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■オープニング本文 前回のリプレイを見る ジェレゾでの船の停泊許可は交渉がもたついて少し口利きをしなければならなかったが、条件つきで何とかなった。 条件つき、とは稼働していない時は領地のほうで管理をしてもらいたい、というもの。 「マゼーパの里にある湖が一番近い。いずれは水路を引くしかないわね」 レナ・マゼーパ(iz0102)はリナト・チカロフに地図を広げて説明した。 「それまでは龍を荷下ろしに利用するのがいいかと。ヴォルフが躾の騎士はいくらでも派遣するから案ずるなと言ってくれた」 「すみません。皆さんによくしていただいて…」 リナトは恐縮して俯く。レナは小さく笑った。 「ここの安全はみんなの願いだからよ。それに貴方が貴方なりにちゃんと務めを果たしているからだわ」 レナは拠点小屋の窓から外を見る。 「短い時間に頑張ったわね」 拠点小屋の周辺は整備され、携わる人々の小屋も建った。養成所牧場には霊騎の小屋、もふら小屋、龍達の休憩場所などもできた。完璧ではないが、とりあえず相棒達を入れて育てながら工事を並行して進めても大丈夫そうだ。 「レニャ!」 いきなり窓に猫又が貼りついたので、レナはびくっとして身を仰け反らせる。 「あ、トラトウリ!」 リナトが窓を開けた。 「こっち来ちゃだめだ。森のほうに行きなさい」 「レニャが来たにゃ、俺、言いたいことあるにゃ! ふかふかの寝床はどうしたにゃっ!」 トラトウリ…ああ、いたっけ…二世だか三世だかで。レナは猫又を見つめる。 「寒くなるまでに作ってあげるから」 リナトが諭すように言う。 「なんでにゃ。もふらは寝床あるにゃ? 贔屓にゃ! 贔屓にゃ!」 「工事の手順でそうなっただけで、別にそういうわけじゃないよ…」 トラトウリはじとーっと2人を睨みつける。 「ま、また…あれ、持って来てあげよう? ね?」 リナトが言うと、ぴく、とトラトウリの表情が動く。 「…ふっ…まあ、勘弁してやるにゃ」 ひょいと窓から離れて行った。 「あれって何?」 レナが尋ねる。 「マタタビです。本格的に栽培したほうがいいかな…」 リナトは苦笑しながら答えた。 「相棒の到着時に開拓者の皆さんに手伝っていただきたくて。さすがにちょっと混乱するかと。イチゴーやトラトウリが協力してくれればいいんですけど…」 リナトは屋敷の方にレナを案内しながら話す。イチゴーは拠点小屋の前にうずくまっていたが、レナの顔を見ても全く動かなかった。 「白火君が天儀に帰ったから、イチゴーは寂しくてしようがないみたいで」 リナトは言う。 「また戻って来ると思うわ」 レナが答えるとリナトは頷いた。 「そうして欲しいです。白火君もイチゴーもずっとここにいて欲しい…。僕にとってもかけがえのない存在です」 リナトは少し寂しそうに言った。 屋敷はまだほとんどが基礎と柱が組まれたままだったが、一角だけが独立して新しい平屋が建っていた。 「当面の僕らの住まいです。あとで母屋のほうと繋ぐつもりで。兄がだいぶん図面引くのを助けてくれました」 「兄上?」 レナは尋ねる。 「見た目はいかついですけど優しい兄です。今日、来ると思いますから紹介させてください」 リナトは答えた。その後ろの窓からひょいとユリアが顔を出す。 「あ、リーちゃん! 姫様!」 彼女は叫ぶなり引っこむと、ドアを勢いよく開いた。 「姫様ぁ〜!」 「ユリアっ! だめっ! 走っちゃっ!」 リナトが慌てて叫ぶ。その理由は彼女の姿を見ればレナにも察しがついた。 「大きなお腹…」 たっぷりした生地のドレスを着ていてもよく分かる。 「もうそろそろなんです。バレク殿が明日産婆さんを連れて来てくれると」 「村の産婆にとりあげてもらうのか?」 レナは目を丸くした。リナトは頷いた。 「こっちの領地、産婆が少ないらしいんです。来てもらった時に話をしたいと思って。万が一の時には対処に詳しい産婆さんがいたほうがみんな安心でしょう?」 リナトはどんどん領主っぽくなっていく。レナは不思議な思いで彼を見つめた。 「姫様、お久しゅうございます」 ユリアが半ば仰け反り気味の姿勢で言った。 「こちらこそ。いろいろとニーナの力になってくれたようね」 「いいえ、私もリナトに会えない寂しさが紛れました」 ユリアはにこりと笑う。そしてお腹をじーっと見つめるレナの手をとった。 「触ってみられます? 時々動きますよ?」 不思議そうな顔のレナはお腹に手を当ててもらった途端、 「動いた!?」 びっくりして手を引っこめた。 「赤ちゃんも姫様にご挨拶したみたいです」 ユリアはうふふっと笑う。レナは少し解せないような顔で彼女のお腹を見る。 「こんな小さな場所に子供がいるの…。どのようにして子供ができるのだ?」 「はい?」 ユリアは目をぱちぱちさせる。レナは真顔だ。 「精霊が来たのか? 子供の種などを渡されたのか?」 ユリアはうーんと考える。 「そうですねえ、種と言えば種のような…」 「お、おほんっ!」 リナトが顔を真っ赤にして咳払いをした。 「ひ、姫様、中をどうぞ? ユリアがご案内します」 「あ、そうですね、姫様、どうぞ」 レナは「?」という顔でユリアに手を引かれて行った。 数時間後。リナトはふと空を見上げる。 「もうこんな時間…2人ともお茶でも飲んでるのかな」 屋敷のほうに行って「ユリア! 姫様!」呼んでみるが返事がない。 「ユリアと姫様、見ませんでした?」 工事の指示をしていたラデクに声をかける。 「いえ、お見かけしておりませんが…。あ、そうそう、さっき村の者がお子様の様子を聞きに。お祝いしたいと」 「そんなの気にしなくていいのに」 「皆も待ち遠しいんですよ」 ラデクは笑った。リナトは頷いて再び2人を探す。やはり姿がない。 首を傾げてその場から立ち去ろうとしてふと足を止める。 まさか。 慌てて仮住まいの部屋に駆け込む。 「ユリア!」 壁の棚の奥に向かって声を張り上げた。 「リーちゃぁぁん…」 小さな声が壁の中から聞こえる。 「ユリア! 姫様もそこなのか?!」 「そうなのぉ…開けてぇ?」 「ユリア…馬鹿…ここ、だめだって…言ったじゃないか…」 「リーちゃぁん…ごめんなさぁい…だってぇ…う…」 「リナト、ユリアがお腹を押さえているのだが…」 レナの声にリナトの顔がさーっと青ざめる。 「こっ…壊しますっ!」 途端にユリアが叫んだ。 「だめぇええ! せっかく作ったのにー! うっ」 「ユリア、そんなこと言ってる場合じゃ…」 リナトは棚にしがみつく。 「だめー! 私ここで産むから産婆さん呼んで来てー」 「ユリア、無茶を言うな」 これはレナの声。 「大丈夫、がんばりまーす」 「ええー!」 これはリナト。 「リナト、扉は開かないのか?」 レナは言った。 「ここ、カラクリになってて、開く為の調整を最後に僕がすることになってて、それがまだだからユリアには入っちゃだめって…」 リナトは頭を抱え 「言ってたんですーー!」 絶叫した。 |
■参加者一覧
酒々井 統真(ia0893)
19歳・男・泰
リューリャ・ドラッケン(ia8037)
22歳・男・騎
フレイア(ib0257)
28歳・女・魔
叢雲 怜(ib5488)
10歳・男・砲
クロウ・カルガギラ(ib6817)
19歳・男・砂
イルファーン・ラナウト(ic0742)
32歳・男・砲 |
■リプレイ本文 慌ただしい状態だろうなと察しはつけていたものの、到着するなり開拓者達はあちこちからいろんなことを訴えられる。 相棒達を乗せた船が到着するのは一時間半後。 既に森にいる猫又や忍犬達が妙に騒がしくて言うことをきかない状態になっていること。 ユリアのお産は2、3週間先だと聞いていたので、屋敷のほうには準備が整っていないこと。 産湯を使う桶すら洗濯用のものしかないこと。 この際、桶なんて洗濯用でも野菜洗い用でもあればいいんじゃないかと思うけれど、領主様の御子様に洗濯用桶なんて末代まで語り草になってしまいますと心配してしまうらしい。 こんな状態で領主のリナトは呆然自失の状態だし、そこにラデクが付き添っているので要は司令官不在なわけだ。 いろいろ落ち着かねえなあ、と思いつつ、酒々井 統真(ia0893)は 「ちゃっちゃとやるぞ。俺、養成所のほうに行く。雪白、レナの様子頼む」 そう言って踵を返しかけたところで、目の前の地面から何かが勢いよく飛び出す。 「トマー!」 「うわっ!」 何が出た? 「あ、あの時のネズミなんだぜよ」 叢雲 怜(ib5488)が目を丸くした。 「トマトマトマスノスノ、ハアハアハア…」 「落ち着いて喋るんだぜよ…」 「鼠だからな…」 竜哉(ia8037)が答えるこの会話はデジャヴ。 「スノスノアッタアタタタタ!」 何が言いたいのかよく分からない。 「スノスノアッタタタ、アッター!」 ネズミは小さい手をぶんぶん振り回す。分かってよ、ねえお願い、状態。 「あ、スノウが何かあったのか聞いてるんだ?」 雪白がぽんと手を叩いて言うと、ネズミはこくこくと忙しなく頷き、頷き過ぎて目を回してくら〜っと倒れそうになる。 「彼らも何か感じてるのかしらね。フマクトに行かせますわ」 フレイア(ib0257)が管を取り出した。 ネズミは「ウキョーン!」と叫んでぼふりと地面の穴に入り込む。 しかしフマクトはその穴を見て顔をしかめた。 「穴なの? ねえ、上からじゃだめ?」 前の暗い穴の中でのトラウマか? 「行ってらっしゃい。スノウにしっかり挨拶しなさいね」 フレイアに言われ、フマクトは「はぁい」と答えて穴に潜り込んだ。 さて、そこからは怒涛。 統真に続いて怜も姫鶴と一緒に養成所の方に。ヴォルフの騎士達と相棒達搬入の打合せをするためだ。 フレイアと竜哉、クロウ・カルガギラ(ib6817)とイルファーン・ラナウト(ic0742)はリナトから何とか必要情報を引き出す必要があった。 とりあえず出産の協力依頼、産婆の迎え。リナトの兄も。 そして、ユリアとレナ・マゼーパ(iz0102)を救出するための手段。 しかし肝心要のリナトが使い物にならないときている。 「リナト、一番近い村に連絡…は俺が行ったほうが早いか。場所を教えてくれ」 竜哉は言うが、それすらもまともに答えられないのでリナトに署名だけを何とか書いてもらい、協力要請の本文は自分で書いて光鷹を飛ばす。 場所は林向こうの見張り台が立っている村が近いのだが、ローザの襲撃後まだ物資は足らないだろうからその向こうへと他の開拓者に教えてもらう。 馬車はユリアが乗って来たものを利用することに。小さいから人数は乗れないが、村に着けば荷馬車もあるかもしれない。 イルファーンはバレクの元に飛ぶ。竜哉の行く村に産婆がいればいいが、いなくとも経験のある女性を連れてくるはずだ。村に入りさえすれば誰かが別の村に連絡をしてくれる可能性もある。どちらかが産婆を連れて来ることができるわけだ。 クロウもリナトのサインだけをもらい、彼の名の刺繍の入ったハンカチを携えて出発した。かろうじて得た情報は、リナトの兄の名はヴィクトル。赤い服が好きで、外出時にはいつも赤い上着を着るということくらい。 ばたばたと皆が出たあと、屋敷の外をぐるりと回って確認したフレイアは嘆息した。 奥方が壊すなと固執した理由が何となく分かったからだ。 外壁は普通の屋敷の作りだったが、内装用の壁に立派な壁板が使われている。 彼女には覚えがあった。これは伐採した森の木だ。樹齢が高くて勿体ないけれど、と思いつつやむなく仲間と伐った。 ユリアはそれを惜しんでいるのだ。 壁の前では雪白が心配そうにフレイアを見上げる。 「フレイアさん、中、窓がないみたい。姫様がカンテラの油が切れそうだって…」 フレイアは頷いて壁に向かって声をかけた。 「姫様、フレイアです。ユリアさんのご様子は?」 「ユリアは元気だよ」 直ぐにレナの声が聞こえた。 「時々痛がるけれど。横になる場所がなくて、私のコートの上に寝てもらった」 「恐縮でございます、いたた…」 確かにユリアはまだ元気そう。でもやはりここは穴を空けるしかないんじゃないだろうか…。 「リナト君、中は何があるんですの?」 フレイアの問いにリナトはふるふると首を振る。何もない、ということだろう。 「人が通れるくらいの穴を…」 彼女が言いかけた途端、 「だめですううう!」 ユリアの絶叫が聞こえた。やっぱりねとフレイアは息を吐く。 「竜哉さんがさっき、壁を壊すのが嫌なら屋根から入ればって」 雪白が言った。 フレイアはリナトの顔を見る。リナトはフレイアを見つめ返した。 「屋根…」 呟いてリナトは小刻みに頷く。 「そう…そうだな…屋根なら一部の板を剥がせば何とかなるかも…」 「ラデク君、屋根を開けます。梯子とか…あと、男手もお願いしますわ」 フレイアの声にラデクは急いで部屋を出た。 「姫様、ユリアさん、屋根から参ります。暫く御辛抱を」 「はいー」 フレイアの声にユリアが答えた。この人はかなり肝が据わっているようだ。 その頃統真は怜にイチゴーとトラトウリを見つけて欲しいと伝えていた。 ともかくとんでもない状態だった。忍犬と猫又達が走り回っている。 「ちょっ…落ち着けっ!」 近くをすり抜けようとした忍犬の首に巻かれた布を素早く掴んで統真は叫ぶ。 「なんでこんな興奮してんだ」 統真は同じく犬の首を掴む現場監理のアモシフに目を向けた。 「分からないんですよ。最初は猫達が喧嘩をし始めましてね、その後地面からネズミが出たもんで更に興奮して、それが犬達にも伝染したみたいで」 あのネズミか。騒ぎになっちゃったもんでそれで俺のところに。 「しっ!」と犬をなだめながら考える統真の横を猫又が通り過ぎて喧嘩を始める。 「うにゃああおおお!」 「わわわわんっ!」 船が来ちまう。 「…ったく…」 統真はすぅと息を吸い込んだ。 「落ち着け、こらああっ!!!」 ぴた、と動きが止まった。 「怒ったにゃ」 「兄、怒ったにゃ」 「こらーにゃ」 「こらにゃーこらにゃー」 「にゃー、にゃー」 ふざけてんのか、ほんとに、もうっ 「…お前ら、次に騒いだらもっと怖いぞ…」 統真の額にめずらしく青筋が立った。 「怖いのにゃ」 猫達がひそひそ囁き合ったのだった。 「統真、いたよ、あそこー!」 頭上で怜の声が聞こえた。 トラトウリとイチゴーは森から離れていたらしい。 足を向けると、森を眺めながら2匹はぽつんと並んで座っていた。 「白はもう帰って来ないもふ」 「まあ元気出すニャ。俺らでうまくやるニャ」 「白がいないのは甘くないブリャニキと同じもふ」 味気ないってことか…。うまいこと言うな? イチゴー。 統真は背後から近づき、身を屈めてぽんと両手を2匹の頭に置く。 「なあ。今はお前達の力がいっちばん必要な時だぜ」 イチゴーがぶぅと拗ねた。 「そんだけ思ってもらえたら主人冥利に尽きるってもんだ。これで新入りをちゃんと迎えたら白は大喜びで褒めてくれるぜ」 「白、帰ってくるもふか?」 「帰って来るよ。イチゴー置いてそのままにするはずねえだろ。トラトウリも仲間をちゃんと指導してくれ」 「ふっ…俺がいないと何もできないニャ。さあ、行くニャ」 こっちはふてぶてしい。 でも、イチゴーが立ち上がってくれたので統真は少しほっとする。 が、ふと気づいた。イチゴー、歩くのが遅い。怜に一緒に来てもらえば良かった…。 「イチゴー、ほれ」 仕方なく背を向けて促す。次の瞬間、ずーんと重みが来て統真は「う」と声を漏らした。 イチゴーは白に栄養たっぷりな食生活をさせてもらっていたらしい。 立ち上がった時、飛空船の影が見えた。 「気合いだ」 統真は呟いたのだった。 頭上で音がする。 レナは上をちらりと見上げてからユリアを見る。 時々「いたた…」と顔をしかめるが、だんだんその間隔が短くなっていくような気がする。 うっすらと額に汗が滲んでいるのを自分の服の裾で拭ってやった。 「精霊も、痛くない種にすればいいのに」 レナが呟くと、ユリアは笑った。 「姫様、子供は精霊が種を持ってくるんじゃありません」 「じゃあ、どうするの?」 「姫様の夫となるお方がちゃんと分かっておいでです」 ふーん? じゃあ、イルファーンに聞けばいいのかな。あ、でも、まだ夫じゃないし。 「夫じゃなきゃだめなの?」 「いいえ、そんなことは。姫様が良ければ、ですけど」 なんだかわからないことだらけ。 「今度、ニーナにも聞いてみよう。バレクも知ってるはずよね?」 ユリアは苦笑しようとしたが、また痛みが来たらしく顔をしかめた。 ガタン、と頭上で音がして、一筋の光が差し込んだ。 「姫様」 フレイアの声が聞こえた。 良かった、これでユリアは安心して子供を産める。 その時はそう考えていたレナだった。 チカロフの領地から森に向かうならこの辺りの道かとプラティンの背でバダドサイトを使い、クロウは地上に目を凝らす。 赤い服、赤い服…。 こうやってみると赤い上着を着ている者はいないので見つけやすいのだが、荷馬車を引いた赤い服の男を見つけた時は疑わしいと思いつつプラティンを地上に向けた。 貴族が荷馬車を引いて、はさすがにね、と思ったのだ。 「ヴィクトル様ですか」 声をかけると男は「む?」という顔で荷馬車を止めた。 本人らしい。でも、本当にリナトと兄弟? と思えるほど見た感じが違う。 格闘技系のいかつさ。おまけに顔も怖い。 「クロウ・カルガギラです。ユリア様が産気づかれたのですが、それがカラクリ部屋の中で…」 クロウはそう言いつつリナトの文とハンカチを手渡す。 ヴィクトルはそれをちらりと見たきり「む」と言って再び荷馬車を出すので、クロウは慌てて後を追う。 「ヴィクトル様ですよね? 良かったらプラティンに一緒に乗っていただいて…」 「む」 ヴィクトルは荷を指差した。 そうか、荷があるから…。クロウは考え込んでしまう。 「置いて後で取りに…というわけにもいかないな…何を積んで?」 「ベビーベッド」 一言答えたきり、かっぽかっぽと馬の蹄の音。この人無口だー…。 どうしよう。どうしたら。クロウは考える。 「じゃあ…じゃあ、俺が運びます。ヴィクトル様はプラティンで屋敷に向かってください」 「…」 ヴィクトルは無言でクロウを見る。 「お願いします。扉、開けないと」 懇願するように言うクロウをヴィクトルはじーっと見る。 「ヴィクトル様」 「ベビーベッド」 ヴィクトルは荷を指差した。クロウは頷く。彼にとっては自ら運ぶほど大切なのだろう。 「分かりました。お預かりします」 ヴィクトルがやっと荷馬車を止めた。彼が降りたのでクロウはプラティンに言い聞かせる。 「いいか、霊帰術使ってるだろう。ヴィクトル様を連れて行くんだ」 プラティンは「わかりました」というように小さく嘶いた。 「クロウ」 「はい」 ヴィクトルに呼ばれて振り向いたクロウの肩に大きな手がずーんと乗せられた。 頼むぞ、お前、ということなのだろう。 飛び上って行くプラティンを見送ってクロウは思う。 着いたら全部終わってそうな気がする…。 ちょっと寂しく思いつつカッポカッポと蹄の音を聞いていた彼の耳に声が届く。 「あれ? クロウじゃないか。おーい!」 龍に乗ったドゥヴェ。そしてシャス。 「ドゥヴェさん! 降りてきてくれー!」 「オーケイ、喜んでー!」 ドゥヴェが愛しく思えた一瞬だった。 飛空船が到着した。 最初にヴォルフの騎士達と怜で龍の背に乗せて相棒を下ろす…つもりが難航した。 霊騎は比較的従順に船から出たので手綱を引けばすんなりと地上に着いたのだが、迅鷹の気が荒い。目隠しをされているのに慣れない匂いがするせいなのか近づくとやみくもに羽ばたいて嘴を向けて来る。そして忍犬も吠えまくるし、何よりもふらさま。これがちっとも動かない。来いと言っても歩こうともしない。 仕方がないので怜は一度船に乗り、一匹ずつ引き摺っては騎士に託し、自分も姫鶴に乗せて地上に降りる。それを繰り返して一時間以上たっても半分も下ろせない。 うんしょうんしょとようやくもふらさまを乗せたと思ったら、そいつが姫鶴の背から降りようとしたので 「こらー! 落ちたら死んじゃうんだぜよ!」 思わず一発ゴン、とゲンコを喰らわせてしまった。 「ご、ごめんなんだぜよ」 涙目で恨めしそうに見られて怜は慌てて謝る。でも、悪いのは降りようとしたもふら。 同じような苦労を騎士達もしている。一度は本当に落ちたので、慌ててもう一人の騎士が空中で受け止めた。 地上は地上で降りるなりあちこち勝手に行ってしまいそうな相棒達を統真と作業員で追いかけ回す。 トラトウリとその配下(?)、イチゴーもそれなりに動いてはいるがいかんせん新入り数が多いのだ。 「クロウがいてくれたら…」 怜が思わず呟いたところで 「怜―!」 「クロウー! ひゃっほいー!」 思わず歓声をあげてしまう。一緒に親衛隊もいるじゃないか! クロウはヴィクトルの荷をドゥヴェとシャスの龍に積んでもらい、戻って来たプラティンに乗って急いで戻って来たのだ。 3人増えたら夢のよう。 「もう少ししたらヴォルフから龍を連れて騎士があと2人来るそうだ」 クロウはすたっと船に降りて言った。 「もうそれなら百人力なんだぜよ」 「大変だったわね、よしよし」 シャスが頭を撫でてくれた。これで千人力。 「頑張るんだぜよー!」 思わず叫んでしまう怜であった。 竜哉が中年の女性を1人連れて来た。 毛布も布も鍋も、とりあえず積められるだけ積んだ。残りは荷馬車が後で村から来る。 助っ人の人達も一緒に来るはずだ。 産湯用の桶だけはやっぱり洗濯用しかないので、村の男が別の村に走ったそうだ。みんなずいぶん桶にこだわる。 「あの、見張り台の村の人、呼んであげて? 一番領主様のお子様のお誕生を気にしているわ」 女性が言ったので竜哉は再び光鷹を飛ばした。 フレイアの指示でラデクと作業員達がバタバタと火おこしの準備をしている。 屋敷の部屋を覗くと、大きな男が身を縮込ませてカラクリ扉の前にいて、リナトと真剣に何やら作業している。 そしてさっきはなかった立派な彫り込み模様の入った…ベビーベッド? 「リナト君のお兄さんよ。ベッドは作ったんですって。クロウ君が運んで来たわ。屋根を開けたから私は雪白と中に降ります。連れて来た方も下ろしてくださらない?」 フレイアに声をかけられ、やっぱり屋根を開けたのか、と竜哉は上を見上げ頷いた。 荒縄を張って下ろし、最初にフレイアが中に入る。 女性は竜哉が背負って降りる。 「消毒用のヴォトカと毛布、あと、お湯も下ろさないといけないわ。この辺り消毒したほうがいいかもしれないわね」 フレイアは駆け寄ってきたレナを軽く抱きしめたあと、床を見回して言った。 「もう1人必要だな。統真を呼んでくる」 竜哉は答えて再び上がって行った。 かくして、相棒達にもみくちゃになっていた統真は「ひぇー」と少し悲鳴をあげたが、 「ここはお任せを」 もふらさまを龍の背に乗せたドゥヴェに言われて屋敷に足を向けたのだった。 時々相棒達の騒ぐ声がここまで聞こえて来る。 あっちは大丈夫なのかしらと思いつつ、レナは新しく敷かれた毛布の上に横たわるユリアに目を向けた。 布でカーテンのような覆いを張り、フレイアの指示でユリアのドレスを脱がせて皺にならないよう畳む。頭にも幾重にも折りたたんだ毛布をあてがう。 こんなことをするのは生まれて初めてだった。 到着した村人達は、屋敷内ではまだ火おこしができないと見てとると手早く外に火を起こし、がんがんお湯を沸かして小分けにして屋根の上にあげる。 それを竜哉が受け取り、さらにそろりと縄でおろして下で統真が受け取る。 使った布を引き揚げて手早く消毒し、また下ろす。 冷めてしまったり不要になったお湯もまた引き上げる。 延々続く作業は本当に過酷だった。 ユリアはどんどん痛みが強くなるらしく、喋らなくなったし笑みも浮かべなくなった。 女性とフレイアが周囲を全部拭いて回り、レナは運ばれて来るお湯で布を絞り、彼女の汗まみれの額を拭う。 雪白と一緒に手を握っていてが、ユリアの華奢な手とは思えないほど強い力で握り締められて2人とも小さく悲鳴をあげた。 「縄を吊ってそれを握っていただきましょう。そのほうが踏ん張りもきくでしょう」 女性に言われて雪白が適当な梁に縄をかけ、ユリアの顔のところに輪を作って下ろした。 ユリアを含め、中のレナやフレイア達のための飲み水とちょっとした食べ物も運ばれてきた。途中で竜哉と統真もパンを齧る。 中は熱気が篭って暑くなり、雪白が浴衣の袖で一生懸命ユリアを仰いでやる。 レナは装備を全て外し、ブーツも脱いだ。フレイアももちろん外套は脱いでしまう。 皆が汗だくだ。 「奥様、お水を少し含んでくださいませ。赤ちゃん、もうすぐですからね」 女性が水を布に浸してユリアの口に持って行く。 「次に痛みが来たらお腹に力を入れるのですよ」 と、フレイア。 覆いの向こうは一体どんな状況なのか分からないが、統真と竜哉も緊張した顔で視線を交わした。 そして相棒養成所。 もふらさまが全部降りると猫又達がニャーニャー言いながらその周りにもふりに来る。 興奮していた迅鷹は意外にも姫鶴が「シャァウウ!」と凄むとおとなしくなった。 「良い相棒をお持ちだ。我らにはそこまで動かせません」 騎士に感心され、怜は嬉しそうに姫鶴の首を撫でてやる。 「あとは物資だけですね。やっと先が見えました」 シャスがふうと息を吐いて額を拭う。 「俺、ちょっと屋敷の様子を見て来るよ」 クロウはプラティンで船から降りる。 屋敷前まで来て、ちょうどイルファーンが戻って来たのに出くわした。 「遅くなっちまった。村でも出産があったみたいで」 彼がシャールクに乗せて来たのはまだ若い女性だった。 「イルファーン、こっちだ!」 屋根の上で竜哉が叫び、急いで彼女と梯子に向かう。 クロウは屋敷の中に足を向けた。少しは扉が開く可能性が出て来たんだろうか。 中ではまだヴィクトルが大きな体を丸めて何やら作業していた。 彼はクロウを見るなりちょいちょいと手招きする。 クロウが近づくと、 「ここ、持て」 手元の小さな歯車を指差される。言われるままクロウは手を出す。 「リナト、下手」 ヴィクトルは野太い声で文句を言った。背後でリナトが口を尖らせる。 しかしその後、ユリアのすごい悲鳴が聞こえてみんなでびくっとする。 「兄上、早く開けよう、早く」 「やかましい」 リナトの声は兄に一喝された。 「次、こっち」 言われてクロウは歯車を押さえる。 というか、この人すごくないか? 太い指でなんと緻密な作業をすることか。 強面のヴィクトルの顔をちらりと見ながらクロウは思ったのだった。 一時間後。 不思議なほど、相棒達がしん、と静まり返った。 ざわめいていた風も止まり、森の木も木の葉を揺らさない。 全てが何かを感じて一心にそちらに注意を向けているように思えた。 そして、声が響いた。 ――― オギャアアア! オギャア! 「生まれた…!」 リナトが壁にすがりつく。 クロウが顔をあげた。 元気な声はずっと遠くまで響いた。 「ニャオ―!」 「ワオ―――ン!」 相棒達の声が響く。 怜がシャスと顔を見合わせてにこりと笑った。 フレイアが手早く赤ん坊に産湯を使い、丁寧に毛布でくるむ。 しかし。 「変だわ、陣痛が治まらない…?」 女性が言う。 ユリアはまだ苦しんでいた。 「双子じゃないかしら…」 「姫様、赤ちゃんを」 フレイアから赤ん坊を受け取り、レナは目を丸くした。 ち、小さい…壊れちゃいそう… 「竜哉君! もう1人生まれるわ! お湯を!」 フレイアが叫ぶ。 「ユリアさん、もう一頑張りよ。気をしっかり」 ユリアは顔をしかめたまま返事をしない。 レナは赤ん坊とユリアを見ておろおろしていたが、 「頼むわ」 赤ん坊を統真に渡した。びっくりしたのは統真だ。 「え、ちょっと、湯…ひえー…」 「俺が降りる! イルファーン! ここ頼む!」 竜哉が素早く縄を伝って降りて来た。 そしてさらに一時間後。 ――― オギャアア! 2人目が生まれた。 外でわっと歓声があがり、中では全員が汗まみれでふーと息を吐く。 が。 「ユリア?」 レナが異変に気づく。 ユリアの意識がなかった。呼吸もない。 「だめ! ユリア!」 彼女の頬を両手で包んでレナは叫んだ。 「止血薬を!」 女性も叫ぶ。 「ユリア!」 扉の外ではリナトが顔面蒼白になっていた。 「リナトさん! 離れて! もうすぐ開くから!」 クロウが彼を押しやる。 「大丈夫よ!」 フレイアが素早くレ・リカルを付与した。 「ユリアさん、リナト君が待ってるわ、しっかりして」 祈るような気持ちでユリアの様子を見つめる。 「ひくっ…」 ユリアが息をした。そして ――― ガララララ…! カラクリ部屋の扉が大きく開いた。 駆け込むリナトの姿とクロウの姿。 赤ん坊をリナトに渡す統真、何やら言葉を交わす竜哉と頭上のイルファーン。 額の汗を拭って息を吐くフレイア。 みんなの姿がぼんやり滲んでしまってまるで水の中のよう。 それが涙のせいだとレナが気づいたのはずっと後のことだった。 子供は2人とも女の子だった。一卵性双生児だ。きっと美人になるだろう。 村人達が早速祝いの食事の準備を始める。作業員達も今日はこれで仕事は終了だ。 やれやれと息を吐いたクロウはがしりとヴィクトルに肩を掴まれた。 「な、なんでしょう?」 尋ねるもそのまま腕を掴まれて外に。 「ベビーベッド」 「は?」 「もうひとつ」 「今から作るの?」 手伝えって? 嘘だろう? と言う間もなく、彼は引き摺られて行ったのだった。 その後ろをレナは両方の手にブーツを片方ずつ持ったまま、よろよろと外に出た。 コートでも銃でもなく、どうしてブーツだったのか分からない。 出産に立ち会うなんて、今までも、これからも、そうそうあることではないだろう。 アヤカシ相手に戦う時より疲れた気分だった。 でも何だか…気分が清々しい… 「みなさん! 有難うございましたー!」 リナトが叫ぶ声が聞こえた。 そのまま歩いて林の向こうに見張り台を見た。あの見張り台を作ったのはもうずっと昔のような気がする。 「エドゥアルト…」 意識しないまま声が出た。 「子供が生まれた…森にも相棒が来た…其方が愛した土地はちゃんと生きてる…」 「エドはちゃんと聞いてるよ」 声がした。イルファーンだ。振り返った途端、あの良い匂いの胸にすっぽりと抱きしめられた。ぽてんとブーツが手から落ちる。 「遅くなってすまなかったな」 「赤ちゃんて、あんなに小さいのね…握り拳が私の指先しかないの」 「ああ、そうだな」 「ユリアが死んでしまったらどうしようかと…」 「フレイアがついてるんだ。そんなことがあるわけねえ」 「でも、可愛かった…私達もいつか新しい命を作ろう?」 「…」 さすがに言葉に詰まる。 「イルファーンならどうすればできるか知ってるんでしょう? ユリアがそんなこと言ってたわ」 この子は一体どういう生き方をしてきたんだか、と今さらながら思うイルファーン。 そりゃ知ってるけれど、聞く相手が違うと思う。 「よいしょ」 イルファーンはレナを引き離すと、涙と汗でぐしゃぐしゃになった彼女の顔と髪を大きな手で撫で、額に軽くキスをして再び抱きしめた。 「命を授かるのは作り方の問題じゃねえ。リナトもユリアもこれから新しい命を守って行くんだ。そっちのほうが時間が長い」 レナは目を伏せた。 「…そうね…」 「ただ、約束する。もしその時が来たら俺は必ず守る。お前のことも新しい命も」 レナは嬉しそうに笑みを浮かべた。 本当に、そういう時が来るといいな。 いつかきっと。 2人とも心の中で考えた。 「イルファーン、大変ねえ…」 フレイアが2人を遠巻きに見つめて呟いた。 「城じゃ、何の教育もされてないみたいだから教えてやれば?」 竜哉が言う。 「ニーナさんが教えるでしょう」 ほほほ、とフレイアは笑って答えた。 「今宵は続く命に乾杯できればそれで良しですわ」 その夜は満天の星空だった。 村人達が作った料理と、作業村の女性陣が急いで作った焼き菓子で宴が始まる。 そして途中でバレクがごっそりと葡萄酒を携えてやって来た。 「イルファーン殿が教えてくれて有難かったよ。ニーナも来たがったけど、今回は残念ながら」 そう言いつつ彼は赤ん坊を見て目を細めた。 皆が窓越しにそうっと赤ん坊とユリアを見て幸せな気分になった。 ヴォルフの騎士達ですら食い入るように見ている。 ただ、彼らは養成所を空にはできないからとすぐに戻って行った。 「可愛い…可愛い過ぎるわ…」 シャスは赤ん坊を見て呟くと、怜をぎゅうと抱き締めた。俺は赤ん坊じゃないんだけどと思いつつ、ちょっと役得な怜。 皆がお酒で酔い心持ちになってきたところでクロウとヴィクトルがうんしょうんしょともう一つのベビーベッドを抱えて戻って来る。 「作ったのか?」 統真が目を丸くした。 「リナトの兄さん、こういうの大好きみたいでさ…」 がくりと膝をついたクロウのお腹がぎゅるると鳴る。 「お腹すいた…」 「むん」 まだだめ、というようにヴィクトルに促されてクロウはふらふらと立ち上がった。 「クロウはいろいろ好かれるなあ…」 統真の声にフレイアが笑った。 「それが彼の良いところかもしれませんわね」 「開拓者さん、リナト様が名づけを願っておられますよ」 女性がやって来て言った。 皆で顔を見合わせる。 「アジンとドゥヴァはどうです」 ドゥヴェがくくっと笑う。姉さん、それは親衛隊の番号です。 「リエスとソーンかな…」 竜哉がぽそりと言った。 「森と夢だ。女の子だし」 「すごいんだぜよ…」 怜が感心したように竜哉を見る。 「じゃあ、私が伝えて参りましょう」 シャスが立ち上がった。 暫くして竜哉は何気なく立ち上がって皆から離れた。 「シャス」 屋敷から出て来たシャスを竜哉は呼び止め、皆から離れた場所に促した。 「遂に私にも素敵な殿方から告白が…というわけでもなさそうね」 シャスの言葉に竜哉は苦笑する。 「何かあったのですか?」 「これを…姫様にお返ししたいんだ」 差し出されたものを見て、シャスは少し顔を強張らせた。月長石褒章だったからだ。 「これは姫様が特別な方のみにお贈りするものですよ? 直接お渡しになるのがよろしいでしょう」 「重々分かった上で貴方にと考えている」 竜哉は答えた。 「これを賜ることになった事件は自分の不始末を片付けただけで…褒賞される理由がない。君なら分かるだろう。騎士は守るために存在する。結果的に姫様はご無事だったとはいえ、守りきれなかったことに変わりはないんだ。俺には…受け取れない」 シャスはまだ手を出しかねていた。 「竜哉様がお顔を見せてくださらないと姫様は悲しみます」 「そういう意味じゃないよ」 竜哉は小さく笑った。 「機会があればまた。直接渡すのも今の雰囲気を壊すようでね。あの子は優しすぎる。きっと返却を受けようとはしないだろう。だから君に頼みたい」 シャスは観念して褒章を受け取った。 「隊長のトゥリーが同じことを言っておりました。姫様は優し過ぎると。トゥリーとしてはドゥヴェもアジンナも罰したかったようです…」 シャスは少し俯いた。 「2人とも分かっております。姫様の恩情賜ればこそ、それに報いるために自らの命は惜しむまいと。でも姫様は誰かが死ぬことは決して許しませぬ。トゥリーはそれが後々姫様の危険にならねば良いがと危惧しております」 竜哉は無言で頷いた。 「姫様にきちんとお渡しします」 シャスは言った。 酒宴が進み、酔いが回ったのと昼間の疲れでみんなそのまま寝てしまう。 「あ、フマクト」 うとうとしかけていたフレイアははっとして起き上がった。 「どうしちゃったのかしら…」 屋敷に戻っている? と中を覗き込むと、クロウとヴィクトルが酒瓶片手に床に座り込んで眠っているだけだった。この2人、相当意気投合したらしい。 養成所の方かと思い、そちらに足を向けてみた。 相棒達も眠っている。 イチゴーがいたので声をかけてみる。 「フマクト、見なかったかしら?」 イチゴーは『あっち』というように向こうを指す。 フレイアは急いでそちらに向かった。 牧場を抜けて木々の間をすり抜けた先で、フマクトは熊にもたれかかってぐうぐう寝ていた。 「オオ、子狐ノ、ハハカ」 近くにいたスノウが言う。…違います。母じゃありません。主人です。 「武勇伝ヲ、聞カセテモラッタ。ナカナカ面白イ。小娘ト一緒ニ仲間ニ欲シイ」 そういうことかとフレイアは苦笑する。でもまあいいか。ケモノ達が大人しくしてくれたのだし。 ふいにスノウがぴくりと顔をあげた。 「どうしましたの?」 フマクトを抱き上げてフレイアは尋ねる。 「イヤ…時々妙ナ気配ガアル。ズット遠クダ。ココニハ影響アルマイ」 ずっと遠くで気配がある。 まだまだ落ち着くのは先のようね… フレイアは思ったのだった。 翌朝、まだお酒臭いかも、と窓越しに赤ん坊に別れを告げて皆は帰途につく。 フレイアと怜、レナだけは小さな頬にそっとキスを落とした。 リエスとソーン。 この地で元気に大きくなりますように。 城に戻ったレナはシャスから竜哉の月長石褒章を渡される。 レナは暫くそれを見つめて無言だった。 「姫様、竜哉様も熟慮されてのことと思います」 気遣わしげにシャスが言うと、レナは頷いた。 「分かってるわ。返されても私の竜哉への感謝は消えない。充分に守ってもらったし、助けてもらった」 そして褒章を手に取る。 「私は…竜哉に敬意を表してこれを受け取るわ。でも…」 レナは少し目を伏せる。 「信念があるとはいえ、命だけは大切にしてと直接伝えたかったかしら…。生きていれば、彼の後に続く命があるかもしれない。彼の命も続く命も、それはこの世で二つとない大事なものよ」 「それは…竜哉様もきっと分かっておいでです」 シャスの言葉にレナは小さく頷いた。 なお、後日開拓者と村人にリナトから僅かばかりの酒と甘味が贈られた。 それはレナの手元にも届く。 ジャムとリンゴのタルトは出産の前晩まで2日がかりでユリアが手作りしたものだそうだ。 危険な状態があったことを思うとひやりとするが、やはりユリアは相当逞しい女性なのかもしれない。 |