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■オープニング本文 前回のリプレイを見る ●表の話 帰り道に書いた地図 二重円の中心に塔らしき絵と走り書き。 『レンシークイとは』 封印の奥の遺跡そのもの。集積塔が頭、外円の施設が手足。 戚夫人の封印で遺跡を外界の瘴気から隔離。精霊力で塔と外円の通信を遮断し、機能停止させている。一蓮教はクイが負の感情を集めるのを逆手に取り、自らの喜怒哀楽を抑え虹蓮を刈ることで、クイの力を削いできた。 「何百年も?」 「何百年も」 気の長い話だなと、仙猫は呆れた。 「ひとつには現状を維持し、黒蓮鬼との共存を続けるため。もうひとつ、クイは植物に似て、根を絶たぬ限り何度でも蘇る。その方法を、一蓮教は探し当てられなかったのでござる」 ●表の話 開拓者達の長い長い戦い 巌坂 封印の間 残骸を踏みつけ、かえるのおひめさまは胸を張った。 「虹蓮花が追い出だせるなら、黒蓮花だって追い出せますの!」 みぞおちをさすったしらゆきひめは、くすぶる灰と皆を見比べた。驚きに凍りつく中、一人だけ冷めている者がいる。 「ご存知でしたか?」 薄いため息を吐き、戚夫人はうなずいた。参が銃を抜く。 「知ってたのかよ! なんで言わなかったにょ!」 「口を閉ざし、笑え!」 矢が参の利き手を直撃し、鮮血が迸る。二射目が脚を貫通し床へ縫い付けた。 「クソが、テメエ! テメエぶっ殺す!!」 拳で床をたたき、なおも前へ進もうとする参。ふくらはぎの傷がみるみるうちに裂け、血だまりが広がっていく。 音を頼りに明結はふらふらと進み出た。両手を広げているのは、やめてと伝えたいのだろう。彼女が懸命に訴える先には、誰もいないのだけれど。 進んでいく明結を無視し、戚夫人は呂へ矛先を向けた。 「今もどこかで虹蓮が咲いている。虹蓮を刈り尽くすまで、偉大なお役目は続く」 経文でも読み上げるように戚夫人は言葉を吐いていく。 「痛覚も無く、自然治癒能力も無く、心臓を刺されれば即死する。大部分は葬儀で始末され、鬼と化すことすらない。頼みの綱の魂魄転写は、理力ある巫女ならばその能力を複製するが、ただの女ならただの女のまま。けして生前以上の能力にはならない。 『弱い』のだよ、我々は。ゆえに長い長い間、一見して無害を装ってこれたのだ。志体を持つ者は貴重な戦力、逃げられては困る」 青ざめていた呂がへたりこんだ。 「わた、わた、私の信じてきたものは、一体……」 その肩にふわりと手が置かれる。見上げた早紀には一本角があった。 「今なら飛鳥さんからの言伝をお伝えできそうですね」 修羅は参へ向かい歩いていく。 「『名前も覚えていない。顔も忘れた』。今ならわかります。見逃してくれるという意味だと。それが貴方がたの報国への感謝と、けれど認められない板挟みに悩まれた末の言伝だという事も」 脚に刺さった矢を引き抜くと、修羅は包帯で止血を始めた。 「私は今の貴方しか会ってません。貴方が参梨那と仰るならそうでしょう」 どぼん。 「お母さん!」 水音が続いた。修羅が振り返った先、地底湖にはふたつの波紋。 ●裏の話 チャイニーズルーム 水だと思っていたものは、そうではなかった。不思議な水、あるいは濃密な空気に似た、精霊力。明結の顔の古傷が、落としたガラスの杯のように割れる。全身から滲み出すのは瘴気だ。 助けるために飛び込んだはずなのに、体が動かない。十年前、同属から身を挺し明燕をかばったアヤカシは、しだいに固化し動きを止めていく。 「わた、わた、わた」 本物の呂明結を、明燕は知らない。三時のおやつを作ってくれたのも、寺子屋の帰りを出迎えてくれたのも、泣いていた彼女に飴をくれたのも。 血まみれの少女を、明燕は見つめた。追いかけられたあの時と同じ思いが蘇る。 (「気持ち悪い」) 明燕の瞳が焦点を失った。 「私はアヤカシ以下だ」 ふたつの影はゆっくりと沈んでいく。 ●どこかの話 集積塔 封印の間を映すパネルを横目に、牟多岐は宙に浮いた無数の文字列を操っていた。塔を満たす濃い精霊力に、にじみ出る汗を拭く。 「ああもう、暑っ苦しいわ、肌チクチクするわ。これが外円に流れ出たらと思うとぞっとする」 ため息をつきながら構築式の解析にいそしむ。古代人の遺物は、末裔である彼にとっても難物だ。機能と構造は把握できても、構築式となるとアヤカシ生成術の知識を頼りに手探りで進むしかない。堆積した記録を腑分けし骨髄を探る作業は、レンシークイの機嫌取りに等しかった。 虹蓮花と黒蓮花の構築式は入手した。当初の目的だった駒集めには、十分な成果だ。だが探していた親玉は、失われて久しい技術の結晶だった。 再生医療技術の極北『翡翠丹』。 さらには、眷属から情報を収集し記録する、司令塔としての機能も持ち合わせている。宝の山を掘り当てた気分だ。けれども、そいつは恐ろしく気難しく融通が利かない。 集積塔の壁は、今や全面が過去の記録を映す銀幕と化していた。時代も背景も不明な悲劇が綴られ、苦悶と慟哭が漏れ聞こえる。中央の巨大なスクリーンでは、とんがり帽子をかぶった少女の涙が再生され続けている。 「お気に入りですか、そのシーン」 牟多岐は何も無い空間へ話しかけた。 周囲を泳いでいたパネルがパタパタと音を立てて繋がり、スクリーンに変わる。 『****』(かわいそうに) 白い稲妻が画面を走り、古代文字に変わった。暗い背景では無数の怨霊がげらげら笑っている。 『****、****!』(かわいそうに、かわいそうにねえ!) 『***翡翠丹**、**愛別離苦***』(翡翠丹さえ飲んでいたなら、苦しみから解放されたのに) 『***瘴気。****瘴気』(瘴気を、もっと瘴気を) 『*****吾不知**。**現在不同。***!』(あの頃はできなかった。情報が不足していた。今ならば可能だ、実験を!) 『*********、*******! 人類的悲願****!』(莫大な情報を組み合わせ、思いのままの人間存在の作成を! 不老不死を!) 「封印を解除しないと無理ですよ。瘴気が足りません」 左腕と管を回収できていれば、今頃封印に穴を開け瘴気の流れを取り込めただろう。だが開拓者達の閃きでその手は封じられた。彼自身が蓄える瘴気は、クイの求める量には程遠い。 「戚夫人に解除させるか、それともあなたが力を付けて内側から割るか……」 待てよと牟多岐は手を止めた。黒蓮花は魂魄を転写し能力を写し取る。クイは眷属から情報を集める。そして自分は、クイの記録を閲覧できる立場にある。 ●表の話 開拓者達の長い長い戦い 違和感が走った。夜の残り香と気づいた修羅は叫んだ。 「戚夫人!」 彼女の衣の裾が虹色の扉からはみ出ている。修羅は駆け出した。伝えたいことがあったのに。 時が止まった。再び動いたとき、地鳴りが響いた。 空がにわかに掻き曇り、町の人々はざわめいた。大量の瘴気が、巌坂へ吸い込まれていく。 |
■参加者一覧
六条 雪巳(ia0179)
20歳・男・巫
ケロリーナ(ib2037)
15歳・女・巫
神座亜紀(ib6736)
12歳・女・魔
霧雁(ib6739)
30歳・男・シ
中書令(ib9408)
20歳・男・吟
呂 倭文(ic0228)
20歳・男・泰 |
■リプレイ本文 ●契機 突き上げるような揺れが襲った。 湖面が泡立ち、黒い蓮がざわめく。橋が傾き亀裂が走った。揺り椅子が踊り、卓が倒れ翡翠丹がこぼれる。ケロリーナ(ib2037)はコレットの背にすがりついた。 「何が起きてるですの!?」 足元が斜めになっていく。血の池がぬめり、参はずるずると湖面へすべり落ちていく。その手を中書令(ib9408)がつかんだ。 「鼎!」 相棒は落ち着いた表情のまま、橋脚の上に陣取り、爪鉄鋼を床に食い込ませると命綱を繋いだ。揺れが収まり、まだ波打つ湖が瓦礫を飲む。 ひび割れを飛び越し、神座亜紀(ib6736)は出口へ走り出す。 「外を見てくる! 呂さん達をお願い!」 「必ずお助けするでござる!」 綱を掴み、霧雁(ib6739)は湖へ飛び込んだ。同時に白 倭文(ic0228)も床を蹴る。中書令は橋脚へ参を引き揚げた。六条 雪巳(ia0179)も、咳き込みながらそれを手伝う。 地上への扉を押し開けた亜紀は、右往左往している神官達と目が合った。空に紫の霞がかかり、瘴気が浮島へ吸い込まれていた。封印が破られたと気づき、亜紀は叫ぶ。 「レンシークイが復活しそうだ。町の人の避難と脱出の準備を!」 柱にすがっていた神官たちは凍りついた。浮島の巌坂は、泰儀本土に領土を持たない。避難先がないのだ。 この世の終わりのような顔で女官が答える。緩和棟の黒蓮鬼を外へ連れ出すわけには行かないと。 「アヤカシだからなんだっていうの、関係ないじゃないか」 気を吐きつつも亜紀は拳を握りこんだ。近隣諸侯へ協力を仰いだなら、一蓮教がひた隠しにきてきた黒蓮鬼の存在が明るみになる。そうなれば巌坂は町ではなくアヤカシの巣窟と見なされ、侵略に怯えることになる。 「翡翠丹が泰儀へ大量流出した梁山時代の悪夢をくりかえしたくはないんだね。そうだね、不老不死に目がくらむ人は、いつの世も居るよね。だけどさ!」 亜紀は声を荒げた。 「今クイをなんとかしないと、千年でも万年でもあなた達は苦しみ続けなきゃいけない。だからボク達を信じて、脱出の準備だけでもして」 神官達は深々と頭をさげ指示を出すために散っていった。 湖へ潜った二人は水の感触に既視感を覚えた。苦しくはない。濡れた感触すらない。奇妙な、あるいは。桃色の猫耳が不快げに動く。 (「集積塔と同じ精霊力でござる。どういうことでござろうか」) 疑問をひとまず胸にしまい、霧雁は赤黒いもやに包まれた小さな人影へ泳ぎ着いた。帽子とストールの下から、とめどなく血があふれていた。火傷を負ったように全身がただれ、じくじくと瘴気が滲み出している。いたましい姿に霧雁は奥歯をかみ締めた。明結を抱えると、命綱で上に合図を送る。 倭文はもやを抜けた。辺りを見回しても恋人の姿は見当たらない。 「明燕、聞こえてるか、明燕、倭文だ」 呼びかけながら倭文は黒蓮の林の奥へ潜っていく。 やがて黒蓮の林の奥底、暗い水底から浮き上がるように、花畑が姿を見せた。ゆらりゆらりとゆらめくほどに、輝きを増す万華の花園。あなたもこなたも煌めいて、祭りの旗を掲げたよう。咲き乱れる色彩はしみじみと深く鮮やか。まるで、常世の春の庭。 倭文は呼吸を忘れた。湖底に広がるそれは無数の屍だ。贅を凝らした死装束に包まれ折り重なっている。死者の胸を突き破り、黒蓮が水面を目指している。皆が口にしてきた翡翠丹、その苗床であった。 ●心の扉 亜紀が戻ってきたのは、ちょうど明結の体が引き上げられた時だった。重体で動けない参の隣で、難しい顔のまま雪巳が明結の診察を続けている。 霧雁は参へ手を伸ばそうとしてやめた。自分の身が湖の精霊力を帯びていると気づいたのだ。濡れた感触こそないが、懐の連結褌をのぞくと不思議な光沢がある。それは己が身が、アヤカシへは毒と変わったことを意味していた。 (「精霊の加護があるゆえに参さんへ触れることもできぬとは、皮肉でござるな」) 眉間にしわを刻んだまま雪巳が言う。 「症状としては全身火傷ですが、出血というのでしょうか、瘴気不足で生体維持が困難になっている。手足は、もう切り落とすしか」 見かねて神風を呼ぼうとした火ノ佳の肩を、雪巳が抑える。 「精霊力では、私達の術ではアヤカシの傷を治すことはできない……」 「じゃが雪巳、このままでは明結殿が」 「とにかく止血をして、翡翠丹を飲ませて応急処置を」 湖面へ手を伸ばし、雪巳は蓮華座を折り取った。だが全身から滲み出る濁った体液を保護するには、焼け石に水だと誰もが気づいていた。明結の胸は何かへ抗うようにわずかに上下していた。けれどその動きもすこしずつ弱くなっていく。 「おばさん、ねえおばさん……!」 参が泣きながら呼びかけているが応えはない。明結の黒蓮花は灰になりつつある。ケロリーナが黒蓮の蓮華座をもぎ取った。 「戚夫人の残した言葉が真実なら、天津甕星の効能があるはず」 ケロリーナが明結の手を取った。ただれた肌がはがれ、粘液質な音が響く。 短く祝詞を唱え、天へ掲げた翡翠丹は爆竹のごとく派手に弾け飛んだ。甘いような苦いような匂いが鼻をつく。エクターが主人を気遣いお嬢様と呼びかけた。ポケットからハンカチを取り出し、ケロリーナは顔をごしごし拭く。 「試さなければ結果はわからないですの。黒蓮花に蒼浄焔戈が有効なのは、アヤカシだからですの。……知ってましたの」 主人がハンカチに隠した涙が、ひしひしとエクターの胸に迫った。参がわめいている。 「ああもう、天帝さまでも何でもいいから助けてよ! でなきゃ楽にしてあげてよ……!」 中書令がおとがいに拳を当てる。外の様子を亜紀から聞いた彼は、ゆっくりとまばたきをしながら思考をなぞるように声を出した。 「巌坂に瘴気が流れ込んでいるのですか。レンシークイは医療支援を行う要塞でしたね、雪巳さん?」 「はい、情報支援と生体部品の……」 短く息を吸い込んだ雪巳と亜紀は、まさかと中書令を見つめた。彼はきっぱりと言い放った。 「それを探しに行きます」 亜紀が瀕死の明結と扉を見比べる。 「分の悪い賭けじゃない。生体部品での再生医療がクイの能力なんだし、明結さんも参さんはクイの眷属だもの」 雪巳は蓮華座から翡翠丹をひとつ取って口にし、仲間へ差し出す。 「まだ、頭が追いつきませんが、私は蓮肉喰いでなくなった、ようです。しかし扉の中へ行くなら翡翠丹は必須……」 亜紀が受け取り翡翠丹を口にした。中書令はゆっくりと頭を振る。 首をひねっていたケロリーナは、やおら湖の精霊力を頭からかぶり、水をがぶ飲みした。 「精霊さまのご加護があるから大丈夫、と思いますの」 だが遺跡探索は、早々に中書令とケロリーナが脱落することになった。 術で打ち消す努力はしたが特殊な混乱に抗いきれず、前後不覚になった二人を連れ一行はひとたび湖まで引き返した。 思いを仲間へ託し留守番役になった中書令は、しつこい耳鳴りに頭を抑えた。隣では鼎が心配そうに寄り添っている。ため息を吐いた中書令は苦笑いを浮かべた。 「蟹男の前でなくてよかったかもしれませんね。外円でこの威力ならクイと対面すると発狂していたかもしれません」 ケロリーナはマントを広げ、ごろんと横になった。 「コレットちゃん、湖の底がどうなってるか調べてきてですの。もし栓があったら壊して遺跡を洪水にしてしまうですの」 エクターを見送った彼女は、そのまま参の芽切鋏を握り、戯れにつぶやく。 「天帝さま天帝さま、参おねぇさまと明結おばさまを守ってほしいですの」 鋏から清浄な露が滴った。いぶかしがるケロリーナから鋏を受け取り、中書令も同じ句を発する。 「天帝さま天帝さま」 鋏が新たな露をまとう。それはまぎれもなく広がる地下湖と同じ色だ。二人は顔を見合わせた。 「この湖の精霊力は一蓮教の人々の祈りなのでしょうか」 咳き込む中書令の背を鼎がさする。 しばらくしてエクターが戻ってきた。相棒の報告にケロリーナは眉をひそめる。 「湖と集積塔はつながっているですの?」 湖の底で、倭文は漂う恋人を見つけた。抱きとめて名を呼べば、やや遅れて唇が動いた。返事が聞こえた気がした。 だが水を蹴り地上を目指すと、明燕は首を振った。 「……る」 たどたどしい声が返ってきた。ここに居る。 「戻りたくないカ?」 うなずく明燕にあわせ、倭文は命綱をはずした。規則正しくまばたきするだけの体を抱きしめ、小さな頭を胸に抱えた。血潮の流れる音が伝わりやしないかと。か細い声が聞こえる。 「あのね、倭文さん、えっと」 うなずきながら続きを待った。呟きが泡になりこぽこぽと昇っていく。 私ね、ずっとオカンが気持ち悪くて、あんなになって、まだ動いてるオカンが、えっと、怖くて、言ったっけ、アヤカシなの、それでえっと、仕送りもね、お見舞いも人一倍やったけど、それでも……怖くて気持ち悪くて。でもね、だけど、オカンはオカンで、梨ちゃんもやっぱり梨ちゃんだった。 動きを放棄した肉体の檻で、彼女の魂がもがいているのを感じる。 「……頑張ったな」 倭文は顔をゆがめた。腹に溜まるのは口惜しさ。この瑣末な悲劇も余さずクイの養分になる。 (「ああくそ……気の利いたことは言えねェぞ……。鼻つまむか」) 一も二もお前以外にない今しか、我にはない。 「大丈夫だ、明燕。アヤカシに精霊、人も、上も下も我にはわからないが。……お前がどう思っても我はお前が好きだ」 二人は静かに沈んでいく。 ●青の扉 悪臭で鼻が曲がりそうだった。 青い扉の先は、目に見えるほど瘴気が漂っていた。高所から濁った汚液が滝のように流れ落ちている。霧雁は身軽さを生かし複雑にくねった蓮の根を渡ろうとした。 「培養槽という区画でござったな。はてさて明結さんに合う生体部品はいずこ」 ふと振り返ると、自分の足跡が残っている。薄く煙を吐くそれは、蓮の根の瘴気と湖の精霊力が触れ合った結果であるようだ。彼は試しに蓮の根の膨らみへ手を当てた。悪臭と蒸気が上がり、根には手のひら大の焦げ痕が残る。 雪巳が一歩踏み出し、氷霊結で凍らせた湖の水を根に押し当て、なにげなく右へ払った。バターへ刃を入れるように蓮の根が割れる。中にはぎっしりと、腕が詰めこまれていた。 パニックで叫びそうな火ノ佳を抱きしめ、雪巳は地獄の釜をのぞいた。 「どれも右腕ですね。レンシークイが作ったものでしょう。……損傷の復元ではなく交換。陰陽術にもない考え方です。これが瘴気でなく精霊力だったなら、私は諸手を挙げて喜んでいたかもしれない」 こみあげる嫌悪感には目をつぶり、癒し手としての顔を保つ。皆で手分けして蓮の根をいくつか開腹し、そこに詰まる内臓や手足などのパーツを検分する。 こわごわ部品探しに挑む仲間の後ろで、亜紀は清潔な布に蓮の根の粘液をしみこませ、明結の肌に貼っていく。指先が瘴気に犯されぴりぴりしたが、ただれた肌を濡らす方が先だと感じた。 「早く明結さんを治してあげてよ」 「……処置の仕方がわからないのでござる」 霧雁が肩をすくめる。雪巳も鬱憤の溜まったまなざしのまま答える。 「おそらく明結さんは肉体のほとんどを交換しなくてはならない。ですが、そのための知識も手段も、私は、持ち合わせては……」 悔しげに歯噛みする雪巳。 「じゃあ、誰が持っているのかな」 「親玉のレンシークイでござろう。蟹男さんも知っていそうでござるな……」 沈黙が落ちた。亜紀は鼻を鳴らし、かかとで床を叩いた。 「……話が通じそうなのはどっちだろう」 霧雁は目を眇めた。 「正直なところ微妙でござるな。何せクイは拙者達のことなど眼中にない様子でござった」 「それでも、可能性があるなら」 亜紀と霧雁は、参と明結を雪巳へ任せ来た道を戻っていく。残された雪巳はかさかさと這い寄る音を聞いた。音のするほうへ精神を集中し、白霊弾を打つ。紙風船のように張り裂けた虹蓮花が垣間見えた。 「任されたからには私が守らなくては。火ノ佳、頼りにしていますよ」 「任せるのじゃ」 ●虹の扉 扉の奥に無数の気配を感じる。待ち伏せされているのだろう。 「雪那、ボクを護って!」 亜紀は虹の扉へ踏み込んだ。霧雁が続く。常世の如く虹色の蓮が咲き乱れる奥で、猿のような小男がにやにやしている。待ち構えていた虹蓮が扉をくぐった二人へ襲い掛かった。集中砲火に雪那が立ちはだかる。 狙いは一転突破。黄金の錫杖を一振りする。それだけで亜紀の全身が燃えるように熱くなった。濃密な精霊力が杖の周りで渦を巻く。 「邪魔をするなあ!」 耳を劈く轟音と天国まで通じる雷光が虹蓮花を蒸発させ、クイをも貫いた。背後のパネルが砕け名残の火花が散る。牟多岐が引きつった笑いを浮かべた。 「なんなんです? 今の威力……ッ」 その瞬間だった、あっけに取られた牟多岐が喉首を締め上げられたのは。亜紀の一撃を隠れ蓑にし、秘術で身を隠した霧雁が接近していたのだ。牟多岐の眉が上がり、夜のかぎろいが立ちこめる。だが立ち上がりかけた脈動を霧雁の飢縁が鎮めた。無言の攻防は霧雁の勝利に終わり、牟多岐が酸欠で膝をつく。鼻を鳴らしたジミーが連結褌を引っ張り出した。 「ちょろすぎだろ、おっさん」 クイと対面した亜紀は厳しい顔のままだ。初撃であけた大穴はもう塞がっている。 (「なんて回復力、負の感情がこいつの糧なんだ」) 視界の隅に、涙をこぼす自分の姿が見える。 霧雁が大音声を上げた。 「レンシークイよ。お二人のために新しい体を作ると言っておられたが、本当にやってもらえるのでござるか? この精霊力は遺跡との通信を遮断するものでござったな。あなたには有害でござる。元々、あなたは医療のために作られたのでござろう。その本来の役割を果たし、大人しくて、協力してくれれば滅ぼしはしないでござる」 無数のパネルが霧雁の元へ集まってきた。勢ぞろいして一枚になり、文字が浮かびあがる。 『医療的実験**実験***』 眉間にしわを寄せて解読する霧雁。 「実験をする、のでござるか?」 「実験したい、かな?」 亜紀もくわわり、霧雁と突き合わせた内容を手帳にまとめる。 『再生医療技術こそ吾の誇るところであるが、遺憾にも梁山時代の騒乱がため一蓮教に封じられた。今一度吾の力を取り戻すことができるならば貴殿らに協力を惜しまない』 妙に物分りのいいクイに霧雁は鳥肌を立て、亜紀は唇を湿した。話に乗ってもいいのだろうか。 『精霊力に蝕まれながら吾は解放の時を待ち続けてきた。不老不死の研究こそ吾が使命』 湖の底で、倭文は明燕を抱きしめたまま首をめぐらせた。揺れのせいだろうか、遺体が浮き上がり、底がすり鉢状にへこんでいるのがわかった。 「ここは墓場なのカ?」 かすれた声が答える。 そうだよ、行き場をなくした黒蓮鬼。養う人も、刺す人も居ない、誰からも必要とされなくなった存在。巌坂はけして大きくはないから、不老不死の存在をいつまでも抱えきれないの。 明燕は眠る人のまぶたを閉じさせ、襟を整えてやった。 独りきりで出し殻のように生き続けるよりは、誰かのために苗床になりたい、そう志願した人たちなんだよ。 「わたしは何度ここへ母さんを連れてこようとしたかわからない」 培養槽の片隅で、雪巳は蓮の根の中へ明結を横たえた。瀕死の身を死神の鎌から隠すために。体からもれ出る体液は赤ですらなく半透明の汁になっていた。上下する胸と脈動だけが彼女の存在を伝えてくる。 雪巳は淡い笑みを浮かべていた。自嘲だったのかもしれない。 (「あなたは葬送を願っていましたね。戚史さんも、どこかでそう考えている節があった。けれど、すみません、私達は諦めたくない」) クイは愛想がよかった。パネルに映る古代語を、絵図まで示して二人が翻訳するのを待っている。それがかつて護大派に使役されていたゆえのものか、あるいは腹の底で別のことを考えているのか。霧雁には判別がつかなかった。 ふと視界の隅に何かが引っかかった。水中花のように広がりたゆたう、あれは戚夫人の衣だ。刺繍に彩られた屍は、からからに干からびている。霧雁はそっと彼女に近づき、懐からこぼれた銀鋏を拾い上げた。 霧雁に気づかないまま、亜紀はメモをまとめた。 「集積塔の精霊力を地下湖まで追い出す? どうやって?」 「アタシが知ってますよ」 捕縛された牟多岐がめんどくさげに横から口を挟む。亜紀は憎悪に燃える目で牟多岐をにらみつけた。 「方法は?」 ●クイの本性 青い扉へ照準を合わせ、亜紀はサンダーヘブンレイを唱えた。膜が吹き飛び瘴気が進入する。どこからとりだしたのか、牟多岐は燭台を壁の下に並べていく。瘴気を吸って禍々しく燃えるろうそくの炎が、しだいに濃密な精霊力を上へ追いやっていく。 遺跡との通信が回復し、枯れた蓮花はぱりぱりと音を立てながら全身を蠢かせた。自らを喰らい形を整え、レンシークイは新たな姿になった。 たぶんあれは出目金というのだ。 いびつに膨れ上がった体に、だらしない尾がはりついている。鞠のような腹から虹色の粘液がぼとぼとこぼれ、目玉の代わりに黒い蓮花が揺れている。 漆黒の巨体の鱗がぬめり、映像が表示される。映っているのは培養槽の雪巳だ。明結と参を気遣わしげに見守っている。クイの鱗を文字が横切った。 『要望確認』 明結を抱いた蓮の根は回収されていく。画面の中の雪巳が突然の揺れに驚き、参もとっさに壁にすがった。腹に響く重苦しい機械音が近づき、壁が割れると太い蓮の根がずらりと顔を出した。 『黒蓮花補修、全生体部品交換』 手前の蓮の根が棺のように開いた。小柄で地味な娘がぼんやりと瞬きしている。やがて自分が全裸だと気づき彼女は蓮の根に隠れた。 「明結さんでござるか?」 「……はい」 霧雁はがその手を取った瞬間、きつい異臭と煙がたった。火傷を負った手を握りこむ明結。 「すまないでござる!」 あわてふためいた霧雁の後ろで文字列が踊る。 『問題ありません』『複数のリスク・複数の対策』『万全』 残りの蓮の根の蓋が開き、霧雁は唖然とした。同じ顔の、同じ背丈の人間めいたものが七人。七人の呂明結はお互いの姿を認めると悲鳴をあげた。 モニターの奥で哄笑する怨霊を眺め、霧雁は平べったい声を出した。 「……これが、あなたの不老不死でござるか。もしやあなたは負の感情を集めるだけでは飽き足らず、介入しようとしているのござるか? そこの蟹が言ってた世界を二分した戦いの混沌を夢見て」 『不老不死』『山頂まで岩を運ぶ』『永遠に奴隷』『多いほど良い』 亜紀は低く呟いた。 「君がしてきた事、ボクは許せない。だけど君に対しては哀れみしか感じないんだ。ボクが言葉を集めるように、君は負の感情を集めてた。負の感情をボクは否定しないよ。それもまた人が人である要素だから。 だけど……君は人の愛や優しさを理解できないんだね。それが揃って初めて人は人足りえるのに。大切な要素の欠けた君は何を造っても不完全だよ。それが……」 軋る歯列の隙間から亜紀は声を押し出した。 「哀れでならない」 「あのね」 湖面を目指しながら、倭文は傍らの明燕にうなずいた。 「倭文さんが大好き。出会ったみんな大切な友達」 「母君も、梨那殿もな」 これは変わらねェから、こっちは信じていい。そう伝えると明燕はうつむいた。 「倒すほうが簡単なの。わかってるよ」 「我らも見ちゃったし、なにこれって首突っ込んだけども」 「別れの苦しみは一瞬なんだよ、知ってしまっただろうか」 「何を思ってる?」 明燕は願いをおずおずと口にした。 「……アヤカシでもいい、私の大切なオカンと梨ちゃんと一緒に居たい」 「きついほうにいくのナ」 「例え無理でも最後まであがけたら……」 倭文は口の端をあげた。 「まあ、クイよりも知った顔を喜ばせるほうが好みだ」 |