【傷痕】〜6
マスター名:シーザー
シナリオ形態: シリーズ
危険
難易度: 難しい
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/07/23 21:12



■オープニング本文

前回のリプレイを見る


「ふふふ……それはまた面白い事実をみつけてくれたね」
 若い青年の声が、薄暗い室内に響く。衣擦れの後、床を歩く靴音がして、もう一度青年の声が響いた。
「彼は裏切りという答えを導き出したが、さて……レイ・ランカンはどのような答えを出すのだろうね」
 言うと、声もなく笑い出す。
 その後ろから、ランプに照らし出された醜悪な顔をした小男が近づき、
「レイとかいう開拓者も堕とすので?」
 と訊ねた。
「堕ちると思うかい?」
 醜男は首を捻る。すると、骨が折れたかと思うような鈍い音がした。だが男は顔色ひとつ変えずに、
「堕とすわけですね」
 直角に折れ曲がった首を戻さずに、ニタリと笑った。

 河の辺で暮らす村で、幾人かの女子供が消えた。一年半ほど前にアヤカシに襲われて以来の事件だった。この時は、異変に気づいた下流の宿場町から開拓者らが駆けつけ、アヤカシを退治してくれた。
 また、標高の高い村では以前にもあった“野菜を売りに出た男達が戻らない”事件と酷似した現象が起きていた。この時も、開拓者が麓へ続く道で男達を捕らえ食っていた、蜘蛛のアヤカシを退治し、解決した。
 双方の村は大きく離れており、関係性はないように思えたし、人の手による誘拐神隠しとは違うようだった。
 どちらにしろ死体が出ない事には犯人ははっきりしないのだが、忽然と霧のように掻き消えてしまう為、アヤカシによる襲撃であろうと誰しもが思った。
 それぞれから事件の調査探索の依頼が出されたのだが、新たに別件で依頼が発生した。
「これは」
 依頼書を手に取り、レイは絶句する。
 飛剣天仁の過去を探る為に訪れた、あの集落での事件だったからだ。消えたのはナツ。
 ここでレイはなにか胸に引っかかるものを感じた。別々に依頼のあった二つの村の位置を確認し、己の記憶と照合させる。
 まさか、とレイは呟いた。
 二つの村の事件解決に奔走した開拓者の一人がレイ自身だったからだ。三つめの集落に至っては深く関わっていた――。
 自分のせいで彼らは巻き添えをくったのか。
 何のために。
 要求はなんだ。
 彼らは生きているのか。ナツは無事なのだろうか。
 脳裏に飛剣が浮かんだ。一つめ二つめは飛剣に関係ないが、三つめは関係している。そのどれもにレイは深く関わっていた。そして、己と飛剣に只ならぬ縁を感じずにはいられないレイは決心する。
「天仁に会おう」
 ルルは湖住に預けてある。五色老の一角、緑青の屋敷に匿われていればひとまずは安心だと思うのだが――妹の無事な姿を確認し、そして飛剣に会う為、レイは黒塚に取って返した。

 黒塚入りしたレイは、緑青の力を借りて盗賊頭に会い、故郷の場所をつぶさに聞いた。飛剣は未だ黒塚に潜んでいるとレイは確信めいたものを感じていた。そして隠れているのならば、きっとあの場所であると。
 
 黒塚から直線にして三十キロ程離れた位置に、寂れた村はあった。ただ、黒塚からの街道は直線ではなく大きく迂回した形で伸びている。
 夜半に黒塚を出発したレイは馬を駆り、到着した頃に夜が明けた。目指しているのは寂れた村ではなく、そこから更に山へと分け入った先にある一軒の家。
 かつては人も行きかう道だったのだろうが、今は草が生い茂り面影はない。下馬したレイは僅かな草の背丈の違いを見抜き、道だった場所を探りつつ進む。
 朽ちた家の前で人影が見えた。飛剣かと思い、レイは駆け出した。だが違った。
 髪を後ろに撫でつけた痩身で背の高い男だ。腕に抱えているものを見て、レイは喉を詰まらせた。作業着を着た少女で、しかもだらりと下がった腕には血の気がなく、恐らく死んでいるものと思われた。
 出かける前に見た妹は、確かに湖住の元にいた。嘘だ、と何度も心中で繰り返しながら駆け出すレイの顔は蒼白だった。
「今すぐその手を離せッ」
 おや、と呑気な声で答えながら振り返った男の、黄金の双眸が怪しく光った。
 男は、レイに向けて少女の身体を投げて寄越した。人の身体を人形のように軽々と放り投げる怪力で、ヒトでない事がわかる。
 妹かもしれないその少女を、レイは必死に抱きとめた。
「……ッ」
 受け取ると、少女は僅かに息をしていた。レイが顔を覗き込むと、ごぼっと濁った音と共に血を吐いて死んだ。少女の吐き出した血が、レイの頬、仮面、額にべっとり付く。
 少女は河の辺の村で見た顔だった。大人びているが、見覚えがある。ルルではなかったからといって安堵できるものでもない。この少女にも家族はあるのだから。
「これからが本番なのだと、飛剣に伝えておいてくれないか」
 笑いを含んだ声が頭上から降りかかる。
「天仁がどうした……? おい、貴様ッ」
 レイが顔を上げると、金目の男の姿は掻き消えていた。男を捜そうと少女を地面へ置くと、背筋が凍る程の殺気を感じ、レイは思わずその場を飛びのいた。そして、逃げたレイを追うように斬撃が地を疾ってきた。
 攻撃が放たれた場所を見る。男が立っていた。目指す男、飛剣天仁だった。だが、様子が明らかに違っていた。
「お前が殺したのか。一度は救っておきながら、なぜ殺める。やはり人間というものは――……愚かしいッッ」
 生きる価値なし。飛剣の二撃目はそう叫んでいた。これまで戦った時には見せなかった激情を、眼前の賞金首は迸らせている。
「先ほどの男の事、聞かせてもらうッ」
 ぎしりと音が聞こえる程にレイは拳を握り締めた。
 愚かしいのはどちらだ、とレイは歯噛みしながら呟く。







■参加者一覧
緋桜丸(ia0026
25歳・男・砂
柄土 仁一郎(ia0058
21歳・男・志
緋炎 龍牙(ia0190
26歳・男・サ
柄土 神威(ia0633
24歳・女・泰
蒼詠(ia0827
16歳・男・陰
ディディエ ベルトラン(ib3404
27歳・男・魔
長谷部 円秀 (ib4529
24歳・男・泰
神座真紀(ib6579
19歳・女・サ


■リプレイ本文

 湖の言伝通りの場所へ駆けつけてみれば、草深い林から不穏な物音が聞こえる。
「これはどういうことだ……」
 状況がわからない緋桜丸(ia0026)は思わず呟いた。
 すでに飛剣天仁と戦闘を始めているレイ・ランカンの傍には、見覚えのある衣服を纏った少女と思われる姿があった。ぴくりとも動かないところを見ると、すでに息絶えているのだろう。そして、二人の諍いも恐らくは――。
(「レイと天仁……この誤解、何やら仕組まれた糸を手繰り寄せる必要がある」)
「双方抑えろ……と言っても聞く耳持たんか。ああもう、馬鹿共が!」
(「思い込みが激しいというか直情径行というか、レイと飛剣って似たもの同士じゃないのか、もしかして」)
 柄土 仁一郎(ia0058)と緋桜丸は同時に飛び出していた。
 飛び出す彼らの背を見つつ、
(「どうやら、飛剣とは別に何かしら絡んでいるようだねぇ……」)
 呟き、緋炎 龍牙(ia0190)もレイの元へ駆ける。
「ひょっとしてあの男があの時の黒フードの中身なのですか? では余計に負けられませんね」
 蒼詠(ia0827)は鼻息荒く、意気込んで見せる。
 次々に駆けつける仲間達の存在に、レイはまだ気づいていない。
「僕もあれから少しは強くなったつもりです。今度は役に立ってみせますから」

 レイの傍に駆けつけた開拓者らは、素早い状況判断を求められた。面子を見渡し、最善の策を弄する。
 実戦で鍛えられた彼らに、多くの言葉は不要だ。
 少女の死と、それがアヤカシの仕業であることも事実であろう。この場にいる“アヤカシ”側の者は誰か。
 答えは飛剣天仁だ。
 この男から話を聞くまでである。その為の策を瞬時に叩き出すのだ。
 近接攻撃が主となる前衛組は武者震いに笑い、後方支援組は緊張に頬を攣らせた。
 策は決まった。
 後は、各々が寸分違わぬ働きで天仁を追い込むだけだった。

(「随分と激情に乱れている……天仁らしくない。激情に振り回されているのなら、危険ではあるが好機でもある」)
 長谷部 円秀(ib4529)は、自身が立てた作戦を悟られないよう飛剣との距離を縮めつつ、機を狙って懐へ入ると、蹴りと打突の猛攻撃を仕掛けた。飛剣は虚心でそれらをかわし、柄頭をカウンター気味に長谷部の横っ面へ見舞う。
 長谷部はわずかに足をよろめかせ、べっと口内に溢れた血を吐き捨てた。
 次いで柄土 仁一郎(ia0058)が猛襲する。
 羅漢の穂先が天仁の脇腹、肩、首とを襲う。隙のない突きは脇腹と肩を掠めたが、首を狙ったところで穂先を薙ぎ払われた。返す刀で柄土の両腕は横一文字に切り裂かれ、血飛沫が上がる。
「ッッ……!」
 飛剣の意識が眼前の柄土に集中している隙に、緋桜丸が背後から、緋炎が左脇から躍り出た。
 緋桜丸の虎徹を炎が包む。蝶が飛ぶようにふわりと、しかし鋭利にその刃は飛剣の背を切り裂いた。
 だが、迸る殺気を気取られたか。飛剣は大剣を背中へ回し、刀身を盾に緋桜丸の斬撃を凌ぐ。
 それでも意識はまだ眼前にあり、防御は薄い。
 先の柄土、背を襲う緋桜丸にあって、意識が僅かに自身から反れたのを緋炎は見逃さなかった。
「今回はどうやらいつもとは違う事情のようだね。ならばなお更、負ける訳にはいかないねぇ!」
 刀身を盾にしている好機を逃さず、飛剣へ二刀を翳し、斬りかかる。
 すばやく飛剣は蹴りで緋桜丸の身体を回転させて押し返し、盾とすると緋炎からの攻撃を逃れた。
 神座真紀(ib6579)が裂帛の気合一閃――一気に間合いを詰めると、緋炎の二振りの切っ先から逃れた飛剣に斬撃を放つ。
「あんたは誰かに裏切られたんか?」
 上背のある飛剣を睨み上げながら問う。情を交わすには短すぎる少女との時間――だが、現実に飛剣は少女の死に激昂している。誰かを重ねているのか? 
 飛剣は袖を裂かれながらも神座の体当たりをかわす。
 神座の問いには答えない飛剣は、開拓者らを一瞥した。激情未だ冷めやらないようではある。
 飛び出してきたレイを竹林で撫で斬りにした。真っ直ぐに振り下ろされた大剣を、レイは真っ向から受ける。血しぶきをあげながらもさらに駆け、飛剣へ拳をふるう。
 レイの攻撃をかわすと同時に剣を素早く真横に薙ぎ払い、放たれた疾風の礫が長谷部、神座、緋桜丸を襲った。
 周囲に血の臭いが立ち込める。
 柄土 神威(ia0633)は急ぎ白霊癒を詠唱した。傷を癒すと同時に駆け出す三人の全身が清浄な光に包まれる。額の汗を拭いながら、詠唱が間に合ったことをディディエ ベルトラン(ib3404)は喜んだ。
 飛剣に二撃めを与える隙をやるものかと、四方から降り注ぐ開拓者の攻撃は激しさを増した。
 飛剣の表情が微かに苦悶の色を帯び出す。
「これって憎悪云々より、貴方が単純にすごく悲しんでるように思えるんだけど」
 神威が言い放つ。
 何を言っているのだ、と飛剣は瞠目した。
 だが静かに――しかし唐突に堕ちた志士の雰囲気ががらりと一変した。飛剣の顔から激情が引いたのだ。
 瞳を玲瓏とした色が覆い、口角には薄笑いさえ浮かべている。
 飛剣の変化に気づいたが、刹那、大剣が緩やかに、だが恐ろしいほどの早さで円月を描いた。
 瞬く間に柄土の膝が折れた。がくりと両手をついたその地面に、ぼたぼたと血が流れ落ちていく。
 皆の顔が蒼白になったが、すぐにそれは冷静に縁取られた闘争心へと変化した。
 悲痛な叫びを喉の奥に押し込め、駆け寄る神威に柄土を託し、すでに満身創痍の四人は飛剣の元へ殺到する。
 次に為すべきことは飛剣を罠に嵌めることである。すでに飛剣はその術中に嵌っていると言っていい。仲間をやられ、激情に逸って見境なく攻撃してきていると思っているはずだ。
 草深い場所へと誘い込めばいい。
 罠はもう仕掛けられている。視界の隅に、蒼詠が映る。汚名を返上してみせるのだと心に誓った少年の顔は、以前飛剣との戦いで屈辱を味わった頃よりも遥かに成長して見えた。
 長谷部とレイが呼吸を合わせ、同時に跳躍する。レイさんの直情は強さにもなりますが脆さにもなる――長谷部の言がレイの心を落ち着かせていた。
 レイのつま先が飛剣の頬を掠めた。入れ替わるように現れた長谷部は半身を捻り、遠心力で威力の増した踵で飛剣のこめかみを撃ち抜く。
「う……」
 と飛剣が呻いた。
 一歩二歩と、後退するが飛剣の目は死んでいない。獰猛な光を湛えたまま、大剣を担ぎ、打ち下ろす。
 緋桜丸と緋炎は絶妙な呼吸でその一撃をかわし、誘うように飛剣の背後から襲う。風に舞い散る木の葉のように、ふわりふわりと二刀を振るい、飛剣を追い詰める緋炎。
 かわすばかりで攻撃の機を読めない飛剣が、ここぞと踏んで切っ先を躍らせれば、緋桜丸はそれを乞食清光で流し、間髪入れずに虎徹を打ち込む。返す清光は飛剣の脇腹を突いた。だが、相手はあの飛剣である。腹を突かれたにも関わらず、顔色ひとつ変えずに至近距離から剣を突き下ろしてくる。鈍い音がした。肉に刃物が沈み込む音と骨が打ち砕かれる音である。
 緋炎が叫びながら斬りかかった。どさりと草むらに倒れる緋桜丸は、震える手で懐から止血剤を取り出した。
 友の身体から引き抜かれた剣には血がべっとりと付いていた。緋炎は、身体の芯が燃え上がるのを感じた。飛剣が薙いだ大剣から緋桜丸の血が飛び散り、それを歪んだ笑みで緋炎は受ける。どうしようもなく滾る闘争心とは裏腹に冴え渡る脳髄が、冷静さを保たせていた。
「アヤカシの好きにさせる訳にはいかない……必ず追い込んで滅してやる……」
 だが、飛剣の心はすでに寒巌のように冷え切っていた。無常の剣が緋炎の筋骨を肉の上から粉砕した。
 飛剣を罠に誘いきるまで――柄土と神座が足を使って飛剣を追い込む。あと少しだ。膝近くまである雑草を踏み散らしながら、二人は飛剣に斬りかかり、勝負の場を徐々に呪縛符の仕掛けられた位置へと移していく。
「あんた、人を信じた事あるか?人を信じん者を誰も信じてくれへんで。どうせ裏切られたんもあんたが相手を信じんかったからちゃうのん?」
 神座は飛剣の心に揺さぶりをかけた。だが飛剣は無言を貫く。
 柄土の羅漢が煉獄の炎に包まれ、縦横に飛剣を襲う。大剣を巻き込み、打ち上げ、隙を作り上げていく。二撃めで足元を掬うように薙ぎ払うと、飛剣は上手い具合に呪縛符近くへ着地した。
 一つめの呪縛符は失敗した。
 だが、飛剣の姿勢は立ち直っていない。好機である。神座がすかさず大きく跳躍して間合いを詰め、長巻を突き上げた。しかしそこに飛剣はおらず、行方を失った得物は空しく空を切る。
 神座の頭上から、「いい気迫だ」と声が降りかかり、視線を移すと、見上げた飛剣の肩越しに仲間の姿があった。
 血と土がこびりついた神座の口元に、笑みが浮かぶ。
 それと悟った飛剣だが、防ぎきれなかった。全身を襲う激痛に初めて顔を歪ませる。
「借りを返します」
「……なっ……ッッ」
 体当たりと共に強烈な打撃を長谷部から喰らう。今にも口から臓腑を吐き出してしまいそうな痛みにも関わらず、飛剣は堪えた。
 後ろへ大きく跳んで距離を取る。その足元にも呪縛符があった。
 飛剣の忌々しげな舌打ちが聞こえる。その意識がいくつもの仕掛けが施された草むらへと向けられると、ディディエの出番である。
 ディディエの小さな詠唱は林を吹き抜ける風にかき消されるが、地面から生き物のように伸びてくる蔦は、すかさず飛剣の下肢を捕らえた。
 呪縛符が確実に足元を押さえた事に、 蒼詠は安堵の溜息を漏らしたが、すぐに緊張感に満ちた表情へ戻し、「前回みたいな事にはならないつもりですから」と、怪我を負った仲間の手当てへ集中する。
 ディディエは続けざまにアイシスケイラルを撃ち込んだ。氷の槍と矢が天仁を襲うが、飛剣はそれらをいとも容易く剣で払い落としていった。氷の矢は、飛剣の周囲でいくつも破裂しては白い冷気を散らした。
 それでもディディエは諦めない。強い精神力で飛剣へと氷の矢を撃ち続けたが、次第にコントロールが鈍っていく。飛剣の剣捌きが氷の矢を凌駕し、最後の一矢までも無常に払い飛ばした。さくり、と軽い音を立て、地面に突き刺さると小さな破裂音と共に冷気を放ち、矢は霧散した。
「……」
 飛剣は剣を下ろしたが、士魂烈々とした様に、開拓者らは呆然とした。
 まだ余力があるのか。
 誰もが思った。こちらはすでに満身創痍の者ばかりだ。手傷を負っていない者といえば回復手の神威と蒼詠、それから術師のディディエだけだった。神威は攻撃に転じることも可能だが、果たして飛剣に対抗しうるかと言えばかなり難しい。
 その神威も、夫、仁一郎の傍らに寄り添っている。仁一郎は僅かに指先を動かしているのみだ。緋炎も同様に動けずにいた。肩を大きく揺らし、獰猛な色を湛えた双眸で飛剣を睨みつけている。
 飛剣の視線がゆっくりと、開拓者を見据えていく。そして最後に自身が妻と暮らした家を見た。開けた場所に、少女の遺骸が横たわっている。
 飛剣は剣を収めた。
「人は愚かだと言う貴様もまた、人ではないか。怒りに任せたその目では、見える物も見えないぞ天仁」
 緋桜丸が言う。
 冷えた目で飛剣は口を開いた。
「よく見えたさ。人の愚かさ身勝手さ……なにより醜さがな」
 深い悲しみを越え、純然たる憎悪がそこにあった。凄烈な憎しみを柘榴の色の瞳に佇ませている。
「以前から不思議に思っていたのですが〜。なぜレイさんにそうつっかかられるのでしょうか? 何がしかのですね近親感……それとも近親憎悪のようなものがあったりするのでしょうかねぇ。それからですね、女性を手に掛けるようなことが、この御人に出来るとお思いです? この御人が為される事を眺めてこられた経験を踏まえて考えて頂ければ〜、応えは自ずと明らかかと、はい」
「レイさんが人を手に掛けれるわけないじゃない。今までレイさんの何を見ていたの?」
 神威の声は剣呑としていたが、そんな彼女の手を仁一郎が優しく握り締めた。
「人間はわからんものだ。たやすく弱者を切り捨てもできるし……俺のように殺す側にまわる者もいる」
「ナツ殿の居場所……それから、先ほどの男の事も話してもらおう」
 努めて平静を装っているが、レイの声は震えていた。
「ヴァンだ。ヴァン・レイブン。あいつはすぐには食わんからな。まだ生きているだろう。救いたければその者が暮らしていた場所の近くにある、洞窟を探せ」
 素直に答えた飛剣を、レイは訝しむ事はなかった。最愛の者と暮らした場所で虚言を口にするとは思えないからだ。
「教えて欲しいのだが、ヴァンのこの言伝にはどんな意味があるのだ」
 レイは謎の男からの言葉を飛剣に告げた。

「これからが本番なのだと、飛剣に伝えておいてくれないか」

 この言葉に飛剣の表情がわずかに曇った。眉尻をぴくりと動かし、唇を引き結ぶ。そして踵を返すと、
「俺は殺す側だった。それを思い出させてくれたことに感謝する」
 飛剣の声はどこまでも深く暗く、謝意とは懸隔した色を帯びたまま、吹き抜ける風の中に消えていった。

 少女の検分には細心の注意を払いながら、神座と神威があたった。
 刀傷はなく、首筋の噛み痕という独特の傷跡に、レイが見た男“ヴァン・レイブン”は吸血鬼であり、少女を殺害したのもこのアヤカシだろうと推察した。
 神座は手拭いで少女の血を拭き取ったが、乾いてしまったそれらを綺麗に拭うことはできなかった。
「この子の明日を奪った奴らを絶対許さん」
 乱れた髪や襟元を整えながら、神威は溜息を吐いた。不意に竜胆の花言葉が脳裏をよぎる。
「……本当の狙いは何なのかしら?」
 知恵のある厄介なアヤカシがあえてその姿を晒し、誇示するのにはなにか理由があるはずだ。

 ヴァン・レイブンというアヤカシが言い残した言葉の意味はなんだ――。
 これからも、自分に関わった者達を殺し続けるという意味なのか。
 強く握り締められたレイの拳は白く色を失っていた。