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■オープニング本文 前回のリプレイを見る ●表の話 開拓者達の長い長い戦い 「それで、どれでどうなったの?」 墨塗りの写本を手にする彼女へ、彼は答える。 「黒蓮の特殊な混乱の射程は、最長で五町(500m)、ヒダラシの飢餓に相当します。また、虹蓮に比べ、効きが若干速いようです」 一本角の修羅は、葬送者の知識や神楽の都で得た情報をもとに、そう結論付けた。 「人体へ取り込まれた翡翠丹は、黒蓮花へ変貌します。そして宿主が死亡すると、記憶と能力を転写する。黒蓮花を魂魄代わりに動いているのが、黒蓮鬼です」 彼はあごに手を当てた。 「ただ、肝心のレンシークイについては張さんも知りませんでした。思えば、これまで立ち塞がってきたのは常に、眷属であり、それに組みする人間でした。クイは一向に姿を現さない。レンシークイとは一体……」 「それなんだけどね」 言葉を継いだ彼女はとんがりぼうしのすそをつまんだ。 「レンシークイは泰儀が始まる頃には、もう巌坂に居たんだ。……つまり黒蓮鬼も、呂さんのように、鬼との共存を望む人々も。そして梁山時代に、泰儀を二分する争いが起きた。当然、巌坂の人たちも戦地へ駆りだされただろう。彼らと一緒に、翡翠丹が流出したってところかなあ」 「何故そのようにお考えになられたのですか」 しらゆきひめの問いに、彼女は泰国の地図を取り出した。各地を資料の数や密度を基に色分けしてある。 「該当の伝承は、前梁山時代までは巌坂地方でのみ採取記録がある。けれどあの時代を境に、全国へ広がった。なのに、群雄割拠時代には既に記録らしい記録がない。近代に入っては梨のつぶて。 おそらくだけど、一蓮教ができたからだと思うよ。あの教団はクイの封印だけじゃなく、翡翠丹の流通や情報統制に関わっていると思う。ただ何故一蓮教がクイを倒さず封じたままなのか、よく解らないな」 === ●どこかの話 梁山時代のいつか 戦場 「無二にして無比無謬なる天照らす帝に、地虫の戚が伏して奏で奉る」 ろうそくの灯が揺れる天幕。女のひれ伏す姿は薄闇に沈んでいる。御簾の向こうには淡い影が揺れていた。 「幾多の戦場の裏に流れし不老不死の妙薬なる翡翠丹はアヤカシの実。我、これの元を発見し封印せり」 影が答えた。 巌坂地方における勲功、誉めて遣わす、と。 唇をかみ締めていた戚は、わっと泣き出した。 「お許しを天帝さま。戦場へ翡翠丹を流したのは私です。死地へ赴く部下へ翡翠丹を渡してしまった。彼らは帰ってきました、アヤカシと化して」 事の次第を次々と打ちあけ、放心していた戚は灯りが落ちた事に気づいた。とまどう彼女へ、暗闇から若い声が聞こえた。ちょうど、御簾のある方から。 「どうしてそれを私に聞いちゃうかなあ。そんなの、ダメです、としか言えないじゃない。アヤカシは討つべきモノ、それと共存を望む人間も討つべき者。それが世界の理。 例え私が見逃したとて、諸侯があなた達を滅ぼすだろう。彼らを止めることなど私にはできない。私にあるのは権威だけで権力ではないし、あなた達は『弱い』のだもの」 灯りが点った。 御簾の向こうはただぼんやりと明るいだけで、台帳の戚の名には墨が塗られている。 ほろりと新たな涙をこぼし、戚夫人は御簾へ向かい深く頭を下げた。 「天帝さま天帝さま、御慈悲を語り継ぎます。七生報国いたします。千年後の春のために万年後の春のために。御心へ寸毫の瑕疵も残さぬよう、すべて世はことも無しと御報告いたします」 === ●表の話 巌坂 封印の間へ乗り込んだ一行は、中央に戚夫人を見つけた。 岩盤の天井に覆われた地下湖。驚くほどの透明度の湖で、黒い蓮花が風も無いのに揺れている。湖を十字に切るように、橋が交差していた。その中央で彼女は揺り椅子に浅く腰掛け、待っていたようにこちらへ顔を向けた。 彼女の隣には、細いテーブルと淡く光る扉。細かく規則正しい文様が凝縮し、宙に浮く扉を形作っていた。 「呂さんから話は聞いたでござるよ。古代人と手を組んだと」 「先祖代々アヤカシと組みしてきた我々だ。今さら異邦人と手を取り合ったところで、罪業は変わるまい」 そういう夫人の頬は青白かった。封印の制御に生命力を削られているのだろう。 「牟多岐はどこですの?」 「封印の奥だ。アヤカシ生成術を用い、性能変更の可能性を探るためにレンシークイの構築式を調べている」 「正気でござるか。それはつまり、虹蓮や黒蓮だけでなく、クイそのものの作成方法を彼に教えるということでござる!」 「口を閉ざし、笑え。クイが見ている」 牟多岐の後を追おうとした彼らを、夫人が制止した。 「扉を開ける者は、翡翠丹を口にせよ。でなくば立ち入ることを許さぬ。封印の奥はレンシークイの領分だ。邪悪な波動に満ち満ちている」 「幾多の勇者がレンシークイへ挑んだだろう。そして帰ってこなかった」 夫人は揺り椅子へ背を預けた。血の気の薄い横顔に悲しげな微笑を浮かべている。 「戚の名を継ぐ前から、私にはわからなかった。今もわからないでいる。熱を持ち、呼吸をし、鼓動のある物体を、死体と呼ぶべきか。仲間のため怒り、涙し、友の幸を願い、子の行末を案ずる存在を、敵と称するべきか。だが確かに黒蓮鬼は、生前の記憶をなぞり行動する不老不死の肉塊なのだ」 「私には語りえぬ。ゆえに口を閉ざし、笑う。せめてクイを喜ばせぬよう」 |
■参加者一覧
六条 雪巳(ia0179)
20歳・男・巫
ケロリーナ(ib2037)
15歳・女・巫
神座亜紀(ib6736)
12歳・女・魔
霧雁(ib6739)
30歳・男・シ
中書令(ib9408)
20歳・男・吟
呂 倭文(ic0228)
20歳・男・泰 |
■リプレイ本文 ●封印へ 霧雁(ib6739)はマスクをはずした。なんのためらいもなく翡翠丹を呑みこむ。続けて神座亜紀(ib6736)も皿からひとつ取った。 「結構いけるでござるな。では皆さん……」 「霧雁さん! 亜紀さん!」 六条 雪巳(ia0179)が一歩踏み出す。湖を埋め尽くす黒蓮の群れを眺めていた霧雁は、雪巳を振り返った。 「何事でござるか」 「……個人的な意見を申し上げるなら。できるなら蓮肉喰いを増やしたくはありません。現状、元に戻る方法が見つかっていないわけですし……」 語尾が細る。戦力、と戚夫人が呼んでいた、その意味が身を削るほどにわかる。扉の向こうから帰ってくるためには、手数が要るのだ。理想を貫いた結果全滅するわけにはいかない。自分には、待っている人が居る。だがそのために誰かを巻き込むのは。 堂々巡りに陥りそうになった雪巳。その背を小さな手がぽんと叩いた。顔を向ければ、つやつやした黒髪といたずらっぽい微笑が目に入った。いつもの、自信満々の火ノ佳の笑みだ。 「下見じゃ、下見。危なくなったら、帰ってくればよいのじゃ」 「ええ、火ノ佳」 雪巳が長く吐息をこぼす。頬のこわばりがとれたのを見て取り、霧雁は素顔のまま薄く笑って肩をすくめた。 「では改めて。皆さん、ちょっと行ってくるでござる」 扉の表面に手を当てると、膜に触れているかのような奇妙な感触がした。隣の白 倭文(ic0228)と目が合う。 霧雁が手を降ろすと、扉に波紋が残った。そのとき、階段を下りる足音が響いた。 後方からやってくるのは中書令(ib9408)とケロリーナ(ib2037)だ。調べものをしてきたのか、鼎もエクターも調書を小脇に抱えている。倭文は、彼らと共に封印の間へ入ってきた相棒の名を呼んだ。 「紅葉」 狼犬はすぐさま寄ってきて隣に控えた。 「ジミー」 「ああ畜生、組む奴を間違えたかもしれねぇな……」 愚痴を言いながら転がってきた肉団子が、霧雁の足にぶつかってとまる。倭文は皆へ向かって腕を広げた。 「さて……夫人はもちろん、皆警戒しててくれ。我らと奴じゃ猿蟹だゼ。クイが作り変えられたとして、蟹の野郎が望みどおり叶える筋はねェ。蓮花どもの負の強化、蓮肉喰いの操作、クイの封を解く……すべて有り得る話だ」 続けて夫人へ向かい、倭文はまっすぐな視線をぶつけた。 「クイに向かった奴らの話はどれだけ前ダ」 「御伽の世よ。参考にはならぬわ」 疲れた横顔のまま夫人は長椅子へ体を預けている。傍らへ立っていた呂の代わりに、雪那が椅子をゆすった。 亜紀は扉をにらみつけた。 (「向こうにあいつがいる……」) 怒りが彼女の瞳に火をともしたが、亜紀は飛び込みたい気持ちを抑えた。 「ボクはここで待ってるよ」 中書令が琵琶を爪弾く。ゆったりした調べが天使の影絵を踏む。 「蓮肉喰いでも封印の間はきついかもしれません。混乱を解く歌も覚えて参りました。ここまで戻れば安全です。何卒、無理をなさらぬよう」 残る人々へ微笑みかけ、霧雁たちは扉をくぐった。 「おお!?」 期待していた床の感触はなかった。落下しながら霧雁は、とっさに夜目を効かせ足場を探した。いびつな樽のようなものが眼下一面に敷き詰められている。霧雁は体勢を整え着地し、落ちてきた雪巳を受け止める。 「よいしょお! アガッ!」 半端に受身を取った倭文から、したたかに膝蹴りを食らい、結局一行は最下層まで転がり落ちた。最後に落っこちてきたジミーが三人の上でぼよんと跳ねる。漂いながら火ノ佳が降りてきた。 「無事かや?」 「脳天割れたかと思ったでござるよ」 「……すまん」 主人たちにはお構いなく、紅葉は床に鼻面をこすりつけた。干からびた泥と苔の香がする。中書令と共に調べた牟多岐の匂いをたどるつもりだったが、ここからではわからず悲しげに首を振った。 「どっちを目指せばいいんダ」 頭上はるか高みには地底湖の輝きがある。霧雁からたいまつを受け取り、背伸びをした雪巳が別の一角を指す。 「あれが私たちの入ってきた扉でしょうか」 ほんのりと青く光る扉が、中空にある。反対を向くと、同じ高さにもう一枚、黄色い扉が光っていた。 ひとまずそちらを目指し、彼らは考えをめぐらせた。暗視と火ノ佳の人魂の調査でわかったことを繋ぎあわせると、三人がいるのはだだっ広い水槽の底であるらしい。青い扉の下部には、かつて橋がかかっていた痕跡があると火ノ佳が言っていた。 ではこの、天まで埋め尽くす樽のようなものは何なのか。小は杯から、大は寝台まで入りそうな樽が連なっている。節くれだった形はどこか木の根に似ていた。叩いてみると、やはり植物を思わせる感触が返ってくる。雪巳もおそるおそる触ってみた。 「蓮の根でしょうか?」 彼は念を入れた瘴索結界を広げた。視界を幾重にも遮る蓮の根が漆黒に染まった。 ●見ている 膜を通り抜ける感触。 黄色い扉をくぐった三人は、見知らぬ廊下へ放り出された。隣に広大な空間があるとはおよそ感じられない、ごく普通の廊下だった。淡く光る扉が、等間隔に並んでいた。天井も壁も見覚えのない材質で作られている。 倭文は別の扉へ手を置いてみた。膜の先は、別の空間につながっているようだ。ためしに肩まで突っ込んでみると、暗闇の中、みっしりと蓮の根が詰まっているのがおぼろげに見えた。 上着のすそを引っ張られ、倭文は扉から抜けた。紅葉が匂いの痕跡を見つけたらしい。後を追おうとした倭文は雪巳と霧雁の様子に首をかしげた。 霧雁は難しい顔で精神を集中している。雪巳が扇子を広げているのは結界を張っているからだろう。その格好のまま、落ち着かない様子できょろきょろしている。二人は直感的に妙な気配を感じていた。 「どうしタ」 雪巳が小声でささやく。 (「視線を感じませんか?」) (「……蟹か?」) (「いいえ、ただ、誰かが見ている気がして……」) (「どこから?」) (「それがわからぬのでござる。強いて言えば、あらゆる方向から」) 霧雁のつぶやきに二人の背で氷が滑り落ちた。囲まれたかと勢い込んだが、静寂が続くばかりだ。迎撃体勢を整えたまま慎重に進む。 (「なんでしょう、これは。ひりひりと焼け付く……悪意のような、愉悦のような」) 雪巳は視線から受ける感覚を考え続け、ついに思い当たった。 (「好奇だ」) 長い廊下の終点は、何かの部屋であるらしい。謎の計器の並んだ横長の部屋に入る。影絵の効果もそろそろ消えた頃合だが、耳鳴りは聞こえなかった。雪巳が二人を手招きし、影の奥を指し示す。もぞもぞと蠢く何かが居る。 (「虹蓮です、迂回して行きましょう」) 異形の気配に気をつけながら無理のない範囲を調べると、かすれた古泰語で培養管理室と書かれたプレートが地図と並んで掲示されていた。どちらも半ばまで焼けただれている。 地図によると、この場所は二重の円状になっており、彼らが居る外円は端末調整棟、内円は情報解析棟、中央は集積塔と銘打たれている。 「重要なのは内側じゃないカ」 倭文が提案し、紅葉も前足で太鼓判を押す。一行は中央へつながる扉を探した。戦闘を避け、いくつかの部屋を渡る。 どの部屋もべっとりした闇に塗りこめられている。相変わらず不気味な視線が突き刺さったまま。心細さにありえない幻が闇に映りそうで、雪巳は気がつくと火ノ佳を抱きしめていた。 (「私は……どうしたら良いのでしょう。アヤカシは討つべきもの。けれど……ヒトに情を抱いたアヤカシを、私はもう一人知っている」) 彼の脳裏を、あるアヤカシの最後がよぎる。碧の狐は、彼の叫びにも耳を貸さず孤独に溺れて逝った。人を糧とする、その一点において相容れないと、悟りきった口ぶりで。 (「手を取り合い共存とまでは行かずとも、せめて不可侵の取り決めを結べれば。そう思ってしまうのは……言葉が交わせるから、でしょうか。……虹蓮のように、言葉も意思もないものであったなら、滅する罪悪感も軽減されそうなのですけれど」) 霧雁はというと、知恵熱が出そうになっていた。廊下の長さと部屋の広さがちぐはぐなのだ。出入りを繰り返すうちに体感距離が狂い、頭が痛くなってくる。 「おのれ古代人、よけいな機能でござる」 とりあえず恨みを牟多岐へぶつけ、距離ではなく扉の色を覚え照合に専念する。中央へつながる扉が見つかったが、どれも虹蓮が周りをうろうろしている。 倭文はふと足を止めた。 「ここで一周ダ……」 気がつくと最初の部屋の前だった。 「虹蓮を蹴散らさねェと奥へは行けねェな」 「雁の字、いちばん楽そうな扉はどれだ。もちろん覚えてるよな?」 うなずいた霧雁は気配を消し、水色の扉へ入った。暗闇の向こうに、緑色の扉が光っている。触手を伸ばす鈍重な動きは、池から追い出された亀のようだ。 無音のまま霧雁は戦いの火蓋を切って落とした。シノビの秘術で虹蓮を影絵に変え、花托へ苦無を突き立てる。違和感が走った。正体に気づく前に、ジミーが閃光を放つ。 「くらいやがれぇ!」 さらに勾玉めいた冷たい炎が虹蓮どもへ降り注ぐ。炎へ触れた虹蓮はあっけなく灰へ戻る。 「やわらかい?」 霧雁の独白に倭文が聞き耳を立てた。 「なんだって旦那?」 「巌坂で戦ったときに比べて刃の通りが良い、脆いでござる」 「そいつはいいナ。下がってロ!」 導火線へ火をつけ、焙烙玉を放り込む。閃光と爆音が走り、虹蓮の群れが蒸発する。火ノ佳が呼んだ清い風がかすり傷をふさぎ、灰を散らしていく。 「牟多岐の試作品、なのでしょうか」 懸念を口にし、雪巳は眉をひそめた。飾り帯を締めなおすと、倭文は緑の扉へ触れた。 ●集積塔 最後の扉の先で、雪巳は浮遊感に包まれていた。 苦しくはない。濡れた感触すらない。奇妙な水、あるいは濃密な空気。視界の隅をくらげが泳いでいく、と思ったら虹蓮花だった。雪巳はぎょっとして扇子を構えたが、虹蓮は素通りし水面へ向かっていく。 球状の壁面は深海を思わせる青に隠れ、頭上はぐにゃぐにゃぼやけていて、なんだか金魚鉢の中みたいだと雪巳は思った。そう思わせるのは、底から芽吹く巨大な蓮花のせいもあるだろう。からからに枯れてもなお全天を覆うほどの葉と花弁に、自分の縮尺を誤りそうになる。蓮の根元に、探し続けた隻腕の姿があった。 「遅かったですねえ、へへ」 彼の周りには手のひら大のパネルが大量に浮遊し、魔方陣がばらまかれていた。陣からは定期的に瘴気が盛り上がり、虹蓮花に変じる。そのたびに牟多岐は手を加えている。 「いやーはっは、こんにちは。ご精が出るでござるなぁ。首尾はどうでござる?」 「猿芝居はけっこうですよ」 牟多岐がパネルへ顎をやった。一枚一枚に、どこかの景色が映っている。そのなかに封印の間、そして蓮の根元に居る自分たちの背がある。雪巳は予想外の結果にまばたきした。 「……覗いていたのは、あなただったのですか?」 疑問を口にするも、自分の直感は否だと言っている。小男には、今も肌で感じるこの歪んだ好奇がない。 「しばらく黙っててくれませんかね。アタシャ忙しいんですよ、見りゃわかるでしょう?」 「つれねェな旦那。今は客分同士仲良くしようゼ? ましらより礼を知るなら、迎えを蔑ろにゃしねェよナ」 向かいへあぐらをかいた倭文はわざとらしく牙を見せた。 「で、どこまでクイのことが解ったって?」 牟多岐はパネルを引き寄せ、上から陣を書き込んではぶつぶつ言っている。画面には封印の間が映っていた。ケロリーナが書面に杖を突きつけている。パネルを視線でたどっていた倭文は、同じ景色が三枚並んでいることに気づいた。どれも封印の間で、映っているのはケロリーナだ。 視点は戚夫人の近くなのだろう、画面に揺り椅子が見える。隣のパネルの視点は夫人のすぐ隣。見覚えのある銀髪が映りこんでいる。あれは確か、からくりの雪那だ。三枚目は数歩引いた場所から。揺り椅子に沿う呂親子と雪那の背が見える。 「ちょっと待て、これ誰の視点だ?」 倭文は鳥肌が立った。 「おい雁の字、これ……」 床すれすれにあった一枚を、ジミーが咥え主人へ放った。その映像に、霧雁も冷気を感じた。自分が見ているものと、寸分違わない景色が映っている。火ノ佳に促された雪巳は思わずパネルを手で隠した。顔をあげるのが恐ろしい。固唾を呑んで鏡像を見つめる。いつもの、見慣れた自分の顔……映しているのは誰だ。雪巳は胸を押さえた。脳裏に浮かぶのは、朱春東で垣間見た無数の目玉。あれは。あれと同じものが自分の内にも。冷汗が滴る。 「見ている。見られている。私たちの艱難辛苦を最初から、ずっと。クイは……」 負の感情を集める。 「よし、できた」 牟多岐が手を打ち鳴らした。パネルが踊り、カルタを並べるように中空へ貼りつく。歯車のごとく回った魔方陣から、瘴気の霧が立ち上った。霧はするすると人の形を取り、封印の間の景色を再現した。 ●封印の間 ケロリーナの隣で、エクターは用意していた書類をするすると広げた。 「印をくださいですの、夫人」 ケロリーナが書類へ杖先を突きつけた。飛空船落下事故の詳細をまとめた逮捕状だ。 「罪状は騒乱と殺人、被疑者はカニさん。これで封印の間から出てきたカニさんを逮捕しますの。カニさんが非武装な今のうちに」 「客分を差し出す真似はできぬな」 「罪は罪ですの、泰国にいる以上泰国の法に従うのが筋ですの」 戚夫人はゆっくりと首を振った。 「寺院へ逃げ込んだものはそれ以上追えぬのだよ、古来よりな。あやつが巌坂を出るまでは客分として扱っていただこう」 不服そうなケロリーナに、エクターも鋭い視線を戚夫人へ向けた。 「ボクも聞きたいことがある」 亜紀が戚夫人へ近づく。黒塗りの写本を見せ、問うた。 「『人造魂魄』って何? 翡翠丹とは違うものなの?」 戚夫人はその写本を初めて目にするようだった。亜紀が事の経緯を話すと夫人は記憶をたどるように遠い目をし、中央にも記録が残っていたのかとかすれた声でつぶやいた。 「アヤカシとの共存が可能なのか、ボクには解らない。ボクの家系の立場から言えばそれを認める事は出来ないけど、ボク個人はお母さんも、参さんも助けたい。 もし別に魂魄の代わりになるものがあるのなら、それを黒蓮花と置き換えられれば、あるいは……」 亜紀の瞳が呂親子を、参を映す。黒目がちの瞳が潤んでいた。 「人造魂魄は翡翠丹の別名だ」 無情な一言が告げられ、亜紀の希望は断たれた。口元を引き結び顎を引いた彼女は、翡翠丹を潰れんばかりに握りこみ、その拳で目元をこすった。 ●集積塔 『人造魂魄は翡翠丹の別名だ』 戚夫人の声が波のように重なり響く。集積塔のあちこちに、拳で目元をぬぐう亜紀の姿が浮かんでは消える。パネルの画像がジャックされ、ぬぐいきれなかった涙を映す。 「何をしタ!」 「動画のループ再生ですかねえ、へへ。『時の蜃気楼』みたいなものですよ。眷属からあがってくる負の感情が少ないから増幅回路を、ちょいとね。何せ弱りきっているもんですから、まずは体力をつけてもらわないと」 自分の仕事に満足したのか、牟多岐は巨大蓮の葉に腰かけた。干からびていたはずのそれが、どことなく潤って見える。彼は枯れた蓮花へ目をやった。 「瘴気の代わりに精霊力を満たして活動を封じるとはね。培養槽も瘴気を抜いてほったらかし、無茶というか強引というか。いやはや、素人さんは怖いことをする」 「レンシークイとは何なんダ」 「大戦中期に開発された総合支援用のアヤカシですね。遺跡が空間圧縮型だから、この子の稼動はもう少し後かもしれませんけど」 こともなげに答えた牟多岐に、倭文の堪忍袋の尾が切れた。 「我らにわかるように話せヨ!」 「遥か昔、世界を二分する戦があったのですよ」 物分かりの悪い生徒を前にしたように、牟多岐が頭をかく。 「護大から精霊力と瘴気が分離した果てに、護大を奉じる我々の祖先と、それを認めぬ愚か者どもは最終戦争へ至ったのです。 戦いは気が遠くなるほど続いたね。両者は膠着した戦線を打破せんとあらゆる手段を尽くした。魔法による人体の改造、不老不死の軍隊の研究へも。この子は研究の過程で生まれた兵器です」 牟多岐は葉の上に座りなおした。 「怖いお嬢ちゃん達が待ち構えているようだから、戚夫人まで伝言をお願いしますよ。一度しか言いませんから良く聞いてくださいねえ、へへ」 印を結んだ牟多岐が新たな扉を開く。虹色にてらてら輝く扉だ。 「お帰りはこちら。色よい返事を期待してますよ」 ●レンシークイ 封印の間に戻った三人は、待ち構えていた亜紀とケロリーナの質問責めにあった。二人をなだめつつ雪巳は戚夫人を向いた。 「レンシークイからの伝言です。お伝えしてよいか迷いましたが……『現状を維持せよ。従うならば、共存の証として……」 苦虫を噛み潰す雪巳の隣で倭文も顔を歪めた。 「……黒蓮鬼の新品を供給する』とさ」 「生体部品の、パーツを、取り替えて……つまりええと、培養槽で瘴気から、人体を複製する、のだそうです」 「傷物を新品にしてやるからこれまでどおり持ちつ持たれつで、と仰せでござる」 不機嫌な霧雁にケロリーナが問い返す。 「どういう意味ですの?」 「クイは我々の艱難辛苦を収集し好奇心を満たす。我々は愛する人と別離する苦しみから逃れられる、ということらしいでござるよ」 「……どこまでふざけているの?」 亜紀の冷え切った声に、雪巳は頭を振った。 「おそらく、クイなりの『善意』なのだと思います」 「情報収集や生体部品による医療支援を行う要塞が、莫大な人格情報の集積を経て、限りなく意思に近い思考力を得た。それがレンシークイです」 ケロリーナは戚夫人へ静かに語りかけた。 「翡翠丹を食べたお人は、いつの日か黒蓮鬼になって。黒蓮鬼の放出する混乱はいつの日か、何も知らない親しいお人を破滅させますの」 「虹蓮が咲くかぎり、蓮肉を食らわねばならぬ」 「いたちごっこですの」 「『勝利の日』は必ず来る。虹蓮を刈りつくし、新たな黒蓮が生まれなくなる日が」 それが千年後か万年後かは知らぬがと、皮肉げに戚夫人は付け加えた。 「何故クイを封じただけで滅ぼさないの? 滅ぼせば黒蓮鬼も滅する、黒蓮鬼に消えてほしくないからクイを生かす、そういう事なの?」 戚夫人はうなずいた。呂が気まずそうに母を抱きしめる。聞いていた参は眉を跳ね上げた。血を吐くような声を亜紀は振り絞った。杖を握り締める手が震えていた。 「ボクにはもういないから、例え本物じゃないとしてもお母さんがいる呂さんが羨ましいよ。だからって、こんなの、ないじゃないか……」 やり場のない思いが雫になり滴る。白い服にこぼれた涙は、思いとは裏腹に真珠に似てまろやかな輝き。それを、クイもまた見ている。 そう思うと雪巳の胸もつぶれんばかりだった。と、その時、誰かが彼をつついた。 「雪おにぃさま。歯を食いしばってくださる?」 「はい。はい?」 砂漠薔薇の杖に真言をまとった青い炎が、轟々と燃え盛っていた。 「最終戦争だか旧世界の遺物だか知らないですけど、けろりーなたちだってアヤカシに対抗する術を磨いてきましたの。これ以上クイの手のひらで踊るのは我慢なりませんの」 大きく振りかぶる。 「そーじょーぉ! えんかぁ!」 第三の扉を叩く一撃が、みぞおちにクリーンヒットした。雪巳は壁まで吹き飛ばされ、気力のすべてを使い果たしケロリーナはエクターの腕へ崩れ落ちた。青い顔で火ノ佳が神風恩寵を施す。薄目を開いた雪巳が激しく咳き込んだ。灰の塊が口から飛び出す。黒蓮花の残骸から、瘴気が立ち昇り消えていく。 「ほう」 霧雁は新たな翡翠丹をつまむと、指先で跳ね上げ目を眇めた。 「……これで拙者達はいつでも不老不死になれる訳でござるな。悪くはござらぬ」 |