未来を創る〜技能・弐
マスター名:龍河流
シナリオ形態: シリーズ
EX
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/01/10 08:15



■オープニング本文

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 この日、荘園ノーヴィで空き家の一つが倒壊した。
 住人は別の建物に移り住んでおり、怪我人も家財の被害もなかったが、屋根を支えていた柱が折れた家屋の修繕は難しい。降雪が多い季節柄もあるが、そもそも建物として限界だったのは、十年近くも度々抜ける屋根や壁を直しながら住んでいた住人達の方が良く理解していた。

「柱は外して、あっちの家の支えに使うか」
「おい、お前ら、これは薪に割っといてくれな」

 冬の珍しい晴れ間を使い、青年達が壊れた家から使える建材を取り出していた。屋根に葺いていた杉などの小枝や折れた柱は、少年達が薪用に割ったり、広げて乾かしたりと忙しい。
 壁は放置して崩れると危ないから、これまた壊している。それらも集められて、女性達がおしゃべりしながら細かく割っていた。春になったら、また壁土に使うつもりのようだ。他に、少量だが掘り返された煉瓦も、これまた倉庫に運ばれていく。
 倉庫では、一人の少年が収められた建材の入った箱に、なかなかの達筆で品物の名前を書いている。

「あんた、よく覚えられるね」
「字が書けると面白い。読むほうが好きだけど」
「うわ、書類書いてやがる」
「俺の仕事だし。畑仕事より絶対に楽しいって。キーラ姉さんは、仕事嫌いなのか?」
「あんまり好きじゃない。でも春を売るよりは向いてたからなぁ」
「街だと、春が売ってるのか? 夏も?」
「‥‥夏は、ない」

 何を手伝うでもなく、だがちょろちょろと倉庫辺りをうろついていた医者のキーラが、少年と噛み合わない会話を繰り広げているのを、元は港湾事務官だと言う男性が呆れた顔で眺めていた。こちらはもちろんキーラの言う『春』が分かっているが、この場で少年に説明する気力はない。
 それに、彼は少年が書いた書類に用があった。他の書類と合わせて、年明けにやってくるはずの代官に渡さねばならないのだ。出納帳簿は元商人の二人が完璧に仕上げてくれるが、書類仕事は彼に一日の長がある。元が石工と船乗りの二人は、先程から家屋の修繕手伝いにくるくると動いていた。
 もちろん、キーラにも仕事がないわけではない。

「キーラ、薬草の買い付けの予算を知らせてないだろ」
「あー、計算は面倒だよ。後で買値が違ったら、絶対怒られるよなぁ」
「いや‥‥予算だから概算なのは仕方ないだろ。少し多めに見積もっておけよ」
「「ガイサンってなに?」」

 キーラと少年に異口同音に問い返されて、港湾事務官、つまりは役人の端くれだった彼が、そこから説明かとちょっと切ない気分になっている頃。
 現在のノーヴィはじめツナソー地域を代理統治しているガリ家では、ツナソー各地の荘園や農園に配置した者達から書類を集める代官の選定に頭を悩ませていた。新年を迎える季節ゆえ、通常配置されている者には代理の人員を送って休みを与える必要もあり、人手のやりくりがつかないのだ。

「ツナソーの役人達を復帰させるわけにはいかないし、一時雇いに任せるには不安があるし」
「あぁ、それなら家族からの金品を届けて貰う都合もあるし、開拓者に頼んではどうです? ノーヴィには、少し前にも開拓者が入っていたのでしょう」

 やがて、開拓者ギルドにはツナソー地域の複数の荘園・農場を回っての書類の回収やその地に派遣されている者への手紙等の配達が依頼された。


■参加者一覧
御剣・蓮(ia0928
24歳・女・巫
メグレズ・ファウンテン(ia9696
25歳・女・サ
レートフェティ(ib0123
19歳・女・吟
フレイア(ib0257
28歳・女・魔
十野間 空(ib0346
30歳・男・陰
ルヴェル・ノール(ib0363
30歳・男・魔
サブリナ・ナクア(ib0855
25歳・女・巫
三条院真尋(ib7824
28歳・男・砂


■リプレイ本文

 ツナソー地域の荘園などから、提出書類を集めてくる。その仕事自体は、開拓者が行うには危険性の少ないものだ。時間に追われることもないから、はっきり言って楽な仕事である。
 だが、その合い間に回る場所で色々と見学したり、調べたりしようとすれば相応の時間が掛かるのは当然だ。他人が全権委任されている場所に踏み込もうと言うのだから、交渉技術も必要になるだろう。そんな心配は無きにしも非ずだったが、今回の依頼人は違うものの、ノーヴィ発展の切っ掛けが掴めるのではないかと考えていた開拓者は多い。正確には、八人全員が掛ける意識の量の差はあれ、似たようなことを考えていた。
 ゆえに、行った先で。
「ここまでの道の様子、ですか?」
「えぇ。我々もここに来てから、なかなか出る機会がなくて、気になっていたんです。ひどい悪路になっていませんでしたか?」
 例えば、迅速に各地を巡れるように馬車を使用してもよいかと尋ねて、一言で却下されたフレイア(ib0257)は、出向いた先で複数の文官からそんなことを訊かれた。確かに馬車や馬を使っていたら、雪がなくとも難儀していそうな手入れの悪い街道だったが、冬季にはよくあることと、彼女はあまり気に止めていなかった。でもどうやら、季節問わずに悪路になる道だったようだ。
 これはつまり、街道整備も満足に行えていなかったということになる。途中の橋が大きな荷馬車が通るには幅がないと思っていたメグレズ・ファウンテン(ia9696)も、整備が杜撰だったと知って、納得顔になっていた。
「あの橋なら、欄干がないから単純に幅を広げるだけなら日数も掛からないでしょうが‥‥雪が溶けたら、土台から調べた方がいいかもしれません」
「でも不思議ですわね。街道なら市場や納税物の搬入で人と荷の行き来も多いものなのに、どうして街道はいい加減な状態なのかしら」
 たまたまノーヴィは牧草地などを挟んで、他と少しだけ離れていたが、他の荘園、農園は川を共同使用していたり、雪のない季節なら二時間かそこらで隣に辿り着くような近距離だ。普段から人や物の行き来があったのではないかと、御剣・蓮(ia0928)も首を傾げている。少なくとも市場に物を出すのに、人が行き来していたはずだろうと思うのは、至極当然のことなのだが。
「ツナソーはほとんどの地域で、庶民の居住地以外への通行は認めていませんでしたからね」
 物資のやり取りは、すべて行商人が間に入って行い、住民はほとんど関与していない。そういうところはノーヴィと良く似ているが、作業歌や識字教育まで徹底して排除したのはノーヴィだけ。他は個人差が激しいが一応は読み書きが出来、荘園内での移動や作業に制限が入ったりはしていなかったようだ。
「じゃあ、なんだか寂しい感じなのは、お店や人が集まるところがないせいかしら」
 それはあるだろうと、レートフェティ(ib0123)の呟きには文官達の同意が返って来た。農村には専業の店舗や宿など滅多にないが、外から入るものを商う家や人が集まる場所というのは何かしら存在する。だがツナソーは、この後にどこを巡ってもそうしたものに乏しく、住人の厳しい管理が行われていた気配が濃厚だった。
 確かに帝国では、土地も人民も全て皇帝のものという名目があり、地域によっては転居にも厳しい制限や確認がある土地もあるが、ツナソーは徹底して領主の管理下に置いていたとしか思えない。名目が大分形骸化して、大都市に人が流入する昨今の状況とは真逆の現象だ。
 更に、これだけは派遣されている者が作るからか、たいそう見やすい提出書類の中身を断って確かめていたフレイアが気付いたのは。
「この荘園、成立時に男性しかいないなんて何か事情がありまして? それから三年して、突然女性や子供が増えていますし」
 成立して五十年という荘園の、初期の人口割合を記したものまでめくっていた彼女の行動に、文官達ばかりか仲間も驚いた。けれども、幸いにもこの疑問には答えられる人物がいて、説明してくれたところによれば。
 ガリ家所領は元々全域が、複数の氏族で構成される神教会の勢力圏だった。ツナソーは草原で、遊牧生活をしていた氏族が一つ二ついた程度だったが、彼らは近くの町や村と一緒に神教会勢力として帝国に反抗し、ツナソーや各地で大きな争いが行われる。
 最終的には帝国が勝ち、投降したり、捕らえた信徒共々、土地を拝領した当時のガリ家当主は、特に反抗した氏族を分割してツナソーの開拓作業に従事させた。中には家族も別々の土地に分けて置き、反抗の意思が失せた場合だけ合流を認めたようで、この荘園では三年で恭順の意思が認められて、家族が再会したということになるのだろう。
「そんなにしたら、余計に反抗しそう‥‥」
「落ち着くのに十年ちょっと掛かったものの、ツナソーがご当主直轄からご親族の領地に替えられた頃には発展しそうだと記録はあったんですが‥‥たまたま血筋争いが何度かあって、当主になれなかった方が継ぐようになってからおかしくなったようですね」
 表情を曇らせたレートフェティに、説明していた文官は説明を多少端折って切り上げた。細かい説明があったところで過去は変わらないが、百年前はともかく、今の住人に責任がないところで苦労を強いられていたのでは、ノーヴィ再興の依頼を受けた開拓者としては、いずれも黙っていられない。
 今回はノーヴィからの依頼ではないが、その発展のためにこういうことを検討、実行しているのだと告げたところ、文官達はこの荘園での計画表を広げてくれた。
「近い荘園同士なら物々交換も有効でしょうに、道が妙に曲がっていますね。地図で見る限りだと、別にまっすぐな道でも良さそうですけれど」
「そこは、この範囲がくぼ地で雨が降ると水が溜まるから。ここの道はまっすぐに直したいけど、この農園も了解しないと申請できないな」
「私共がこれから行く先です。一筆いただければ、相談を持っていきますよ。それに個人的に、ここの橋の管理をどうする計画か、気になります」
 将来的には、領地外にも売りに出せる品物が生産出来るのが目標だが、まずは地盤固めと生活向上に、近距離の荘園、農園同士の物々交換を始めてはどうかと考える蓮や、橋や水車小屋などの設置と管理状況が気になるメグレズとが、文官達とあれこれ語っている。
 ツナソーの事情を飲み込んだフレイアは、せっせと書類をめくり直し、記入漏れや間違いがないかを確認していた。書類の作成方法がノーヴィと同じなので、仕事ははかどっているようだ。
 荘園の家々を覗きに出掛けたのはレートフェティ。新年のお祝い用に、何か日持ちがする食べ物でもあればとの希望はあえなく潰えたが、楽器を鳴らせば子供達が近付いてくる。彼らに普段の生活や知っているおとぎ話や何かと聞いていると、大人も姿を見せた。中には手仕事の合い間に、道具を持ったまま覗きに来た者もいて、恰好の情報源である。
 この荘園では、蓮が気になっていたツナソー内での住民同士の生活物資の交換、売買が許可されるかを、文官達の紹介状付きで上申書として提出する用意が出来た。結果が届くにはしばらく掛かるだろうが、お伺いを立てに行かずとも済みそうだ。
 代わりに、次の訪問先への言伝という名の様々な計画書や書類と、届けた手紙の返事を託されて、四人は慌しく荘園を後にしている。

 訪ねる先は七箇所。それを八人で一つずつ行く必要はないと、半分に分かれた開拓者達のもう一方は、農園の一つで温室見学をしていた。
「こんな立派な施設があるとは‥‥冬季も野菜が作れれば、食べるにも売るにもさぞかし便利でしょう」
 感心しきりの十野間 空(ib0346)は、採光、通風の造りに建築資材や技術まで細かく調べたそうだが、かろうじて我慢しているのが良く分かる。それでも高価な硝子や獣の骨を薄く削って磨いたものを使用した嵌め殺しの窓をしげしげと眺めて、厚みや大きさを確かめている。
「硝子窓って、装飾用ばかりだと思っていたけど、こういう使い方もあるのね。他の農園でも温室は作っているのかしら?」
 女性言葉が板についている三条院真尋(ib7824)に、初対面では怪訝な表情をした案内の騎士も、すっかり慣れた様で『ツナソーにはここだけしかない』と教えてくれた。温室設備はガリ家も相当のものを保有しているが、産業にするなら珍しいものか高く売れるものを作らねば採算が合わないから、どこでも手を出すとは限らないのだ。
 暖房費などを考えたら、それはそうだと納得した十野間と三条院だが、通行が不便な冬季に促成栽培が出来る野菜を作ることには、特に不審など覚えなかった。冬の食生活が豊かなら、住民の健康と高い労働力が維持できる。などと、十野間は考えを巡らせている。三条院はそこまでは思い至らないが、いいものを食べていたほうが春からの農作業もはかどるだろうくらいは分かる。
 だが、こちらは遠慮なくあちらこちら触りまくり、野菜が植わる土に手を突っ込んでいたルヴェル・ノール(ib0363)とサブリナ・ナクア(ib0855)の表情は、なぜか硬い。
「ナクア殿は、フダホロウの事件に関わられていた方でしょう? あの時に最初に逮捕された男がいたのがここですよ。以前は麻薬の類を作っていたところです」
「なるほどねぇ。土が野菜向きじゃないから、おかしいと思ったんだ」
「せっかくの温室を、無駄遣いにも程がある」
 ようやく得心がいった様子のサブリナが、騎士の言葉に溜息を吐いた。ルヴェルも二度ほど頷いたが、彼にしては珍しい吐き捨てるような物言いが、心情を強烈に表していた。
「今は、色々野菜を作ってますよ。春になったら、高値で売れる他の儀の作物に切り替える予定です」
 その経緯と計画も提出する報告書に入っていると、温室から出て、元は荘園主の家に戻った騎士があれこれと出してきた。温室の栽培物については、そちらから報告をと願ってくるのは、特に注目されている施設だからだろう。この騎士もガリ家から派遣されているが、家臣団での横の繋がりがない開拓者の報告が客観的だと考えているらしい。
 協力的な態度で何かと聞きやすいので、十野間は提出書類の書式などを尋ね始めた。すると、以前は指定の項目を各領地や都市毎にそれぞれ好きな書式で記載していたのを、三年前から統一化を図り始めたという。まだ完全ではないが、ツナソーに派遣されている者は皆この書式を叩き込まれているから、それ以外で書いている者がいれば、ツナソーの出身者となる。
「書式が揃っていたら、確認もしやすいですね。租税の計算も早く出来そうだ」
「租税は各領地が集めて上納するので、ガリ家も直轄領以外はうるさく言いませんが、禁制品と統制品の流通で時々問題が起きるので、ご当主の副官殿が頭を捻ったようで」
 ガリ家領内の禁制品は、主に麻薬や劇毒物で生産から許可がいる。統制品は宝珠、武器弾薬と他の儀からの流通品で、これは商うのに許可と取り扱い量の届出が必要だそうだ。
「結構細かいわねぇ。市場が立つところが少ないのも、そういう許可の問題かしら?」
「それはツナソーだけですよ。他は大きな街なら毎日、農村でも冬以外は月に二回くらいは市が立つ日があるし、雑貨屋の一つくらいは村にありますから」
 ツナソーは成り立ちの都合で市場の開設許可に手間が掛かり、行商人が多い。これがまた前の領主と結託して各地の利潤を吸い上げていたから、しわ寄せが住人に来ていた。おかげでどこの荘園、農園も生活用品が最低限しかないと聞いた三条院は、この先に寄る場所で羊毛産業に必要な道具類が手に入るだろうかと憂い顔だ。
 これには騎士の他、荘園に派遣されていた医者や文官も『資金さえ都合がつけば、他の領地から新品を取り寄せたほうが安心』と口を揃えた。三条院もそこまで勧められるならと思うが、すぐでも欲しいから悩ましい。ついでに費用面も心配だ。
 こちらの二人がそんなことをしている間に、サブリナはなぜか医者の仕事をする羽目になっていた。
「私が診たところで、処方が変わるとは思えないけどね‥‥あ、でもこの処方は初めて見るよ」
「症状はこれなの。そちらだとどんな薬にするの?」
 修行地が同じだという医者達は、サブリナが医者の心得もあると聞いた途端に診療所に彼女を引きずり込んでいた。自分達と違う診療法や処方などを、白状しろと言いそうな勢いで詰め寄ってくる。
 診療所には風邪をこじらせたとか、雪下ろしで腰を痛めたなど、命には関わらない患者だけだったが、彼らをそっちのけで喧々諤々やり始めたサブリナ達を目を丸くして眺めていた。
 その頃のルヴェルは、荘園内を歩き回っていた。軒下のつららを落としていた子供に声を掛けると、ちょっと緊張しているが子供らしい声が返って来る。それを聞いた親も顔を出して、遠来の客との会話に興味を見せた。
「新年が近いから、何かいつもと違うことをしたりするのだろうか?」
「うちとこは、春先の方が賑やかだけど‥‥子供達にはいいものを食べさせられそうかな」
 これまでは生活に追われて、新年を祝う余裕もほとんどなかったが、秋から温室で野菜を作るようになって食生活にゆとりが出てきたという。この辺りはノーヴィと似ている。
 だが、よく見ると家によっては扉に蔦や木の枝で編んだ輪飾りがあって、なんとなく華やかだ。尋ねてみると、昔からの習慣で年の瀬から新年には飾り付けをするとか。やっている家といない家があるのは、単に扉の中か外のどちらに飾るかの差だけ。
 というわけで、何軒か中に飾っているのも見せてもらったルヴェルは、子供達に習って輪飾りを一つ作り上げていた。
 そうした土産に、十野間が道中に描いたあちこちの様子を示す絵も持って、彼らはもう一方より先にノーヴィに到着する。

「なんも悪いことしてないよー! ぎゃーっ」
 ノーヴィも書類の受け取りに来る者がいるのは承知しているが、それが開拓者だとは知らない。だからこっそり入って、ちょっと驚かせようと言い出したのはサブリナだ。ちょうどキーラが荘園入口近くをうろうろしていて、悪戯心で厳しい声で話し掛けたら‥‥
「何か事件かと思いましたよ」
「悪いことしてないって、相変わらず診療所の雪かきしてないくせに」
 盛大に悲鳴を上げて逃げ出してしまい、人が次々と飛び出してくる騒ぎになった。もちろん開拓者が突然現れたことには誰もが驚いたが、キーラがいなくなったのはあまり気にしない。大抵は家畜小屋の屋根裏に隠れるとばれていて、すぐに迎えに行かされた子供達と一緒に戻ってきた。
「あんな大声を出して逃げなくても良かろうに」
「いやぁ、出入りか手入れかと思って。よく考えたら、ここでそんなのはないな」
 ルヴェルに宥められたキーラは、えへへと笑って頭を掻いたが、ノーヴィの人々は何を言っているのか理解出来ていない。理解出来た者達は、以前は何をやっていたんだろうかと心配したり、呆れていた。
 そんなことをしているうちに、残り半数もノーヴィに到着した。もちろん、まずはノーヴィからも提出書類を出してもらうことになる。
 実のところ、提出書類の内容確認は依頼にはまったく入っていない。だが気合と意欲に満ち満ちているフレイアと十野間は、山積みした資料と首っ引きで確認作業に入っていた。唯一完成していなかった薬草買い付け費用の概算は、キーラの首根っこを捕まえたサブリナが指導中だ。
「領内で書類の統一ですか。これだけ地域が分割されていると、書式くらいは揃えないと何かと面倒でしょうけれど‥‥商工都市と農村も同じで?」
「河川と飛空船貿易は、統制品の扱いが多いから別書式だ。農村で作った物を、都市で消費するから、他は同じでいいんじゃないか?」
「そうですね。でもここの特産品の欄は各地で記載内容が違うので、記入順番をある程度決めておくとより整理しやすいと思いませんか?」
 元港湾事務官を相手に、集めた全部の書類を突き合わせて、数値の確認から書式全体のことまで話が及んでいる。それらが妙に慌しいのは、量がたくさんあるからではなく、最初に出された茶に添えられたパンを齧ったフレイアが『もっと細かく教える必要がある』と、のたまったからだ。生地の捏ね具合だか発酵だかが完璧ではなく、ちょっと味が落ちるとか何とか。それはもう真剣な顔付きだったので、後の二人は追い立てられている具合だ。
 サブリナはキーラの悪筆がまったく変化ないのに頭を抱えつつ、ちょうど彼女の師匠から届いた薬草の種や苗の予定価格表を広げて、計算をさせている。
「綺麗に書くのは無理」
「無理は分かった。でも丁寧に書くのは出来るだろうに。殴り書きをするんじゃないよ」
 キーラは計算は遅いが、まあ何とかこなしている。書くのは面倒がって殴り書きするから、凄まじい出来になるのだ。金銭に関係することゆえ、サブリナも容赦なく修正させている。
 その間、他の開拓者達は新年を迎える宴会用に、荘園内の広場の雪かきを住人達とやっていた。屋内で集まれると良かったが、ノーヴィには全員が入れる場所などない。それにレートフェティが各地で、三条院がノーヴィの老人達に尋ねまわったところでは、どこも住民全部が集まるようなことは屋外でやっていた。冬季は大きな篝火を囲んで短時間でというのが、一般的のようだ。その後、親戚や気の合う者同士で集まって、あちこちの家に散るらしい。
 幸い、緊急用の天幕が二張り保管されていたので、それを風除けに使うことにして、雪かきの後は凍った地面に杭を打ったりと忙しい。が、合い間に口を動かすのは、また別のこと。
「新品ねぇ。ドーの街が一番品もいいし、ここから発注するには便利だけど」
「そう? でも値段が分からないと、数を指定できないわよね。お金が掛かりすぎてもいけないし」
 三条院は、どこに行っても手に入らなかった羊毛加工の道具や織り機を入手できるか、元商人の女性と相談していた。流石に今は男装に戻って雪かきしながらだが、あれこれ話してもたいして息も上がっていない。杭を打つのも、蓮に杭を支えてもらって、打ち込むのは慣れた様子だ。
「どこでも余っていないのなら、これから必要になりますね。ここに手慣れた職人がいれば、幾つか見本に取り寄せて量産することで、近隣と交換できるいい商品になるでしょうけれど」
 各所を巡った感触で、現金収入も大切だが、他と通行が盛んになれば物々交換でもそれなりに用が足せると踏んだ蓮も、すごい力で押し込まれる杭をがっちり支えつつ、思案を巡らせている。この辺りの力は開拓者ならではなので、周りが真似しようとしたら止めていた。そういう点では、蓮も三条院も舞い手や役者としての興行場所設営などの経験から余裕がある。
「あぁ、予算をきっちり決めて、それで買える分だけ送ってもらうのはいかがです? 欲しいものの優先順位も指定すれば、相手もきちんとしたものを送って寄越すでしょう」
「そうね。どうせなら、どこかに私の留守中に先生をしてくれる腕のいい職人と道具一式が落ちていたらいいのに」
 ドーの街は領主の膝元、そこの商人ギルドなら信用を重視しておかしなことはするまいと思い付いた蓮の意見に、三条院も頷いた。その後に職人が落ちていたらと無茶を口にする。そんなことがあったら間違いなく拾ってくるとは、蓮と元商人が異口同音に応えている。
 ところが、この話を後で耳にしたキーラはこう言った。
「ドーの街の貧民街に、お針子くずれは何人かいたよ〜。織物職人も。まだ生きてたら、貧民街の立ち退きで街の外の仮住まいにいるかもね」
 そして、これを聞いたレートフェティに、染物に詳しい人はいないのかと詰め寄られていた。キーラも染色職人には心当たりはなかったが、あらゆる事情で一般生活から弾かれたり、足を踏み外したり、家族を養うのに売られたりした者達がいた場所だから、何がいても不思議はないようだ。ただし貧民街という場所柄、性質は全般によいとは言い難い。
 こうした話は、宴会準備の最後の方で、この時のレートフェティは裁縫や編み物を教えた女の子達と一緒に、ルヴェルが持ってきた輪飾りを真似て作り、羊毛で作ったふわふわの玉や飾り紐を付けていた。こういうものを昔は作っていたらしい老人達があれこれ口を挟んでいるが、初めて作る女の子達はごてごてと飾りをたくさん付けてしまう。それが楽しいようだから、レートフェティはやりたいようにやらせていた。
 ただ飾る時には、ごちゃごちゃにならないように全体を見て、飾る位置を決めるように促している。
「服も編み物も、模様があると綺麗でしょ? それと同じで、お祭りの会場も綺麗になるように考えてからね」
 均衡や調和などと言っても通じないから、優しい言い方で時々助言を与えていく。飾るのが野戦用の天幕なのであまり華やかにはならないが、今までになかった飾りは見た人の気持を明るくするようだ。誰かの弟妹だろう小さな子供達がきゃっきゃっと周りを歩き回るので、レートフェティはそちらにも目を配るのに忙しくなったけれど、途中から三条院も加わって賑やかに飾りつけは進んでいる。
 同じ頃のメグレズは、家々を回って、扉や窓の立て付けを確かめていた。止め具が緩んでいるところがあれば止め直し、隙間があれば松脂で埋めるか、板を追加して塞ぐ。こうした修繕は最初は彼女自身がやって、以降は大工達に任せて監督している。
「ツナソー全体を見たわけではありませんが、全体に技術の継承が上手くいっていません」
「ケイショウ‥‥?」
「継承とは、親や先輩から習って引き継ぐことです。親は無理でも、私達以外の先輩から日常的に習えるような仕組みはツナソー全体に必要ですね」
 メグレズが各荘園などで観察した範囲では、どこも以前の栄養状態の悪さが窺えるものの、現状は衣食住が極端に悪い状態の場所はなかった。主体性のなさはノーヴィが断トツだが、他も全体に指示されるのを待つ傾向がある。どこもそれには頭を悩ませているが、派遣された者や代替わりした者ばかりの荘園等では、抜本的な改善までは手が付けられていない。
 そして、木工からとうとう本格的に金属加工等にも手を出し始めたメグレズが見ると、鍛冶師や大工などの技術者のほとんどが先達から十分な指導を受けずにいる様子だった。他所と交流がないため、おかしな技術が伝わっていたりもする。一箇所に一人ずつきちんとした技術者を送り込むのは難しかろうが、なんとか継続して指導を続けられる人物が必要だと、後でメグレズは他の者達が調べた諸々と一緒に一綴りの資料を作って提出書類に添えていた。
 これには、蓮やレートフェティが各地で実地に歩き回って調べた様々な特産と余剰物、不足物に、三条院が悩まされた生活用具の不足度合いの一覧、メグレズとサブリナの街道沿い施設の所見に、十野間が描いた施設や生活様式の図面も付いている。古い習慣についてはルヴェルが聞き取っていたが、神教会由来と思われるものも散見したので提出品には入れていない。こうしたものを、細かいところはいささか怪しいが帝国中央の書式を思い出しつつフレイアがまとめて、清書は流石に皆で分担する。
 更に、会場設営が出来たから、宴会までの時間に今までのおさらいだと識字と裁縫、編み物の教室を開いたり、持参した本を出して見せてやったり。挙げ句は板に絵を描き、裏にその絵にまつわる話を記して、世俗の情報から単純に楽しめる物語まで語り聞かせる企画も出たが‥‥なぜか、これらには子供達の反応が鈍かった。食いついたのがキーラだから、他所の事情を知らない子供達には想像が難しい話だったらしい。
 代わりのように、植物の図鑑には興味を示し、それを示しての会話の中で羊毛を染めるのに使えそうな植物が幾つか自生しているらしいことも判明した。とはいえ、染色に使ったことがあるのは老人ばかりで、近年は採取もしていないから全部が採れるかは分からない。でもないよりはましと、三条院とレートフェティは春からの計画を立てている。

 やがて、年越しの夜が来て。
「パン焼き窯の加熱は十分にね。毎日使うほうが、実は燃料に無駄がありませんよ。パンを焼かないときは、鍋にスープの材料を入れて窯の中に置けば出来上がりますしね」
 どうやって時間を作り出したのかと思わせるフレイアが新たに教えた料理と、ノーヴィの人々が昔を思い出して作った料理とが、大きな焚き火の周りに並べられた。開拓者仲間はともかく、貴族のフレイアがなんでそんな知識を抱えているのかと、派遣されている五人は不思議そうだが‥‥美味しいものを前にすると、たいていのことは気にならなくなる。
「後で甘いものもあるが、先に温かいものがいいだろうか」
 老人達もメグレズが大工達と用意した背もたれ付きの長椅子に、毛布にくるまった姿でくしゃくしゃの笑顔で座っていた。少し物言いが固い彼女に細やかな気遣いを示されて、驚いて目を丸くしていたのが嘘のようだ。
 料理を食べ、たくさんはないが酒を飲み、大人はあちこちに焚いた火を囲んで話に興じている。
「‥‥皆さんが、夫婦の馴れ初め話に興味を持つとは思いませんでしたよ」
 その中に一つでは、ノーヴィの人々にとっては『とにかく遠い場所』の印象しかない天儀人の十野間が、どうやってジルベリア人の妻と結婚したのかとつつきまくっている。最初は十野間が知る各地の様子を感心して聞いていたはずが、どこかで話題が違うほうに転がったようだ。
 けれども、そんな話に興じているのは一部の人達だけ。大半はレートフェティと蓮の音楽や歌に聞き入り、舞に見入っている。二人が巡ったことがある地域のあらゆる音楽には耳慣れないものも多かったろうが、中には手足を揺らして調子をとる者も出始めた。
 最初は誰も踊りださなかったが、酔いが回った壮年の男性が一人、娘の手を引いて踊りを教え始め、その振りが違うと同世代の男女がわいわい言い交わし始めている。そのうちに夫婦で踊りだしたのがいて、子供達は今まで見たことがない親世代の姿にぽかんと口を開けている。
「あんたはどっかで覚えた踊りはないのかい?」
「踊り子が見たけりゃ花町に行って、ついでに買ってくる連中だったしねぇ。覚えたのは人を縫うのとか、酒の味。これは旨い!」
「飲んでるばっかりじゃ駄目よ。よし、教えてあげるわ」
 サブリナはようやっと書類を完成させたキーラと飲み交わしていたが、何気なく掛けた言葉にあっけらかんと明るくはない過去を垣間見せる返事が戻って、次の言葉を探してしまった。
 と、雪の下からまだ派手な色が残る葉を探し出してきて、子供達と一緒にまだ輪飾りを作っていた三条院が割って入る。彼も芸人一座にいたから、蓮の白拍子とは違う踊りを見せてくれそうだ。その踊りが知っているものか分からないので、サブリナは先にワインに未練たらたらのキーラをまたまだぎこちない踊りの輪の中に押しやった。
 当人はその気がないものの、キーラが輪に加わったので同年代の若者達も、蓮とレートフェティに促されて立ち上がる。別に貴族の社交ではないから、見よう見まねで踊って楽しければいいと、音楽はジルベリアのものが続いた。
「踊らなくていいのか?」
「ん? あぁ、まあ‥‥そのうちにな」
 そんな様子を眺めて、故郷のことを思い起こしていたルヴェルは、隣で本を抱え込んでいる少年に尋ねられて、苦笑じみた笑みを返した。思い出を捨てるわけではないが、せっかくなら目の前の祭りを楽しむべきだろう。
 祭りの喧騒より本が気になる少年は、時々ルヴェルに意味がわからない単語を尋ねながら、一生懸命読んでいる。別の場所には、話に興じつつも編み物をしている少女達もいて、大人も何を話しているのか良く笑っている。
 短時間で終わるのが冬の祭りの常だというのに、随分と遅くまで火が消えることはなく。
 多くは夜中になって、流石に寒いと震えながらも、笑顔でそれぞれの家に帰って行った。開拓者達も、仕事もほとんど終えた安堵感と祭りの楽しい疲れで、天儀で縁起がよいとされる初日の出のことも忘れて、ぐっすりと寝ていた者が多かったようだ。