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■オープニング本文 前回のリプレイを見る ● 三倉、芸妓屋の土蔵。 「待ってくれ! 折角、折角の情報源を殺しちまったら、元も子も‥‥」 柱に縛り付けられ、上半身に幾つも火傷を作った仲買人の小松原が、声をうわずらせ身を捩った。 「構やしないよ、次の仲買人を捜すさ」 平板な声で真朱が言い、竈で熱した火箸の先端を、小松原の右目に近付けていく。 小松原が絶叫する。 「伝書鳩に! 鳩に泰国の証文を付けて飛ばすんだ! で、薬を隠した場所の地図が返ってくる! 今朝方伝書鳩を放ったんだ! 俺の家に行きゃ、次の隠し場所は解る!」 火箸が、じわじわと小松原の目に近付いていく。 「役人や永徳の連中が調べに来たら消すように、隠し場所には監視が来るんだ! その監視をとっ捕まえりゃ、趙に辿り着けるだろ!」 そこで、小松原がはっと息を呑んだ。 真朱が、不気味な程優しい声を発する。 「趙ってのぁ、何だい」 小松原は顔面蒼白になり、勢いよく首を振った。 短く嘆息してその場に屈み込み、真朱は小松原の髪を鷲掴みにする。 「目を焼かれなきゃ解らないか」 火箸が小松原の睫毛を焦がす。小松原は固く目を閉じ、更に叫んだ。 「流れの旅泰だ! そいつが薬を持ち込んだって噂なんだよ!」 真朱は白い煙を上げる火箸を離し、竈の中に放り込む。 安堵の溜息をついた小松原の顎を、真朱の足が蹴り上げた。 「動かぬ証拠を掴みたきゃ、事情を知ってる野郎を捕まえるしかないとは言え、この野郎の話、どこまで信じられると思う」 後頭部を柱に叩きつけ、白目を剥いた小松原には見向きもせず、真朱は仁兵衛に目を向ける。 「あたしが、その野郎の家捜しをしておこうかねえ」 部屋の隅で足を投げ出して座り、頭の後ろで手を組んだ仁兵衛は苦笑して立ち上がった。 「鳩が地図持って待ってりゃ御の字。これまで繰り返し鳩が来てた痕跡と、あとは泰国の証文の類がありゃ、それなりに信じていいだろう」 仁兵衛は草履の先で小松原の金的を軽く打ち、確かに気を失っている事を確かめる。 「それより気になんのぁ、開拓者の皆さんが尾行されてたかも知れねえって話だ。尾行してたのが影政の手先なら、その監視とやらを捕まえに行くのも考えた方がいいかも知れねえ」 真朱は、襟元から覗く滑白い肩を竦めた。 「なら、次の手掛かりが見つかるまで気長に待つのかい。こうしてる間にも、薬に手を出しちまった連中は深みに嵌っていってるんだ」 「そりゃあそうだがね」 仁兵衛は渋い顔だ。 気を失って動かなくなった小松原の脇を、真朱の爪先が蹴飛ばす。 「この野郎よりは事情を知ってるのが来てるだろ。待ってんのが本物の監視にせよ、あたしの動きに気付いた影政が敷いた待ち伏せにせよね。そいつをふん捕まえに行くさ」 仁兵衛は顎を摘んで暫し考えていたが、やがてにやりと笑った。 「それじゃあ、影政が麻薬を扱ってる証拠を挙げるのは任せるとしようかねえ。ちっと調べることがあるんで、あたしぁご一緒できねえが」 「名無しの八兵衛のことかい」 探るような視線を、真朱は仁兵衛に向ける。 仁兵衛はさらりと答えた。 「そいつもあるが、三倉に入る衆と、街道沿いの町の様子を知っておきてえのさ。それから、薬の作り方も調べなきゃなんねえ」 「三倉に? 街道沿いだ?」 真朱が、訝しげに仁兵衛の目を覗き込む。 「あんた、一体何を企んでんだい」 「なあに、大した事じゃあねえよ」 仁兵衛は頭巾を被り、尻尾を袴の中にしまうと、そっと土蔵の戸を開ける。 「こいつぁ両一家の参謀同士、裏の掻き合い、騙し合いだ。汚い手ならあたしも得意でねえ」 いかにも腹に一物ありそうな笑みを浮かべ、仁兵衛は土蔵を出て行った。 ● 「ふうん、こいつぁ」 三倉の町から、二里ほど南。日除けの蛇の目傘を畳み、真朱は鼻を鳴らした。 仁兵衛の家捜しで、小松原の家ではうんざりするほどの鳩の糞がついた止まり木と、泰国で使われる紙幣や証文の類が見つかっていた。 山中に佇む立ち枯れの木。その洞が、地図に記された薬の隠し場所だ。 仁兵衛の家捜しで、小松原の家ではうんざりするほどの鳩の糞がついた止まり木と、泰国で使われる紙幣や証文の類が見つかっていた。 巨木がまばらに並び立つ森の中。木々の葉が重なり合って、昼なお薄暗い一帯だ。杉の放つ独特の香りが漂う中、足下では枯れた枝葉と土がじっとりと湿っている。 身を隠す事ができるのは木の根と幹の陰だけだ。それさえも近付けば殆ど意味を成さない。監視がいるなら隠し場所から離れた場所だろう。 立ち枯れた木まで、あと二十町ほど。真朱が、やおら足を止めた。 「やはり、仲間連れか」 嗄れ声と共に山鳩色の着流しが風になびき、真朱の身体が木陰へと跳んだ。同時に幾多の弦音が発せられ、無数の銀光が木立の中を斬り裂く。 「志体持ちの端くれだけあって、いい身のこなしをする」 木陰から大柄な壮年の男が姿を現した。身幅の広い打刀を腰に差し、軽い鎧を身に着けている。 低い姿勢で片手を地についていた真朱は、左手に握った傘を見て舌打ちを漏らした。 「気に入りの傘だったんだけどね」 畳まれた蛇の目傘には、一条の矢が突き刺さっている。 「古屋、あんたが来てるとはね」 壮年の男を睨み、真朱が口許を歪めた。 「一人だけじゃないのよ」 鼻に掛かる甘ったるい声をあげ、小袖に弓掛を着けた女が、男とは別の方向から現れる。 「影政の旦那の指示なの。あんたを町で消すと、町人の反感を買っちゃうって」 女が低く笑った。 「それにしても、本当頭の悪い女ねえ。あんな最底辺の連中に、必死で肩入れしちゃって」 真朱のこめかみが、ぴくりと動いた。 「おい菊池。てめえ、今なんつったよ」 薄ら笑いを浮かべた女、菊池は、弓掛を着けた肩を竦める。 「時々いるのよね。泥ん中で這い回ってるような屑共を見ると喜んで手助けしに掛かる、勘違いしちゃってる奴がさ」 真朱の顔から、表情が消えた。 「あの女共は、泥ん中が居心地良いから泥ん中に住んでるんじゃない。泥ん中に見合った餌をあげようってのにさ。水清ければ魚住まずって、知らないの?」 真朱は、ただ黙って、袂から符を取り出した。 「そうかよ。ああ、そうかよ」 豊かな胸に掛かる黒髪が、蛇のように蠢き始める。 「ようく解った。もう金輪際、手前らとの仲間ごっこも終いだ」 「やはり腕を隠していたな」 尋常ならざる殺気に、古屋と呼ばれた男が抜刀して身構えた。 女が、懐から取り出した狼煙銃を天に向ける。 「旦那の読みは当たってたわけね。なら、話は別か」 「‥‥何だって」 「旦那は、あんたが腕を隠してたことくらいお見通しだったってことよ」 白い指が引き金を引く。重なる木々の葉を突き破り、細く白い煙の柱が上空へと昇っていった。 女は白煙を吐く狼煙銃を放り捨て、木に立てかけていた長弓を手に取った。 「他はともかく、真朱を殺しちゃ駄目よ」 木陰に潜んだ男達が、小さく頷いた。 |
■参加者一覧
柊沢 霞澄(ia0067)
17歳・女・巫
鬼島貫徹(ia0694)
45歳・男・サ
十 水魚(ib5406)
16歳・女・砲
カルフ(ib9316)
23歳・女・魔
乾 炉火(ib9579)
44歳・男・シ
稲杜・空狐(ib9736)
12歳・女・陰 |
■リプレイ本文 ● 木下闇に狐火が浮かび、濡れた地面を貫いて青白い手が飛び出した。手は見る間に地中から這い出し、髪を乱した狂女の上半身を現す。 男達が顔色を変えた。 「ひ、悲恋姫!?」 狂女の口から粘りけのある血が溢れ出し、辺り一帯の木々が不吉なざわめきを始めた。 と、真朱の袂を、影のように真朱に付き添っていた少女の小さな手が引く。 「こんな人間のクズみたいな人達に本気になる事はないのです」 身の丈三尺余りの身体を羽衣に包んだ金髪に狐面のエルフ、稲杜空狐(ib9736)だ。我に返った真朱が、空狐を見下ろす。 「離れてな。あたしは、あんた達を巻き込んででも術を使うよ」 地面から這いだした式は、既に瘴気の塊に戻って霧散し、森の空気に溶けている。 「自分の守ろうとした者が汚されるのに腹が立つのはわかる、けど‥‥」 視界の奥では、木陰から木陰へ、機械弓や刀を提げた男達が動き回りながら、真朱から離れつつあった。 「狼煙銃、ね‥‥こいつらの仲間がいるわけだ」 飛来する矢を避けて木に背を預け、乾炉火(ib9579)は外套に刺さった矢を抜き捨てた。 火の点いた煙草を火皿から落とし、草鞋で踏み消す。 直後、甲高い爆裂音が響き、森中の鳥獣が一斉にねぐらを飛び出した。 「やっぱり待ち伏せされてましたわね」 小袖の中に厚司織を着込み、袖から覗く細い手に革手袋を填めた狐の神威人、十水魚(ib5406)が愛銃「クルマルス」の引き金を絞ったのだ。 「あの狼煙は合図ですわね。だとすると、手早く片を付けないと面倒になりますわ」 機械弓から矢を放った男が、銃弾を避け損ねて左足を撃ち抜かれる。飛来した矢は、黄白色の魔槍砲の柄に突き立って甲高い振動音を発した。 六尺近い長身を絢爛豪華な金色の鎧に包んだ茶筅髷の男、鬼島貫徹(ia0694)は魔槍砲を地に突き刺し、二挺の狼煙銃を取り出した。 「てめえ! 何やってんだ」 木陰に隠れている男達が声を上げる。鬼島は口許を歪め、天に向かって赤青二筋の煙を打ち上げた。 訝しげに炉火が尋ねる。 「何だそりゃ」 「狼煙の合図を受けた者が少しでも戸惑えばそれで良いかとな」 鬼島は堪えきれず、顎で前方奥に立つ菊池を指して高笑いを上げた。 「いかにも性格悪そうな目の前の女を、少しでも嫌な気分にさせる事ができれば尚良い」 だが、その視線ははっきりと古屋の顔を捉えていた。二人は互いを敵と認めたか、どちらからともなく仲間の列から離れていく。 「‥‥瘴気を業とする者が、陰陽師が感情に流されてどうするの?」 狐の面の奥から、空狐の赤い瞳が真朱を見上げている。真朱は苛立たしげに頭を掻き回した。 「‥‥全くだよ。手前の半分も生きてない子供に説教されちゃ世話無いね」 刹那、その手が勢いよく空狐の身体を突きとばした。 近付く風切り音目掛け、長着の袂を勢いよく払う。が、勢いを殺しきれなかった矢は真朱の腕に深々と突き刺さった。 空狐の狐の面に、絵の具を零したかのように血が落ちる。 「空狐、あたしにくっついて来んなら、手前の命も大事にしな。一歩間違えればおっ死ぬよ」 その身のこなしを見て、空狐はどこか納得したような顔でこっくりと頷く。 「自分達の欲のために他の弱い物から搾取しようとするのは下の下です‥‥」 鈴の鳴る様な声と共に、木立の中を菜の花色の光が満たした。五丈もの放物線を描いて飛んだ光の花束が砕け散り、真朱の身体に降り注ぐ。 巫女の衣に市女笠という簡素な出で立ちに、木立へ溶け込む榊の杖を握った少女、柊沢霞澄(ia0067)だ。 「そんな人達は、鬼島さんが成敗‥‥してくれます‥‥」 尻餅をついていた空狐が、次いで腕の傷を癒された真朱が、声に出さず苦笑を漏らした。 「あんたじゃないのかい」 「私は、巫女ですから‥‥」 黒い靄を纏う矢を躱しながら、霞澄は小さな唇を綻ばせた。 「私は真朱さんや他の方について何も言えるような事はありません‥‥でも一言だけ。自分に何か出来る芸がある。それは自信に繋がり、時に生きる力にもなると思っています‥‥」 出鱈目に撃ち放たれた矢に尻を射抜かれ、空狐が小さく悲鳴を上げ木陰へ飛び込む。 「人は目先の安易に流れがちなものですが、多くの方々が少しでも自信を持てるようになってくれると良いですね‥‥」 言いながら、霞澄がふと考え込む。 「二言でした‥‥」 真朱が、今度こそ小さく声を出して笑った。 「全く。変な女だね」 「昔から、よく言われます‥‥」 霞澄が僅かに頬を染めて微笑む。 「解ったよ、あんた達の言う通りだ。落ち着いた。邪魔はしないし、怪我くらいは治してやるさ」 ● 「くらえ」 刀に雷を纏わせた志士が、木陰から顔を見せた。 刹那、その足下の地面が爆発する。 「な」 木の根が蛇のように蠢きながら伸び上がったのだ。 焦げ茶色のクロークに赤黒二色の外套、更に色鮮やかな外套を重ね着した少女、カルフ(ib9316)の仕業だった。見る間に手足へ絡みついた根を、志士が慌てて引き千切ろうとする。 木下闇に、目の覚めるような霞澄の銀髪が浮かび上がった。 糸を曳くかのように真っ直ぐ伸びてきた眩い光弾が、志士の顔面に激突した。 樹の幹に叩きつけられた胸板に、別の光弾が弧を描いて襲い掛かる。更なる光弾は額当てを貫通し、額を叩き割った。白目を剥いて膝をついた所へ、最後の光弾が鳩尾を痛打し、志士はただの十秒で無力化される。 「四、四発!?」 悲恋姫の範囲から逃れていた別の志士が素っ頓狂な声をあげる。並の開拓者なら二連射が精々の白霊弾が、立て続けに四度叩き込まれたのだ。 別の志士が木陰から顔を見せ、刀身にまとわりつく雷をカルフ目掛けて放った。カルフは左手に握った大盾に四尺強の小柄な身体を預けるようにして、全身を貫く灼熱感に耐える。 「本職ではありませんが、後衛の立て役は引き受けます。皆様は引き続き適切と思われる行動を願います」 「よっしゃ。気になる事はあるが、まずはこの場をどうにかしねぇとな!」 木陰を飛び出した炉火が渾身の力で地を蹴った。身体を地面と平行になるまで倒し、樹の幹を足場に、蚤の如き跳躍を見せる。 射込まれる矢を二条の矢を左腕で受け、身を捩って急所を外しながら、炉火は視界の端で鈍い光沢が地面に転がっているのを認めた。 「撒菱だ。迂闊に踏み込むなよ」 撓む木の根に着地の衝撃を吸収させ、炉火は菊池の正面、十丈余りの地点へ降り立った。 二人の視線が交錯する。 「よぉ姉ちゃん、ちょいとオイチャンと付き合ってくんねぇ?」 「中年は好みじゃないのよ」 「そう言うなって」 炉火は笑みを浮かべ、疾風のように菊池へと突進する。 「行かせるな!」 叫ぶ志士の背中が、開拓者達に晒されている。 ベイルに半ば身を隠したカルフの杖が、森の地面に突き刺さった。木々の根から根へと精霊力が駆け抜け、志士の手足に蔦が絡みつく。 水魚のクルマルスが火を噴き、志士の背から血が噴き上がった。すかさず霞澄の白霊弾が雨霰と降り注ぎ、志士は血反吐を吐いて白目を剥く。 「このおっさんはいいから、そっちを片付けてよ」 矢を弦に番えた菊池の言葉を引き金に、私兵の反撃が始まった。加速する矢、黒い靄を纏う矢、二条纏めて放たれた矢。 身体の大方を庇うベイルでも、流石に集中砲火は止めきれない。練力の助けを借りた強力な一矢がベイルごとカルフの太腿を、加速する矢がベイルの陰からカルフの脇腹を貫いた。 気付いた霞澄が咄嗟に癒しの花束を投げ、真朱が符を一枚放るが、一瞬早く二条の矢が突き刺さり、カルフの身体が崩れ落ちる。 好機と見て飛び出した志士の胸甲が、破裂音と共に砕け散った。 「させませんわ」 カルフが盾になっている隙に死角へと展開した水魚が、渾身の練力を込めて銃弾を放ったのだ。 地面に薙ぎ倒された志士の後方に、機械弓を構えた射手の姿が見える。カルフを注視していたお陰で、まだ水魚の位置を特定しきれていない。 水魚は弾丸だけをクルマルスの銃口に放り込み、基部を練力で押し包んだ。 風はない。フロントサイトを射手の頭上一尺の高さに合わせ、呼吸を止め、全身の骨で銃を支えて、引き金を絞る。慣れ親しんだ衝撃が肩から全身に掛かる。 爆音と共に放たれた銃弾は練力を纏って火球となり、射手の右足を一撃の下に炭化させた。 ● 身幅の広い刀、段平を平正眼に構え、古屋が魔槍砲を肩に当てた鬼島と対峙した。 魔槍砲「コイチャグル」が辺りから光と風を吸い込み、爆炎を吐いた。右肩を炎が直撃し、古屋の身体は軽く錐揉みつつ、尻から地に叩きつけられる。 「手を出すなよ、お前達が食らったら一撃で御陀仏だぞ」 古屋は他の私兵に声を掛け、膝立ちになりながら、逆袈裟に段平を切り上げた。コイチャグルに吸い寄せられていた空気の流れが、逆転する。 風が圧し固められ、不可視の刃となって鬼島の身体に襲い掛かった。 「クハハハ、上等!」 「遊んでやろう」 鬼島が全身に浅い傷を負いながら哄笑を上げ、古屋は段平に練力を叩き込んだ。刀身が桜色の燐光を纏う。 古屋が放たれた猟犬のように鬼島へと突進した。鬼島は右手でコイチャグルの石突きを握り、穂先を大きく横薙ぎに払う。 喉を狙う穂先を跳ね上げ、古屋が大鎧の胴に段平を叩き込む。体を閉じながら後方へ跳び、大袖で段平を受ける。血飛沫が上がる。古屋が追いすがる。コイチャグルの穂先を突き出しながら、更に下がる。 「ちょっと古屋、近付きすぎよ」 「魔槍砲相手なら、近い間合いが常道」 古屋は穂先を弾くと菊池に怒鳴り返し、渾身の一太刀を鬼島の額に叩き込む。横一文字に構えたコイチャグルの柄が、燐光を帯びた段平を辛うじて受け止めた。 「違うな。気付かぬか」 鬼島の声に耳を貸さず、古屋は振り下ろした段平に体重を掛ける。刃が一分、また一分と、魔槍砲の柄に食い込んでいく。 鉢金の下で、鬼島の顔に意味深な笑みが浮かんだ。 「‥‥貴様が既に真朱の悲恋姫の間合いに入っている事を」 古屋が顔色を変えた。記憶を頼りに、真朱のいた場所から離れようと渾身の力で地を蹴る。 「馬鹿」 菊池が叫ぶ。鬼島は膝をついたまま木の根に背をもたれかけ、身体を固定した。 「まあ嘘だが」 爆音が轟き、古屋の身体が更に後方へと吹き飛ばされた。 ● 「同じ人間を屑扱いたぁ、実にわかりやすい悪党だぁな」 炉火が振り下ろす二尺近い長煙管を、菊池が弓ではね除ける。 「同じじゃないから、屑なんじゃない」 草鞋に守られた炉火の右足が、菊池の顎の前を通り過ぎる。切り返す踵も、菊池の肩に止められた。 「付き合ってあげてるんだから、頑張って?」 「後悔すんなよ」 炉火は舌打ちをし、渾身の力で長煙管を横に薙いだ。菊池はその場に屈み込んで躱す。 「なんてな」 炉火は笑みを浮かべた。煙管を振るった左腕の陰、炉火の右手に、一挺の短銃が握られている。 軽い破裂音が、森の地面と葉の間に反響しながら消えていった。 「痛いじゃないのよ」 炉火は呻き声を上げ、その場に跳び上がった。菊池の足が、金的を蹴り上げたのだ。 短銃の撃ち出した銃弾は、菊池の左脇腹を僅かに抉っていた。 「不意ついてもこれかよ」 涙を浮かべて激痛を堪え、炉火が木陰目掛けて地を転がる。その右腰と左腿に、深々と矢が突き刺さった。 「つ、使えなくなったら、どうすんだ」 股間を押さえ、次の矢に右踝を射抜かれながら、炉火は辛うじて木陰に逃げ込んだ。が、今度は射手の矢に追い立てられて木の根の隙間に潜り込む。 「やべぇ‥‥かな、これ」 激痛を堪えながら、何とか装弾を終えた短銃を撃ち返す。弾丸の行方は解らない。 その時だった。 「退くぞ。あの丁髷と銀髪、只者ではない。このままだと被害が大きくなりすぎる」 砲撃をまともに浴び、顔の表皮を一部炭化させながらも、鬼島と未だ斬り結んでいた古屋が叫んだ。 「だから近付くなって言ったのに」 菊池は薄ら笑いを浮かべ、血の気を失い始めた炉火に手を振った。 「じゃまたね、おじさん」 「逃がさねぇって‥‥」 脇腹に刺さった矢を引き抜きながら、炉火が木の根の間から這い出す。 「撒菱を越えてきたのは褒めてあげる」 菊池は弛み始めた尻を炉火に向けて一つ叩き、 「でも、私の尻を追うにはまだまだね」 喉の奥で笑うと、水魚の空撃砲を浴びて大きくよろめきながらも、辛うじて踏みとどまって走り出した。 ● 白く透き通る蜉蝣が、森の木立の合間を縫うように漂っている。 「どうですか‥‥?」 炉火とカルフの身体に光の花束を降り注がせながら、霞澄が尋ねる。 二人の負傷は見た目よりも深刻だった。重要な臓器に損傷はなさそうだが、あちこちの骨が削られ、割られ、出血が激しい。 木陰を渡る風に溶けるかの如く、蜉蝣の姿が消えた。 「別の伏兵がいるわけではなさそうなのです」 人魂を操っていた空狐が、そっと首を振る。 「先日の視線、彼らのものだと思ったのですけど‥‥」 「でも、向こうは誰が来るかもわかっていたみたいですわ」 水魚は人差し指を頬に当て、考え込む。 「売人程度ならともかく、仲買人が捕まれば誰かがここに来る事は予想できますけれど」 「そこさ」 真朱が空狐の怪我を符で癒しながら頷く。 「薬と金を持って雲隠れなんて珍しくない話だけどね」 「でも、捕まったと気付いているわけですわね。仲買人を捕らえる時に、多少騒ぎになっていたとは言え」 「ま、その辺はこいつらに聞いて見ようや」 傷を塞がれた炉火がふらつく足で立ち上がり、取り残された男達の身体をまさぐり始めた。長着の襟元から手を滑り込ませ、胸元から腰、褌の前垂れへと満遍なく手を這わせ、何も隠していない事を確かめる。 男が悲鳴を上げた。 「な、何か、触り方に邪悪なものを感じる!」 「ただの武装解除じゃねぇか」 炉火は構わず、血の気の薄い手で男の尻を撫で回している。 「俺を尾行していたのは、おまえらだな」 「し、知らねえ! 俺達は、その場の目的しか教えてもらえねえんだ!」 青紫色になった唇を震わせ、身体を起こしたカルフが男を問い質す。 「先の狼煙銃、芸妓屋への襲撃合図ですよね?」 「だ、だから知らねえんだって‥‥!」 「まあ、見せしめ用の人質入手と、証拠隠滅が目的でしょうが」 炉火に体中をまさぐられる男から視線を外し、カルフは肩を竦めた。 「急いで三倉に戻った方が良さそうですわね」 戦闘態勢を解かず、クルマルスに弾薬を込めながら、水魚が厳しい顔を見せた。 「真朱さんの実力を確認したとたん、殺すなと言ったのは、まだ利用する腹づもりなのだと思いますわ」 「だな」 炉火が頷く。 「芸妓屋に急ぎたいな。話の流れ的に、芸妓屋が襲撃されてるんじゃね?」 「同感ですわ。‥‥影政という男、ここまで全て折り込み済みで、芸妓に薬を流したのかもしれませんわね」 水魚が、尾を包む金色の毛を僅かに逆立てて呟いた。 |