力−陰−
マスター名:村木 采
シナリオ形態: シリーズ
危険 :相棒
難易度: 普通
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/03/19 20:35



■オープニング本文

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「ありゃ」
 薙刀を小脇に抱えた侍の声が、浅い洞穴に反響した。その富士額を照らす蝋燭の明かりが、散乱する二十口近い刀を浮かび上がらせている。
「‥‥どういうこった」
 薙刀使いは首を捻る。
 洞穴の最奥部、幅七尺ほどの空間には、刀が転がっていない。が、広高の遺骸も、彼が身に着けていたという大鎧も、転がっていない。
「‥‥まあいいか。刀さえ持っていきゃ、金は貰えるんだしな」
 薙刀使いは首を傾げつつも、蝋燭を剥き出しの岩盤に置くと、足下に転がる刀を拾い上げた。



 数時間前のこと。
「はい、これ縄ね。鍛冶のお爺さんの特製よ」
 薙刀を壁に立てかけ、卓袱台の前に胡座をかいた侍に、茶店の女将が縄の束を押しつけた。
 が、薙刀使いはそれを手にした途端、素っ頓狂な声を上げる。
「何だ、こりゃ。何入れたらこんなくそ重い縄になるんだよ」
 薙刀使いが畳に放り出した縄は、重量感のある音とともに埃を舞い上げた。
「こんなもん、邪魔になるだけだ。自前で、軽くて使いやすい縄を持ってらあ」
「何よ。人の好意を」
 女将が腰に手を当て、薙刀使いの富士額を睨み付ける。
「重くとも、頑丈なもんを持っていけ。何があるか解らんぞ」
 老鍛冶の男性は茶を一口啜った。
 薙刀使いが、露骨に嫌な顔をして見せる。
「第一、あそこは二度と行きたくねえんだよ」
「ギルドから金も出る。第一お前は、砂魚嬢ちゃんに命を救ってもらった借りがあるじゃろうが」
 老鍛冶に言われ、薙刀使いは言葉に詰まった。
「違うか、ん?」
「そりゃまあ‥‥そうだけどよ」
「こわいんなら無理しなくてもいいけどね!」
 雲雀がふんぞり返って言う。
 数日前巨大な百足に襲われたばかりだというのに、平然としたものだ。
「開拓者のみんななら、道だけ聞けばすぐに取ってきてくれるもん」
 薙刀使いは気色ばんだ。
「別に怖かねえよ。何がいるか解らねえ所に近付くのは馬鹿のする事だろ」
 茶店の女将が、各々の湯呑みに茶を注ぎながら、顎で薙刀使いを差す。
「この人はね、肝試しで谷底に降りた事があるのよ」
「谷の辺りに行くとな、たまに聞こえるんだよ。得体の知れねえ、重い音が」
 薙刀使いはうそ寒そうに肩をすぼめる。
「で、逃げ帰ってきたのよね」
「あれは逃げ帰ったんじゃねえっつってんだろ」
 薙刀使いは顔を赤くして身を乗り出す。
「アヤカシに襲われて、気を失ったんだよ」
「またまた。じゃ、何で無事に村へ帰って来られたのよ」
 女将が得意げに顎を持ち上げる。
「俺が知りてえよ。気がついたら森の中で倒れてたんだからよ」
「はいはい。そういう事にしとくわよ」
 女将は心底嬉しそうに、山盛りの団子を机に並べる。普段は傍若無人な侍をやり込める事ができ、楽しくて仕方ないらしい。
「ま、私も食材を取りに谷の近くまでは行くけど、確かに変な音は聞くわよ。ごろごろっていう感じの‥‥そうねえ、岩を転がすようなっていうか、何かが唸るようなっていうか。薄気味悪いから、私も聞こえたら一目散に帰ってくるんだけど」
「谷の近くまで行くの? アヤカシが出るんだよね?」
「出るのは、谷底の辺りだけなのよ」
 女将は笑う。
「ま、それでもお坊ちゃんとお嬢ちゃんは村にいた方がいいと思うけど」
「それは、はい」
 先日の襲撃で初めて本物のアヤカシを目にした光広が、ちらりと窓の外を窺いながら頷く。
「ですが、洞穴の中の刀を全て運んで頂くのでは、開拓者の皆さんにはお手数です。ある程度絞り込まないと」
「銘を見りゃいいだろ」
 勝手に団子に手を伸ばし、薙刀使いが小ばかにしたように鼻を鳴らす。
 が、光広は眉一つ動かさない。
「銘を見ただけでは判断がつかないからこそ、僕達が目利きのために呼ばれたのだと思いますが」
「ぐ‥‥」
 反論の言葉もなく、薙刀使いは机の下で拳を握る。
「坊ちゃんは賢いの。感心感心」
 老鍛冶は目を細めた。
「刀は無銘じゃが、茎穴の奥に錆止めの宝珠が仕込んである。あまりにも錆が進行している刀は除外してよかろう」
「なら、目釘を抜いて中に宝珠が入ってるのがお目当ての刀ってこった」
 勢いづき、薙刀使いが得意顔をする。
 が、老人は気の毒そうに隣の薙刀使いを見る。
「この辺りでは珍しいことじゃないわい。お前の薙刀の茎穴にも儂が入れてあるぞ」
「な、何」
 言われて薙刀使いは肩越しに振り向き、壁に立てかけてある薙刀を見つめた。
 光広は、甘い物を口にする機会が少ないまま育ってきた雲雀に団子を譲りながら老人に尋ねた。
「では鞘や柄巻、鍔などの拵えは覚えておいでですか」
「おう、おう、坊ちゃんは本当に物知りじゃの」
 光広の言葉に、老鍛冶は目を細めた。
「拵えはごく普通じゃったが‥‥黒蝋塗りの鞘に黒絹の菱巻き柄、鶴の透かしが入った丸い鉄鍔での。紅樺色の太刀緒を結んでおった」



「‥‥あの爺、俺をからかったんじゃねえだろうな」
 錆ですっかり刀身の貼り付いた柄を苦労して割り、その茎を確かめた薙刀使いは刀を地面に放り投げた。
 二十口近い刀は全て黒塗りの鞘に納まっていたが、その内丸鍔は九口。中でも菱巻柄は七口。その全てが、在銘の刀だった。
 薙刀使いが洞穴の入り口に立ち、外気を吸い込んで大きく伸びをする。
 洞穴は、谷底から五丈ほどの高さにあった。
 谷底は幅四丈ほど。その中央にできた幅二〜三尺ほどの裂け目を川が流れている。相当昔から川は涸れかけているという。余程の大雨が降った所で、ここまで水位が上がる事は無いだろう。
「別の洞穴‥‥なんて事もねえよな、近くに洞穴はねえし‥‥」
 薙刀使いが入り口の壁に手を掛け、絶壁の左右を見ている、その時だった。
 紫色の瘴気の弾が薙刀使いの後頭部の髷を削り、入り口左側を直撃した。轟音が幾重にも峡谷に反響する。
「なななな」
 咄嗟に屈み込んだ薙刀使いは、上から落ちてきた岩に後頭部を打たれて前のめりになる。伸ばした手が支えとするべき地面は、ない。
 五丈の高さから真っ逆さまに転落しかけた薙刀使いは、間一髪で洞穴から垂れ下がる縄を掴んだ。一丈ほど滑落した所で、辛うじて薙刀使いは縄を握り締めて壁に足を掛け、踏みとどまる。
 下に、異変は無い。所狭しと、薙刀使いや龍の遺骸が転がっているばかりだ。
「上‥‥か‥‥?」
 峡谷の上の、細長い青空にも異変はない。
 その時、薄い板を小刻みに打ち付けるような音が下から聞こえてきた。薙刀使いが恐る恐る下へ視線を向ける。
 そこには、龍の骨が転がっていた。その頭骨がゆっくりと持ち上がり、虚ろな眼窩の奥に宿った赤い光が、薙刀使いを見据える。
 そして、音の正体は龍の骨ではなかった。巨大な複眼を二つ持ち、黒く細長い胴から銀色の羽根を直角に四本生やした昆虫。蜻蛉だ。
 ただし、複眼は人頭大。細長い胴だけでも五尺ほどはあるだろう。しかも、一体や二体ではない。
「な、薙刀! 薙刀!」
 薙刀使いは富士額にびっしりと汗をかき、死に物狂いで縄を上りだした。


■参加者一覧
柊沢 霞澄(ia0067
17歳・女・巫
アルクトゥルス(ib0016
20歳・女・騎
桂杏(ib4111
21歳・女・シ
十 砂魚(ib5408
16歳・女・砲
ウルシュテッド(ib5445
27歳・男・シ
熾弦(ib7860
17歳・女・巫


■リプレイ本文


 岩盤に打ち込まれた鉄杭へと伸びる縄が、一気に上へと移動を始めた。顔の下半分を半面で覆った長身の青年、ウルシュテッド(ib5445)が縄を引いている。次いで真紅のクロークを羽織った白銀の鎧が洞穴の入り口に現れ、ウルシュテッドを手伝い始めた。
 見る見るうちに引き上げられていく富士額の侍を追って、蜻蛉は更に近付いてくる。入り口まで、あと六尺。蜻蛉を追い払おうと、富士額が足をばたつかせる。
 鮮やかな赤の面頬の奥で、アルクトゥルス(ib0016)が顔を顰めた。
「大人しくしろ。足くらい食われたって死なんだろ」
「そんな殺生な!」
 さらりと言いながら、アルクトゥルスは視界の端に映る紫色の光に備え、縄を右手で握ったまま逆五角形の盾を翳した。
 縄を手繰る二人の身体が紫色の光に包まれた。屍龍の瘴気弾だ。岩盤にひびが入り、縄の結ばれた鉄杭が外れる。
 富士額は悲鳴を上げた。
「縄が、縄が!」
 瘴気は、強酸のように縄を侵食し始めていた。いち早く姿勢を立て直したウルシュテッドが猛然と手を動かし、縄を手繰り寄せる。入り口まで、あと四尺。体勢を立て直したアルクトゥルスがそれを手伝う。
 と、富士額の背に足を伸ばした鎌秋津の胴が、小枝の束をへし折るような異音と共にひしゃげ、捻れた。均衡を失った鎌秋津は、岩壁に体をぶつけながら谷底へずり落ちていく。
「羽根を狙ったんだけど」
 熾弦(ib7860)は半ばまで開いた鉄扇を顔の前へ翳し、半身で左手を突き出した姿勢のまま形の良い眉をひそめた。
「た、助かった」
 富士額は岩盤に手を掛け、洞穴の中へと転がり込んだ。瘴気弾を浴びた身体は瘧のように震えている。
「鍛冶のお爺さんに感謝することね。あの縄じゃなかったら、落ちてたわよ」
 熾弦は、腐食して半分以下の細さになった縄を指差した。
 途端、富士額が跳び上がった。
 黒髪から黄金色の獣耳を生やした厚司織姿の神威人、十砂魚(ib5408)が伏射の姿勢で入り口から発砲したのだ。銃声は洞穴と峡谷で幾重にも反響し、消えていく。
 砂魚の愛銃「クルマルス」の弾丸は、鎌秋津の顔面から胸の横へと貫通し、正面の岩壁に突き刺さった。
 銃撃を受け姿勢を崩した鎌秋津の姿が、次の瞬間、熱狂的な破壊力を帯びた光の奔流に呑み込まれ、文字通り消し飛ぶ。
 砂魚の脇に立ち、両手に握った榊の杖を正面へ突き出した銀髪の巫女、柊沢霞澄(ia0067)の精霊砲だった。羽根の破片が谷底に落下し、乾いた音を立てる。
 だが光の奔流が途切れた途端、新たな鎌秋津が入り口の前へ現れた。
「ふう‥‥難儀です‥‥」
「お二人とも、下がって下さい」
 珍しく嘆息する霞澄の隣に人影が進み出た。
 黒ずくめの忍装束の上に飴色の外套を羽織った女シノビ、桂杏(ib4111)だ。その手に握られた一尺三寸の忍刀「蝮」の鋒から染み出した水が、五本の糸となって宙へ伸びる。
 桂杏の左手指の動きをなぞり、水の糸は浮上した鎌秋津を易々と絡め取った。胸郭の間隙へ潜り込んだ水の糸は、胸から生えた足の二本を切り飛ばし、緑色の体液を飛び散らせる。
 霞澄の杖が、アルクトゥルスの胸甲に触れた。白い光の粒を鎧に染み込ませ、アルクトゥルスが迷わず入り口から飛び出す。
 真紅のクロークを残像のように靡かせ、白銀のクレセントアーマーがまっしぐらに岩棚へと落ちていく。それを捕らえようと鎌秋津が足を伸ばすが、その爪は突起の少ない鎧の上を滑るだけに終わった。
 破裂音が響き、鎌秋津の羽根が弾け飛ぶ。
「飛べなくなれば、攻撃しやすいですの」
 練力を火薬代わりに撃ち放った砂魚の弾丸が、寸分違わず羽根の付け根を撃ち抜いていた。残る鎌秋津は、四体。
 霞澄の杖に触れられ、加護結界の光を身体に染み込ませながら、ウルシュテッドは富士額の肩を叩いた。
「俺達は下に降りる。砂魚達の護衛は任せた」
「お、俺かよ」
「借りを返すんだろ?」
 ウルシュテッドは茶目っ気たっぷりに片目を瞑って見せるや、黒い外套を翼のように広げ、岩棚の端へ身を躍らせた。
 だが先行して岩棚に着地したアルクトゥルスが、異様な光景を目の当たりにして僅かに姿勢を崩している。
 屍龍の口が大きく開いている。骨という骨から滲み出た紫色の光は喉に集い、顔の傍で滞空する鎌秋津を吹き飛ばしていた。
 屍龍は細長い蒼天目掛けて高々と吼える仕草を見せ、更なる瘴気弾を口に溜め始めている。
 アルクトゥルスは気力を振り絞り、軽く足を捻りながらも何とか谷底に着地した。続くウルシュテッドは、落下の勢いを瞬時に殺して岩盤を蹴り、龍の横へと回り込む。瘴気弾がその足跡を撃ち、人骨を吹き飛ばした。
「広高の龍は巨大だと言うが、こいつはどうだろうな」
 屍龍の体長は一丈半ほど。肉が残っていれば、普通の龍より一回りは大きくなるだろう。屍龍の眼窩に灯る赤い光が動き、落石が瘴気弾に吹き飛ばされた。
 残る鎌秋津が3体に減った所で、ウルシュテッドに続き羽毛のように岩棚へ降りた桂杏が、ある事に気付く。
「この屍龍、ひょっとして動くものなら無差別に攻撃するのでは」
「ありそうな話だな。虫にじゃれつかれて動かないわけにいかんが」
 アルクトゥルスは逆五角形の盾を翳し、首を狙って飛来した鎌秋津の羽根を防ぐ。直後、熾弦の生んだ力の歪みが鎌秋津を捕らえ、その胸部を握り潰した。
 熾弦を捕らえようとした別の鎌秋津の尾が、砂魚の弾丸に粉砕される。
「新手が来ないうちに、急いで片付けますの」
 体勢を崩して高度を下げた鎌秋津は、桂杏の忍刀から伸びる水の糸に胴を切り離され、敢えなく谷底へと墜落した。



 弾丸となって立て続けに打ち出されていた紫色の瘴気が、屍龍の喉ではなく胸元に集まり始める。
 薄氷を叩き割るような、甲高い音が峡谷に響き渡った。
 紫色の衝撃波に巻き込まれたのは、アルクトゥルス、ウルシュテッド、そして最後の鎌秋津だった。上空へ舞い上げられ、体勢を立て直しきれず墜落した鎌秋津は、屍龍の白い骨の尾に二度、三度と叩き潰され、動かなくなる。
「アヤカシと戦い、死しては弄ばれる‥‥遣り切れないね、さぞ無念だろう」
 衝撃波を浴びたウルシュテッドは、霧散していく加護結界の光の中で鼻の下を荒っぽく拭った。衝撃に備えていた事と結界の力とで傷はないが、鼻腔のどこかが切れたらしい。
 視界の端に立つアルクトゥルスも怪我には至っていないようだ。
「あ、あんな奴相手に戦うのかよ」
 尻込みする富士額に、
「屍龍はこちらで引き受けるから、敵の注意が逸れてるのをしっかり確認してから降りてきて」
 熾弦は告げ、漆黒の神衣と藍白の羽織をたなびかせて洞穴の入り口を蹴った。鍔広の黒い魔法帽と祈祷服の裾を抑え、霞澄が白い影となってそれに続く。
「屍系のアヤカシはしぶといから大変ですの」
 谷底を見わたす入り口で膝射の姿勢を取った砂魚の「クルマルス」が火を噴いた。衝撃波を放つために動きを止めた屍龍の左大腿骨が砕け散り、その体躯が傾く。
 刹那、桂杏の左手が大きく動いた。放たれた手裏剣が回転するにつれ輝きを増し、白く巨大な円刃となって屍龍の頸骨を襲う。
 閃光が、もう一つ。屍龍を挟み反対に展開していたウルシュテッドの苦無が、朱色の閃光となって屍龍の下顎骨を狙っていた。
 赤と白の鋏となって屍龍の首を切断しようとした二色の閃光は、果たして、太く硬い骨に三寸ほどの切り込みを入れただけに終わった。
 否、もう一つ。二色の光に紛れた白銀と真紅の輝きが、獲物に襲いかかる猟犬の如く屍龍目掛けて地を蹴っていた。八相に構えられた同田貫が、両腕から立ち上る精霊力を帯びて仄かに輝いている。
 その時、開拓者や屍龍、羽根を失った鎌秋津達を、直径にして十丈を超える柔らかい光の半球が包んだ。
 岩棚を伝って飛び降りてきた、霞澄の閃癒だ。捻ってしまったらしい霞澄の左足と、先行していた三人の傷だけが幻であったかのように治っていく。
 鬱陶しそうに首を振った屍龍の瘴気弾が、突進するアルクトゥルスの身体をまともに捉えた。
「お前らの無念も何もかも、私らで引き受けて馬手の野郎にぶつけてやる」
 鎧を貫通した瘴気に吐き気を覚えながらも、アルクトゥルスは右足の踏み込みに全体重を掛けた。同田貫の分厚い刀身が、屍龍の頭に叩き込まれる。
 白い光跡を曳く刃は屍龍の頬骨を一刀の下に両断し、眼窩と口を一繋がりにした。
 直後、仄かな香気が辺りに漂う。
 熾弦が右手で仰ぐ鉄扇が、微風を起こしていた。見る見るうちにアルクトゥルスの身体を蝕んでいた瘴気が浄化されていく。
 同時に、甲高い音が響き渡った。至近距離で激しく動くアルクトゥルスの背を、龍の尾が痛打したのだ。
「こういった手合いは、長引いた分此方が不利!」
 アルクトゥルスは微塵も怯まず、嵐の如き連撃を屍龍の前肢と首に叩き込み続ける。
「せめて跡形なく燃やしてやろう」
 弧を描くウルシュテッドの左掌に区切られた空間が、真紅の炎に充たされた。
 忍刀を握る右手の人差し指に弾かれ、不知火の火球は屍龍の長い首に広がり、爆散した。褐色に汚れ、朽ち果てた骨は、炭化しながらも未だ巨大な頭骨を支えている。
 轟音が峡谷に反響した。
 砂魚の「クルマルス」が、夥しい量の煙を吐いている。練力を纏い火球となった強弾撃は、屍龍の背骨の中央を粉砕していた。
 後肢と尾の骨が力を失い、その場に崩れ落ちる。
 今や動いているのは、皮膜の無い翼と前半身だけだ。屍龍は口を開き、全身の骨から瘴気を集め出した。それに呼応するかの如く、白い輝きが谷底に満ち溢れる。
 桂杏の右手で回転する手裏剣が甲高い音を立て、巨大な光の塊となっていた。桂杏が右手を振り払う。光が猛然と突進を始める。瘴気が、今にも破裂しようと収縮する。
 紫色の瘴気が、蝋燭の火を吹き消すように、突如消滅した。
 屍龍の長い首と頭骨が、重い音を立てて仲間の遺骸の上へと転がる。
「安心して逝け」
 荒い息を吐きながら、アルクトゥルスが屍龍の頭骨に声を掛けた。
 屍龍は残った首の骨を支えとし、嘗て自由に飛び回っていた青空を見んとするかの如く、頭をもたげようとする。
 その顎が、僅かに開いた。
 震わせる喉も、動かす舌もない。屍龍の咆哮は遂に空気を震わせる事無く、ただ骨の崩れ重なる音だけが虚しく峡谷に木霊した。




 構えを解いたウルシュテッドが、岩盤に散乱する人骨と龍骨、そして鞍や鎧の数々を眺めて一息ついた。
「この亡骸の数に地形じゃ、瘴気も溜まる訳だ。音の原因はやはり屍龍達アヤカシだろうかね」
「どうかしらね。‥‥これが、かつて広高君と共に戦った龍でなければいいんだけど」
 熾弦が、沈痛な面持ちで龍の頭骨を撫でて呟く。
「判断の難しい所だな」
 屍龍の顎骨辺りに重なる鎧や刀を、アルクトゥルスのブーツがかき分ける。
「貼り付いてる鱗の色はブロンズに近い。オレンジ色の鱗が二十年経ってこの色になるかどうか。この辺りに、宝珠らしい物は落ちてないようだし」
 二人は冴えない顔で、辺りの地面を見回している。
「そういえば」
 瘴気弾も尾も一尺半足らずの忍刀一口でいなし、殆ど傷を負っていない桂杏が呟いた。
「あのアヤカシが言ってましたよね。戦う心を、抗う心を折るために必要と思われる相手を殺すって‥‥」
「戦う意志をこそ攻める‥‥嫌な相手ね」
 長い銀髪を指に絡め、熾弦が頷く。
「広高さんの遺志を継ぐような人を生み出させない、だから広高さんの身体はおろか遺品すら渡す気はない、目にも触れさせない。そういうことなのでしょうか」
 憂い顔の桂杏は、軽く辺りを調べて早々に退散の準備を整える。
「‥‥遺骸と刀を何者かが持ち去ったりしたのなら、私たちとは違う足跡があるかもしれません‥‥」
 再度閃癒の光を投げ掛けた霞澄が、改めて辺りを見回す。
「まあ難所から遺骸も刀も消え失せたのはアヤカシの仕業と疑えようもの。だが、侍を助けたのは‥‥?」
「後半は、富士額の話が本当と仮定しての話だけどな」
 ウルシュテッドの言葉に、アルクトゥルスが意地の悪い顔で富士額を見上げる。
「な?」
 富士額が必死の形相で声を上げた。
「本当だって!」
「ともあれ、仕上げの玩具という言葉と、消えた『英雄』の遺体と刀」
 熾弦は視線だけを動かして谷底を見わたす。
「最悪なのは、アヤカシ‥‥いえ、まだ考えるのは早計ですね‥‥」
 霞澄と熾弦が、示し合わせたように口を噤む。その様子は、言霊の力が不吉な予測を現実にすることを恐れるかのようだ。
「玩具、か‥‥厭な言葉だ。杞憂であって欲しいがな‥‥」
 気の重そうな顔で呟いたウルシュテッドが呟いた。
「広高が息を吹き返したのでなければ、瘴気の影響を受けてもおかしくはない‥‥か」
「屍龍が居たんですから、屍人になっていてもおかしくありませんの」
 洞穴の中を調べている砂魚の、声だけが降りてくる。
 谷底は重い沈黙に包まれた。
 辺りに転がる鎧を一つ一つ見ていたアルクトゥルスが、首を振った。
「広高の遺骸は無いな」
「何で解る?」
「爺さんに聞いてきた。戦い振りで思い出されるとか、どんな男だったか気になるじゃないか」
 アルクトゥルスは、赤い面頬の奥で目を細める。
「太刀一口を両手でぶん回して、不動、咆哮、唐竹割、戦塵烈波、タイ捨剣辺りを使ってたとさ。攻撃は鎧で受け止めるのが殆ど。この辺に転がってる侍は大小差しだし、鎧もそんなに傷ついてない」
「そうか」
 ウルシュテッドは一層憂鬱な顔になり、茶色の前髪をかき上げる。
 その時だった。
 洞穴に収穫もなく、富士額に続いて谷底へ降りようとした砂魚は、首筋が疼くような違和感を覚えた。
「何か、いますの」
 反射的に顔を上げた砂魚が、黄金色の獣毛に覆われた耳を小刻みに動かして辺りを見回す。
「足下にばかり注意が向いているものと思ったが、鋭いの、小娘」
 さして大きくもない声が、幾重にも反響して届いた。
 緑色の複眼を持つ水干姿のアヤカシが、二町は離れた岩棚に屈んでいる。
「馬手‥‥!」
 アルクトゥルスが、咄嗟に同田貫を抜いた。
「シンギョクは此方かと思うたが、当てが外れたわ」
 耳慣れぬ言葉に、開拓者達が視線を交わし、次いで富士額を見た。
 富士額はきょとんとしている。
「ふん。やはり知らぬか」
 つまらなそうに鼻を鳴らすと、馬手は左腕の鎧虫を上方へ伸ばし、別の岩棚に噛みつかせた。そこを支点に、馬手の身体が宙を舞う。
「事此処に至って未だ持ち出さぬなら、彼の村は何も知らぬと判ずるが当然か。なれば、これ以上あの村を残しておく理由も無し」
 馬手は岩棚から岩棚へと、鎧虫と自らの足を使って飛び移りながら、易々と谷の上を東の方角へと消えた。
「シンギョクの代わりは、他所で探すとしようぞ」
 馬手の声が、峡谷に木霊して消えていく。
 谷の東、魔の森のある方角からは、白い霧とも見える物がゆっくりと空へ広がりつつあった。