【傷痕】〜7
マスター名:シーザー
シナリオ形態: シリーズ
EX :相棒
難易度: やや難
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/09/03 18:48



■オープニング本文

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 五色老、緑青の冠名を戴く湖住八尋は、額が畳に擦れるほど深々とこうべを垂れていた。
 道明寺本家に設えてある各五色老の執務室の中でも、湖住が呼ばれた部屋は質素ながら重厚な趣のあるものだった。
 上座では部屋の主、蒲生一昭が手入れの行き届いた顎鬚を撫でながら、渋面のまま瞼を閉じている。
「すでに聞いておるな」
 八十を越えた老人とは思えない、重々しい声が響く。だが、その声音には少々の苛立ちが混じっていた。
「領内を、開拓者なるよそ者に好き勝手歩き回らせるとはどういう了見だ」
「かつて黒塚領内にて、賞金首である飛剣天仁なる男が暮らしていたことがわかり」
「そのような者の探索依頼を我らが出したか」
 湖住の言葉を強引に阻み、雲中白鶴たる蒲生らしからぬ怒声が響いた。
 湖住はさらに額を畳に擦りつけ、
「申し訳ございません……ですが」
 一度は謝罪を口にした湖住だが、やおら面を上げると、その険しい表情を深緋老へ向けた。事務方のように色白の優男ではあるが、湖住にも、本家道明寺の推挙があって五色老入りしたという自負がある。まるで平番士のような扱いに、腸が煮えくり返るのも道理だった。
「賞金首が滞在していた事実を押し隠したままですと、黒塚自体が加担しているのではないかと怪しまれます。それはつまり――現当主として座しておられる椿さまが疑われることにほかなりますまい」
 湖住は背を正し、真っ向から蒲生を睨み据えた。
「五色老の存在とは本家道明寺を支える為にのみあると私は考えております。となれば、此度の一件、調査探索に及ぶは必定」
「それも道理……だがな、湖住。ならばなぜ、我らの力で調査せんのだ。開拓者などと氏素性のわからぬ輩共に任せる道理はなかろう。さらに言うなれば……昨日斬殺された緑青の組頭の件はなんとする。わしにはよそ者に嘴を挟ませた結果のようにも見えるがの」
「それにつきましても、飛剣天仁の一件同様探索を行ってまいります。私の部下が殺されたのですから」
「ほう、お前の部下か」
 蒲生の見下した物言いに、湖住はあからさまに嫌悪の表情を浮かべた。大老と呼ばれる蒲生は五色老の中でも別格の扱いである。血筋が本家所縁であることが大きな理由だが、それ以上に、人格者たれという矜持を守り続けてきたことにもよるのだ。
 その蒲生が、深緋老としての矜持を否定するような物言いをしたのである。
 お前呼ばわりされる筋合いはない――叩きつけてやりたい言葉を喉の奥に押し込める。湖住は爪が肉に食い込むほど強く両手を握り締めた。
「先代椿井様にお仕えしていたとはいえ、今の緑青当主は私でございます。私の部下と呼んでなにが不足でしょう。その部下が殺されたのですから、私の手で犯人をみつけ、捕らえてみせます」
 深緋老は、飽きたように顔をついとよそへ向け、
「好きにするがいい。だが、すべての五色老が緑青に協力するかは、それぞれの当主の判断に任せるが、よいな」
「一向に」
 湖住は一礼して退室した。
 耳障りなほど賑やかな蝉時雨の中、緑青当主は深い溜息を吐きながら庭へ視線を移す。
「直臣の湖住殿には、五色老(ここ)は風当たりが強いでしょう」
「……楸(ひさぎ)殿」
 苦笑を浮かべながら廊下をこちらへと進んでくるのは、蒲生の次期当主となる楸だった。着物の上からでもわかる筋骨は、男から見ても惚れ惚れする。
「覚悟の上でしたが、なかなかに手強い。こうなればやはり本家へお頼みするしかないと思っております」
「椿さま、か。しかし、賞金首が領内をうろついている可能性もある上に、組頭殺害までも起こっている現状であれば、本家の、まして椿さまの護衛はさぞや厳しいものでしょうね」
「確かに……ですが、相手が賞金首でかなりの手錬れと聞いておりますので、開拓者の力を借りねば難しいかと。私が緑青の当主へ推挙されたそもそもの一件でも、彼らの力を仰いだと聞いております。なぜ、今回はそれが無理なのでしょうか」
「湖住殿」
 楸はすれ違いざまに湖住の肩に手を置いた。
「開けてはならない箱というものが、黒塚にもあるということです」
「楸殿、それはいったい」
 振り返り、去っていく背へと問うたが答えは返ってこなかった。ひらひらと楸は手を振りながら、眩い夏の日差しの中へと消えていった。

 屋敷では、レイ・ランカンから預かった妹のルルが留守を預かっていた。独楽鼠のようによく動く働き者の娘だ。湖住はルルへ刀を預けると、帰宅の挨拶もそこそこに客間にいる客人を訪ねた。
「傷を見た感想は?」
 後ろでに襖を閉め、急くようにまくした。
「あれは天仁のものではない。刀に慣れていない者の仕業だと我は思う。それに首筋に二箇所の刺し傷、噛み跡とでもいいのか。そんなものがあった」
 仮面の下の瞳が揺るぎない視線を寄越す。
「そうか。……ところでレイさん。ひとつ頼みがあるんだが、聞いてはもらえないか」
「我にできることであれば」
 先まで眺めていた笛を懐にしまい、
「湖住殿には妹のことも含め、世話になっているからな」
「俺を、道明寺現当主、椿さまのもとへ連れて行ってはくれないだろうか」
「構わんが、湖住殿は元は本家配下だったのだろう? 正面から出向けば良いのではないのか」
 事情を知らないレイは首を傾げた。
「それが、そういうわけにいかなくなったんだよ」
 蒲生翁の言葉、深緋次期当主の去り際の言葉から察するに、湖住が椿と会うことに恐らく横槍が入るはずである。
 椿の命は絶対なのだ。その椿の口から領内での開拓者の自由を保障するといった示達でも出されれば、たとえ五色老とて逆らえない。
「会ってレイさんたちの領内探索を認めてもらわねば……今の俺ではどうしようもできない」
「そうか。確かに自由がきくようになればこちらとしても都合がいい」
 湖住は、記憶にある道明寺家の見取り図を書き記した。


■参加者一覧
緋桜丸(ia0026
25歳・男・砂
柄土 仁一郎(ia0058
21歳・男・志
緋炎 龍牙(ia0190
26歳・男・サ
柄土 神威(ia0633
24歳・女・泰
菊池 志郎(ia5584
23歳・男・シ
ジークリンデ(ib0258
20歳・女・魔
ディディエ ベルトラン(ib3404
27歳・男・魔
神座真紀(ib6579
19歳・女・サ


■リプレイ本文

●表門での誘導

 路上に浮かぶ影も闇に溶け込み始める夕暮れ時であった。
 表門の警備に当たっていた本家直臣警護班の前で、賑やかな一団が足を止め、ぎゃあぎゃあと喧嘩をおっ始めた。
 いかめしい顔の隊士が何もこんな時に興行に来なくともよいだろうに、と嘆息した。さっさと門前から立ち去ってくれればいいと男は視線を戻し、警備を続ける。
「それって荷物を忘れた私のせいってこと? 仕方ないじゃないでしょう、時間もなくて慌ただしかったんだから」
 手荷物で軽く仲間を小突いたのは柄土 神威(ia0633)。慌てて宿を飛び出したせいで荷物を忘れ、取りに戻ったらこんな時間になってしまったと腹を立てているのだ。
 神威の手荷物を片手で叩き返したのは、慌てる羽目になった寝坊助の神座真紀(ib6579)だった。
「せやかて次またあの町に行った時また見に来てもらわんといかんやろ? お客さんに誘われたら断れんやん。皆さっさと寝てまうし、あのスケベ親父の相手あたし一人でしとってんで! 感謝してほしいくらいやわ」
 責任転嫁されて頭にきているようで、神座も手荷物をぶんぶんと振り回している。その荷物の端っこが門前警護のひとりの鼻先を掠めた。男は瞠目したが、何も言わず警備を続ける。
「大体それやったら先行して宿とっといてくれたらええやん。それにあんたも忘れ物したんやろ? それで一旦戻ったんやし」
「使い慣れた道具がないと困るでしょう!? だからわざわざ取りに帰ったのに」
「そうですわね。宿さえとりあえず押さえておけば、こんな刻限に到着しても問題はなかったと思いますわ」
 ジークリンデ(ib0258)は、その細腰に右手を置き、呆れ声で神威を責めた。
「私だって、そんなこと言われたら……悲しいし怒りもするの……っ」
 拳をぎゅっと握り締め、憤慨する様で抗議を続ける神威と、
「うちらかて怒ってんねんでっ」
「全部こちらが悪いように言われるのは心外ですわ」
 神座とジークリンデの間に割って入る座長らしき、唯一の男子。
「まあまあ、落ち着いて」
 柄土 仁一郎(ia0058)は三人の仲をとりなそうと試みたのだが、彼女らは一向に聞く耳を持たない。
 やれ誰が悪いの、何が悪いのと喧々囂々と口喧嘩は止まらない。
 女の口喧嘩に男が勝てるはずもなく、柄土は途方に暮れた。
 だが、これに業を煮やしたのは門前警備の隊士達だった。額に青筋を立て、
「おい、お前ら」
 と不機嫌極まりない顔で近づいてくる。
(「掛かったで〜」)
 神座は器用に怒ったままの表情で、しめしめと笑った。
「ここは警備の真っ最中なんだ。宿云々言っているのなら、さっさと町場へ向かえ」
 男の言う事はもっともなのだが、そう簡単に移動するわけにはいかない理由があるのだ。
(「俺達以上に裏側が大事だ。上手くやってくれよ、皆」)
 まずは餌に食いついた。
 ここからが本番である。

●緑青執務室

 敷地内にある緑青の執務室から姿を現したのは、裏側の陽動を担当する緋炎 龍牙(ia0190)。
「最近、何かと物騒だからねぇ……フフ。」
 縮の縞柄をシャツの上に重ね、袴姿の緋炎は湖住の客人を名乗るつもりだ。
(「湖住様へのやっかみなりがあるのを差し引きましてもですね、この一件に関する調査の動きが鈍いのが引っかかりますです」)
 ディディエ ベルトラン(ib3404)は不健康な顔色で思案する。
 着慣れない黒塚の衣装にも関わらず、何気に着こなしている菊池 志郎(ia5584)だが、
(「以前に見ているとはいえ、自分が着るとなると少し……」)
 ブーツの足繕いを改めていた。いざという時に足元が疎かでは仲間に迷惑をかけてしまう。真面目な志郎は念入りに紐を締めた。
 二百坪という広い庭から、裏木戸周辺を警護する黄櫨の見廻り組を撹乱させる為に三人は視線を交わすと散会した。
 残った潜入組の緋桜丸(ia0026)とレイ・ランカンも彼ら同様黒塚の服を纏う。湖住には暗い色合いの着物にしてもらった。
 三人は耳を澄ます。
 その時だった。俄かに表門があると思われる方角から賑やかな声が聞こえた。何を言っているかはわからないが、女性の声と言うものはよく通るものだ。湖住の驚嘆している顔を横目で見つつ、緋桜丸とレイは執務室から出る機を窺った。

 執務室を出ると、すぐに庭の警護に当たっている班をみつけた。緋炎は納戸の裏を通り、番所の一角から不安げな様子を纏わせて彼らへと近づく。
「……す、すみません。少しお話を聞いて頂いて宜しいですか……?」
「ん? 何だ、貴様は」
 突如現れた青年を前に、すぐさま刀の柄を握る黄櫨の男だったが、眼前の青年は背を丸めて気弱そのもの。何か怖いものでも見たのか、怯えた顔で周囲を警戒している。
 番士は緋炎を小馬鹿にしたように笑った。
「どこから入った」
「湖住殿に招かれたのはいいんですが、とても広い屋敷の上に何やら……妙な人影を見たような気がしてそれはもう怖ろしくて怖ろしくて」
「怪しい人影だと?」
 緋炎は眼鏡がズレる程に激しく頷いた。
 それはどこだ、と問われると、
「……ヒッ! い、今あそこに何か居ませんでしたか……!?」
 今しがた自分が出てきた納戸の方を指し、大仰に震えて見せた。
「おい、そこの二人。俺と一緒に来い。お前らは残って警護を続けろ」
(「チッ」)
 さすがに全員を連れまわせるわけがない、かと緋炎は小さく舌打ちした。
 だが人数は割けた。
 集まった見廻り組番士を先導するように、こっちです、と緋炎は歩き出した。

 緋炎の誘導がうまく運び、庭の監視の目が少なくなった。それを逆手に志郎が警備の中へ紛れ込む。さすがに傍近くまで寄ればよそ者とわかる。距離を取りながら、志郎は遠めにみつけた巡回班へと近づいた。
 開拓者としての気配を殺し、耳に全神経を向ける。研ぎ澄まされた聴覚が巡回班の会話を拾う。
(「さすがに緊張状態が長く続けば疲労感も頂点ですね。交代時間が近いせいもあるのでしょう……意識が少々散漫です」)
 道々、庭木に偽の護符を貼り付ける。
 生欠伸なんぞしている巡回班に緊張が走ったのはすぐだった。
 綺麗に刈られた低木からガサリと音がして、
「怪しい人影が」
 という緊迫する声がした。
 一斉に物音に反応し、駆けつけようとする番士達へ組頭の怒声が響く。
「バカ者っ。全員で持ち場を離れるな。枝島、喜々津。様子を見て来い。何かあれば一人追って一人は報告へ来い」
 その声に応じるように志郎は草陰から躍り出て、
「こちらに呪いの痕跡が」
 と更に警備の人数を削ぐように言った。
 ザワつく番士を一喝した組頭が、新たな二人を呼びつけて志郎に同行するよう命じた。
(「これで四人減りましたが、さて……残りをどう引き寄せましょうか」)
 残った組頭と番士四人を見遣り、思案する。
 そこへ最初の二人が駆けて戻ってきた。怪しい者は誰もいなかったと報告する。
「おい、お前。そういえば見ん顔だが、さてはお前が侵入者か」
 組頭が腰を下げ、鯉口をかちりと切った。
(「まあ、こちらの方が手っ取り早いですかね」)
「だとしたら、どうします?」
 志郎の声はもうもうと煙る煙遁の中に消えた。

 白く舞い上がる煙遁の中を、痩身の影が駆け抜けた。
 水門場の御陰口へと身を潜ませ、持ち場を離れられずに険しい顔で煙を見上げている裏番所の番士へディディエは声をかけた。
「塀からのぞく屋敷の植木から瘴気の気配が漂っております」
 細い食指を庭の木へ向ける。
「あそこでございます」
 だがそこに何があるわけもなく。
「どこだ。何も見えんぞ」
 巡回班が何者かを追っている事は様子からわかるが、それが何なのかはわからない。異常を教えるディディエを疑わないのは警備として度し難い事ではあるが、それだけ緊迫しているのだろう。
 しかも、
「いえいえそのようなことはございません、只今証拠を〜」
とディディエは一歩下がって番士達から口元を隠し、詠唱。素早く発生させた真空の刃で枝木を切り落として見せた。
 平番士の男は組頭の下へ走り、数名の番士を残して道明寺の庭へと向かった。
 残った番士が詳細を訊ねようと振り返ると、明らかによそ者である男が立っている。今更ながら踊らされていた事を知った番士達は、顔を怒りで赤くさせ、ディディエに掴みかかった。
「おやおや〜」
 頓狂な声をあげつつ、聖杖から吹雪を出して番士達から視界を奪う。そして脱兎の如くその場を逃げ出した。

「やはり陽動にも限界はあるな」
 方々へと侵入者を追って散る見廻り組達だが、持ち場を空けるわけがない。湖住は渋面のまま、これから抜けねばならない庭を凝視した。
「それでも手薄にはなった。ここからは俺とレイで何とか引き受けよう」
「うむ」
「……」
 大きく頷いたレイだが、緋桜丸は小さく溜息を吐いた。この男がいれば遅かれ早かれ見つかってしまう。その際は仕方がない。黄櫨の者には眠っていてもらおう。
「紫根、黄櫨、そして深緋の執務室の順に棟の陰を走れば見つかり難いかもしれない」
「ここの立地を知ってる湖住が言うんだ。それで行こう」
 湖住の顔を見られれば更にまずい事になる。緋桜丸はレイと目で合図し合い、湖住を間に挟むと緑青の隣の棟である紫根の執務室へと向かった。

●再び表門

 喧嘩は更に苛烈を極めていた。
「二人して私を責めるの?」
 瞬きもせずに大粒の涙を零し始めた神威に、表門近辺を警護していた隊士達がぞろりと集まってくる。
 宥める者、無言で睨む者、高みの見物を決め込んでニヤニヤと笑っている者と様々だ。
「ちょっと、聞いてたんやろ? あんたら誰が悪いと思う?」
 神座が近場の男の袖を掴んで詰め寄る。
「少し落ち着こうか」
 どうもスミマセンと頭を下げながら神座の手から隊士の袖を解放した柄土だが、
「貴方は黙ってて!」
「あんたは黙ってて!」
「すっこんでいてくださいまし」
 涙ながらに怒りの矛先を向ける神威と怒髪天の神座。さらに氷のように冷たい視線を投げて寄越す白拍子のジークリンデを前に、
「……ほんと、男ってこういう時、立場弱いよなあ……」
 柄土はあさっての方を見つつ、目尻をぽりぽりと掻いた。
「座長のクセに仕切れないのか。だらしのないヤツめ。これ以上騒ぎを起こすつもりなら……どうした?」
 開いた門から数人の隊士達が血相を変えてやって来た。
 柄土に文句をつけていた隊士に何やら耳打ちしている。開いた門の隙間から中を覗き見ると、篝火の下、何か問題が起きたようで大勢の隊士達が大騒ぎをしているのが見えた。
「……ああ済まん、なるべく早く収めるから勘弁してくれ……」
「お前らにいつまでも関わってはおれんのだ。いいから早くここから去れ」
 言うなり隊士は報告に来た男と一緒に門の中へ消えた。残った隊士達に詫びを入れながら、
「取り敢えず皆、なんとか宿を取るとしようじゃないか。ここでいつまでも口論しても始まらんし、こうなれば俺が悪い事で構わん」
「座長がそう言うのでしたら、私は構いませんわ。どうもお騒がせいたしました」
 ジークリンデは薄絹の袖で口元を隠し、目を細めて笑んだ。妖艶な微笑に瞬く間に魂を抜かれた隊士達だったが、ぶんぶんと頭を振って正気を取り戻す。
 早く行け、と手で追い払われ、旅芸人の一座は町場へ向かい歩き出した。

●裏番所を抜け

 庭の警護は数名を残して緋炎が連れ出した。
 巡回班は志郎が誘き出してくれた。
 裏番所付近の警護に当たっていた番士の気を削いでくれたのはディディエだ。
 すべての監視の目がなくなったわけではないが、潜り抜けられぬ程ではない。
 こちらの騒ぎが道明寺家の警護班にも伝わったようだ。裏番所、表門側双方が俄かに賑やかになっていく。
「門前の一悶着に侵入者となれば、統率者次第で霍乱し放題だな。……ふっ」
 レイがにやりと笑う。
「おい、レイ。ここからが正念場だぞ」
「わかっている。行こう」
 深緋の執務室の陰から裏番所を見る。二人の番士が心許なそうに警備していた。緋桜丸とレイは音もなく飛び出し、番士が声を上げる暇もない素早さで鳩尾に一撃を入れる。
 気絶した二人を草陰に放り込み、裏木戸を開けた。見える範囲に姿はないが、声は聞こえる。屋敷の向こう側にいるのだろう。
 忍んでバッタリ出くわすのは避けたい。緋桜丸は横笛を鳴らし、隊士達を誘き寄せた。駆けつけた隊士全員の気を失わせた頃には、緋桜丸とレイの額には汗が滲んでいた。
 木塀の向こう側では、そこかしこから怒声が飛び交っている。
「ここまで来れば後少しだ。もう少し付き合ってくれ」
 湖住は先んじて庭を突っ切った。一の間側の縁側に着いた。履物を脱ぎ、様子を窺いながら後ろ手に障子を開ける。
 追うように緋桜丸とレイも続いた。
 真っ暗な部屋の中で気配が動いた。対象の口が開く前に、緋桜丸とレイが素早く鎮めると、その異変を感じ取ったらしい奥の間から何事かと訊ねる女の声がした。
 俄かに顔色が変わったのは湖住と緋桜丸である。
 襖の前で畏まった湖住だが、緋桜丸が先に声をかけた。椿は幼少の頃より武芸を嗜み、その腕前は確かなものだと知っていたからだ。
「こんな夜分にすまないが……」
 だが、襖の向こうから聞こえたのは狼藉者という叱責ではなかった。
「お入りなさい」
 その言葉に湖住を始め、緋桜丸とレイは拍子抜けした。
 言われたように襖を開け、椿の居室へ入ると、彼女は夜着ではなく、彼らを待っていたように衣服を整えて座していた。
「突然のこの警護ですもの。何かあると思いましたが……まさか湖住殿が忍んで来られるとは」
 湖住は額を畳に擦りつけ、
「斯様な刻限に椿さまの居室を訪れるという暴挙に至りましたのは」
「わかっています。私は傀儡ではないのですから。蒲生には私から強く言っておきます。どうぞ、この黒塚の暗部を炙り出してください」
 すでにしたためておいた書簡を、大小の翠玉が嵌め込まれた小筒に入れると、それを湖住に差し出した。
「私は黒塚の安寧を願うのみです」
「は、感謝いたします」
 
 椿の計らいで、すぐさま警備は解かれた。道明寺直臣はともかくも、黄櫨の見廻り組は意に沿わぬと不承不承引き上げて行った。

●呟き

「誰のために悲しんで怒って、復讐したいのかしらね」
 神威は燃え盛る篝火の炎をみつめ、呟いた。俯き、
「気が付いてるはずなのにね……自分が愛したのもまた、人なんだって」
 眉を寄せ、悲しみに彩られた目を閉じる。
「我は」
 ふいに声を掛けられたが神威は顔を上げなかった。
「天仁を止めたいのだ。気付かせたいのだ……思い出させてやりたいのだ。――甘い男だと笑うか、神威殿」

 黒塚領主、道明寺椿の“翠玉の小筒”のおかげで、晴れて開拓者は自由に領内の調査探索が行えるようになった。