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■オープニング本文 ジルベリア帝国保安省庁間を務める皇女ディアーナは、この日訪れた客の顔を見て、上品に吹き出した。それに釣られたように、周りの部下達も表情を緩める。 あからさまに顔を笑われた形の客は怒るでなく、妙に真剣な顔でディアーナの方に身を乗り出した。 「そんなに似ているか?」 「ええ、少し驚いたわ。そうね‥‥陛下の三十年位前の肖像画とそっくりよ」 「我はそれほどとは思わないのだがなぁ」 来客の名前は、ソーン・エッケハルト。 ディアーナとは母親が違うが、彼もカラドルフ大帝の子供の一人だ。とはいえ、二人が顔を合わせるのは何ヶ月ぶりか。 互いに皇帝の子供であればこそ、それぞれに背負う責任がある。ソーンは戦があれば、相手を問わずに出て行くし、ディアーナも保安省の仕事で各地に出向くこともある。ほかの兄弟姉妹も同様に、半年やそこらは顔も見ないこともしょっちゅうだ。 「ソーン殿、事実は正しく認識しなくてはね。いつからその髪型に?」 「つい三日前か。またぞろ見合い話が来ていたが、たまたまこの髪型で出掛けたサロンで、それまでと違う反応を示すのが多くてな。ふるいにかけるのに、ちょうどいい」 「あらあら。開拓者から花嫁探しをしていると、もっぱらの噂だけれど?」 「さえずるばかりの小鳥よりはいいかもしれないな」 「‥‥随分、本腰を入れているようね」 元から父親そっくりの兄弟が、髪型まで同じにしたのをひとしきり話題にしていたディアーナも、ソーンの側近が差し出した書類を見ると表情を改めた。 「ガリードは、相変わらず神教会が隠れていること」 「元は自分達の土地だと思うようだ。聖職者が三人ばかり見付かった」 「扱いは如何様に?」 「いつもと変わらず、棄教しないのなら強制労働地区にやるまで。のはずだが」 ソーンの母方の叔父が治める地域にはきちんとした名称がなく、帝国中央では便宜上ガリードと呼んでいる。領主家がガリといい、その土地という程度の意味だ。普通ならガリ領とでも呼ぶのだろうが、この地域は各都市や町村ごとに住む氏族や風習が違い単一の呼び名を嫌うので、領主側も遠慮した形だ。 帝国内の全ては皇帝のものと称する中では珍しい態度だが、百年前までは神教会の自治都市があったりした土地柄ゆえに、征服後も人心に配慮した政策が続いているというところだろう。ガリ家は領民にはかなり甘いとも評されている。 ただし、神教会の信徒や聖職者への弾圧ぶりは、保安省の担当部局と大差ない。時と場合によってはより苛烈だ。最近も膝元の都市の貧民街の開発と同時に、そこに潜んでいた神教会聖職者達を捕らえたという報告を持参したものである。 ガリードは度々信徒や聖職者が見付かるので、ディアーナとソーンが顔を合わせる機会は、他の兄弟姉妹達より少し多い。 そして、今回はただの報告では済まない事柄もあった。 「うちの不手際は耳に入っていると思うが」 「領主への家臣の反抗程度なら、我々が出るまでもないわ」 「奴ら、方策が尽きたか、神教会の残党と手を組んだかもしれん。そして先日来、領内で起きた伝染病疑いの異変は、水源に毒が混入された可能性があると報告があった」 「‥‥それで?」 「今回捕らえた中に一人、過激な宗派の出身者がいた。信仰を棄てた者が正しい道に戻るためには、殺して神の元に送り込むのが一番だそうだ。‥‥他の地域に、同様の組織はあるだろうか?」 しばらくディアーナの指示で各地の資料が検められたが、これまでに摘発された中に殺人を是とするほどの組織はほとんど見られない。数件の過激な主張は、元の組織から弾き出された狂信者の証言だ。 双方がこの件をもう少し相談すべきかと、それぞれの予定を変更出来るか側近と相談を始めた時、新たな報告がソーンの元に届いた。わざわざ要人を訪ねているところに来るのだから、緊急に決まっている。 「すまないが、この話は移動の際にでも」 「伝令なら貸すけれど」 「いや、今すぐに動ける連中を探して、開拓者を送り込む。まだ伝染病の疑いが晴れたわけではない土地に、貴重な戦力は借りられぬ」 今のが開拓者から花嫁を探そうという男の言うことかと、ソーンが立ち去った後だとしても口に出来るのは、ディアーナが皇女だからだろう。 領内の水源汚染が疑われ、病人が多数存在する町村の一部に、原因の毒を撒いたのは旅芸人達だとの噂が突然持ち上がった。あまりに多数の病人が短期間に出現した町村の住民達は神経をすり減らしていて、その噂の現実味など考慮する余裕を持たなかった。 そうして、春を迎えての祝いの席に駆けつけた筈の旅芸人一座が一つ、棒で追い立てられるように小さな村に引き立てられてきたのだが‥‥ 「大事なお客さん達に毒を盛る理由なんかないよ。だいたい誰がどこで、それを見たんだい?」 「う、うるさい。薬をくれたお医者様が、間違いないって言ったんだ!」 「じゃあ、そのお医者様に顔を見てもらおうじゃないか。少なくともうちの仲間じゃないんだから」 「騎士様と一緒に、隣村に治療に行ってる! 帰って来るまで待てるものかっ!」 「勝手をして、後で他所から人殺し村だと後ろ指をさされたいのかい! 騎士様がいるなら、その方に白黒付けてもらうのが筋ってもんだよ!」 掛けられた容疑を聞いて、絶対に自分達は無実だと胸を張って断言した女座長の堂々とした態度に、村人達は気圧されている。 けれども、あまりの緊張と猜疑心とに蝕まれた村人達を留めておくには、僅かの間しか役に立たないだろうと、女座長本人が理解していた。双方で争いになれば、人数は村人が勝るが、腕っ節なら一座の方が上。 どこかで自分達が逃げ出せるとしても、両方に死人が出るのは間違いない。それを避ける方法はないものかと、女座長は空を振り仰いだ。 晴れた空には、助けになりそうなものは、今のところ見えていない。 |
■参加者一覧
柊沢 霞澄(ia0067)
17歳・女・巫
海神 江流(ia0800)
28歳・男・志
ユリア・ソル(ia9996)
21歳・女・泰
フラウ・ノート(ib0009)
18歳・女・魔
ヘスティア・V・D(ib0161)
21歳・女・騎
アイリス・M・エゴロフ(ib0247)
20歳・女・吟
シュネー・E(ib0332)
19歳・女・騎
アレーナ・オレアリス(ib0405)
25歳・女・騎
サブリナ・ナクア(ib0855)
25歳・女・巫
葉桜(ib3809)
23歳・女・吟 |
■リプレイ本文 複数の手足を使うモノが、波美に躍りかかり、その体を跳ね飛ばした。 自分の方向に向けて飛んできた波美を避け、ゆきたろうが敵の足を一本噛んで捉えた。牙が食い込んでいるが、敵の動きが鈍ることも、血が流れることもない。 「蜘蛛型‥‥こんなものまで?」 音もなく、するすると姿を現した数体の敵に、誰かが呟いた。 ヘスティア・ヴォルフ(ib0161)らが請求した身分証明は、すぐさま手渡された。ヘスティアの掌大の薄い板に金属で補強の縁取りをし、紋章が二つ焼印で施されたものに名前と身体特徴に領内通行自由の文言が書かれている。 「今回はまた、随分しっかりした造りだな」 「うちの役人の正式身分証だ。戻ったら返せ」 一つでも紛失したら処罰があるぞと脅かされたが、ヘスティアはその程度では怯まなかった。これは手配されている騎士や関係者の似顔絵を要求したユリア・ヴァル(ia9996)や、多数の水桶とそれを運べる馬車の準備を願ったアレーナ・オレアリス(ib0405)にも共通していた。こういう時に身分を慮って仕事が遅れるのを嫌う相手だし、なにより事は一刻を争うからだ。 ありがたい事に、身分証も地図も、サブリナ・ナクア(ib0855)が知りたがった病人達の症状や、葉桜(ib3809)が地域毎に細かく確かめたその発生時期の情報も、大体のところはすぐに揃った。 ただし、病状は嘔吐と下痢を主症状に、人により発熱や発疹、まれに痙攣が出るといったもので、使われた毒のすべてを特定するには情報が足りない。発生時期は大体同じ、症状にも偏りはない。この状態から現地に入った医者達が伝染病ではなく毒を疑ったのは、発生箇所が特定の水源を使う集落だけで、そこと日常的に行き来がある別の集落にはまったく病人がいないことが切っ掛けだ。 「これだけだと水源汚染の可能性もあるが‥‥あぁ、この薬で症状が悪化するなら、毒の可能性が出るか」 「‥‥すでに、生水は飲まないように‥‥していても、まだ病人が?」 「この報告が届いたのが昨日だぞ。それを確かめて来い」 薬の名前が羅列された書類に目を走らせるサブリナの呟きに、首を傾げた柊沢 霞澄(ia0067)の問いへの答えはまだ届かず。後は実際に行って調べねばならぬと分かれば、そこまでの経路を調べ、誰がどこに向かうかを相談するだけだ。 だが気になるのは、毒のこと以外にも存在する。 「神教会が関与しているとして、彼らは仲間を見分ける合図とかあるの?」 過激な思想の持ち主が関わっている可能性から、フラウ・ノート(ib0009)が尋ねた問いには、神教会取締りの役人が淡々と『ない』と返してきた。もともとガリーナで見付かる神教会聖職者や信徒は、禁教を受け潜行していく過程で分裂、離散した小規模の集団だ。別の宗派と通じるものは聖歌か教義の根幹のみという事例も多い。 先日捕縛された過激思想の神教会聖職者はこの根幹も歪んでいるが、仲間はそれなりにいるらしい。だが仲間の居場所や規模については口を割らず、バトラ一党との繋がりが判明したのは、感化されていた信徒の証言による。こちらは組織規模など知らないが、たまたま聖職者をよく訪ねてきた者の中にバトラの家臣の一人がいたことを目撃し、決起がどうのこうのと相談していたと白状している。 「決起、か。今回の噂を広めるのとは、違うだろうな」 「出所がその過激派であれば、何か繋がるかもしれませんが」 海神 江流(ia0800)とイリス(ib0247)の信徒の証言記録を見ながらの会話に、役人が視線を動かした。たまたまそれに気付いたシュネー・E(ib0332)が、友人達にそれを示すより早く、ソーンに顎をしゃくられて役人が口を開く。 「今回の被害地域はすべて、元は神教会の信徒の居住地です。例の宗派は信仰を裏切った者の末裔と考えているかもしれません」 だが他の視点だと、水源が一つではないがかなり近い場所から流れ出る川を利用している土地ばかりだとか、交通の要所を多数含むので集落数の割に役人や兵士の人数が多いとか、狙われるに足る色々な要素がある。 「旅芸人が槍玉に上がる原因もあるのかしら」 「うちの領内は旅芸人に保護を与えているから、人数も多い。新顔が警戒されにくいかもな」 ユリアが挙げられた要素と地図を照らし合わせつつ、気になることを漏らした。ソーンが律儀に応えているが、理由にしては弱い気もする。 「あの、お医者様もたくさんいらっしゃいますが、何か目印はお持ちでしょうか?」 「今回派遣した者達は、揃いの上着を着ている。他にミエイで修行した医者なら、あそこの身分証を持っていたな。だが何も持たない医者もいるぞ」 ミエイはガリーナ西部の領地で、薬草の産地だ。領主が医者で、後進の育成と薬販売に力を入れている。今回もそちらで作られた薬が、東部方面に急ぎ届けられており、開拓者も途中の街でその一部を受け取れる。 葉桜が頼んだので、医者が着ている上着は現物を確かめられたが、身分証の有無は外見では分からない。 目的地は兵士の駐留もないので、騎士ならば押し出しが利くと聞いて、騎士はいかにもそれらしく、他の者も役人か騎士の従者らしく見えるように服装を整えた。ただし半数は馬車での移動だから、龍で先行する者とは現地で落ち合うことになる。 行く先に指定された三つの集落は、近いところからテイトビュー、グリーム、スウェイトといった。この中ではテイトビューが最も規模が大きく、グリームとスウェイトはややこじんまりした農村だ。 龍を駆る五人は、葉桜とユリアがテイトビュー、シュネーがグリーム、サブリナとヘスティアがスウェイトに向かっていた。彼女達の目的は、まず何よりも状況把握。加えて、応援や物資が追って着くことを知らせて、人心を落ち着かせることだが‥‥ テイトビューに到着したユリアと葉桜は、これでもかと騎士然としたユリアの振る舞いで、町の代表とすぐに話をすることが出来た。身分証もものを言い、どう見てもジルベリア人ではない葉桜も、不審そうな目を向けられたのは最初だけだ。 「大体の事情は聞いてきたわ。これから薬も届くけれど、一刻を争うような病人がいるなら案内して」 それでも、流石にこの言い様には薬がないのにどうするのかと真っ当な問いがなされたが、ユリアはゴリゴリと音がしそうな勢いで押し切った。巫女の技がどうとか説明するのは、歩きながらでもいい。 「今まで治療に当たっていた方に、病状の詳しい確認をしたいのですが」 「それが先生も倒れてて」 葉桜の質問は、状況の確認だと付け加えるまでもなく理解されたが、肝心の医者も患者の一人では全体の被害状況は説明してもらえない。ただ葉桜は行商人や旅芸人が毒を撒いたとの噂がその報告と同時期に現れたことで、領主側の関係者の誰かが毒を撒いた側に通じている可能性も考えていたが。 「上流で死んだ獣でも引っ掛かってるんじゃないか」 周囲も体調を心配したか噂のことも医者の耳には入っておらず、訪ねた葉桜に水源汚染の原因になりそうなことを幾つか並べ立てている。住人の心配振りから、嘘を言うような人物でもなさそうだ。 後は後続到着まで、とにかく噂の出所を確かめねばと葉桜は考え、ユリアは行く先々でやはり同様のことを始めていた。 やることはまったく同じだが、グリームに赴いたシュネーはあれこれ難儀している。 「毒を撒いた奴を、捕まえに行って!」 こちらも身分証は信用されたが、病人にすぐさま対応出来ることはなく、後続の到着を待つしかないのが少しばかり悪い方向に転がっていた。間もなく巫女や薬が到着するとは住人に伝わったが、今にも犯人探しの山狩りを始めようとしていた住人達の気持ちは治まりきらない。とてもではないが、誰が最初に旅芸人が毒を撒いたと言い始めたのかなどと尋ねられる状態ではなかった。 一人で責められるシュネーは、気の利いた返事が出来るほど世慣れていなかったが、無関係な人まで犯人扱いで引き摺ってきそうな山狩りが始まらないだけましとも言える。甲龍・シュテルンは殺気立った周囲に少し鼻息が荒いが、それを見てちょっとは興奮が鎮まる者もいるようだ。 そして、スウェイトでは。 「おい、これはなんの騒ぎだ? 我々はご領主様の命令で駆け付けた者だ。ちゃんと説明してもらいたい」 駿龍の速度を活かして、ようやく辿り着いたスウェイトで、ヘスティアがネメシスの背から降りる間もなく声を張り上げていた。農機具や棒を手にした男達が、十数人を取り囲んでいるとなれば威圧的に出るのも作戦のうちだが、突然現われた彼女達に住人は警戒を隠さない。 「とにかく物騒な物は収めるんだ。この人は騎士で、私は医者だよ。ここで騒動を起こされちゃ、治療も出来ないからね」 「ちゃんと身分証は持っている方よね?」 「あるさ。どっちも全員は無理があるから、代表が確かめたらいい。で、悪いがあんたらは少しそこにいてくれよ」 サブリナが宥めるように掛けた声に、堂々とした態度で要求を突きつけたのは取り囲まれていた方の女性だ。それに住人がまた殺気立つが、いまだ龍の上の開拓者二人に見下ろされると無謀さに少しは冷や水がかかるらしい。それでも『こいつらが川に毒を入れた』とか『悪党を庇うなんて』と聞こえてくる。 この興奮振りでは下手に目を離せないと、ヘスティアが身分証を見せつつ、得物を手にした者に目を配っていた。旅芸人と思しき一団は従う態度で見せたが、住人はまだ芸人達が何かするのではないかと猜疑心に囚われている。 「やれやれ、喧嘩の怪我人まで面倒見られないよ。病人で状態が悪いのから診るからね。この後で薬の追加が来るから、そちらにうっかり手出ししないように」 ここまで敵愾心を募らせるからには、相当状態が悪い者がいるか、それとも死人が出たかだろうと踏んだサブリナが、ともかく治療に当たると繰り返してから、屋外のことはヘスティアに任せて一軒の家に案内された。その道々、重症者は解毒で状態改善をするが、全員を一気に治すのは無理だと言い聞かせている。それがまた納得できない住人もいるが、病気も怪我もいきなり治らないのは当然なので、多くは本当に重症者を助けてくれるのかと期待と疑いが半々の様子だ。 「死人が出てなくて何よりだ。ここで争っていたら、誰かが墓に入る羽目になったかもしれないな。で、どうして武器を持ち出す騒ぎになった?」 しばらくして、サブリナの解毒で嘔吐を繰り返して衰弱する一方だった子供の様子が改善したと知らされた住人達は、ヘスティアへの態度も幾らか軟化させたが‥‥折り合いよしと見た彼女が、噂のことを知らない振りで問い質すと口々に『旅芸人か川に毒を入れた』と騒ぎ始めた。 これは時間が掛かりそうだと、ヘスティアは覚悟を決めている。その覚悟の中には、もしも住人が暴れだしたら、どうやって止めるかも含まれているが‥‥芸人達が罵詈雑言に耐えているので、そこまで行かないうちに場を鎮めたいものである。 海神とイリスが、途中で合流した医者も一緒にテイトビューに到着した時、なぜかユリアが住民にもみくちゃにされかかっていた。 「おい待ってくれ、その人は僕達の仲間で、領主様から派遣されて来てるんだ」 ただならぬものを感じた海神が、もしやこれが危惧していた私刑手前の危険な状態かと身分証を掲げたが、実際は違っていた。 「どうして女性が多いのでしょう?」 吟遊詩人風に装ったイリスの見立て通り、ユリアは複数の女性に掴みかかられているというより縋りつかれている。その周りにいる人々は、女性達を宥めて引き剥がそうとしている状態だ。 「親心で暴徒化されると、ただ暴れられるより面倒くさいな」 葉桜から事情を説明された海神ががっくりと肩を落としたのは、騒ぎがユリアの解毒で我が子を少しでも早く楽にして欲しいと願う母親達によるものだったから。現地にはわざと騒動を大きくしている者がいるのではないかと警戒していたイリスも、誰かを怪しんで様子を見るより収拾に掛かっている。 これが本格的な暴動なら、片端から無力化するが、一部だけ泣き叫んでいるのはやりにくい。ともかくも医者と薬が到着したことを伝えて回り、幾らか冷静な住人に各戸に水を配って病人優先で与えるように指示をして、しまいには葉桜が夜の子守唄でどうしても落ち着かない人達を眠らせた。 それからようやく、本来の目的の状況確認や噂をもたらした人物の情報収集に掛かり、 「あ、この人と、この人も」 手配の人相書きをそうとは言わずに住人達に見せたところ、中の数人を見たと多くの者が証言した。 同じ頃のグリームでは、幼少から叩き込まれた礼節と経験に、士道の効果を加えたアレーナが、丈夫さだけが取り柄の無骨な荷馬車の上で、住人の視線を一手に引き寄せることに成功していた。騎士だとは名乗ったが、威圧的な態度はとらない。微笑を交えて、てきぱきと先行のシュネーの説明に補足を加え、更に霞澄と合流した医者の紹介までやってのけた。 「これから治療を始めてもらいます。症状をかなり軽くする方策もありますが、これは回数が限られます。だから状態がとても悪い人だけです。ちゃんと全員に行き渡るだけの薬があるので、心配せずにお医者様が行くのを待ってください」 事前に霞澄が解毒の乱用は出来ないと言っていたので、そこはアレーナも強調する。実際に練力の限界まで霞澄が頑張ったとして、住人のほぼ全員が多少の差はあれ被害は受けているのだから、全員に解毒は施せない。医者も毒の種類は完全に分からなくても、使っていい薬と駄目な薬はある程度把握していたから、ここに来るまでの間に霞澄と仕事を分担する相談はまとめていた。 けれど。 「水を煮立てて、湯気を集めるとなると体力がいりますから‥‥あまり皆さんに勧められませんね。麗霞さん、道具を借りてお湯を沸かし続けてもらえますか」 住人が聞く耳持たずなら護衛役になる予定だったからくり・麗霞に蒸留水をとる作業を頼み、霞澄はシュネーが聞き込んでいた重病人の家を回ることにした。アレーナのからくりも作業してくれるから、とりあえず病人に飲ませる分はなんとかなるだろう。 そうこうしている中で、霞澄とアレーナは妙な違和感を感じていたが‥‥それに気付いたのは、シュネーがからくり二体の働きに『人手が多くて助かる』と漏らしたからだ。 「ここの方々は‥‥麗霞さん達に驚かれませんね?」 「人と間違えているわけではなさそうですけれど」 どういうことかと、情報収集に一つ質問を追加した彼女達は、予想外の返答に眉を顰めることになった。 すでに先行した医者がいるので、一人でスウェイトを目指したフラウは、他より少し速度が遅かった。途中の道で問題の川沿いを通る道があったので、川面や周辺に異変をうかがわせるものがないかと観察していたからだ。大きな漂着物があれば、素手で触れないようにしつつ探りをいれたが、妙だったのは何かで赤黒く染まった大きな袋くらいだ。流れる間にも薄れない色は顔料が何かだろうが、袋自体は農村で収穫物をしまう袋に見える。 猫又・リッシーハットの鼻でも異臭は感じられず、何もないならスウェイトで使えると持参したところ。 「中身はなかったわよ。周りの水も濁ってなかったし。ちょっと変な色だし、随分注意して見たけどね」 相変わらず旅芸人が怪しいと警戒心露わで、ヘスティアに誰がそれを言ったか説明しろとせっつかれている村人達の治療に勤しんでいたサブリナの目に留まった。村人も治療してくれるサブリナや騎士のヘスティア、薬や水を持って来てくれたフラウには少しは態度がましで、質問されると問題の袋には見覚えもないと口を揃えた。 この川にはここより上流に人里はないはずだと、頭に叩き込んだ地図を思い返していたフラウに、サブリナがこそりと囁いたことがある。 水源周辺の探索は、病人の治療や住人からの情報収集が一段落した翌日になった。現地配属の役人や兵士にも解毒を施し、人手に余裕が出来たので全員で向かっている。 それ以前に数人が行き来して、三箇所それぞれで判明した事実を持ち合い、すり合わせている。おかげで治療はかなり的確な投薬が出来るようになっていた。 それでエヴァ達旅芸人の疑いは一応晴れて、スウェイトの端で野宿している。彼女達が無関係と分かったのは、川に流された毒が鉱物毒らしいと推測され、それに合わせた投薬が効果を上げたからだ。旅芸人が人を害するほどの毒素を含んだ鉱物を手にするのは無理だと、スウェイトの住人もようやく納得している。 住人はそれでいいが。 「からくりを連れた騎士って、どこから連れてきたものやら」 そのからくり・波美と道なき道の下草を払いつつ、海神がぼやいている。アレーナと霞澄がグリームで聞いた範囲では、男性型のからくりを連れた騎士が間違いなくいた。しかもその騎士はスウェイトで例の噂を広めた騎士で、医者以外に連れていた従者というのがからくりらしい。 「グリームの皆さんは、からくりがなにか‥‥大層な兵士だと、聞いていたようです」 単なる戦力というのは気が進まないといった様子で、霞澄がほうと溜息を吐いた。それに同調したのは海神やシュネーで、他の七人は自分の記憶を探る表情だ。 「どうかした?」 「ええ‥‥以前にヨーテの地で」 シュネーに尋ねられ、イリスが口を開いたその時。 「蜘蛛型‥‥こんなものまで?」 水源が密集する地域に入る直前の山の中で、多手多足のからくり兵と出くわした。 「ヨーテの洞窟の棺桶ってのは」 「からくりが入ってたってことじゃない?」 一体ではないからくり相手に、ヘスティアとユリアが素早く得物を手にし、 「それがバトラ‥‥の手にあるわけですか」 「姿まで見せるとは、この地域にも何かあるのかもしれませんよ」 葉桜が表情を曇らせつつ、周囲の音を探り始めるのを庇いつつ、アレーナが嫌な可能性を指摘する。だがヨーテでのやりようを考えると、もしもここにもからくりが発見されたなら秘密裏に運び出しそうなものだ。 わざわざ人目を引きつける騒動を起こす理由があるとも思えず、その手掛かり探しも兼ねて人数を揃えて来たのだが、結果としては良かったらしい。十数体の異形のからくり兵士を相手にするのが、二人か三人だったら相当苦戦を強いられただろう。からくり三体にリッシーハットも加わっての戦闘は、地勢の悪さで多少手間取ったが、被害は極小で済んだ。 「ゆきたろう、人はいなかった?」 「‥‥ふぅん、仕掛けてから結構経っている感じだね」 戦闘途中から、周辺に人が潜んでいないかを調べに走ったゆきたろうが小さく鳴いて応えるのに頭を撫でたイリスの脇を通り、サブリナが源流に近い川に浸された袋を掴み上げた。開拓者でも踏ん張りを要する重さの袋は、やはり赤黒い。 他の水源でも同じ物が見付かり、正確な内容物の確認のために全てが持ち帰られた。からくりの残骸もだ。 更に翌日には、水源近くの汚染はほぼ残っていないことがユリアの術で確かめられたが、下流はもうしばらくの警戒が必要と住人に説明をして、一行は発見したものを提出するために帰路に着いた。 帰り際、途中まで同道したエヴァ達はこの地域が狙われた理由に心当たりを尋ねられて、しばらく迷っていたが‥‥ 「この辺は五十年位前まで隠れ信徒が結構残っていたのよ。でも取締りが厳しいからどんどん減って、しまいに追い出されたみたい」 彼女も親世代からの伝聞で、事実は良く分からない。だが旅芸人の間ではそこそこ有名な話で、まるきり作り話でもないらしい。 これらの情報をきちんと繋げるには、じっくりと考える必要がありそうだ。 |