【戯曲】イヅカの里 弐
マスター名:遼次郎
シナリオ形態: シリーズ
相棒
難易度: 普通
参加人数: 10人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/02/05 14:58



■オープニング本文

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 里にとってそのアヤカシは脅威だった。アヤカシは里の人間を攫い、攫われた者は二度と帰っては来なかった。
 ―喰われるのだ。地獄の苦しみを、与えられたうえで。
 里ではそう噂された。確かめるすべはなかったが、大きくは外れていないはずであった。唯一、アヤカシは食欲が旺盛ではないらしく、攫われていく者の数が多くはないことだけが救いだった。
 それでも、アヤカシを討とうと赴いた者たちはいた。彼等も帰っては来なかった。アヤカシは強かった。
 犠牲になる少数に目を瞑り、アヤカシが去るまで堪え忍ぶ他に手が無いと思われたとき、さらなる脅威が里を襲った。
 連日、雨は篠を束ねたようであり、薙ぎ払うような風が吹き荒んだ。作物の収穫をひかえていた時期だった。
 ―天さえ、あのアヤカシは操る。
 元より豊かな土地ではない。僅かな蓄えでかろうじて凌がねばならない。窮した里は、里で最も腕の立つ五人に全てを託してアヤカシの討伐に向かわせることにした。彼等が敗れれば、その後の手は無かった。
 戦いは熾烈を極めたが、五人は遂にアヤカシに深手を与えるに至る。


 我等がアヤカシの堅牢な結界の隙を突き、渾身の一刀を負わしめると、アヤカシは翼を打って舞い上がり、笑みを浮かべた。この時の不吉な笑みが、未だ私の脳裏に焼き付いている。アヤカシは言った。
「成程、お前たちはアヤカシたる僕に傷を負わせるだけの力がある。僕は、力のある者が好きだ。力のある者が、己の力が何の役にも立たぬ徒労であったと知った時。その時こそが、最も甘美な絶望となるから」
 そう言い残し、アヤカシは東の空へと去った。この時、私はそれを単なる捨て台詞と捉えて理解するに努めるよりも、ひとまずはアヤカシを退けることが出来た喜びにただ浸っていた。それが過ちだった。
 時が過ぎて行った。緩やかに。里の者たちとの生活の中に、己の手で勝ち取った束の間の平穏を見る思いがして、私はささやかな充足を得ていた。今思えば、その平穏さえも、まやかしであっただろうか。
 一人、また一人とあの時の仲間が消えていった。
 ある者は別のアヤカシとの戦いの中で死に、ある者は外部から請け負った仕事の中で命を落とした。三人目が里の中で不審の死を遂げた時、ようやく私は確信した。
 自分たちは売られたのだ。あのアヤカシに。いつから、奴が手を回していたのか。アヤカシと通じたのは里の全てか。一部か。もはや私の知る由は無い。
 ここに至って、ようやくあのアヤカシの言葉の意味が分かった。己の命を戦いに賭すことさえ、我等は叶わなかった。あのアヤカシは直接手を下す事も無く、我等の屍の上に立つだろう。
 今宵、私は里を抜ける。おそらく、それも失敗に終わるだろう。
 ただひとつ、気掛かりは、それでもこの里の行く末である。あのアヤカシは、一時の平穏に縋る里の者の思いにつけ込み、生殺しにする気やも知れぬ。
 我等があの時、仕損じたばかりに。里に、その子供たちに。連綿と続く枷を負わせかねぬ事が怖ろしい。
 無念である。
                                            ―或る手記―


「これがおよそ百年前。里は、彼等を進んで貢ぎ物にすることで天荒黒蝕から保身を買いました。そしてその関係は未だに続いている。里の一部を捧げる、当時と同じ手を繰り返して。この里のあらゆる日常は、全てそれらの犠牲のうえに成り立っている。そういう里です。奴が大アヤカシとなりさらなる力を得てからは、里には手向かおうとする者さえいません。しかし今回の叛で、その天荒黒蝕を開拓者が退けたと聞きました。皆さんの力を借りれば、この里の暗い確執を断ち切る事が出来るかもしれない。俺はそう思った。……天荒黒蝕との直接の取引は、里長である父が行っています。その詳細は俺には分かりませんが、アヤカシが、人間を相手にいつまでも本気で取引をするとは思えない。それに叛の後、これまでとは違う要求もなされているような様子がある。いずれにせよ、俺は、現状を変えたいと思っている。皆さんがもし、里に協力してくれる……そうでなくとも、天荒黒蝕を討とうというのであれば、何でも言って下さい。模擬戦での若い連中も、俺と同じつもりでいます。……俺は、必要とあれば父をも討つ。その覚悟でいます。……これ以上は怪しまれる。今は、これで。周囲の目、特に年寄連中には、用心してください」


「天荒黒蝕様。例の里の事で、お耳に入れたいことが」
 髪は黒々と流れるようで、背に生えた翼はやはり漆黒の鴉のそれだった。ただその横顔だけが、まやかしの美貌に白く彩られている。
 鴉天狗の大アヤカシ、天荒黒蝕は大木の枝にのんびり身を預けたまま、手下の天狗の報告に耳を傾けた。
「へえ、そうですか。開拓者。あの里に目を付けたか。ふふ、あの里も中々美味しい食べ物を用意してくれるからね。そこへ開拓者か。なかなか、面白くなりそうだ。引き続き、見張っておいてくれますか。僕も、気が向いたらぼちぼち行ってみよう」
「里の人間達が、開拓者についた場合は」
「食べちゃっていいよ。なに、はなから期待してはいない。ただ使えるのであれば、どこまでも使ってやればいい。それが嫌ならさっさと餌になってもらおう。その場合も、せいぜい楽しませてくれればなおいいのだけれどね」
 天荒黒蝕は無邪気に笑った。


■参加者一覧
菊池 志郎(ia5584
23歳・男・シ
千見寺 葎(ia5851
20歳・女・シ
フレイア(ib0257
28歳・女・魔
羽流矢(ib0428
19歳・男・シ
ローゼリア(ib5674
15歳・女・砲
リドワーン(ic0545
42歳・男・弓
天月 神影(ic0936
17歳・男・志
樊 瑞希(ic1369
23歳・女・陰
桧衛(ic1385
14歳・女・サ
花霞(ic1400
16歳・男・シ


■リプレイ本文

 里は大アヤカシ天荒黒蝕と繋がっている。知っただけで居心地の悪くなる事実に違いないが、当面は知らぬ風を装うことに開拓者達は決めた。当面とは、情報を集めるまで。
 里内の開けた場所で、乾いた打撃の音が響き渡る。リドワーン(ic0545)とトキが組手をしている。弓を主にしているリドワーンだが元々剣士である。過去の傷のためにその道は絶ったが、体捌きはトキに引けを取らない。
「天荒黒蝕と里長の接触方法は?」
「里の中心からやや距離のある場所で多くは面会しています。時間や間隔は一概には。事前に手下を連絡に寄越す事もありますが、これも断言できません。年に数回現われる時もあれば、二年以上現れないときも。用件はまず、貢物の要求です。手下を連れている事がたいていですが、数は少数」
「要求内容の変化を感じると言ったな」
「確証はありませんが、父と年寄達の相談が増えています。伺えたのは相談前後の顔色程度ですが、何か難しい要求をされている節がある」
「あの手記はどこで」
「……里内のある人に渡されました。偽造などの線はありませんが、その人の事は言えません」
 リドワーンは交えた言葉に息を切らすこともなく、組手を終えた。
 千見寺 葎(ia5851)とトキは文でのやり取りをした。それが何度か重なって里の者からも見咎められたが、葎は文をちらりと見せて気恥ずかしそうに、懸想文です、などと言ったから、里の者は信じたようだった。もちろん、真意は情報の伝達にある。
 開拓者が一度里を出て潜伏すること。間者の警戒。若人集の統一。密会の場、日時。
 里内で最後に直接会ったとき、トキが妙な顔でいたのでどうしたと聞くと、
「いえ。俺は色恋など知りませんから。こうした真似が、少し可笑しくて。やはり千見寺さんは、上手のシノビです」
 常に張りつめた所のあるこの青年に、あどけない笑みがちょっと浮かんだ。真実、上手のシノビであれば、このようなものを目の前にしても、いささかも心動かされることなどないだろう。
「――またお会いしましょう」
 葎は女性的な笑みをひとつ返して、トキと別れた。おそらくその笑みもシノビとしての己が、心とは離れた場所でつくったものであるはずだった。
 ローゼリア(ib5674)と花霞(ic1400)は再び屋敷の中で里長と向き合っていた。
「明日にも王への返答を伝えに戻りたく思いますわ」
 ローゼリアの言葉に、左様か、と里長は相変わらず顔色一つ変えずにいる。ローゼリアはその顔を猫族らしい、光沢のある金色の瞳で注視した。大アヤカシに与する里。想起される記憶。生成姫に支配された里と、挑んだ己。
 あのとき、自分には何も出来なかった。
(なれば今度こそ)
 瞳に灯る色をさとられるのを隠すように、ローザリアは瞼を下した。
「さっきの態度は御免なさいね…手ぶらじゃ済まないのよ、判るでしょ?」
「若い律儀は、しかし尊い。事情はあろう」
 事情を抱えているのはそっちだろう、と花霞はもっともらしい事をぬかす里長の顔をちょっと怖い顔でにらんだ。大アヤカシなんてものは藪蛇どころの騒ぎではない。
 突いて出そうな言葉を飲み込み、花霞とローゼリアは他愛も無い会話のごとく里長と言葉を交わした。
「この村、陰殻じゃ豊かな方よね。大変なんじゃない、食物とかアヤカシとか」
「豊かなどと。大事ないのが、幸いなこと」
「貴方はこの里についてどう思われているのでしょうか?」
「どうとは? ……この地で生まれ、この地で死ぬ。祖から連なる里だ」
「例えばこの里が潰される様な事があったら、貴方はどうされますか?」
 肌で感じるような沈黙があった。
「叛での、アヤカシの動きもありましたから」
「当然、何に代えてもそれを避けねばなるまい。長として」
 淡々と、しかし深い断定をローゼリアは感じた
「アヤカシ、ね。慕容王はギルドと結んだ。砂儀も東房も泰も、そうしてアヤカシを討ち、国を開いて乱を治めてきた。陰殻もじき、そう変わると思うわ」
「それでも犠牲になるものはある」
 それは呟くような言葉だった。え、と聞き返す花霞に、里長は長い沈黙で返した。
 無視か。
「……変わる、か。変革を担うのも、やはり若さ。その変革が良い道を拓くものであれば、確かに幸福なこと」
 それきり置物のように黙りこくってしまった里長を花霞は眺めていた。締まった皮膚に刻まれた皺や彫りの深い顔立ちは、何かに祈る彫像を思い起こさせた。

 桧衛(ic1385)は前回模擬戦で手を合わせた若者達と接触していた。桧衛が気になっているのは彼等がトキからどれだけの情報を与えられ、そしてそれを信じているのかだった。
 若者達は桧衛と同年代か少し上といったものが多く、愛想もよく振る舞う桧衛に親切に接してくれた。山椒魚の獣人である桧衛の、艶のある漆黒の尻尾を珍しそうにしていたりもした。
 ただ、そんな彼等の中にも年寄りやアヤカシの方に情報を流す者が居る可能性は拭えない。桧衛は明るさはそのままに、注意深く考えながら言葉を選んでいた。
「トキさんてどんな人?」
 そんな所から探っていった。悪く言う者はほとんどいなかった。少し真面目すぎる、という評はあったが。ただ、彼の人柄に信頼があるのは確からしい。
「トキは、筋の違った事はしない。それだけに思い詰めすぎる所もあるが。ただ、あいつが正しいと思っている事に、俺も手を貸してやりたいと思ってるよ」
 そんな言い方をする者もいた。
「トキの事もあるが、あんたら開拓者による影響もあるのさ。こないだの叛での活躍なんかは特に、さ。大アヤカシを退けた開拓者の多くが、自分たちと年も然程変わらない奴らとなりゃあ、な」
 俺たちも何か変えられるんじゃないか、と。桧衛の意図を察してか深くは言わず、歩きながらその若者は里の景色を透かすように眺めて言った。
 里の子供たちにも話を聞きたいと桧衛が思っていると、天月 神影(ic0936)が先に子供たちと輪を作って話をしている。あのふさふさな耳が子供受けいいのかな、と神影の白い獣耳を見て思ったりした。
 子供たちについては、羽流矢(ib0428)も気にしていたのだ。
「親父さん居ないんじゃ大変だろう。だれか面倒見てくれるのかい?」
「ん、みんな、誰かのとこに身を寄せてる」
 親族や、親の付き合いがあった家、なかった家。優秀な子は五塚姓の者に引き取られることもあるらしい。
 羽流矢は子供たちに麦芽水飴を与えてやった。
(そうか…子供達の親は…)
 天荒黒蝕への貢物にされたのだろう。飴を嬉しそうに舐めたりその透き通った色を眺めたりする子供たちの姿に神影は言葉が出なかった。
 救いなのは、子供たちが貰われたさきでむごい仕打ちを受けたりしてはいないらしい事だった。ただ、いつか真実を知った時、この子供たちはどうするだろうか。おそらく、そのこたえは一つではあるまい。だからこそトキ達のように動き出している者もいるのだろう。
「変えなければ、か」
「うん?」
 見上げた子の頭を神影はなでてやった。志体を持った子供たちは、親と同じ未来を辿る可能性がある。そのような形で、この子供たちの未来を閉ざしてはならないと願う。ふと、自分の滅びた里にも子供であった自分たちを生かそうとした人たちが居たのだろうなと、そんな事を考えていた。

 フレイア(ib0257)は里を歩きながら、時々地にかがみ込んでいる。豊かな金の髪が背にしなだれかかるその様は、里の中でも目を引く色彩であったに違いない。それでも、彼女が何をしているかまで分かるものはいなかっただろう。
 ムスタシュィル。設置した場所への侵入者を告げる精霊魔法。それを、フレイアは里の周辺、特に外部から訪れるものが通るであろう場所に仕掛けていった。閉ざされたシノビの里。外部の、それもアル=カマルから伝えられた魔術の性質までは、おそらく里の者は知るまい。
(アヤカシは、どうでしょうね)
 天荒黒蝕。天狗。奴等はおしなべて高い知性を持つ。開拓者が、アヤカシを見抜く力を持つことを把握していてもおかしくない。菊池 志郎(ia5584)の瘴索結界にも反応が無いところを見ると、今のところ里の内部に人間に化けたアヤカシなどは居ないだろう。
(しかし、監視しているのは確実)
 だとすれば直接監視しているのはあくまで里の人間で、アヤカシは外部で情報を受け取っているという可能性もある。フレイアは里の周囲を取り巻く深い山と森を眺めた。今もこの景色のどこかにアヤカシが潜むとすれば、それを見つけるのは難しい。フレイアは再び歩き出した。
「その辺り、どう思われますか。誰が間者か、など」
 連れ立って歩きながら、志郎はトキに聞いてみる。世間話をしているような気楽さだった。
「誰か、というより、自分の纏めている若人衆以外の誰からでも情報が渡る可能性はあるのが正直な所です。……ただ、基本的にそれらは里長の意向による。里として何らかの動きを起こすのであれば、結局は父をどうにかするしか」
 樊 瑞希(ic1369)はトキの切羽詰まった顔を眺め、内心ため息をついた。場合によっては、この青年は例えば父を殺すという行動さえとりうるだろうか。
(殺すかもしれないな)
 瑞希はそう見た。一族を纏めようとする者には、そうした葛藤はつきものとも言える。自身もこの場では大っぴらに言えぬ氏族の連合を束ねる身である瑞希にも、察せられることだった。
「どうか派手な動きは控えてくれ。少なくとも、もうしばらくはな」
「分かっています。ただ、これは我々が長年抱えてきた問題。我等自身で行動を起こしたいという思いも、やはりある」
「そうか。…貢物は、どのように選ばれる?」
「……里長と年寄達が話合いによって対象を決め、抱えのシノビに手を下させ、天荒黒蝕に引き渡すというのが通常の流れです。自分の印象では対象はやはり、里に対して従順になりえなかった志体が多い」
「そのあたりも気になるところですね。志体のトキさんが立派に成人しているところを見ると、有力者達は自分の妻や子を優先的に差し出しているわけではなさそうです」
 志郎の言葉に、トキの顔には見る間に苦しげな色が浮かんだ。
「そう。結局、この里は誰しもが屍のうえに立っている。里に生まれたその瞬間から。そして、そうした犠牲から最も離れた場にいるのが里長と、その息子である俺」
「よしましょう」
 この因習は断たねばならない。
 飄々とした瞳がそれまでとは異なる確信めいた色を帯びた後、志郎はやはり優しく笑いかけていた。

 翌日の早朝。
 里を出て木々を縫うように疾走を続けていた羽流矢に、背後から何かが飛来した。振るった忍刀は音を立てて襲いかかった手裏剣を地に弾いた。
「おう、よく止めた」
「迂闊な、才蔵。今ので死なれたらどうする」
 現れたのは壮年のシノビ、二人だった。
(追ってきたな。五塚家抱えのシノビ、か)
 トキに聞いていた人相と合う。貢物に手を下す際、特に重用される者が三人は居るという。その中でも、才蔵という者は最も腕が立つと。
「その時はそれまでの腕よ。幸い、この坊主は違うらしいな」
 堅そうな髭を生やした、山賊のような男と羽流矢は思った。坊主ときたか。
「何か用かな」
「ふん、お前さんが一人であんまり急ぐ。何かあるのかと、兎でも追う気でつい追ってきたのだ」
「書状を持っているはずだ。見せて貰おう」
(よく御存じだ)
 羽流矢は言われるままに懐から取り出して見せてやった。そこには、ただギルドへの調査期間の延長の申請しか記されていない。追手の二人は意外そうな顔でいる。
「自らの無能を曝け出したい奴がいるかい? 急ぎだ通してくれ」
 二人はしばし顔を見合わせたがやがて、よかろう、いけ、と踵を返す。ただ、才蔵が羽流矢に顔を寄せた。
「阿呆では無いな、坊主。後ろからアヤカシ共も追って来ているが、止めておいてやる」
 容易では無い言葉に、素早く巡る思考が羽流矢に息を飲ませた。
「なに、阿呆だから放っておけと言うだけだ。上手くやれ」
 山賊のような顔はそれきり去って行った。トキは、あの才蔵という男に技の手ほどきを受けたと言っていた。その真意がどこにあるか定かならぬまま、羽流矢は再び走り出した。
「追手は上手く撒けたようですわね」
「技量も大したことなさそうだったし、覚悟していたアヤカシとの遭遇もなかった……案外、羽流矢さんの方に行ったかも?」
「たしかにムスタシュィルに、羽流矢さんを追うような反応がありました」
「だとすれば無事を祈るばかりですが…」
 ローゼリア達は里を出て各々追手を撒いたうえで再び集結していた。事前に、潜伏に適した場所をトキに尋ねてある。
 里を出て、ある場所の方角へ向かい、そのある場所に面した山の裏手の位置。周囲を深い木々に覆われ、ごつごつとした岩のせり出した場所だった。せり出した岩の下は広い塹壕のようになっている。
「天荒黒蝕、うまい具合に現れてくれるかな?」
 小首を傾げる桧衛の言葉。岩に腰を下ろしたリドワーンは頭の奥で、ちりちりと何かが瞬くのを感じた。こうした隠れ家のような狭苦しい場所はなんとなく、昔を思い出さないでもない。痛覚を持たぬ己の、不確かな想起。
「……奴が里に対して要求か何かを抱えているとすれば、近い内に現れるだろうというのがトキの意見だ。それに加えて、俺たち開拓者が居るという情報が渡ったとすれば」
「天荒黒蝕は享楽的な性格とも聞きます。私たちを目当てに、やってくる事も考えられますか。そしてそれは、ここから目と鼻の先……」
 フレイアは白い鼻梁をついと岩場の先へと向けた。
 トキから聞いた、天荒黒蝕と里長との面会場。この場所から山を挟んで裏手にある、五つの塚。
「五塚、ですか。彼のアヤカシも、よほど皮肉が好きと見えますね」
 鴉の声が聞こえることもなく。研ぎ澄ませた耳に響く冷えた風の音にまぎれるように、葎はひとり呟いた。

 石を積んだだけの、粗末な塚が、ひたすら風に晒されている。
 この里の源となった場所。里の在り方にふさわしい、空虚な場所。偽りの塚。骸も眠らぬ、からっぽの塚が五つ。
 ――五塚と、名乗るといい。お前は僕から、それで里の存続を買ったのだ。
 塚の中身となるはずだったモノを喰らったアヤカシは、そう言った。初代五塚。共にアヤカシに挑んだ他の四人を裏切り、貢物にした男に。俺の曽祖父に。
 風が舞う。冷えるのでもなく、痛むのでもない。しかし震えている。
「ここは変わり映えしないね。あれから幾らかは、時が過ぎているというのに」
 大きな漆黒の双翼。鴉と見紛う艶のある翼に不吉な黒い風を孕ませて。
 天荒黒蝕が降り立った。