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■オープニング本文 ●血叛 力こそが正統の証であった。 掟が全てを支配するこの世界において、その事は、ある種相反する存在であった。無制限の暴力の只中に、慕容王ただひとりだけが、その力に拠って立っている。 狐の面をした人影が、蝋燭の炎に照らされた。 卍衆――慕容の子飼いたる側近集団に、名実ともに王の右腕と目されるシノビがいる。黒狐の神威。名を、風魔弾正と言った。本名は解らぬ。尤も、卍衆について言えば、弾正に限ったことではないのだが。 「慕容王は死ぬ」 弾正が呟いた言葉に、眉を持ち上げる者がいた。 「何が言いたい」 「『叛』」 面の奥に潜む表情はようとして知れぬ。冷め切った態度と共に吐き出されたその言葉が持つその意味を、知らぬ者などいようはずもない。それは、陰殻国の成立より遥か以前から受け継がれてきたもの。 叛――慕容王を、殺す。 ●頭痛の種 その慕容王は書を前に沈思黙考していた。 長椅子に寝そべり、気だるげに机上へ目をやる。 広げているのはアヤカシの勢力報告書。一月ほど前から地図の色が変わるほどに奴らの動きが活発化している。 「内は乱、外は嵐。慕容の加護きこしめすこの地にふさわしいことよ」 口角を上げたのは自身への皮肉か、はたまた別の意味か。 王は地図へ視線を落とす。アヤカシの出現、最も激しい位置に。 「火種が燃え広がる前に、水を撒くべきであろうな」 白い手が筆を取った。 ●梟の目 天儀から嵐の壁を越えた先。 浮島を連ねた儀、泰国は天帝宮、謁見の間。 公務に使われるものではない。もっと狭く、厳重な、隠された箱のような。 ひざまづいているのは流れの旅泰(泰国の商人)だ。地味な風采の小柄な女性で、長い髪を無造作にくくっている。姓は呂、名は戚史(リウ・チーシー)。 人の気配を感じ、呂は深くひれ伏す。 衣擦れの音とともに、絹の御簾越しに淡い人影が映る。呂が口を開いた。 「無二にして無比無謬なる天照らす帝に、伏して奏で奉る」 返事はない、先をうながしているからだ。呂は続ける。 「天儀にて争乱の気配有り。国は陰殻、王は慕容。 力こそが正義と称す気の触れた輩どもは、つい三年前のことすら忘るる鳥頭。国をば『忠』と『叛』に分け、またも王位継承を巡り血で血を洗う戦いをくりひろげる所存」 御簾越しの人影がわずかに揺れる。 「どちらかに加担せよとでも?」 「否や。 恐れながら申し奉る。元より陰殻は豊かならずや。ゆえに人を持って国力となしまする。シノビ多きはそのため。されば此度の乱で国力大いに削がるること必至。国の疲弊は天儀の乱れ、引いてはアヤカシの跳梁に繋がりまする。 先より理穴にてアヤカシの不穏な動き有り。 滅びの地、冥越と境を接する『陰殻』にも、等しく兆候有り。 現『慕容王』は開拓者を呼び寄せ『撃破』させる心積もりにて、我、これに同行しアヤカシの趨勢を調査する所存。 掛けまくも畏き帝へめでたき報せ持ち帰りまするゆえ、御海容賜りたく伏して奏で奉る」 人影はしばしの沈黙の後、席を立った。 「よきにはからえ」 ●某月某日 開拓者ギルド。 「お願いですー、陰殻の山のアヤカシを倒してほしいんですー」 窓口でさめざめと泣く小柄な女性の旅泰と、疲れた顔で依頼書を作るギルド職員。 「詳細をお願いします」 「すっごく強くってー、白目向いたまっくろけの巨人でー、でっかい斧持っててー、女の子が首飾りみたいにぶらさがってるってー、それが旅泰仲間の最後の言葉で……あの子は私たちのために捨て身で攻撃したのに、傷はすぐふさがってしまって……よよよ、あいつのせいで仲間が、仲間がー!」 「その話はもう三時間くらい聞いてますからね!? 詳細を!」 「わかんないから開拓者さんにお願いしてるんじゃないですかー」 「せめて場所を教えてください」 「陰殻の山奥です、盆地みたいになってます。元は村だったんですけど、私たちがたどりついた時にはえらいことになった後でして。そこへの道中も下級アヤカシがわらわら居て、きっとあいつのせいです。あいつさえいなければ仲間はーよよよ」 「もういいですから。他に、補足事項は?」 「私も同行したいです」 「は? 無謀でしょ」 「かくれんぼは得意ですっ。仇を討つところを見ないと腹が煮えくり返ってどうにもおさまらないんですー!」 職員は匙を投げた。 「死んでも知りませんよ。自己責任でお願いしますね。各種保険等は取り扱っておりませんので」 「わかってますよー、お願いしますねー」 依頼書を作り上げた職員が窓口から事務室に戻ると、同僚達が真っ青になって棚と言う棚をひっくり返していた。 「ギルド長からの命令書が見当たらないの。このままじゃ依頼書が作れないわ」 「出所は?」 叛の噂漂うかの地の王と聞かされて、この職員も血の気が引く。 「まずいじゃないですか」 「そうなのよ。王命を表沙汰にするにはまだ早いから厳重に取り扱うようにって言われてたのに」 同僚は今にも泣きだしそうだ。 「あった、ありました!」 隣室から快哉があがる。そこは何度も探したところだったが、見落としていたのかもしれない、違うのかもしれない。そんなことは職員達にとってどうでもよかった。 「よかった、これで依頼書が作れ……」 覗きこんだ窓口職員は自身の手元と見比べ、眉をひそめる。 命令書の内容は、彼が受けた依頼とほぼ同じだった。 「……奇遇、なのか?」 「確かに偽装したうえで依頼書を作成する手はずだったけど……」 旅泰の依頼書が、そのまま張り出されることになった。 |
■参加者一覧
芦屋 璃凛(ia0303)
19歳・女・陰
柳生 右京(ia0970)
25歳・男・サ
鈴木 透子(ia5664)
13歳・女・陰
ヴィクトリア(ia9070)
42歳・女・サ
无(ib1198)
18歳・男・陰
フランヴェル・ギーベリ(ib5897)
20歳・女・サ
神座亜紀(ib6736)
12歳・女・魔
呂 倭文(ic0228)
20歳・男・泰 |
■リプレイ本文 ●飛ぶ鳥を落とす 九つの影が朝焼けを切り裂いていく。 彼らは龍を駆る開拓者たちだ。先頭に立つヴィクトリア(ia9070)は意気揚々と相棒、駿龍の手綱を握る。 「基本方針遵守、重傷を負う前に撤退。死角には気をつけるんだよ、あんたたち」 前方を見据える彼女は白いカラスを追っている。无(ib1198)の作り出した人魂だ。右舷を守る柳生 右京(ia0970)は炎龍の羅刹を相手にうそぶく。 「巨人アヤカシ……巨大な斧、傷の修復能力、首飾りのような女。情報が断片過ぎるが……まぁいい、見てみれば分かる事だ」 左舷ではフランヴェル・ギーベリ(ib5897)が甲龍のLOの背を叩いた。 「敵戦力に不明点が多いね。だが、決して負けはしないさ♪」 LOは力強く吠える。 その後方で芦屋 璃凛(ia0303)は甲龍の風絶を、神座亜紀(ib6736)の駿龍はやてに近寄らせて声をかけた。 「うちらは相手の動きをよう見て、みんなの攻撃で出来た隙を突いて仕掛けるんや。何かあったらすぐみんなに報せる。な、亜紀」 「もちろん! 話を聞くにすごいアヤカシみたいだね、黒い巨人。でもボク達だって負けないよ。戚史さんの仲間の仇、絶対とってあげるからね!」 後方を振り返った亜紀の視線の先で、甲龍に乗る呂戚史がぺこりと頭を下げた。胸元には亜紀から託された手帳と筆記用具がある。その隣には殿をつとめる白 倭文(ic0228)の、炎龍、暁燕が寄り添っている。 「戚史殿、我が貴方の守りに就ク。渡した呼子笛と宝珠は持っているカ?」 「はい、ばっちりです」 「ああそうだ、アヤカシにはどんな奴が居たか、空に何か飛んでたとか、覚えはあるカ?」 自らも油断無くあたりに目を配りながら倭文は問う。 「すいませーん、私逃げるのに夢中で」 横目でながめていた鈴木 透子(ia5664)は、空龍、蝉丸の上でつぶやく。 「本当にここに居たなら、アヤカシを目撃してるはずなのに。……何か変な依頼みたいです」 透子は相棒の手綱をたぐり、呂の近くへ移った。 「何故敵は村に居座ってるんでしょう、心当たりはありますか」 「さあ、アヤカシの考えることはわからないです」 「ひょっとして拠点にするつもりなのでしょうか。呂さん、この近くに村はありますか」 「北へ向かって山をひとつ越えれば、小さな村が並んでます。空路なら現場から半日で最初の集落ですね」 「……お詳しいですね」 「はい、仕事柄」 へらりと笑う呂に透子は小さく肩をすくめる。 (「嫌な感じの人です。好きになれそうにありません」) 隣で空龍の風天を駆る无もまた、似た感想を抱いていた。 「なんとも要領を得ないですねぇ。先行き不安ですが同じ寮の出がいるのは心強い。おや」 人魂が視界に異変を捕らえた。无は懐から手裏剣を取り出す。 「十一時の方角に敵影有り。二時、三時より援軍。来ますよ!」 无の声に全員の顔つきが厳しくなる。ヴィクトリアは武者震いしながら霊斧を振りかざし咆哮をあげた。 「さあ、張り切って行こうさね!」 鳥アヤカシが次々と回転切りに吸い込まれ露と消える。フランヴェルは盾を手持ちに収め、殲刀を両手に持ち替えた。 「余裕があれば地上のも殲滅したいね。けど、まずは退路確保、と」 流れるような太刀筋で敵を瘴気に還していく。斬撃を逃れたアヤカシが死角からフランヴェルを狙う。白いうなじにくちばしが突き刺さる直前、それはぐにゃりと形を歪ませ悲鳴と共に消滅した。 「水無月に濁雨撒きたる荒御霊、魂喰らわれて衣変われよ」 无は陰陽の術法を駆使しつつ、手裏剣を投擲し小さな敵影を落としていく。風天の鋭い翼が一撃離脱を助ける。璃凛は援軍を迎え撃ち、鎖で繋がれた悲恋姫を召喚しながら喝を入れる。 「耐えてぇな。一息ついたら救急箱で治療したるさかい」 魔刀を振るう右京も答えた。 「後に備え、空の奴らは可能なかぎり倒しておこうか」 逃げ出そうとしたアヤカシに真空刃でとどめをさす。 透子は懐に符をたずさえたまま回避に専念している。戦いに備え力を温存する腹だ。目視でアヤカシの動きを確認し後方の呂と倭文を先導する。 「はやて、いっけー!」 亜紀の掛け声に、はやては羊を追い込む犬のようにアヤカシの退路を塞いでのけた。無茶な飛び方も荒縄でつないであれば耐えられる。固まった敵の群れにメテオストライクが炸裂する。討ちもらしたアヤカシは倭文の矢が穿つ。 「戚史殿、仇を前に思いもあるだろうが突出は無しダ。すまん」 「はい」 「だが我は身を呈してでも貴方を守ル。これが我らの誠意ダ」 うなずく呂。倭文は後方に湧くアヤカシも倒していく。 いつしか空は青に代わり、眼下は山肌ではなく平地に変わっていた。 ●鵜の目鷹の目 亜紀が龍を地上へ近づける。 「誰か生きてるかもしれない。ボク、見てくるよ」 「加勢するで」 璃凛は上空から併走する。村の中央、広場にアヤカシの影が集まっているのが見えた。透子も龍を走らせる。 「巨人とやらが知恵のあるアヤカシかどうかも、調べる必要があります」 中央を警戒しつつ村の外周を回る。无もその流れに加わった。 「誰か居るかね」 藁にもすがる思いで難を逃れた村人を探すが、ちらばっているのは無残な死体ばかり。 ヴィクトリアは龍をめぐらせ、透子・无と亜紀・璃凛の隙間を埋める。 「あんたたち、巨人を見たらすぐあたいの後ろへ下がりな」 上空を制したフランヴェルが右京を振りむく。 「思うんだけどさ、噂の巨人は白目を剥いてるんだよね? もしかしたら意識が無くて、情報にあった首飾り少女に操られているんじゃないかな」 「ああ、どうにも気にかかる。可能性としてはその女もアヤカシ……それも術師である可能性が高い」 二人は龍を飛ばし、広場から少し離れた位置で止めた。翼を鳴らす龍二頭に眼下のアヤカシがざわめく。 「おいで。ボクが遊んであげよう。子猫ちゃんたちには気づかないでいてね」 物騒な微笑を浮かべたのはフランヴェル。甲龍のLOは全身を不可視の鎧で覆う。その隣で、右京も鯉口を切る。 「図体がデカいだけの木偶の坊でも無いだろう? さぁ。愉しませて貰おう」 低くうめき続けるアヤカシの中から、一際黒い影が立ち上がった。 亜紀は、はやてを頼りに生存者を探す。村の中央が近づくに連れ、すえた血の臭いが鼻をついた。どこも目を背けたくなるような有様だ。それでも直視し続け、気づきを得たのは怜悧な魔術師の知性ゆえか。 「……腐敗の進み具合が違う」 地べたに転がる死体と、壊れた家屋の中からのぞく死体は、その身を喰らう蛆の量が違った。建物の影に残るものは、まだ生前の面影が残っている。 「わざと家に逃げ込ませて、時間をかけてなぶり殺しにしたんだね」 亜紀は歯を噛みしめる。 その頃、村はずれの透子が、陰殻の山奥にそぐわないものを見つける。 「あれは、飛空船?」 田んぼに大破した小型飛空船が転がっていた。船体の特徴的な紋様は泰国のものだ。 「逃げようとして撃ち落されたとみました」 蝉丸を駆り、透子は无と共に飛空船の上を旋回する。 「非常用のグライダーが見当たらない。脱出には成功したようです……脱出には」 こじ開けられたハッチは大量の血がこびりついていた。とうに酸化し、墨をまぶしたようだ。透子は依頼人の旅泰を振り返った。後方で、呂は口をつむいでいる。 おぞましい叫びが響き、彼らは広場を振り返った。 「……黒い巨人」 透子の声に无は改めて人魂を作り、右京とフランヴェルのもとへ走らせた。 「まずは様子見といきましょうか」 无の案に透子もうなずいた。 巨人が吠える。 風圧で枯れ草が舞い散り、わらぶき屋根の残骸が崩れ落ちる。 一行の体にじんわりと不吉な寒気が広がる。右京は涼しい顔を崩さず対象の胸元を見た。 「あれが情報にあった女か……」 そこには全身を、鋼のような茨のような、太い縄で縛り上げられ逆さ釣りになった少女がいた。瞑目したまま振り子のように揺れる。整いすぎた顔立ちは、まるで人形のようだ。 巨人を守るように、いくつもの異形の影が翼を羽ばたかせ宙に浮いた。稲妻を身にまとう姿にフランヴェルが短く口笛を吹く。 「鵺じゃないか。それに足元の奴らは……猫? ただの猫じゃあないだろうね」 「まずは取り巻きだな。囲まれると厄介だ」 フランヴェルも殲刀をかまえる。 「行こう、右京!」 「応!」 二人は手前の鵺を目指し龍を駆った。右京の魔刀が異形を狙う。刃が翼を切り落とそうとした、その刹那、巨人の胸で少女が目を見開いた。 「無礼者!」 同時に巨人の喉から怒号が吐き出され、右京とフランヴェルの手を打つ。二人は鵺の群れに向けて刀を持ち直すが、どうしても巨人の動向が気になり切っ先は黒い巨体へ向けられる。勝ち誇るように鳴き散らし、鵺は巨人の肩に乗る。 雷が放たれた。龍に身を伏せ、落下を免れる二人。 「作戦変更だフランヴェル」 「ああ、対象は巨人。足を狙う!」 フランヴェルを目がけて、巨人の大斧が振りかぶられた。見た目に反し素早い斬撃にLOは身構える。衝撃を覚悟した彼女の視界に、駿龍が飛び込む。 「前の護り、きっちりこなしてやるさよ!」 ヴィクトリアの霊斧が大斧を正面から受け止め、火花を散らす。武器を通して強い衝撃を受けたのか、口の端から血が滴った。腹に力を込め、強打で大斧を打ち返す。 「さぞかし名のあるアヤカシとお見受けするさね。あたいはヴィクトリア! あんたは誰だい!?」 口元をぬぐい、彼女は胸を開き不敵に笑った。少女も左右に揺れながら、うっそりと微笑み返す。 「蛮勇もまた勇なるかな。わらわはくくられ……心ある者は菊羅玲比女と呼ぶ」 无は前衛組みの後ろから戦場を眺める。 「自身が盾となり、周りに攻撃させる。私らもよくやる手ですが、やられると面倒ですねぇ。それに」 人魂を通した彼の目は、猫の正体を見抜いていた。 「あれは妖猫。鳴き声で心に働きかけ異常を起こす厄介な奴らです。足を狙うなら駆逐せねば」 風天の上から无は比女を狙い、魂喰を試みた。比女の右頬が火傷でも負ったように泡立ったが、薄く笑ったまま動じる様子はない。余力で手裏剣も投げる。黒い肌と白い肌、両方に刺さるが弾かれて落ちた。 透子は一連の様子を見てひとりごちた。 「わずかに非物理攻撃のほうが優勢? 仮説を立てたら検証です」 蝉丸を急降下させる。風を切る彼女の懐で、札が光り白く長く尾を引いた。やがて九つに裂け巨大な妖狐になる。衝突する直前で手綱を引き、空龍は急旋回。背後で妖狐が爆散する音が響いた。 後方からやり取りを見ていた璃凛も手綱を握る。 「あいつが奏者で間違いないな。デカブツのほうは人魂の応用やろか」 巨人の肩からは鵺が舞い上がり、地上からは猫の群れが飛び上がっては龍たちの脚をかじろうとする。硬い装甲に阻まれてはいるが、度重なる攻撃に鱗がはがれつつある。ぐずぐずしてはいられない。璃凛は亜紀に合図を送った。 亜紀は杖をかかげ、巨人の脇にはやてを回りこませる。遅れて璃凛も風絶を走らせた。 「略式座標指定、視界前方、二時の方角をメインチャンバーに設定。メテオストライク起動!」 巨人の背後に炎の嵐が吹き荒れる。油断していた妖猫が数匹、輪郭を焼き尽くされ形を失った。 「わらわの猫が……!」 振り返った巨人、その隙を突いて璃凛が接近する。 「夏至の頃釣瓶落とすは秋の為、梅雨ぞ転じて晴れとなれかし」 上空に鎖でがんじがらめにされた岩首が姿を現し、巨人の後頭部に命中した。あふれ出す瘴気を避けながら璃凛は比女の様子を伺った。消耗の色が見える。 「デカブツをぶん殴っても効くみたいやなあ?」 璃凛は勝利を確信し次の符を取り出した。 ●立つ鳥跡を濁して 倭文は後方に位置を取り、呂の隣で周囲をうかがっていた。彼女の視界では仲間が巨人に猛攻を仕掛けている。一見優勢に見えるが、取り巻きがじわじわと仲間の体力を削っていくのがわかる。 猫や鵺が狙われるたびに巨人は怒号を叩きつけ、標的を自分に集める。負けじと開拓者たちは技を振るうが、怒涛の攻勢にもかかわらず、巨人の素早い斬撃にはかげりが見えない。容赦なく急所を狙う斧が仲間に襲い掛かる。そして、受けた傷は徐々に癒えつつあった。 「……押されている、まずいナ」 ふと隣を見ると、護衛対象の呂は熱心にメモを取っていた。 「戚史殿、それは?」 「はい、亜紀さんにお願いされて巨人が回復するまでの時間を計算してるんです」 「どうなっタ?」 手帳を読んで倭文はふむとうなずく。そして改めて辺りを見回した。アヤカシの姿は見当たらない。巨人は仲間が押さえてくれている。 「すぐ戻ル。ここを動かないでほしい。何かあったら笛を吹いてくれナ」 呂をその場に残し、倭文は暁燕と共に空を駆けた。懐から竹筒を取り出し、蓋をあける。中に詰められているのは撒菱だ。 (「確かめたいことがあル……」) 暁燕に高度を地上すれすれまで下げさせ、巨人の足元を狙い撒菱をばらまいていく。うっかり踏んだ妖猫が悲鳴を上げて飛びのいた。巨人の足が撒菱の絨毯を踏み抜く。しかし意に介さず歩を進める。 (「ヤハリか!」) 倭文は声をはりあげた。 「皆! こやつは痛みを感じなイ!」 炎龍の背を蹴って倭文に妖猫が飛びつき、爪を立てる。払いのけ、暁燕の助けを借りて亜紀のそばへ近寄った。メモの中身を伝える。 「体が光るたびに、ボクたち二人分くらいの攻撃をなかったことにしてしまってるって?」 「逆算するとそうなると言っていタ。すまん、そろそろ戻らねバ」 「戚史さんにありがとうって伝えてね!」 二人の間を大斧が分かつ。倭文はからくも手綱を取り落下を免れると、姿勢をたてなおし後方へ退却した。体内に気をめぐらせる。深呼吸をくりかえすたびに痛みは薄れていった。 呂の甲龍がそばへ寄ってきた。 「ご無事ですか?」 「見てのとおりだナ。戚史殿、弓の届くギリギリまで下がロウ」 長弓を手に龍二体はさらに後退する。撤退のとき、確実に逃げきれるように。そしてもうひとつ。 (「この場所なら、よほどの攻撃でない限り巻きこまれないはず」) 倭文はちらりと呂をながめる。甲龍の上で彼女が不思議そうに首をかしげた。 (「我が正気を失っては困るからナ」) 万一のときは、呂だけでも生かして帰すつもりだった。 「ようもわらわのはらからを」 巨人の胸で揺れながら、比女は怒りをあらわにする。妖猫は半数を割り、鵺も二頭が瘴気に還っていた。だがまだ数は残っている。 一方開拓者たちも疲れが出ていた。余力はあるが、矛先はすべて菊羅玲比女に固定されてしまった。フランヴェルは相棒の手綱を離し、地に降りたった。 「プランBで行こうっと」 盾をかまえ防戦に備える。まとわりつく妖猫をあしらい仲間から注意をそらす。LOは大げさに翼をはためかせ、威嚇の声をあげて主の背中を守る。彼女が開けた道を、右京が魔刀をかまえ、羅刹を繰って駆け抜ける。 「この一撃に我が精魂を込めて!」 巨人の右脚に狙いを定め、柳生の秘技が炸裂する。すねが裂け、骨にヒビが入る。もうもうと瘴気があふれだした。だが巨人の歩みは止まらない。 「チッ……痛みを感じないとは難物だな」 右京に続いて无と璃凛も右脚を狙う。 「風天、同時に攻撃しますよ」 応えて相棒は風焔刃をくり出した。无の呼び出した黄泉より這い出る者と共に裂けたすねを襲う。ひび割れが広がり、髄が飛び出した。汚物じみた臭気があたりに立ち込める。 「もうすこしやんな。尻餅ついてええねんで、お姫さん!」 璃凛は風絶をから衝撃波を放たせる。甲龍はそのまま突撃し、槍のように鋭く巨人の脚へ体当たりをした。傷がふくらはぎまで広がる。 「うぇ〜、ひどい臭いやな」 服についた汚液をはらい、璃凛は離れざまに鎖に縛られた岩首を落として追撃する。彼女を狙って振り下ろされた大斧は、再びヴィクトリアによって遮られた。聖斧とぶつかりあう金属塊が、耳障りな異音を放つ。 「……おやあ?」 強打で跳ね返したヴィクトリアは、違和感から大斧を注意深く見つめる。 「ハッ! 刃こぼれしてるじゃないか。獲物の手入れはしっかりするもんさね」 その声に亜紀もつられて斧を見た。構築した魔術式の起動座標を迷う。獲物を砕くか、それとも脚か。わずかな逡巡を突き、比女が動いた。淡く微笑む唇が澄んだ歌声を響かせる。 「まがつかみいやさか。まがつかみいやさか。まがつかみいやさか」 全身を光が走り抜ける感覚に襲われ、開拓者たちを脱力が襲う。頼みの武器を握る手がふらつき、視界が色褪せていく。妙にしらけた景色の中で、黒い巨体だけがぐらぐら揺れている。 「だ、め……。このくらい耐えな、と、お姉ちゃんに……笑われちゃ、う……」 亜紀は冷や汗をたらし、アイシスケイラルを維持しようとする。巨人にぶつけるはずだったそれを、起動するための鍵が意識から失われていく。杖に宿った光がふつりと消えた。 「何故だ。何故攻撃できない!」 妖猫の群れを引き連れたまま、フランヴェルは殲刀を巨人にかざす。しかし強いめまいに襲われ、切っ先は振り下ろされることなく宙空でぶれている。無防備な背を猫の牙が襲う。无は璃凛をかばうように龍を走らせた。 「これは……魅了……く、やられました」 巨人が視界に入るたび、鋭い頭痛が彼を襲う。どこに動いても巨体は目に映る。下がるしかなかった。 「まぶしい、あかん、まともに見てられへん」 璃凛は顔を隠し、巨人から目を背けている。 ヴィクトリアは逆に比女から目が離せない。すべてが消えうせた暗闇の中で彼女だけが神々しく輝いている。 「あんたは敵さね。……わかってるともさ」 その隣で右京もまた、武器を取り落としそうになる己を叱咤していた。 「このために私たちの注意をひきつけていたのか……やるな……」 鵺が羽ばたき、大気がイカヅチをはらむ。足元では妖猫のわめき声が響く。状況は不利、だがこれで心折れるなら、とうに命は失っている。右京は凄惨な笑みを浮かべ、ヴィクトリアに声をかけると相棒の手綱を引いた。 「ばかばか! ずるい! ずるいじゃんこんなの!」 はやての上で亜紀は地団太を踏む。ぎゅっとつぶった両目に悔し涙がにじんでいた。 「おまえなんか魔法でころっと倒しちゃったんだから! ほんとなんだから!」 比女の微笑が深くなる。 「かわいい子。わらわの人形になるかや?」 「そんなの御免だよ!」 「では蟻にしてやろうか。小山となったわらわに踏み潰されてみるかや?」 「どっちもやだあ!」 伏せたまま背中をばんばん叩く亜紀に、はやてはおろおろしている。比女はつと視線をすべらせた。 「運のよい奴よ。一人だけ心乱さずにいるとは。その方、名を問うぞ」 視線の先に居たのは、鈴木 透子。冷めた目で比女を正面から見据え、答えた。 「五行は青龍寮。目立つのは好きませんので名乗りは謹んで辞退します」 比女の口元が嘲笑の形に歪む。 「多勢に無勢と思わぬか。いかがいたす?」 「こうします」 だしぬけに破裂音が響き、周囲を灰色の霧が覆った。瘴気の霧だ。その隙にフランヴェルは相棒の背に飛び乗り、一行はその場を抜け出す。 しばらくは鵺の羽ばたきが聞こえていたが、そのうち消えた。 「皆、無事カ?」 「追手は来てるかい?」 「いや、来ていない。このまま離脱スル」 ヴィクトリアに叫び返し、連なる龍の群れに呂の甲龍を押し込む。 「手の内は読んダ、決着は後回しダ。悔しいかもしれんがこらえてクレ」 呂に言い渡し、倭文は殿を務める。今動けるのは自分だけだ。弓を手に背後を警戒しつつ飛ぶ。その目には、残された比女が映っていた。 辺りを見回している。もうこの村に『食糧』はない。受けた傷を癒すものがない。巨人は右脚を引きずり、北へ向けて歩き出した。 |