ただ君を待つ―出立―
マスター名:村木 采
シナリオ形態: シリーズ
相棒
難易度: 普通
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/11/20 19:02



■オープニング本文

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「本気ですかね、香伊那さん」
「うん。本気」
 腰まで流した黒髪を後ろで束ねた香伊那は、市女笠の下で微笑んだ。
「待っててって言われたし、待ってるって言ったから、待ってようと思ってたけど‥‥どうしても、会いたくなっちゃった」
 何かと香伊那のことを気に掛け、足繁く通っている老商人、柳が頭を掻いた。
「まあ、確かに私が駆名を見たと言いましたがね‥‥考えてみれば、他人の空似かも知れませんよ」
 柳老人が、白い髭をしごきながら渋い顔をする。
「その人が駆名ちゃんだったら、今すぐ会いたいの」
 香伊那はきっぱりと言い切った。
「人違いなら、それでいいわ」


 十五年ほど前、香伊那の母、絹枝が奇病に罹った。
 当時の街を完全に仕切っていた渡辺家の当主は「街の安全のため」と称し、奇病の伝染を防ぐために香伊那の家を半ば村八分のような状態にした。結果、絹枝は衰弱して命を落としたのだ。
 その時、「移るかどうか解ってもいない」と、ただ一人香伊那の母の看病を手伝っていたのが、志体持ちの元孤児、駆名だった。
「移らないって。移るんなら、とっくに香伊那に移ってら」
 万一移してしまってはいけないから、と案じる絹枝に対し、駆名はそう言って笑った。
 駆名の言う通り、奇病は絹枝が他界するまで誰に移ることも無く、絹枝の死語暫くして村八分も終わったのだが、しかし駆名は渡辺家の指示に刃向かったということで街で冷遇されるようになった。
 いきおい養父との折り合いも悪くなった駆名は、十年前、遂に開拓者になることを目指して家を飛び出したのだった。
「一人前の開拓者になって迎えに来てやるから、待ってろよな」という言葉を、香伊那に残して。


「でもね、最近、旅人を狙う人攫いが街道に出るって話ですよ。この街に出た人攫いだってその連中かも知れない。街道が安全になるか、せめて人違いじゃないと解るまで、待ってくれませんかね」
 柳老人の訴えに、市女笠に杖という旅姿を整えた香伊那は、首を振った。
「ごめんなさい。何だか‥‥寂しくなっちゃったの」
 困惑を隠しきれない柳老人に、裏木戸を押して家を出た香伊那は、遠い目で街を見た。
 香伊那の家は、街から外れたところに、一軒だけぽつりと立っている。
「竜真ちゃんと梢ちゃんを見てたら、まるで昔の私と駆名ちゃんを見てるみたいで」
「ああ‥‥」
 柳は、香伊那の口から出た名前を聞いて、どこか腑に落ちるものを感じた。
 先日の人攫い騒動で攫われた梢を、竜真少年は子供ながら単身追いかけ、犯人に飛びかかろうとさえしたのだった。
「なるほど、確かに竜真の無鉄砲さに一途さは、駆名に似てますねえ」
「でしょ?」
 香伊那はくすりと笑った。柳は困ったように笑い返し、ちらりと香伊那の顔を覗き込む。
「まあ梢ちゃんは小さい頃の香伊那さんほどお転婆じゃありませんがね」
「やだ、もう、柳さんたら」
 香伊那はころころと笑い出した。不自然なほど笑っていた香伊那は、なおも笑いながら、絞り出すように言う。
「でね、二人をね、見てたら、羨ましくて‥‥」
 そこでようやく柳は、香伊那の様子が違っていることに気付いた。
「羨ましくて‥‥」
「‥‥香伊那さん?」
 笑っていた筈の香伊那の目から、涙が溢れ出していた。口元だけで笑いながら、子供のように、ぽろぽろと涙を流している。
「羨ましくて‥‥寂しくて。懐かしくて‥‥会いたくて‥‥」
「香伊那ちゃん?」
「会いたくて‥‥」
 香伊那は、市女笠の下で顔を覆い、子供のように泣き出してしまった。
「やれやれ‥‥」
 柳老人はため息をつき、編み笠を被り直して香伊那の市女笠に手を置く。
「香伊那ちゃん、お気持ちは解りましたよ。解りましたから、せめて箔羅の街まで護衛をお願いしますんでね。開拓者の方が護衛につくのを、ほんの数時間でも良いから、待って下さいな」
「うん‥‥うん‥‥」
「人攫いを追い払ってくれた開拓者の方が、まだ街にいらっしゃるやも知れない。第一、香伊那ちゃんに万一の事があったら、私ゃ駆名の奴にぶっ殺されちまいますよ」
 止めどなく流れる涙を拭おうともせず、顔を覆って泣きじゃくりながら、香伊那は幾度も頷いた。



■参加者一覧
小野 咬竜(ia0038
24歳・男・サ
柊沢 霞澄(ia0067
17歳・女・巫
鬼島貫徹(ia0694
45歳・男・サ
蘭 志狼(ia0805
29歳・男・サ
すぐり(ia5374
17歳・女・シ
羽流矢(ib0428
19歳・男・シ


■リプレイ本文


「フハハ。甘酸っぱい思いによって動くのも結構結構!」
 呵々大笑しながらギルドの一室に顔を出したのは、筋肉質の身体に長髪、黒いコートに大小二本差の、鋭い目つきをした男だった。
 椅子に座って柳老人と共にいた香伊那は、腫れぼったい目を丸くし、次いでくすりと笑う。
「鬼島さん? やだ、知らない人みたい」
「人攫いの動きが見えぬ以上、余計な波風が立たぬよう、最低限の配慮はしておきたいからな」
 見事に変装した鬼島貫徹(ia0694)は、眉一つ動かさない。
「行方も知れぬ男に会おうというその心意気や良し」
 長大な布の包みを抱えて長煙管を咥え、陣笠から燃えるような紅緋色の髪を垂らした伊達男、小野咬竜(ia0038)が、陽気に片手を挙げた。
「ま、一つ物見遊山でもしながらゆるりと参ろうか」
 香伊那の隣に立つ柳老人が、深々と頭を下げる。
「大丈夫、俺たちが送り届けるからさ。会ったら何しようとか考えておいてくれれば良いな」
 真新しい短外套と脚絆の調子を確かめながら、笠を手にした羽流矢(ib0428)がにっと笑う。
「な、箔羅の町の代官、いうたら‥‥どんな人やったかな」
 黒い忍び装束の少女、すぐり(ia5374)が柳老人に首を傾げてみせる。
「林芳信ですか? 黒い噂の絶えない人物ですよ。貧しい生活を強いられてる農民や町民が、不平を訴え出ないのが不思議なくらいで」
「すみません、お待たせしました‥‥」
 続いて入ってきたのは、市女笠から雪白の髪を覗かせた細身の少女、柊沢霞澄(ia0067)だ。手に持った真新しい市女笠を、そっと香伊那に差し出す。
「香伊那さん、よろしかったら‥‥」
 言われて香伊那は、垂衣もあちこちほつれ、笠自体も破れかかった、自分の古い市女笠をまじまじと見る。
「で、でも、そんな、霞澄さん」
 うろたえる香伊那の頭に、霞澄はそっと真新しい市女笠を乗せた。
 笠を霞澄に返そうとしていた香伊那だったが、霞澄に一つ頷いて見せられると、やがてしおらしく頭を下げ、新たな市女笠を被り直す。
「‥‥早々に、発つか」
 扉に寄りかかって立っていた銀髪の青年、蘭志狼(ia0805)が、髪の結紐を大切そうにほどき、懐に入れて立ち上がる。
「香伊那は一刻も早く出立したかろう」
「せやね」
 すぐりは頷き、香伊那の手を取った。
「香伊那。きっと、会わせたるからな」



「‥‥歩いて五日の距離に居って、会いに来いひんのは何でやろ」
 曇天の下、冷たさを感じるようになった秋風が、街をゆく人々の肩をすぼませている。目立たぬ旅装束姿のすぐりは、唇をとがらせた。
「香伊那があない寂しい思いしはっとるんに。まだ半人前やから?」
「ま、手がかりがあるんなら会いに行けばいいよ。で、直接会って、『どれだけ待たせるんだ』って言ってやれば良いんだ」
 羽流矢が屈託のない笑顔をすぐりに向けた。
「そら、せやけど‥‥それとも他に何か理由があるんやろか」
 すぐりは桜色の艶やかな唇を不満げに曲げる。
 宿場町の一隅、小さな旅籠の入り口に、二人はいた。香伊那を含む五人より先行し、情報収集を担当しているのだ。
「あいよ、お待たせ」
 水を張ったたらいを手に、老婦人が笑顔で表れる。
「ありがとう。ねえお婆さん。不穏な噂を聞いたんだけどさ」
 真新しい脚絆を脱ぎながら羽流矢が切り出すと、老婦人はふと顔を曇らせた。
「不穏な噂? 人攫いの話かい?」
「そうそう。見ての通り、綺麗な連れがいるんだよ。攫われたら困るだろ?」
「ああ、そうだねえ。こんな綺麗な姉ちゃん、あたしが人攫いなら放っておかないよ」
 老婦人は得心顔で頷き、すぐりをまじまじと見た。
「お兄さん、ちゃんと守ってあげるんだよ?」
「いやや、おばあちゃん、お上手やわ。うち、そんな美人やないって」
 ほんのりと頬を染めながら、すぐりは老婦人の背を指先で叩く。
「お嬢ちゃん、お気をつけよ。本当に人攫いが出るらしいからね、この先の山で」
「お婆さん、その辺詳しいかな? ちょっと聞かせてもらいたいなあ」
「いいとも」
 老婦人は自慢げに鼻を動かす。
「あたしはこれでも情報通でね。この先の山、それも峠を越えた竹林の辺りで、人が攫われる事が多いって話さ‥‥」


「はい、川海老の唐揚げに、里芋と挽肉の甘酢あん」
 泊まり客が集まる板間の一角で、霞澄は香伊那の隣に行儀良く座っていた。鬼島は夜の番に備えて仮眠を取っている。志狼は宿周辺の見張りだ。
「旅慣れていらっしゃらないから何かと大変でしょう‥‥? 歩くのが速すぎたり、しませんでしたか‥‥?」
「うん、大丈夫。霞澄さん、優しいのね」
 香伊那は微笑む。霞澄ははにかみ、そっと目を伏せた。
「おう、旨そうじゃのう。さっき台所で作っていたのはこれじゃったか」
 暫し席を外していた咬竜が、手を擦り合わせながら腰を下ろした。怪しげな動きをする者がいないか、確認をしていたのだ。
 周囲から、ひそひそと話し声が聞こえてくる。
 何せ咬竜は赤髪に襟の高い白の袍、金糸の刺繍入りという、かなり傾いた恰好だ。加えて雪白の髪を腰まで伸ばした霞澄と、黒髪を腰まで伸ばした香伊那の、美形三人組である。
 彼らが周囲の人目を引くのも仕方ないことと言えた。
「‥‥」
 好奇の視線に晒されて居心地の悪そうな香伊那に、
「何じゃ、香伊那、食わんのか? 腹が減っては戦はできんぞ」
 咬竜はひょいと隣の香伊那の膳からあん掛けの里芋をつまみ上げ、口に放り込む。
「あ、私の!」
「はようふわんほ、おぇがえんぶふっへひわうご?」
 里芋を頬張りながら、笑顔で咬竜は言う。
 だが霞澄は、咬竜の目が全く笑っていないのに気付いていた。毒味というわけだ。
「もう。頂きます」
 それとは知らずに香伊那は唇を尖らせ、夕食に取りかかる。咬竜は里芋を飲み込み、正面の霞澄と視線を交わした。
「小野さん‥‥先刻、羽流矢さんとすぐりさんから、文の結わえ付けられた苦無が‥‥」
「何と?」
「この宿に罠や仕掛けはないと‥‥それから峠の先の竹林に、何者かの潜伏の痕跡があったそうです‥‥」
「ふむ」
「それから、腕の立つ小男の目撃情報が、街道沿いで若干‥‥先日の人攫いと、街道沿いの人攫い‥‥関連が無いとは思えませんね‥‥」
「で、あろうのう、っと」
「がッ!」
 叫び声が響き、板間にいる全員が、同時に香伊那達の机に視線を注いだ。
 机の横には中年男が一人、右腕を咬竜の左手に掴まれて立ち尽くしている。床には、火の付いた煙草が赤く小さく輝いていた。
 咬竜が喧嘩煙管で男の手首を打ち据え、更に開いた左手でその腕を取ったのだ。更に男の手をねじり上げ、意地悪い笑みを浮かべる。
「どうれ、ゆるりと話を聞かせてもらおうかのう」
「チィ!」
 瞬間、男を中心として、どこからともなく木の葉が舞い上がった。霞澄が、咄嗟に香伊那を押し倒して上に覆い被さる。
「こんな目くらましで逃すか、阿呆!」
 咬竜は左手で男の右腕を引きつつ左足を閃かせ、背後から男の足首を刈った。
 が、その足はむなしく空を切る。
 数秒の後、扉を突き破る音が宿の中に響き渡り、二つの足音が遠ざかっていった。‥‥咬竜の手が、男の手を握ったままにも関わらず。
 何が起こったのか理解した霞澄は、即座に香伊那の視界を塞いだ。
「ここまでするなんて‥‥」
 咬竜の手には、上腕部で切断され、傷口から止めどなく血を流す右腕だけが残されていた。凄惨な光景に板間中で悲鳴が起こる。
 遠くから志狼の鋭い誰何の声が聞こえてきたが、剣戟の音は聞こえて来ない。早駆で逃げ切ったのだろう。
 咬竜は嘆息し、手の中に残された男の右腕をつまらなそうに眺めた。


「紅葉真っ盛り、良い時期であったな」
「まさに錦秋じゃのう」
 鬼島と咬竜が、機嫌良く話し合っている。
 宿場町での襲撃から三日。十日にわたる入山禁止がようやく解かれ、一行は早速山越えに入っていた。
「宿場町で足止めされていなかったら、見られませんでしたね」
 香伊那は明るい顔で相づちを打つ。山道にはぬかるみが残って少々歩きづらいが、香伊那はそれをものともせず、元気に歩みを進めていた。
 と、先頭の咬竜がぴたりと足を止めた。次いで、残る四人が。
 その視線の先では、白髪の小柄な老人が倒れていた。苦しげに胸を押さえ、かきむしっている。
 志狼が、長槍を手に前へ進み出た。
「‥‥俺が行こう。香伊那を頼む」
 言われ、香伊那の前に霞澄、右に咬竜、左に鬼島が立った。志狼が、注意深く老人に歩み寄る。
「ご老人。体調が優れぬか」
「胸が‥‥胸が痛うて‥‥」
 志狼は老人の手を取ってその顔を覗き込んだ。
「酷い動悸だな。本物の病人か」
 手首の動脈に触れ、さりげなく脈を見ていたのだ。その場に立ち上がり、左手で仲間達を呼ぶ。
「!?」
 その時、倒れていた筈の老人が動いた。志狼が前方に身体を投げ出し、老人から距離を取る。
 老人は眉をひそめ、一行の顔を一人一人慎重に見つめた。逆手に持った短刀の切っ先から一寸ほどは、深紅の血に染まっている。
 直後、霞澄の脇で血の花が散った。
 突如早駆で三人の男が現れ、その一人に鬼島が、「覇閃」の抜き打ちでまず横一文字に、続いて袈裟懸けに斬りつけたのだ。
 二度の斬撃を浴びた男は右胸と右肩から血を流しながら、忍刀を前に翳して砂利道を後退する。
 危うく致命傷を避けた志狼が、唸った。
「‥‥確かに、動悸が」
「毒は飲んでいたさ」
 答えたのは老人ではなく、鬼島に斬りつけられた男だった。
「その動悸は、我々シノビの解毒術『死毒』の動悸よ」
「蘭さん、お怪我を‥‥!」
「今は必要ない。何かあれば頼む」
 榊に精霊力を集めようとした霞澄に志狼は答え、ゆっくりと長槍の穂先を鞘から抜いた。陽光を反射し、「羅漢」が凶暴な光を放つ。
 何かの符牒だろう、老人が幾度かの舌打ちを漏らすと、シノビ達はぎょっとして振り向いた。老人は表情一つ変えず、同じ舌打ちを繰り返す。
 シノビ達が頷いて忍刀を構え、香伊那が音を立てて唾を飲み込んだ。
「大丈夫です、私達がいますから‥‥」
 霞澄が香伊那の腕を握り、榊の杖を前に翳した。
 一瞬の沈黙が、陽光の下に訪れる。
 辺りの空気が突如圧力を持ち、シノビ達にのし掛かった。志狼と咬竜が、剣気を放ったのだ。三人のシノビが、その場でよろめく。
 更に咬竜が、次いで志狼が、咆哮をあげた。
 それを切っ掛けに、男達が動き出した。見事に統制された動きで、八枚の手裏剣が志狼に殺到する。
 鋭い音が、山道に響き渡った。
 志狼は長槍を器用に動かし、その内の三枚を叩き落としていた。
 残り五枚を全身に受けて大小の傷を負いながらも、志狼は地面すれすれに構えた「羅漢」の穂先を、突きの動きではなく、逆袈裟に振り上げる。
 瞬間、地面が爆発的にめくれあがり、突進を始めた。否、正確には精霊力が「羅漢」を通して生み出した、不可視の衝撃波が。
 飛び道具はないと踏んでいたシノビ達は、完全に不意を衝かれた。老人の身体が見事に吹っ飛ばされ、灌木の枝を薙ぎ払ってぬかるんだ地面に転がり、ぴくりとも動かなくなる。
「頭!」
 叫んだ手負いのシノビが、呆然とした表情のまま自分の胸を押さえ、次いで鮮血を噴水のように噴き上げながらその場に倒れた。
 鬼島が軽々と刀を振り、血糊を落とす。
 志狼の「地奔」に気を取られている一瞬の間に、三度目、四度目の斬撃を直撃、貫通させたのだ。鮮血を浴びた鬼島のコートは、今や不吉な赤黒い色になっていた。
 だが、その時、霞澄が鋭く息を呑んだ。いつの間にか、背後に二人のシノビが現れていたのだ。
「香伊那さん!」
「香伊那!」
 霞澄が咄嗟に香伊那の腕を引き、咬竜が香伊那の前に飛び出した。
 だが、
「危うく撒かれるところだったよ」
 果たして、シノビ二人の腕が香伊那に届くことは無かった。シノビ達の足下には、風魔手裏剣が四枚、突き刺さっている。
「香伊那、怪我しはってへん? 大丈夫?」
 黒い残影が山道を抜け、香伊那の隣に細身の少女が現れる。
「すぐりさん!」
 香伊那の顔がぱっと輝いた。
「いつまでそこにいるんだよ」
 シノビの一人が側頭部を蹴りで打ち抜かれ、平衡感覚を失ってその場に崩れ落ちた。
 早駆で現れた、羽流矢だった。
 老人が跳ねるようにして起き上がり、再び身構える。
「頭。これじゃ皆殺しなんて、とても‥‥」
 シノビ達が、不安げな声を発する。
「さては爺さんが、人攫いを指揮する『小柄な男』だね」
 羽流矢が忍刀「蝮」を逆手に構えた。
「で、あんた達が『狐組』。この間の人攫いも、街道での人攫いも、狐組、ひいては望月菊ノ介の仕業ってわけだ」
「今回の依頼人がどっから人攫いの情報を仕入れたんか辿ってみたら、おもろい事が解ってな。爺はん、あんた箔羅の町で、姿見られてんねんで」
「‥‥次こそは殺す」
「次、こそ‥‥ね」
 羽流矢がにっと笑った。
「つまりうちらを知っとるいうわけや。‥‥あんたやっぱ、望月菊ノ介の隣に居った小男やねんな?」
 すぐりの言葉に老人は答えず、舌打ちを繰り返した後、早駆でその場から消えた。次いで、シノビ達もまた同様に、その場から逃げ去る。
「精霊さん、蘭さんの怪我を癒してあげて‥‥」
 霞澄が、志狼の傷を閃癒で治し始めた。
「‥‥組織だった人攫いなら、以後の道中で襲ってくる事もない、か」
 鬼島は懐紙で覇閃の血糊を拭い、鞘に納めた。


「重ね重ね、有り難うございました」
 香伊那が市女笠を大切そうに胸に当て、深々と頭を下げる。
「まあ、何はともあれ気をつけることだ。この町も、安全とは言えぬやも知れん」
 大あくびをしながら、鬼島が言う。
 老人の一味を追い払った後もずっと、夜中の見張りを積極的に買って出ていたのだ。傲慢不羈な一面がある一方、妙に人情味厚く、細かいところに気がつく男だ。
「見つかると、良いよなっ」
 明るい笑顔で、羽流矢は香伊那の肩を軽く叩いた。
「ありがとう」
 香伊那は、嬉しそうに頷いた。すぐりが、夢見るような顔でぼんやりと呟く。
「思い人、かぁ。好いた人が居るいうんは、どんな感じなんやろう」
「こんな感じです」
 香伊那は、自分の頬をつねって見せた。すぐりが、くすっと笑う。
「恋、愛。良いものじゃのう、実に」
 さも旨そうに長煙管から煙を吸い、吐き出しながら、咬竜が優しく笑う。その隣で大切そうに結紐を取り出し、髪を結び直しながら、志狼が声を掛けた。
「無理はするな。愛するものを失う悲しみ、他人に味わわせる事は本意ではなかろう」
 香伊那は深く頷く。
「駆名さんの事や狐組の件‥‥不透明な事柄が多いので、この後も心配なのですが‥‥」
 霞澄が市女笠を取り、気遣わしげに言った。
「大丈夫。また何かあったら、ギルドを頼るから」
「はい。是非、そうして下さいね‥‥」
「はい」
 香伊那は力強く頷くと、荷物を手に、箔羅の入り口に立った。
「それじゃ、行ってきます!」