさんでくれ。皇女との面会に普段着では何だしで……」
 事実、開拓者側の誰もが正装と言える恰好をしている。まさか傭兵達だけ普段通りの戦闘スタイルで赴くわけにはいかないだろう。
「……私はこのまま戦うが」
「あんたは騎士でしょうがっ」
 風和 律(ib0749)の静かなツッコミに涙目のニコライ。
 彼も、イーゴリ、アイザック、そしてスタニスワフも今日ばかりは何処からか調達して来た騎士服姿だった。
 おかげで些か目のやり場に困る女性もちらほら……。
「おっさんがそういう恰好すると更に怪しさが増すよな」
 唐突に、そんな女性陣とは対照的な台詞を真顔ではっきりと言うのは勿論と言うべきか緋那岐(ib5664)である。
「貴族の坊ちゃんって言うより、何か勘違いしたナルシスト……って、え、ちょ、なんか命狙われてる!?」
 イーゴリ、ニコライが剣を抜こうとしているのを実に楽しそうにスタニスワフが止め、アイザックはどちらに付くか悩んでいる様子。
「……結構似合っているよな」
「ええ……確かに、らしくはないかも、ですが……」
 ファリルローゼ(ib0401)とレジーナ・シュタイネル(ib3707)が小声で囁き合うのを小耳に挟んで、フェンリエッタとフェルル=グライフ(ia4572)は顔を見合わせて笑った。
 これから帝国相手に、長期に渡って自分達を苛み続けた仇敵フェイカーを斃したと言う話をしに行くのだから緊張して然るべき時なのかもしれなかったが、そんな時でもこういう雰囲気を作れる開拓者達を、傭兵達は好ましく思う。
「さぁ、さぁそろそろ行きましょうか」
「そ、そうですよ! 皇女に怒られます!」
 結局どちらにも付けなかったアイザックがフレイアに同調して声を上げ、一行はようやく集合場所を出発したのだった。


●帝国への報告
 一行が向かったのは以前に訪れた事のあるディアーナ皇女の私邸ではなく彼女の肩書にもある保安庁本部の長官執務室だ。
 扉一つ先に大人数で話し合う事も出来る応接室があり、開拓者と傭兵達は其処に通されて報告相手が来るのを待つ事になった。
 巨大な長細いテーブルに、二〇の椅子。
 足元に敷かれた絨毯や、窓、壁、天井に設えられた細工の豪華さといったら、どれ一つ取っても一般庶民の一生分の給金を払っても手にする事など出来ないのではないだろうか。
 それらに各々が複雑な視線を注いでいると、待ち人が現れた。
 皇帝陛下の四番目の娘にして保安庁長官の肩書を持つディアーナ・ロドニカと、その親衛隊隊長キリール・クリモワ。
 席を立つ開拓者や傭兵達に意味有り気な無言の視線を送るだけで席に着いたディアーナは、キリールが扉を閉めて席に近付くのを確認して声を発する。
「いいわ、皆さんお座りになって頂戴。堅苦しい挨拶も不要よ、早々に本題に入りましょう」
 どこか不機嫌な態度を続ける皇女に開拓者達は戸惑いを隠せず、傭兵達はイラッとする。そも帝国云々と無関係な彼らにしてみれば「そっちが呼んでおいてその態度か」だ。
 そんな仲間達の心境を正しく察して、まず口を開いたのはスタニスワフ。
「まぁ予想通りと言えば予想通りなんだが、成長しないね『ディーヤ』」
「っ」
 突然の愛称呼びに目を見開く此方側と、口元が引き付く皇女。
「あぁ」とキリールが顔を隠しながら溜息を吐いたのは気のせいではなく、無論スタニスワフもそれに気付きながら続ける。
「自分達の全く知らないところで開拓者と俺達でフェイカーを斃しましたなんて報告されれば、それは当然面白くないだろうさ。だが、それを隠しもせずに俺達に八つ当たりとは成長が無さ過ぎるよ?」
「余計なお世話だわ!!」
 スタニスワフが言い終えるか否かでダンッと卓を叩き付けて立ち上がった皇女は勢いに任せて言い放つ。
「私がわざわざ用意したサロンの舞台を無意味なものにしておきながら、やっと現れたと思ったらフェイカーは斃しましたですって!? 馬鹿にするにも程があるわ!」
「皇女、どうか落ち着いて……」
「そのまま癇癪を起させておけばいいさ、彼女達も皇女の人柄を知って『話』をするに値する相手かどうか判断するよ」
「スタニスワフ、いくら昔馴染みでもそれは無礼が過ぎるぞ」
「必要あらば謝罪するよ」
「一切不要だわ!!」
 三人の遣り取りに目を白黒させる仲間達へ、後に本人から「いわゆる幼馴染だよ」と明かされて驚愕する事になるわけだが、ともあれ再び卓を叩いて席に着き直した皇女へ、スタニスワフは更に付け加えた。
「後は彼女達に任せるけれど、これだけは覚えておくんだね。あのサロンを無意味なものにしたと思っているから君達にはフェイカーを斃せなかったんだよ」
 その言葉に皇女の眦は最大まで吊り上ったけれど、言葉での応酬は続くことなく。
「……では開拓者諸君、フェイカー討伐に関して報告を上げてもらえるだろうか」
 キリールの静かな言葉を受けて律がスッと立ち上がった。


 事前に綿密な打ち合わせが行われていた事もあり、開拓者側の言い分は一貫していた。
 あの赤い石の強大な力は『帝国人』の負の感情が生み出したものであり、神教徒だったロンバルールが封印を解いた事で、帝国からの粛清を受けた彼の復讐に便乗した事。その復讐を叶える代償として神教徒自身を苦しめ力を得ていった事――。
「ロンバルールが神教徒だったなんて、誰がどう知ったの?」
「私がフェイカーの憑代となる事で知りました」
 答えたのはフェルル。
「記憶は断片的ですがロンバルールを襲った絶望、帝国に粛清される恐怖は、フェイカーの視覚を通じて感じ取れました……フェイカーは私の口で楽しむように話しましたが、脳裏に移る光景は想像を絶するものでした」
 当時を思い出して顔色を失くすフェルルに、親友のフェンリエッタが支えるように寄り添った。今にも倒れそうな白い表情を見て皇女も一度話を変えた方が良いと判断したらしく、他の開拓者に視線を移して問うた。
「彼女の口を借りながら他にフェイカーが語った内容は?」
「既にお伝えした内容以外には、彼女の肉体は憑代として不快だから代わりにその身を寄越せと数人に要求して来た事です」
 律が凛と応じた。
「数人?」
「はい。……私と、フェンリエッタ、あと一人いますが此処には不在です」
「貴女達には何か共通点が?」
 その質問には難しい顔で言い淀む彼女達に代わり、アイザックが応じる。
「これは俺……いえ、私の予想ですが、たぶん「悩む」事だと思います」
「悩む?」
 聞き返して来る皇女の視線を受けたアイザックは、一度だけスタニスワフを見遣った。暁の長はただ静かな表情で頷くだけで彼に任せる事を伝える。
 アイザックは続けた。
「人として、騎士として、天儀神教会の一人として心に立てた一本の柱と、それを揺るがしかねないこれまでの事象――真っ直ぐに生きようとする人間を己の言動で壊していくのを楽しみたかったのかもしれません。少なくともあの場にはアヤカシを自ら招くような人物はいませんでしたから、であれば『楽しめる相手』を優先したのではないか、と」
「付け加えれば他の誰かも選択肢に入ったと思うよ、指名し過ぎても埒が明かないからとりあえず三人を指名したに過ぎないだろう」
 スタニスワフの補足に皇女は浅い息を吐いた。
「……判ったわ。では質問を変えましょう。傭兵達はフェイカーを斃すに至った理由を、偶々フェイカーを発見、追跡した結果だと語ったけれど、それは真実かしら?」
 開拓者達は実際にはしないが、心の内、仲間達と呼吸を合わせるようにしてから先ずは律が引き受ける。
「多少の偽りがございます。私達は、フェイカーに命を狙われている教徒を偶然保護し、彼女を囮として使えると判断したため、今回の作戦を決行しました」
 その返答に皇女は眦を釣り上げて傭兵を睨み付けたが、当の本人は何のその。イライラを眉間に滲ませながらも皇女は律に向き直る。
「ではその神教徒はいま何処に」
「……恐れながら、フェイカー討伐の囮となる条件が彼女の身元を帝国に伝えないというものでしたので、私も聞いてはおりません」
「聞いていない?」
「私は帝国の騎士ですから、共にフェイカー討伐を果たした開拓者の中には情報を流す事を危惧する者がおりました。今日この場に来ている私達の中にそれを知る者はおりません」
「……そういう事なら仕方ないわね」
 納得し難そうではあったが、律を始め騎士の人数が多い事。また、律の声があまりに生真面目で凛としていた甲斐もあり、皇女は信じる事にしたらしい。ただ、であれば何故フェイカー討伐作戦を前に、騎士が帝国に報告しなかったのかと問われれば、これに答えたのはフレイア。
「敵は非常に狡猾であり、時間を掛ければアヤカシを群れで呼ぶ危険もありました。作戦は時間との勝負であったため、帝国に知らせる時間が無かったのです」
「そういうこと、ね。……で、トドメを刺したのが、貴女」
「はい」
 真っ直ぐに見つめられたレジーナは丁寧に一礼し、進み出る。
「最後に、石を、この拳が砕きました。その感触は今でも覚えています。……確かにフェイカーは消えました」
 その瞬間を思い出したレジーナの脳裏に蘇る声にならない叫び。
 嵐のような驚愕。
 あんなアヤカシをもう二度と生み出してはいけない、開拓者は誰もがその決意を胸に宿していた。


 それからしばらく皇女と開拓者の遣り取りが続き、もう聞く事もなくなったと判断した皇女は開拓者一人一人の顔を見つめ、やがて、一つの言葉を発する。
「貴女達が帝国に仇為すアヤカシを斃したのは事実……何か望みがあれば言って頂戴」
 望み。
 その言葉に誰しもが心に思い描いたのは、未来。
 しかし誰もが発すべき適当な言葉に悩み沈黙を続ける中で意を決し口を開いたのは、フェルルだった。
「今、この儀は怨みに溢れています。力ではなく、皆がジルベリアを愛し、そして手を取り合える統治を行えれば、……道は簡単ではなくても求めていければ、こんなアヤカシの発生や人の争いは減らせるのではないでしょうか」
 フェルルは真摯に訴える。
「私の父母は帝国商人で、商売の為に天儀に移り住んだ後に私が生まれました。私がこの地を好きなのは、父母がこの大地を愛し、それを教えてくれていたからです。例え儀から身は離れても、儀を愛する心は子に伝えられます。多くの儀が繋がる今を見ている私たちだからこそ、協力してより良い未来を作って行きませんか」
「……帝国のやり方に意見するつもり?」
「いいえ」
 即答は、フェンリエッタだ。
「……いいえ。ですが……、私はジルベリアを愛しているけれど、住み易い国かと言われれば……違います。どんなに国の事を想っていても、その心が帝国の意思に添わなければ罰せられ、罪は家族にまで累を及ぼす……」
 遠く南方の地に暮らす彼の人を想い瞳を伏せるも、彼女は気持ちを切り替えて真っ直ぐに皇女を見つめた。
「なぜ国の為に在ろうとする人を罰するのでしょう。なぜ締めつけ、押さえつけ、排斥するのでしょうか……それでは人は追い詰められるばかりです」
 皇女も、親衛隊隊長も、ただ黙って聞いている。
「怨は死なぬと奴は言いました。なら、私はそれを覆したい。力や謀で排斥し合い『敵』を根絶しても必ず禍根が残ります。どこかで負の連鎖を断ち切らなければ、新たなフェイカーはいつか必ず、再び現れるでしょう」
 それは神教徒の許に限らず、と。
 情熱から込み上げた言葉を辛うじて呑みこみ、言い募る。
「ジルベリア帝国が好きだから、不自由はあっても誰もが愛せる住み良い国であって欲しい……ただそれだけなのです。帝国は、私達は、変われませんか? 一歩ずつでも歩み寄り、尊重し合い、共に生きる道を……手を携え切り拓く事は出来ませんか?」
 真っ直ぐに訴えるフェンリエッタが、これまでどれだけの血と涙を流して来たか……それを知るフェルルと、ファリルローゼの瞳には涙が滲む。
 どんなに笑っていても、その笑顔の裏に数多の哀しみを抱え続けた親友を、妹を、此処で支えられなくていつその心に寄り添えるだろう。
 ファリルローゼも彼女の横に並び、沈黙を保つ皇女に言葉を紡ぐ。
「彼女は決して現体制の批判をしているわけではなく、今も燻る争いの火種を心から憂いているだけです。彼女の弁は理想論かもしれない。現実のものにするには、あまりにも遠い理想――……、ですが理想の中に希望があるからこそ人は進んで行けるのではありませんか。私達は言葉を交わし、手を取り合い、心を繋ぐ事が出来る。大人がその姿勢を子供達に見せる事で、帝国の未来が温かなものになると信じ、志や国を愛する気持ちは、必ず受け継がれていくと、信じられませんか」
「この儀ではこれからも多くの『戦い』が続きます。民の皆さんも、私も、皆さんも、……それでもフェイカーを絶てた事、これが人々の次へ進む力になると信じています。そして私は……私達は、その力を、血を流し合う『戦』に繋げるのではなく手を取り合うための『戦い』に繋げていきます」
 ――……彼女達の強い思いに応えるのは沈黙ばかり。と、そう思われた時だった。
 不意に執務室と応接室を繋ぐ扉が開かれ皆の前に現れたのは――。
「!!」
 そこで反射的に立ち上がった律とルシールはやはり帝国騎士だったし、きょとんと座ったままになってしまった緋那岐はやはり大物だった。
「……皇帝、陛下……?」
 皇女と親衛隊隊長も席を立ち一歩引くに至ってようやく事態を呑みこんだフェンリエッタがその呼称を口にする。
 そう、皆の前に現れた姿は紛れもなくガラドルフ大帝その人だったのだ。
 帝国の長はその場の一人一人をゆっくりと見渡し、そして告げる。
「話は隣で聞かせて貰っていた。此度のフェイカー討伐は大義であった」
 皇帝御自らの言葉に、しかし開拓者を襲うのは喜びを遥かに凌ぐ緊張感。
 その身に纏うオーラは部屋全体を覆い、まるで呼吸すら支配されているかのような威圧感。
 この目に見えぬ力こそがジルベリア帝国の皇帝――。
「未来か」
 不意の呟きに数人の肩が震える。
 しかし、そうして続く言葉は。
「希望の潰えた先に未来はない、おまえ達の言う事にも一理ある。帝国の危機を救った開拓者の言葉であれば私も無下には出来まい――少なくとも今回の神教徒の件は皇女の判断に委ねよう」
 え、と。
 目を見開き、呼吸を止め、言われた意味を咄嗟に呑み込めなかったために情けない表情になってしまった者も数人いる部屋を、皇帝陛下はこれ以上長居する必要無しと言うように後にした。
 威圧感の源がいなくなっても、誰も何も言えないまま、更に一分。
 その沈黙をやっとのことで破るのは皇女の浅い吐息だった。
「貴女達には何らかの褒賞を渡せるよう尽力しておくわ。皇帝陛下がああ仰るのだもの。神教徒の件に関しても少し考えるけれど、……悪いようには出来ないわね」
 皇女のその言葉の意味も噛み締めて、フェンリエッタは。
「……言葉は届きますか……?」
「理想はあくまで理想に過ぎない。けれど、……無視はしない。皇族にだって、心はあるわ」
 ……溢れ出そうとする涙を抑えるのに必死だった。
 理想を語り、その先の光りを求められる国には、きっと優しい未来が待っている――。



 保安庁から出て、各々が次の目的地に向かう途中。
「随分静かだったね」とスタニスワフが声を掛けた相手は、緋那岐だ。
「そりゃあまぁ、俺が喋っても残念な事になる予感しかしないし」
「残念な事?」
「いろいろと言いたい事はあったけどさ。結局は、ヤツは帝国が生み出した存在だったんじゃないかーとか、帝国の在り方を問われている時なんじゃないか、とかさ」
「なるほど」
 それは確かに静かにしていて正解だったと言うべきか、困ったような笑みを浮かべるスタニスワフに「あ」と緋那岐。
「あ、いや、おっさんじゃなくて……えーっと」
 少年は些か怪しい様子でアイザックに近付いていった。
 それに笑いながら他の仲間達に「後の予定は?」と問えば、アジュール姉妹からフェルルも一緒にマチェク家へどうかと誘われ、応じる事にした。
 ルシール、フレイア、レジーナは亡き傭兵達の墓参りをすると言い、イーゴリとニコライは帰ると言うから、各々の目的地に向かって彼らは別れを告げる事になり、最終的にその場に残ったのは――。

 こそこそ、こそこそ。
 緋那岐とアイザックの密談。
「んーと、おっさんの誕生日……今月だったよな?」
「ええ、まぁ」
「じゃあさ」
 ごにょごにょごにょ。
 そんな二人の横を、何気なく通り過ぎようとしたのは律である。
「さて、どうしたもの、か……?」
 腕を引かれて振り返ってみれば、目を輝かせた緋那岐とアイザックが其処に居た。




 あの日は傭兵達から少し離れた場所で見つめながら精一杯の気持ちを込めて歌うしかなかったその場所が、今日は不思議と心安らぐ穏やかな場所だった。
 三人の傭兵達が眠る墓。
 いま、ようやく真っ直ぐに見る事が出来る。
「……終わりました」
 レジーナはぽつりと呟き、ルシールが手向けた赤いガーベラの隣に自分の花を添える。
 フレイアは三つのグラスに美しい色合いのワインを注ぎ、まだ半分以上残る瓶をレジーナが手向けた花の横にそっと置いた。
「いずれ、とこしえで酌み交わしましょう」
 手を合わせて捧ぐ言葉。
 応えは無くとも何となく相手の気持ちが伝わって来る気がして、フレイアの口元には微かな笑みが浮かぶ。
 そうして二人が立ち上がるも、ただ一人、ルシールはまだ静かに手を合わせたまま。
「……」
 二人は顔を見合わせて小さく頷き合うと、彼女を残してその場を後にしたのだった。


「――……」
 ルシールが静かに目を開けると、墓前に添えられた花とワインを残し仲間二人の姿は消えていた。
 その気遣いへの感謝もあってルシールの表情はとても穏やかだ。
「ショーンさん。……やっと、決着をつけることが出来ました」
 目に見えない傭兵は、いまどんな顔をしているだろう。
 ……何と言ってくれるだろう。
「今の私をフェイカーは『居心地が悪そう』と言いました。それはきっと、あなたのくれた痛みと、この命のおかげ。心折れそうになっても、耐える事が出来たから……」
 思い出す彼の言葉。
 ぶつけられた怒り。
 実際に接した時間などほんの僅かだったけれど、ルシールの未来を大きく変えたのは紛れもなく彼の存在だった。
 くすっ……と毀れた笑み。
「……一途にその人を想い求めるのが恋なのだとすれば……これも、そうだったのでしょうか。もしもそうなら、とっくに手遅れで……つくづく、私はそれらとは縁遠いようです」
 とても複雑な気持ちが胸の内側に広がっていく。
 涙が毀れるでもなく、切ないでも悲しいでもなく、けれどそれにとても良く似たこれは……?
「足掻いて足掻いて、それでも力が足りなければ……他の誰かの力も、信じて、貸してもらえば、良かったんですね……」
 ――……ルシールはその場から動かなかった。
 伝えたい事がたくさんあり、想いは尽きず、……返らぬとは知りながらも、彼からの言葉を聞けそうな気がして。
 もう少しだけ、……あと少しだけ時間が欲しかった。



 フェンリエッタとフェルルが先行し赴いたマチェク家で、長女にして末子のポリーナと一緒にお菓子作りに精を出し、ファリルローゼと共に少し遅れて邸に到着したスタニスワフを交えて催された茶会の席、親子は久々の再会を果たした。
 茶会は女性が多かった事もあり終始和やかな雰囲気だった。
 ファリルローゼの、誰を前にしても変わる事のない妹への溺愛振りはそれだけで笑いを誘ったし、お茶もお菓子もとても美味しかったから。


 そうして帰り際。
 フェンリエッタとフェルルがポリーナとの別れを惜しむ中、スタニスワフの姿が一足先に見えなくなっている事に気付いたファリルローゼは慌てて彼を探しに行き、……そうして一人佇む後姿を見付けた。
「……マチェク?」
 声を掛けると、彼は薄く笑う。
「ああ、すまないね。少し疲れてしまって」
「……楽しくなかったか?」
「いや」
 スタニスワフは即答し、……そして、首を振る。
「楽しかったよ。自分でも意外なほど」
「……っ」
 その言葉にファリルローゼの鼓動が高鳴る。
 すぐには無理でも。
 時間は掛かっても、いつかきっとまた家族が手を取り合える日が来ると、信じたい。
「……ありがとう」
「?」
 何の礼を、と思う彼にファリルローゼは言葉を重ねる。
「……マチェク、お誕生日おめでとう。生まれて来てくれて、……生きていてくれて、ありがとう。コンラートの事も、私達を信頼してくれている事も、たくさんたくさん、ありがとう……っ」
「ロゼ……?」
 突然の感謝の想いに戸惑い気味の彼へ、ファリルローゼは暁の空と同じ色のサッシュを贈った。
「これからも、あなたが温かい絆に守られますように」
 誕生日、おめでとう。
 その言葉にスタニスワフは何かを考える仕草を見せたが、結局は頷き、素直に贈り物を受け取った。
「ああ、……ありがとう」


 そうして墓参りに行きたいという三人を其処へ送る道中。
「なぜマチェクを名乗ってるの?」
 フェンリエッタの質問に、スタニスワフは「嘘を吐くのが苦手だからかな」と嘯く。もちろん聞いた方も、聞かれた方も判っているのだ。
 姓は家族との繋がりを示す。
 スタニスワフは姓を捨てなかった、それが総てだ。
「……ね、私が貴方の「妹」で居られる理由、解る?」
「さて……それに答えると俺はいろいろ生き辛くなりそうかな?」
「どうかしら」
 くすくすとフェンリエッタから笑みが毀れるのを見て、スタニスワフもまた微笑む。
 そして告げた。
「……理想だけでは何も変われない。変えられない。……けれど心一つで変えられる未来は確実に光の先で君を待つ。少なくとも俺は、この世界で最も強いのは人の温かな心だと、……信じているよ、フェン」
 俺がこんな事を言ったのは内緒だよ、と。
 悪戯っぽくウィンクする傭兵にフェンリエッタは頷くと、その首に腕を回して抱擁する。
「……ありがとう、マチェクさん」
 笑顔で告げると同時、二人の接近に気付いた姉の、殺意に満ちた声が聞こえて来る。
 そんな彼女の反応が面白いから止められないのに……と思いつつもファリルローゼの注意を素直に聞いて離れる二人。
「それじゃあ、また」
「ああ。また」
 別れの時とて、約束の出来る未来を喜んだ。



 気付けばフェルル、フェンリエッタ、ファリルローゼを除く全員がレディカ夫人の自宅に集まっていた。
 三人が不在なのに、全員が揃っていた時に比べて人数が五倍近くに膨れ上がっているのは、緋那岐発案の宴席に、アイザックを経由して招待された暁の傭兵達が勢揃いしていたからである。
「「「ハッピーバースデー!」」」
 盛大な祝いの言葉と共にたくさんの拍手が起こり、その中央に立たされたスタニスワフはさすがに居心地が悪そうな、けれど確かな嬉しさも滲ませた表情で祝福を受けていた。
 そんな彼に、緋那岐。
「見た事がないって耳にしたんで……再現してみた。さぁもふれるものならもふるがいい」
 ででんっと目の前に置いたのは、数日前まで各地で大騒ぎを起こしていたと噂のやぎもどき――に、良く似たぬいぐるみ。
 いや、あれも見た目はまんまぬいぐるみだったのだから、本物との違いなど動くか否かくらいだろう。
「……まさか手作りかい?」
 鋭い指摘に思わず言葉を呑みこんでしまった緋那岐。悲しいかな家事は得意なのだ。
「そ、そんな事は別にいいだろ。それよりどうだ、さすがにおっさんにはもふれまい!」
 抱き心地の再現も妹の折り紙つきだ、これがもふれないなんて年取るって残念だなぁくらい言ってやるつもりだったのに、あろうことか、この傭兵。
「――うん、なかなかいいね」
 片腕でぎゅっと抱きしめ、ふわふわの頬にキスまでして見せる。
「……なんかむかつく」
「おや、感謝のキスは緋那岐の頬にすべきだったかい?」
「ちっがう!」
 すっかり仲良しの二人が大騒ぎするのを遠目に、ルシールや律、フレイア、レジーナはレディカ夫人と卓を囲む。
 元気になった姿を彼女に見せたい、それは全員共通の思いだった。
「本当に、たくさんの迷惑を掛けた」
 律の言葉に夫人は「いいえ」と左右に首を振る。
「こうしてまた会いに来て下さったのだもの、それで充分。……とても、辛い戦いだったでしょうに」
「長い戦い、だった。もう少し自分達がしっかりしていれば、もっと早く、……もっと被害を少なく終わらせられたかもしれないと思うと、終わったとはいえ……気付くと、あの日々を振り返っている」
 帝国への報告を済ませた事で一つのけじめをつけられたとは思う。
 だが、それと彼女達の心に燻る感情は全くの別物なのだ。
 ……それでも。
「傷ついても……また、歩き出さなくては。私達は、生きていますから」
「……そうね」
 律、ルシールと、紡がれる言葉の意味を噛み締めた夫人の眦に光るものがあったが、誰もがそれには気付かぬフリをした。


 宴は続き、もう間もなく陽も沈み始めるかと言う頃になって、レジーナはスタニスワフを呼び出した。
「……お話しが、あるんです」
 そう告げた少女に、傭兵はただ静かに微笑んだ。



 もう間もなく雪の季節になろうというジルベリアの夕刻、外に出た二人を包んだのは肌が痛くなるような北風だった。
「大丈夫かい?」
「ええ……スタニスワフさんも、寒くないですか……?」
「ああ」
 二人は仲間達が賑やかに過ごす声が聞こえない場所までゆっくりと歩き、ちょうど人気の無い小屋を見付けてその階段に腰を下ろす事にした。
 風除けには頼りない風体の小屋だが多少は寒さを紛らわせてくれるようだった。
 レジーナは、その階段――二人の間に砂時計を置く。
 あの日、スタニスワフから贈られたものだ。
「――……」
 どちらも何も言わず、ただ静かに零れ落ちる砂粒を見つめるレジーナの胸中を過るのは彼から告げられた言葉。
 ゆっくりと大人になりなさいと、背中を叩いてくれた大きな掌。
(……あの日から何て遠くに来たんだろう……無知で…無垢だった小さなレジーナは、もう居ない)
 あの時は知らなかったことを、知った。
 すぐ傍にいるこの人が、ただ強く優しいだけの相手でないことも知った。
 それでも、……それでも、これだけは。
「私、あなたが、好きです」
 想いは形を変え育ち、そして辿り着いた。
 今ならば言える、そう信じられる己の心。
「貴方が見ているものが見たい。そして、私が見ているものを見て欲しい……傍、近くで。……貴方に、今の私はどう見えていますか?」
 真っ直ぐに相手の瞳を捉えて告げる姿は紛れもなく一人の女性だった。
 だからスタニスワフもレジーナの瞳を見返す。
 真っ直ぐな返答以外は不要だと知るから、彼は。
「強くなった。それに、とても綺麗になったよ。……だが、君の見ているものを一緒に見るのは無理だ」
「――……」
「君が馬鹿な女なら幾らでも付き合うけれど、ね。こう見えて、大切なものは守りたい主義なんだ」
 難しい事を言う、と思う。
 けれどその言葉の意味を察せられるくらいには、レジーナも大人だった。
 だから少女は笑った。
 精一杯の、笑顔で。
「……ありがとう、ございます。スタニスワフさん」
 レジーナは決めている。
 自分の『時』を、いまこの瞬間から進めていく事を。



 レディカ夫人宅で催された宴に用意された席は、実際に参加した人数よりも三つ多かった。
 皆がそれに気付いていて、皆が何も言わない。
 きっと其処には彼らが座っているから。


 赤い夕焼け空の下、フェルル、フェンリエッタ、ファリルローゼは彼らの墓前で曲を奏でる。
 詩を歌う。
 願うは光りの未来。
 希望の――。


 信じる道を共に往かん
 命繋いでその先へ
 望む未来に光あらん

 希う 暁の天へ
 明日を願う 心届けて
 叶うように

 叶えるように――。