【血叛】血に飢えるアヤカシ
マスター名:鳥間あかよし
シナリオ形態: シリーズ
相棒
難易度: 難しい
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/07/29 21:38



■オープニング本文

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●血叛
 力こそが正統の証であった。
 掟が全てを支配するこの世界において、その事は、ある種相反する存在であった。無制限の暴力の只中に、慕容王ただひとりだけが、その力に拠って立っている。
 狐の面をした人影が、蝋燭の炎に照らされた。
 卍衆――慕容の子飼いたる側近集団に、名実ともに王の右腕と目されるシノビがいる。黒狐の神威。名を、風魔弾正と言った。本名は解らぬ。尤も、卍衆について言えば、弾正に限ったことではないのだが。
「慕容王は死ぬ」
 弾正が呟いた言葉に、眉を持ち上げる者がいた。
「何が言いたい」
「『叛』」
 面の奥に潜む表情はようとして知れぬ。冷め切った態度と共に吐き出されたその言葉が持つその意味を、知らぬ者などいようはずもない。それは、陰殻国の成立より遥か以前から受け継がれてきたもの。
 叛――慕容王を、殺す。

●鵺の鳴く夜
「ようもわらわの猫を」
 人形のように整った少女の唇から、恨みが漏れる。
 先の開拓者の功績によって、巨人の配下は半ばを割った。
 空腹でいらだちが増す。
 小さな集落をふたつ食ったが、とても足りない。傷ついた体が更なる餌を求めている。
「憎らしや開拓者。腹が納まれば天荒黒蝕より手勢ば借りて討ち入ろうぞ。志体という志体を喰らいつくしてくれよう」
 巨人は歩を進める。後には無残な屍だけが残っていた。

●梟の目
「やっほーおじさーん。元気してた?」
「チーシーじゃねえか。茶でも飲んでいけよ」

 声をかけたのは流れの旅泰(泰国の商人)。地味な風采の小柄な女性で、長い髪を無造作にくくっている。姓は呂、名は戚史(リウ・チーシー)。かけられたのは五十がらみの男で、この小さな食い物屋の主人、やはり泰国の出の様子。

 店はにぎわっている。二人は奥に席を取り腰を落ち着けた。待ちかねたように男が話を振る。
「陰殻の同胞の調査を引き継いでくれたそうだな」
「うん、開拓者さんのおかげで順調だよ。今回は誰も死ななかったし。……仇は討ち損ねたけど」
 呂は目を細め、男にだけ聞こえる声で言う。男も答えた。
「……熱くなるなチーシー、我らは喜んで使い潰されるべき地虫なのだ。しかし優秀な開拓者は貴重だ。減ればめぐりめぐって天網に穴が開きかねん」
 ガヤガヤとそこかしこで話し声のする店内は、密談にちょうどよかった。
 呂は給仕に目配せすると、口頭で報告を始めた。給仕の娘は注文を取るそぶりで書き取る。

 曰く、シノビの国、陰殻には大量のアヤカシが集っている。
 なかでも今回調査したアヤカシは、かの地の主『慕容王』からも正式に『討伐』依頼が出ている。
 豪腕を振るい、少々の傷は物ともせず回復し、村一つゆうに潰せる配下を引き連れている。
 姿は黒い巨人、しかし本体はその胸へ首飾りのように逆さ吊りになった少女。

 名は菊羅玲比女(くくられひめ)。
 今現在、居場所はわからない。

「おじさんは陰殻が今どうなってるか知ってる?」
「もちろんだ。国を『王』と『叛』に分け、玉座を巡っての殺し合い。理解に苦しむ話だ」
「しかたないよ、あの人たちにはしるべが無いもの。無二にして無比無謬なる無上のしるべが」
 視線をすべらせた先には肖像画がある。泰国の若き頂点の。
「引き続きヤマを追いかけるね。仇も討ちたいし」
「アヤカシもだが陰殻の連中に気をつけろよ。奴らは排他的うえに、今の時期は独自の掟とやらを最優先する。よそ者に何を仕掛けてくることやら」
「んー、まあ頭には置いとくね」
「……チーシー、おまえは恐れ多くも御前にて奏上する光栄に浴している。間違っても新玉の春めでたき御方の、柳眉を曇らす不敬は働いてくれるなよ」
「やだなー、そこは信用してよー」
 団子をほおばると呂はぐびりと茶を飲んだ。

●某月某日
「いいですか、とにかく開拓者さんの足を引っ張らないこと。これだけはお願いしますよ」
「はーい!」
「あのね、遠足に行くんじゃないんですからね。わかってます?」
 ギルド職員は小柄な旅泰を前に眉間を押さえる。
「今回は陰殻の慕容王による正式な依頼なんです。

 王様から直でくるってことは、並みの開拓者では手に負えない危険な依頼なんですよ。

 本来なら固くお断りするところですが、あなたは討伐対象と因縁があるから、特別に同行を認めてるんです」
「かくれんぼは得意ですー」
「鬼に捕まっても当局は一切関知しません」
「各種保険等は始めました?」
「やってません!」
 ぷりぷり怒りながら窓口に戻る職員に手を振ると、呂は編み笠をかぶりなおした。
 外はいい天気だ。開拓者ギルドの長椅子に座り、参加者を待ちわびながら歌うようにつぶやく。

「アヤカシさんアヤカシさーん。私の友達をとって食っちゃったアヤカシさーん。今度こそ絶対消えてほしいなー」


■参加者一覧
芦屋 璃凛(ia0303
19歳・女・陰
菊池 志郎(ia5584
23歳・男・シ
鈴木 透子(ia5664
13歳・女・陰
ヴィクトリア(ia9070
42歳・女・サ
无(ib1198
18歳・男・陰
リィムナ・ピサレット(ib5201
10歳・女・魔
神座早紀(ib6735
15歳・女・巫
呂 倭文(ic0228
20歳・男・泰


■リプレイ本文

●雲雀の巣を探して
 星空の下を開拓者の龍が飛ぶ。
 ひとつだけ形の違う影は、菊池 志郎(ia5584)のグライダー、天狼だ。滑空する彼は、呂の甲龍に機を並べる。
「ご友人をアヤカシにより亡くされたとは……ご愁傷様です。さぞ悔しくお思いでしょう。敵を討つお手伝い、致しますね」
「はい、お願いします」
 呂の懐には白き羽毛の宝珠と呼子笛がある。渡したのは傍らの、白 倭文(ic0228)だ。彼は炎龍、暁燕の背から呂に声をかける。
「戚史殿、今回我は前に出るが、駆けつけるし命張るのは同じダ。安心してくれ。見届ける為にも、鵺や敵共、気つけてくれナ」
 呂はうなずく。
「私には戦う力なんてないです。よーくわかってます」
 そして気の抜けた笑みを見せた。
「でも何もできないわけじゃないんですよー」
 右舷の芦屋 璃凛(ia0303)は甲龍、風絶の上で地図を手に渋い顔だ。
「広域図しか手に入らんとは、しょっぱい話や。地形と、大まかな村の区切りしかわからんわ。もっと集落の場所まで入った細かいのをくれて言うてんけど。王さんの威光って、こんなもんかいな」
 先頭のヴィクトリア(ia9070)が相棒駿龍の上で笑った。
「ギルドで聞いた話によると、陰殻は縄張り意識が強すぎるらしいじゃないか。だから『叛』なんて起きるんじゃないかい? だけどアヤカシにゃお帰り願いたいさね。人の争いに余計な手立ては無用て事さよ」
 空龍、風天の手綱を握る无(ib1198)も顎に手をやる。
「『叛』ねえ。慕容王もてんてこ舞いですよ。あれでは避難要請の王命を出したとしても、伝令が届く頃には巨人の足跡だけが残っているでしょう」
 それにしてもと首をひねり、討伐対象の名を出す。
「菊羅玲比女か。比女ということは高貴な生まれなんですかね」
 それを聞いた神座早紀(ib6735)は眉を逆立て、鋼龍、おとめの背を叩いた。
「ククラレだかウクレレだか知りませんが、前回は随分妹を馬鹿にしてくれたようですね。あの子があんなに悔しがっているのを見たのは初めてです。姉としてきっと仇はとりますよ!」
 隣では鈴木 透子(ia5664)が空龍、蝉丸の上で思案顔。
「だけど強敵です。まだ違う能力隠し持っているかもしれません。なので慎重な作戦を取らないと。相手を弱らせるような」
 左舷の端でリィムナ・ピサレット(ib5201)は、炎龍のチェンタロウにまたがっている。
「全力で潰すっ。そのためにも準備をやっとかないと。ね、チェン太」
 衣装の下で、精霊の名を冠した首飾りが跳ね、鈴を連ねたブレスレットが涼やかに鳴る。
 透子が皆に声をかけた。
「あたしは比女の居場所を探します。皆さん、鵺に注意してください。目立つ集団だと思うので、居場所が分かったら戦う準備に入りましょう」
 地面すれすれを飛ぶおとめ。そのまま早紀は、透子の後ろに付く。
「ええ、先ず巨人を見つけないといけませんね。かなりの巨体と聞きましたので移動した痕跡が残ってる可能性が高いです。芦屋さんの用意してくれた地図と照らし合わせながら進みますよ」
 先へ進む二人に天狼の上から志郎が声をかける。
「比女を見つけたら、一度俺のところまで戻ってきてください。傷を癒して万全の態勢で臨みましょう」
 そして彼は手持ちから外套を取り出した。
「呂さんにもこれを。比女とその取り巻きは心を乱す術を心得ているそうですね。……正直役に立つかはわからないのですが、もしよければ」
 呂は会釈をして受け取った。
「龍を降りれば必要になると思います。ありがとうございますー」
 写した地図を皆に分けていた璃凛は、風絶の上で自分の地図に朱筆を入れている。
「くくられが来る前に村へ先回りして、住人を避難させな。ここからもうちょい行ったら、前に戦ったところやろ? どっち行ったらええねん」
 風天を近づけて手元を見ていた无が答えた。
「それはもちろん被害が多い地域でしょう。早紀さんのおかげで、引き返した痕跡は見つからないことがわかりました。ならばここを起点として、集落の多い方へくくられは移動したことになる。ということは」
 无はつと利き手を上げた。
「北ですね」
 チェンタロウの背でリィムナが両膝を立てて座る。
「道中、透子も言ってたけど、菊羅玲比女は配下に斥候をさせてると思うんだ。戦う準備が終わる前にあたしたちのことがバレるのは嫌だから、見つけたら即全滅させちゃわないと! だから単独行動はやだなー。いくらあたしが手が早くっても、限界ってものがあるもん」
 ヴィクトリアが頭をかきながら駿龍の上であぐらをかいた。
「あたいは難しいことは苦手さよ。アヤカシを見つけたらこの斧で一番乗りとしゃれこむさね。それ以外はあんた達の言うとおりにするさよ」
 倭文は暁燕の翼を撫でる。
「我らは集落を探そう。避難先はギルドから慕容王に陳情して取り計らってもらっていル。あとは説得してまわるだけダ。戚史殿、助力願えるカ? 後方の注意を頼ム。交戦中は我らの影から出ないでほしい」
「わかりました」
 平然とした呂に、倭文は目をすがめる。
(「冷静だナ。前もそう見えたが、だ。彼女には確かな奴への憎悪がある。討たねェと」)
 以前、巨人と刃を交わした地点が近づいてきた。無残に荒らされた集落にヴィクトリアは眉をしかめる。
「でかいだけあって大食いさね。ご丁寧に家も納屋も家畜小屋も、全部壊して食い尽くしていやがる」
 无も破壊の痕をながめる。
「これでは生き延びたとしても生活に支障が出るでしょう。ただでさえ陰殻は痩せた地が多く暮らしは厳しいというのに」
 璃凛は崩された段々畑に胸を押さえた。
「汗水たらして拓いた土地を踏み潰して。アヤカシなんざ、居るだけで迷惑やいうのに!」
 一同は扇状に広がって進み、地図の地形と目視を頼りに人里を探しはじめた。
 陰殻の出である志郎は何も答えない。ただ流星のように空を駆ける。次の集落を探し、一人でも多くを助けるために。空が白み、眼前に無傷の里が姿を現す。志郎は天狼の速度を上げた。

 透子が空を行く。
「早紀さん、足跡は見つかりましたか」
「いいえ。暗かったから見落としてしまったのかも」
 早紀は首を振る。人魂からも、まだいい知らせがない。
「追い越したのならそれはそれで好都合です。あたし達も村を見つけたら避難を呼びかけましょう。慕容王からの正式な依頼ですし倭文さんが避難先を陳情してくれてるから、説得できると思います」
「そうですね。おとめ、村人の前ではあまり怖い顔をしないでね」
 鋼龍はごつい翼を不服気に鳴らした。透子は来た道を振り返る。標的はどこかに居るはずだ。
「長期戦になると思います。……おなかがすきました。でも比女も飢えているはずです」
「村で食べものを分けてもらいましょうよ」
「これから家を捨てる人が、よそ者のあたし達にそこまでしてくれるでしょうか」
 透子は手持ちからキャンディボックスと梅干を取り出し、早紀に見せる。
「気休めにはなると思います。どちらがいいですか?」
「では飴をいただきますね」

 昼を回る頃、倭文達は道無き人の灯になるべく村人を相手に説得を続けていた。
「確かに、見知らぬ土地へ行くのは不安だナ。よそで首尾よくやっていけるほど甘い国じゃないってのはわかってる。だガ、周りの集落は既に避難へ動き出している。あとはここが空になれば、菊羅玲の包囲が完成するんダ」
 村人達の反応は芳しくない。土地に縛りつけられて生きてきた彼らにとって、見知らぬ地へ向かうことは恐怖以外の何者でもなかった。 
 顔を背けた長老の前に、リィムナが立ちはだかる。
「貴方達、それでも陰殻の民なの?」
 小麦色の頬を怒りに染めて、彼女は両手を広げた。
「慕容王が直々に依頼を出したのは、貴方達のためなんだよ! 『叛』にも、迫るアヤカシにも日和見して、そんなんで荒れた国が立て直せるの? 嵐は去るんだよ、『叛』だっていつか終わるんだよ、知ってるでしょ!」
 明日を見据えるリィムナの瞳に、村人はお互いに顔を見合わせた。
「アヤカシはあたし達に任せて、今は生き延びる事を考えて下さい。お願いします」
 真剣な声が村人の胸を打つ。やがて長老は重々しくうなずき、避難を受け入れた。

●郭公は巣を壊す
 アヤカシが聖斧の一撃で粉砕される。空になった集落へ寄ってきたのは斥候らしい下級アヤカシだ。
「ちょろいさね。鵺でも来りゃやりごたえがあるんだけど」
 ヴィクトリアの言い分に璃凛が腕を組む。
「物見が帰らんかったら、そのうち来るんちゃう? 巨人とこんにちはする前に数を減らしてしまいたいなあ」
「それにしてもお腹へったよー」
 リィムナがぼやく。口にはしないが、皆同じことを考えていた。
 无が手持ちから芋幹縄を取り出す。
「兵糧攻めにするなら私達も備えをしませんとね。これで食事にしましょう」
「これも食べよ。甘味は元気でるで」
 璃凛も携帯汁粉を持ち出した。井戸で水をくみ、残された家屋から拝借した鍋で食事にする。
 志郎は汁粉をすすりながら人気のない集落を見つめる。
(「先の急変で、理穴では一部の村に復興の補助金が降りたと聞きましたが……あそこは王の下、一致団結しているからであって……俺の国では……」)
 不吉な羽音が響いた。一同は物陰に隠れ、様子を伺う。やがて鵺が姿を現した。

 透子は上空高くを飛んでいた。早紀には人魂をつけてある。
 梅干を口に入れて飢えをしのぎ、辺りを見回す。鵺らしき影を見つけ、透子は注意深く距離を詰めていく。
「一頭だけです。……不意打ちするべきでしょうか」
 透子は符を手に取る。頼りない紙の感触が、自分のすべてだと知っている。
「あたしの実力なら正面から行ってもいいんですが、斥候なら退却を優先するはず。もし逃したら、次は強いアヤカシも連れて来ると思います。早紀さんと連絡とれたらよかったのですけど」
 透子は慎重に鵺の後ろを取り、動きを探った。前方を飛んでいた鵺が突然急降下する。蝉丸に命じて高度を下げた。地上では鵺を迎え撃つ仲間達がいた。
 最初に透子に気づいたのは、咆哮をあげたヴィクトリアだ。
「いいところにきたさね!」
 飛び回る鵺の胴体に、倭文と璃凛の弓が命中する。熟練の開拓者の連携を前にアヤカシは分が悪すぎた。集中攻撃を受け、ボロ雑巾になって消えていく。
 透子も大技を放ち、余波に一息つく。その時、人魂を通して早紀の声が聞こえた。
「見つけましたよ透子さん! ククラレの足跡です。妖猫を連れて北へ向かってます」

 龍に乗ったまま一行は翼の音を気取られないよう距離を取って巨人の背後にまわった。進む先には集落がある。だがそこは無人だ。既に包囲網は完成していた。
 透子は人魂を駆使して取り巻きの数を指折り数える。
「鵺が一頭に、猫がひいふうみい……全員で攻撃すれば剥がせそうです」
「天狗の増援はまだ来てへんようや。今のうちにケリつけんと」
 璃凛は志郎のくれた梵露丸を飲みこむ。
「にがっ」
 閃癒を飛ばしていた志郎は自分も薬を飲んで、沈黙の後、申し訳なさそうに続けた。
「音で気づかれ、迎え撃たれると困ります。足並みをそろえて突撃しましょう」
 无が相棒の背を叩く。
「これ以上長引くと私達が空腹で目を回しますからね」
 リィムナも応じた。
「里に入られるとあたし達を信じて避難してくれた人のおうちが踏み潰されちゃうよ」
 そう言うと彼女は淡い金銀の光をまとい、フルートを細く奏でる。ゆったりした天使の踊るような旋律が皆の心に染みいる。
 早紀は拳を握る。
「妹の為にも、決して貴方には負けませんよ!」
 隣の倭文が矢筒を背負いなおし、撒菱を取り出す。
「いざとなりゃ我らで体張って攻撃通す間だけ留める位は……」
 ヴィクトリアは聖斧を握る。利き腕にかかる重みが心地いい。
「ここで決着付けられれば良いさよ。行くさね!」
 八つの影が空を切り裂く。みるみるうちに巨人の背が近づき、足元にじゃれつく妖猫の姿まであらわになる。気づいた鵺が振り向いたときにはもう遅かった。璃凛の符が紅に光り輝く。
「髪洗ふ四谷の岩もうがつ露、いとしいとしと秘めて滴る……おりゃ、いっけー!」
 首輪と鎖で四肢を鎧う式が喉も割れよと狂声をはりあげる。妖猫が数匹弾けとんだ。倭文はどんくさい個体を弓でしとめ、龍の上から撒菱を撒いていく。
「こっちに来られちゃ困るんダ」
 残った猫があわてて巨人の陰に隠れる。透子も符を投げ上げた。
「主を盾にしますか。知恵のあるアヤカシです」
 黄泉より這い出た何かが鵺の足を食いちぎる。巨人が開拓者へ体を向けた。首飾りのように胸元で揺れる少女も姿を現す。无は薄く笑った。
「よく見ると比女と名乗るだけありますね」
 牽制に手裏剣が放たれ、比女を狙う式が飛ぶ。
 ヴィクトリアは巨人を前に眉をひそめた。
「視線、仕草、獲物、体捌き……見るべきところが多すぎるさね。一対一に持ち込むまで我慢するさよ」
 そして相棒に巨人の股下をくぐり抜けるよう命じた。
「お猫サマども、あたいと遊ぶさよ!」
 咆哮をあげて斧を振り回す。回転切りに巻きこまれた妖猫は瘴気に還り、比女が顔色を変えた。
「なんということを! そなた心は痛まぬのか!」
 巨人の黒い手がヴィクトリアを相棒ごとつかみ投げつけた。駿龍は咄嗟に背の主を守る。地に放り出されたヴィクトリアは飛び起き、龍に駆け寄る。
「相棒! 相棒、大丈夫かい!?」
 それを見た志郎は、構築中だったブリザーストームをキャンセルし、グライダーを急加速させる。
「俺が行きます。早紀さんは皆の援護を」
「はい、気をつけて!」
 速度を活かし回りこんだ志郎が杖を手に閃癒を放つ。駿龍はか細い鳴き声をあげ、息をつないだ。
「飛べるかい、相棒?」
 主の声に龍は傷ついた体を押して翼を広げる。
 璃凛は手をこまねいていた。
「あかん、これじゃ瘴気の霧に仲間を巻きこんでまう。使わん方がええやろか」
 鵺の攻撃をかわした透子が答えた。
「使っていいと思います。志郎さんのがんばりで相棒さんは飛べるようになりました。全力で移動すれば、こちら側まで戻って来れます。その時、霧で目くらまししましょう。おいかけっこからかくれんぼです」
 透子の手招きに、志郎は意図を察したようだ。グライダーを複雑に切り返し、番天印を投げてアヤカシの注意を自分に向けさせる。その隙にヴィクトリアの龍は離陸し力を振り絞って飛ぶ。おとめの上で早紀が手を広げる。
「無理せずに、私も傷は癒せます」
 澄んだ歌声が響き、駿龍の翼の穴が消えていく。頃合を見て志郎がグライダーを急加速させ、ヴィクトリアに追いつく。璃凛が大きく息を吸い込んだ。
「離れときや!」
 紫の霧が吐き出された。異質な瘴気が空を埋め、妖猫たちのとまどう鳴き声が聞こえた。璃凛はため息をつく。
「ウチも、アヤカシとの違いが曖昧になったんやな」
 一行は後方に下がる。追いかけて顔を出した鵺に倭文の矢が刺さった。溶けていく鵺には目もくれず、倭文は耳を澄ます。
「猫の鳴き声が少ないナ。察するに残りは三匹程度と見タ」
 无が火槍にヴォトカをかける。
「出てきてもらいましょう。主人が動けば猫も動かざるを得ないはず」
 音と霧の流れを頼りに、无は狙いをつけ火槍を放つ。冷ややかな声が響いた。
「そちらに居るのかや?」
 毒々しい霧の向こうから、黒い巨人が姿を現した。その体が、紫に光るたび、黒い体が復元していく。ついで巨人の四肢が輝き、青い光が中央の比女に集まる。无の攻撃で焦げた比女の肌が白磁に戻る。
 利き手にはヒビの入った戦斧。反対の手のひらに猫を乗せている。猫たちは必死に鳴いて心をかじろうとするが、リィムナの旋律が邪悪な声を防ぐ。笛の余韻が残る中、彼女は巨人をにらんだ。
「行くよ、ア・レテトザ・オルソゥラ!」
 一転、情熱的な曲が奏でられる。魂魄の根を揺さぶる旋律に触れ、妖猫はくたくたと崩れ塵になっていく。比女の顔が真っ青になった。
「猫、猫を……わらわの猫を……」
 リィムナは胸を張った。
「あとはあんただけだよ!」
 激昂して見えた比女は、しかし急に冷めた瞳になった。
「ようも殺してくれたな開拓者。その志体、わらわに捧げよ」
 最初に違和感に気づいたのは、知と直感に優れた志郎だった。
「危ない、皆さん離れ……」
 志郎の声が途切れる。目の前で膨れ上がっていく影の大きさに。呆然とする一同を前に比女はうそぶいた。
「さあ蟻どもめ。踏み潰してくれようぞ」
 小山のような巨体を、早紀はあ然と見上げる。
「そんな、こんなの妹から聞いてない」
 戦斧が瘴気をまとった。その巨大さゆえに、斧の一撃はその場の全員を巻きこんだ。相棒たちが身を呈するが、あまりの衝撃にリィムナの細い体が宙へ投げ出される。
(「え……落ちる、の?」)
 時間は流れることをやめたようだった。妙にクリアになった視界の中で、大地がゆっくりと迫る。
(「うっそだあー、まだあれもこれもしてないのに……」)
 リィムナは歯を食いしばりまぶたを閉じた。覚悟していた衝撃は、なかった。代わりにやわらかい感触に受け止められる。瞳を開いた彼女が見たのは、地味な風采の旅泰だった。
 呂は傷を負ったチェンタロウの近くにリィムナを放り出す。
「戚史殿!」
 振り返った倭文を呂の強い瞳が射抜く。
「続けてください! 比女を倒せるのはあなた達だけです!」
 巨人の斧が振り上げられるたび、呂は甲龍を駆り、跳ね飛ばされた仲間を受け止める。
 无は鋼糸を手に取った。
「くくられ比女を外したら、只の姫に戻ってくれませんかね?」
 鋼糸が比女を絡め取る。だが巨人が比女を素早く引き寄せ、无はバランスを崩した。
「かわいらしや人の子の浅知恵。おぬしも共にくくられて見るかや?」
 次の瞬間、无は自分の鋼糸に絡めとられ、比女の腕に抱かれていた。ひんやりした少女の舌が无のうなじを舐めあげる。
 その合間も戦斧は猛り狂い、相棒の急所を狙い地に落としていく。叩きつけられた早紀の鋼龍が、主を守ろうと翼を広げる。瘴気の渦をまとう斧の切っ先が鱗の削げた体に迫る。
「いやあああ! おとめ! おとめええええ!」
 視界を影が走った。間に割り込んだ影が吹き飛ばされ、勢いの弱まった斧の一撃を鋼龍が押さえ込む。振り返った早紀の瞳に、腹を割られた呂の甲龍が映った。傍らに転がる呂の左足は、ありえない方向に曲がっていた。血相を変えた倭文が龍から飛び下り、駆け寄って抱き起こす。
「戚史殿!」
 必死に腕の中へ呼びかける。呂のまぶたが震え、薄目を開いた。
「……大丈夫ですよー……この程度でへこたれてたら旅泰なんて、やってらんねーのですよー……」
 倭文は舌打ちし、彼女を抱き上げたまま傷ついた暁燕の背に乗る。
 勝ち誇る比女の顔が、不意に歪んだ。その胸に手裏剣が深く突き刺さっていた。血の気の引いたまま无は口角を吊り上げる。
「私が大人しくしているとでも?」
「けがらわしや下郎めが!」
 比女は拘束を解き、无の体を放り捨てる。地面に激突する寸前で、懐が光り輝いた。羽毛の宝珠の力場が体を受け止めた。无は体勢を整え無事着地する。
 透子が無表情のまま告げた。
「撤退しましょう」
「クソッタレ、お預けかいな。おぼえときや比女さん!」
 璃凛が再び瘴気の霧を吐いた。視界が遮られた隙に一同は龍を駆り場を抜け出す。志郎と早紀が続けざまに閃癒を放ち、ボロボロの相棒達に力を与える。志郎は振り返った。
「俺は陰穀の在り方に色々思うところがあるので、自国への愛着は高くないつもりでしたが……」
 遠ざかる巨人をにらむ。黒い影は次第にすぼまり、元の大きさに戻っていく。歯軋りして吐き捨てた。
「自分でも驚くほど、腹の立つものですね。俺の国を、仲間を、よくも。この報いは、必ず……!」