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■オープニング本文 前回のリプレイを見る 様々な報告書の束を卓の上に放り出したソーン・エッケハルトは、かなり行儀悪く伸びをした。 「殿下」 その態度に親衛隊の中でも特に礼法にうるさい娘が、地を這うような声で注意を促してくるが‥‥自分の方に回されてきた報告書を見て、表情を引き締める。 「向こうも目を付けられていることくらい承知しているだろうが、どうも目立ちたがりの傾向が強いな。ディアーナ殿に報告と、例の女の所在確認を」 先日、ソーンの叔父トゥナーダ・ガリの領地内にて、水源に鉱物毒を混入させた事件。その際に犯人を旅芸人や行商人だと名指しした人物の特定を進めさせていたガリ家では、大体の発生源を特定することに成功した。 もとから推測されてはいたが、元ツナソー領主・バトラの家臣で、この地域にガリ家派遣の役人や騎士を装って入っていた者達が発生源だ。ただし当初はかなり詳細な目撃証言の形を成していた。 「赤い服に首飾りの女が率いる一座の者が、山に分け入るのを見た、か」 疫病発生を疑われる数日前、この頃に村にやって来ていた旅芸人一座が問題の水源がある方向に歩いていったと、騎士の一人が口にしていたのだ。話が広がる過程で赤い服と首飾りは外れて、旅芸人一座の部分だけが伝わったようだ。 だが、近隣に今まで見た事がない女座長の一座が来たのは事実で、調べていくと皇女ディアーナ率いる保安省が動向を見張っている女に酷似していることまで判明した。この情報の後、子飼いの吟遊詩人と神教会取締官を向かわせたところ、一座の演目の大半に神教会の影響が色濃いことも報告として上がっている。昨今の流行とはまるきり縁遠い演目ばかりだったというから、本職ではない可能性が高い。 そして、それを率いていたのがヴァイツァウの乱を引き起こした元凶だろうアヤカシの特徴に当てはまる女では、バトラが神教会信徒と手を組んだという情報がなくても、色々疑ってみなくてはなるまい。 場はそんな緊張感に包まれていたのだが。 「話に聞いていたのと違って、案外趣味の悪い女ですね。赤い服に赤い宝石とは、どこの田舎者なのやら」 「アリョーシャ、斬新な意見だな」 「こちらは旅芸人を子供の頃から何百人も見ておりますから。それを踏まえて言わせていただくなら、この報告通りの大きな宝石を移動の時まで身に付けるのは、旅慣れた女ではありませんよ」 旅芸人なら紛失や無用の揉め事を警戒して、貴重品はまとめて保管するのが定石だ。ミエイ領主アリーシャ・クッシュは、その領内に冬季に多数の旅芸人一座を一時滞在させる仮村を持っていて、当人が言うように多数の芸人を見てきている。 その定石から外れるのは、旅芸人を装った人物か、目的があって旅芸人に罪を被せたか、わざと姿を見せつけたか。 「問題の女の前歴からすると、わざわざ見せ付けてくれた可能性が高いか」 「旅芸人や行商人が移動出来なくなると、こちらの情報収集も滞ることもご存知の輩が向こうにはいる事ですし」 旅芸人や行商人に保護を与え、冬季の滞在先まで用意させているガリ家の政策は、通商等の活性化目的と同時に、領内各地の状況報告をさせるためでもある。それでも東部に神教会の隠れ信徒がいたことなどは先日まで知らされなかったが、その当時の芸人達は争乱の種にはならないと判断して、自らの生活を優先したのだろう。 流石に今回の騒ぎで旅芸人達もより篤い保護を求めたくなったようで、各地に神教会信徒がいつ頃までいたかとか、関係する廃墟がどこにあるとか、なじみのない旅芸人や行商人がどこに現れたかなどと次々と知らせて寄越していた。これと各地の領主の調査を照らし合わせると、バトラ一党の足取りが朧に見えてくる。 「入らずの森か。また面倒なところに」 「地元の者は、ちょっとは入り込んでいますが‥‥うちと縁がある薬草師に地図を描かせても、この程度の精度です」 ガリ家直轄領の入らずの森は、立ち入り禁止というわけではない。けれども地面のあちこちに大小さまざまな穴が開いていて、不用意に入ると落下する。運がよければ救出されるが、大半はそのまま戻らないので、地元の限られた者が、当人達だけよく知っている場所にだけ入っていく土地になっていた。よって他所の土地の者には、入らずの森として知られている。 そんな場所で、アリョーシャが急ぎ地元民に描かせた地図も現地の目印と一つずつ照らし合わせれば、描かれた場所はなんとか歩けるという精度。数年に一度、余所者か子供が入り込んで行方不明になると、そういう者を先頭に、数人ずつ腰に結んだ縄を繋いで、足元を棒で確かめながら離れて歩くという。誰かが落ちたら、他の者が繋がった縄で引き上げるのだ。 何を考えたか、バトラ一党はこの森の奥に分け入ったらしい。大きな荷物を運び込んでいたとの目撃証言があるが、今まで地元から報告がなかったのは、相手に貴族らしい者が含まれていたから寄るな触るなと見ない振りをしたからだ。どうせ奥まで入れないから、すぐに立ち去るとも考えていたようだ。 だが、集まった証言を重ね合わせても、森から出てきた者はいない。 「薬草師の他に、誰が入っている?」 「猟師が三人か四人、他は森の幸拾いに長けた者が数家族でしたか。‥‥直接縁はないので、所在は確認しておりません」 ソーンの問い掛けに、アリョーシャは前半すらすらと、後半はかなり緊張した声色で答えた。 「よし、開拓者に集めて向かわせろ。まずは森に入れる連中の所在確認。行方不明者がいたら、案内に使って奥まで入ってるだろう。追跡して、居場所だけでも確かめるんだ」 「近くに兵を待機させますか?」 最初の娘が尋ねてくるのに、ソーンは身振りで拒否を示した。代わりに要求したのは、小型の飛空船の手配だ。 「あんなところに兵士を入れても、被害が出るばかりだ。いざとなったら、上から焼いてやる」 「森のすぐ外は人家もある場所です。まずは開拓者にバトラの捕縛を目指させてください」 過激なソーンの意見に絶句した娘に代わり、アリョーシャが溜息混じりに意見した。 神教会残党と手を組んでいる現在、バトラを捕縛しただけで叛乱の種が摘み取れるとは限らないが‥‥要を一つ失えば、その勢力を瓦解させるのは容易くなるだろう。 ただし。 敵にはからくりの兵力と、地の利が味方している。 |
■参加者一覧
ユリア・ソル(ia9996)
21歳・女・泰
フラウ・ノート(ib0009)
18歳・女・魔
ヘスティア・V・D(ib0161)
21歳・女・騎
アイリス・M・エゴロフ(ib0247)
20歳・女・吟
アレーナ・オレアリス(ib0405)
25歳・女・騎
葉桜(ib3809)
23歳・女・吟 |
■リプレイ本文 地図と言ったら、周辺の詳細さと比較したら泣きたくなるような、子供の落書きみたいな出来のものが寄越された。所々に印が付いているのは、薬草の群生地らしい。 「悪ぃけど、こういうのまで守れないぜ」 「致し方ない。焼き討ちでは回復が難しいから、踏み荒らす程度に留めてくれ」 貴重だろう群生地を端から無視すると宣言したヘスティア・ヴォルフ(ib0161)に、ミエイ領主のアリョーシャ・クッシュは不承不承頷いた。叶うなら踏み荒らすのも避けて欲しいだろうが、そんなことが言える事態でないのは理解しているのだ。 それでも、そんな物言いで大丈夫かしらとヘスティアの幼馴染みは少しばかり心配したが、過去に依頼人として顔を合わせている相手との打ち合わせで、ヘスティアは無駄な時間は使わない。貴族社会の儀礼的な挨拶など、こういう時はかっ飛ばしていいと考える相手かどうかくらいはちゃんと覚えていた。 「じゃ、この薬草師のとこに直行して、そこから他の人らを教えてもらって調べておくよ。どこで合流しようかね」 「集落の長のところが良いでしょう。先方に、バトラ達と混同されては困ります。そう、早いうちに私共も来ることを知らせておいてくださいませんか」 同様に無駄な時間は厭うが、身に染み付いた言葉遣いまでは変わらないアレーナ・オレアリス(ib0405)も、アリョーシャには目礼だけで済ませて話に参加していた。流石に他の四人は名前くらい名乗るが、先の二人がこれだからまさに名乗っただけだ。 「ここの森には、神教会絡みの場所や逸話があるのかしら? ヨーテでもそういう場所を目指していたじゃない」 何かあれば、向かった方角の目処くらい付くかもしれないと、ユリア・ヴァル(ia9996)が神教会関係の調査官に尋ねると、場所柄そうした話は聞いていないと返された。地元の住人も入っていかない場所だから、いかに迫害されても信徒も入り込まなかったのだろう。 だが逃げるためだけに入り込むには、あまりにも活路がなさすぎる。おそらくは目的地があるはずだ。 「焼き討ちは避けたいものですが‥‥思い切ればそういう方策があると、バトラも気付くはず」 「そうだよね。上空から探し当てられて、魔法でも喰らったら終わりだし。こっちが走って追えないのと、向こうが逃げられないのは一緒なんだから」 そこに大荷物まで抱えていくなら、確実に何かがあると、イリス(ib0247)とフラウ・ノート(ib0009)も額を寄せ合うようにして、地図や他の図面を次々とめくっていた。最初に見た、前回の鉱物毒混入犯らしい女の似顔絵はイリスが何度も目撃しているフェイカーと似ていたが、同一人物と断じられるほどではない。目撃者の記憶が後の騒ぎであやふやになっているのだろう、証言にもばらつきがあったそうだ。 もちろん本人を見れば、間違えるはずはない。だがこれまでのところ、それらしい女が森の中に入ったとの証言はないようだ。顔を隠していた者も多いので、それに混じっていたか、それとも別行動か。 「顔を隠していた中には、からくりもいるかもしれませんね」 人が多ければ、それだけ痕跡も残るし、隠れるのも難しい。だから忍犬・土筆に匂いを追わせれば、速やかに現在地に辿り着けるのではないかと葉桜(ib3809)は考えていたが‥‥からくりが多数含まれていたら、痕跡と匂いにずれが出るかもしれない。 色々と出てくる予想への対処方法を検討し、もう一度先行のヘスティアとの合流地点も詰めて、 「いい加減、バトラを追うのも飽きてきたわね。そろそろ決着といきたいものだわ」 ユリアの言い分に、皆が頷いたのが、出発の合図になった。 「もうすぐ収穫時期だ。そんな時期の農民に、焼き討ちの手伝いなどさせたくない。死体でもいいから、連れて帰ってくれ」 アリョーシャの見送りは、なかなかに物騒な言葉だった。 駿龍・ネメシスを駆って先行した集落では、このところ度々領主から人が遣わされて来ることに緊張した面持ちの薬草師がいた。それでも慣れてきたのか、ヘスティアが森に詳しい者がいる家に行きたいのだと告げると、すぐに空から分かる目印を説明してくれる。 「この後で、仲間が五人ばかり来るんで、長に連絡しといてくれるか。ついでにちょっと休ませといてくれるかな」 「そりゃ構いませんが‥‥龍はたくさん置いとく場所がないですよ」 「あー、それは平気。馬車で来るから。全員女だから、一部屋でいいよ」 万が一に夜に着いたら、一部屋に放り込んで構わないと言われた側が何か問い返そうにも、その時にはヘスティアはネメシスと共に空に飛び上がっていた。 集落と言っても、人家は数軒ずつ点在している。森に詳しい人物も、その小さな集団に一人か一家族の割合で、あちこち飛び回る必要があった。ガリ家が把握していたのは、この集落の人口や生産物で、細かい住人の名前や特徴は現地でなければ分からない。そんなところまで全部調べつくしていたら気色悪いが、今回ばかりはヘスティアの仕事が多くなる寸法だ。 「しかし、薬草師は別に何かあったって風ではなかったな」 ヘスティア達の見立てでは、バトラ達は森に詳しい者を案内に使っているはずだ。少しでも早く奥を目指すなら最善の策だが、それなら誰か行方不明者がいるはず。その割に集落ではまるで慌てた様子がないのは気に掛かる。 一人暮らしで数日いないくらいは当たり前とか、そういうのも念入りに聞き出さないと駄目そうだと考えたヘスティアだったが‥‥ 事態はもう少しややこしかった。 馬車の手綱を握っていたのがイリスだったからか、後から駆け付けた五人は当初は何者かという顔で迎えられた。身分証を示して、先に仲間が寄っていないかと尋ねたら、子供につまらなそうな顔をされたくらいだ。旅芸人あたりと間違えられている。 「ここにも、旅の一座が来たりしますか?」 仮装と間違われている気配濃厚だが、子供が物珍しげに耳を触ろうと寄ってきた葉桜が訊いてみると年に一度だけ、決まった一座が寄るという。もちろんそれ以外が来たことなど子供の記憶にはなく、それらしい華やかな恰好、具体的に赤い服や宝石などは大人も知らなかった。 そうした話を再確認しながら、ユリアは村長や老人を中心に、改めて森に神教会縁の建物や逸話がないのかを尋ねていた。もちろん、それらがあったからといって住人に不利益はないと重々念押ししてのことだ。 「そういうのを探しているらしいのよ。だから、噂でもいいから何かあるのではないかと思って」 「単に珍しいものがあるとか、そういう話でもいいよ〜」 ユリアも身分証が役人の割ににこやかに、横で合いの手を入れるフラウにいたっては役人に見えない言葉遣いで問い掛けるから、禁教の話で気後れした様子の住人達もすぐに気持ちがほぐれてくる。だが森の中に神教会関係の話がないのは間違いなく、住人達はもとより縁がないらしい。 それでも、とにかく内部に関係する話と言っていたせいか。 「風穴の幾つかは、中で繋がってるよ。わしが子供の頃、兄さん達が入って滑り落ちて、運良く別の穴から這い出てきたんだ」 今ではどの穴のことだかさっぱり分からないが、新しい情報だ。加えて、穴はたまに突然地面が崩落して現れることもあるそうだから、あちらこちらで繋がっているとの推測も出来る。たいていは垂直に穴が開くから、降りていくなんて考えもしない状態だと見たことがある者は口を揃えるが、奥に何かがあるのならわざわざ潜る価値はあるかもしれない。 ただ問題は、今でもたまに穴が開くという点で。 「歩いている最中に足元が抜けるのだけは、対応が出来ませんね」 見て分かるものかしらと、イリスが表情に困惑を滲ませている。広範囲の陥没に巻き込まれて負傷でもしたら、時間が無駄になるばかり。フラウが長い棒を用意しているが、それで確かめつつ進むのも陥没に役に立つかいささか不安である。 忍犬・ゆきたろうにバトラ達の匂いを追わせて、彼らが通った道を行くのが一番安全かつ早そうだが、それにはどこから森に入ったのかがはっきりしないといけない。 「小川が一本、これですね。水源は森の中ですか?」 森の外でも分かる範囲での水が汲める場所を訊いて回っていたアレーナが、問題の集団の一部がその小川沿いに森に入ったと聞いてきた。他にもぱらぱらと森に入った一団の情報は分かるが、ほとんどが伝聞で、これまでに調べに来た者達が集めた情報を村長等も知っているといった感じである。 ことと次第では、手分けして証言者から詳細な聞き取りでもしなくてはならないかと、一同が考えていたら、ユリアの迅鷹・アエロが上空を旋回するのに気付いたヘスティアが戻ってきた。 そして。 「子供?」 行方不明者に、子供も含まれることが判明する。 上空からの調査では、流石にバトラ達と思われる姿は視認出来なかった。けれども、あると言われていた空き地は五つ、大体の場所が分かる。一つは池があって木々がなく、三つは大穴が開いていて地面が十メートル以上窪んでいる。残る一つは草ばかりに見えたが、どうやら岩が埋まっているらしい。 池は森に入る猟師が知っていて、そのまま飲んでも害はないと断言した。水場は獣も集まるから、猟師仲間は何かと立ち寄る場所だ。それぞれ住んでいる所が少しずつ違うので、そこから池に至るまでの地域で狩をしているとか。 野草、薬草などを採りにいく個人や家族は、また別に家の近くから奥に入る地域に入り込むのだが、 「子供を連れて行くとは、卑怯にも程があるわ」 ヘスティアから話を聞いてから何度目になるか、ユリアが棒で足元を突きながら吐き捨てる。村長達も驚愕したが、バトラ達と思しき集団はやはり森に詳しい住民を四人連れ去っていた。うち一人は五つの女の子で、その父親と叔父、十五歳の従兄が道案内をさせられているらしい。いずれも度々森に入っている人々だ。 「女の子は間違えようもありませんが、他の三人は背格好や髪の色くらいでは判断しにくいですわね」 年子で顔立ちがそっくりな姉妹がいるという女の子は、特徴がかなりはっきり掴めた上に、年も年なので他の誰かと間違えることはほぼありえない。けれども他の三人は、三人並べると血縁がはっきり分かるくらいに似ていると集落中の人が口を揃えたが、アレーナがまとめた名前や特徴を記した書面だと、髪の色は茶色で、背丈は従兄がフラウと同じくらい、親二人はユリアくらいで、目だってどうというところはない。一人でバトラ一行に混じっていたら、見分けが付かない可能性は高かった。 なにより、女の子という人質がいるので、あちらの言う通りに三人が動いて、結果敵対する羽目になるやも知れず、イリスや葉桜はずっと硬い表情を崩さないが、忍犬のゆきたろうも土筆も、そういう態度は少し気になりつつも、匂いを探して歩いていた。 唯一、一行の中で伸びやかなのが、猫又のリッシーハットで。 『こんなに跡があれば、そのうち追いつくさ。最初に人質を取り返せば、その三人だって教えてもらえるだろ』 「うっわー、五歳の女の子に無茶言うよ」 行く先の異変がないかをよく確かめるようにと役目を与えられているリッシーハットだが、相当の人数が通っているからだろう、小川沿いには道と呼んで差し支えないものが出来上がっていた。予想はしていたが、地上を行く五人共に拍子抜けするようなくっきりした跡だ。それでも念のため、ユリアが通った後を他の四人が続いているが、地上にじっくり視線を這わせているフラウにも、リッシーハットに言い返すくらいの余裕はある。 ちなみに忍犬二頭が追っているのは、連れ去られた親子の匂いだ。流石にバトラ達は集落に何も残しておらず、姿を見せたのも十日前のことなので、親子の衣類を借りてきた。女の子は誰かが抱えて歩いたか、まるで匂いが残っていなかったようだが、他の三人の匂いを必死に探しているらしい。こちらも薄れたのかよく迷っている様子だが、明らかに最近切り開いた後がそのままなので、追う側も迷わずに進んでいるところだった。 「人らしい音はしませんが‥‥ヘスティアさんのネメシスの羽音は聞こえます。向こうが同じことをしていたら、もうばれていますね」 時折、超越聴覚で周囲の様子を窺う葉桜が、相変わらず近くに人の気配がないことを皆に知らせた。その際にヘスティアが上空で監視していることが、枝の連なりで見えなくても分かるので、もちろんバトラ達に捜索が知られている可能性はある。 「この少人数では、向こうもテイワズだけだと思うでしょうしね」 消耗覚悟で隠れ潜まれると、人質が心配だとイリスが思い悩んでいる。だが、戦闘とそれに続くユリアとフラウは、違う事に気付いたようだ。 「これ、わざと広く切り拓いたかもね」 「うん、念入りだよ。普段からこうなら、この辺はもっと道があると思うけど、今回は特別ぽい」 連れ去られた四人の家は、身内だけで四軒が固まっている場所だった。バトラ達がそこに来たのはたまたまだろうが、他の住民に知らせたらただでは済まないと脅かされていて、身内が心配なあまりに他の家に知らせずに気を揉んでいたという。そこにヘスティアがやってきて、森に入ったきりの者がいないかと尋ねてきたので、助けてくれと洗いざらいぶちまけたのだ。 『ほら、俺は住人じゃないからね。約束は破ってないわけさ。ま、俺が行かなくても、後一日か二日で村長の所に駆け込んでたろうけど』 たまたま自分を『街の役人の代理』と言いながら様子見に行ったヘスティアは、その一言で相手の緊張がたまたま解けたようだと苦笑していたが、四人を連れ去った連中は騎士や魔術師の類ではなかったらしい。そこに龍に乗った騎士が来たので、家族も縋る気になったのだろう。 その家族は、事情を確認にやってきた全員が女性では、相手方はほとんどが男だったのにと不安そうにしながら、当然のごとく協力的だった。持っていった似顔絵から、該当する七人ほどを見付けて、家にやってきた時の服装なども覚えている限りを話してくれる。 この時に六人が気になったのが、連れ去られた人々がいつも森に入る時より大きな鉈や斧を持って出て行ったという母親二人の証言だった。バトラ方も武装は警戒したろうが、慣れた道具でなければ危なくて案内できないと主張した三人は、森歩き用より大きな道具を持って出掛けている。連れ歩く人数が多いからかと、その話を聞いた時には皆が思ったが、わざわざ広く切り拓いている様子だと思えば‥‥ 「機転が利く人達のようね」 イリスが、幼馴染み相手の時だけの口調で感嘆を漏らした。すぐ後ろで頷いたのは葉桜だったが、イリスも少しは安堵したのが表に出たのだろう。 ただし、その道もしばらく行くと小川から離れ、徐々に狭くなっていった。挙げ句に、随分前に地面が陥没したと思しき穴の手前で、突然途切れている。そこから先は、下草を掻き分けつつ、左右どちらに移動したものか‥‥探すのはいささか骨が折れそうだ。 五つある穴の一つ、大穴の一つに仲間の姿を見付けて、ヘスティアは上空を旋回した。仲間の位置を確認した印で、すぐに向こうからも合図が返って来る。 「んーと、ここから入って、あそこに抜けると。ここまでは姿が見えたから、どこかで折れたな」 地図というには物足りない図面だが、自分が視認した区画と仲間達が歩いたはずの場所をざっと記して、ヘスティアは捜索した大体の範囲を割り出した。 集落で聞いた話をすべて総合してガリ家の情報と照らし合わせると、中に入った人数は二十人を超える。歩き回って探し当てるには多いとも少ないとも言い難いが、こちらが捜索範囲を広げれば、向こうも某かの動きを見せるだろう。 それを見逃さないように集中し続けるのは少しばかり苦労だが、地上を歩くよりは楽をしているのだから仕方ない。下から突然攻撃される危険性はまるきり頭から排除して、ヘスティアは皆が辿っただろう経路を逆に辿って、何か変化がないかを調べ始めた。 どうして歩き方が変わったのかわからないまま、下草を掻き分け、頭上の枝をあまり折らないように注意しながら歩いたと思しき跡を、地上の五人はなんとかかんとか人が歩いた形跡を辿りつつ追っていた。突然現れる穴に足を突っ込むこと六、七回、滑落はかろうじて免れながら進んでいるうちに、土筆とゆきたろうの態度が変わる。 それを見て、するりと先に進んでいったリッシーハットが、十数メートル先から警戒の鳴き声を寄越した。人がいた痕跡を見つけたと知らせる鳴き方だ。だがどんな術にも人が近くにいる気配は感じ取れず、その痕跡が発見された場所まで行ってみても、何がそれだか分からない。 『そこの木の下に縄張り主張してるよ』 なんで分からないのと言いたげに、リッシーハットがフラウを見下ろしている。ゆきたろうと土筆も、尻尾を振って何か訴えているが‥‥そういうのは、人にはなかなか分かりにくい。 「ま、方向はあってたってことでいいじゃない。こっちの方は、何かあったかしらね」 「多分、右の方向に池ですわね。空き地も近そうですけれど、水場がより重要かと思いますわ」 ユリアが『人が通ったのは間違いない』と先に進むことを提案し、方向はアレーナの水場を優先するべきとの言が入れられた。案内をしている三人は池には行った事がないはずだが、この方角にあることは知っている。大人数の先導を任されたなら、水の補給は優先順位が高いはずだ。 この読みは正しかったようで、少し進むとまた道を開いた跡が所々に現れた。最初のような、道を作る勢いではないが、通りにくい場所で的確に枝を落とし、下草を払ってある。そうして辿り着いた先は、やはり池だった。 「今度は、ちゃんと分かりますよ」 土筆が草の踏み固められた場所があるのを見付けて、前足を踏み鳴らして知らせてくるのに葉桜が応えている。ゆきたろうもその周辺に行き来した跡を示すのに忙しいが、どちらも態度からすると、集落から連れ去られた四人の匂いは嗅ぎ付けていない。別の匂いがするようで、行きつ戻りつしながら嗅ぎまわっていた。 木の上では、リッシーハットが折れた枝の在り処を、これまた前足でフラウに示している。それらを総合すると、更に奥の方から何度か往復しているようだが、どこに向かっているのかはっきりしない。 それならば待つしかないと、五人は池の近くで身を隠せる場所を探し始めた。上空のヘスティアには、あらかじめ取り決めたとおりの方法で、次の方策を知らせる。 しばらくして、上からはアエロが甲高い声で鳴くのが聞こえてきた。 仲間達が水場での張り込みに入った翌早朝。 まさか一晩中飛び続けることは出来ないから、ネメシスと共に集落に戻ったヘスティアは再び出発の準備を整えていた。行方不明者が出ているから、集落の人々も経過は気にしているが、細かいことは教えていない。バトラ達に知らせに行く者がいるとは思えないが、どこから漏れるか分からないからだ。森の縁から聞き耳を立てるくらい、出来る者が混じっている可能性はある。 「遅くても夕方に戻ってくるから、何かあったらその時に教えてくれな。でも騒ぎが起きても、入ってくるなよ」 とにかく夕方には様子が分かると、村長は納得した顔付きで頷いた。行方不明の四人の家族は不安で仕方ないといった様子だが、村長が落ち着いているから任せて大丈夫だろう。 それでも家族を安心させるべく笑いかけて、あんまり上品な笑い方は出来ないから成功したかなと悩んでいたら‥‥ 「! 行ってくるぜ!」 森の中から、赤い尾を引く照明弾が駆け上がるのが見えた。 まだ虫が大量に出る季節でなくてよかったと、五人全員が思った一晩が過ぎて、森の中にも朝日が差し込んできた頃。 『‥‥』 枝の間に隠れたリッシーハットが、軽く枝を揺らした。じっと潜んでいた五人が池の方向に目を凝らすと、三人ほどが近付いてくる。 「道を作れば、もっと簡単に歩けるのに」 『それは駄目です』 やってきたのは十代半ばの少年が一人、それから人型のからくりが二体。少年は小さい水袋を幾つか、からくりは大きな袋を一つずつ持っている。少年はずっとぶつぶつ文句を口にしていて、からくりはいちいちそれに答えていた。からくりは開拓者ギルドで時折見られるものと比べても、表情や口調は固いが動きだけは滑らかだ。手にした袋の大きさから、力も相応に強そうである。 見たところ少年には怪我もなく、顔色も悪くはない。全部が聞こえるわけではないが、話す内容からすると連れ去られた少年に間違いがないようだ。表情に険があるのは、置かれた状況のためだろう。それを除けば、集落で聞いた特徴に合致していた。 穴の奥まで調べに行くなんて、おかしくなったとしか思えない。もう諦めたほうがいい云々。少年はからくり相手だと繰言になってしまうが、言わずにいられない様子で水を汲む間も口を動かし続けていた。作業が終わると、不意に黙って歩き出したから、往復の道は歩くのに大変で愚痴を零している場合ではないのかもしれない。 更に行きとは違って荷物が増えているから、がさがさと音を立てて歩いていく少年とからくり達の姿が消えるまで見送った五人は、ようやくそっと動き始めた。音で行く方向に目処をつけて、彼らが十分離れてから追いかけ始める。 途中、踏み込むならら食事時を狙おうと身振りだけで相談がまとまって、時間を掛けて少年達の戻った場所を探しあて、人数を確かめていると。 しゅんっ 風を切る音と共に、細い刃物が飛んできた。 「ゆきたろう!」 「土筆っ」 『まだ来るぞ!』 樹上から飛んできた刃物は鎌の様で、リッシーハットの警告通りに次々と繰り出された。操るのは蜘蛛のような多足を枝に絡ませたからくりで、腕は先が刃物の四本が長く伸びている。 「あらまあ、降りてきたら役に立ちそうにない体型ですこと」 あやうく首を切り飛ばされるところだったはずのアレーナが、平然かつ艶然と笑って見せた。その台詞を言い終わる頃には、十数人が野営していた場所に忍犬達と一緒に飛び込んでいる。 「アーマーケースっ、騎士か!」 「たかが四人だ」 一番手前の二人には、忍犬達が飛び付いていた。その勢いで二人は立ち木にぶつかり、アレーナが突っ込む隙を造る羽目になったけれど、あいにくと拓けた場所ではないから得物を抜いたアレーナも全力が出せるわけではない。アーマーケースは放り出したが、それでも時々木々の枝に肩が突っ込みそうだ。 続けてイリスが木々の間を縫って、水を運んでいたからくり達のいる方向に走っていく。こちらも全力疾走には程遠いものの、無手のからくりでは対処のし様もなかった。 「おとなしく縛につきなさい。そうすれば取り成すことも可能です」 士道も使った呼びかけは、甲高い声で泣き出した子供を抱えた男を背後に庇ってから。 けれども、この呼び掛けには失笑しか返らない。 「顔にも覚えがないが、貴様はトゥナーダの性格も知らない新参者か」 ガリ家当主がそんな甘い判断をするものかと、鼻で笑い飛ばしたのが似顔絵で見慣れたバトラだった。読み込んだ資料には、細かい特徴も書き連ねられていたが、今確認出来るのは顔だけだ。とりあえずそれだけを考えれば、当人にしか見えない。 四人なら騎士と魔術師が相手でも負けるものかと、後方で樹上のからくり相手にいささか苦戦しているユリアと、二人が敵方に飛び込んだせいで掛ける魔術に途惑っている気配のフラウに一瞥をくれて、態勢の立て直しを矢継ぎ早に指示し始めた。 と、懐に手を入れたフラウが、抜いた腕を上に伸ばして叫んだ。 「たった四人で来たと思うのは阿呆だよーっ!」 ずんと響いた銃声に、泣き声が止まった。敵方の視線がその音にひきつけられると同時に、バイオリンの音色が流れ出る。 「それと、装備で相手を判断するのも考えものよ」 そんなことで今までどうして捕まえられなかったかと、ぼやいたのはユリアだ。その前には、イリスに向けて術が放たれている。 この頃には葉桜の夜の子守唄で、ぱたぱたと倒れ伏す者が出てきた。バトラはふらついたところを、側近らしい男に助け起こされて正気付いたが、残ったのは半数に満たない。人質になっていた女の子とその家族の四人は、地面に伸びたところをアレーナとフラウが自分達の後ろに回していた。 誰かの舌打ちが妙に大きく響いた時に、イリスがバトラに向けて飛び込み、すんでのところでバトラがかわした。木や人が邪魔する狭い場所で、足元に倒れ伏す者は踏みつけになる。バトラ達も仲間より我が身を守る事に重点を置き、からくりが加わってイリスの進路を妨害し始めた。 当然、ユリアとアレーナも攻撃に加わり、バトラを狙うが‥‥ 「自分が先に逃げるなんてありえなーいっ」 防御を下げる術をバトラに掛けたフラウが、悲鳴のように叫んだ。が、どういう思考なのか、バトラの配下達は微塵もおかしいと思っていないらしい。からくりにいたっては、フラウの言うことが理解出来ていないだろう。 しかもバトラが向かったのは、木々の向こうにぽかりと口を開けていた風穴の一つ。どの程度の深さか、迷うことなく飛び込もうとしたバトラは、頭上から降ってきた羽音に思わずといった様子で上を振り仰ぎ、 「逃げるも死ぬも許さねえぞっ」 折れた枝と一緒に振ってきたヘスティアに組み付かれ、諸共に穴の中に転げ落ちていった。 予想外の光景に、残った者達は敵味方で睨み合いながら穴の近くまで駆けつけ、 「心配すんなっ、生きてるから!」 「貴様はどこの蛮族だっ」 思いのほか浅い穴の底で、二人が掴み合いをしているのを確かめて、手を貸すために相手の無力化に全力を注ぎ始めた。 森から出て二日目。 「まったく、技が不発ってどういうことなの」 「あー、もう聞き飽きた。たまにはそういうこともあるって」 「どじっこ?」 呆れ果てたと繰り返すイリスに、きゃあきゃあと言い合っているヘスティアとフラウの様子に、駆け付けたガリ家の家臣達が少しばかり呆然としていた。訓練された騎士と兵士で組織された彼らでさえそうだから、集落の人々は最初は何事かと眺めていたし、捕らわれた側は憤死しそうな有様だ。 結局全部で十二人を捕らえ、六体のからくりを叩き壊した一同は、まず最初に人質になっていた四人とバトラを集落に連れ出した。それ以前に重傷者にはユリアが閃癒を使ったが、一番重傷がネメシスから飛び降りたヘスティアだったもので、イリスの気持ちはまだ治まらない。フラウも態度は異なるが、気分的には大差なかろう。 それはそれとして、足元が悪いところから十二人を担ぎ出すのは、開拓者六人でも手間の掛かることで、猟師達の協力を得て、池までの道を切り開いてもらう騒ぎになった。バトラもその一党もまるで観念していないから、縛り上げて運び出すのは集落の人々には任せられない。それで、森の中と集落に見張りを残し、更に担ぎ出すのに二日も掛かったのだ。知らせを受けた家臣団が駆け付けたのは、ちょうど全員を担ぎ出して、六人が一息ついていたところである。 「特徴は合致してましたが、確認はまたそちらでお願いします」 少々締め上げたくらいでは、十二人の誰一人として自分の名前も口にしないので、皆もバトラだけは身体特徴を念入りに確認していた。ユリアがその旨を報告すると、家臣団が僅かに安堵の表情を見せ、すぐに真剣な態度になって十二人の身柄を引き受けた。 「なんだか、動物でも入れるような‥‥」 「あれは罪人移送用ですね。猛獣用と大差ありませんけれど」 葉桜が十二人をまとめて押し込んだ檻の載った馬車を見て、その頑丈さと汚れた様子に顔をしかめた。対して、どこかで見たのかアレーナは落ち着いた様子だ。 集落の人々は、最初こそ家族親戚、友人知人に危害を加えた相手として憎々しげに見ていたのが、危険が去る段になると物珍しい見世物が去るのを残念がるような風情でいる。その中で、連れ去られていた少年がいまだ険しい顔をして見ていたが、葉桜が見詰めると目元を和ませて会釈を寄越した。 「よう、家族はどうしたー?」 「今朝は寝小便垂れてました‥‥いや、俺じゃなくて!」 責められるのから逃れようとしたらしいヘスティアから声を掛けられた少年は、ようやく笑顔で声を張り上げたが、後半は悲鳴のようになった。『お前が?』と手で指したヘスティアは、イリスとフラウに突付かれている。 真っ赤になった少年が集落の人々にからかわれている中、家臣団は馬車を動かし始めた。 「逃げていると思しき輩は、周辺の町村に網を張りますので。ここにも人を置きます」 家臣団の代表が、開拓者にだけこそりと声を掛けてきた。 森に入ったはずの人数と捕らえた人数は、合っていない。その痕跡もなかなか見付からないままだが、それらの調査は家臣団が引き継ぐ事になっていた。 「からくりの数がね‥‥」 気になるのはそこだと、そう呟いたのは誰だったか。 |