|
■オープニング本文 前回のリプレイを見る ● 「何だか‥‥静か‥‥」 十年間待ち続けた思い人の駆名に会うべく、人攫いが出るという街道を抜けてまで箔羅の町を訪れた香伊那は、真新しい市女笠の下、ぽつりと呟いた。 既に夕暮れ時を過ぎたとは言え、人気の少なさは尋常ではない。 「柳さんは、駆名ちゃんを陣屋で見たって言ってたな‥‥」 香伊那は顔を上げ、陣屋の門を眺めた。 門扉は固く閉ざされている。会いに行くにせよ、明日の朝までは待たねばならないだろう。 「宿、探さなきゃ‥‥」 陣屋のある短い通りにだけは、人通りが残っていた。通りの左右には蔵と商店が建ち並び、どの家もかなりの金を持っている事が窺い知れる。 香伊那は、とぼとぼと通りを歩き始めた。 先日彼女の町に現れた人攫い。街道に出た人攫い。どちらも、この箔羅の町に関係がありそうだと、護衛をしてくれた開拓者達は漏らしていた。 十年間連絡の無かった思い人の手がかりが掴めたこと。その手がかりのある町が、人攫いに関係があるということ。この二つは、ただの偶然なのか。陣屋を離れて宿を探し始めた香伊那の心に、暗雲が垂れ込める。 「‥‥あの、お部屋、空いてますか」 「ええ、空いてますよ」 宿の中にいた前掛け姿の中年男性は、愛想良く答えた。 「良かった。じゃ、一部屋お借りします」 「はいありがとうございます。お一人様ご案内! さ、お荷物お持ちしましょう」 進んで荷物を持ってくれる男性に、香伊那は思わず声を掛けた。 「あの、すいません。駆名って人、知りませんか」 「駆名?」 中年男性は、ぽかんとした顔だ。 「さあ。知らないねえ」 「陣屋に出入りしてるか、それか陣屋で働いてる人だと思うんです」 「いや。知らないねえ、そんな男は」 「そうですか‥‥」 香伊那は肩を落とし、一人、案内された部屋に入っていく。 彼女は、その男性が駆名を知っているという事実に、気付かなかった。 ● 町に到着した翌日。 陣屋で門前払いを食った香伊那は、せめて情報を集めようと町をうろつき、この町の現状を知った。 箔羅の町と住人は、はっきりと二つに分かれていた。裕福な商人と、貧しい生活を強いられる農民、町民と。 陣屋のある通りを中心とした辺りが、裕福な商人達の住む、清潔な地域。旅人や旅商などが通るのは、基本的にここだけだ。 そしてそこを扇状に囲う形で、町民達の住む地域、更に外側に農民達の住む地域。 出発前に柳老人が言っていた通り、農民や町民は、何故代官や奉行に訴え出ないのか不思議なほど、困窮した生活を送っていた。 事実、香伊那が一歩町民達の住む地域に足を踏み入れた途端、金を恵んでくれと人が寄ってきたのだ。香伊那はそこでの情報収集を諦め、裕福な商人達の地域で、駆名について聞いて回った。 そして、香伊那は気付いた。この町で駆名を知っている住人は、いる。だがその誰もが、駆名について口にするのを避けているのだと。 「はあ‥‥」 夕刻過ぎ。足を棒にして一日中歩き回り、疲れ切った香伊那は、部屋の隅で自分の膝を抱き、ため息をついた。 「駆名ちゃん‥‥会いに来たよ‥‥私、会いに来たんだよ‥‥」 夕日の橙色から宵の紺青色へ粧いを変えていく部屋で、灯明も点さず、香伊那は呟く。 「あの、香伊那さん?」 階下から、中年男性の声が届く。香伊那は、けだるそうに声を返した。 「‥‥夕飯だったら、後にしてもらいたいんですけど」 「いや、そうじゃなくてね。昨日、駆名さんてお人についてお尋ねだったでしょう。陣屋の方が、その件で香伊那さんにお話をなさりたいと」 「え!」 香伊那は跳ね起きた。 「い、今すぐ! 今すぐ行きますから!」 ● 人気のめっきり少なくなった通りを、一人の重い足音と、一人の軽い足音とが抜けてゆく。 香伊那の前には、紋付き羽織に二本差しのサムライが、提灯を前に提げて歩いていた。 「あの、駆名ちゃんには会えるんですか」 「それについて、私からお話する事は禁じられております」 静かに、サムライが答える。 「あの、じゃ、駆名ちゃんはこの町にいるんですよね?」 「それについて、私からお話する事は禁じられております」 サムライの答えは機械的だ。香伊那は不満げにサムライの髷を睨む。 「あの、駆名ちゃんについてのお話って、何なんですか?」 「それについて、私からお話する事は禁じられております」 「私を呼んでる方って、どなたなんですか?」 「それについて、私からお話する事は禁じられております」 香伊那はため息をつき、サムライとの会話を諦めた。 二人の足が陣屋のある通りに差し掛かる、まさにその時だった。 「逃げろ! 逃げてくれ! そのサムライについていっちゃいけない!」 叫び声が、人気の少ない通りに響いた。サムライが、血相を変えて声のした方を見る。 そこには、みすぼらしい野袴姿の青年がいた。 「そいつはあんたを利用しようとしてるんだ! 駆名の知り合いが、ここの代官は欲しいんだ!」 「貴様!」 サムライは鞘から小柄を抜き、青年に投げつけた。 小柄は青年の肩に深々と突き刺さり、青年は崩れ落ちそうになりながらも、物陰に転がり込む。 香伊那は、咄嗟にサムライから距離を取った。 「‥‥やっぱり、私、行くの止めます」 「あのような下賤な者の言葉、真に受けないで頂きたい」 香伊那はサムライを睨み付けた。 「いやです」 「来て頂きます。それがご命令ですので」 「お断りします」 「貴方に断る権利はありませんな」 サムライは強引に香伊那の腕を掴む。香伊那の顔が、痛みに歪んだ。 瞬間、小さな影がサムライの顔に飛びかかった。 「香伊那姉ちゃん! 逃げろ!」 それは、少年だった。志体持ちなのだろう、子供とは思えない強烈な蹴りが、サムライの鼻を叩き潰す。 サムライは反射的に香伊那の腕を離し、顔を押さえた。 香伊那は聞き覚えのある声に、驚きの声を上げる。 「‥‥竜真ちゃん!?」 「早く!」 それは、香伊那の町で人攫いの騒ぎがあった時、子供ながら単身人攫いを追い、開拓者達に助けられた少年、竜真だった。 大人でも歩いて五日は掛かるこの箔羅の町に、何故竜真がいるのか。 香伊那の頭は混乱したが、しかし刀の鯉口が切られる音で、彼女は我に返った。サムライが、刀を抜いている。 「このガキ‥‥」 「早く!」 竜真は怒鳴る。香伊那は、わけも解らずに走り出した。 「逃げたぞ! 捕らえろ!」 何者かの叫ぶ声、そして呼子笛の音が、辺りに響き渡った。 |
■参加者一覧
小野 咬竜(ia0038)
24歳・男・サ
柊沢 霞澄(ia0067)
17歳・女・巫
鬼島貫徹(ia0694)
45歳・男・サ
蘭 志狼(ia0805)
29歳・男・サ
すぐり(ia5374)
17歳・女・シ
ルエラ・ファールバルト(ia9645)
20歳・女・志
羽流矢(ib0428)
19歳・男・シ
ノルティア(ib0983)
10歳・女・騎 |
■リプレイ本文 ● 夜闇の中でも、小野咬竜(ia0038)の紅緋色の髪はよく目立つ。 「‥‥細身で身の丈五尺ほど。恐らく旅装束で、真新しい市女笠を被っていたかも知れん。黒髪を腰まで伸ばした、美しい女人なんじゃがのう」 町民は首を振り、まじまじと咬竜を見た。 今日の咬竜は、虎皮が継ぎ接がれた柿色の袴に藤色の羽織という傾きっぷりだ。しかも斬竜刀を偽装するべく、平屋の軒を上回る長大な野点傘を抱えている。 「そうか‥‥いや、いい。忘れてくれ」 ジルベリア風の外套に打ち太刀を差した銀髪の青年、蘭志狼(ia0805)は、咬竜と共に民家を離れた。 「無事送り届けたつもりでいたが‥‥不覚だ」 格子窓の奥から好奇の視線を感じながら、志狼は舌打ちを漏らした。 「ある程度予想はしておったが。人と云うのは難儀じゃな、悪い予感ほどよく当たりよるわ」 口元をほころばせながら、咬竜は堪らないといった風に首を振る。 「はてさて、鬼が出るか蛇が出るか。ま、そんな大層なもんではないかも知れんがな」 その背中に、やおらしゃがれ声が掛けられた。 「おい、そこの‥‥大きいの!」 振り向いた志狼の鋭い目が、声の主を射抜いた。 それは、提灯を持った捜索隊の一部だった。 「何だ」 「黒髪を腰まで伸ばした、女を見なかったか」 「黒髪を腰まで伸ばした女など幾らでも居る」 志狼と男は、暫し睨み合う。だが、 「銀髪の大男‥‥赤髪の傾奇者‥‥」 男は何かに気付いたようだ。さりげなく咬竜が、野点傘を握り直した。 ふと、志狼の視線が捜索隊を外れて路地に向かった。 「貴様らが、狐組の言っていた者どもか」 路地の陰から、猿面をつけた大男が現れた。捜索隊が、咄嗟に居住まいを正す。 「これは、猿組の‥‥お疲れ様です」 「逃がすなよ。その男達、箔羅に徒成す連中だ」 「狐だけではなく、猿も出よったか」 咬竜が野点傘を投げ捨てる。長大な刀身が三日月を反射して輝いた。 捜索隊が色めき立ち、鯉口を切る音が多重奏を響かせた。猿面の男も、柄に手を掛ける。 「我々とやる気か」 「退く、という選択肢は無いのだろう? 俺もだ」 志狼が珠刀「阿見」を抜き放った。 「そうか。ならば貴様等の首、ここで貰い受けるとしよう」 猿面の奥の目が、物騒に光る。捜索隊の一人が、呼子笛を吹いた。 「おうおう、香伊那には悪いが‥‥喧嘩の匂いに少々胸が躍るわい」 斬竜刀の切っ先が大きな弧を描き、咬竜が構えを取った。 志狼は「阿見」で霞の構えを取る。 「一に護り、二に斬る‥‥蘭志狼、参る!」 ● 「フハハ。あの娘も災難続きだな。どれ、少し様子を見にゆくか」 いかにも楽しそうに呟きながら、赤を基調としたコートの男、鬼島貫徹(ia0694)が路地を歩いていた。その手には、愛斧「ミミック・シャモージ」がしかと握られている。 「悪い予感が当たってしまいました‥‥町も不穏な様子ですし心配ですね‥‥」 囁くように言いながら、その後ろについて歩くのは、銀髪の巫女、柊沢霞澄(ia0067)だ。 「何、あれぐらいの年であれば、それで良い。否、それが良い。理不尽ともいえる大人の理屈に振り回され、そして立ち向かわずに何が恋か」 鬼島は呵々大笑する。 一見豪放磊落な鬼島の様子に霞澄は眉を八の字にしていたが、しかしすぐに、彼が敢えて香伊那の名を出さずに話していることに気付いた。 「‥‥本当に細かいところにまで、気遣いをされるんですね。優しい人‥‥」 「な、何?」 面食らっている鬼島を見て、霞澄はくすりと笑う。 「一応ギルドにお願いはして、緊急の部屋は確保しておきましたから‥‥早くご本人を見つけましょう‥‥」 呟く霞澄の背中に、声が掛けられた。 「おい、そこの‥‥」 二人が振り向く。 背後に立っているのは、羽織袴に提灯を持った捜索隊らしき五人組だった。先頭に立つ男が、息を呑んでいる。 鬼島の怪斧が、橙色の明かりを反射して凶暴に光っているのだ。 「何の用だ」 鬼島が、傲然と捜索隊の男達を見下ろした。 「そこ‥‥の‥‥さ、サムライ殿‥‥こ、この町のどこかで、腰までの黒髪の、そちらの女性ほどの年齢の‥‥」 「『の』が多い! 言葉を勉強し直せい」 「も、申し訳ありませ‥‥」 「貴様らにかかずらっているほど暇ではないのでな。もう行くぞ」 「は‥‥」 「待て」 先頭に立った男の肩を掴んで押し退け、後ろから一人の男が進み出た。鬼島のなり姿を、頭の天辺から爪先まで、眺め回す。 「髷に、大斧。紅玉髄のついた腕輪‥‥それに銀髪の巫女‥‥」 霞澄の瞳が、怜悧な輝きを帯びた。 「望月菊ノ介は、やはり箔羅の町と繋がっていたのですね‥‥」 男は刀の鍔を親指で押し、鯉口を切った。 鬼島はゆらゆらと斧を動かし、顎で脇の蔵を指す。 「俺は一向に構わんが‥‥良いのか、こんな往来で」 男は刀を抜いた。次いで、残る四人も。 霞澄が滑るかのごとく後背へと跳躍し、鬼島の目がすっと細められた。 「この男を‥‥」 金属音。何かを押し潰す音。そして、固い音。これらが、一瞬の間に響き渡った。 情け容赦の無い鬼島の一振りは、志士の刀をへし折り、肩口を胸元までを斬り裂き、地面に突き刺さっていた。男は何が起きたのか理解さえせず、派手に血を噴き出しながら仰向けに倒れる。 「た、隊長?」 鬼島は、地面に三割ほどめり込んだ大斧を引き抜いた。 「殺してはおらん。手当でもしてやれ」 言い残し、鬼島は歩き始めようとする。だが、 「鬼島さん!」 霞澄だけが、残った捜索隊の視線の動きに気付いた。掌に集中した精霊力が彼女の髪と同じ雪白色を帯び、光跡を曳きながら夜空を切り裂く。 重い物が地面に叩きつけられる音が響いた。 「あまり人を傷つけたくはありませんが、お二人を守る為になら躊躇はしません‥‥」 凛とした霞澄の声に鬼島が振り向くと、そこには左肩を押さえてうずくまる弓術士がいた。 志体持ちではないらしい捜索隊の隊士達が、露骨に戦意を失って後ろに下がる。 その時、町民の居住域から呼子笛の音が響き、鬼島と霞澄は顔を見合わせた。 ● 重い足音が、路地を駆け抜けていく。 服の袖で荒い息を殺しながら、竜真は物置の陰に隠れていた。 「よう、来てくれたね」 もう一人。黒いシノビ装束姿の少女、すぐり(ia5374)が竜真の頭を撫でた。 竜真は、全身至る所から血を流していた。志体持ちとはいえ、ろくに訓練も受けいない身で、侍三人と切り結んでいたのだ。 「‥‥で、竜真。なしてこないな所に居るん?」 止血剤を使って応急手当をしながら、すぐりは気遣わしげに竜真の顔を覗き込み、囁いた。 竜真は顔を赤くしながら、仏頂面で答える。 「こ、梢を助けてくれただろ‥‥すぐり姉ちゃんが」 一瞬の沈黙。 すぐりの大きな目が、更に大きく、まん丸になる。 「そ、そんだけ!? そんだけで、ここまで来たん!?」 「命のお礼は、命で返さないとだろ」 竜真は変わらず仏頂面だ。 「ば、番頭はんは!? 下働きのあんたが居らんようなって、困りはるんやないの!?」 「話したら、解ってくれた。これ、せんべつだって」 竜真は、侍達の血が付いた忍刀を翳す。 「番頭はん、何してはんねや‥‥」 すぐりは細い指で顔を覆ったが、気を取り直して立ち上がった。 「ま、ええわ。竜真、単刀直入に聞くで。うち等が、信じて、頼れるんは誰?」 「京五さん」 「‥‥誰やて?」 「京五さん。ここの町の人の、えらい人。俺に、香伊那姉ちゃんが危ないって教えてくれた」 ● 「香伊那さん。‥‥必ず‥‥」 一人ぽつんと路地を歩くノルティア(ib0983)は、宿を覗き込み、ついでにひっそりと物陰を覗き見ながら、陣屋から外れていく方向へと進んでいた。その顔が、ふと前を向く。 「‥‥ノルティアさん。見つかりませんか」 「ルエラ、さん」 その表情が緩んだ。市女笠の下から僅かに覗く、紅赤の髪。ルエラ・ファールバルト(ia9645)だ。その青い瞳には、精霊力が集中している。 「今のところ、視界内に、身を隠しているような生物はいませんね‥‥」 「そう、ですか」 夜空に黒い影が踊り、小柄な人影が音もなく物陰に舞い降りた。 「居たかい?」 建物の陰から、狐面が覗く。羽流矢(ib0428)の声だ。ルエラが力無く首を振った。 「まだです。‥‥ということは、町民の方々の居住域も?」 羽流矢の狐面が、小さく頷いた。ルエラが唇を噛む。 「解りました、こちらも捜索を継続します」 「羽流矢さん。引き続き、連絡役、を。お願い」 「解ってる。絶対奴等より先に見つけ出す」 早くも路地を蹴り、商家の屋根に飛び移った羽流矢の声には、鬼気迫るものがあった。 「羽流矢さん。香伊那さんは隠れてもいる筈ですし、竜真君を気にして、遠く離れる事はできないだろうと、すぐりさんが」 「そうか‥‥だとしたら、やっぱりこの辺りが臭いな」 狐面の下で、羽流矢が小さく唸る。 町民の居住域から、呼子笛の音が届いた。 「‥‥まさか」 三人は顔を見合わせた。 「会える時まで‥‥傷一つ付けさせられるかよ‥‥っ」 屋根を蹴ってそちらへ跳ぼうとする羽流矢に、訝しげな声が掛けられた。 「‥‥羽流矢さん?」 膝を曲げて力を溜めた羽流矢が、そのまま崩れ落ちかけた。 何とか体勢を立て直した羽流矢が、慌てて路地を覗き込む。 「香伊那さん!」 「香伊那さん?」 「香伊那、さん」 三人の声が、綺麗に重なった。 大八車の陰にしゃがみ込んでいたのは、臙脂の袴に松葉色の小袖を着た女性、香伊那その人だった。 香伊那は見覚えのある二人を見て目を丸くする。 「‥‥ノルティアちゃん? ルエラさん? どうして?」 「お久しぶりです。助けに参りました」 市女笠を取って丁寧に頭を下げるルエラを押し退け、ノルティアが駆け寄った。 「安心するには、早いけど‥‥香伊那さん。無事で、良かった。これ、使って」 ノルティアの手が、外套と三度笠を香伊那に渡す。 「あ、ありがと‥‥市女笠、持って来れなくて」 香伊那は暫く目を丸くしていたが、やがて花の開くような笑顔を浮かべ、視線を横に向けた。 「羽流矢さん、来てくれたんだ」 「へへ」 狐面を外した羽流矢は微かに頬を赤らめ、人差し指で鼻の頭を擦った。 「ま、とにかくすぐりさんに連絡して、皆を呼ぶよ。竜真も捜さないとだろ」 「もう、来とるよ」 夜空に薄紅色の紐が踊り、闇から溶け出すかのように忍び装束のすぐりが現れた。その隣には竜真の姿もある。 路地に舞い降りたすぐりは、大きく安堵の息を吐きながら、香伊那の手を取る。 「良かった」 「すぐりさん‥‥ていうか、皆、何で私が追われてるって解ったの?」 「京五さんが、香伊那姉ちゃんを探してる俺に教えてくれたんだ」 竜真が、相変わらずの仏頂面で言う。 「きょうごさん?」 「町の住人の、指導者なんやて」 「そこで、何をしている」 一同が一斉に振り向いた。 そこには、髷を結った羽織袴姿の男が二人、立っていた。 一人は左手の提灯を置き、刀に手を掛けている。一人は和弓を構え、右手を肩の矢筒に伸ばしていた。 幅五尺ほどの狭い路地だ、急激な人の入れ替わりはできない。最後尾のルエラが無造作に男へと距離を詰めた。羽流矢の大きな瞳が細められ、その右手が霞む。 鞘走りの音。 男の剣閃が、市女笠の垂衣を裂き、ルエラの鎖骨の二分前を空過する。抜き打ちの一刀を読み切っていたルエラは、切っ先が身体の前を通過した瞬間、継ぎ足で男の目の前に飛び込んだ。 男の頭部が、商店の土壁に激突した。 鞘付きのままの刀で男のこめかみを強打したルエラが奥の弓使いに目を向けると、弓使いは左手を押さえてうずくまっていた。 見ると、弓の弦が切れ、男の顔に見事なみみず腫れができている。側の土壁と弓使いの左手首には、羽流矢の投じた風魔手裏剣が突き刺さっていた。 「失礼」 ルエラは呟きながら、うずくまる弓使いの後頭部を鞘尻で強打して失神させた。 「‥‥竜真。その人、信じていいんだな? 信じるからな」 羽流矢の言葉に答えたのは、すぐりだった。 「安心し。この町、代官の林と町民とで、真っ二つに分かれてるんよ。京五言うんは、町民の代表みたいや」 「‥‥解った。竜真、案内してくれ」 竜真が頷き、路地を駆け出そうとした時。 「おい‥‥音が‥‥かっ‥‥?」 隣の路地から、男達の話し声が聞こえてきた。 ノルティアが、ふらりと一同の輪を離れた。 「どないしたん? 早よ行かな」 「私が、追い払って、くる。から」 「何言ってるの!」 香伊那がノルティアのフリルシャツを握るが、可憐な外見からは想像も付かない力で、小さな指が香伊那の手を剥がした。 「一芝居、うつ‥‥ために。ボク。鎧、着て、来なかったんだ‥‥から」 ノルティアは微笑んだ。 羽流矢とすぐりが視線を交わし、頷き合うと、屋根に飛び乗った。 「香伊那さん、ノルティアさんなら大丈夫。こないだは見てなかったかも知れないけど、可愛く見えて、俺と同じくらい強いんだぜ」 「安心し。何かあったら、うちも羽流矢も援護するさかい」 香伊那はそれでもまだ躊躇っていたが、 「香伊那さん。信じてもらえないということは、私達開拓者にとって、恥ずべきことなんです」 ルエラに促され、香伊那は肩を落とした。 「危ない事、しないでね」 「大丈夫。ちょっと、引っかけて、くる。‥‥だけ」 ノルティアはこっくりと頷き、路地を出た。すぐりと羽流矢の姿が、闇夜に溶ける。 「さ、行きましょう」 ルエラの言葉に、香伊那は頷いた。 「あっちの、街道。髪長い、女の人‥‥倒れてる」 ノルティアの声を背中に聴きながら、香伊那とルエラ、それに竜真は、路地を走り出した。 ● 通りは、地獄絵図のごとき凄惨な様相を呈していた。血混じりの泥、折れた歯が辺りに飛び散り、うめき声が充ち満ちている。 「逃げられましたか」 屋根の上から声が降ってくる。 「そう責めるな、聞きしに勝る腕利きだった‥‥後から来た斧使いなど、特にな」 全身傷だらけで壁に寄りかかり座っている男が笑った。 「あの銀髪、俺が自ら名乗り、名を聞いたらな‥‥何と言ったと思う」 「‥‥私は、名乗る名は無い、と言われましたが」 「貴様等など名を覚えるに値せんが、此度は名乗ってやろう、と」 男の笑い声は高くなっていく。 「蘭。その名、覚えたぞ。貴様はこの青葉鉄造の獲物だ」 「やれやれ」 屋根の上の男、望月は狐面を外し、細面を三日月に晒した。 「街道での警戒の見事さといい、先ほどの捜索隊の誤導といい‥‥頭が切れるようですね。鍋島と手を組むでしょうから、厄介ですよ」 男、青葉は鼻で笑った。 「猿組だけで十分だ。箔羅の街は、以後も我々が牛耳る」 「前半はともかく、後半については賛成です」 望月は、屋根の上から姿を消した。 青葉もゆっくりと立ち上がり、むせ返るような血の臭いの中、路地の陰へと消えていった。 |