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■オープニング本文 ● 村の周りを、継ぎ目のない外壁が取り囲んでいる。空に見えるのは星の光ばかりだ。 継ぎ目が無いのは、広場の地面も、岩造りの家々も同じだった。 岩山の頂上を鍋状にくり抜き、そこに作られた村なのだ。 「無茶だ、広高」 一人の男が、村の広場に集う幾頭かの龍の間を走る。その先には、他の龍よりも二回りは巨大な、鮮橙色の龍がいた。 「俺が蜂共を誘き寄せる。その間に、蜘蛛や百足を迎撃しろ」 広高と呼ばれた青年は微笑む。 と、広高の跨る龍が目を細めた。その思考が、男の頭へと流れ込んでくる。 (案ずるな。お前達が百足どもを片付けた頃に戻って来よう) その首に括り付けられた玉が、淡く光っている。言語の通じない相手に意志を伝える宝珠だ。 広高は腰に佩いた太刀を抜いた。 「力無き人々には、英雄が要る。先頭に立ち、勇気を与える英雄がな」 武天刀の祖の高弟、山本景則が鍛えた太刀だ。硬い物を叩き斬るための、猪首鋒で重ねの厚い、頑強な一口である。 龍達は短い咆哮を上げ、翼を繰り返し打ち下ろした。風圧に耐えきれず、男は鞠のように地面を転がる。 広高の太刀が、南の空を指した。 「姫百合、谷へ誘い込むぞ。派手に飛べ」 (承知。行くぞ、我が子らよ) 龍達の咆哮が大きくなる。 「英雄が、いなくてはならんのだ」 広高の言葉が終わるよりも早く、姫百合と呼ばれた龍は夜空へと舞い上がった。 ● 「‥‥そして、広高は二度と帰って来んかった。もう、二十年ほども前じゃ」 庇の下の椅子に腰掛けた老人は、力無く呟いた。老齢ながら鍛え上げられた身体の脇には、巨大な両手斧が立てかけられている。 その左脚は鉄製の義足になっていた。 「広高の亡骸は南の谷底で、今昔倒れた龍や侍達の骸に紛れて見つかった。が、谷底はアヤカシも多い。刀を特定している暇が無うてな。崖下の小さな洞穴に亡骸を安置して、真新しい刀をありったけその傍に置くのが精一杯じゃった」 老人の正面には、まだ成人もしていないであろう少年と少女が、行儀良く座っている。 ここは武天、染矢の地。魔の森にほど近い村、岩鞍。通りに並ぶ窓の鉄扉と、その内側に付けられた鉄格子が、この地の物々しさを現していた。 岩造りの家々から伸びる庇の下で、町の人々が青果や乾物を商っている。 「ここの空は、静かじゃろう」 老人は、庇の横に覗く空へ視線を向けた。 「龍達も、いなくなってしもた。今下手に鳥や龍が高空を飛べば、虫アヤカシに襲われて殺されるのが落ちじゃ」 「ちょっと」 三人から数丈離れた店で、雑貨商が声を上げる。 アヤカシもないのに胴巻を着込み帯刀した侍が、鬱陶しそうに振り向いた。 「あん」 「金払えよ」 雑貨商は、侍の左手に握られている煙管を指差していた。 が、侍はまるで動じない。 「高々煙管一本で騒ぐな。誰のお陰でこの村がもってると思ってる」 侍は顎を引いて三白眼で雑貨商を睨み付けた。 「それとも、アヤカシを狩ったら手前が報奨金を払ってくれんのか」 「何を」 「止しなよ、あんた」 奥の鉄扉を開けた中年の女性が、雑貨商を止める。 侍は掠め取った煙管を咥えて歩き出し、雑貨商は忌々しげに足下の岩盤を蹴りつけた。 「今や、侍共はあの様じゃ」 老人は項垂れた。 「武天から支給される小銭目当てで、蹴落とし合ってアヤカシを狩るばかりでな。滅多な事ではアヤカシも村には入って来んが‥‥いざという時どれだけの侍が志体の無い皆を守ってくれるやら」 「開拓者のみんななら、いつだって助けてくれるのに」 髪を耳下まで伸ばした小袖姿の少女が唇を尖らせる。 「ここの侍は、金にならん事にはなかなか手を出してくれんよ」 老人は嘆息した。 「そんなわけじゃ。せめて広高の刀だけでも見つかれば、少しは皆、奴のいた頃のことを思い出してくれんかと思うてな。広高の刀には、儂が柄の中へ錆止めの宝珠を仕込んである。少々研げばまだ使えるじゃろう。そこでお二人にご足労願ったわけじゃが」 「うん。それは任せて」 目の前に座る少女が、当然のように答える。 老人は不安げに、少女とその隣に座る少年を見比べた。 「しかし、本当にお二人が、広高の刀を探すのかね」 「ご安心下さい」 肩に届く髪を一つに縛った少年が、両腿に拳を置いて静かに頷く。 「岩崎様の名を汚さぬだけの仕事は、必ずや」 「そういうこと」 武天は水州に住まう刀匠、野込重邦の二子、光広と雲雀は自信満々だ。 二人がこの岩鞍を訪れたのには、わけがあった。 太刀「景則」を見つけ出してほしい。その訴えが腰物奉行の岩崎へと届いたのが一月前。 書状を受け取った時、岩崎は重邦親子が届けに来た新たな太刀を気に入り、万商店へ納入することを決めた所だった。 そこで岩崎は、重邦が刀を鍛えている間、刀を見ることについて人後に落ちない二子に、その仕事を頼んだのだ。 「じゃが、子供だけで村の外に出るのは」 「いえ、刀は開拓者の方が探して下さるそうなので、僕たちは村で目利きを」 光広が微笑んだ。 「開拓者の方々は昼頃到着されるそうですから、そろそろ」 光広の声を掻き消すかのように、外壁に作られた見張り櫓から怒号が上がった。 「馬手だ」 途端、辺りをうろついていた侍達の目の色が変わり、武器を持たない人々が岩造りの家の中へ駆け込み始める。 「馬手だと」 「十万文だ」 侍達が手に手に獲物を取り、東へと走っていく。 老人も血相を変えて腰を浮かせていた。 「めて? って、なに?」 「辺り一帯の虫どもを操っとるアヤカシじゃ。ここ最近出とらんかったが」 老人は右足を引きずって立ち上がり、立てかけてあった斧を手に取る。 「嬢ちゃんがた、早く家に入るんじゃ」 「待って下さい、ご老人、まさか戦われる気ですか」 「儂は志体を持っとる。早く」 老人は怒鳴ったが、顔色を変えた光広が家の中へと老人の手を引く間に、茶店の鉄扉が閉じてしまう。 「しもうた」 通りを見渡すと、最早殆どの扉が閉まっている。 横を駆け抜けていく侍の前へ、老人は咄嗟に立ちはだかった。 「おい、ここに子供が二人おるのだ。守ってやる手伝いをしてくれ」 薙刀を手にした富士額の侍は、露骨に嫌な顔をして見せる。 「知るか」 薙刀の柄で左脚を払われ、老人は堪らず地面に尻餅をついた。 途端、 「このはげ! はじを知りなさい!」 老人が口を開くより早く、雲雀が顔を真っ赤にして怒鳴った。 「は‥‥これは富士額ってんだ、クソガキ」 侍は雲雀以上に顔を赤くして怒鳴り返し、東へと駆け去っていく。 「ご老人、お怪我は」 「何。この程度」 老人は光広の手を借りて立ち上がり、左右の家に目を配った。 幅一尺ほどの黒光りをする装甲が、滑るような動きで半球状の家から駆け下りてくる。 黒い体から橙色の足と触手を生やした、巨大な百足だった。 「しかし、まずいことになったの」 雲雀の前に刀を抜いた光広が、その前に斧を握った老人が立ちはだかり、身構えた。 |
■参加者一覧
柊沢 霞澄(ia0067)
17歳・女・巫
アルクトゥルス(ib0016)
20歳・女・騎
桂杏(ib4111)
21歳・女・シ
十 砂魚(ib5408)
16歳・女・砲
ウルシュテッド(ib5445)
27歳・男・シ
熾弦(ib7860)
17歳・女・巫 |
■リプレイ本文 ● 百足の頭がゆっくりと持ち上がり、その先端から伸びる橙色の触手が小刻みに動く。 「坊ちゃん、無理するでないぞ」 「ご老人も」 老人が斧を右肩に担ぎ上げ、光広はきつく刀の柄を握りしめた。 「雲雀さん、離れないで」 「ん」 軽く身震いをした雲雀は肩越しに振り向き、後方の屋根に蠢く黒い塊を見る。 途端、その顔が明るくなった。 「霞澄姉ちゃん!」 白い祈祷服に黒絹の魔法帽を被った少女、柊沢霞澄(ia0067)が、左右に立つ仲間の身体に榊の杖で触れていた。 百足が後方へと薙ぎ倒され、半瞬遅れて空気の塊が三人の身体を軽く打つ。 乾いた破裂音が家々の壁に反響した。 「雲雀ちゃん達が危ないですの」 霞澄の隣で柔らかな狐の尾を地に横たえ、膝立ちになっていた厚司織の小柄な女性、十砂魚(ib5408)の銃撃だった。 「砂魚姉ちゃんも!」 「お久しぶりですの」 砂魚は笑顔で小さく頷いて見せ、銃口に火薬を流し込む。 雲雀の傍で風が渦巻き、黒皮の外套を羽織った長身の人物が、低い姿勢で足を滑らせながら現れた。 「義足の斧使い。ご老人が依頼人か」 右手に太刀、左手に苦無を握った忍装束の男、ウルシュテッド(ib5445)だ。 「探し物に来たはずだったのですが、そうも言っていられませんね」 同じく早駆で光広の隣に忽然と現れた忍鎧の人物が呟く。 額当てと面頬を組み合わせた面の奥から漏れる声は、穏やかな女性のそれだ。 「えっと、えっと、その声は‥‥桂杏姉ちゃん!」 「お久しぶりです」 綻ぶ桂杏(ib4111)の口元が、面頬の隙間から見える。 「引きつけようかとも思ったのですが、屋根の百足はまだ壁を探っているようです」 「百足だけに、視覚が弱いのかも知れないな」 二人のシノビが、老人を左右から挟むように前へ進み出た。 「開拓者の皆さんですか」 悲壮だった光広の顔に安堵の色が浮かぶ。 「すぐ終わるよ」 ちらりと常磐色の瞳を下に向け、ウルシュテッドは光広の細い肩を左手の甲で叩いた。 地面に打ち倒されていた百足は、今や無数の足を撓ませて首をもたげ、目の前の敵に躍りかかろうとしている。 「まずは初手ですね」 「ご老人、二人を頼む」 二人が黒髪と茶髪を靡かせ、刹那の間を置いて地を蹴った。 百足の前半身が、桂杏目掛けて鞭のように伸びる。その牙をどう避けるか逡巡できるほど、桂杏が住む速度の世界は、百足のそれとかけ離れていた。空間をこじ開けるようにして、百足の正面から桂杏の身体がずれていく。 ついでとでも言わんばかりに、弾丸の突き刺さった頭節の付け根へ忍刀が突き込まれ、捻り抜かれた。毒々しい橙色の体液を噴き出し、百足の体が誰もいない地面にのしかかる。 その頭を、狩人の靴が踏み付けた。 「外殻が硬くとも、頭部なら」 ウルシュテッドは太刀を宙で半回転させて逆手に握り、左手を添え、真上から見える眼に深々と突き立てる。 百足は尾を激しく振るい、ウルシュテッドへ強かに打ち付けた。逆手に持った刀で受けきれる重量と勢いではない。が、弾き飛ばされるかに思われたその長身が淡く光り輝いた。 霞澄の加護結界が、百足の胴を受け止めている。 たたらを踏んだウルシュテッドの両目に、無防備に晒された頭節の付け根が映った。 「節ならどうだ」 背側の甲殻の隙間から、太刀が突き刺さる。 「離れて下さい」 忍刀を握った手の指三本を立てた桂杏が、鋭く声を上げる。ウルシュテッドが、風に吹かれたかのごとく後方へ跳んだ。 桂杏の持つ「蝮」の濡れているかの如き刀身から、本物の水が滴り落ちている。 その鋒が円弧を描き、その軌跡を追って空中から染み出した水が、薄い刃となった。 苦無を手にした桂杏の左手が触れるや、水の刃は猛然と百足に襲いかかり、絡みつき、弾け散る。 一瞬の間隙。 まず水が、次いで百足の体液が、虚しく藻掻き続ける百足の胴が、最後に斬り飛ばされた百足の頭節が、地面に落下した。 ● 「来て早々、厳しい状況になっているようね」 高下駄を鳴らし、神衣の上に白い羽織を着た銀髪の女性、熾弦(ib7860)が油断無く左右の屋根を見上げる。 「できるだけ早く討伐しましょう‥‥雲雀さんと光広さんの一大事です‥‥」 同じく銀髪に祈祷服を着た霞澄は細い眉をひそめ、桜色の唇を噛む。今すぐにでも二人の傍へ駆け寄りたいのを堪えているようだ。 屋根に張り付いた百足は、まだ頭から生えた長い触手で鉄扉を探っていた。視界の端では、白い水干が緩やかな放物線を描いて宙を舞っている。 「馬手はどっちだ」 「東だ」 「西だ」 随所から、怒号と悲鳴が聞こえる。 機転を利かせ先回りした者は、逆に孤立して狙われる。結果侍達は一塊になって馬手童子を追いかけ、機動性を失っていた。まさに烏合の衆だ。 「テンでバラバラじゃねぇか、なってねぇ」 白地に金の縁取りがされた鎧を身に纏う銀髪の騎士、アルクトゥルス(ib0016)が、肉厚の刀「同田貫」を肩に担ぎ、苦々しげに呟いた。 「馬手とやらの相手をしてくれてるだけでもマシですの」 弾薬の装填を終えた砂魚が、簡素な外套の肩に愛銃の基部を当てる。 何かを感じたか、風下となる右手前の百足が首を路地へともたげた。 その家の壁を、同田貫の鋒が激しく引っ掻く。その震動が伝わったか、百足の首がアルクトゥルスへ向いた。 途端、その体が巨人の指に摘まれたかの如く、乙の字状にねじ曲げられた。分厚い外骨格が異音を立てて割れ、百足は体液を垂れ流しつつ屋根から滑り落ちる。 熾弦が開いた扇を蝶の様に舞わせ、力の歪みを生んだのだ。 アルクトゥルスが右手の同田貫を高々と振り上げ、その背に熾弦が声を掛ける。 「援護は任せて」 「任せた」 全体重に加え、鎧の重量をも乗せた渾身の唐竹割りが、百足の体節を叩き割った。 続く一太刀で完全に頭部を断ち割られ、一体目の百足が動かなくなる。 刃物を用いて外骨格の敵を屠る方法は、二つ。一つは忍刀のような反りの浅い刀で、シノビ達のように隙間を突く方法。 そしてもう一つは、同田貫のような肉厚の刀で、アルクトゥルスのように装甲ごと叩き切る方法だ。開拓者達は実に的確な方法で百足に立ち向かっていた。 次いで右奥の百足が屋根を滑り降り、アルクトゥルスに躍りかかる。 百足の腹と、白金の盾とが激突した。 門を打つ破城槌を思わせる音が、村の家々を震わせる。 「お、重‥‥」 アルクトゥルスは足を前後に開き、歯を食いしばった。 黒い百足が、白銀の鎧を猛然と押し始めた。百足の足が霞澄の加護結界の光に弾かれ、虚しく宙を掻く。 まるで板金製の全身鎧を二つ三つ担がされているようだ。なめし革の長靴が地を滑り、練り絹の肌に見る見る内に血が上った。 が、 「虫に迫られたって‥‥」 長靴が岩盤の突起に掛かり、踏みとどまった。 細くしなやかな筋肉の内側を、練力が駆け巡る。後方に伸ばした右足を踏ん張り、左手の盾が徐々に持ち上がり始めた。 「嬉しかねぇんだよ!」 一気に跳ね上げられた盾の上を滑り、百足は軽い地響きを上げて横倒しに倒れた。咄嗟にうつ伏せに戻ろうとした百足をブーツで踏み付け、同田貫の刃を突き立てる。 だがその鋒は、足の一本に当たって鋒が逸れ、刀は甲殻を削るだけに終わった。陽光を反射するアルクトゥルスの鎧に、暗い影が覆い被さったのだ。 「危ないですの」 咄嗟に上方へ翳した盾に手応えは生まれなかった。破裂音が岩造りの家々を叩き、膨大な練力の起こした風が、兜から流れ落ちる銀髪を揺らす。 穏やかな声を発したのは、砂魚だった。ただの一撃で体節の一つを砕かれた百足が地面に叩きつけられる。 マスケット「クルマルス」の銃口から、白煙と共に練力の残渣が波紋状に散っていく。渾身の練力を込めた弐式強弾撃が、上からのし掛かろうとした百足を薙ぎ払ったのだ。 弾丸は百足の胴に五寸ほどの風穴を開けている。一歩間違えばアルクトゥルスの頭が吹き飛ばされていたかも知れない。 冷たい汗がアルクトゥルスの背を伝う。 「のしかかられると、命に関わりますの」 銃口から手際良く弾薬を詰め直し、砂魚は平然と微笑んで見せた。 アルクトゥルスに踏み付けられた百足の身体が雑巾のように捻られ、橙色の体液を撒き散らす。 「硬さだけは尋常じゃないけれど、術に対しては濡れ紙も同然ね」 熾弦の髪が踊り、髪飾りに付けられた折り鶴型の飾りが小さく音を立てていた。 砂魚に撃たれた百足が態勢を立て直すその奥で、桂杏とウルシュテッドが三人の無事を確認している。 その鼻を、焦臭い空気がついた。 「皆さん、耳を塞いで‥‥!」 霞澄の手が閃き、子供の頭ほどの大きさを持つ白い玉を放った。その玉から生えた導火線が、臭いの元だ。 砂魚に胴を砕かれた百足が、臭いに気付き触手を伸ばす。 「うわわわ」 兜を押さえて後退するアルクトゥルスが、目を閉じ耳を押さえた熾弦とぶつかってたたらを踏む。 爆音が響いた。 霞澄の投じた焙烙玉は黒煙と鉄菱を撒き散らし、自ら近寄った百足の身体を吹き飛ばしていた。火薬の臭いに引かれたか、最後の百足が屋根を降りる。 だが最後の一体が、後方からの苦無、前方からの射撃と精霊術を浴び、アルクトゥルスの斬撃を待つまでもなく活動を止めるまでに、五つ数える必要さえなかった。 ● 「霞澄姉ちゃん!」 水晶の面を額に上げ、小走りに駆け寄る霞澄に、雲雀が飛びついた。 「霞澄姉ちゃん、おひさしぶり! 来てくれたんだ!」 「良かった‥‥」 霞澄は雲雀の身体を抱き締める。 「ね、おじいちゃん、開拓者のみんななら、いつだって助けてくれるでしょ」 霞澄の身体にしがみついたまま雲雀は振り向き、得意げに老人の顔を見た。 「本当にの」 辺りを見回してから刀を納めた光広が、深々と頭を下げた。 「危ない所を、有り難うございました」 「光広さんも、よく頑張りましたね‥‥」 霞澄は微笑み、光広の頭を撫でる。 頷いた途端、光広その場にへたりこんだ。両膝が笑っている。 「ほ、本物のああアヤカシを、は初めて見て」 ウルシュテッドが笑い出した。 「それにしては、よく堪えたよ」 霞澄は光広に手を貸して立ち上がらせる。 「お話をするのは‥‥後にしましょう」 桂杏が茶店の中へ声を掛け、鉄扉を開けさせていた。霞澄に背を押され、兄妹は振り返り振り返り、鉄扉の奥へと消える。 砂魚が、身体が直角になるまで老人に頭を下げた。 「雲雀ちゃん達を守ってくれて、ありがとうですの」 「儂は何もしとらんよ。礼を言うのはこちらじゃ」 顔を上げた砂魚の前で、老人は顔をくしゃくしゃにして微笑んでいた。 「嬢ちゃんがたのような気持ちの良い志体持ちを、久々に見たわ。特にそっちの鎧の嬢ちゃんの戦いっぷりなぞ、広高を思い出す」 「私が?」 アルクトゥルスは刀の柄で自分の顔を指す。 頷いた老人は、その刀を見て、目を丸くした。 「うむ。‥‥こりゃ、何かの縁かの。その同田貫、広高の太刀『景則』と同じ、山家の流れを汲む一口ではないか」 「サンケ‥‥」 聞き慣れない言葉に、アルクトゥルスが眼を瞬かせる。 「景則の創始した流派じゃ。山本景則の山の字を取り、山家と武天では呼ばれておる」 アルクトゥルスが愛刀を見つめた、その時だった。 「ひとまず、話はここまでかな」 ウルシュテッドが太刀を構える。その耳は、遠からぬ弦音と怒号を捉えていた。 白い水干が鞠のように空を舞い、それを追って飛来する矢が右手に弾かれて落ちる。 強弓に放たれた一条の矢だけが左の裾を貫き、硬い音を立てた。 途端、水干の左袖が翼のように広がる。 「何ですの、あれ」 砂魚が唇を引き結ぶ。 袖口から飛び出したのは、天儀鎧の大袖を筒状にした様な巨大な芋虫だった。先端の口を大きく開け、矢を番えた弓ごと侍の身体に食らいつく。 長い。袖口から先端まで優に三丈はある。幅だけで三尺は越えるだろう。 鎧虫の体は更に伸び、侍の身体を後方の家へと叩きつけた。重く間の抜けた音を立て、家の壁が崩れ落ちる。馬手童子は甲高い哄笑を上げた。 鎧虫は大根が干されたように縮んで左袖へと戻り、再び巨大化して、童子の後方で薙刀を手に立ちつくす侍へと伸び始めた。 甲高い破裂音が響く。 一発の弾丸がその鎧虫の鼻先を掠め、空へと消えていった。鎧虫は空中で停止し、童子の袖へと収まる。 童子と開拓者達の視線が、交錯した。 両の眼球が収まるべき場所には、緑色の複眼が詰まっている。 「見慣れぬ風体よな。‥‥噂に聞く開拓者か」 腰を抜かした富士額の薙刀使いに、砂魚は白煙を吐く銃口で避難を促す。 「貸し一つですの」 「た、助かる‥‥」 薙刀使いは地面に尻をついたまま、小さな路地へと逃げ込む。 それを追おうともせず、馬手童子は屋根の上に屈み込んだ。 「儂と遊びに来おったか」 間合いを隠す脇構えを取り、アルクトゥルスは笑う。 「強い奴と戦うのは趣味に適うが、時と場合によるって奴でな」 「ふむ」 馬手童子は手甲と一体化した右手で顎を摘み、開拓者達を順繰りに眺めた。 「成程、ヒトにしては精強。弓弦様も討たれようというもの」 桂杏の目が、矢に開けられた水干の穴を凝視する。 穴から覗く袖の中には、鎧虫が垂れ下がっていた。開いた穴の位置、袖の角度から言って、左腕が鎧虫になっているようだ。 人の腕は右腕、馬手だけというわけだ。 「弓弦様も詰めの甘い事よ。弱きを突くとは、力弱きを攻める事に非ず。戦う意志をこそ攻める事」 弦音が響き、童子の体が怪鳥の如く宙を舞う。入れ違いに飛来した幾条もの矢が、屋根に当たって地に落ちた。 侍達の足音が、路地を近付いてくる。 「生憎、仕上げの玩具もできた所。貴様等が今更足掻いても変わらぬぞ」 馬手童子の身体は、一行の視界から消え去っていた。 「逃げたな」 ウルシュテッドは、上方から聞こえてくる足音が遠ざかっていくのを確かめて、小さく息を吐く。 すぐ近くで、侍達の悲鳴が聞こえた。まだ百足は残っているのだ。霞澄が瘴索結界を張り巡らせ、榊の杖で艮の方角を指した。 「あちらです‥‥!」 いの一番に桂杏が、ついでアルクトゥルスと霞澄が走り出した。 「全く、歓迎会は程々にしてくれよ」 舌打ちを漏らすウルシュテッドはまだ走り出さず、装弾をする砂魚の背を預かっている。 「戦う意志をこそ攻める。‥‥『英雄』が負けてしまえば、それを支えにする人達の心も折れてしまうのだから‥‥」 走り出した熾弦が顔をしかめた。 「もし広高を討ったのが馬手の狙いによるものなら、この上なく的確ね」 次いで装弾を終えた砂魚が、熾弦の背を追って走り出す。 殿を務めるウルシュテッドが、呟いた。 「人には何であれ拠り所が必要だが、最後に立ち上がるのは己の足」 遠ざかっていく馬手童子の足音は、その耳にさえ聞こえなくなっている。 「ならば俺達開拓者は、その人々を傍で支える力となるだろう」 |