【空庭】ボクの大切な〜蓮
マスター名:鳥間あかよし
シナリオ形態: シリーズ
危険 :相棒
難易度: 難しい
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/08/27 21:33



■オープニング本文

前回のリプレイを見る


●どこかの話 長い長い戦い
 戚夫人は懊悩に震えていた。
(「何故だ、明結。何故外へ出た。自分の境遇をよくわかっていたではないか」)
 先日、港で飛空船墜落事故が起きた。浮島の巌坂は泰儀本土との交通が途絶すれば深刻な物資不足に陥る。開拓者の功績で安全が確保されてすぐ復旧工事が行われた。
 開拓者はそれに乗じ、二体の黒蓮鬼を連れ出した。かつて呂の親友であり、呂の母であったものだ。彼女らは開拓者ギルドの保護下にあるという。
 放置すれば被害が広まる。戚夫人は苦渋に満ちた決断をくだした。世界の幸福量を一定に保つために。
「呂明結と参梨那を葬送せよ」

●だれかさんの話 PNぬこだいすきさん
 明結は頑として部屋から出ようとしなかった。だが参が既に避難していると告げると態度が変わった。
『梨ちゃんはまだ告知を受けていないはず。自分が何者か知っていれば、あなた達の誘いにも乗るはずがないのに』
 ぎくしゃくした字が了承を伝えてきた。彼は持ち前の器用さで扉の鍵を開き、眉をひそめた。
 お化けの真似をする子どものように、明結は頭からすっぽりとシーツをかぶっている。手探りで歩く彼女へ腕を貸し港へ急いだ。道すがら彼女は手に指で字を書いた。
『どうか世界の幸福量を一定に保つご協力を』

===

●表の話 巌坂 宿
 分厚い手帳をメモるはテーブルへ広げた。
「状況を整理しようか。黒幕はレンシークイ。眷属が虹蓮花と黒蓮花。封印の守り手が戚夫人。クイを倒せば、きっと両の蓮花も滅びるね」
「はいはーい」
 かえるのおひめさまが手を上げた。
「港での一件の後、茶屋で警備隊の人にお礼を言われましたの。杏仁豆腐おごってもらっちゃいましたのー!」
 は、おいといて。
「そこで聞いたお話によると、翡翠丹は不老不死の妙薬なのですって。でも、戚夫人はそう言ってなかった気がしますの。ね、おにぃさま」
「はい、特殊な混乱を無効化し、虹蓮の感染を防ぐとだけ」
 港での一件を思い出しメモるは怒りに顔をゆがめた。
「もし結花さんが志体を持っていなければ、虹蓮を滅しても瘴気感染で長くなかったかも」
 偶然居合わせた仲間の避難誘導が功を奏し、港での虹蓮拡散はおさえられた。だが。
「都で広がったら手のつけられない事態になるゼ」
 山犬は小さく唸る。呂は黙っているようだが、遅かれ早かれ戚夫人の耳に入るだろう。自分が蓮肉喰いになったと。
 物思いに沈んでいた一本角の修羅がふと顔をあげた。
「虹蓮花と翡翠丹は、まるで『流行り病』と『薬』のようです。黒蓮花はさしずめ『免疫』でしょうか。弱い流行性感冒に罹患すると、強いほうへはかからなくなるとか」
「強くても弱くても病に変わりねェ。翡翠丹にも副作用があるんだロ、どうせろくでもねェのが」
「私『本人』には何も起きない、そうです」
 しらゆきひめは胸を押さえた。彼も蓮肉喰いだ。それを理由に戚夫人から長い長い戦いへ勧誘された。答えは保留したままだ。
「虹蓮は特殊な混乱を撒き散らし、負の感情を啜り親株へ送る。両者の役割は同じ、性質は異なる。

 ならば黒蓮には黒蓮の、負の感情の集め方があるのでしょう」

「そもそも黒蓮花とは何でござるか? 親株はレンシークイだとまで言った戚夫人が、口を閉ざすとは」
「明燕のおふくろさんが、それらしいんだガ」
「……参おねえさまも」
 四二号室からの手紙を前に一同は沈黙した。友の幸福を願い、子を案じ自らの葬送を望むアヤカシは、はていかなる脅威か。
「教団の抱える真の暗部は黒蓮花でござろう。夫人のように意固地な輩は、情に訴えるだけでは難しいでござる。

 黒蓮花とレンシークイについて拙者たちで調べ、突きつけるでござるよ。

 守るべき秘密が暴かれていたと知れば観念するでござろう」
 天帝宮からの返事を、彼女は手帳にはさんだ。
「民間伝承は泰大図書館のほうが充実してるって。参さんと呂さん親子も何か教えてくれるかも」
「巌坂にはあの小男が潜りこんでいる。開拓者が残っているうちは強引な手を打ってこないでしょうが……」
 修羅は瘴気計測時計をのぞいた。まだ反応はない。

●表の話 巌坂
 冥越からの知らせに、小男は木から転がり落ちそうになった。
「何しに儀まで来たんですか唐鍼……。お願いだから口を割らないでくださいよねえ」
 急ぎ天儀へ舞い戻るべきか。手持のカードは力不足と精霊門開錠時に思い知らされ、虎の子の虹蓮花は先日討ち取られた。
 ならば。
 彼は青葉の間から本院を見上げた。物々しいほどの警備がいる。開拓者が忠告したのだろう。夫人自身、優れた志体を持つと聞く。暗殺は難しかろう。
「手足をもいで豚小屋に放り生かさず殺さず。まったく血も涙もない。野蛮な劣等種め」
 すぐにも封印を解いてやりたいが、復活を焦った所で焼け石に水。まずは長い長い戦いで弱り果てたクイの強化を図りたい。眷属の蓮花アヤカシを通し、大量の負の感情を送る。小男は黒い管を取り出した。飛空船の死体から集めた黒蓮花だ。

「翡翠丹を飲ませ、あげく本人が死ななきゃ使い物にならないたあね、回りくどい」

 アヤカシの生成術に長ける彼は、両の蓮花の性質を把握していた。虹蓮の採取へ赴くには時間がない。限られた手数で動かなければならないのは彼も同じだった。しばし黙考し、彼は。
「一蓮教を丸めこむのも、戦のうちですかねえ、へへ。噂の烈女もアタシの話なら耳を貸すでしょうよ」
 対価はあるのだ。古代人の彼だけが示せる、対価が。
 それにしてもと、小男は黒い管を日に透かした。
「どうにも見覚えがある構築式……。長生きが過ぎると昔のことが出てきにくいですねえ、へへ。不老不死も困りものだ」

===

●だれかさんの話 建前とやまいぬさんと本音 チャイニーズルーム
 巌坂の町の片隅、路地裏で彼は呂を捕まえた。広げたままの地図が落ちる。神楽の都だ。歓楽街の近くらしく、店を兼ねた家が四辻を囲んでいる。だがそんなものは眼中に無く、彼は小柄な体を抱きしめた。震えが伝わってくる。
「お母さんと梨ちゃんの葬送が決まったんだ。おじさんが行くって、私は待機。あのね、いいことなの」
 両手で顔を隠し呂は要領を得ないことばかり言う。伝えようとして言葉にならないのか、自分に言い聞かせているのか。
「アヤカシは討つもの、だから肩入れするのはおかしいんだ。無害なアヤカシなんて居ない、だからおかしいのは私の、私達のほう」
「梨那殿は何になったんダ」

「黒蓮鬼。アレは梨ちゃんじゃない。偽者の梨ちゃん。お母さんも」

「聞け。オマエが悲しいと我も悲しい。オマエが動けないなら我が行く、我はいつだっておまえの味方だ、信じろ。……どうしたい?」
 明燕は血を吐くような声を搾り出した。お母さんと梨ちゃんを助けて。


■参加者一覧
六条 雪巳(ia0179
20歳・男・巫
ケロリーナ(ib2037
15歳・女・巫
神座亜紀(ib6736
12歳・女・魔
霧雁(ib6739
30歳・男・シ
中書令(ib9408
20歳・男・吟
呂 倭文(ic0228
20歳・男・泰


■リプレイ本文

●巌坂
 戚夫人へは、様々な報告がもたらされる。一蓮教教主あてに、あるいは巌坂の領主として。入信漏れの閻魔帳へ白倭文と筆を入れた戚夫人の横で、呂は面会希望者の一覧を作成していた。
 一風変わった名がある。『牟多岐』、むたきと読むのだろうか。漢字で綴られているが天儀風ではなく、泰国風でもない。事由欄には一言、『アヤカシとの共存について』。

●泰大図書館
(「信じてるよ……。必ず参さんと明結さんを守ってくれるって。ボクはこの泰で、ボクにできる事をするから」)
 夕暮れの書庫をフィフロスの輝きがゆらめいていた。蛍のように。
 拠点からひとり泰大学へ飛んだ神座亜紀(ib6736)は、長い書架を端から端まで歩きながら、背表紙を指先で撫でていた。民間伝承の棚を終えたら、次は御伽噺や児童書、怪談の類を検索する。早朝からの調査は実を結びつつあった。
(「虹色の蓮」)
 脳裏にくっきり単語を浮かべると、同時に巌坂の港で対峙したにぎにぎしい姿が像を結ぶ。通り抜ける亜紀の指先が背表紙を擦り、記述量に応じた光がちかちかと瞬く。主人の後ろを行く雪那は、からくりの正確さで本を抜き取っていく。
(「黒い蓮」)
(「蓮肉」)
 書架の端できびすを返し、同じ棚を違う単語で検索しなおす。紙はもとより、竹簡、木簡に至るまで。司書に頼み込み貴重な資料の数々まで、すべてを探り終えた頃には、壁が夕日に染まっていた。
 夜が来る。
 恐ろしい夜が来る。
 マシャエライトの明かりをともし、亜紀は机へ向かった。

●神楽の都 隠れ家
 ねっとりした夜気のなか、マスクの下で霧雁(ib6739)は歯噛みしていた。壁に背を預け、ぐったりとうつむく参の姿がつらい。隣に寄り添っている小柄な影は、船をこいでは姿勢を正していた。
(「黒蓮鬼とは一体。何より、何故眠ってはならぬのか。……眠れぬのは辛い。お二人を斯様に苦しめることになろうとは……我が浅慮が恨めしいでござる」)
 爪が食い込むほど握った拳を開き、霧雁は自分の頬を撫でる。
(「必ずお二人を助け、心より笑えるように。何があっても守り抜く!」)
 シノビの完徹で眠気を払い夜を徹して守るつもりだった。ジミーは毛を逆立てたまま巡回し猫心眼で眼を光らせている。
「ぜったいぜったい、参おねえさまと明結おばさまを守り抜くですの! 頼りにしてるですの、コレットちゃん!」
 裏口の扉に釘を打ちながら、ケロリーナ(ib2037)はエクターと、お互いにうなずきあった。
(「入れる場所を限定して、一度に相手をする人数を減らすですの」)
 屋根裏まで確認しようとエクターに肩車された彼女から、ふっと意識が遠のいた。
「お嬢様!」
 エクターの心配は杞憂に終わった。ケロリーナはバランスを取り戻し転倒することはなかった。気配をうかがうように、耳を押さえている。気遣うエクターへケロリーナが独り言のように呟いた。
「りぃりぃ」
「お嬢様?」
「聞こえましたの、今、確かに。甘い」
 ケロリーナは鋭く背後を振り向いた。
 明結が参の肩をつかみ、揺さぶっている。参が、はっと目を覚ます。何か言い含めているのか、明結は参の手のひらに字を書いている。
「コレットちゃんは聞こえました?」
「いいえ、私はお嬢様を守るために必死でしたので」
 彼女らの会話を小耳に挟みながら中書令(ib9408)は瘴気計測時計の反応に半眼になっていた。参が意識を手放した瞬きほどの時間、甘い耳鳴りが聞こえた瞬間、針が一気に跳ね上がった。元へ戻った針先を確認し、動き続ける明結の指先へ目をやる。
『……から世界の幸福量を一定に保つ偉大なお役目を授かったのです』
 そういう明結も限界が近いようだった。
 火ノ佳と鈴二体の人妖が緊張した様子で、彼女らを励ましている。
 入り口の脇に立っていた六条 雪巳(ia0179)は、複雑な顔のまま扇子を広げる。口元を隠し隣の仲間へこぼす。
「子を憂い、自ら葬送を願うアヤカシ。その情は、一体どこから生まれてくるのでしょうね……。あなたは、どう思われます?」
 視線の先で、白 倭文(ic0228)は低く唸った。二人が黒蓮鬼で、葬送者に襲撃されると、呂の口から仲間へ打ち明けさせたのは彼だ。無意識のうちに飾り帯に隠した鈴を触りながら、倭文は仲間の前でひたすら謝り続けた呂を思い浮かべていた。
(「丹を飲んで黒蓮花、死に瀕して鬼になるのが不老不死か。仮に鬼の命での生命維持なら、魂の在処は一体……」)
 参と明結の有り様は、未来の自分達だ。いわく言いがたい不安に顔を曇らせていた雪巳と倭文だったが、不機嫌な顔を突き合わせているうちに苦笑がもれた。
「アヤカシは討つべきもの。相容れない人類の敵、瘴気から生まれる絶対悪。けれど、この世は広いですね。人の情けを解するアヤカシなど、話に聞く古代人のようではありませんか」
 微笑んだ雪巳は、倭文の反応にぎょっとした。何を目にしたのか、弾かれたように表へ駆け出していく。同時に火ノ佳が叫んだ。
「雪巳、明結が起きぬのじゃ!」
 振り向いた雪巳は中書令の顔色の悪さに息を呑み、気合をこめ解術の法を施す。
「どうしました?」
「耳鳴りですの!」
 ケロリーナの頭上でカエルが一鳴きして消える。自分で自分を解術したケロリーナが、入り口からの物音に殺気立った。
 気合でねじ伏せるも霧雁は脂汗が止まらなかった。倒れたままの明結から、脳髄をとろかすような甘い耳鳴りが響く。
 強烈な耳鳴りが彼らを襲っていた。歯軋りをしたジミーが叫ぶ。
「これは、そうかこれが、眠っちゃならねえ理由かよ!」
「母上さま、起きてたもれ、母上さま!」
 火ノ佳の懸命な呼びかけに、布の塊が震えた。耳鳴りがやむ。

●巌坂
 異様な風体だった。
 槍衾に囲まれて扉をくぐったのは猿のような小男だ、左腕だけが巨漢じみて太い。戚夫人の侍女兼護衛として控えていた呂は、反射的に忍ばせていた短刀へ手をやった。
「アタシゃ牟多岐と言います。アナタがたが言うところの古代人だ。客分として遇するなら、相応の協力をいたしますよ」
 言いながら左腕の付け根を数度叩く。腕は根元からもげ、床へ鮪のように転がった。槍を構えていた警備の、熱心な信徒達が及び腰になる。続けて牟多岐は色とりどりの管を応接間の机へ並べた。
「その腕はアタシの盾、この管は武器。以上、武装解除終わり。これでアタシは非武装の民間人ですよ。少しは話を聞いてくれますかねえ、へへ」
 沈黙が落ちた。呂の胸は破裂しそうだった。
(「天帝さま天帝さま、教母様を異邦人の魔の手からお守りください」)
 沈黙の終焉は夫人の長い吐息だった。
「……結論を答えよ。アヤカシとの共存は可能か?」
「もちろんです」
 机を叩いていた戚夫人の手が止まった。信徒にざわめきが走る。困惑と警戒に満ちた空気を意に介さず牟多岐は続けた。
「瘴気へ適応するのです。アヤカシと同じ存在へ進化を、それは種としての飛翔だ」
 呆然としていた信徒の一人が、怒りを露わに牟多岐へ突撃した。猫でも転がすように彼に土をつけ、牟多岐は肩をすくめる。
「何故、拒むんです? アナタ方は既に黒蓮花をその身に宿している。瘴気に適応するまで、あと一歩だ」
 誤解するな。我々が共存を望んでいるのは、黒蓮鬼だけだ。
 大音声が応接室の天井を揺るがす。けれども彼らを戚夫人が制止した。
「良かろう。そなたを一蓮教客分として遇する」
 辺りが水を打ったように静まり返り、呂は血の気の引く音を聞いた。小男は背を曲げ、喉の奥で笑った。

●図書館
 節分豆を眠気覚ましにかじりながら、読み終えた本を山へ重ねる。泰大学の書庫を持ってしても、目的の伝承は驚くほど少なかった。肝心のレンシークイに関わる記述は、一向に見当たらない。
 夜が更けてきた。亜紀は窓へ顔を向けた。天儀の方角、神楽の都へ。腰を浮かせかけた亜紀が椅子へ座りなおす。
(「ボクのフィフロスに間違いはない。眷族の伝承を辿れば親株にたどり着く。少しでも手がかりを掴むんだ」)
 異なる単語で検索した書を両手に持ち、学者の父が常々語っていたことを亜紀は復唱した。
「御伽噺には往々にして真実が隠されている。粗筋が同じ話を探そう。レンシークイの脅威は実際に起きた事件だ。時代を越えて語られる類型の中に、ヒントが隠れているはずだよ。手伝って雪那、ボクが読み終えた資料を年代順に並べてよ」
 決意を胸に秘め焦る気持ちを鎮めると、亜紀は読解を進めた。万華鏡のような伝承を読み比べるほど、特徴が浮かび上がってくる。
「虹蓮花が現われ猛威を振るう。虹蓮を刈るために、人は不老不死の翡翠丹を口にする。けれど死の淵から生還したその人の周りで不幸が相次ぎ、やがて故郷を追われる。これが最も多い粗筋。そして過去に起きた事件の顛末……」
 亜紀の脳裏を雪巳と倭文の面影がよぎった。
 故郷を追われた人々はどこへ行ったのだろうか。胸を不安にさわさわと撫でられながら、亜紀は反対側の窓をのぞいた。塗りこめたような宵闇の奥、泰儀のはずれには、祝福された都朱春からはるか遠く、巌坂がある。
 亜紀は一蓮教の経典を開いた。どの時代も、正史そのままの記述と天帝礼賛で埋め尽くされている。
「帝は天にいましすべて世はこともなし、ね。ふーん。教義に捩れはないんだ。変わったとしたら人のほうかなあ」
 経典を読みふける亜紀の傍らで雪那が資料を並び替えている。伝承は梁山時代に集中しており、時代が遠ざかるにつれて減っていく。亜紀は正史の記述と資料の山を見比べた。
「かの壮大な兄弟喧嘩があったのが梁山時代、一蓮教が成立したのもその頃。その時フェンケゥアンが動いていた」
 考えたら”魔が刺した”人たちって、一時的に狂気に捕らわれたと思えなくもない。もしかしたらクイはフェンケゥアンと何か関係があるのかも……いや、それはないか。けれど。
「……一蓮教はクイに対処するため生まれたのかも」
 腕を組み考え込んでいた亜紀はふと顔をあげた。相変わらず雪那は整頓に忙しい。
「え?」
 亜紀の目が改めて年代を辿る。梁山時代からさらに遡った過去。正史、前史、遠い神話の時代まで、飛び石のように同じ伝承がある。疑問符で埋め尽くされた彼女は細く長く息を吐いた。事実から押し寄せる嫌な予感の正体は。
「泰儀が始まった頃から、もうレンシークイが居たってこと?」
 目の色を変えた亜紀の隣で、雪那は一冊の写本を手にまごまごしていた。どこへ分類すべきか考えあぐねているようだった。
「雪那、それは?」
「年代不明の資料です。写本の例に拠らず、意味もわからず書き写されたものであるようですが、どうやら梁山時代らしいので、こちらへ」
 全篇が墨で塗られている写本の該当部分から、読み取れたのは古泰語で翡翠丹とだけ。だが閃きが亜紀を刺した。
(「書簡だ」)
 虫食いだらけの本文から、古泰語辞書を用いて形の似た文字を探しだす。パズルを解くように、やっとの思いで解読したそれを読み上げた。
「翡翠丹枯渇。死者多数、人造魂魄スグ送レ」

●都
 人ごみに、見えない柱が次々と突き立てられていく。
 四辻へ飛び出た倭文はそう感じた。
 群集の流れが乱れていく。柱の正体は、ただの人だ。恍惚とした眼差しのまま、激しい往来でぼんやり立ち尽くしている。歩行の邪魔になるその人に、ある者は驚き、ある者は呆れ、時に罵声を浴びせ、そして大半は、気にもせず通り過ぎた。
 人ごみの隙間からするりと、ごく自然な足取りで葬送者は現れた。
「よ、おっさん。会うのは初めてだナ」
 世間話の気安さで倭文は年かさの男とすれ違い、後ろに居た魔術師の肩を叩いた。ただそれだけで、彼は詠唱も動きも封じられた。
「レディならお靴は脱ぐですの」
 混乱から立ち直ったケロリーナが口元でバッテン印を結ぶ。ナハトミラージュを暴かれた踊り子は、がくりとひざをついた。ケロリーナの知恵とコレットの挺身、二重のバリケードによってマノラティの射線は完全に遮られ、近づくことすらできない。
 万一があったとしても、参と明結の傍には相棒達が、そして霧雁が居る。一分の隙もなく、万全の態勢で。その針よりも鋭く、網よりも細かい闘気に立ち向かおうとも、葬送者の気力は、中書令の鎮魂歌が包みこみ崩していく。
 葬送者の万策は用いる前から尽きていた。圧倒的な力の差と、それを最大限に引き出す綿密な知略があった。
 張へ対峙したのは雪巳だった。
 礼儀正しいほどの静けさで、張が雪巳の急所を狙う。雪巳は愛用の扇子を開いて待っていた。雨上がりの虹に似た清らかな輝きが、重く静かな舞の軌跡を描く。
「戚夫人のお誘いへの回答を……戦いへの参加、お受けいたします」
 手首を翻し、緩から急へ、雪巳は扇子を閉じ張の暗器を弾き飛ばした。
「ただし、条件がひとつ。この長い長い戦いを、ここで終わらせること。最後に、クイを処分すること。そのためなら、お力添えいたしましょう」
 弧を描いた暗器が隠れ家の壁へ突き刺さった。

 室内。
 荒縄で拘束された葬送者を、一行は部屋の隅へ転がした。雪巳が張の前に扇を置き問う。
「世界の幸福量を一定に保つ……誰かの幸せのために自らを、もしくは他の誰かを不幸にする、ということでよろしいか」
 張は諦めきった様子で首肯する。
「そうだ」
「むごいことを……」
「ノルマを達成する確実な方法を知っているか。分母を減らすんだ」
 張がへらりと笑った。雪巳が眉をしかめる。
「泰に魔の森が少ないのは、あなた方が循環させているからですか?
 厳坂は瘴気のほとりに浮かぶ島、クイが吸い上げる瘴気も膨大なはず。集えば強大な力でも、小分けにしてしまえば処分出来る。翡翠丹はクイの一部、それを信者に飲ませることで分散させ……」
 口を閉ざしたままの張に、語尾が尖っていく。雪巳の背を軽く叩き、中書令が正座した。
「呂さんから話を聞いて、私達は決心しました。あなたがたの命まではとるまいと」
 居住まいをさらに正し、中書令は切り出した。

「蓮肉喰いは死ねば黒蓮鬼となる。違いますか?」

 雄弁な沈黙が続いた。真実を言い当てられた葬送者たちに隠し切れない動揺が見える。中書令はそれにかまわず、一人ひとりへ手を差し伸べ抱き留めた。
「大切だったんですよね。これまで送られた仲間達が。
 もう心を閉ざさないで下さい。私達が受け止める。違う形でも、護るべきものを護れる事を示します。
 だから。泣いていいんですよ。ここは天儀ですから」
 男から嗚咽がこぼれ、女が滂沱の涙をこぼす。二人の泣き声にも張は押し黙ったきりだ。伏せたままの目がじわじわと潤んでいく。やがて笑みを消し去り、張は口を開いた。
「そのとおりだ。
 俺達は黒蓮鬼と共存を望んだ。そのために町を興し教えを語り伝え、長い長い間泰儀から虹蓮を刈り続けてきた。
 六条さん、あんたの推測は半分当たりだ。だが誓って規模のでかい話じゃあない。世界のすみっこの、そのまた外れにある町の話だ。
 瘴気を必要としてるのは黒蓮鬼だ。レンシークイは瘴気だけでなく負の感情を求める。そして奴が消えれば眷族も消える……困るんだよ、俺達は」
「何の話なにょ」
 参が割って入った。口ごもる一行を居心地悪げに見渡し、視線を定める。
「ねえ、ねこさん。私置いてけぼりなんですけど、どういうことなにょ?」
 霧雁は参と明結へ手を差し伸べた。苦しげな息遣いが聞こえる。空になったゼムゼム水を鈴がそっと片付けた。
「眠らずにいるのは、拙者達のためでござるな」
 霧雁は険しい顔で張を振り返った。
「お二人は完徹を学べぬでござろうか。あるいは護衆空滅輪での保護」
 苦渋をにじませ張が首を振る。
「陰陽寮で開発下にあると聞く瘴気封じの檻では……」
「だからぁ! なんの話なにょ!」
 いらだつ参へケロリーナがぎゅっと抱きつく。不安でたまらないときはいつも、彼女の騎士はそうしてくれる。そして彼女は見てしまった。明結が参の裾を引き、字を綴るところを。
『貴方はアヤカシ。本物の貴方はもう死んでるの』
「おばさまっ」
 ケロリーナは思わず細い腕をつかんだ。勢いで明結のかぶっていた布がずるりと脱げ落ちる。中から現れたのは、少女であるようだった。年のころも背の高さも、ちょうどケロリーナと同じくらいの。それは、かすれた音を立てた。悲鳴が気管をこする音に似ていた。両手で顔を隠し逃げだすと、すぐに壁へぶつかり頭を抱えてうずくまる。
「おばさま……」
 異様は隠しきれるものではなかった。顔はこそげ取れ胸まで裂けている。乾ききった傷跡にケロリーナは二の句が告げなかった。
 倭文がゆるく息を吐いた。胸にある冷たい塊も、ついでに抜けてくれそうな気がして。
「不老不死……」
 色を失っていた参がひきつった笑みを浮かべる。
「アヤカシ、え、ちょ、私も? ……マジで?」
 えー、何それ、えー、私が築いたもの全部パアじゃん? えー?
 それだけをくりかえし、参もまた絶句した。

●巌坂
 信徒は絶句していた。彼らを無視し戚夫人は牟多岐と話を進めていた。
「して、そなたの用向きは」
「レンシークイの構築式を調べに」
 話しこむ二人を呂が遮る。
「教母様、そいつを客分に迎えるなら、開拓者も迎えるべきです」
 次々と声が上がる。そうです。危険です。どこの馬の骨ともわからぬモノを。開拓者はこの町を救ってくれた。あの大火の中、虹蓮を刈ってくれた。
「口を閉ざし、笑え」
 鋭い視線が彼らを薙ぐ。
 鞭打たれたようにすくんだ明燕は、けれど背筋を伸ばした。
「泣きたかったら泣いて笑いたいときに笑えって、私の好きな人が言ってた!」
 真摯な瞳を戚夫人が睨み返す。
「ならば伝えるがいい、呂よ。長い長い間、鋏を握りしめ我々は怯えてきた。隣人がアヤカシになる日が、背を預けた者が動く肉塊になる日が、愛する人を二度刺さねばならぬ日が……」
 夫人の硬い表情が崩れた。沈痛な面持ちで明燕の左胸を凝視する。
「未だ来ぬゆえ、未来と言う」

●都
「寄るな!」
 宙を凝視していた参が、霧雁の手を振り払った。
「梨那さん!」
 踏み出た彼に銃が突きつけられる。肩で息をしていた参が、不意に湖のように静かになった。
「……殺されるのは嫌」
 赤い猫目に映る影が引き金を引いた。弾丸がこめかみを貫通し脳幹をえぐりぬく。砂袋の倒れる音。赤黒い染みと共にひきつった笑い声が広がっていく。
「えー、ウッソマジで。痛くない。痛くないんですけど。何これ超ウケる、ひはは」
「梨那さん。知ってしまった以上、必ず何とかするでござる、梨那さん!」
 縛られたままの張が前のめりになった。しきりに顎で自分の懐を示している。
「翡翠丹をやってくれ。血止めになる」
 その時、子守唄が響いた。
 中書令の琵琶が参と明結をあやしていた。二人を眠りに追いやる調べに葬送者たちは驚き身を乗り出した。
「責任はとります。動けなければ被害はある程度抑えられます。そしてここは神楽の都で泰国ではありません。蓮肉喰いとなった人と……私達、外の人間が力を併せてこそ、できることがあります。例え討つしかない未来であっても」
 倭文と目を合わせた中書令は、物静かな調べに決意をみなぎらせていた。貴人めいた面持ちに信念が宿っている。
「私は知る努力を放棄したくはない。おやすみなさい、お二方は休息を取るべきです、そして教えてください私達へ、黒蓮鬼の撒く特殊な混乱の射程を」
 部屋の隅でうずくまっていた明結がおずおずと腕を伸ばし、畳へ字を書こうとする。その手を倭文が受け止めた。
『眠ってもいいの?』
「ああ。我らが連れ添い龍へ乗り、地上から離れる」
 倭文は明結の手の平に名を書いた。『暁燕』と。
「我の相棒はナ、炎龍のシャオイェンていうんダ。よろしくナ」