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■オープニング本文 前回のリプレイを見る ● その日、ガラドルフ大帝の娘である第4皇女ディアーナ・ロドニカは城内の長い廊下を早足で進んでいた。 原因は一時間程前に保安省長官という肩書を持つ彼女の元に上がって来た、神教会監督庁からの報告内容である。 曰く、ジェレゾから北へ120キロ、魔の森に程近い渓谷に神教徒の隠れ里を発見したというのである。神教会はジルベリア帝国においては禁教、信者は罰せられる対象となる。この報告によって皇帝陛下は粛清命令を出し、数日中に軍が動くのは必至だ。 だが、その事自体に彼女が動揺する理由はない。 問題なのは、その神教徒の隠れ里を発見したのが神教会監督庁の東部主任パトルーシュ・コンスタンチン――今現在、帝国が捜索している赤い石のペンダント、フェイカーと呼ばれるアヤカシが身を寄せていると報告のあった男であるという点だ。 発見と報告が役人の務めだと言われればそれまでだが、フェイカーが身を寄せている人物と聞けばどうしたってアヤカシとの関連を疑わずにはいられない。 (軍を動かして、神教徒を粛清させて、フェイカーは何を企んでいるの?) 心の内で問い掛けるディアーナの足が止まった。 帝国はこのまま軍を動かして神教徒を粛清して良いのか? それに気掛かりはもう一つある。 (スタニスワフにもこの情報は届いているわよね……?) 自分の親衛隊隊長キリール・クリモワの話によればスタニスワフ・マチェク(iz0105)が率いる傭兵団ザリアーのシノビがフェイカー及びパトルーシュの監視をしているというし、ともすれば此方に入っている報告よりもよほど詳しい情報を得ているかもしれない。 どちらにせよスタニスワフが今回の事態を静観しているとは思えなかった。 (あの男ならどう動くかしら……) ディアーナはその場に立ち止まったまま思案を巡らせる。 保安省長官を任じられた己の役目は帝国内の平和と秩序を維持する事。だからこそフェイカー捜索の指揮権を皇帝陛下は自分に委任してくれた。 ならば、と。 そうして一つの結論を出した皇女は、その後、父親に直接こう進言した。 「この一件にはフェイカーが絡んでいると推測されます。まだ可能性の段階ではありますが神教徒を帝国に討たせる事こそが目的とも……ですから、今回の神教会信徒粛清の件はお任せ下さい。必ずや私の手で決着致します」 対して皇帝陛下の応えは是。 かくして隠れ里への侵攻軍はディアーナ皇女の指揮下に入る事となる。 ● ディアーナ皇女がガラドルフ大帝と謁見していた頃、彼女の親衛隊隊長キリール・クリモワは騎士団の詰所から皇女の元へ向かう途中で明らかに貴族と判る初老の男性が道端で息を切らしている姿を目撃していた。 その人物をキリールは以前から知っていた。 二十年ほど前までは戦場に立つ皇帝陛下の右腕と称された人物であり、数々の武勲を立てた彼の英雄伝は帝国の騎士であれば一度は耳にするだろう。 若かりし頃にはさぞ鮮やかな赤色だったのだろうと思わせる髪は年齢と共に白髪が目立つようになっていたが、鍛えられた体躯、眼光一つで敵を怯ませるという目力、凛々しくも端正な顔立ちなどは、引退して久しい身とは到底思えない若々しさに満ちている……はずなのだが。 (あの御仁が息を切らされるとは一体……何か悪い病気にでも罹られたのか?) 心配になったキリールは駆け足で彼に近付いた。 「大丈夫ですか?」と掛けた声は、しかし途切れた。 言葉だけではない、呼吸する事すら忘れてしまう程の衝撃がキリールを襲った。 その人物は彼が知っている相手である事は間違いない。だが、その痩せ細った面立ち、袖から覗く手指の、まるで干物のような細さ。最後に会ったのは昨年末に偶然擦れ違った時の事だったが、それから僅か数ヶ月でこのやつれようは尋常ではなかった。 「一体どうされたと言うのですが、まさか本当に悪い病にでも……っ?」 「……ぉお、これはクリモワ殿。ご壮健そうで何より……皇女様もお元気であらせられるか?」 「ええ、ディアーナ様も私も……しかし貴方は……」 「ああ、少し痩せましたが健康そのものですよ」 少しどころではないと驚愕するキリールの心境も知らず、彼は続ける。 「このところ夢見が悪くて寝不足が続いておりましてな……」 「夢見が……?」 「ええ、ですが嬉しい事もあったのですよ。しばらく家を出ていた息子が帰って来てくれましてね」 「ヴラディーミル殿は家名を継がれてからずっと御邸に」 「いえ、ディーマではなくスターシャですよ」 「ああ、スタニスワフが帰って来たんですか」と言い掛けて、瞠目する。 今は傭兵団ザリアーを率いるスタニスワフが戻って来るものかと、目の前の相手――アルトゥール・マチェクの言葉を疑ったキリールは――。 ● 「俺はこの通り今も傭兵だよ」 くすくすと微笑うスタニスワフを前に、キリールを彼の処まで案内して来たルヴァンは安堵ゆえに脱力していた。 キリールも納得した様子で、ではアルトゥールが言う帰って来た息子とは誰なのかという問題が生じる。 「……確かヴェレッタの町でもう一人のおまえが出たと言っていたな」 「悪夢に襲われた開拓者もいたね」 導き出される答えは、夢魔。 「フェイカーはよっぽどおまえが恨めしいようだな」 キリールは嘆息し、スタニスワフはくすりと笑う。 それから互いの腹の内を探るような会話を続ける二人だったが、終にはキリールが肩を竦めて立ち上がる。 「まぁいい、俺はアルトゥール殿の事を知らせに来ただけだ。縁を切ったとは言え実の父親がフェイカーの人質になったんだ。さすがのおまえでも思うところはあるだろう。神教徒の隠れ里の一件は軍に任せておけ」 「ああ。ディアーナ皇女がフェイカーの思惑通りに神教徒を粛清するとは考え難いしね?」 「ふっ。そういうおまえこそ見て見ぬふりはせんだろうし、開拓者諸君も黙っているとは思えないがな」 にやりと意味深な笑みを交わし合う男達に、ルヴァンは胸がキリキリと痛むのを感じる。 そうして別れを告げて去ろうとするキリールだったが、ふと思い出したようにスタニスワフを振り返って、告げた。 「そうそう、アルトゥール殿が見たという悪夢だが『赤い石』が妙に印象的だったそうだよ」 その言葉に、傭兵は――。 一人きりになったその部屋で彼は呟く。 「恨めしいのは俺なのか『マチェク』なのか……それにしてもアヤカシに洗脳されるとは、……あの人も年を取ったものだな」 吐息と共に毀れる低い囁き。 その表情には感情の欠片も見られなかった。 ● 後日。 アイザックから「神教徒の隠れ里がフェイカーに狙われている」と聞いて集まった開拓者に、マチェクは「実は一つ新しい情報が入っている」と、アルトゥールの一件を伝えた。 その上で。 「すまないが、……力を貸してくれるかい?」 |
■参加者一覧
秋桜(ia2482)
17歳・女・シ
フェンリエッタ(ib0018)
18歳・女・シ
ルシール・フルフラット(ib0072)
20歳・女・騎
フレイア(ib0257)
28歳・女・魔
ファリルローゼ(ib0401)
19歳・女・騎
風和 律(ib0749)
21歳・女・騎
レジーナ・シュタイネル(ib3707)
19歳・女・泰
緋那岐(ib5664)
17歳・男・陰 |
■リプレイ本文 ● その日、開拓者達はそれぞれの行動を開始すべくマチェク家へ赴くつもりだったのだが、先行していたレジーナ・シュタイネル(ib3707)と秋桜(ia2482)が首を捻りながら仲間の元に戻って来た。 曰く、 「スタニスワフ殿に化けているという夢魔の姿が見当たりません」 家に出入りしている使用人達の話を盗み聞いても「彼」が戻っていると思える話題はただの一つも聞こえてこなかった、と。 その報告を受けてスタニスワフは肩を竦めた。 「どうやら正面から俺を連れて邸に入るというのは避けた方が良さそうだ」とフェンリエッタ(ib0018)、ファリルローゼ(ib0401)、そして巫女としての力で彼女達をサポートするために駆け付けたフェルル=グライフに告げる。 ともかく想定出来る事態が多過ぎるため、先に周辺調査から始めた方が良いという結論に達し、ルシール・フルフラット(ib0072)と緋那岐(ib5664)は以前から――それこそスタニスワフが家にいた頃からマチェク家で働いているスタッフを中心とした聞き取り調査。 フレイア(ib0257)と風和 律(ib0749)はマチェク家の人間関係を把握するために情報を仕入れられそうな場所へ赴く。 「すみませんフェルルさん。せっかく来て頂いたのに、時間ばかりが過ぎていく……」 申し訳ないと瞳を伏せるフェンリエッタに、フェルルは「いいえ」と笑顔。 「実際に調査を始めるまでは、すべては推測なんです。疑問は一つずつ潰していきましょう、そのために使う時間は、決して無駄じゃないと思うんです」 屈託のない笑顔にフェンリエッタの気持ちも浮上する。 妹の心が軽くなればファリルローゼも安堵。 「良い友人だ」 「フェンの人徳だ。そして、フェルルの人徳だな」 くすくすと微笑いながら言うスタニスワフには僅かに表情を硬くしつつ、妹を愛する彼女は断言した。 ● 各方面からの知らせを待つのが現時点では有益と思うも、ただ待つだけというのは精神的に消耗する。 そのせいか、無意識に深い息を吐いていたレジーナに、フェルル同様、フェンリエッタの呼び掛けに応じ手伝いに来た狼 宵星が「……だいじょうぶ?」と顔を覗きこんで来た。 レジーナはハッとして「大丈夫です」と返す。 「心配、……させちゃいました、ね」 言うと、宵星は小さく首を振る。 「だいじょうぶ……なら、いいです。待つって、つらいから」 「そうですね……きっと、一人なら辛いですけど、今は宵星さんが一緒ですし……せっかくですから、話し相手になってもらえますか?」 宵星は小さく頷き、お互いにぽつりぽつりと言葉を交わす。 「私達は、キリールさんから『スタニスワフさんがマチェク家に帰って来たとアルトゥール卿が言っている』と聞いて、夢魔の存在を疑いました……でも同時に、帰って来たスタニスワフさん、衰弱していくアルトゥールさんを見て、ご家族は何の疑問も抱かないのかなって……疑問に思って。もしかしたらご家族の中にも夢魔に……フェイカーに操られている人がいるのかなって推測しましたけど、夢魔がアルトゥール卿にしか姿を見せていない可能性もあったんですよね……」 現在はフェイカーの件で帝国と協力関係にあるとはいえ、この国の習わしから言えばスタニスワフが出奔し、弟が家を継いだというだけでも相当の事情と問題があった事は想像がつく。その上で問題の長男が突然戻って来たとあれば、周りが騒がないわけがないのだ。 アルトゥール卿の現状が自分達に伝えられたのは、アルトゥール卿とキリールが『偶然』街中で遭遇したからに他ならない。 ともすれば、衰弱しきっている卿が一人で外出した事が、フェイカー側にとっては想定外だったのかもしれない。 開拓者の中にも、赤い石の事を調べに行ったのは洗脳が不完全だからではないかと予測している者はいた。 「たくさんの可能性を仲間と考えて、予防線も張ったけれど……」 夢魔の存在を確認出来ない以上、その監視の任を負ったレジーナと、隠密に徹し現在も姿を隠したままの秋桜には待つ事しか出来ず、少し離れた場所でルシールと緋那岐がマチェク家に出入りする人物と接触するのを見守るだけ、……ただしそれは、自分達の存在を夢魔に気付かせないという利点でもあったのだ。 ● 現在、マチェク家にいるのはアルトゥール卿と、彼の妻。現当主のヴラディーミル、弟のロスティスラーフ、妹のポリーナ。住み込みや通いの使用人達。彼らの情報を纏めれば「アルトゥール卿が病気になって皆が心配している」になる。 試しに「風の噂でご長男が戻られたと聞いたのですが」と振れば「あるわけない」と一笑された。病気で気弱になった卿が長男の夢を見たらしい、と。 それがルシールと緋那岐の収穫だった。 そして今、二人は驚いていた。 というもの唐突に話し掛けて来た人物がマチェク家の三男ロスティスラーフ、その人だったからである。使用人に何かしら聞いて来たのだろう青年は実に不機嫌そうな表情だった。 「ひとの家の事をこそこそと嗅ぎ回って何のつもりだ?」 「あー……えっと」 緋那岐がルシールに目を向けると、彼女はスキル『士道』を発動させた隙のない笑顔で騎士として非礼を詫び、名乗り、かつて数々の武勲を立てたアルトゥール卿の事が知りたくて此処まで来てしまったのだと告げれば、ロスティスラーフは「へぇ……」と怪訝な顔付きながらも、それ以上は追及してこなかった。 「父上が偉大だったのは昔の話。憧れだか何だか知らんが迷惑だ、さっさと消えろ」 「ですがアルトゥール卿は今なお現役のごとく素晴らしい力をお持ちだとか。恐れながら手解きを願いたく……」 「ダメだダメだ、父上はいま御病気なんだ」 「ではお見舞いだけでも……」 「しつこいぞ! さっさと消えろ!」 『士道』の効果時間はあまりに短く、相手の視線が明らかに自分達を訝しんでいる事を察したルシールは、そこで諦めた。 事前に彼は「単純」だと聞いていたが、外で自分の家の情報を集めるような二人組を「父のファン」と言われて信じるほど愚かではなかったらしい。 ただ、その数分後。 ロスティスラーフが屋内に消えた扉から一人の少女が飛び出してきた。 艶やかな黒髪に青い瞳。とても華奢な体躯をした十代と思われる少女。二人は、スタニスワフから聞いていた家族の特徴を思い出し、そして一つの結論を導く。 マチェク家の末子にして長女、十七歳のポリーナ・マチェクだと。 「あ、あの……ちぃ兄様から私達の事を調べている人達がいると聞いて……あの、……あのっ、もしかして、開拓者の方々、ですの?」 ルシールも緋那岐も咄嗟には返答出来ず、離れた所にいる宵星に目を向ければ彼女は左右に首を振る。術視では何も見えなかったという合図。 ポリーナは続ける。 「わたくしディアーナ様と親しくさせて頂いていて、……その、お兄様の事も、お聞きしていて。お父様の御病気の事も……っ」 早口に捲し立てる少女の肩に手を置き「落ち着いてください」と諭す。 少女は息を吸い、吐き、そして泣きそうな顔で告げた。 「どうか助けてください。わたくしは家の中が怖いのです……!」 ● マチェク邸の傍で事態が動こうとしている頃、フレイアと律は貴族の娘達が集まるような場所を重点的に回りながらマチェク家の人々の人柄などを聞いて来たのだが、父親は立派、家督を継いだ二男は長兄への劣等感ゆえに精彩を欠き、三男は微妙。末子にして長女は器量が良いし過去の英雄と言えど父親の顔の広さは健在、その内に良いところへ嫁ぐだろう、というような内容で大凡一致していた。 その次男の最近の様子はと聞けば「普通」「多少イライラしているかも?」という具合で、有益な情報かどうかの判断に些か困る結果だった。 フレイアが危惧していた人物と接触した形跡も無く、フェイカーの狙いはいまだ謎のまま。 「志体を持つ優秀過ぎる兄に、追いつく事すら許されない弟は、どのような闇を抱えて来たのでしょうね。願わくは杞憂であって欲しいですが」 フレイアのその言葉には律も頷く。 「公務で動いているヴラディーミル卿が『憑かれた』となればあまりに目立ち過ぎる。だからこそ魅了の影響下という線も有り得なくはないが……どちらにせよ考えられるのは最悪の展開だな」 そのような会話をしながら二人が辿りついたのは仲間との集合場所だった。 時間も無い為、早々に本題に入った彼女達はそれぞれの情報を報告し、特に重要とされたのがルシールから伝えられたポリーナの件だ。 「先ずは落ち着いて邸内で待っていて下さいと言ってあります。後で仲間が伺うので、その時はポリーナさんの友人ということで邸内に招いてください、と」 「それだとワフさん……」 言ってから首を傾げる緋那岐。一瞬考えて、頷く。 「おっさんが居なくても三人で邸内に入れるだろう?」 「ありがとうございます」 フェンリエッタが頷く。 これで開拓者がマチェク家に赴く口実は出来た。 「あ、それと卿に会って、もし聞けそうだったらさ。夢の中の『赤い石』を誰が持っていたのか聞いて貰っても良いかな」 「判った。もしも聞けそうであれば、必ず」 ファリルローゼは緋那岐の頼みを快諾するのだった。 「それにしても」 三人が去ってから緋那岐は言う。 「おっさんの父親って、昔は皇帝の右腕だったって事は、今でも信頼が篤いんだろうな。王宮への出入りや皇族との接触が容易かったりするんかね」 「難しくはないと思うよ。特にディアーナ皇女とは昔から縁がある」 「へぇ。ってことは、皇族を巻き込んで騒ぎを大きくしたいなら、卿って生かして利用するにはうってつけの人材だったりして」 テーブルに並ぶ菓子を口に放りながら、何気なくそんな事を呟いた緋那岐に、その場の全員の視線が集まった。 だが「あ、これ美味い」と菓子を堪能している本人は気付かず。 「皇族を、巻き込んで……?」 律の聞き返しにも「そうそう」と菓子を頬張りながら。 「だって気軽に会えるんなら暗殺の機会だってたくさんありそうじゃん。例え未遂でもさ、皇女に手を掛けたって事になったら皇帝からの信頼は失墜するし、ディアーナ皇女って、神教会信徒粛清の指揮を執ってる人だろ? そんな人を殺そうとしたら、もしかしたらマチェク家には神教会との内通や結託まで疑われるかもしれないじゃん、……て、流石にこれは飛躍しすぎだな」 思い込みは禁物だと笑う緋那岐だったが、他の面々は笑えない。 確かに飛躍した考えかもしれない。 しかしマチェク家とフェイカーの因縁にばかり気を取られていたが、フェイカーの、そもそもの目的は何だ? かつてはなんのためにヴァイツァウの乱を起こさせたのか。 帝国はフェイカーの存在を知っている。 しかし一般市民は? かつて皇帝の右腕とまで言われた男が皇女に手を掛けたとあれば話題にならないはずがなく、情報を操作したところでフェイカーの手が回れば意味は無い。 それは、人々にどのような変化を齎すだろうか。 例えば、ある地方で叛乱を起こそうと目論んでいる人物がいる。 例えば、ある場所で帝国の崩壊を望んでいる人がいる。 彼らに最も強い力を与えるのは、今は無力な人々なのでは……? ● フェンリエッタ、ファリルローゼ、そしてフェルルの三人はポリーナの協力を得てマチェク家を訪れた。 さすがは皇帝の右腕と謳われた軍人の邸である。勇壮さを醸し出す作りはとにかく幅広で、妙な話だがスタニスワフには似合わない気がする……と思うファリルローゼは、妹の視線に気付いて気まずい顔になる。 フェンリエッタは微笑った。 「お姉様ったら何を考えていたのかしら」 「わ、私は何も……!」 頬を赤くして否定するファリルローゼに、フェルルもくすくすと笑う。そんな三人の様子にポリーナは小首を傾げながらも、彼女達の笑顔に心が軽くなるのを確かに感じていた。 「……笑い声なんて、しばらく振りに聞きました……」 少女は言う。 「お父様が御病気になられてから、……いいえ、その少し前からかもしれません……お父様が、お兄様が帰って来たなんて言い出してから、です。兄様はとても不機嫌になられてお父様と顔を合わせる度に大ゲンカ。ちぃ兄様もイライラされて、使用人達に八つ当たりするようになってしまって」 母親は病床の卿に付き添っているらしいが、彼女もまたいつ倒れてしまうか……と両親を案じる言葉が紡がれた。 ファリルローゼは問う。 「君が怖いのは、苛立っている家族が……という意味だろうか?」 「いいえ、……いえ、それもあるかもしれません……でも」 不意に少女の足が止まる。 「この廊下の一番奥にお兄様の部屋があるのですけれど……あの……判ります、か?」 真っ暗な廊下の先を指差す少女に促されるように其方を見た三人は、それぞれに表情を硬くした。 この暗さは果たして時間のせいだろうか。 フェルルはスキルを発動する。瘴索結界「念」。フェルルの全身に淡い光りが灯り、広範囲にアヤカシを感知するための結界が生成された。 フェンリエッタと繋ぐ手に、篭る力。 ――……いる。 「この廊下の奥には、マチェ……いや、スタニスワフの部屋だけだろうか?」 「はい。お兄様が家を出られてからも、お母様の希望でそのままにしてあって……あの、やっぱり何か……?」 青白い顔の少女へ、開拓者達の応えは決まっていた。 「いいえ、何も」 「そう、ですか……やっぱり私の勘違いですね。昔から怖がりだって、兄達にも怒られていて」 自嘲気味な少女の言葉に「そんなことはない」と返しながらも、それは賭けだった。これまで調べた結果として夢魔がアルトゥール卿以外には接触していない事実を踏まえれば、此方から刺激しない限り現状が維持されるはず。 其処に何が居るのかは判らない以上は下手に出を出せないし、マチェク家への監視の強化は必至。その事を思いながら彼女達は更に邸内を進んだ。 「此方です」 促されて入ったその部屋は、静かだった。 窓辺の大きなベッドに寄り添う女性は今にも壊れてしまいそうな儚さ。そしてベッドに横たわる男性は、もう、生きているのが不思議に思えるほど老いた姿で――。 「……っ」 三人は息を呑む。 恐らくキリールが出会った時よりも衰弱が進んでいるのだろう。こうまで変わり果ててしまっては、もう外を歩く事も不可能に違いない。 「夢魔の吸精です……間違いありません」 フェルルが術視によって得た確信。 彼女がいてくれたからこそ判明した事実に姉妹の目頭は熱を帯びた。 「あら、ポリーナ。其方は……?」 「あ、あの……」 何と紹介したものか戸惑う少女に、姉妹は意を決して言う。 「私達はスタニスワフさんの友人です」 「卿は、彼に会いたいのでしょうか……?」 姉妹の問い掛けに卿の妻は目を瞠り、……そして、泣いた。 |