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■オープニング本文 前回のリプレイを見る 陰殻は青牙の里――。 「陣青の縁者だというから働きが悪くとも置いてはおったが‥‥そろそろ里の役に立ってもいいんじゃないのかね」 この里での保護者だった遠縁の男が任務遂行中に命を落としたとの報を受けてから、しばらく経った日であった。 一人の上忍が夜更けにアズサの寝起きする小屋をひっそりと尋ねてきた。 里の中でも外れに建てられたあばら家。隙間風が入り込んできて薄い布団を被っていても夜中にはしんしんと冷えて震える。 厭らしい笑いを頬に浮かべながら上忍がくいとアズサの顎に手を掛けて顔を上げさせる。 「動きは悪いわ、不器用だわ。全く使えない娘だが‥‥ふむ、まぁ器量だけは悪くないよのぉ」 じろじろと少女の身体を隅から隅までぎらついた眼で舐めるように観察する。灯火などない。開け放したままの戸から射す月明かりが彼女の顔を照らしている。 音も無く更に距離を詰めた男の汗ばんだ厚ぼったい手が少女の太腿に掛けられ、生温い息が頬に吹きかけられる。 「おなごにはおなごだけが使える武器がある。役立たずのお前だとてそれ位の役には立てるわな」 修行だ、俺が優しく伝授してやるからな。そう言った男の身体が覆い被さった時である。 「ぐぇっ」 妙な声を上げて力の抜けた男の身体が重くアズサの上に圧し掛かっている。 何が起きたのか。除けようと男の身体に掛けた手が触れたぬるりとした感触。その先には深々と突き刺さった鋼鉄の冷たさ。 「つまらない男ね‥‥貴方、これ以上こんな里に居てもしょうがないわよ」 年の頃はアズサよりも下、されど落ち着いた自信に満ちた声色。闇に溶けるような色の忍び装束を纏った少女が入口に立っていた。 小柄な身体。肩の辺りで切り揃えられた黒髪。顔は月明かりを背にしていてわからない。 「一緒に来なさいな。貴方を助けてあげる」 里の上忍は既に事切れている。一撃で致命傷を受けたとはとうてい思えないのだが、舌を出し苦悶の表情で胸を押さえて眼を見開いたまま。 毒‥‥それも速効性の猛毒か。 それぐらい想像するくらいの知識はアズサにもある。この山ではその材料が取れる為、里秘伝の毒が幾種類かある。 存在すると知っているだけで作り方はアズサのような下っ端には全くわからないのであるが。採取すら危険だから未熟な者にはさせて貰えない。 このまま残ってもアズサが殺害の非を問われ、何を言おうとも殺されてしまうだろう。弁明など聞いてくれるわけがない。 脱出するしか道は無く、謎の少女に連れられてアズサは里を後にした。 「そうそう、私の名前は氷納って言うの。よろしくね」 ●影 「アズサを探せ」 「はっ」 「どうやって毒を入手したか知らぬが、未熟者がやりおるではないか」 「連れ戻しますか‥‥?」 「手間が掛かるようだったらその場で始末して構わぬ」 一度里を抜けて連れ戻されればどんな目に合うかはアズサもわかっておろう。死に物狂いで抵抗するに違いない。 「暁青、里の在庫を隈なく確認せよ。不審な奴がおれば独断で処理して構わぬ。報告せい」 「ところで厳青の亡骸はいかが致しますか」 「小娘にむざむざやられるなど上忍ともあろうものが恥晒しじゃわい。見せしめにその辺に捨ておけ」 ぼさぼさの白髪。髭との境もわからぬ程伸び放題の年齢不詳の老人が、顔を顰めて唾を吐き捨てる。 ●闇 「復讐‥‥?」 「したいと思わないかしら。貴方をずっと虐げてきた人達に」 「‥‥」 アズサの胸の中に黒い物が無いとは言えない。悔しくて悔しくて、憎悪が殺意まで膨らむ事も一度ならずあった。自分に力があれば。 「今すぐじゃなくていいのよ。でもこのままじゃ貴方のほうが殺されてしまうわ」 優しく肩を抱き締める氷納。背中から廻されたその細い腕に安心感を抱き瞳を閉じるアズサ。 里から遠く離れた朽ちかけた小屋。シノビの小屋ではないのだろう‥‥それなら真っ先に里の者に見つけられる。 「ここもすぐに見つかるわ、きっと」 だから早く決めなくては、アズサは生きてはゆけない。 首筋に頬を当てて寄り添った氷納の唇が邪悪ににんまり笑ってるのは彼女からは見えない。 「貴方が決意すれば、手伝ってあげるわよ」 陶器の瓶に厳重に封をされた猛毒がアズサの目の前に置かれている。 空気に触れれば急速に劣化するので武器に塗れば数時間のうちに用いなければならない。だがやり方次第では心の臓を麻痺させるまであっという間。 上手く立ち回る事ができれば非力なアズサでも容易に復讐を遂げられる‥‥。 この地にアズサが暮らす事を突き止めてから、氷納は里を手下を使って観察してきた。 小動物を操るのはお手の物。目や耳となり手足となり、シノビ達の隙を狙って毒を盗み出すのも存外簡単にいった。 自分達の作った毒で死なせるのは愉快な気分だ。志体持ちのシノビ達、さすがに正面から殺しに行くのは骨が折れる。 観察しているうちについでに良い拾い物をした。あの時残した獲物がこんなに楽しい成長をしているとは。 虐げられ、恨みつらみを抱く少女。成し遂げた後、それを絶望に変えるまでは時間をじっくりかけて遊んでやろう。 ●澱 伊津の示した記憶を頼りに作った簡単な絵地図。それなりの見当を付けて道のりを辿った開拓者一行。 「だいたいこの辺りですかね‥‥」 「何者か知らぬが‥‥ここより先は我らの領域である。用の無き者は去ね」 無理に通らば容赦せぬ‥‥そう殺気立ったシノビ達にいきなり取り囲まれた。里のシノビが警告に現れる事はむしろ期待していたが、雰囲気がずいぶんと険悪である。 「私達は‥‥」 用向きを伝え、懐の伊津の手紙を差し出して里への案内を請おうとしたその時だ。覆面をした男達の目の色がハッと変わる。 「アズサだ」 「行け、始末しろ」 開拓者達をそっちのけで走り抜けるシノビ達。風のように抜ける八人の影。 振り返ったその先には彼らと同じ衣装を纏った少女が青い顔で立ち尽くしている。足が竦んで動けない。 理由は判らねど、少女が殺されてしまいそうな場面に遭遇して開拓者は――。 一瞬の判断が、動きを決める。さてこの物語はどのようにして始まるのか。 |
■参加者一覧
静月千歳(ia0048)
22歳・女・陰
北条氏祗(ia0573)
27歳・男・志
虚祁 祀(ia0870)
17歳・女・志
露草(ia1350)
17歳・女・陰
新咲 香澄(ia6036)
17歳・女・陰
バロン(ia6062)
45歳・男・弓
以心 伝助(ia9077)
22歳・男・シ
茜ヶ原 ほとり(ia9204)
19歳・女・弓 |
■リプレイ本文 「ちょっと待って!」 「全員動くな!」 咄嗟に出た新咲 香澄(ia6036)とバロン(ia6062)の声が交差する。 (アズサさん‥‥?) 狙われている少女。殺されてしまうと瞬時に判断した開拓者達はシノビを阻止すべく動き出す。 木々を回り四方から放たれる飛苦無、姿が見えた瞬間に放たれる呪縛符。飛び出したシノビをバロンのバーストアローが吹き飛ばす。 それでもまだ間に合わない。 「やむを得ないわ」 茜ヶ原 ほとり(ia9204)の放つ正確な矢がシノビの利き腕を貫く。以心 伝助(ia9077)がその隙に刀の峰で打ち、組み伏せる。 身が竦んで動けないアズサを咄嗟に身をもって庇いに割り込んだ虚祁 祀(ia0870)。傷を受けても自分の刃は抜かない。鞘ごと叩き入れてシノビを退ける。 「逃げるよ」 腕を引き自分の傍に寄せると抱えるようにして走り出す。飛苦無が背中を抉る痛感を受けても気合で無視する。 露草(ia1350)が後を追い、静月千歳(ia0048)がシノビを一人弾き飛ばして嘆息をつく。 「どうしてこう、何時も何時も厄介な状況なんでしょうね」 攻撃の手が一瞬途絶え、バロンとほとりが立ちはだかるのを確認してから身を翻す。 伝助は冷たい殺気を放ち、膝の下でもがこうとした男と視線を合わせる。任務の顔。シノビ同士の意の探りあいが瞬時行なわれた。 ふんと鼻を鳴らした男は、抵抗を止めた――。 「追わなくていい」 アズサを保護し逃げ去る者達との間に立ちはだかった半数の開拓者。 邪魔をするなと攻撃を尚仕掛けようとした同胞達を制してリーダー格の男が一歩進み出る。 覆面で特徴は隠されているが、落ち着き相応の年齢と貫禄を感じさせる。 ちらりと仲間と目線を交わしてバロンは弓の構えを解かぬまま一歩進み出て男の真意を探ろうと伺う。 男が制した事によって争いの場は静止した。が、緊張の糸は張り詰めたままである。 「何故邪魔をする。これは我らの身内の事ぞ」 「いきなり始末と年端もいかぬ娘に本気で殺気を放つのを見て、知らぬふりはできぬな‥‥それに」 「あの人がアズサさんですよね‥‥ボク達、彼女に用事があって来たんです」 言葉を続けたのは香澄。確かにあの娘はアズサだが、一体アズサに何の用事だと男の眉が訝しげに動く。 どうやら話は聞いて貰えそうだ。この男はそれなりに自分の考えを持って動ける地位のようである。 荒縄で動きを封じたシノビの首に刃を当てたまま伝助がそっと息を整えた。 相手も任務ならば、こちらも任務。話し合う余地の無い覚悟もシノビ同士なら有り得る事だった。 開拓者生活を送っているとはいえ伝助もシノビ。陰殻山中のこの張り詰めた空気に触れていると、その状況が感覚で理解できる。 「なんでアズサさんを追っているのですか」 その問いには答えない。が、任務と眼は答えている。一人前のシノビにも見えなかったが何があったのか‥‥。 「お前達も用もなく山中深くまではやって来ないだろう、用事は何だ」 特に隠す謂れもない。シノビの里に事前の繋ぎも無く突然押しかけた非礼については詫び、バロンは丁寧に事を順に説明した。結び、氷納はおそらく次はアズサを狙う。 「今までの手口からして、里自体がやられる事も考えられる。できれば長と話がしたいのだが」 「見ず知らずの者を里の中に入れる訳にはいかぬ」 未だ警戒を解かずきりりと弓を引き絞り無表情を保ったまま鏃を向けるほとりには一顧だにせず、男は落ち着いた口調できっぱりと答える。 静かだが覚悟が出来ている涼やかな顔。撃つなら撃てばいい。バロンの眼光にも微動だにせずまっすぐに見据える。 「おぬし達の里の大事になるぞ‥‥氷納はそこらの獣アヤカシ風情とは比べ物にならん」 それにも首を縦には振らぬ。 「先程の様子を見るに、アズサを利用して既に何かやらかしておる様子ですがのう‥‥」 演技とも本音ともつかぬ嘆息。バロンが僅か閉じた瞼を再び開くと、男は自分の胸の内を探っている様子に見えた。 偶然遭遇したシノビの小集団をこの男が率いていたのが僥倖か。長の命を直接受ける立場、厳青の亡骸も直接その眼で検分している。 長に問われもせぬのに疑問を呈す余地は無かったが、アズサが一人でやったとは思えないという感想は抱いていた。 「何かあったんですな?」 「‥‥アヤカシの仕業だと言うのだな。そしてお前達はそのアヤカシの事をよく知っていると」 しかしお前達自身がそのアヤカシの罠ではないとどうやって証明できるのか。そんな胸の言葉まで聞こえてくるような気がした。 頭の回転の速い男だ。多くを語らずともバロンの口を借りた開拓者達の言い分は察したようだ。 「この情報は里にも充分有益かと思いやす。姿形は判っているので知っておくと」 絵心のある者に頼んで用意しておいた氷納の似顔絵。これ一枚しかないが躊躇わず伝助は紙を差し出した。 男の目に反応は無い。里にはまだ直接姿を現してはいないか――。 「アズサはお前達の仲間がそれでは確保したのだな」 その身柄の件はひとまず横に置いておこうと、男は言った。遠くへ行かないのであれば後でどうにでもできる。 長との繋ぎは取ってみるが、直接対面できるかどうかは期待しないで貰おう。 無力化された幾人かの解放を要求し冷たく一瞥する。男に睨まれた下っ端のシノビ達は開拓者に遅れを取った事を恥じているようだ。 何か声を掛けても一切返事をしない。武器を仕舞わぬまま、男達の背中を追って歩くバロン達。 アズサと一緒に行った者達と合流できるだろうか、ふと後ろを振り返った伝助。目印に小枝で矢印を置く。 男は気付いたようだが、別に止めもしなかった。 「とりあえず小屋で休んでいて貰おうか。案内しておけ」 それだけを言い、手勢を見張りに残して男は山を駆けて行った。シノビ達は困惑の目を見交わしている。 男はそう待たせずに戻ってきた。 「我らは我らで警戒する。干渉しないで戴こう。ただしこちらもお前達に干渉しない。里に直接立ち入らぬ限りはお前達の行動を容認する」 秘密主義。シノビの里には彼らなりの理屈がある。事情を良く察せられる伝助はその言葉に頷く。自由に動かせて貰えるだけ回答は好意的か。 「アズサさんについては、終わるまで殺さないで貰えるでやすね?」 是。 「この小屋を拠点に使って構わぬ。何かあったら近くに誰か必ず居るので繋ぎは可能だ」 目の届く所で動いてくれた方が都合がいい。流青と男は名乗った。彼がこの件に関しては動いてくれるようだ。 「まずは合流っすね・・‥」 ●復讐する少女 「アズサさんですね?」 突然見知らぬ者達に助けられ戸惑いを見せる少女。名の確認に素直に頷く。 シノビらしい格好はしているが全くその雰囲気は足りない。先程の動きを見ていても素人だ。 「伊津さんの使いで参りました」 露草が携えた手紙を差し出す。彼女がそれを読む間に千歳は祀の負った傷を式で癒す。 「アズサ達の故郷を滅ぼしたアヤカシが生き残りを襲ってるから、生き残りの一人の伊津に聞いて安否を確かめにきたんだ」 そう聞いてアズサも見知らぬ開拓者達に心を解いた。伊津の使いで来た開拓者なら‥‥。 「伊津さんも大変な目に‥‥」 手紙を読み終えて事情を知ったアズサの目に涙が浮かぶ。あの時、置き去られるようにして別れる羽目になったが自分の事は忘れずに居てくれたんだ。 「今も里で暮らしているんでしょう?何故追われていたのです」 道なき道を何処へ向かうというあてもなく移動しながらアズサに事情を尋ねる。方角だけを失わなければ元の道には戻れるはずだ。 話が進むうちに氷納の名が出て皆の顔色が一瞬曇る。既に接触していたか、それも卑劣なやり口で。 だがアズサにそれと悟られないようあえて何も言わぬ。目配せだけで三人とも気持ちは通じた。 だいたいを聞いただけで氷納をよく知る彼女達は、アズサが既に手駒として懐に入れられている事を悟った。 自分を追う開拓者が来ていると知れば余計な知恵を働かせて厄介な動きをされるだろう。 「何故戻ったのです。戻れば殺されるだろうと分かっていた筈です――」 千歳の言葉に唇を噛み締める。年齢の割に幼いと言える素直な表情には色々な感情が浮かんでは消える。 「それでもここに来たという事は、それなりの理由があっての事ではないのですか?」 自分の話を真面目に取り合ってくれる同年輩と言っていい少女達との会話で、アズサは胸の想いを色々と吐き出した。 今までつかえていたものが溢れ出る。氷納だって他の里のシノビだから――アズサはそう思っていた――どこか薄い膜を感じていた。 宥め促し、復讐という言葉がふと洩れ出た時、氷納の意図が判ったような気がした。 そしてアズサ自身はまだ決断ができていない。 だから出てきたのだが、里の殺意を目の当たりにして気持ちは固まった。今までの仕打ちに対する想いも交えて吐露する。 やるしかない――。 それには賛成も反対もしないけれど。一呼吸置いて千歳は告げる。 「私達はその計画に協力する事はできませんわ」 私達に会った事も手紙の事も氷納にも言わないほうがいい。これは個人的な事だからシノビの身内の事には関係がないのだから。 用件は果たしたのでこれで帰りますから。復讐の為に命を投げ捨てるような事だけはしないでください。 「そのうち奈津ちゃんの顔を見に来てくださいね。伊津さんもきっと喜びます」 そうアズサには告げて一行は別れた。 アズサの気配が去りしばらく経つのを待って再び道へと方角を変えて戻る。獣の気配は無かった、氷納はまだ接触に気付いていないと思いたい。 (相変わらず、悪趣味な事をしますね‥‥氷納) 残してくれた目印もあって、伝助が途中まで迎えにもきてくれたので合流は問題無かった。姿は無いが陰供が居る事は承知して一緒に小屋へと向かう。 「やっぱり来てるんだね。これ以上氷納の好きにはさせないんだから!」 拳を握り締める香澄。二度までもその目前で逃げられた。今度こそ‥‥ケリをつけたい。 「人の心を誑かし、今度はそのような手で来たか」 策を施すのを逆手に取って、奇襲を掛けられないかとバロンは思案する。 アズサにはまだ正体を明かしていないようだ。彼女を使って『遊んで』からというつもりなのだろう。 小癪な少女のにんまり笑う顔が脳裏に浮かぶ。 「たぶん高みの見物と洒落込むでしょうけど、近くに来ないわけがないですね」 唇に指をあてほとりも考え込む。どうやって氷納を包囲して開拓者の手の内にその身を晒させるか。 「復讐に訪れるのを待ち構えるのが一番確実かと思います」 隠れ住んでる場所を探せば悟られる。こちらの動きは最小限に。 里の協力も必要となるが。流青は話の判る人間のようだし状況判断に富んだ者と見受けられる。 繋ぎを取ればそれと悟られずに罠を張れるのではないか。地理も心得ていよう、聞いておいたほうが良い。 相談がある程度纏まったところで伝助がそっと小屋の外に出る。真っ暗闇だが、数歩進むうちに気配が近づいてきた。 「お願いがあるでやす。流青さんに――」 手招きにぴたりと寄ってきた一人のシノビに耳打ちするように計画を告げる。 「承知」 闇に気配が素早く消えた。伝助もすぐに小屋の中に音も無く戻る。 大人数では身体も横にできないほど狭いが、朝からは野に潜む事になる。少しでも休んでおこう。 ●氷納包囲作戦 アズサの探索は流青の厳命を受けた少数だけで続けられた。里のシノビ達の動きには変化はない。 糧食だけを口にして、里近くの山野に散って待ち構える開拓者。襲撃が決行されれば流青が追い込んでくれる事になっている。 氷納だってアズサが捕まる前に始末を付けたいはずだ。そう待たずして来ると。 一昼夜が過ぎて焦れも胸中に浮かぶ頃。朝餉の頃合。シノビの里相手に夜討ちは不利と見たか――。 露草の放った鳥の視界に一瞬小柄な人影が映った。氷納かアズサかそれは判らない。 今更合図も送れないが、アズサ単独にしてやられるシノビ達ではなかろう。しばらく待って里の方向に喧騒が訪れた。 「アズサ一人だ。我らだけで充分!」 流青の声が響く。賢明な追い方だとバロンが頷く。氷納が手出しするなら個別に片付けようとするだろう。 逃げるアズサ。鍛錬と経験を積んだ流青達が周到に計画の地点へと追い込む。 もう追いつかれる――という時、木陰から飛苦無が二本飛んできた。シノビ達は飛び退き、地面に黒く濡れた刃が突き刺さる。 再び飛苦無を放ちながら動き出す影。その前に早駆で寄った伝助が立ちはだかり足を一瞬止めさせる。動く先は音で悟った。 再び地面を蹴って走るシノビ装束の影をバロンとほとりの矢が追う。 「アズサさん!」 香澄の声にアズサが驚く。帰ったはずではなかったのか。足が止まってしまう。 彼女の保護が最優先と祀、千歳、香澄が囲んで護る。 見覚えのある顔ぶれに罠と悟ったのか、シノビ装束で顔も隠した娘――氷納――は術を放つ。 容赦無く連発する氷の嵐、氷納は幾多の手傷を負いながらも包囲を強行突破する。 懐に飛び込んだ露草。自信の攻撃が当たった手応えを感じたが同時に氷納の手にした毒の刃を受ける。 耐え難いほどの激痛が駆け巡る。 「‥‥次は貴方達を直接殺しに行くわ!許さない!」 怒りに満ちた声。今までの氷納の声色には含まれなかった真に怒り心頭の声。 苦痛に身をよじらせた露草を突き飛ばした氷納は山中に消える。追おうとした者もあらん限りの術を撃ち込まれ追撃の断念を余儀なくされる。 氷納もおそらくは限界だったはずだ。あと一歩――。 流青の指示を受けたシノビ達の手当てを受けて、開拓者達は煮えたぎる想いを噛む。 露草の受けた毒は鎧のお陰で急所から外れていたので問題はなく適切な手当てで息をつく。 里から盗まれた毒自体は氷納達が潜んでいた小屋から里の手配によって速やかに回収された為、開拓者の手を経る事は無かった。 氷納が今回の騒動の犯人と里も納得してアズサは放免。里に不利益な事をせねば自由にしてよし。 放り出されたアズサは伊津達の元へ身を寄せるべく開拓者と帰路を共にした。 ふと振り返った伝助。見送りという名の監視で途中まで配下を従えてついてきていた流青と目が合う。 (里の為にも‥‥アズサさんの為にも、これが一番良い選択でやす) 全て氷納の所業が撒いた種。根はあっし達が絶ってみせる。 決着が持ち越されたなら次の舞台は――あの村だ。始まりの村で氷納を待ち受けよう。 |