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■オープニング本文 前回のリプレイを見る 誰かが何かを言っている気がする。 誰? 開拓者達? それともバレク? 何を言っているの? そして目を開き、自分の顔を心配そうに覗き込んでいる端正な顔を見た。 ――― エドゥアルト…! はっとして飛び起きた。驚いた。私としたことが。 うたた寝している場合じゃない。今日はバレクが来る。 彼女はベッドから下りた。 バレク・アレンスキーは侍女に通され、レナ・マゼーパ(iz0102)を見て大股で近づくと、両手を広げて彼女を抱きしめようとした。 その彼の胸をどん、と突き出した手で制するレナ。広げた手が空中で止まる。 侍女がそれを見て「ぷ」と笑いを漏らした。 「姫様、ご用がございましたらお呼びくださいませ」 侍女が部屋を出たのを確かめてレナはバレクをじとりと見て口を開く。 「良かった、今日は酒臭くない」 バレクはむくれる。 「酒飲んで皇女にお目通り願うほどの不躾じゃないよ」 「それは御見逸れした」 「で、この手をいつまで?」 バレクは自分の胸を突いたままの彼女の手を指差して言った。 「ご希望なら話が終わるまで」 笑みも見せず真顔のレナにバレクは嘆息した。 「西の森のほうが怪しいと開拓者が見つけてくれたそうだな」 ようやく手を離してもらい、ほっと椅子の背に身を預けてバレクは言った。 「あそこはエドも手をつけなかった。農作業には条件が悪い。森が深くて後ろに高い山が。山裾は大きくてまるで森を囲う城壁だ」 「なるほど、根城にするにはうってつけ」 「俺も騎士団を出す。あの犬狼相手では数が必要だろう」 「犬狼どころではあるまい…。こちらが奴を観察したように、奴もこちらを観察したはず。出会う手下がどんどん荒くれていくわ」 「エドは…どうなんだ?」 ためらいがちに言うバレクにレナは少し目を伏せる。 「ローザが本当に彼を捕えていたとしても無傷であるとは限らない。存える日数は限られる。ただ…」 「ただ?」 「なら、もう少し生かしておくか、と…奴は言った。生身の人間は飲まず食わずでは数日が限界。負傷していればなおのこと死は近くなる」 バレクはレナの言わんとすることを察しかねて目を細めた。 「人間が食べねば存えぬようにローザも腹を満たさねばならない。今までは満たすために狩りをした。でも、もう違う。求める楽しみを覚えた」 「エドが食通にさせちまったってことか」 「それもあるだろうけれど、貯蔵することを覚えたのじゃないかと」 「え…?」 バレクは思わず絶句する。 「冗談じゃない…人を飼ってるってのか…?」 バレクは呻いて拳を口に押しつける。あの可愛らしい少女がこんなことを平気で言うようになるなんて、と頭の隅で考える。 「単なる詭弁かもしれないけれど。いずれにしても凶暴なだけの馬鹿ではないらしい」 レナは肘当てに腕をつき、足を組んだ。白い脛がふわりと見えて、バレクは慌てて目を逸らす。 「ベルイフの地はお願いする。せめてローザを倒すまで」 「それは分かってる。ここに来る前にヴォルフ伯爵にもお会いしてきた。騎士の配置を続けると仰っていた。龍も向かわせたようだから、よほどでなければ犬狼も近づけまい。…俺はいらぬことをレナに言う前になぜこちらに相談に来ないのかとこっぴどく怒られた。それと、もう人の家の酒蔵を空にするような迷惑をかけるのはやめろ、と」 「たまにワインを送るよ。お父上もお好きだったのだろう? 葬儀に出られなくて…すまない」 バレクはそれを聞いて「そんなこと」と小さく肩をすくめる。 「俺の父はそれでも手厚く葬ったんだよ。襲われた村の者は葬儀すらもままならない。ヴォルフ伯爵に叱られてもしようがない」 そして付け加える。 「でも、レナに送ってもらうワインは大歓迎」 こういう阿呆なところは昔と変わってない。レナは苦笑する。 しかしバレクはすぐに笑みを消した。 「渡してもらった紙を見たが…もしエドが生きていて救出したとしても、それ以上は無理みたいだな…」 表情に無念さが浮かぶ。 「救出などしない」 レナの言葉にバレクは眉を潜めて彼女を見る。彼の次の言葉をレナは遮る。 「エドゥアルトはどうしてこんなことをしたのだと思う?」 「それが分かっていれば、もっと早く何とかしていたよ…」 バレクは答えた。 「ベルイフの地は豊かだっただろう? それはエドの代で築きあげたものだ。畑を耕すだけでは食い繋げない村にはエドが機織りや縫製の技術をもたらして、自らも商人と通じて取引をした。先代の時は残念ながらそうした手腕が全くなかった。あっちこっちに支援を頼むくらいしか。ヴォルフもアレンスキーも相当助けはしたと思う。でも、根本的な改善には至らなかった」 バレクはそこでふうと息を吐いた。 「お前やニーナは気づかなかっただろうが、あんとき、エドは辛かったと思うよ。貴族のプライドかなぐり捨てて、無心の態度をあっちこっちに取り廻る父親の姿を、あそこにいた子らも知っていたんだから。彼についてた密かな仇名は貧乏王子様だ」 「その復讐を?」 「自分の溜飲を下げることが第一目的でアヤカシと組むくらいなら、俺なら領地の立て直しに労力は払わないし、長い年月もかけない」 今度はレナが息を吐く。 「貴方ならね。吊るし首にする労力は少なくて済むわ」 はいはい、そうですよ、とバレクは肩をすくめた。 「でも、エドは昔からいつも凛としてた。お行儀が良くて大人びた顔をして。こちらは伯爵、向こうは子爵。でもそんなことは関係ない。俺は奴には勝てないとよく思ったよ」 「私は彼の記憶はあまりないけれど」 「だから『引き離した』んだよ、俺が。分かってたんだ、俺には…」 レナは意味が分からず小首を傾げてバレクの顔を見る。バレクはその視線を受けてそっぽを向いた。 「ニーナをお願い。…泣いていたでしょう?」 レナは立ち上がる。バレクはその姿を気遣わしげに見た。 「彼女は気にしなくてもいい。大丈夫だよ。俺もヴォルフ伯爵もついてる」 「任せる。開拓者に再び伝えたら私はすぐに発つ」 「レナ」 バレクは再び両手を広げる。やはりレナは手を突き出して拒否をした。 「10年以上も会ってなかったのに」 「10年以上も会っていないから」 レナは答える。 「私を甘やかさないで」 「何考えてる? エドを自分の手で葬ろうと思うなよ? 処遇は上に任せるんだ。村の人達にとって敵はあくまでもローザだ。エドの行いは貴族に対してのことだ」 バレクに抱きしめてもらったら、小さい頃のように勇気が出る? それとも揺らぐ? 「バレク、また会おう。そちらで何か動くことがあったなら教えて」 レナはテーブルの鈴を振った。侍女がすぐに顔を出す。 「アレンスキー殿がお帰りだ」 バレクは諦めた。抱きしめる代わりに彼女の手を取り、強く唇を押し当てて背を向けた。 10年の歳月以上に、彼女がどこかに行ってしまうような、妙な焦りを感じながら。 |
■参加者一覧
酒々井 統真(ia0893)
19歳・男・泰
黎乃壬弥(ia3249)
38歳・男・志
フェンリエッタ(ib0018)
18歳・女・シ
フレイア(ib0257)
28歳・女・魔
叢雲 怜(ib5488)
10歳・男・砲
イルファーン・ラナウト(ic0742)
32歳・男・砲 |
■リプレイ本文 アレンスキーの騎士長を呼び、出立は目立つのを避けて日が暮れてからにと申し合わせる。 一陣目はフレイア(ib0257)、酒々井 統真(ia0893)、フェンリエッタ(ib0018)と騎士15名。 速度のあるイェルマリオに騎乗するフレイアは、先に上空よりアメトリンの望遠鏡で地形を掴む。統真とフェンリエッタは騎士と共に馬で移動。 第二陣はレナ・マゼーパ(iz0102)、黎乃壬弥(ia3249)、イルファーン・ラナウト(ic0742)、叢雲 怜(ib5488)と騎士45名。こちらの騎士は森の外での退路確保組となる。半数に分ける予定だったが、外部配置を多くするようレナが要請した。人妖の雪白は統真の申し出でレナの龍に騎乗。 囚われた人を見つけたなら、まずはその救出が優先。森の中に入る騎士は荒縄と念のための応急手当道具一式を携帯。 「ローザが姿を見せたら開拓者が技を発揮できるよう、周りの雑魚を片付けよ」 レナの言葉に騎士長が頷いた。 最後にレナは開拓者を順に見渡した。 「エドゥアルトを連れ帰るのは無傷で無抵抗の場合のみ。抗いあれば阻止のみの動きに。それ以外は動かないと約束して欲しい。最終の判断は全て私に」 「悠長なことができる状況とも限らんぞ」 壬弥が言うと、レナは頷いた。 「分かってる。それでも貴方達は絶対に手を下さないで。大帝の意思に背くことにもなる」 「あんたが手を下すのは…大帝の意思になるのか?」 イルファーンが言うとレナは言葉に詰まった。 皆が無言でレナを見つめる。暫く口を噤んでいたレナだったが、息を吐いた。 「参ったわね…。バレクひとりなら何とか耐えられたのに…」 彼女の心はまだ揺らいでいる。 「レナが一人で全部やるこたねえ」 統真が言った。 「何があるか分からねえけど、俺達はレナのために力を貸す。必要な時は頼れ。…とにかく、取り戻しに行こうぜ。色々」 統真がそう言うとレナは小さく頷いた。 一陣目出発。 2時間後に二陣目。森の手前に到着したところで上空探索を済ませたフレイアが戻って来た。 彼女は手早く紙に図を描く。 「北東から森を横切って南東に抜ける細い川があります。気になるのは山の中腹あたりに見えるもの。洞窟か何かかと」 「上空組は川の下流から洞窟方向へ行こう。地上組は騎士達と北東の川上流を目指し、そのまま川に添って探索を。川の中間地点で落ち合おう。何かあればお互い狼煙銃を」 森の中心部をトン、と指してレナは言った。 忍犬のフェランはレナが持っていたエドの手記を嗅ぎ、全員に鼻をくっつける。 レナ、イルファーン、壬弥、怜が龍で上空組として飛び立つ。 フェンリエッタ、統真、フレイア、騎士15名が地上組として出発した。 東の空が僅かに明るくなってくる。 「あのご婦人がこんな辛気臭い森の中にねえ。意外だな」 壬弥が定國の背で鬱蒼と茂る森を見下ろし呟いた。 間もなくフレイアの言った通り森の西端の山中腹に黒い穴を見つけた。かなり大きい。 「行ってくる」 壬弥が言った。 「絶対に無理はしないで」 「10分だ。それ以上はかけずに戻る」 レナの声に壬弥は答えて定國を洞窟に寄せ、その背から中に降りていく。 「俺も行って来る。怜、レナを頼んだぞ」 イルファーンがシャールクを向ける。 「任せてなのだぜ」 怜は答えた。 洞窟の中は冷やりとしていた。壁に手を当てると水分を含んだ岩肌が触れた。 ほとんどまっすぐに奥に続いているが、何の気配も感じられない。 壬弥は途中で3回心眼を用いたが、やはり何も察知しない。 「水が落ちる音がする」 イルファーンが顔を巡らせた。確かにどこからか水の落ちる音がする。 「この山、相当水を含んでるな。つまり、地盤が緩いってことだ」 「出るぞ。深追いして崩されると一貫の終わりだ」 壬弥は言った。 戻って来た2人から報告を受けたレナは考え込む。 「つまり、人を囲うには好都合でも、罠の可能性もあると」 怜が顔をしかめる。 「何だか嫌な感じなのだぜ。俺達がどの罠に入りこむかなってローザは試してる気がする」 「地上班からの報告も合わせて方針を立てよう。上から分かる範囲の探索をして集合地に向かう」 レナは言った。 「まだ雪があるようですね」 そう言って近づこうとする騎士を統真が止める。石を拾って雪に放り込むと、ぐにゃりとそれは動いた。 「フローズンジェル。迂闊に近づくな。あと、蜘蛛の巣にも注意。それは化蜘蛛の巣」 横を指差され、騎士はうっと呻いた。 「蟲はとりあえず襲って来なければやり過ごしましょう」 フレイアが言う。 統真がふと足を止める。僅かに光が差した場所に小さな赤い実。辿っていくと、他にもぽつぽつと見える。茎の一部を持ち上げると先が千切られていた。 地面に手を当てる。落ち葉をかき分けると小さなキノコが顔を出した。 「なあ」 統真はフェンとフレイアに声をかけた。 「俺は、人をどこかに囲ってるなら食料の調達は外部からかと思っていたけど…森の中で今の時期なら、生き存えさせる最低限なら何とかなるんじゃないか?」 「木の実、キノコ、小動物…」 フレイアが呟く。 「フェランを見て」 フェンが言った。 フェランは動き回ってはしきりに地面を前足で掻いていた。 「地下?」 統真が目を細める。 「上空班が他の何かを見ていれば別だけれど」 フェンは答えた。 龍を木に近づけ、それを伝って地上に降りて上空班と地上班が合流する。 「地中と言われても掘り起こすわけにもいかんぜ。せめて出入り口がありゃいいが」 統真達の報告を聞いて壬弥が息を吐く。 「とはいえ、池や泉の類は上空組が確認できずとなれば、川の周辺と考えるべきでしょう」 フレイアが言う。 「とにかく静か過ぎるのが腑に落ちねえ」 と、統真。 レナは上空の龍達を見上げた。 「大木があるから、時々休ませながらついて来させよう。川を辿る」 その目に微かに苛立ちが浮かんでいる。 「奴は来いと言う意でエドゥアルトの存在をチラつかせたのだ。おびき寄せられているのだろうが、それを覚悟で進むしかない。どこかで必ず何か仕掛けて来る。腹立たしい限りだ」 森の日暮は早い。日が傾き始めるとあっという間に暗くなった。 「とりあえず前みたいに火をつけられることはなかったな。こっちも火は焚かねえぞ」 周囲を警戒しながらイルファーンが言った。龍達は川岸に場所を見つけて降り立つ。 昨晩から動き続けのため、交代で仮眠をとることに。フレイアはムスタシュイルを放つ。 眠ることができないのか、座ったまま何かを考えている様子のレナにフェンが近づき、彼女の頬をつついた。レナはびっくりしてフェンの顔を見る。 「思い詰めた顔してる。独りで抱え込むと潰れちゃうわ。私みたいに」 「フェンは潰れてなんかいない」 レナはとんでもないというように首を振った。 「起き上がって歩いてるところよ」 フェンは笑って答え、横に座ってレナの手をぎゅっと握った。 「レナ、みんなで引き受けるから。何があっても」 ふと顔を巡らせると、皆が一斉についと視線を逸らせた。仮眠していたはずの怜や壬弥も身じろぎする。 レナは小さく笑みを浮かべて、有難うというようにフェンの手を握り返した。 夜が明けて再び行動開始する。 このまま川を辿ると森の外に出てしまいそうだという頃、フェランがふいに唸り声を発した。 直後、 「遅いぞ」 大木の傍にいたレナの耳元でいきなり声がした。身構えて振り返るレナと相手の間に雪白が素早く割って入る。次の瞬間、2人の足元が崩れた。 「レナ!」 ぽっかりと口を開いた穴にフェンと統真が慌てて駆け寄る。 「やっと面倒な仕事が終わったぁ」 イルファーンと怜が引き金を引くが、ひょいひょいと妖猫は素早く上の枝に飛び移りながら嗤うように言う。 「クソ猫…」 呟いたイルファーンだったが、ふいに銃を下ろす。妖猫はそれを見てようやく自らの頭上に気づいた。 「ニャ?」 その声とシャールクの一噛みが同時だった。 「統真!」 暗い穴の中から雪白の声が聞こえる。 「荒縄持って来い! 降りる!」 壬弥が騎士に怒鳴る。 レナの声が聞こえない。代わりに別の声が聞こえた。 「レナ!」 その声を聞いた途端、フェンが穴の中に飛び込んだ。 着地した途端に体を落ち葉が包み込む。 フェンは必死に体勢を元に戻し、殲刀を抜いた。 穴の中は上からの光で逆にうっすらと中が見える。 彼女はカッツバルゲルをエドゥアルトに突きつけているレナの姿を見た。 「エド! レナから離れて!」 「これ以上、穴に降りて来るな。埋められるぞ」 叫ぶフェンにエドゥアルトは両手をあげて言った。 「それよりも中にいる人達を助けて欲しい」 フェンは目を細めて穴の中を見渡す。誰かが奥から姿を現した。痩せこけた男だ。その後ろから数人姿を現す。 「フェン!」 統真の声がした。 「屋敷の使用人達だ」 エドゥアルトの声と同時に、フェンの背後で縄が投げ込まれる音がした。続き、統真がそれを伝ってするりと降りて来る。 「統真、それ以上降りるなと伝えて。上が手薄になる」 レナがエドゥアルトから目を離さずに言った。 「雪白、レナから離れるな」 統真は素早く中に目を走らせると雪白に声をかけ、再び縄を登っていった。 「中に人質がいる。男3名、女4名。うち1人はエド」 縄に手をかけたまま、統真は口早に言った。 落ち着かげに動き回るフェランにイルファーンが目を向ける。 「中にローザの可能性は?」 「今は何とも。下で一人ずつ縄に結わえつけるから、引き上げてくれ。目ぇ離すな」 「ムスタシュイルを使いました。範囲内に動きが。時間の問題よ」 フレイアが言った。 「エドは」 壬弥が太刀を抜いて尋ねる。 「無傷無抵抗。レナとフェンで見張ってる」 彼はそう答えて再び穴の中に滑り込んだ。その直後、上空で声がした。迅鷹だ。 「上げる人間は全部で7人だ。全員揃ったらすぐに森の外へ連れ出せ!」 壬弥が騎士達に命じる。 「来ますわよ。穴に入れたら全員危ない」 フレイアは言った。 「片っ端からやるのだぜ」 怜が答えた。 「レナ、頼みがある」 エドゥアルトは言った。 レナはちらりとフェンに目を向ける。術視を行ったフェンが大丈夫と頷いたので、レナは再びエドゥアルトに目を向けた。 「命乞いは無駄」 「私じゃない。領地内の人達を頼む」 レナはエドゥアルトを見つめた。うっすらと生えた無精ひげはかつての美しい姿とは雲泥の差だ。フェンの視界の隅で統真が女性を縄に結わえつけている。 「民が大切なら、なぜローザと通じた」 レナの声にエドゥアルトは一瞬目を伏せる。 「ベルイフは母がこよなく愛した土地だ。それを父が貶めた。母は悔やみながら亡くなり、父はさらに名を貶めた。だが、父はいなくなった。私は領地を持ち直した。でもベルイフの汚名は消え去らなかった。過去が本当に過去になるのはいったいどれほどの時間が必要なのだろう」 「嘘よ。私はベルイフの落ちた評判など聞いていない。バレクも…」 「レナ」 エドゥアルトは力のない笑みを浮かべた。 「君はもとより私に興味がない。ニーナの宴で会っても私を思い出せなかった」 「ニーナの手紙はやはり貴方がすり替えたの?」 フェンの問いにエドゥアルトは頷いた。レナが眉を潜める。 「どうして…。ニーナのことを…愛していたんじゃないの…? 彼女を利用したの?」 「私は君に…」 口を開こうとしたエドゥアルトに、女性がひとり近づいてきた。 「エドゥアルト様、ご無事を願っております。お戻りいただけますよね?」 ひざまづく女性にエドゥアルトが身を屈めた。 にわかに地上が騒がしくなる。フェランが激しく吠える声が聞こえた。 「早く! 来やがったぞ!」 統真が叫ぶ。 「私の心配はいらないから、行け」 エドゥアルトは女性の手を取り立ち上がらせた。フェンがその一瞬に何か違和感を覚える。時間にしてほんの僅かの間だっただろう。 「エドも来い!」 「殺れ!」 「…!」 統真の声、女性の声、蹴り飛ばされて統真の足元に転がる雪白、咄嗟に打ち下ろすフェンの刀、穴に飛び込んできたフェラン、全てが一瞬で重なった。 統真が苦心石灰と気力を付加して攻撃する。鈍い音がしたが女は怯まない。無痛覚。再び攻撃に転じる統真とフェランの牙を避け、女は恐ろしさすら感じさせる速さでするすると縄を登る。 「イルファーンっ―――!」 統真の怒声と銃声が響く。上から血の雨が降り注いだ。 フェンが声を漏らす。違和感の正体がやっとわかった。彼女はやつれ、汚れきっていた。エドゥアルトが持ったあの手を除いては。男は3人、女は4人。数が合わない。いつ紛れ込んだのか…。彼女は刀を握り直す。 「フェン…手出し無用っ!」 レナはエドゥアルトが持つ短剣で肩を貫かれたまま彼を睨みつけて言った。 呻き声をあげながら、剣を持ち上げる。そしてフェンの一撃を受けながらも離れようとしない彼の胸をレナは自らの剣で突いた。 どう! とエドゥアルトは崩れ折れた。 縄を引いていた騎士2名が途中で顔を見合わせた。この縄は妙に重い。その次の瞬間、 「イルファーン!」 統真の声。続く銃声。 壬弥は首のない女が一直線に自分に向かってくるのを見て太刀を構える。 女が飛びかかろうとしたその直後、 ―― 貴方の太刀は重いから苦手 そんな声を壬弥は聞いた気がした。 そして見た。女の首の奥の深淵を。 『穴だ…! 何もねえ!』 暗く開いた闇と、昨日の洞窟の光景が重なる。 それは全て瞬きをする間のこと。 彼が太刀を振り下ろした時、ローザの姿は消えた。 壬弥は唸り声をあげた。瞬間移動しやがった! ローザは恐怖の声をあげる使用人達を突っ切って再び消えた。首を取られた女性がひとり倒れる。そしてそれを合図にしたかのように狼達の動きが変わった。一斉に一方向に向けて移動を開始したのだ。 「レナ! 狼が村に向かう!」 怜が穴にしがみついて叫んだ。 「エド…!」 レナは倒れたエドゥアルトに駆け寄った。 「やっと…呼んでくれた…」 エドゥアルトは答えた。 「…食わね…ば衰える…人間と…同じ…だ」 「エド!」 レナは呼んだが、次の言葉はもうなかった。 「レナ! 狼が村に向かう!」 怜の声が響く。 レナはもう声を出せなかった。彼女はエドゥアルトの目を閉じ、その指から印章を抜いて顔を歪めて突っ伏した。雪白が出血したままの彼女の傷に神風恩寵を使う。 「レナをおぶってあがる! フェン、下から支えてくれ」 統真が言った。 レナが統真に背負われて穴からあがった時、狼の最後の一派が通り過ぎたところだった。 「助けた人は…」 レナはそう言って痛みに顔を歪める。 「騎士が森の外へ誘導開始した。ひとり失った」 壬弥が答えた直後、ふいに木々がなぎ倒される大きな音がした。 鷲獅鳥、フレイアの? いや違う。一回りも大きい鷲頭獅子。すかさず怜とイルファーンが発砲するが、それはすぐに飛び上る。 「さあ、お空の友が降りる場所を作った。狩りの続きをしよう。お前達も同じだろう? 殺すことで生きていく人間ども。我らと同じね」 ローザの高笑いが聞こえた。レナの顔が怒りで赤くなる。 「村を救え! 行って! …つっ」 統真が膝をつくレナの体を支える。 「お願い、村を…!」 「定國!」 壬弥の声に鋼龍が呼応して降り立つ。定國が壬弥を乗せて飛び立ったあと、シャールクがイルファーンを乗せて飛ぶ。フレイアはレナの傷に触らぬよう、素早く彼女をそっと抱きしめた後イェルマリオで飛び立った。 「レナ、迎えに来るからね!」 最後に姫鶴の姿を見て怜がレナに言った。 「怜、村は最早襲撃不可能と思い知らせてやるがいい。ローザはいくら討っても逃せば再生する。相手にするな。狼を蹴散らせ」 「分かったのだぜ」 そう答えながら怜は心配そうに肩の傷に目を向ける。フェンと統真の顔を交互に見たのち、彼は姫鶴と共に空に飛び立った。 「フェン、統真…すまないけれど、私に付き合って…」 怜を見送ったあと、レナは言った。痛みのせいか息が荒い。 「すまないなんて言わないで」 フェンが答えた。 彼女の声に堪えていたものがレナの目から溢れた。 「…私は…殺したかったわけじゃない…でも、同じ…!」 雪白が近づいて浴衣の袖でレナの目を拭う。 「統真の友よ。涙を流すのはアヤカシではないよ。統真は力を貸すと言ったよ」 「そう。みんなで引き受ける。私もそう言ったよね?」 雪白とフェンの言葉にレナは気づいた。さっき、誰も「エドは?」と聞かなかった。 フェランが包帯と薬を咥えてきた。騎士が置いて行ってくれたのだろう。 「軽く手当するから統真はあっち向いてて。あとで精霊の唄も歌うわね」 フェンはそう言って包帯を取り上げたが、レナはフェンの肩に額を押しつけた。 「ちょっとだけ…泣かせてやれよ、フェン」 統真が言った。 森の外で待っていた騎士達が黒い波に埋もれている。 先頭を押さえようと急ぐ龍達の前に鷲頭獅子が行く手を阻む。 「皆様のお相手は私なのよ」 ローザが新しくついた首で嗤う。 「イルファーン」 怜が言った。 「レナがローザは再生するから相手にするなって。でも、たくさん撃ちこんだら再生に時間かかるんじゃないかって思うんだぜ」 「退却させる意味もあるな。こいつは邪魔だ」 イルファーンが構える。 「全員で一斉攻撃といたしましょうか」 と、フレイア。 「て――――っ!」 怜の声にフレイアがブリザーストーム、イルファーンの弐式強弾撃、怜はそれにカザークショットを加える。更にクイックカーブも。 鷲頭獅子の巨体が受け止めた攻撃もあったが、ローザの首は再び飛び、明らかに手ごたえはあった。退却に転じる鷲頭獅子の体に最後に壬弥が殲刀の一撃を与える。 「さあ、お帰り。寝床を見つけてあげます」 フレイアが不敵に笑って望遠鏡を取り出した。 「俺達は狼を止めるんだぜ!」 怜が叫んだ。 レナ達がようやく森の外に出た時には狼達の姿はなかった。 「馬がいる! 良かったわ!」 フェンが2頭を見つけて叫んだ。フェンがレナと、統真は雪白を乗せて走り出す。後を追うフェラン。 何も見えない。さっきまでの出来事が嘘のように静かだ。まさか、皆やられてしまったのでは、とふと考えてしまう。 しかし、ベルイフの屋敷があった丘を越えた時、統真が「レナ!」と声をあげた。 その時には、仲間もこちらを見つけていた。ゆっくりと龍と鷲獅鳥が丘のふもとに降りたつ。 彼らの元に辿り着き、馬から降りてレナは目の前の光景を見つめた。 村の前には龍を携えたヴォルフの騎士と見張り台が2基。そして各々の相棒を連れた開拓者の姿。その後ろに鍬やら鎌を持った村人達。彼らまでが戦ったのか? 「レナ、村は最早襲撃不可能、だぜよ。狼達は退却した」 怜が言った。見上げる青い目を見つめ返し、レナは再び村に目を向ける。 「汚名など…これだけの人が守った地に…汚名などどこにある…エド…」 微かに震えの混じる声で呟いたレナはバレク・アレンスキーが馬を走らせてくる姿を見る。 「行こう」 彼女はそう言っては少しよろめきながらハル・アンバルに乗った。 飛び立つ皇女の後に開拓者達も続いた。 1名の死者を出したが、森の中に囚われていた人質、5名を救出。 ローザは開拓者の手により重傷を受け退却。その先も確認。最初に探査した洞窟内の模様。再生回復には相応の時間がかかると思われる。 この場所は皇女の傷が癒えるまで、ヴォルフが騎士団を、バレクは陰陽師のトウを見張りに常駐させることとなる。 エドゥアルト・ベルイフは皇女を襲い負傷させた折、皇女自らの手によりその命を絶たれた。 彼の死亡はその指の印章を証拠に、スィーラ城に報告された。 皇女は連携のとれた開拓者の動きとその心遣いに感謝し、次なる戦いの備えの足しにと報奨を贈った。 |