【血叛】血に狂うアヤカシ
マスター名:鳥間あかよし
シナリオ形態: シリーズ
EX :危険 :相棒
難易度: 難しい
参加人数: 10人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/08/22 22:04



■オープニング本文

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●未来
 叛は、終わった。
 開拓者たちの意志と信念は万華鏡のように入り乱れ、結果として、慕容王も、風魔弾正も、共に命を繋ぐこととなった。
「叛はこれにて終いである」
 即日のうちに出された慕容王の触れは、衝撃となって陰殻中を駆け巡った。
 幾多の王を、誰一人として天寿を全うさせずに葬り続け、陰殻を陰殻たらしめてきた倫理が、今まさに崩れようとしている――ある者はこの青天の霹靂に唖然とし、またある者は開拓者たちの関与から薄々来るべき時が来たのだと覚悟を決めた。
 狂騒が去り、後片付けが待っている。
 新たなる未来の形をつむぐ為に。

●燕雀の悲鳴
 陰殻の地を黒い巨人が行く。既に元の大きさに戻っていた。
 足取りは重い。無人の集落に着いた巨人は、残された家畜を丸呑みする。
「このわらわが、残飯あさりじゃと……」
 巨人の体が、かすかに紫に光る。黒い体の細かな傷がふさがったように見えた。

 すさまじいまでの回復力を誇ったあの輝きには遠く及ばない。

 次いで、巨人の四肢から青い光が本体の少女へ集まる。だが胸の傷は癒えない。血走った目で比女は呟いた。
「……このままおめおめと魔の森へ逃げ帰れようか。せめて一太刀浴びせねば」
 顔を歪ませた比女の下へ空飛ぶ影が近寄る。
「来たか。今日この時よりわらわに身命を捧げよ」
 大アヤカシ天荒黒蝕の使わした天狗どもが巨人の肩に止まり、告げた。

「里へ人が戻っただと?」

 『叛』は慕容の血を見ぬまま終わった。
 長老を始めとする村人たちは、先の開拓者に説得され避難していた。
 だが予想外の結末に混乱し集落へ舞い戻った。
 陰殻の掟が変わろうとしている。新たな時代の風は、木っ端には強すぎた。
 志体もない、シノビの術も知らない。ただ干からびた陰殻の地とだけ戦ってきた農民だ。なのに彼らの知らないところで、彼らを支えていたはずの理は崩れ落ちた。もはや心の拠り所は、生まれ育った里だけだった。
 比女は唇を湿す。飽食の予感に笑みがこぼれた。

●梟の目
「やっほーおじさーん」
「待っていたぞ、チーシー」

 声をかけたのは流れの旅泰(泰国の商人)。地味な風采の小柄な女で長い髪を無造作にくくっている。姓は呂、名は戚史(リウ・チーシー)。かけられたのは五十がらみの男で、小さな泰料理屋の主。

 男は客で混みあう店の奥に彼女を案内し、向かいに座る。
 給仕の娘が注文を取るそぶりで視線をふさぎ、二人の会話を書きとめはじめた。

 呂の左足には添え木がある。男はそれを見て首を振った。
「完治はしなかったか」
「骨までイっちゃうとね」
「お役目はどうなる。開拓者についていけるのは当面お前くらいだ」
「もちろん続けるよ。玉砕は誉れだもの」
「……チーシー、何度も言わせるな。新玉の春の御方の柳眉を曇らす真似は許さん。鳳の白き心根に寸毫とて瑕疵を遺すは七生の不敬よ」
 呂は団子を頬ばった。
「私らみたいな地虫が、掛けまくも畏き帝の覚えに残るなんて不敬の極みだよね。そこはわかってまーす。
 あ、借りてた甲龍死んじゃったんだけど、どうしよう。

 予備人員ってことで、開拓者さんの龍に相乗りさせてもらってもいいんだけど」

「アホか。戦いが始まったら問答無用で振り落とされるぞ。

 予備人員ってのは、主人以外のすべてだ。

 龍にとっちゃ人間も相棒も荷物も一緒くたよ、大きさは関係ない。気にならない重さは、せいぜい猫又程度だろう。おまえには甲龍を手配済みだ。それと、これも渡しておく」
 白き羽毛の宝珠をふたつ。人間と、相棒の分だ。
「空で戦うってのは落下の危険と戦うってことだ。お前が今日まで生き残れたのは、気の利いた開拓者のおかげだと自覚しろ。

 どれだけ立派な鎧も、素早い身のこなしも、培ってきた精霊の加護も、空に出れば相棒まかせになっちまうからな。

 今のお前が大地へ叩きつけられたら命はないぞ。不敬者になりたくなければ肌身離すな」
 男は低い声で討伐対象の名を囁いた。
「……で、どうなんだ。その菊羅玲比女(くくられひめ)とやらは」

「かなり弱ってたよ。今はどこに居るかわからないけど、あの様子なら遠くまではいけないでしょ」

 呂は地図を取り出した。先の開拓者が入手した広域図だ。
 巨人の足取りと見つけた集落、そして戦場に朱筆がいれてある。
 男は顎に手をあてた。

「周囲は斜面だな。陰殻のことだ、段々畑になっているだろう」

 呂も首肯する。
 北西には、魔の森を示す不吉な記号。
「劣勢になると森に逃げると思うんだよね。それでも慕容王は筋を通してくれると思う。……私は許せないけど」
「チーシー、個人的な感情は伏せろ。どうにもお前は言動が反逆的だ。そんなだから実家の再興ができないんだぞ」
 男は足を組み変えた。厳しかった表情がやわらぐ。
「俺だって同胞が食われたのは腹に据えかねてる。だからお前に期待してるんだ」
「えへへー、ありがと」
「陰殻の大アヤカシとはどうなりそうだ」
「天なんちゃらさんの性格じゃ、共闘なんて面倒くさがるでしょ。せいぜい配下の天狗をよこすくらいだと思うよ、ザコいのを」
「理由は?」
「天なんちゃらさんの配下は討ち取られてるもの。どうでもいいようなのしか残ってないはずよ。だから、知恵のある開拓者さんが力を合わせれば、今度こそ私は仇討ちができると思うの」
 呂は茶をすすりながらぴっと人差し指を立てた。

「だって、巨大化は奥の手ってのがお約束じゃん?」

●某月某日
 ギルド職員は依頼書片手に憤死寸前だった。相手は小柄な旅泰、左足には添え木がある。
「その大怪我で開拓者さんについていきたい、と」
「龍に乗ってれば大丈夫ですよー、かくれんぼは得意ですー」
「近づくんじゃありませんよ! 羽音が聞こえれば隠れても無駄ですから!」
「私一応お客なんですけどー?」
「そうですね! 慕容王様の依頼とかぶってますね!」
「だから私のとあわせて報酬上乗せでってお願いしてるじゃないですか。陰殻って今すごいことになってるんでしょー? 里によっては王様のいう事でも聞く耳持たないとかなんとか」
「おっしゃるとおりですね! あなたに言われたくないですけど!」
「各種保険等はその後どうなりました?」

「自分で用意してください!」

 床をドスドス踏みながら控え室に戻るギルド職員。芋羊羹でもつまむつもりだろう。

 腹が減るとまともに頭が働かなくなるものだ。

 呂は窓の外をながめる。
 いい天気だ。窓枠が緑で濡れている。
「かたつむりは枝を這うのです、雲雀に食われるその日まで。春の朝はなべて清らなるかな。濁り露すべて飲み干し、びろうどの絨毯に押しつぶされるまでが地虫のお役目。帝は天にいまし、すべて世はこともなし」
 彼女は静かにまぶたを閉じ、亡き友の冥福を祈った。
 そして、瞳を開くと楽しげに笑った。
「いらっしゃいませ艱難辛苦。万事よきにはからっちゃおー」
 その声は、あくまで明るかった。


■参加者一覧
芦屋 璃凛(ia0303
19歳・女・陰
黎乃壬弥(ia3249
38歳・男・志
菊池 志郎(ia5584
23歳・男・シ
鈴木 透子(ia5664
13歳・女・陰
ヴィクトリア(ia9070
42歳・女・サ
无(ib1198
18歳・男・陰
リィムナ・ピサレット(ib5201
10歳・女・魔
神座早紀(ib6735
15歳・女・巫
神座亜紀(ib6736
12歳・女・魔
呂 倭文(ic0228
20歳・男・泰


■リプレイ本文

●燕雀の悲鳴
「建物が、みんな壊れてる……田畑も踏み荒らされて……」
 最初の集落が近づくにつれ、鋼龍おとめの上で神座早紀(ib6735)がうめく。顔色は真っ青だ。
「落ちついて早紀ちゃん。もっと近づいてよく調べよう」
 神座亜紀(ib6736)は、駿龍はやての高度を下げ集落へ走らせる。皆もそれに続いた。亜紀の顔が確信に変わる。
「早紀ちゃん、安心して。ここの人は無事だよ」
 地面を注視していた彼女は気づいていた。荒らされた大地に血痕がないことに。虐殺にあった村をつぶさに見た亜紀にならわかる。半信半疑の早紀だったが、倒壊した建物の影にひっそりと集まる人々を見つけ、思わず歓声を上げた。
 龍の羽音に、村人が集まって来た。ヴィクトリア(ia9070)は相棒駿龍を降り、名乗りを上げる。
「先も世話になった開拓者さよ。今度こそ菊羅玲比女を討伐に来たさね」
 村人の反応は薄い。疲れに倦んだ目には疑念が渦巻いている。无(ib1198)も空龍、風天の背から降り進み出た。
「ギルドで手筈は整えてあります。ここから避難してください。菊羅玲比女包囲網のために、どうかご協力を」
 村人の一人が口を開いた。
「どうでもいい」
 その男の重く暗い声音に、一向に緊張が走った。もはや怒りすら抱けないのか、うつろな表情で村人は続けた。
「行ってくれ。開拓者になんざ関わりたくない」
 切羽詰った顔で、芦屋 璃凛(ia0303)が踏み出す。
「そう言わんと逃げてえな! ククラレは今どこに居るんかわからんのや。襲われてしまうで!」
 女の一人が首を振った。
「アヤカシなんか影も形も見てないよ。私らが帰ってきた時には、見てのとおりの有様になっちゃいたがね……」
 雲行きの怪しさに、白 倭文(ic0228)があせって声を荒げる。
「菊羅玲は手下を斥候に使っているんダ。今は無事かもしれないガ、人がいるとわかれば奴はここに来る! 頼む、逃げてくレ!」
 鈴木 透子(ia5664)が懐から勲章を取り出した。北面国直筆の感状を。
「私はこのとおり戦功を立てた身です。皆さんを必ずここに戻れるようにします。だから……」
 陰殻でどれほど通じるかはわからない、一種の賭けだった。そして賭けは、失敗に終わった。男の怒号が透子の言葉を遮る。
「自分の国の王も信じられないのに、よその王がなんだって言うんだ! 渡り鳥なあんたらに、地に縛り付けられたわしらの何がわかる!」
「そんなつもりでは……」
「家を建ててくれるのか? 田畑を耕してくれるのか? 市場で牛を買ってくれるのか? 冬を越せるだけの蓄えを、取り戻してくれるのか? 俺らはな、ここで生きていかなきゃならねえんだよ!」
 殺気だつ村人と透子の間に、黎乃壬弥(ia3249)が割って入った。
「すまない。確かにあんたらの言うとおりだ。俺らは渡り鳥で、よそ者で、外野もいいところだ。それでも、誰かを死なせるために、ここへ来たんじゃない」
 リィムナ・ピサレット(ib5201)が進み出、頭を下げる。心に届くことを祈りながら一言ずつゆっくりとしゃべった。
「叛が終わり、この国は新しい、明るい時代を迎えます。その未来を作り、生きる為に、少しの間、此処を離れてください」
 だが返ってきたのは冷たい視線だった。女が乾いた声で笑う。
「あんたらはいいね。やばくなったら尻尾を巻けばいい。明日をも知れない命だかなんだか知らないけど、稼ぐあてはどうとでもなるんだろう? 賞金首とかいうのを倒してがっぽりもらって御満悦かい。私らにゃ縁のない世界だ。……一生、縁のないままで居たかったよ」
 呂があわてて手を振る。
「いえ、菊羅玲比女は賞金首というわけでは……」
「王様からたんまりもらえるんだろう? 同じことだよ!」
 女は顔を真っ赤にしてぶるぶる震え、頭を抱えて叫んだ。
「いつもそうだ。大事なことは私らの上を通り過ぎていくんだ。叛も、掟も……。あんたらがこの国をひっかきまわしたから!」
 陰殻の出である菊池 志郎(ia5584)は、動けないでいた。ただ呆然と村人を見つめている。影絵でも見ているように彼らの姿は遠いのに、叫びだけが脳髄へ直に響く。
 リィムナは考えあぐね、言葉に詰まった。村人達の生活を支えるなど、一介の開拓者の範疇を越えている。女が泣き崩れたが、村人は誰一人助け起こそうとしない。
 男が顔を覆う。
「……もう何も信じられねえ。生まれ育った地でアヤカシに食われるほうがましだ」
 一人、また一人と村人は去っていく。開拓者達も説得を諦め背を向けた。
「あの」
 振り返ると、小さな子どもたちが居た。年長らしい女の子が拳を差し出す。開いた手のひらには古ぼけた銀の鈴があった。
「たすけてくれて、ありがとう。あたい、とおくにいったのはじめてだった。ここじゃないとこ、はじめてみれた」
 その子の、たったひとつの宝物なのだろう。くたびれて光らなくなった小さなお守り鈴は。
「はやく。かあちゃんにしかられる」
「心得タ」
 倭文はそれを受け取り、懐紙に包んで胸におさめた。

●雁首そろえて
「志郎さん。ごはんですよー」
 焚き火を囲む一行の中、一人離れたところでうずくまっていた志郎に呂が声をかける。
「……今は、そんな気分では」
 主人をかばうように寄り添う虹色に、呂は会釈をして志郎の隣に座った。湯気の立つ椀を差し出す。
「ちゃんと食べませんと」
 受け取った志郎は椀を見つめる。焚き火の灯りが憔悴した横顔を照らした。椀の中には仲間が持ち寄った食材が、ほどよく煮えていた。味噌の香りが鼻腔をくすぐる。どうしようもなく腹の虫が鳴った。
 苦笑した志郎は、箸を取った。
「腹は減るんですね。何してても」
 温かな旨味を口に入れると、舌がじんとしびれた。志郎は残り少なくなった椀に、物憂げな視線を落とす。
「俺の故郷では、こんなに具だくさんな鍋を食えるなんて、盆か正月くらいでした」
 虹色の背の向こうからは今後の方針を話し合う仲間の声が聞こえてくる。みんな好き勝手言いたい放題で、それに相棒まで加わるものだから、祭りでもやってるのかというほどにぎやかだ。志郎は虹色に背を預けた。柔らかな毛皮が主人を受け止める。見上げた空を星が流れた。
「はは、里心がついたみたいで。いけませんね、これから戦いだってのに」
「そうですよー。変なフラグ立てないでください。あ、おかわりいります?」
 呂に椀を差し出そうとした志郎は、しかし首を振った。
「いえ、自分で取りに行きます」
 虹色は明るい声をあげ翼を広げる。主人と共に立ち上がった。

 湯で戻した干飯をもさもさ頬張りながら璃凛はせわしなく地図を叩いた。
「村の人ら、『アヤカシなんか影も形も見てない』って言ってたな。
 ちゅーことはここは斥候も来てないってことや」
 倭文もクッキーを口にしながら深くうなずく。
「『帰ってきた時には、見てのとおりの有様』だったとも言っていたナ。菊羅玲はまだ人のいない時に里を襲ったんダ。
 ちなみにこれは手作りなのカ、透子殿」
「はい、苦心しました」
「そうか、独創的だナ」
「ひねりをきかせてみました。
 ところで、対象は前回の戦いの後、近くの集落を襲い、人が居ないので移動した。そう考えられます。
 こうして食事を取れるあたし達と違い、比女は飢えています。一縷の望みを賭けて北上しているでしょう。
 すいません早紀さん、梅干とってください」
「はいどうぞ透子さん。
 では次に狙われるのは、近くにある北西の集落ですね。こうしてはいられません、先回りしませんと。
 ね、亜紀」
「どうなんだろう。北西の集落まで、そんなに離れてないよ。もしかしたら、ここみたいに人だけは無事かもしれない。
 ねえ早紀ちゃん、その裂きイカ、食べないならもらっていい?」
「だめよ、これは最後のお楽しみなんだから!
 えーと、この一番北の集落は距離から言って、まだ襲われてないですよね。
 あ、ヴィクトリアさん。糠秋刀魚焼けてますよ」
「いただくさよ。
 北の集落まで、ここからはかなりの距離があるさね。今から追いかけても、比女のほうが先にたどりつくかもしれないさねぇ。
 呂さん、无の鍋よそうんだったら、あたいのも頼むさよ」
「具は芋幹多めでお願いします。
 ふむ、それはないでしょう。何せ比女は地図を持っていませんので。斥候を飛ばしているのは、人里を探るのも理由ではないでしょうか。
 おや、リィムナさんもおかわりですか?」
「あたしはお肉マシマシで!
 思うんだけど、北西の集落はほっといていいんじゃないかな。北の集落が狙われてるのは確実だから、そっちを目指すべきだと思う。
 ちょっと壬弥、お酒飲みすぎ」
「陣中酒だぞ、今飲まんでいつ飲むんだ。
 さてさて、比女の居場所がわからんってのがひっかかるところだよな。斥候をどこに放ってるかわからんってことだ。北西の集落が被害にあってないとは限らん。
 おう、帰ったか志郎。重箱弁当いただいてるぞ」
「どうぞどうぞ。ご心配をおかけしました。
 行先なんですが、俺はやっぱり北西の集落が気になります。田畑に残った比女の足跡がそちらに向かっているようなので、村人の無事をこの目で確認したいんです。
 うわ、倭文さん、なんですかこの肉まん。すごくおいしいんですが」
「料亭の秘伝を再現してみタ。
 志郎殿、一人で行くのは反対ダ。最悪、アヤカシに占拠されているかもしれないんダ。我も共に行く。
 亜紀殿、裂きイカならまだあるぞ」
「ありがと、ちょーだい。
 ついでに言うと最悪一歩手前は、無事な村人を手下が見つけちゃうことだね。ボクも一緒に行くよ。
 早紀ちゃんはどうする?」
「私はどうしよう。決戦に備えてあまよみで天候を調べておきたいのだけれど。
 ……調理器具セット持ってくればよかったなあ。そしたら亜紀の好きなあれとかも作れたのに。
 リィムナさん、未成年でしょ! お酒はダメです!」
「ちょ、ちょっとくらいいいじゃん。しきこーよーだよ。
 北西の集落をチェックしたいのはやまやまだけど、その間に比女が北の集落を見つけちゃう可能性が高くなるよね。あたしは先回りしたい派。
 あーあ、ヴォトカもう一本持って来ればよかったな。无のちょうだいよ」
「ヴォトカは私も使うあてがあります。岩清水でガマンしてください。
 それにしても、行先をどうしましょうね。個人的には北としたいところです。
 壬弥さん、それは私の天儀酒です」
「かてぇこと言うなよ。
 俺としても北の集落へ先回りしてえところだな。確実にやっこさんを迎え撃てるのは北だ。
 呂さん、俺は汁粉はいらねえよ。透子にやってくんな」
「いただきます。
 私も北に行きたいです。
 周囲は段々畑です。灌漑設備があるなら水路を開けて水浸しにすれば比女の動きを制限することができますし、待ち伏せもできます。
 ヴィクトリアさん、その節分豆ひとつください」
「清く正しくリアリストだねえ、あんた。あたいはどうしようね。
 志郎の言い分もわかるさよ。ここは二手に分かれてみちゃどうかね?」
「そうですね。俺と倭文さんそして亜紀さんは北西へ。
 リィムナさん、无さん、壬弥さん、透子さん、は北ですか。璃凛さんはどうします?」
「早紀さんしだいやね。北西組と合流する前に戦いが始まるかもしれん。
 回復手がおらんっちゅーのは避けたいで」
「では私は北へ行って待ち伏せ作戦に参加します」
「おおきに。ほなうちも北へ行くで。ヴィクトリアさん、よう入るなあ。鍋さらえてや」
「腹が減っては戦はできぬってね。呂さんはどっち行くんだい?」
「私は倭文さんと一緒で」
「ならあたいも北西に行くさよ。守りが倭文ひとりじゃ厳しいかもしれないからね」
 方針は決まった。空になった鍋を前に、一同、一本締め。
「ごちそうさまでした!」

●闘鶏
 視界に巨人を捕らえ、リィムナは相棒にまたがる。
 真紅の滑空艇、マッキSI。十分に温められたその機体が浮かび上がる。ローブが風を受けてはためいた。
 マッキSIは比女の視界を左、集落の西側へ飛んでいく。
 彼女を目がけ先行した妖天狗が、心を乱す不協和音を吐く。だがそんなものはミストブルーの笛の音色にかき消された。激しい風が吹くもまぶたを閉じ演奏する主人を愛機が支える。匠が木を削りだして作り上げた一点物のフルート、そのやわらかな響きが精霊の加護を受け大気に満ちる。笛の音の余韻を感じながら、リィムナは静かに目を開け、巨人を指差し鼻で笑った。
「これが新しい猫ちゃん? ずいぶんブサイクになっちゃったね。あたしのノーズキャットのほうがずーっとかわいいじゃない。ゴミみたいな下級しか援軍がこないなんて、同種のアヤカシからも見捨てられてるね♪ かわいそ〜」
 遠方で比女の顔が引きつる。
「黙りや!」
 巨人の手が天狗をつかみ、リィムナ目がけて投げつけた。だが冷静にマッキSIを切り返し、難なく避けて見せる。大地にたたきつけられた天狗はそのまま瘴気に戻った。
 周到に射程ギリギリを計算し、リィムナの機体が比女の視界を飛び回る。からかうように。
「猫ちゃん皆殺しにされたのに開拓者は無傷♪ 見物人の足折っただけ♪ 同じ「ひめ」でも生成や鬻とは比較にならない塵芥♪」
 天使の踊るような旋律に似合わず、あどけない声で辛らつなセリフを長嘯する。
 比女の眉間のしわが深くなる。だがまだ一歩足りない。自身の力不足を比女もまた心得ていた。歯軋りして集落へ進む。大量の水を吸い泥濘と化した段々畑が巨人の足を飲みこんだ。とまどい、歩みを留めた巨人の視界の隅で、藪に偽装していた毛布がはねあがった。隠れていたのは、透子だ。
「めくりあひてみしやそれとも分かぬまに、雲かくれにしよはの月哉……!」
 透子の背後から、音にならない絶叫が響く。
 誰も触れていないのに小さな陰陽師の細い腕には、無数のひっかき傷が生まれていた。狩衣を染める血を代償に、契約でふくれあがった何かが黄泉から這い出し、巨人に突撃した。振り子のように揺れていた比女の軌道が、衝撃に歪む。
「まだまだ行きます。早紀さん!」
「はい!」
 後ろに隠れていた早紀の周囲に、集っていた小さな光の粒。青い鳥のようなそれが放たれ、透子の肌をなめらかな白にもどしていく。透子は体も魂も削り黄泉からの使者を使役する。猛攻を受け、巨人は進むことができない。
 傷が生まれるたびに、早紀が祈りをこめて癒す。透子の体がぐらりと傾いた。あわてて寄り添い抱きとめた。透子は荒い息をついているが、瞳はまだ強い光を保っている。
「ここで倒さないといけません」
 冷や汗で張り付いた髪をぬぐう。白い頬に紅い線が残った。早紀もうなずく。
「私達がいる以上、もう誰も犠牲にさせるものですか!」
 藁をかぶっていたおとめと蝉丸が首を高く掲げ、二人は相棒の背に登る。
 野に伏せていた壬弥も鯉口を切った。
「さて、定國。久しぶりの大物だ。抜かるなよ」
 戦に高揚した鋼龍が雄たけびを上げる。背に主を乗せたまま、力を込め勢いをつけて宙に飛び出し滑空する。全体重を乗せて巨人に体当たりを仕掛けた。だが、龍の鱗と鋼のぶつかる音が響き。渾身の一撃は巨人の操る斧の柄で受け流されてしまう。距離を取った壬弥は鞘で肩を叩いた。
「難物だな。だがそれ以上に邪魔なのは……おまえらだ!」
 白刃がきらめき、身構えていた妖天狗が四つ身に切り裂かれた。己に何が起こったのか理解できないまま、天狗は形を崩し破裂する。巨人のもとへ舞い戻ろうとする天狗との間に定國が割り込む。その背の上で柄に手をかけながら壬弥はのどを鳴らして笑った。
「菊羅玲比女のもとへ行きたいなら俺を倒していけ。なんつってな」
 巨人を挟んだ東側で、風絶と風天が主人を乗せ宙へ浮かび上がった。璃凛は口元に手をあて、无はメガネの位置をなおし、戦場を睥睨する。
「右舷は壬弥が押さえてくれてる。ほなうちらはこのまま左から討って出よう」
「そうですね。リィムナさんの笛の音を守備の軸にしましょう」
 璃凛は風絶を駆る。遅れて无の風天も走った。
「星月夜彼岸渡りし姫恋いて ひぐらしそそぐ悲し迎え火……散らすで!」
 符の中で七色の尾羽持つ朱雀が踊り、裂けた符から舞い出で、長い髪をふりみだす女の姿に変じる。鉄の首輪と鎖で四肢を縛り上げられた赤い髪の女は、どこか術者と面影が似ていた。耳をつんざく悲鳴が、妖天狗の輪郭をぶれさせ、崩壊させる。
 散っていく天狗たちを前に、无は手綱をゆるめた。風天が咆哮を上げ、璃凛の開いた道を突進する。无はすれ違いざま、手持ちから取り出しておいたオリーブオイルを、巨人の肩に投げつける。
「お肌のお手入れにどうぞ」
 希儀産の瓶が割れ、とろりとした液体が巨体をしたたりおちる。比女はいぶかしげな視線をやったが、そのときには風天は旋回を終えていた。背でヴォトカの瓶が割れた。空龍の翼を頼みに巨人の死角を縫って高速離脱する。後方に控えていた天狗が无を襲うが風天の速さには追いつけない。
「羽虫がうろちょろと、何を考えておる……」
 巨人は肩をぬぐおうとしたが、油汚れを広げただけだった。
「まあよい。身の程をわきまえさせてくれようぞ」
 巨人が吠えた。開拓者達の体をじんわりと不吉な寒気が広がる。巨人を注視していた璃凛が叫んだ。
「来るで壬弥!」
 比女に最も近い位置にいた壬弥は意味に気づき、せめてもと龍を後退させようとする。
「まがつかみいやさか。まがつかみいやさか。まがつかみいやさか」
 その場に居た開拓者達を、光が走りぬける感覚が襲う。手から力が抜け、刀を落としそうになる。
「これが噂の魅了ってやつか……」
 壬弥は舌打ちしつつ定國に頼んで位置を変える。天狗と仲間との間に割りこんだ。反撃はできない、だが身を盾にできると思ったのだ。
 後ろでは璃凛が髪をかきむしっている。
「クソ、クッソ、むかつくわ!」
 視界が揺れている。まぶたをきつく閉じてるのに、比女がまぶしくてたまらない。
 リィムナがフルートから口を離した。目が据わっている。
「壬弥と璃凛は捕まっちゃったか。完封できると思ってたんだけどな。やるじゃん。ゾウリムシからワラジムシくらいには評価してあげるよ♪」
 そして続けた。
「でもそこまでだね。本番行くよ、ア・レテトザ・オルソゥラ!」
 熱いメロディが流れ始めた。巨人の前方に居た天狗どもが魂を揺さぶられ、しぼんだ風船のように地に落ちていく。容赦ないリィムナはさらに旋律を重ね、取り巻きを一掃しようとした。比女はわずかに眉をひそめ、壬弥に瞳の焦点を当てた。
「その方の腕、披露してもらうぞ」
「何ッ!」
 壬弥の顔が引きつる。意思とはうらはらに手が震え、柄を握った。心は比女の声に抗おうとするが、体がいう事を聞かない。リィムナを向いた定國の上で、鯉口を切る音が響いた。
 その時、小さな鳥のような粒子が壬弥に降りそそぎ、淡い藍色に包まれた。脱力感が消え、体が軽くなる。
「陰殻の地にかむずまります精霊よ。諸々のまがごとつみけがれあらんをば、祓いたまえ、清めたまえ」
 澄んだ謡いが続く。早紀だ。おとめの上から光の粒がゆらゆらと空へ昇り、璃凛にも降りていく。魅了がほどけ、ほっとしたのか璃凛は大きく息を吐いた。
 壬弥の拳が震えている。その顔は朱に染まっていた。
「……舐めやがって。俺が抜くのは、切ると決めた時だけだ!」
 定國を走らせ、残った天狗を相手に得物を抜く。音すら断ち切る剣速が、瞬くひまもなく二体の天狗を瘴気に返した。
「これで取り巻きは全滅だな。菊羅玲比女さんよ」
「あのようなザコども。居たところで足手まといなだけよ」
 冷めた瞳で比女は言い放ち、巨人がヒビの入った斧をかまえた。肩で息をする透子は、力を温存することに決めた。魅了を解除できるのは早紀だけだ。回復の手を取られてしまった。初撃のような無茶はできない。
(「ここに志郎さんがいれば」)
 ないものねだりはよくないと首を振る。一方、巨人のほうは透子を警戒し、距離を取ろうとするそぶりが見える。気づいた透子は蝉丸を飛ばし集落側に移動した。いかにも機を待つような振りで、符をチラつかせる。目論見どおり巨人は集落から一歩退いた。
「初手が効いている? 抑止力になれそうです」
 蝉丸の背に両手を置き、透子は、はずむ息を整える。
 璃凛も風絶の上で符を手にしたまま様子見に入った。術を施し瘴気を吸わせなければ、頼みの綱もただの紙切れでしかない。だが奥の手は用意してある。
「確実に本体を狙う。チャンスはのがさへん」
 鷹のごとき眼光を放ち、璃凛は珠刀の柄に手をかけた。
 泥濘を踏み、巨人が踏み出す。からみつく土砂が動きを削ぎ、緩慢な足取りにさせる。巨大な戦斧が振りかぶられ、无に向けて打ち下ろされた。
「去ねや!」
 无が斧の亀裂を狙い、天津狐を呼び出そうとする。だが比女のほうが速かった。斧の切っ先が迫り、風天は翼を固め主を守る。だが羽の付け根、急所を狙われ、たまらず風天は无ごと吹き飛ばされた。地面に激突する寸前、羽毛の宝珠が砕け、輝く網が相棒と主人を受け止める。
 巨体から正確な動きで放たれた一撃は、鱗を削ぎ骨まで露出させている。それでもなお風天は主のため翼を広げたままだった。
「やってくれたな。倍返しにしますよ」
 撃ち落された无は怒気をにじませながら、薬草に止血剤をふりかけ風天の傷に巻きつける。たぷりと、あたたかな波を背に感じた。自分の打撲が、続いて相棒の傷がみるみるふさがっていく。
 无は符で口元を覆い、安堵の吐息を隠した。
「遅いじゃないですか、皆さん」
 曇天を裂いてこちらへ飛び来る影、五機。北西の集落の無事を確認し終え、全速力で仲間のもとへ駆けつけたのだ。鷲獅鳥の背で主が魔杖を高々と掲げている。志郎だった。続けて閃癒を放ち、透子に残った傷も癒していく。
「虹色、攻撃は任せました!」
 鷲獅鳥は命に応え水晶のような爪から真空の刃を生み出す。空気がうねり、巨人の背が裂け瘴気があふれ出した。全身がかすかに紫に輝く。背の傷がふさがっていくが、痕からはまだ瘴気が細く立ち昇っていた。
「略式座標指定、視界前方、十時の方角をメインチャンバーに設定。メテオストライク起動!」
 小さな魔術師が長い杖を天にかざす。そのはるか先で紅の粒子が集い、燃え滾る暗い太陽が生まれた。巨人目がけ、吸い寄せられるように落ちていく。着弾と同時に炎が吹き荒れる。巨人の背が、肩が、じわじわと焼けていく。
 亜紀は、はやての翼を頼りに巨人の側面を通り抜ける。香水瓶と、ソニックブームを置き土産に。巨人の頭上に放り出された華奢な瓶が、はやての放った衝撃波で粉々に砕け散る。場違いに爽やかな森の香りが巨人に降りかかった。
「ええ、うとましや。たかが人間の分際で」
 巨人が肩と背の火を叩き消す。だが匂いだけはどうにもならない。
「その人間に、おまえは討ち取られるんダ」
 暁燕と共に回りこんだ倭文が矢をつがえる。尾羽にくくりつけられているのは、銀の守り鈴。おずおずと差し出された小さな手を思い返し、倭文は弓を引き絞る。警戒した巨人の動きを逆手に取り、ひじ目がけて射ちこむ。深々と突き刺さった矢は、巨人の手で抜き去るには細すぎた。涼やかな音が陰殻の地に鳴り響く。
 同じ場所へもう一発矢を射つと、呂を先導し志郎の癒しの波に潜ろうとする。比女が巨体を繰り進路に割り込もうとした。
 しかし機先を制したのは。
「会いたかったさよ、比女さん! 得物の手入れはしてきたかい?」
 ヴィクトリアだった。相棒の上から咆哮をたたきつけ、体中のばねを活かし巨人の肩へ聖斧を打ちこむ。ざっくりと裂けた傷跡から隠しようのない瘴気が立ち昇った。
 おとめの翼に隠れ下を向いていた早紀が顔を上げた。木々の影から時間を計っていた彼女が、皆に告げる。
「まもなく霧が出ます。準備を」
 早紀の知らせを受け、一行は相棒に命じて距離を取り、巨人を中心に思い思いに飛び始めた。段々畑に落ちる相棒達の影が、でたらめな軌道を描く。やがて視界がけぶりだした。低く垂れこめた雲がそのまま地上へ降りてきたようだ。
 黒い巨人の輪郭がかすみ、霧の向こうに隠れる。
「おのれ、いずこへ行きやった。わらわを謀ったな!」
 取り巻きを失った比女には開拓者の位置がわからない。そこかしこで鳴る羽音を頼りに動くしかなかった。苦しまぎれに斧を振るうたび、鈴の音が鳴り、芳香が広がる。巨人の位置にあたりをつけるのはたやすい。
 壬弥が頭をかく。
「霧でる前に斧を壊したかったな。鈴の音だけじゃ得物の場所が……って、いるじゃねえか、適任が」
 羽音のするほうに向かって叫ぶ。
「おい、ヴィクトリア! 行くぞ!」
 ヴィクトリアは手綱をゆるめた。
「おうともさ!」
 定國と相棒駿龍が宙を駆ける。霧の向こうから黒い巨体が現れた。懐に飛びこむなり、ヴィクトリアが力強い咆哮をあげ、金属塊に聖斧をぶつける。割れ鐘が鳴った。次いで定國が斧の柄へ突進する。再び、轟音。
「そこやな?」
 璃凛が口の端をあげ、霧の向こうに声をかける。
「リィムナ、頼むわ!」
「んー、もうちょっと後に動きかったけど。ま、いっか」
 姿勢を下げ、マッキSIに身を寄せると、リィムナは機首を上げた。皆で囲んだ焚き火の火種で、ヴォトカの火炎瓶に点火する。動力宝珠が青白く輝き、一気に噴射した。弾丸のように斜め45度を昇りながら、壬弥の白刃と斧が打ち合う霧の先を目指す。目の前に鉄塊が現れた。
「ちょいやっ!」
 たたきつけられ、火炎瓶がはぜる。斧が燭台のように燃えはじめた。余力で鑽針釘を亀裂目がけて投げつける。ヒビが広がり、かけらがこぼれ落ちる。
「さくっとやっちゃって、すぐ消えちゃうよ!」
 上昇を続けるリィムナの声に、志郎は精霊に呼びかけ魔杖をふるう。
「目標設定完了、射程計算完了、弾道トレス完了。アイシスケイラル起動します!」
 杖の先に氷の矢が生じ、次々と撃ち出される。着弾した冷気の固まりが硬い鋼を割り裂き、斧のひび割れをさらに広げていく。刃の下部が欠け、大地に落ちる。ぬかるみに突き刺さる音がした。
 得物を振りかぶろうとした比女の顔がこわばった。斧の刃が、ない。砕けていく、落ちていく。見えない何かが斧を食らっている。柄が、半ばで折れた。
 用をなさなくなった武器を比女が放り捨てる。霧に包まれたまま、それを聞いた透子は震える両手を降ろした。
「やりました。後は、お願いします」
 狩衣は彼女自身の血でべっとりと濡れていた。ひざを折った主人を蝉丸が尻尾でくるむ。
「問題ありません。少し、休みましょう」
 細く深く呼吸を繰り返しながら、透子は手持ちから薬草と止血剤を取り出し、岩清水で傷口を洗いはじめる。そこへ青い微粒子が降ってきた。豆粒より小さな鳥が傷を覆いふさいでいく。透子は手をとめ、上空に居るだろう高徳の巫女に向かってぺこりと頭を下げた。
 霧の向こう、比女の顔には焦りが浮かんでいた。森へ退却しようにも泥濘が足をとる。背を向ければ開拓者の攻撃が待っている。霧はまだ晴れそうにない。
 比女はうらみがましい視線を目の前の壬弥とヴィクトリアに投げかけた。
「貴様らの志体だけは、なんとしても喰ろうてくれようぞ」
 全身の傷から、瘴気が激しくあふれだした。腕が、足が、胴が、全身が、小山のように膨れあがる。比女は両腕を広げて拳を握り、半身を回転させる。巻き込まれた一同が上空に、あるいは地上にはねとばされた。だが武器もなく、距離をつかみかねたその攻撃は、往時の重さを失っている。くわえて宝珠が割れ、力場が大地の衝撃をやわらげた。
 直撃を受けたヴィクトリアと壬弥だけは深い傷を負った。だが、口の端から血をたらしながらも余裕の笑みを崩さない。彼らにはわかっていた。もう比女には後がないと。
 大木のような腕が改めて二人に狙いをつける。拳が動こうとしたとき、比女の耳が声を拾った。
「こっちダ、皆。集まレ」
 霧の向こうから聞こえる倭文の声に、複数の羽音が続く。おとめの上で早紀が叫ぶ。
「貴方も今日でお終いですよ!」
 挑発は比女の注意を引くに十分だった。生意気な開拓者を一網打尽にせんと、比女は声のするほうへ踏み出す。その背に、光球が生まれた。姉と逆の方向を飛んでいた亜紀が、香りを頼りに魔術を起動させていた。球体が巨人の輪郭を侵し灰に変えていく。
「絶対逃がさないよ!」
 ララド=デ・メリタは背を突き抜け、腹を食い破り、本体である比女に到達した。耳障りな絶叫が鼓膜を叩く。
「あ゛あああ!」
 彼女をつなぎとめていた鎖の片方が切れ、半身を失った体が不恰好に吊られて揺れる。瞳の焦点を失ったまま比女はつぶやく。
「そんな、このわらわが……こんなことが……」
 何が起きたのだ。魔の森で威容を誇った自分が、こんな田舎で祭りにも乗り遅れたまま、泥にまみれて死んでいくというのか。両手の指で足りる開拓者を相手に。
 比女は知らない。ここに至るまで、どれだけ彼らが知恵の限りを尽くしてきたか。策を練り、力を削ぎ、袋小路に追い詰める手を探しぬいたか。何人もの開拓者が着実に積み上げてきた成果が、結実しようとしていた。
「認めぬ!」
 悲鳴にも似た叫びが比女の口を突く。
 壬弥とヴィクトリアを狙い、巨人が地を蹴った。だが霧を割り飛び出した影がこめかみに突き刺さる。不意打ちをくらった巨人はたたらを踏んだ。比女の動きを止めたのは、暁燕の突撃。
「来ると思っていタ」
 倭文は厳しい目のまま焙烙球を比女めがけて投げつける。目の前で炸裂し、思わず比女は顔を背けた。
 閃光にあたりをつけ、風絶が襲いかかった。鱗を精霊で覆ったまま、狙いを定めて宙を駆け抜ける。鋼の巨体を槍と化して。衝撃が比女の視界を遮る。再び世界に色が戻ったとき、目の前にあったのは抜き身の珠刀だった。
「奥の手はな、先に使った方が負けなんやで」
 薄い刃が瘴気に覆われていく。璃凛は笑みを見せ、振りぬいた。足を切断された比女の体が、高く舞い上がった。
 制御を失った巨人がもろもろと崩れていく。肉がごっそりと落ち、骨が砕けて瘴気に還る。段々畑の片隅に、比女は転がっていた。人形のようだった美しい顔は憤怒と恐怖で歪んでいる。風になびいていた長い髪も、今は泥水を吸い彼女自身をがんじがらめにしていた。
 集まって来た開拓者の中から、志郎が前にでた。魔杖を掲げる。
「……あなたを倒しても、俺には何の解決にもならない」
 横顔には憤りがにじんでいた。動き出した自国の歴史と、故郷とどう関わるべきか悩む自分への。
 魔杖を前に青ざめていた比女が、不意にすてばちな笑みを見せた。一同の全身を強烈な光が走り抜ける。手にした武器が泥濘に落ちる。
 最後の力を振り絞った強固な魅了に、開拓者達は足を縫い付けられていた。
「ふふ……騙しあいでは、まだまだというところか……。さあ志郎とやら、わらわを、魔の森へ……」
 手が、足が、勝手に動いていく。怒りと屈辱で目がくらんだ。震える手が比女の肌に触れる直前、志郎は舌を噛もうとした。ぽんと、後ろから肩を叩かれる。
 呆けた顔で比女はその男を見上げていた。
「青龍寮の出は、運に恵まれているようですよ」
 无はあぜ道を踏み、比女に近づいていく。片袖が血で濡れていた。誰も触れていないのに。
「寮にお招きして楽しくお話でもしようと思ってましたが、それもかなわないようです。何せ御身は、比女ですらなくなったのですから」
 しゃがみこむと、无は比女の額に血まみれの符を貼りつけた。
「黄泉までお送りしましょう。何、すぐそこです」
 星のきらめきが五芒星に走った。断末魔すらあげず、それは瘴気の塊に戻り、裂けた符だけが後に残った。

●朝告げ鳥
 壬弥は太刀を収め、あぜ道に座りこんだ。
「えらい目にあった。やっと終わりか」
「終わってません。これからです」
 透子だった。憮然とした表情で、崩れた段々畑を見ている。泥沼にしようと提案したのは自分だ。拒絶する村人を、直すのを手伝うからと説得したのも。あふれる水を止めようと山を登り始めたが、すぐに息切れして膝をつく。
「無理したらあかんて。血が足りてへんのや」
 璃凛が透子に肩を貸し、蝉丸のところまで連れて行ってやる。早紀が遠間から癒しを施しながら言う。
「无さん、あなたもですよ。でも荷物持ちくらいはやってもらいますから」
「わかってますよ。怖いお嬢さんだ」
「そんなことは、うん、わりとある」
「亜紀!」
 舌を出すと魔術師の妹は、踏み潰された苗の間に散らばる石を拾い始めた。はやてにも命じて土砂を龍の膂力でまとめさせる。おとめが重量を活かし地を均す。
 リィムナがマッキSIにまたがった。
「被害の規模を見てくるよ。測量しなおす必要があるかも」
 紅い機体が空へ昇っていく。ヴィクトリアが聖斧をシャベル代わりに土手の形を整えていく。相棒の駿龍が尾を叩きつけて土台を作る。
「こういうのは力自慢にお任せさよ。ほら壬弥も座ってないで」
「一息つくぐらい、いいだろが」
 陣中酒をちびりと口にし、壬弥も重い腰を上げた。
 志郎は泥水に腰までつかりながら、せっせとあぜ道を補修していた。虹色も埋まった水路を掘っている。汚れてしまうのも気にしない風だ。
 やがて水源近く、打倒菊羅玲を急ぐあまり壊してしまった堰に蝉丸と風絶が到着する。そこには北の集落の人々が集まっていた。罵声を覚悟して透子が生唾を飲みこむ。璃凛が細い体を支え、二人で地に降りた。彼女達の前に長老が進み出、深く腰を折り頭を下げた。
「開拓者殿。あれほどに侮り謗った我々のために、命を賭けアヤカシを滅ぼし、そして今我らを慮りその身を押してここまで来てくれた。……この地を代表して非礼をお詫びする、そして心より感謝いたす」
 地に伏せようとした長老を透子が止めた。
「いいんです。ご無事で何より、です……」
 ふっと重くなった透子の体に、璃凛はあわてて顔をのぞきこむ。おだやかな寝息が聞こえた。
「おつかれさん、透子」
 村人が用意した茣蓙の上に透子を寝かせ、璃凛は手を叩いた。
「堰を直そうや、一緒にな!」
 下流で土手をならしていた呂の前に影が落ちる。顔を上げると倭文がいた。
「友の仇、取るの遅くなっタ。スマン。それから……」
 呂はにっこり笑った。
「私は私にできることをしただけです。なのに、こんなに皆さんから心配されるなんて思わなかったですよー。でも終わりよければすべて良しなんです。ありがとう、私の命綱さん」
 陰殻の大地と格闘を始める開拓者達。その姿を見つめる影があった。一人、また一人増えていき、やがて村人達は彼らを手伝い始めた。泥に汚れたその手が、小さな鈴を拾い上げた。