【散華】秘めた過去
マスター名:月原みなみ
シナリオ形態: シリーズ
EX
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/10/22 19:37



■オープニング本文

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 ●石鏡という国

 布刀玉(ふとだま)と香香背(かがせ)、幼い双子を王とするその国は古来より精霊との繋がりを重んじている。中央に広がる三位湖のめぐみによって天儀一豊かと謳われる土地は都に近ければ近いほどアヤカシの被害も少なく、それは同時に国家の安定を示すものでもあると言えるだろうか。
 その都、安雲(あずも)。
 此処は石鏡にとって最も大切な場所――すべての精霊が生まれ還って来ると伝えられる遺跡・安須(あす)神宮の上に建つ。

 ‥‥かつては穂邑(iz0002)も暮らしていた場所だ。


 ●手を伸ばす先

 穂邑は空を見上げた。
 冒険者長屋の近くに掛かる橋の上で、ただ黙って空を見上げる。
 数ヶ月前に幽霊が出ると騒がれたこの場所も今ではすっかりそれ以前の平穏を取り戻し、耳を澄ませばあちらこちらから子供達の元気な声が聞こえて来る。
 鳥の声もする。
 虫の声も。
 ――とても平和な景色だ。
「‥‥でも‥‥」
 穂邑は視線を落とし川の流れを見つめると、それきり言葉を失くした。一人で居ると感じずにはいられない違和感は、自分をこの場所から切り離そうとしているかのように思えて恐くなる。あの川の流れが自分を知らない土地に流してしまいそうな、‥‥そんな想像をしてしまう。
 何故か、なんて問い掛けるのも可笑しい。
 その答えは、本当はもっと前に気付いているべきだった。
「‥‥っ」
 本当に可笑しい。
 自分の無知さには情けなさを通り越して笑えて来た。
「ふっ‥‥ふふ‥‥」
 小刻みに震える肩。
 端の手すりに置いた拳がぎゅっ‥‥と握られれば、その姿はひどく小さくなって見えた。

 鳥と、虫と、川の水が流れる音と。
 子供達の声がして。

「穂邑」
「!」
 唐突に掛けられた声は聞き覚えのある男のもの。――東郷椎乃。ともすれば今一番会い難い相手だったかもしれない人物。
「どうした? らしくなく哀愁漂わせて‥‥ああ、悪いもんでも食ったか? おまえさん、結構食い意地張ってるから」
「違いますっ」
 思わずムキになって言い返せば椎乃は「ははっ」と豪快に笑う。
「ほんと、おまえは感情豊かになったな!」と大きな手で頭を撫でられた。
「っ‥‥い、痛い、です」
「そうか?」
「そう、です‥‥」
 ぽん、と最後に優しく叩かれて離れる手は、あの日の自分を導いてくれた手だ。盗賊に襲われ、たった一人になってしまった穂邑を救い、食事を与え、神楽の都まで連れて来てくれた。
 その彼が言う。
「俺はそろそろ神楽の都を発とうと思うんだが」
「えっ」
 突然の台詞に驚いて顔を上げれば椎乃は穏やかに微笑む。
「その前に、一度石鏡に立ち寄ろうと思うんだ」
「‥‥っ」
「あの国には、ほら、名物って言われてる温泉街があるだろ。そこで少し旅の疲れでも癒そうかとな」
 穂邑の動揺には気付かず、‥‥否、気付かない振りで話しを振る男は、そこで一度言葉を切って笑むと、少しだけ声を落として尋ねた。
「せっかくだ。おまえさんも久々に里帰りなんてどうだ?」
「――!」
 目を丸くして見返す少女に椎乃は更に問うた。
「あの国でおまえがどういう扱いになってるかは判らんし、多少は変装していった方が無難かもしれないがな。さすがに、気にならないか?」
「‥‥それ、は‥‥」
 彼はどこまで知っていて、そんな事を聞いて来るのだろう。
 穂邑の胸中にもそんな疑問は浮かぶけれど、少女には男を疑う理由がなかった。
「‥‥行きます」
「そうか」
 少女の返答に男は笑む。
「なら、まぁ、二人で行くのも味気ない。おまえさんが神楽の都で知り合った仲間ってのにも会ってみたいし、誘ってみちゃどうだ?」
「はい‥‥」
 そうして頷く少女の脳裏を過ぎったのは自分を心配してくれた彼らの顔だった。
 もしも頼んだら、彼らは協力してくれるだろうか。
 あの鈴のこと。
 自分が神楽の都に来た理由、‥‥全てを語ってなお、彼らは力になってくれるだろうか。
 石鏡の地で、あの日に断たれた時間の行方を見つけ出すために。


■参加者一覧
朝比奈 空(ia0086
21歳・女・魔
鳳・陽媛(ia0920
18歳・女・吟
キース・グレイン(ia1248
25歳・女・シ
のばら(ia1380
13歳・女・サ
月野 奈緒(ia9898
18歳・女・弓
アルーシュ・リトナ(ib0119
19歳・女・吟
ハッド(ib0295
17歳・男・騎
蜜原 虎姫(ib2758
17歳・女・騎


■リプレイ本文


 市女笠、笠、大紋、小具足、十手、ガーデンチュニック、シャツ、スピリットローブ、髪飾りやアクセサリ、それに靴。
 石鏡に向かうため、その面を知られては芳しくないという理由から穂邑を変装させるという意見で一致したまでは良かったが、朝比奈 空(ia0086)やのばら(ia1380)、アルーシュ・リトナ(ib0119)らが準備した小道具は種類豊富、国際色に富んでいた。状況が状況であるとは言え中途半端な変装は女の矜持が許さない。ましてや穂邑が着せ替え人形同然となればやる気も出る。
 最も、そのやる気と言うのも理由が有ってのものだったが――。
「何と言うのでしょう‥‥面白味が足りませんね」
「面白味っ?」
 アルーシュの台詞に穂邑が驚いて声を上げる。
「全体的に暗いと言いましょうか、‥‥もう少し賑やかな色を纏った方が良いのかもしれません」
「金とか銀とか、虹色のマントなんてどうでしょうね?」
 空が色を指摘したなら鳳・陽媛(ia0920)も変装コーディネートに参加。
 月野 奈緒(ia9898)もそれならと挙手。
「ピンクピンクも良いと思うにゃ!」
「ぴんく‥‥!」
 穂邑は目を見開いた。
 そんな少女達の遣り取りに、キース・グレイン(ia1248)と、こんな機会は滅多に無いからと着せ替え穂邑をスケッチしていたハッド(ib0295)、貴重な男二人も参加。
「印象を変えるなら髪を結ってはどうだろうか」
「いっそドレスとヴェール付きの帽子、それに日傘を用意してジルベリアの貴婦人を装って顔を晒さないようにするというのはどうかの」
「そう、ですね」
 空は櫛を片手に穂邑の長い髪に触れた。
「簡単に結わえて纏めるのと、編み込むのと、どちらがお好きですか?」
「えっ、って‥‥」
 滅多に髪を弄る事のない穂邑が動揺すれば「編み込んだのが見てみたいです」と陽媛。
「判りました」
 空は答えると、器用な手付きで穂邑の髪を編み始めた。
 そうして静まった室内で、キース。
「‥‥外見もそうだが、現地では呼び名も偽名で通した方が良さそうだな」
「それなら」
 のばらが言う。
「お兄さんにちなんで『イチさん』はどうでしょう!」
「良いのではないか? 凝った名前ではすぐに忘れそうだがイチなら簡単であろう。不安な者がいるなら穂邑が持つ小道具に大きく『1』とでも書いておけば良い」
「大きく『1』‥‥」
 目を瞬かせた穂邑は、もしかすると大きく『1』と書かれた日傘を差す自分を想像したのかもしれない。
「‥‥っ‥‥そ、それは何だか、イヤです‥‥っふ、ふふ‥‥っ」
 肩を震わせて笑う少女に、空やアルーシュは表情を和らげた。
 穂邑が笑った、その事にただ安堵する。
(すごく苦しそうだったもの。こういう時、力になってあげなくちゃ)
 のばらもぐっと拳を握り、目線の合った陽媛と頷き合う。
 そんな仲間達の輪から少し離れてじぃっと事の成り行きを見つめていた蜜原 虎姫(ib2758)がぽつりと呟く。
「良かった‥‥」
「ん?」
 そんな少女に聞き返すのは、同じく黙って成り行きを見守っていた長身の男――東郷椎野。今回の石鏡への旅、穂邑と共に親しい開拓者も一緒に連れて行ってはどうかと提案した張本人だ。
「何が良かったんだ?」
 その東郷に問われた虎姫は少し考えるように小首を傾げた後で、真っ直ぐに相手の瞳を見返した。その声は彼にだけ届くように。
 穂邑の耳には届かない声量で。
「この間のカムイの里では、可愛い笑顔、見せてくれた。なのに‥‥今回、会ってから、ずっと苦しそうだった‥‥」
 今も勢いに流されるように笑ってくれた穂邑だけれど、その笑顔が『本物』で無い事はきっと誰もが判っているだろう。まだ一度しか一緒に依頼を受けたことのない虎姫だけれど。
「あんな顔、させたくない、なって‥‥」
「ふぅん?」
 東郷は微笑う。
「だから今回の旅に同行する事にしたのか?」
 自然な物言いは、だからこそ他意を含んでいるようにも聞こえて、少女はほんの僅かに瞳を細めた。
「虎姫は‥‥虎姫の全部で、穂邑ちゃんの笑顔を取り戻すよ」
「それは心強いな」
 笑みを深めた東郷は「頼むぞ」と虎姫の肩を一度だけ叩き、直後に声を発したのは奈緒。
「穂邑ちゃんがお着替えするから男性の皆さんは外に出て下さいねー」
「ぁあ、そうだな」
 キースが言い、ハッドが筆を走らせていた紙面を覗き見る。
「へぇ、巧いな」
「そっくりであろう? この辺りの筋肉などが特に」
「あたし筋肉なんてありませんよっ?」
「‥‥そこは強調する部分では、ないのでは?」
「はっ‥‥!」
 空の指摘で真っ赤になった穂邑に、今度は仲間達の笑い声が広がった。その間に描き終えたそれを丸めて立ち上がるハッド。
「では準備を終えた頃にギルド前で待ち合わせ、ということで良かったかの」
「ええ」
 アルーシュが頷く。
 そうして男達は一時的に別行動を取る事になった。
「東郷さん、一緒に、ついて行っても、良いですか?」と、そう尋ねた虎姫が彼と行動を共にした以外は。



 彼らは神楽の都から石鏡へ旅立った。
 道中、キースとハッドが穂邑と東郷の相手をしている間に、のばらと虎姫が空達から今までの経緯を聞き、個々の持つ情報を共有する事で今回の石鏡への旅の目的を改めて確認。現地で注意する点や各自が担う役目を話し合った。
 約一年前――穂邑がまだ石鏡の巫女であった頃に起きた、理穴からの使節団を山賊が襲い全滅させた事件。偶々居合わせた東郷によって穂邑だけが生き延びたわけだが、そもそもこの事件が石鏡の内部でどのような扱いになっているのかも開拓者達には知る由がなかった。
 穂邑を変装させている間に、ハッドは描いていた絵――あの場では穂邑を描いているように見せかけて実際は東郷を描いていたのだが、これをギルドの受付である高村伊織に確認させ、数日前に受付に鈴を置いて行った人物が東郷である事は確認出来た。また、その後で合流した空と共に、それ以前に見つかってギルドで保管されていた古びた鈴と、錆びた刀も預かる事が出来た。それらはいまキースが背負った荷物の中に潜まされている。問題の鈴については、出発前に空が術視「参」を用いて何らかの術が掛けられていないかを確認済みだ。何の問題も無かったのは、果たして幸運だったのか否か‥‥。
 そしてアルーシュは神楽の都で、件の使節団の噂が少しでも集められないかと探ってみたが、これは完全な空振りに終わっていた。そもそも使節団があった事自体、知られていないのだ。
「理穴からの使節団である以上、この一団が壊滅したとあれば外交にも影響するでしょうし‥‥事件そのものが公にはなっていない可能性もあります」
 空が一つの可能性を呟けば虎姫が小首を傾げる。
「使節団は、他国からもよく来る?」
「さて‥‥」
 先を進んでいたハッドがふと後ろを振り返りながら言う。
「それは石鏡の者でなければ判らぬであろうが、不自然ではあるな」
「不自然、ですか?」
 穂邑が聞き返せば、応じたのはキース。
「異国からの使節団が壊滅、なんて事件。騒ぎにならないのはおかしいだろう?」
 使節団と言うからには相応の位にある者も同行していたはずで、その面々が石鏡で命を落としたなら、例え石鏡が公にしなくても理穴では大問題になる。そうなれば多少なりとも噂になるのは必至だし、各国から人々が集まる神楽の都ならば噂に尾ひれや胸びれまで付いて囁かれてもおかしくないだろう。――だが開拓者達はそんな話を聞いた事がない。
「噂にならないのが不自然、ですね」
 のばらも両手を握り締めながら同意を示し、ふと、前を行く東郷の姿を目で追う。
 虎姫が彼と行動を共にして知り得た情報と言えば、穂邑を神楽の都に連れて来て以降、石鏡に向かうのは今回が初めてであり、久し振りの土地を楽しみにしている、という事と、彼が出自を知られたくなさそうだという個人的な見解。
 虎姫はうまくはぐらかされた事を残念そうに皆に話して聞かせた。
 そして、穂邑は。
 理穴の内情はよく知らない。けれど、不自然と言われれば不自然な状況の中で、自分だけが生き延びてしまった事実を思うと、少女は無意識に唇を噛み締めていた。



 石鏡の都、安雲に到着すると、念のため時間をずらして宿に入ろうと決めて石鏡の町へ繰り出した。
「俺ぁゆっくり湯に浸かって美味い酒を楽しむ予定だったんだけどなぁ」と嘯く東郷を横目に見ながら――。
 キースはギルドに赴いて石鏡の依頼の傾向等、近年どういった内容のものが多いのかなどを調べ、奈緒は気になる場所があるからと馬を調達し、移動。
 他の面々は酒場に向かい、‥‥そこで、とある人物と出会った。



 酒場には実に多様な人々が集まる。
 ある人はハッドの口調に「面白い兄ちゃんだ!」と既に酔っ払った様子で絡む男衆がいれば、楽器を持つアルーシュに一曲頼むと声を掛けて来る者も少なくない。
 件の事件で犠牲になった巫女達の縁者――例えば穂邑の知人などに会えはしないかと、彼女の存在を知られないよう細心の注意を払いながら行動していた最中、酔っ払いの匂いに耐えかねて外の広場に出たアルーシュは、噴水の側で遊ぶ子供達と、その子達を見守る母親に歩み寄った。
「こんにちは」
「こんにちは‥‥あら、吟遊詩人さん? 珍しいわね。石鏡の方ではないのね」
「はい、ジルベリアから来ました」
「あらあら、ようこそね」
 母親も子供達も人見知りはしないらしく、笑顔でアルーシュに応じた。更に、子供達はアルーシュが胸に抱くハープに興味津々らしく、アルーシュが「気になりますか?」と弦を爪弾けば子供達の表情が綻んだ。
「素敵な音ね」
 母親の方もとても喜んだから、アルーシュは一曲奏でる事にした。
 広場に響く弦の音はとても優しく、異国の旋律は石鏡の人々を惹き付ける。そうして曲が終われば広場全体から湧き起こる拍手喝采。アルーシュは少なからず照れてしまい、その場で人々にお辞儀した。
 再び座り直せば子供達も大はしゃぎ。「とても素敵な曲だったわ」と、母親の方も絶賛だ。
「それにその楽器の音が本当に素晴らしいわね。琴や琵琶とは全然違うのだもの」
「この楽器はハープと言います。‥‥ですが、そう」
 アルーシュはふと思い付き、言う。
「石鏡には『鈴の巫女』と呼ばれる方々が居るという噂を聞いたのですけれど」
「鈴の巫女?」
 鈴は、音そのものが邪を祓うと言われるものだ。穂邑達四人の巫女が、任務につくにあたって持っていた、世界に四つだけの鈴。となれば彼女達には使節団の案内という役目以外にも何かしらの意味があったのではないかと考えたのだ。
 しかし子供や、その母親からの反応は芳しくない。
 曰く「聞いた事がない」だった。
 だが。
「そうですか‥‥では、私はこれで」と立ち上がり掛けたその時。
「鈴の巫女とは、良い響きね」
 不意に背後からそんな声が掛かり、アルーシュはそちらを振り返った。其処に立っていたのは巫女袴姿の三十代‥‥もしかすると二十代かもしれない若々しい女性。はっきりとした顔立ちがキツイ印象を与えるが、一言で言うなら「美人」だ。
「貴女は‥‥」
「石鏡の歴史にちょっと詳しいお姉さんよ」
 にっこりと微笑まれて、アルーシュの胸中に微かな懸念が生じる。と、それに気付いたらしい女性は更に笑みを強めた。
「まぁ、そんなこと言う奴は怪しいことこの上ないわね。私だったら即オサラバよ。んー、じゃあ名前は陽炎って事でヨロシク」
「陽炎、さん‥‥ですか」
 とらえどころのない態度で名乗る女性にアルーシュは警戒を強めるも、陽炎はやはり笑うだけ。
「少し話さない? お酒の一杯くらい奢るわよ?」
「‥‥」
 酒場には空やハッド達、仲間がいる。
 ならば‥‥とアルーシュは陽炎の誘いを受けるのだった。


 陽炎と向き合って座ったのはアルーシュ一人。他の面々は近くの席で何気なくを装いながら二人の会話に聞き耳を立てていた。
「貴女が言った『鈴の巫女』‥‥関係無いかもだけれど、こんな話があるわ」
 そう前置きして語る内容は正にアルーシュ達が欲していたものだった。約一年前に某国から使節団が来てね、と。国名が隠されたところで開拓者達には判る。
「その使節団の案内に四人の巫女が選ばれたのよ。役目を貰えた事は巫女達にとっての誉れだけれど、‥‥当時はいろいろ問題もあってね」
「問題、ですか?」
 聞き返すアルーシュに陽炎は肩を竦める。
「幼い国王を持つ国には色々とあるのよ?」
 意味深な笑みと共にそう答え、そして。
「ま、端的に言っちゃえば使節団って言うのが嘘っぱちで野心家なお偉いさんの罠だったんだけど」
「えっ」
 ガタッと、数箇所から身を乗り出す音がして、陽炎は目を瞬かせる。
 気付かれてはまずいと感じたアルーシュは慌てて先を促した。
 不思議そうな顔で周囲を見渡した陽炎は、とある一点で視線を止めると、微かに微笑んだ。そして、続ける。
「その子達にはとっても美人な姉貴分の巫女さんが居て、御守り代わりに桔梗の花の紋を刻んだお揃いの鈴を渡したのよ」
「桔梗の花の‥‥」
 それは、正しく。
「‥‥その四人の巫女は、今‥‥?」
 アルーシュの問い掛けに陽炎は言う。
「死んだわ」
 伏せた瞳から感情は窺がえない。
 ただ、物言いは淡々としていた。
「使節団が嘘っぱちだったって気付いて、安雲で首謀者達を捕らえて、巫女達を助けに向かったけれど間に合わなかった‥‥使節団に扮した改革派があの子達に手を出す前に、‥‥マヌケな話。山賊に襲われて全滅したの」
「そんな‥‥」
 誰一人救う事も出来ず、事情が事情なだけに使節団は急な事情で来れなくなったとして最初から無かった事にされたのだ、と。
「‥‥でしたら」
 最後に一つだけとアルーシュが問うたのは、巫女の事。
 それは、彼女が視線を止めて微笑んだ先に居たのが変装した穂邑だと気付いていたからで。
「もし、万が一にもその四人の巫女に生き残りが居た場合は‥‥?」
「さぁ‥‥生きていない方が幸せでしょうね」
「と言うと‥‥?」
「改革派の残党に殺されちゃうわ」――。


「これ‥‥」
 奈緒は目の前に広がる光景に声を震わせた。
 何故、だとか。
 どうして、だとか。
 そんな疑問符も浮かばない程、彼女は困惑していた。
 約一年前に理穴からの使節団と、その案内役を務めていた穂邑を含む四人の巫女達が襲われた現場から近い位置に広がる森に入って、すぐの場所。
 其処に並ぶ『それ』の意味を思うと奈緒の脳裏には一つの予感が生まれつつあった。



 夜、宿の一室で顔を揃えた開拓者達は、それぞれが石鏡で得た情報を共有していたのだが、中でもアルーシュが持ち帰った『陽炎』という女性に関する情報には頭を悩ませずにはいられなかった。
「陽炎さん‥‥とても、その‥‥怪しい女性でしたけれど、彼女の話には説得力というものがありまして‥‥」
「だな‥‥」
 困惑気味に語るアルーシュに、キースも難しい顔で考え込む。
 それでなくても様々な場所で情報収集にあたるも理穴からの使節団があった事、その使節団が壊滅した事――本来であれば国が総出で調査にあたって然るべき内容であるだろうに、そういう事があったという話さえ僅かにも聞く事が出来なかったのは異常としか言い様がなかった。
 そんな中での陽炎の話。
 更に疑問を深める情報を加えたのは奈緒だ。
「穂邑さん達が山賊に襲われたっていう場所を見て来たんだけど、‥‥その――」
「――」
 奈緒からの情報に開拓者達は目を瞬かせ、正直、混乱した。
「ふむ‥‥」
 ハッド、キースと難しい顔になり、女性陣の表情も浮かない。
「穂邑さんも、あの陽炎さんという人の事を聞こうとすると口を閉ざしてしまいますし‥‥」
 空の鎮痛な表情での呟きに、開拓者達は壁の向こうに居る東郷と穂邑、二人の事を思う。
 恐らく穂邑は陽炎を知っている。その逆もまた然り。にも関らずその事を話さない理由は‥‥?
「‥‥少し、東郷と話がしたいな」
 キースが言えば、陽媛。
「なら、私が穂邑さんと一緒に温泉に行って来ますね」


 他の仲間達が東郷とどんな話をしているのか気にならないではなかったが、皆が自分を案じてくれている気持ちは充分に伝わっていたから穂邑は陽媛に連れられるまま宿の自慢だという温泉に浸かっていた。
 空を見上げればそこには無数の星の瞬き。
 湯煙が時折視界を遮るけれど、そんな障害など気にもならないほどに美しい星空が広がっていた。
「‥‥綺麗‥‥」
 無意識に紡がれた言葉に、すぐ側で同じく湯に浸かっていた陽媛が微笑む。
 やっと穂邑の正直な言葉が聞けた気がしたからだ。
「少しは気持ちが楽になった?」
「ぇ‥‥?」
 陽媛が問い掛ければ穂邑は驚いたように目を瞬かせた。
「温泉は、気持ちを穏やかにしてくれる効果もあるから」
 微笑む陽媛に穂邑は何かを言いかけたが、結局は言葉が見つからずに口を閉ざして俯いてしまった。と、陽媛は優しく微笑んで語りかける。
 それは、心許せる相手と信じてこその、言葉。
「‥‥怖いですか? 知っていく事‥‥」
 問い掛けるも相手の答えは判っていた。怖くないわけがない、そうでないなら、こんな風に痛々しい表情を見せる事はないはずだ。
 ‥‥だから。
「‥‥あのね? 私には血の繋がっていない兄がいるの」
「‥‥?」
 唐突な話題に、穂邑は顔を上げた。
 少なからず困惑した表情で陽媛を見つめる。その視線を真っ直ぐに受け止めて陽媛は続けた。
「私ね、‥‥私は、兄さんが好き」
「――」
「兄妹って意味じゃなく、‥‥おかしいかな?」
「っ、え、ぃ、いえ、あの‥‥!」
 あまりにも突然の告白に咄嗟の反応も出来ずにいた穂邑は、それでも陽媛を傷つけたくなくて必死に言葉を探した。
「おかしいなんてそんな‥‥っ、私も兄様が大好きで、あ、でも兄様と私は血の繋がりはなくて‥‥って、そう、同じですなんですよねっ」
 動揺のあまり自分の発言では会話が成り立たない事にも気付かない穂邑に、陽媛は素直に微笑んだ。
 その微笑みに穂邑の強張りは解れてゆく。
「‥‥おかしくなんて‥‥ないです‥‥その、陽媛さんの「好き」は‥‥きっと、私が知っている「好き」とは違うのでしょうけれど‥‥はっきりとは判りませんけれど‥‥でも‥‥」
「うん」
 陽媛は頷いた。
 そして、小さくなる穂邑の肩を抱いた。
「‥‥私の秘密。言ったから穂邑さんの秘密も聞かせてなんてムシが良いのは判ってるけど‥‥だからって、穂邑さんにだけ言わせるのも卑怯かなって」
 だから、と言うのも卑怯だけれど。
 自身の告白が穂邑の頑なな心を解すきっかけになればと願わずにはいられない。
「穂邑さんは、穂邑さんなの」
 過去に何があっても。
 過去にどれだけの罪があって、穂邑がその事を後悔し、自身を蔑もうとも、陽媛にとっては目の前にいる現在の穂邑が全てだ。
「私は、今の貴女と友達なんだから」
「陽媛さん‥‥」
「私は‥‥ううん、皆きっと大丈夫だから、‥‥話してね? 穂邑さんの、言いたいけれど言えないこと」
 例え何を聞いても穂邑の事を嫌いになったりしない。
 軽蔑したりもしない。
 そうでなければ石鏡まで一緒に来ようなんて思わない。
「皆、穂邑さんの友達なんだから」
「‥‥っ」
 陽媛の言葉に再び俯いた少女の、首元の水面に広がる波紋。
「‥‥そうですよ」と、その肩に触れたのは東郷との話を終えて二人を呼びに来た、空。
「私としても別に伊達や酔狂でここまできた訳ではありません」
「‥‥っ」
「どうか、独りではないと言う事は、理解して下さい」
 溶けた氷が流す水滴のように、穂邑の頬を伝う雫が一つ、二つと絶えず広げて行く波紋が落ち着くまで待って湯から上がった二人は、そうして戻った部屋で明日の目的地を知らされる事になる。
 全員であの場所へ。
 穂邑が山賊に襲われ、東郷に救われた、あの場所へ――。



 安雲から北へ。
 三位湖から流れる川に沿うようにして下り、陽天を過ぎ、武天との国境にもなる山脈の手前にその場所はあった。
 当時の記憶が曖昧でほとんど覚えていない穂邑は、実際に其処に近付くにつれて顔が蒼褪めていき、その手を空と陽媛に握られる事で何とか平静を保っていられるといった風だった。
 そうして辿り着いたその場所は、森と崖に挟まれた細い街道だった。かつて理穴からの使節団と、その案内役に任命された四人の巫女が山賊に襲われて壊滅した現場は、前後から襲われれば逃げ道など無いと言わざるを得ない程に狭い空間だった。
「‥‥こんな場所を使節団が通るのかの」
 ハッドが胡散臭そうに呟くのを聞きながら、アルーシュが奈緒に問う。
「その場所は‥‥?」
「こっちこっち」
 奈緒は仲間を手招きすると、崖の対面に広がる森に入って行った。
 しばらく歩くと、森の木々の合間に不自然に加工された石が複数見えた。それが何なのか知らないのは、穂邑一人。
 昨夜、穂邑と温泉に行っていた陽媛は就寝前に仲間から聞かされていたのだ。
「‥‥あれは‥‥?」
「――‥‥墓、だよ」
「え?」
 答えたのはキースだが、穂邑は聞き取れなかった。‥‥否、聞こえてはいたが理解するまでに時間が掛かったのだ。
「お、墓‥‥って、‥‥?」
「穂邑さんと一緒に、使節団の案内を任されていた巫女達の、‥‥です」
 空が言う。
「当時の事は私達には判らないけど、少なくとも襲撃事件の時の穂邑さんに仲間のお墓を作るような心の余裕はなかったと思うから」
 この場所を、昨日の内に訪ねていた奈緒が言う。
 墓を見つけたのも彼女だ。
「なら、誰がこのお墓を作ったのか」
 奈緒が確信めいた発言と共に視線を注いだその先に、他の面々も続く。全員の視線はただ一点、東郷に向けられていた。
「‥‥‥‥東郷さん、が‥‥?」
 穂邑が聞き返す。
 東郷は肩を竦めた。
「なるほど。これで、アレか」
 自嘲気味に笑う東郷が言うのが昨晩の話だろう事は穂邑以外の全員が察せられた。
 そんな男に最初に口を切ったのはキース。
「奈緒からこの墓を見つけたと聞いた時、これが本当に穂邑と共に理穴からの使節団の案内役を務めていた巫女達の墓なのだとしたら、これを作れるのはあんたしかいないだろう」
 墓石に削られている名は伽藍(がらん)、信天(しんてん)、雲雀(ひばり)。穂邑に確認すれば間違いなくあの時の巫女達の名前だと判る。
 そして、其処にある墓はもう一つ――穂邑の名が刻まれた物もあったのだ。
 だから、キースは。
「諸々の状況から、俺達はあんたを疑ってた。‥‥その事はあんたも判っていたはずだ」
「だろうな」
 東郷からはあっさりとした肯定の返事。
 目を見開く穂邑の肩を、陽媛がそっと抱き締めた。
「件の襲撃事件に居合わせた穂邑を助けたあんたなら、世界に四つしかないという巫女達の持っていた鈴を手に入れる事も出来ただろうし、陰陽師にはアヤカシを発生させる事も出来る」
「そうだな」
「ギルドの伊織さんのところに鈴を置いていった人物‥‥『体格の良い陰陽師の男性』‥‥東郷さんはその特徴にも当てはまります」
「我輩が描いた絵で東郷、そなただと伊織にも確認済みだ」
 のばら、ハッドの更なる確信に、東郷は。
「で。俺を全員でどうにかしようって計画か?」
 どこか挑戦的な台詞に開拓者達は眉根を寄せるが、相手のペースにはまっては真実を掴めないと己に言い聞かせながら、言葉を重ねる。
「鈴と、関連する事件。誰かに仕組まれていた事と、思えるのです。穂邑さんを追い詰めるための悪意があるような‥‥」
「その犯人を、私達は貴方だと考えていました」
 空は言い、ですが、と言葉を切る。
「酒場で陽炎と名乗る女性と出会い、聞いた話からは別の可能性が見えて来ました」
 その名が偽名であろう事は薄々勘付いているが、かといって本名も知らないのであえてその名を口にする。
 不敵な笑みと共に語られた彼女の言葉は、恐らく、事実。
「だから聞きたい」
 空に続いて奈緒は言う。
「東郷さん。貴方は何を知っているんですか?」
 そして。
「貴方は穂邑さんの味方ですか? それとも、敵ですか?」
 空の問い掛けに、ドクン、と穂邑の心臓が不安に大きく跳ねたのを、その肩を抱いていた陽媛は感じ取った。穂邑が東郷を信頼しているのだと判るからこそ陽媛も胸に痛みを感じ、‥‥信じたいと、願う。答えを得るまでの長い沈黙は、ともすれば呼吸すら忘れそうになるほど重かった。その沈黙を破ったのは――穂邑。
「私‥‥」
 震える声に陽媛が、のばらが、その手を握る。
 だから穂邑は前を見る。
「私は、もう、何も知らないわけじゃ、ありません‥‥っ」
 命じられるままに使節団の案内役に加わり、仲間の死を呆然と見ている事しか出来なかった幼い子供では、ない。
 穂邑の言葉を、開拓者達は昨晩の東郷の話に重ねて聞く。

『あの時の穂邑は本当にお人形さんみたいでなぁ。山賊に襲われているってこと自体がよく判っていなかったように思う』

 東郷は語った。
 次々と斬られていく仲間や、使節団の人々の血を浴び、髪も顔も、服も真っ赤に染めて呆然と座り込んでいた少女は、東郷が助けに入った事すら認識していなかっただろう、と。
 泣きも叫びもせず、‥‥きっと東郷が他の巫女達の墓を作っている事も見えていないまま、少女は数日間に渡って食料を口にしようともしなかったそうだ。
 何がきっかけで我を取り戻したのかは判らない。
 だが、神楽の都へ向かう途中で見掛けた、馬車を使って移動する人々の姿を目にした途端に一度だけ叫び、気絶。その後で目覚めた少女は何かを忘れたように‥‥恐らくはあの出来事を忘れて、正気に返ったのだろう。忘れなければ前に進めなかった――何も知らない真っ白な少女には、それしか選択肢がなかったのだ。
「‥‥綺麗なものが闇に染まって行く様は、なかなか興味深かっただろう?」
 薄く笑いながら告げられる言葉は穂邑の心に突き刺さる。そうして萎れかける勇気を支えるのは、仲間。
「事件の時、何も出来なかったことを悔いているようだが」
 キースの声がすぐ側から響く。
「‥‥何も出来ないのは、今も同じなのか? 自分が至らなかったと‥‥そう思っているのなら、変われる筈だ」
 力強い言葉に滲む信頼。
「!」
 不意に肩に置かれた手は、ハッド。言葉は無かったけれど、そこから伝わる温もりが胸に染みた。穂邑は目を閉じて一度だけ深呼吸をする。そうして再び視界が開けた時、少女の瞳には強い決意があった。



「どうして自分だけ生きているのかが、判らなかったんです」
 穂邑が告げる、その場にいる全員に対してしっかりと顔を上げながら。
「山賊に襲われる少し前に、使節団だと言っていた人達から拘束され掛けていて‥‥わけが判らなくて、‥‥誰を信じたら良いのか‥‥信じられる人が、居なかった」
 ともすれば御守り代わりに鈴をくれた人も、こうなる事を知っていて自分を案内人に指名したのかという疑念が胸を占め、恐ろしいのと悲しいのとで、心が壊れていった。
 長屋の幽霊騒ぎの際に見つけた鈴を見て記憶を取り戻した時もそうだ。どうしたら良いか判らなかった。
 誰にどう話せば良いのか、誰を信じたら良いのか、判らなくて。
 ずっと忘れていた自分の鈴を荷物の中から探し出して、それを握り締めながら口を閉ざすしかなかったけれど、‥‥今は違う。
「今は信じられる人がたくさん居ます‥‥だから‥‥だからもし、東郷さんが悪い人なら‥‥私は戦います‥‥っ」
 自分の無力で大切な友達が傷付くのはもうイヤだ。守る為に戦う、それが神楽の都で開拓者になった自分が学んだこと。
「‥‥」
 真っ直ぐに見据えてくる穂邑の眼差しに、不意に東郷は微笑んだ。
「一つ言っておくが、俺が出したアヤカシは長屋の幽霊のみだ。穂邑の周りにいる開拓者の実力ってのを見たくてな」
 その言葉にやっぱりと思う者、安堵の息を吐く者。それらを見遣り、東郷は続けた。
「石鏡の巫女だった穂邑は、一年前のあの日、此処で死んだ」
 だから墓もある。あの事件に関わった者は全滅として石鏡の上層部も納得している。
「もう二度と石鏡には戻るな」
「東郷さん‥‥」
「おまえは神楽の都で開拓者をやっている穂邑だ。‥‥それで良い」
 穏やかに笑んだ東郷は、その視線を開拓者一人一人に止めて言う。
「穂邑を連れて行ってやってくれ。――頼む」
 真っ直ぐに告げてくる彼の言葉は誰の耳にも真摯に届き、だから空やアルーシュは穂邑を促す。このままで良いのか、とキースが口を開き掛けた、その時。
「また会えますよね‥‥?」
 穂邑が東郷に投げ掛けた問いは、恐らくその場の全員の思い。
 それが判るから東郷は笑む。
「ああ。兄様によろしくな」
「はい‥‥『桔梗姉様』にも、よろしく伝えて下さいね‥‥っ」


 一年前に東郷に救われたこの場所で穂邑は彼の手を離した。
 与えられるものが全てだった石鏡の巫女は、自分の足で歩き出す開拓者になって旅立つ。
「‥‥兄様って呼ばれたいのは貴方でしょうに」
 遠ざかる開拓者を見送る東郷の背に声を掛けたのは、陽炎。
「桔梗姉様によろしくってよ」
 そんな台詞で応じれば陽炎は――桔梗は「聞いていたわ」と微笑った。可愛い幼子の旅立ちにそれ以上の言葉は要らなかった。
 あの日、血の惨劇を忘れて笑顔を取り戻した少女に、忘れたなら忘れたで良いと東郷は考え、同時に、一生そのままで良いはずがない、とも思った。
 時が来れば穂邑は過去と向き合わなければならない。それが穂邑を助けた自分の責任だと、ずっと。
 その結果がこの瞬間なら悪くない。
 綺麗なままでは強くなれないが今の穂邑ならきっと立派な開拓者になれる。


 鈴の音が聴こえた。
 桔梗の花が刻まれた小さな鈴の音は失われた友のために。
 散華――君の旅立ちに光りあれ――‥‥。