【閑】見つめるとき。
マスター名:蓮華・水無月
シナリオ形態: シリーズ
EX :相棒
難易度: やや難
参加人数: 7人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/11/28 08:45



■オープニング本文

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 あんな風になりたいと、願う気持ちは強くなる一方で。
 アヤカシを前に一歩も引かず、退治する開拓者達。あんな風に強く在れたなら、あの日、伊呂波(いろは)を――妹を見殺しにせずに済んだに違いないのにと、思う度に、強く。
 だから今度こそ、後悔しないように。今度こそ守れるように――

「――なるほど」

 そんな伊良歌(いらか)の拙い言葉を聞き終えて、その家の主はおっとり微笑み頷いた。頷き、何を考えているのかよく解らない眼差しをじっ、と伊良歌に注いだ。
 居心地悪そうに、伊良歌はわずかに首をすくめた。そうして救いを求めるように振り返る少女に、木原高晃(きはら・たかあきら)は同情とも何とも、自分でも判別のつかない眼差しを返す。
 そうして高晃もまた、主の方へと視線を向けた。清月掬(きよつき・むすび)と言うのがその、一見すれば好青年に見える男の名前だが、それが偽名だという事も高晃は知っている。
 それでも他の呼び名を知らない以上、高晃にとって、彼は『清月掬』だった。清月掬という名の、高晃の陰陽師修業の師匠。

「‥‥で、御師。引き受けて貰えるのか?」
「そうだねぇ。可愛い二胡(にこ)の頼みだもの。もちろん、引き受けてあげようじゃないか――試しはもう、済んだんだろう?」
「‥‥‥あぁ、一応」

 心底嫌そうに顔をしかめながら、高晃は頷いた。掬が言う試しとは、先日高晃が伊良歌をアヤカシ退治に同行させたような、本人の資質なり覚悟なりを確かめる為の何らかの試験のことだ。
 他の陰陽師がどうなのかは知らないが、掬は弟子になりたいと門戸を叩く相手には必ず、何らかの試しを行う。それで彼の中の基準に満たなければ、相手が誰だろうと容赦なく断る。
 高晃自身も、かつてこの試しを行った。その時は確か『ちょっとアヤカシ退治を手伝っておいで』と言われて、五行国内の陰陽師団の一つを率いる掬の友人を訪ね、軽く死にかけたものだが――そんな暗い過去は今はどうでも良い。
 とにかく、先日の依頼は試しとしては十分だろう。志体は持ち合わせている事だし、アヤカシと聞いただけでも怯える伊良歌が、主に他の開拓者達に支えられてとはいえ、アヤカシ退治の現場から逃げ出さなかっただけで、覚悟を確かめるには十分ではないだろうか。
 そう告げると、確かにね、と掬は微笑む。この師が微笑み以外の表情を浮かべたところを高晃は見たことがないが、たいてい掬が微笑む時は、何かろくでもないことを言い出す前兆だった。
 ところで、と掬は高晃の警戒の眼差しを楽しそうに見つめ返しながら、伊良歌へと言葉を投げる。

「伊良歌、と言ったね。開拓者になりたいと言うだけなら職は他にもあっただろうに、あえて陰陽師になりたいのは何故かな?」
「ぇ‥‥」
「聞けば君は、陰陽師の術が瘴気を使うと聞いただけで怯えたそうじゃないか」
「は、い‥‥」

 ぎくり、と肩を強ばらせながら伊良歌は頷いた。彼女が怯えたのは瘴気そのものと言うより、それがアヤカシと同じものだと聞いたからなのだが、結局は同じ事だろう。
 わずかに、伊良歌の眼差しが床の上に落ちた。木目の中から何かを見出そうとするように、しばしそのままじっと動かない。
 そうして「あの」と小さく小さく呟いた。

「‥‥良いなと、思ったんです‥‥私はとても、ア、アヤカシのすぐ側で戦うなんて、考えただけで怖くて‥‥」

 でも、遠くからなら出来るんじゃないかと、思った。その時に思い出したのが高晃の姿。伊良歌は直接見ていたわけではないけれども、去年村を襲った剣狼を倒した高晃と遠村の姿を、両親は何度も何度も語ってくれた。
 高晃が術で援護し、遠村が前に立つ。見ていない伊良歌ですら目の前に彼らが居るかと錯覚するほどに、何度も、何度も。
 だから。開拓者になりたいと思った時、思い出したのは高晃だった。遠くからならきっと、伊良歌にだって出来るんじゃないかと思った。

「‥‥なるほど、あなたの気持ちは良く解った。それでは少し、高晃と話したい事があるから、席を外してて貰えるかな? 弟子に庭でも案内させよう――珊瑚(さんご)」
「はい、御師。伊良歌さん、こちらへ」

 部屋の隅に控えていた少女が、掬の言葉に頷いて伊良歌を促し、部屋を出ていった。珊瑚、と言うのも偽名だろう。高晃の事を二胡と呼んだように、自分の弟子には弟子としての呼び名をつけるのも、掬のよく解らないこだわりだった。
 伊良歌は何と呼ばれることになるのだろうと、どうでも良いことを考える。

「――で、二胡。私の言いたい事は、解るかい?」
「どうせろくでもない事だろう? 御師の考える事はたいていそうだ」
「それは心外だね」

 くすくすと笑う掬は、心底楽しそうだった。残念ながら高晃には、彼の弟子だったしばらくの間に培われた経験上、不吉な響きにしか聞こえなかったが。
 そして案の定、ろくでもない事を、この師はさらりと命じた。

「二胡。ちょっと行って、あの娘の陰陽師への憧れをぶっ壊しておいで?」
「‥‥は?」
「大丈夫、その辺を歩けばアヤカシも居るし、なんなら私が式で協力してやっても良い。ただ――どうもあの娘はほんの少しばかり、陰陽師への憧れが強すぎるように思うよ。それも悪くはない事だけれど――陰陽師はそんなに、美しいモノではないだろう?」

 お前が言うな、とは思うが、無言で高晃は頷いた。言いたい事は解る――伊良歌は先日の件で多少の現実を知ったかも知れないが、それでもまだ、陰陽師なら殆どアヤカシに近付かずに倒せると、夢を見ている。
 だが、ある意味では陰陽師こそ、もっともアヤカシと密接に関わる存在だ。この五行にはアヤカシを研究する機関も幾つかあるし、式とて突き詰めれば結局、アヤカシを人為的に作り出しているのと大差はない。
 その現実を、きっちり思い知らせてこいと、この師は言っているのである。

「それであの娘がやはり無理だと思うなら、それはあの娘の選択だろう? 今度は二胡の巫女修行の師でも紹介してやると良い」
「――つまり、俺の試しでは納得行かなかった、と」
「覚悟のほどはよく解ったよ? でも二胡の良くない所は、一度懐に入れた相手には採点が甘くなるところだね」
「あんたよりマシだ」

 うんざりと高晃は吐き捨てた。気に入った相手ほど弄り倒す掬の方が、人としてはよほど問題がないかと思う。
 だが恐らく、この場に柚木遠村(ゆずき・とおむら)が居たとしたら、五十歩百歩だと評したのに違いなかった。


■参加者一覧
玖堂 柚李葉(ia0859
20歳・女・巫
氷(ia1083
29歳・男・陰
神咲 輪(ia8063
21歳・女・シ
滋藤 柾鷹(ia9130
27歳・男・サ
霧先 時雨(ia9845
24歳・女・志
五十君 晴臣(ib1730
21歳・男・陰
ルティス・ブラウナー(ib2056
17歳・女・騎


■リプレイ本文

 もっとも簡単な符でも作るには相当の修行と技術が必要だ。また機密事項で扱われる部分も多い。
 その、機密の一端に触れる事を許されている陰陽師が特殊な技術で封じ込めてきたという瘴気や恨みつらみを符に込める様子を目の当たりにして。

「ぉ、おおおおお‥‥ッ」
「わわ‥‥ッ」

 初めて見るルティス・ブラウナー(ib2056)と、出来るようになれば懐的にも助かるんだけどと真剣な眼差しで見つめていた五十君 晴臣(ib1730)が、同時に感嘆とも驚嘆ともつかない声を上げた。ちら、と氷(ia1083)から視線を向けられて、はっとルティスは頬を赤らめ「え、えっと‥‥初めて見たのでつい‥‥」としどろもどろに言い訳する。
 だが無理はない。もとは五行に住んでいた晴臣や滋藤 柾鷹(ia9130)でも気安く見れないのだから、ましてジルベリア育ちであまり広い世間を見ていないルティスはなおさらだ。
 そう考えた晴臣はふと、寂しげな笑みを浮かべた。もはや帰れない実家を想い――だが真っ青な顔で固まっている伊良歌を見て、ふる、と首を振る。
 佐伯 柚李葉(ia0859)が伊良歌の手を握った。ぺこ、と陰陽師に頭を下げて、術を使う許可をくれたことに礼を言う。

「‥‥あのね。今みたいに瘴気があると、瘴索結界の中では‥‥」

 そうして言葉を選びながら瘴気や式、アヤカシが結界を通じてどんな風に柚李葉へ伝わるのか、どんな気配がするのか説明すると、伊良歌の顔は青を通り越して真っ白になった。けれども陰陽師は瘴気を御して使役する人達だと――他のどんな職業よりずっと身近に瘴気やアヤカシを感じる人達だと柚李葉は思うのだ。
 どうだい、と氷が真っ白な伊良歌の顔を覗きこんだ。

「見ての通り‥‥あんま、趣味の良いもんじゃないだろ」

 事前にも氷は、瘴気と陰陽術の関わりについて簡単に教えようと、持っている様々の符を伊良歌に見せたり、高晃に説明を頼んだりしたのだが(面倒を押し付けたとも言う)。氷自身も、より悪辣な念を込めたものほど威力が高い、というのはどうかと思わなくもないし――藁人形だってかなり悪趣味だし。
 だが、と柾鷹は嘆息する。これもまた彼女が乗り越えなければならない試練なのだろう。陰陽師とは結局の所、アヤカシを式にするようなものなのに。

「伊良歌が陰陽師を選んだ理由があれでは‥‥な」
「でもなんだかんだ言ってても、そのお師匠さんも親切よね」

 ため息混じりの言葉に、霧先 時雨(ia9845)がけらけら明るく笑い飛ばした。どこが? と高晃が真剣に首を傾げたのに、そうでしょ、と肩をすくめる。
 掬はただ弟子入りを断っても良かったのに、わざわざ伊良歌の問題点を指摘し、それを正そうとしている。かなり乱暴な方法とはいえ、そこまで手間暇かけてくれるのが、親切でなくて何だと言うのか。
 そうですね‥‥とルティスが複雑な表情で頷いた。

「羨望、願望、目指す未来は明るくて素敵なものばかり。そう思っていたほうが踏み出す一歩は軽やかかもしれませんけど‥‥」

 軽やかすぎて地に着かない足は、得てして挫き易いもの。それを思えば掬の言っている事は確かに乱暴だが、理にはかなっているのだろう。
 けれども実際に憧れが壊された後、伊良歌は立ち直れるだろうか。そう思うとまるで故郷の里を出た頃の自分のようで、神咲 輪(ia8063)は心配で。
 だから彼女を支え、立ち直る手助けが出来たら――そう思い、心配そうに伊良歌へ向けた眼差しの先で、すでに少女は打ちひしがれている様にも見えるけれども。

「‥‥アヤカシ恐怖症がすぐに克服できるとは思っちゃいないけど‥‥それでってのはちょっとなあ。オレだって‥‥アヤカシは怖いけど。戦える仲間もいるし」

 珍しく弱音を独白する氷の言葉に瞳を揺らす程度には、まだ気力が残っているようだ。だが今の消極的な伊良歌に陰陽術を修めさせるのも違う気がするのは氷も同意だし――せめて自信がつけば良いのだが。
 ぽふ、とそんな少女の頭を撫でて、柚李葉が「そういえば」と微笑んだ。

「どうして巫女の道を選んだかって、言ったかな」
「‥‥?」
「私は志体持ちだったから、ここに居られて。でもだから、力をつける事を多分期待されていて――」

 傷を癒せる術が使えるし、精霊の力を借りられる様になると聞いたから、柚李葉は巫女になろうと思った。精霊の力を借りて誰かを癒す時、そこには精霊が居て癒しを待つ誰かが居るから、だから柚李葉は1人ぼっちじゃない。
 でも。その力を得て開拓者になって気付いた事は、癒しの力を使うという事は、そこに傷付く誰かがいると言う事だった。それを見ていなければいけないと言う事だった。誰かが傷付かなければ、柚李葉は誰も癒せない。
 その――言い様のない矛盾。
 そうねぇ、と考え込んだ少女ににこりと笑って、輪は別の言葉を向ける。

「私は開拓者って、種をまく人、だと思うの。種をまいて、何かを生み出して、自らの力で道を切り開いていける人達。私はだから、そんな開拓者になりたいと思ったの」

 あなたはどうかしら、と。忍びの里に生まれた彼女の瞳には衝撃的に映った開拓者の姿を思い浮かべながら、微笑んだ輪の言葉に伊良歌は何か言いかけ、そして口を閉ざした。
 迷い、揺れる少女の姿に、時雨が苦笑する。

「危なっかしいのは、放って置けないわよね、なんだかさ」

 まるで彼女の知っている誰かを思い浮かべるように。





 帰り道。気分転換にと、高晃がかつて修行時代に良く通ったと言う小道を辿る柾鷹は、油断なく辺りに視線を配った――この小道は下級アヤカシが出やすく、住民は滅多に利用しないらしい。
 なぜそんな小道をわざわざ歩いているか、と言えば。

「私は陰陽師講義は出来ないし。実践で学ばせるのみよね」

 そう言いながら時雨も周りを見回した。わざわざアヤカシを誘き出すために、彼らはこの道を選んだのだ。
 幸い――と言うのは不謹慎かもしれないが、アヤカシは現れた。

「来たぞ」

 そう言ったのは誰だったか。何が、と一拍遅れてアヤカシの存在に気付いた伊良歌が、ヒッ、と小さな悲鳴を上げる。それを聞きながら、柾鷹が無言で前衛に立った。
 例えこれが伊良歌の試しでも、彼がやる事は変わらない。本当の意味で仲間達が危険に陥る事を、見過ごすことは出来ない。
 けれども。それ以上の事は仲間達の思う所に任せよう、と構えた柾鷹や、他の仲間に『頼む』と目顔で告げて、晴臣もまた前に出ようと足を勧めた。え、と戸惑う――否、まるで非難するような伊良歌に、笑ってそっと頬を撫でる。

「ちょっと行って来るよ」

 かつて妹達にもこんな風に接したものだ。そして晴臣にとっては伊良歌も、可愛い妹分だから。その妹分の為に、晴臣も頑張ってみようと思う――本当に前に出なければならなかった事だってあったし。
 逆に氷は伊良歌よりもさらに後方に下がって、がんばっといでー、とあくびを漏らす。反面教師になるのだと、敢えて戦いの中でも後ろに引いたままでいるらしい。
 うん、とそれにも頷いて動き出した晴臣を、追いかけて柚李葉が加護結界をかけた。誰か、と救いを求めるような伊良歌から、目を逸らしたルティスは目の前のアヤカシに集中して動けないフリをする。

(ちょっと、心苦しいですけど‥‥)

 現れたアヤカシはきっちり対応すれば苦戦する相手ではない。けれども場合によっては本当に苦戦して後衛まで守る余裕がない時だってあるのだし。
 そう自分に言い聞かせるルティスの傍を、晴臣が駆け抜けた。無防備とも言える晴臣に、辺りに居た他のアヤカシがぞろぞろと群がっていく。

「わッ、本当に‥‥?」
「伊良歌に現実を教えるには効果的、かも知れんがな」

 ボソ、と柾鷹も心配の色を滲ませ呟く。だがアヤカシに囲まれ術を結び白隼の式を呼び出す晴臣を、見ている伊良歌の方が倒れそうだと輪は思った。
 ちら、と辺りを見る。輪よりさらに後ろに居る氷はのんびりしている風情だが、ちゃんと人魂で辺りを警戒しているし。柚李葉だって仲間達に閃癒が届くように距離を測り、いつでも術を行使出来るよう戦いの様をじっと見つめている。
 それに気付いている? と心の中で、輪は伊良歌に問いかけた。問いかけながら、戦いの気配に惹かれ、或いは伊良歌の恐怖を喰らおうと集まってくるアヤカシ達に、不意を突かれないよう注意を払い、時折水遁を放って援護する。
 ――そうして。

「来た」
「キャァァァッ!」

 人魂で後方を警戒していた氷が、小さく呟いて後ろに視線を向けた。そこには見るからに恐ろしい姿の鬼が何体も居て、伊良歌が涙を滲ませて悲鳴を上げ、柚李葉に縋りつく。
 時雨が弓で遠距離から狙いをつけ、ひょう、と矢羽を放った。それを鏑矢代わりに、氷が呼び出した白狐が鬼へと襲い掛かり、一拍遅れてカミナギへと得物を持ち替えた時雨が討ちかかる。
 攻撃が当たった瞬間、次々と鬼が瘴気となって姿を消した。それもその筈、これらは見るからに恐ろしい式を呼び出して後衛を襲って欲しいと頼んでおいた、掬と弟子達の式なのだ。
 だが伊良歌には十分な恐怖だろうし――後衛職なら何でも良いかのような憧れは、実際に後衛が襲われれば打ち砕かれるだろう。

「前衛でなければ安全というわけでは、決してないしな」
「ええ‥‥あちらは大丈夫なようですね」

 柾鷹の独白に、頷きルティスも本気でアヤカシを殲滅しようと意識を集中した。そうしてまずはすっかりアヤカシに囲まれている晴臣の元へ、援護に駆けつける。
 幸いルティスが駆けつけるまでに、間近に迫っていたアヤカシを晴臣は何とか術と短刀で撃退した。ほッ、と息を吐きながらルティスはそのまま、周りのアヤカシへ剣を向ける。

「もう‥‥あんまり無茶しないで下さい」
「ごめん、ありがと」

 そうして、ため息混じりに言ったルティスに、言われた晴臣が本気で安堵の息を吐く。ちら、と見れば柾鷹が労うように僅かに眉を上げて、淡々と残るアヤカシの殲滅を始めた。





 ぺたんと座り込み、無言で泣く少女に氷は言った。

「さっきの‥‥ああいうのを扱えるようになりたいかい?」

 あれはマトモに使えば瘴気で中から破壊するという悪趣味な技だ。そう説明すると伊良歌は無言で唇を噛み締め、いっそう激しく泣き出した。
 そんな少女に、柾鷹が厳しい言葉を向ける。

「伊良歌、今一度問おう。開拓者に‥‥陰陽師に、本当になりたいのか?」

 もし本当に陰陽師になりたいなら修行が必要だ。だがそれは決して、憧れだけで成し得る道ではない。アヤカシを恐れるのは仕方なくとも、自らがやがて使う事にもなる式を恐れていては、到底陰陽術を使いこなす事など出来ないだろう。
 ふわり、と輪が伊良歌の前に膝を折り「笛の音は好き?」と微笑んだ。そうして小鳥の囀りのような楽を、そっと笛で奏で出す――伊良歌の乱れた心が、鎮まれば良いと願って。
 不思議なもので、同じ楽を奏でても、その時々でまるで違う響きに聞こえる。今はまるで伊良歌に寄り添ってすすり泣くようなその音に、ほんの少しずつ、少女の泣き声が小さくなり。
 やがて。泣き腫らした顔をようやく上げた伊良歌に、また微笑む。微笑み、乱れた少女の髪をそっと撫で付けてやる。

「開拓者って自由で、そして柔軟で。時には残酷で‥‥世界は、そうあって欲しいと願うほど優しくはないわ。だから、選ばなくちゃならないの。自分を殺すか誰かを傷つけるかを、ね」
「開拓者は必ずしも正義の味方、じゃないんです。それも覚えておいて下さい」
「そッ。仕事は選べるけれど、誰かを護る清廉潔白な英雄じゃあない。助けたい相手を見殺しにしなくちゃいけない事も、あるの」

 そうして微笑んだまま、厳しい現実を紡ぐ輪の言葉に、ルティスと時雨も頷いた。だがふとルティスは瞳を揺らし「まだ、今は分らないかもですけど」と苦い笑みを零す。
 ぽふ、と泣いている少女の頭を晴臣が撫でた。

「心配させたよね。ホントは『良い子は真似しちゃいけない戦い方』だけど――伊良歌が居たし、皆が居たから、ね」
「まだ私も探してるから正しい事は言えないけど――でも伊良歌さんが全部、1人で背負わなくて良いの」

 1人じゃアヤカシを倒すことも出来ないし、誰かを守り切る事も出来ないから。けれどもその場その場で自分に何が出来るか考えて、皆と協力して、そして力が足りないと思えば素直に助けを求めるのは、決して弱さではなく。

「いつかは人と戦う事も、人の様な知恵持つアヤカシとも戦う事になるよ。でも今の伊良歌みたいな考えで戦えばどうなるか‥‥わかるよね?」
「‥‥」
「必要なら前に出なきゃいけない。如何に自分の信条に反するものであってもね」
「戦いの場に絶対安全はないし、私みたいに後ろに下がって弓を使うにしても、目を逸らさずアヤカシを見なくちゃいけない。刀で斬るにしても、式を戦わせるにしても‥‥アヤカシを倒すのは自分の意思と手でやらなくちゃいけないんだ」

 その為にも様々な戦いを体験する事は重要だ。『遠くから戦えるから』というだけでは、それこそ自殺行為と言える。
 優しい眼差しで真剣に語る晴臣の言葉に瞬いた伊良歌は、ギュッ、と何かを決意するように握った己の手を見下ろす時雨へと視線を移した。それに気付いた時雨が顔を上げて明るく笑う。

「アヤカシから離れる為、じゃあない。離れないで、向かうのよ。‥‥アヤカシと向き合う為なら、瘴気を操る陰陽師は適切よね」
「式は怖いものではない、信じれば己に力を貸す友のようなものだ‥‥と修行時代に習ったものだ、拙者には才は無かったが。――どうする、伊良歌?」

 自身がかつて陰陽師となるべく修行していた頃の事を思い出してそう言った柾鷹は、軽く頭を振って苦笑し、改めて伊良歌へと問いかけた。それに伊良歌はしばし、瞑目する。
 それから。長い時間をかけて、ようやく目を開けて。

「私、は‥‥それでも」

 陰陽師は確かに自分が思い描いていた理想の姿ではなかったけれど、それでも開拓者になりたい。アヤカシに勝ちたい‥‥文字通りの意味だけではなく、心で。
 その為に適切ならやはり陰陽師を目指したいのだと、告げた少女に柾鷹は頷いた。これなら掬の試しは合格としても良いだろう。
 輪が微笑み、そっと小指を差し出す。

「じゃあ伊良歌、約束。強くなる前に、大切な人を見つけて。そして、絆を育み、慈しむの――そうすればきっと、それがあなたの力になるわ」
「大切な、人」
「そうよ――開拓者に限らず、生きていくってそういう事じゃないかしら?」
「まぁ頑張りなさいな♪」

 時雨もぽふぽふと肩を叩いて少女を励ます。だがふと輪は小さく首を傾げ「私は、大切な人を見つけられたかしら‥‥」と呟いた。
 大切な人達はいるけれど、それは果たして伊良歌に告げたような存在なのか。そう、輪もまた物思いに沈むのだった。