最後まで足掻きたい〜蓮
マスター名:鳥間あかよし
シナリオ形態: シリーズ
危険 :相棒
難易度: 難しい
参加人数: 6人
サポート: 3人
リプレイ完成日時: 2014/07/17 00:14



■オープニング本文

前回のリプレイを見る


●どこかの話


 それはいつも蓮の陰に隠れ、何もしない。ただ見ている。


●表の話 チャイニーズルーム 四二号室からの手紙

 便箋を開くと、ぎくしゃくした字が並んでいた。

『やさしい、いい人達へ。
 語りえぬ事へ沈黙を続けて十年が経ちました。
 私は明燕の母ではありません。黒蓮花と呼ばれるアヤカシです。
 私の苗床であった人は、明燕を産み、春のお庭へ召されました。
 なのに、あの子は私を養い続けている。もう解放してやりたい。
 あの子は本当に計算が下手で、梨ちゃんに比べてへまばかりで私は(字が激しく乱れている)
 アヤカシは討つものです。何卒、私めの葬送をお願い申し上げます』

 封筒には銀の芽切鋏が入っている。『呂明結 春一四九五年入信』


●裏の話 チャイニーズルームと長い長い戦い 巌坂 深夜

 緩和棟からまろびでた二つの影は打ち合いながら灯りの下を転戦した。じりじりと塀へ近づいていく。
 志体を持つ者同士の戦いに人々は手をこまねいていた。呂と参は傍から見ても格が違いすぎた。参はただ呂を傷つけたくない一心で身をかわしているにすぎない。
「怒ってるにょ、恨んでるにょ? 私のこと、あの時の事……」
 呂は答えない。血走った目で銀の鋏を突き出す。こみあげる悔恨に参は歯軋りした。
「そうだよにぇ、ごめんにぇ。私がオトンを止められなかったから、ごめん」
 痛みをこらえるように呂の顔が歪んだ。鋏が空を裂く。参はそれを紙一重で避け、呂の叫びに目を見開いた。

「本物の梨ちゃんだったらよかったのに!」

 意味を理解できず参は呂の腕をつかんだ。
「どういうこと?」
 失言に気づいた呂が青ざめた。互いに荒い息を吐きながら花園で固まる。
「戚史さん!」
 町からの伝令が呂へ急ぎ報告する。
「お役目中失礼します、飛空船が港に墜落しました。炎の中から、虹蓮の感染者が、そのうえ……」
「虹蓮なら、あなた達でも倒せるじゃない!」
 わめく呂へ伝令も怒鳴りかえした。
「夢魔がいます!」
 呂の意識がそれた。参は鋏を弾き飛ばし暗闇へ身をひるがえした。警備とすれ違ったが、参にかまっているどころではないようだった。怒声が遠く響く。早く町へ、扉を閉めろ、雨戸をおろせ。外の者を虹蓮から守れ。
 物陰で人心地つくと、どっと汗が吹きだした。
「もーワケわかんにゃい、どうなってんにょ……明ちゃん」

●表の話 飛空船 巌坂行き
 さっきから玲の前で、猿に似た小男が長椅子に腰掛けている。いらいらと膝を叩いている彼は、何かを待っているようだった。やがて椅子から降り、丸太でも転がすように死体を仰向かせた。
 旅客室は鮮血で彩られている。
 呂の動きが怪しいと踏んだ玲は偵察のため船に乗ったのだ。窓から見える浮島は、暗闇に浮かぶシャンデリアのようだった。船が高度を下げた時、悲鳴が上がった。
 突然現れた小男が、管からアヤカシを召喚した。玲は剣を抜いたが、夢魔にからかわれただけに終わった。
「あ、その劣等種は手付かずですねえ。とっておいてください。養分にしたいのでね」
 妙に飄々とした一言で玲は夢魔に押さえこまれ、乗り合わせた人々が虐殺されていくのを見ていることしかできなかった。
「……! ……っ!」
 枯れた声で罵声を吐き、玲は力の入らない四肢でもがき続けた。夢魔は喜び笑うばかりだ。小男は死体を前に困り果てた様子だ。
「いかんともしがたい」
 死体から心臓をえぐると巨漢のような左腕で握り潰した。墨汁じみた液が管へ溜まっていく。
「これだけ近くでも活性化に時間がかかるとは。親株はどうなってるんですかね。……こちとら冥越に戻らなきゃならんのですが。手間かけさせてくれますねえ」
 黒い管を懐に収め、虹色の管を取り出す。
 せめてこっちの子に養分をあげようと、小男はメスで玲のうなじを裂いた。
「――ッ!」
 管を傾ければ、とろりとした液体が滴り落ちた。それが玲の神経へ到達したとき、この世の物とは思えない快楽が広がった。
 多幸感が神経網を侵し目がくらみ意識が飛んだ。うなじから虹色の蓮が伸び大輪の花を咲かせた。小男はよだれを垂らし立ちあがる玲を満足げに眺め、姿を消した。
 飛空船は速度を落とさず降下を続けていた。灯台の誘導を振りきり、他の船の制止も無視して。操船室の船長は、とうに心臓をえぐられていた。月夜。港。逃げ惑う人々。閃光、爆発。

●どこかの話 十三年前 巌坂

 告解室の小さな窓を挟み、戚夫人は男の話を聞いていた。
 顔は見えずとも声の主はわかる。巌坂でも五指に入る大店の主だ。だが近年は不幸続きで、看板ごと消えてしまうのではと噂になっている。
「家内のことなのですが……」
 男は言い淀み、口を閉ざした。長い沈黙は悩みの深さに通じていた。戚夫人は哀悼を浮かべたまま待った。何度立ちあっても、鬼を抱えた者達の苦しみは、慣れないものだ。静かな聖堂の片隅で男の憂鬱が続いた。
「どうもその、既に死んでいるのではないかと」
 戚夫人もまた重苦しい息を吐いた。男の妻は、黒蓮鬼になってしまったのだろう。推論を確定させるには夫人の巫術で瘴気を探ればよい。だが男が叩いたのは秘め事を日陰へ隠す扉だった。
「気づいたのはいつだ」
「最近です。住み込みの奉公人が品物に手をつけました」
 一見、関連のない事柄だったが戚夫人は驚かなかった。続きを促す。
「以前から、よく物をなくす手代ではありましたが、そこの娘が明燕と仲が良いもので大目に見ておりました。ですが調べてみれば、なくしたはずの物が質に出ておりました」
「その者らは信徒か」
「亡くなった手代の奥さんは一般の信徒でした。娘もそれに倣って芽切り鋏を授かっています。ただ手代は外の者でした。定石どおり小物をちょろまかしているうちに味をしめたらしく、しだいに……」
 奉公人の言い分によると。男は両手で顔を覆った。
「最初は本当に、魔が差しただけだったと」
 今度こそ戚夫人はため息をついた。平和に慣れるように人は悪事にも慣れていく。事件簿に乗るほどの例は氷山の一角に過ぎない。手代は弁解どおり黒蓮鬼の影響下で事を行っていたのだろう、最初は。
 手代の処分を問うと男は力なく笑った。
「夜逃げされました。店の金ごと……」
「死者は春のお庭へ行こうとも、生者は国法の下にあるべきだ。我らでは追えぬ」
「承知しておりますとも。艱難辛苦です。飲み干して春のお庭に参ります」
「妻の死に心当たりはあるか」
「明燕は難産でした。家内は産所で幾度も意識を失ったそうです」
 男は押し黙った。彼がひやかしの種になるほどの愛妻家だと、夫人は知っていた。

「とるべき道は二つだ、呂よ。葬送するか、塀の中で養うか」

 男の指がゆっくりと卓を叩いた。迷っているようだった。赤に塗られた帳簿と相談していたのかもしれない。
「……また来ます」
 戚夫人は引き留めなかった。夫人が再び男と会ったのは三年後のこと、男の葬儀であった。


■参加者一覧
六条 雪巳(ia0179
20歳・男・巫
ケロリーナ(ib2037
15歳・女・巫
神座亜紀(ib6736
12歳・女・魔
霧雁(ib6739
30歳・男・シ
中書令(ib9408
20歳・男・吟
呂 倭文(ic0228
20歳・男・泰


■リプレイ本文

●激震
 やや遅れて轟音が大気をつんざく。
「何事でござる!」
 霧雁(ib6739)が寝台から飛び起きた。腹の上でいびきをかいていたジミーが床に落ちる。巌坂の町に宿を取り、ああでもないこうでもないと、皆で首をひねっていたところだ。
 六条 雪巳(ia0179)は窓を開けた。火ノ佳が乗り出し、音のする方角へ顔を向ける。黒煙がもうもうと月夜へ昇っている。悲鳴と喧騒の冷や水が町へ広がってきた。
「港が燃えているのじゃ。もしや飛空船が落ちたかや?」
「……とにかく現場へ!」
 あわてる霧雁に返事をしようとして、雪巳は剣を持つ人々へ目を留めた。港へ向かう後ろ姿には見覚えがある。本院の警備たちだ。先頭を走る地味で小柄な影は呂だ。耳を澄ませると騒動にまぎれ怒声が聞こえる。扉を閉めろ、雨戸をおろせ。外の者を虹蓮から守れ。
 部屋の戸が激しく叩かれた。切迫した声が聞こえる。
「港にアヤカシ虹蓮花が現れました。感染の恐れがあります、窓を閉めてください」
「私たちは開拓者です。アヤカシはお任せください」
 中書令(ib9408)が戸を開く。肩で息を切らし警告に来たのも警備兵だ。
「お申し出はありがたいのですが、お客様は外の人でいらっしゃる。この件は私ども一蓮教に……」
「けろりーな達だからできることが、きっとありますの」
 薔薇の紋を彫った杖を抱き、ケロリーナ(ib2037)はそう答えた。コレットが主人を押しのけ脇をすり抜ける。松明を手に中書令と霧雁が後に続き、神座亜紀(ib6736)もエルを連れ廊下を走る。
(「感染……。呂さんが言ってた気がする。虹蓮を見たものは虹蓮になるって。大丈夫だよね、ボク達には志体がある」)
 行きたい気持ちを、雪巳はぐっとこらえた。長袍の上から絽の衣を羽織ると、明結の銀鋏と通用門の鍵を胸に抱き表へ出る。
「港も心配ですが、鈴さんが人魂で見たという参さんの様子が気になります。塀の中を調べるなら、混乱している今が好機。私はあちらへ参ります」
「こっちは心配するナ。いざって時は連絡くレ」
 雪巳を見送り、白 倭文(ic0228)は仲間の後を追い道を走った。動悸が激しいのは、戦へ赴く緊張だけではない。懐の翡翠丹を服の上から押さえ、倭文は奥歯をかみ締めた。
「……行くゾ、雪蓮。諦めねェし、何になろうと、一人で行かせるかヨ」
「はい主様。お供いたします」
 覚悟を決めたのか、雪蓮はわずかに目を伏せうなずいた。

 港は、月明かりも圧倒する業火に包まれていた。炎の奥でゆらめく影は、飛空船の残骸だろうか。偶然にも居合わせたリィムナ・ピサレット(ib5201)と玲璃(ia1114)が声をからし、逃げ惑う人々を町へ誘導していた。時折、青い光が迸り人々の影を倉庫の壁に焼き付ける。神座早紀(ib6735)の閃癒であろう。
 傷ついた人々を元気付け、加護を送る早紀と玲璃の真横を通り過ぎ、リィムナの楽の音を聞きながら、一行は人ごみを抜けた。
 亜紀は左右を鋭くねめつけ短く言葉を発した。
「夢魔がいるって聞いたよ」
 中書令は眉をしかめ、琵琶を鳴らした。ゆったりとした落ち着いた音色が、手元からこぼれひろがっていく。煮えたぎる背景に幻想が浮かび、天使が影絵を踏む。小節を終えても、中書令の眉間にはしわが刻まれたままだった。
 空を見上げた倭文の視界を、蝙蝠の翼が横切る。炎の照り返しを受け夢魔が踊り狂っていた。鳶のように同じ所を回っている。ぴんと来た倭文は夢魔を目印に道を急いだ。つま先が砂利を踏むたびに、剣戟の音が近づく。警備の一団だった。何かと戦っているようだが、手も足も出ないようだ。
 近づくにつれ、霧雁の頭脳に甘い耳鳴りが届く。
 りぃりぃ。
(「ほう、これが噂に聞く虹蓮花の……近いでござるな」)
 苦無を握り、奔刃術の構えに入る。コレットがぞくりと背筋を震わせ、足を速め主の前に出た。ケロリーナが口元を引き結ぶ。耳鳴りが強くなった。
 頭痛をやりすごし、渋面のまま倭文は警備をかきわける。
(「こいつら志体持ちじゃねェ、泣き幽霊にも苦戦してル」)
 疑問を抱いたまま中書令も冷や汗をぬぐった。
(「気を抜けば混乱しそうです。……おかしい。これだけ耳鳴りがひどいのに、信徒は平然としている」)
 確信に似た懸念が胸を支配し、倭文は苦虫を噛み潰した。
(「翡翠丹か」)
 人の壁を抜け、一行は広場に出た。
 白刃が閃く。
 高く飛んだ短剣が月光にほの白く瞬き、炎へ落ちた。呂の短剣を、泰剣が弾き飛ばした瞬間だった。倒れた呂の喉元へ泰剣を突きつける、その人は。
「結花さん!」
 虹色に光る蓮が、彼女のうなじから垂れ下がりぬらぬらと蠢いている。亜紀は血の気の引く音を聞いた。ケロリーナがぱくぱくと口を動かし、緑の瞳を零れ落ちそうなほど見開く。
「玲おねえさまが、アヤカシに……」
 激情を迸らせ、亜紀が叫ぶ。
「そんなところで何してるの! 手柄を立てて呂さんを見返すんでしょ!? お兄さんの論文の手伝いはどうするの!? しっかりしてよっ!!」
 泰剣の切っ先がぶれた。一瞬の乱れに希望を見出し、ケロリーナが杖を掲げる。
「きっとまだ間に合いますの、虹蓮をやっつけるですの!」
 涙でにじむ視界を強くこすり、亜紀が氷雪の精霊と交信を始める。
(「結花さん……結花さんはボクの大切なお友達なんだ」)
 ふわりと後ろから包み込まれる。提灯南瓜のエルが亜紀の肩を抱いていた。
「亜紀の友達は私の友達。絶対助けるわよ!」
「うん!」
 両手を挙げ、エルがくるりと回る。南瓜檻が空から降ってきた。ハートの乗った檻が呂を閉じこめ、玲が飛びのいた。喜びを讃える金の錫杖が鳴り響く。亜紀の瞳が虹蓮へ照準を合わせる。
「弾道トレス完了、アイシスケイラル!」
 氷刃が熱気を切り裂き、油膜じみた輝きの蓮花へ命中した。表皮が凍りつき、裂けていく。

●月光浴
 夜の花園を行く。火ノ佳は物陰から物陰へ、蜜蜂のように飛びまわる。南国の月光に染まった花々は、物言わずうなだれている。
 雪巳は、ふと立ち止まった。以前彼が足を射抜かれた場所だ。
(「静かですね。まるで嘘のようです、港の騒ぎも、あの晩の耳鳴りも」)
 辺りはひっそりとしている。警備が出払っているのか、緩和棟の入り口には明かりだけが点っていた。雪巳は念を入れて結界を張る。とたんに景色が変わる。建物からあふれだす瘴気の量を目にし、彼は愕然とした。
 何も感じない。
 あれほど苦しめられた邪な波動へ身をひたしたが何事も起きず、嫌が応にも不安が膨らむ。
「ゆーきーみっ」
 我に返り、雪巳は火ノ佳を振り向いた。ブーゲンビリアの影から顔を出しているのは参だった。無事を喜びあうと、雪巳は参もまた平然としていることに気づいた。
「つかぬことをお聞きしますが、耳鳴りがしませんか」
「耳鳴り? いや、特に」
 首を振る参に雪巳は、通用門から宿へ避難するよう言い含めた。
「けど、私だけ外へ行くのは」
 顔をそらす参へ、雪巳は明結の芽切鋏を取り出した。
「ご心配なく。戚史さんのお母様は、明朝、霧雁さんたちが救出する手はずです。宿で沙汰を待ち神楽の都へ身を隠しなさい」
 うなずく参へ、雪巳はふと気になったことをたずねた。
「『戚史』とはどういう意味でしょう」
「教団での洗礼名にょ。戚夫人の跡継ぎだから戚の歴史。役職みたいなもんだにょ。十人居たけど残ってるのは明ちゃんだけ」
 二の句が継げない雪巳の前で参は、がりがり頭を掻いた。
「事故だとか病気って聞いてるけど、まともじゃないってのは感じてるにょ。……違うし。明ちゃんは明ちゃんだし。一山いくらの名前に変えんなし」
 参の態度に教団への不信を見て取る。夜風が木々をざわつかせ、雪巳の長い髪を揺らした。
「雪巳さんはどこへ?」
 私は、と区切り雪巳は本院を見上げた。鐘楼を中心に煌々と明かりがついている。
「お会いしたい方が居ます」

●激震
「結花さんを助けるでござる、ジミー!」
「応よ! 仙猫になった俺の力見せてやらぁ!」
 霧雁の背から飛び降り、ジミーが仁王立ちする。毛皮に静電気が走り、全身が発光した。硬化した毛が針の雨と化す。泣き幽霊がのけぞり、夢魔が歯軋りする。夢魔は傘を槍のようにかまえ、霧雁を目指し急降下した。
「邪魔はさせぬでござるッ!」
 九字を切り、精神を統一する。霧雁の視界がモノクロに変わった。時が止まり、アヤカシが影絵に変わる。霧雁は大地を蹴った。夢魔の攻撃をすり抜け、霧雁が玲の右へ肉薄する。かそけき夜が消える。標的を見失った夢魔は牙をかみ鳴らす。
 その隙を突き倭文が動く。瞬きよりも速く夢魔の隣を駆け抜け、玲を目指す。朦朧とした意識の中、玲は外敵の存在を察知した。姿勢を低くとり、倭文へ向け渾身の突きを放つ。刀身を平手で叩き、矛先をそらした倭文は勢いを利用し玲の手首を打ちあげた。泰剣が落ち、乾いた音を立て石畳をすべる。続けて一気に踏み込み倭文は左へ回りこんだ。虹蓮から伸びた触手が、倭文の肩を貫いた。
「……暴れんなヨ、じゃじゃ馬」
 意地で苦痛を押し殺し、玲の腕を掴み足払いをかける。たたらを踏んだ所をさらに引き寄せ、間接を決め拘束する。
 まぶたを閉じ、鈴はその名の通りの声をあげた。
「曰、尊五美屏四悪」
 清らかな風が倭文を覆い流血が止まる。夢魔が憎々しげに顔をゆがめ、奇声を発した。視界がかげり、強烈な眠気が中書令を襲った。膝が崩れ体から力が抜けていく。
「曰、未知生、焉知死」
 気合を込め拳で地を叩き、彼は顔をあげた。琵琶を奏でる。安らかな子守唄が響き夢魔のいたずらを打ち消す。
 うわばみの顎めいた虹色の花弁を、霧雁は苦無で切りつける。粘泥に似た感触が柄越しに伝わる。返す刃で、凍りついた葉を切り落とす。
 虹蓮が四肢にまで入り込んでいたら。そう思うと、亜紀の胸はつぶれんばかりだった。
「結花さんから離れろぉ!」
 氷刃が召喚される。亜紀は体のばねを使い錫杖を振り下ろした。涙が飛び散る。アイシスケイラルは、あやまたず蓮の付け根を直撃した。結合部が凍りつく。
「誰も死なせはしないでござる……!」
 再び時が静止した。夜の底で霧雁は結合部を狙う。一閃、苦無が氷を削り蓮の根が揺らいだ。二閃、狙い続けた一点を突破し霧雁は重い感触を振りぬく。虹蓮は支えを失った。石畳に落ちた虹蓮がびちびちと跳ね、瘴気弾が爆散した。霧雁と倭文の全身へ弾丸が食いこむ。
 瘴気弾は雪蓮とコレットにも及んだ。雪蓮は半身で衝撃を受け流し、コレットは両腕を大きく広げ受け止めた。その影からケロリーナが飛び出す。真言は唱え終わり、明王の加護が彼女に宿っていた。
「これで決めますの! そーじょー、えんかーあ!」
 倭文の腕でもがく玲の背へ、杖を叩きつける。カエル印が玲に刻まれ、けろと鳴いて消える。直後、玲の全身から湯気のような黒い靄が立ち昇りぼやけて消えた。
 まとわりつく泣き幽霊の顔面をコレットの剣が切り裂いた。瘴気があふれ顔が崩れる。泣き幽霊はむせび泣きながらも歩みを止めない。
「私の名はエクター。お嬢様の盾にして剣」
 エクターは剣を正眼に構える。間接がきしみ、刀身が淡い緑の光を帯びる。夢魔へ切りかかった時、虹蓮が鎌首をもたげた。頭蓋を揺さぶる耳鳴りが一行を襲った。

●欺瞞の園
 本院の奥に入り込んだ雪巳を待っていたのは、戚夫人その人だった。厳しい目つきは司祭よりも教師に近い。そう思わせるのは、腕に抱いた閻魔帳もあるだろう。入信漏れと記されたそれに、自分の名があると雪巳は気づいた。
「……先日は結構なものを頂きまして」
 背中側で扇を開き、雪巳は結界で戚夫人の反応を見た。瘴気は感じられない。
「信者でもない私にあれを飲ませたのは何故です?」
「そなたが警備の者らを殺めぬようにだ」
「外へ放り出すだけなら、意識を奪うだけで良かったはず。私に、何をさせたいのでしょう」
「我らの同胞となり戦列へ加わってほしい」
「戦列とは」
「蓮花との戦いだ。彼奴は特殊な混乱を撒き散らし、負の感情を啜り親株へ送る。だが我々は長い長い時をかけて、虹蓮を刈り取り親株から力を削いできた。親株にも虹蓮にもかつての力はない。勝利の日は必ず来る」
「あなたがたの仲間になれ、と?」
「然様。翡翠丹を口にした時より、そなたは天帝様から世界の幸福量を一定に保つ偉大なお役目を授かった。そなたほどの理力と巫術ならば、救世の菩薩にもなれるであろう」
 雪巳は広げた扇子で口元を隠し、思案気にしてみせた。
「……邪を正すは、天儀日照の神がお喜びのところ」
 期待をにじませた戚夫人を、雪巳の視線が射抜く。
「私を同胞と呼ぶなら、質問に答えていただきたい。まずは翡翠丹の効能を」

 自分が立っているのか、倒れているかもわからない。
 混乱の最中、中書令はとろけそうな意識を引き戻した。混乱を完全に逃れたのは範囲外に居た亜紀だけだった。玲を狙う夢魔との間に鉄の壁を呼び出している。
 高い音が鼓膜を叩いた。霧雁の苦無が倉庫の壁に刺さっていた。武器を投げ捨てた彼は、夢魔にも虹蓮にも背を向けている。体へ広がる不快な甘さにケロリーナは強く首を振った。耳鳴りは続いているが、少しだけ意識が鮮明になる。その視界に、玲の首を締め上げる倭文が映った。
「白おにぃさま、めーですのー!」
 反射的に後頭部に杖を叩き込み、解術を施す。拘束が外れ玲は倒れ伏した。苦悶の様子はなく、ただ意識を失っているようだった。体内の虹蓮はケロリーナの一撃で消滅している。だが、かさかさと葉を揺らし、玲へ虹蓮がにじりよる。細い触手が何本も伸び、うなじの傷口を辿った。
 気の抜けた笛が響く。エルが懸命に亡者の笛を吹き鳴らしていた。効果があったのか、行き場を失った触手が宙を掻いた。

 閻魔帳を指先で叩き、戚夫人は答えた。
「翡翠丹には、特殊な混乱を無効化し、虹蓮の感染を防ぐ力がある」
「虹蓮を見ると虹蓮になる?」
「そうだ。虹蓮は人体を侵し際限なく増殖する。志体持ちであろうと、いつかは感染を免れえぬ。長く長く戦い続けるために欠かせぬ妙薬だ」

 響く耳鳴りの中で、倭文は翡翠丹を唇に押し当てた。度重なる抵抗で気力が尽きつつある。自分だけでなく仲間も。蓮の実はひんやりと冷たく、青臭い香が鼻腔に広がった。
「倭文さんダメ! ダメだよ!」
 檻を揺らし呂が絶叫する。倭文は牙を覗かせ笑った。
「明燕、窮もまた楽しむもんだゼ」
 翡翠丹を口にした。丸い異物が倭文の喉を通り抜け、腹の底へ落ちていく。熱風が全身へ吹きつける。貨物を舐め燃え広がる炎のうめきが聞こえる。
 耳鳴りは消えうせていた。
 玲を抱きあげ、倭文は忍び寄る泣き幽霊に回し蹴りを入れた。くの字に折れた体が爆ぜ、瘴気が吹き出す。鋭い頭痛が倭文のこめかみに走った。
「おんあらはしゃな、ですのっ」
 ケロリーナが印を組んだ。淡い緑の光が倭文とケロリーナをつないだ。泣き幽霊が断った精霊との絆が戻る。
 鉄壁に半身を隠し、亜紀が錫杖を掲げた。杖の先端と虹蓮花、一分のずれもなく射線を合わせる。射線上へ、編みこんだリボンをほどくかのごとく不可思議の構築式が伸びる。それが虹蓮へ達した時、亜紀は全身で叫んだ。
「ララド=メ・デリタ!」
 光球が出現した。青から黄、緑から赤、めまぐるしく色を変え、虹蓮の輪郭を崩す。
「灰になるのも許さない! お前なんかこの世から消えちゃえ!」
 白に染まった光球が虹蓮を包む。

 扇子で手のひらを叩き、雪巳は口を開いた。
「では、黒蓮花について教えていただきたい。知らないとは言わせません」
 戚夫人が目を眇めた。
「そなたらは知らぬが良い事よ。一蓮教の敵は虹蓮花だ」

●欺瞞の裏側
「答えになっていません。翡翠丹と黒蓮花の関係も、あなたはご存知なのでしょう? 教えてください、私達は……」
 戚史さんのお母様から、葬送を願う手紙を受け取ったのです。沈黙した戚夫人へ、雪巳は封筒を差し出す。封を切ると、香を焚き染めた願い短冊が出てきた。柳のような書で、中書令の心痛が書き連ねられている。

『夫以春、虞治平之世
 諄諄以「泥路困窮、天禄永終」為諫
 眺望天堂者其可疎哉』

「清い志だ……」
 肩の力を抜き戚夫人は短冊を懐へ収めた。態度が軟化したようだった。
「……レンシークイ」
 疲れた横顔を見せ、戚夫人は語りだした。
「虹蓮花の、そして黒蓮花の親株。代々の戚が封じ守るアヤカシ、それがレンシークイだ。翡翠丹はクイの実だ。発芽すれば虹蓮花に、実のまま人体へ取り込めば黒蓮花になる。両者の役割は同じ、だが性質は異なる」
 耳を疑った雪巳にかまわず、戚夫人は続けた。
「ここまで答えたのだ、同胞になってもらおう六条雪巳。クイを倒すのなら私は、そなたらと刃を交えねばならぬ。我らに残された希望ゆえに」
「待て、待つのじゃ」
 火ノ佳はあたふたと両手を振った。
「つまり、雪巳の中には、黒蓮花が居るのかや? そやつが翡翠丹の効能とやらなのかや?」
 うなずく戚夫人に火ノ佳は真っ青になった。
「雪巳はどうなるのじゃ!」
「何も。翡翠丹の効能があるのみよ。六条『本人』にはな。そなたは台風の目になった。春嵐吹き荒れようと真中へは至らじ。艱難辛苦は、常に周りに起こる」
「……私に課せられた試練なら、自身の手で乗り越えます。大切な仲間に背負わせる艱難辛苦など、私は持ち合わせておりませんから」

●激震の後
 夢魔はあかんべえしながら翼を広げた。霧雁の投じた苦無は、最後の泣き幽霊に当たって消えた。鼻を鳴らすジミー。
「次に会うときが命日だ、わかったか雁の字」
「はっはっは、もちのろんでござるよ」
 霧雁は苦無を拾った。うつむいたその時だけ、眉をしかめる。
(「巌坂は瘴気の流れのほとり。シオマネキ的な奴を倒さねば何度でも蘇るでござろう」)
 中書令は月に映る夢魔の影がどろりと溶けたのを見た。
(「あれは町の方角」)
 夢魔だったものは真下に落ち闇にまぎれた。急ぎ計測時計を取り出し、瘴気探知に専念する。風化のため後は追いきれなかったが、港から町へ続く瘴気の痕跡が見つかった。
 生き延びた玲から飛空船での一切を聞いた亜紀は、骨が浮くほど杖を握り締めた。
「……許さない」
 小さな体から怒気が立ち上り、義憤は天を焦がす大火と重なった。
「許さない、絶対に許さないよ! こ、殺して、やるっ、から……!」
 しゃくりあげるたびに、ほとほとと涙が胸元へ落ちシミを作った。
 檻が消えても、呂は泣き伏したまま動かなかった。
「ごめん、ごめんなさい。守れなかった。倭文さん……。倭文さんだけは蓮肉喰いに、私と同じにしたくなかったのに」
「勝手で悪ィな。だが我もお前を守ると言っただロ。何になろうとダ」
 片膝をついた倭文は明燕の手を取り、顔をあげさせる。
「計算が苦手だって聞いたゼ、明燕。数が合わねェ我の分が減るって言ってたが、なァ……惚れた奴が泣いて、笑ってられるわけねェよ」
「……倭文さん」
「お前がちゃんと笑うなり、自分を大切にすりゃ十二分だ。数が合わないなら数抜きで、我を信じてみろ」
 モノクルの奥から悲しみとは違う涙がこぼれた。
「うん、信じる。……信じるよ、倭文さん」
 立ち上がった呂の背から、ケロリーナは奥の警備たちに焦点を合わせる。彼らもまた翡翠丹を口にしたに違いなかった。
(「厳坂のお人たちは、きっと、手におえない怪物を目覚めさせないために。誰かを犠牲にして、自分も犠牲になって。そうして、ずっとずっと……。もう、哀しみはいらないですの。もう、終わりにしなきゃだめですの。未来にいくために」)
 ケロリーナは居合わせた人々へ向き直り、両手を広げた。
「護大の心臓はけろりーなたちがおさえましたの。今こそ古き理を打ち破って新しい世界をみるときですの!」
 人々がざわめく。なんと。戦況はそこまで。開拓者の力はそれほどに。彼彼らに歓喜と期待が宿ったことにケロリーナは気づいていた。