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■オープニング本文 前回のリプレイを見る ● ここは武天、侠客の町三倉。 町はにわかに浮き足立っていた。 先日のある事件で瀧華一家が大打撃を受け、永徳一家に対抗する力を失ったのだ。瀧華の抱えていたならず者達に緊張を強いられていた町の人々は、久々の自由を謳歌していた。 屋敷の大広間に、人々が慌ただしく出入りしている。屏風が運び込まれ、座布団や膳、食器などを抱えた男達が廊下を行き交っていた。 「半ば諦めてたけど、綾ちゃんも白無垢を着る日が来たのねえ」 菫色の付け下げ小紋を着た中年の女性が、しみじみと呟く。 隣で行き交う人々を落ち着かなげに見ていた振袖姿の綾が、不機嫌な顔を作って女性を睨んだ。 「何よ母さん。諦めてたって」 「盆栽をいじってばっかりの娘がお嫁に行けるなんて誰が思うのよ」 鬢に白いものの混じり始めた母親は、眉一つ動かさずに返す。 言葉に詰まる綾に、母親が続けて尋ねた。 「それで竜三さんは、どこに行ったの」 「さっき雛壇を運び込むって。あ、来た」 綾の視線を、母親が追う。と、長身痩躯の竜三が仲間達と雛壇を抱えて廊下を歩いてきた。まず綾と、そして隣に立つ母親と視線を合わせ、雛壇を抱えたまま背筋を伸ばす。 「どど、どうも」 「竜三兄貴、いきなり止まんねえで下せえよ」 永徳一家の子分達がつんのめりかけ、抗議の声を上げた。母親が微笑み、黙って手で大広間を指す。 その時だった。 「終わったも同然の瀧華なんぞが、何で場を仕切ってやがんだ」 永徳一家の親分、剣悟郎の声が響いた。 雛壇を抱えた男達が、足を止めて大広間の中を見る。 「あ?」 月代を剃り髷を結った壮年の男が、顔を歪めて声を上げる。 「ちょいと親分。めでたい席の準備なんだ、抑えてもらわなきゃ困るよ」 珍しく地味な小袖を着た瀧華一家の女侠客、真朱が、壮年男の袖を引っ張る。 だが壮年男、琢郎の口は止まらない。 「この三倉で縄張りを越えて所帯持つなら、両一家の親分が同席すんのが決まり事じゃねえか。それを、あの年で女も知らねえような野郎が」 「ああ?」 剣悟郎が色を失って腰を上げかけた。 「お、お、女くれえ知ってらあ、ななな何を」 「ちょっと親分」 一同の視線が集まるよりも早く、即座に仁兵衛の手が剣悟郎の総髪をむんずと掴み、畳へ引き下ろす。 「めでてえ席の準備で、竜三に恥をかかせちゃいけませんや」 「めでてえ席の準備で、何の関係もねえ侮辱を受けて黙ってちゃ‥‥」 仁兵衛が、脇に置いてあった杖を剣悟郎の尻に当てる。 後ろから僅かに漏れる殺気に、剣悟郎は渋々腰を下ろした。 「けっ、子分の始末もつけられずに、ヤクで骨抜きにされてたくせしやがって。皮も剥けてねえんじゃねえのか」 「ああん?」 今度は琢郎が色を失い、立ち上がった。 「か、か、皮くらい剥けてらあ! てめえ何をまるで見てきたように」 「親分」 真朱が笑顔で琢郎を羽交い締めにし、後ろに引き倒した。素早く琢郎の喉に手を回し、引きつった笑みを仁兵衛に向ける。 「や、すまないね、ちょっと発作が出たみたいだ」 が、琢郎が気力を振り絞って振り回した拳が、真朱の顎を揺らした。真朱が尻餅をつき、その腕から解放された琢郎が怒鳴る。 「第一なあ、瀧華の娘を嫁に下せえと、手前が俺に頭を下げに来んのが筋だろうが!」 瀧華の配下達は、深く頷くばかりで止めようとしない。 色めき立ったのは、永徳一家の侠客達だ。剣悟郎がすっくと立ち上がり、怒鳴り返した。 「何言ってやんでえ、これまで散々迷惑掛けてきやがった癖して、何をほざきゃあがる!」 「ちょちょちょちょっと、親分」 止めに入ろうとする仁兵衛の腕に、小さな手が飛びついた。 「親分、言っちゃえ!」 竜三の門下生の一人、禅一だった。仁兵衛の足にはその弟、宗二がしがみついている。 「こら、この悪たれども」 仁兵衛が二人を解こうと手を伸ばすうちにも、親分同士の口喧嘩は加熱していく。 「縄張りん中じゃ親も同然だから親分てえんだ、手前の大事な子を頭下げて童貞の一家に差し出す馬鹿がどこにいるってんだ!」 「どどど童貞じゃねえよ! 薬漬けになってた皮被りのとこの娘なんざ貰わなくたって、嫁なんざ幾らでも来るってんだ」 「かかか被ってねえよ! この野郎ふんぞり返りやがって、おう藤野屋、四十越えた童貞野郎の子分なんぞに嫁に行ったんじゃ、娘が何されるかわかったもんじゃねえぞ」 竜三が剣悟郎を止めるため近付こうとするが、やんやの大喝采を送る両一家の住人達に阻まれて思うに任せない。 綾の両親は口も挟めず、壁際で呆然としている。 「言いやがったなこの野郎、おう竜三、こんな皮被り野郎のとこの娘なんざ貰うこたねえ、引き上げるぜ」 「おう出て行け出て行け、野郎共、永徳の連中が尻尾巻いて逃げるとよ、笑わせやがらあ」 「逃げるだと、てめえこの期に及んで」 剣悟郎は片肌を脱ぎ、大きく右足を踏み出した。永徳の住人達が、やんやの大喝采を送る。 「この永徳剣悟郎、逃げも隠れもしやしねえ。堅気を巻き込むのぁ本意じゃあねえが、ここにいる手前ら一家、全員薙ぎ倒して通ったっていいんだぜ」 「大きく出るじゃねえか、堅気を巻き込むも何も、俺一人でのされちまうってのによ」 琢郎が袴を脱ぎ捨てて尻っぱしょりをし、両手に唾を吐きかける。 その時、お祭り騒ぎとなった大広間に冷たい声が響いた。 『親分』 琢郎の後ろに真朱が、剣悟郎の後ろに仁兵衛が立っている。二人とも目が据わり、仁兵衛の手は左手の杖に掛かり、真朱の手は符を握り潰している。 符は瞬く間に燃え上がり、真朱の側に薄く透き通る純白の狐が現れた。 『お二方。ちょいとこっちへ』 二人の声が、綺麗に重なった。 ● 「全く、大の大人のすることじゃあねえでしょう」 「け、けどよ」 「けども反吐もあるもんですかい」 正座をさせられた剣悟郎の前で、仁兵衛が苦虫を噛み潰したような顔をしている。 「あんな大勢の前であんな啖呵を切っちまって」 「そりゃ、売り言葉に買い言葉ってえか‥‥」 剣悟郎は、隣で正座している琢郎と互いに恨みがましい視線を送り合っている。 「親分も親分だ。永徳に手を煩わせたのは事実なんだ、ちったぁ抑えてもらわないと」 「し、しかしよ」 「しかしもかかしもあるもんかい。どうやって収拾つける気なんだい」 綾の両親と竜三、綾の四人を真朱がちらりと見る。 「すまないね、あんた達」 「あ、や、いえ、あの」 「いいえ。お気遣いありがとうございます」 どぎまぎしている父に代わり、綾の母が丁寧に頭を下げる。 「それで、明日の式はどうなりますかしら」 「どうしようかね」 真朱は仁兵衛と顔を見合わせた。 項垂れつつも横目で睨み合っている両親分を見下ろし、仁兵衛が嘆息した。 「こんだけ派手に喧嘩売っちまったんだ。実際にけりをつけねえことにゃ格好もつかねえでしょうが‥‥じきに開拓者の皆さんが着きまさあ。式の方はそっちでひっそり挙げてもらっちまいましょうや」 |
■参加者一覧
鬼島貫徹(ia0694)
45歳・男・サ
平野 拾(ia3527)
19歳・女・志
宿奈 芳純(ia9695)
25歳・男・陰
西光寺 百合(ib2997)
27歳・女・魔
ルー(ib4431)
19歳・女・志
ヴァレリー・クルーゼ(ib6023)
48歳・男・志 |
■リプレイ本文 ● 派手な長着を、何故か十二単のごとく重ね着した剣悟郎が派手に鼻血を垂らしている。片や、達磨のように単衣と袴を幾重にも着込んだ琢郎は顔中あざだらけだ。 仁兵衛の発案で、いい一撃が入る度に相手が服を一枚脱ぎ、自分がそれを着るというルールで始めた決闘は、仁兵衛の目論見通り、小一時間続いても決着がつく様子を見せなかった。野次馬達も流石に飽きて、帰る者が目立ち始めている。 「てめえは気楽でいいな、おい」 剣悟郎が鼻血を掌底で拭い、口許を歪める。 「褌剥いても、まだ剥けるもんがあらあ」 「ぶ、ぶ、ぶ、ぶっ殺す」 琢郎が顔を真っ赤にして吠え、残った野次馬達が一斉に沸く。 と、 「‥‥お久しぶり。覚えて、いるかしら?」 膝を屈めて瀧華一家の人々に紛れ、一人の女性が囁いた。 真朱がちらと振り向き、その目が丸くなる。 「百合。あんた、百合だね」 雪のように白いうなじに艶めかしく掛かる、濡羽色の髪。振袖に身を包み狐毛を使ったマフラーを巻いた西光寺百合(ib2997)が嬉しそうに大きな目を細めた。 真朱が強引に百合の肩を抱き寄せた。 「一言、礼を言いたかったんだ」 百合は気恥ずかしそうに目を伏せる。その背中を、真朱は嬉しそうに叩いた。 「効いたよ、薬」 「だと、いいんだけど。頑張っているって風の噂で聞いたわ」 「ま、あたしが頑張っても、親分達がこのざまさ」 真朱が、殴り合う親分達を細い顎で指す。 「まぁ‥‥男の人は一度意地を張ったら引っ込められないんでしょうから‥‥」 百合は苦笑した。 「気が済むまでやらせる、というのも大事かも‥‥知れないわね‥‥」 「それより百合、あの二人の祝言を挙げてたんじゃないのかい」 「そう、なんだけど」 呆れ顔の百合から耳打ちを受けた真朱が、頷く。百合がその場を離れる。 と、 「ほら、十分喧嘩したでしょ。仕事仕事」 人込みを掻き分けて、カフィーヤを韓紅色の髪に巻き、首から胸元へゴーグルを提げた女性が顔を出した。 「二の倉って、あるらしいね」 ルー(ib4431)の言葉に、親分達の手が止まる。 「その二の倉で、人影が目撃されまして」 涼やかな声が、上から降ってくる。 「焼け残った倉に出入りしているようです」 烏帽子を含め身の丈八尺にもなる狩衣姿の男、宿奈芳純(ia9695)だ。 その手に握られた達磨が両目を光らせ、途端、二人の怪我が嘘のように治っていく。 真朱の前に百合から耳打ちを受けていた仁兵衛が、笑いを堪えて眉をひそめた。 「こいつぁ芳純さん。二の倉に、ですかい」 「梅香の件は記憶に新しいところだ」 低い声が響き、野次馬の列が割れた。腰に刀を二口差し、大紋にロングコートを羽織った茶筅髷の偉丈夫、鬼島貫徹(ia0694)がふんぞり返って現れる。 「琢郎、てめえまさか」 「何言ってやんでえ、薬は残らず捨てたぜ」 「それは承知しているが、これで何かあれば、町の将来に関わる」 親分二人が探り合うが如く視線を交わす。 「一度自分の目で現場を見るべきだな。二の倉の破壊指示が必要になるかも知れん」 「お、おい、今から行く気かよ」 早速踵を返して歩き始めた鬼島に、剣悟郎がうろたえ気味の声を返す。 それを、ぴしゃりとルーが切り捨てた。 「当然でしょ。休む暇がないくらいは罰」 「ば、罰?」 「子分の祝い事を台無しにしたんだから」 町の人々に聞かれないようルーに囁かれ、二人は言葉に詰まった。 「いつまでも子供みたいなことしてないで、親分の仕事する」 窘められ、ぶつぶつと口の中で呟きながら、重ね着した服を脱ぎ始める。 「瀧華の親分は知らないけど、永徳の親分はいつも通りだね‥‥」 ルーが、嘆息しながら呟いた。 ● 三倉から山へ分け入って暫し。見事な猩々緋に染まった百日紅の葉が、風に吹かれて震え、時折枝から宙へと舞い上がる。倉の側を流れる小川は色とりどりの葉を浮かべ、小さな音を立てて流れていた。 大半が焼け落ち、すっかり静寂を取り戻していた二の倉に、今また、奇妙な侵入者達がいた。 「きつすぎないでしょうかっ」 壁に焦げ跡の残る倉の中で、張り切った声が聞こえてくる。 芳純に借りた白無垢の着付けを手伝いながら、綾の母親が深々と頭を下げる。 「ごめんなさいね、うちの娘が‥‥」 「いいえっ! どうぞ遠慮なく‥‥むしろ着てくださいっ!」 胸元と裾に羽毛があしらわれたドレスに身を包み、ジルベリアの血が混じった白い耳にピアスをつけた拾(ia3527)が、何故か綾の胸当てに青いリボンを取り付けながら、笑顔の花を咲かせた。 「あの、拾さん」 「はい、なんでしょうかっ」 綾に声を掛けられ、背を向けて帯を手にとっていた拾が勢いよく振り向いた。途端、スカートがふわりと持ち上がる。 慌てて裾を抑えて赤面する拾の顔を、綾が不思議そうに見つめた。 「もしかして、どこかでお会いしたこと、ない?」 「そ、それはもちろん、何度もお仕事でお会いしていますっ!」 一瞬ぎくりとした拾の白い頬が、ついで首が、広い額が、最後に耳が赤くなる。 「うーん、そういうんじゃなくって‥‥今みたいに、真っ赤になってるとこ、見たことある気が‥‥気のせいかなあ」 頻りに首を捻る。 「それで、あの、他の皆さんは‥‥?」 「あ、他のみなさんは、竜三さんのおきがえの手伝いと、それから親分さんを呼びにいってるのですっ」 拾はくすりと笑った。 「剣悟郎親分が、いらっしゃるの?」 「じきに、来るわ」 扉が開いた。無駄に重ね着した服を脱いでいる親分達を置き、一足先に帰ってきた百合が、扉を後ろ手に閉じて微笑む。 「そう。竜三さん、喜ぶだろうなあ」 嬉しそうに綾の目尻が下がった。 と、綾の母親が百合に掌を見せた。 「あの、西光寺さん。こんなものでいいのかしら」 「ええ。素敵」 百合は黒目がちな瞳を輝かせて頷いた。 「なあにそれ、お母さん」 「西光寺さんが、私のものを何か綾ちゃんにあげてって」 「ジルベリアには『サムシングフォー』と言って、花嫁が幸せになる伝承があるの。まず、何か新しいもの」 百合は、芳純が生け花の特技を生かして作り上げた、ボリュームはあるが派手派手しくはない、どこか気品のある、爽やかな香りのするブーケを手渡した。 「何か借りたもの。何か青いもの」 百合の白い手が、借り物の白無垢越しに綾の下着をつつく。 「拾さん。ちゃんとリボンは、つけてくれた?」 「もちろんなのですっ!」 拾は両拳を握って頷いた。 「それから、お母さんがくれた、この櫛。‥‥うん。これで綾さんの幸せは完璧ね」 結い上げた綾の天儀髪にそっと白い手を乗せ、百合は口許を綻ばせた。 「か、完璧? かなあ」 「もちろん。それから、迷惑でなかったらこれもあげる」 百合は、綾と手を握り合うようにして小さなものを渡した。 その唇が、どこか寂しげに、何ごとかを囁く。 「え、なあに」 「ううん。気にしないで」 百合が手渡したのは、自ら微かに光を放つ、水晶のブローチだった。その美しさに見とれている綾へ、母親が微笑みかけた。 「櫛、大事にするのよ。お父さんが私をお嫁に貰う時くれたのなんだから」 「え」 綾は跳び上がった。 「そんな大事なもの、もらえない」 「いいのよ。綾ちゃんも子供ができたら、結婚する時に譲ってあげてね」 慌てて櫛を取ろうとする綾の手を、母親の手がそっと止めた。そして綾の目を覗き込み、穏やかに頷いて見せる。 「おめでとう。私の大事な綾ちゃん」 ● 一番乗りを競い合って山道を駆けてきた親分二人が、呆気に取られて足を止めた。 二の倉の側、かつて竜三を守って散っていった者達の墓の脇。 燦々たる陽光を浴びて仄かに赤い影を落とす百日紅の前に、紋付きに袴姿の竜三と、白無垢に身を包んだ綾の姿があった。 角張った眼鏡に黒革のコート、ジルベリアのネクタイをピンで留めた銀髪の男性、ヴァレリー・クルーゼ(ib6023)が、竜三と綾に大盃の酒を手渡している。その側には、鬼島が持参した慶事のための樽酒が置かれていた。 竜三の仲間達が眠る二の倉には、ドウダンツツジと石化柳を主とし、南天や白玉椿、雪柳、桔梗を配した生け花がたおやかに飾られていた。 決して豪華ではないが、それゆえに竜三と綾より目立つことなく、それでいて急ごしらえとは思えない気品がある。土いじりや生け花を得手とする芳純ならではの、絶妙の仕事だった。 「まさかこんなところで、祝言を挙げてるなんてね」 二人を先導してきたルーがしらばっくれれば、 「ほう。こんな偶然もあるのだな」 鬼島は面白そうに顎を撫でて辺りを見回し、 「考えてみれば道理か。この祝言を何よりも願った者達に知らせる必要がある。十余年待たせたのだ」 竜三に確かめるようにして言い、頷く。 「ここは、今のこの日へと繋がるその始まりの場所」 「もう、報告は済ませましたか」 芳純が穏やかな笑みを浮かべて尋ねる。 「ううん、これから」 「ちっ、しらばっくれやがって」 「さては計算尽くでいやがったな」 親分二人が、気まずさの混じった複雑な顔で開拓者達を見回した。 口許に微かな笑みを浮かべ、鬼島が竜三の背中を五指で押す。 「眠る連中に、伝えてやるがいい。この少し変わったのが自分の嫁だと」 「ああ」 竜三は、綾の手を取った。 顔を見上げる綾の肩をそっと抱き寄せ、竜三は自分の左胸の前にその頭を持ってくる。その口が、かすかに動く。 「竜三さんのお友達さん。ありがとう。竜三さんを私に出会わせてくれて、ありがとう。皆さんが命を託した竜三さんは、ちょっと変わってて、ひねくれてて、でもとっても優しくて、とっても強くて。私、本当に大好きです」 竜三の左手を、綾の両手がそっと包み込む。 「‥‥さて。そちらのお二人」 ヴァレリーが、大中小の杯を重ねながらちらと後ろを見た。 「この祝言に水を差したそうだが、少しは反省したのかね」 親分二人が、亀のように首を竦めて頷く。 満足げにヴァレリーは頷き、新郎新婦を手で指した。 「では、彼らのために高砂でも謡ってもらおうか」 「仕方ねえ。俺に任せとけ」 「そいつぁ親分の仕事だろうな」 剣悟郎と琢郎が同時に口を開き、視線を交わす。 「‥‥あんだよ」 「何見てんだよ」 「何も糞もあるか、俺が」 「ざけんな、俺が」 再び火花を散らし始めた二人の視線が、同時に前方を向いた。 ルーが二人の頭を掴み、強制的に互いから視線を外させたのだ。 「女を知らないよりも、剥けてないよりも、子供の幸せを考えられない親の方がよっぽど恥ずかしい」 『ぐ‥‥』 一言たりとも反論できない二人は、ちらと綾の両親、そして新郎新婦を見ると、恐る恐る頭を下げる。 「‥‥す‥‥すまねえ」 「邪魔をする気は‥‥」 その時、墓の前で立ちつくす二人に視線を向けたまま、鬼島がぼそりと呟いた。 「何、ルー。侍の世界でも衆道は別段珍しいものではない」 「衆道?」 眉をひそめるルーに、 「うむ。相手の気を引くためにあえて悪態を吐くのだそうだ」 二人の親分が、ぴたりと口を噤んだ。鉛よりも重い沈黙が降りる。 「喧嘩するほど仲がいいという、あれなのですね!」 拾が、小さな手を打ち合わせて目を輝かせる。 「ああ、そういうこと」 ルーが訳知り顔で手を打った。 「ち、違っ‥‥」 「そういうわけだ。大目に見てやれ」 「まあ、そういうことなら仕方ないかな」 「違う! 絶対に違う! ざけんじゃねえ!」 悲痛な二人の絶叫が、二の倉に響き渡った。 ● 一通りの祝言を終え、宴もたけなわとなった頃。 宴の輪を一人離れたヴァレリーが樽酒を墓の前に並べ、眼鏡の奥で優しく微笑んだ。 「君等が命がけで守った竜三君に家族が増えた」 風に吹かれて枝を離れた百日紅の葉が、酒の満たされた枡の中に落ちる。 「いずれはもっと増えるだろう。あの世で一杯やってくれたまえ」 と、綾の泣きそうな声が倉の一つから漏れてきた。 「だ、大胆すぎない‥‥?」 「大丈夫よ。とっても似合ってる」 木立をすり抜ける夕陽の中、百合に背中を押され、綾が倉の階段をおずおずと降り始めた。 「も、も、もうちょっと、その、襟、閉じていい?」 「だめよ。さっきの青いリボン、ちゃんと竜三さんに見せてあげて」 「うう‥‥い、いじめてない‥‥?」 耳の先まで真っ赤になり、綾はルーに借りて羽織っていたマスケッターコートをそっと外す。途端、拾が両手を堅く握り合わせて大きな目を輝かせた。 「‥‥わ、わー! 素敵ですっ! すごいのですっ!」 「す、すごすぎない‥‥?」 鎖骨に沿って、肩から胸までの肌を大胆に見せたウェディングドレス姿だ。襟ぐりからは、アクセントのようにして青いリボンが顔を覗かせていた。 居心地悪そうにスーツを着て、猫背で気まずそうにしていた竜三が、手にしていた猪口を取り落とした。 「へ、へ、ヘン‥‥? だよね?」 竜三の視線が一瞬綾の首から胸元に注がれ、即座に夕空へと逃げる。 「変じゃない」 「うそ。目逸らしたもん」 「そそそれはその、む胸が」 日に焼けた竜三の顔が、じわじわと赤くなっていく。 「み、見えた?」 「見えてない」 見えた見えていないの水掛け論を繰り広げる二人を見ながら、拾が幸せそうに百合の顔を見上げた。 「祝言って初めて見たのですが‥‥良いものですねっ」 「そう。初めてだったの」 「はいっ! ひろいも幸せな気持ちになりますっ」 頷いた途端、その目の端から光るものが落ちた。 白い手に落ちたそれを見て、気恥ずかしそうに目を擦る。 「えへへ‥‥ちょっと涙が出てきちゃいましたっ」 「誰かの幸せな姿を見るというのは、いいものね」 百合に頭を撫でられ、拾はこっくりと頷く。 二人の前を通り、席に戻ったヴァレリーは、そのまま上座の竜三の側へ歩みよった。 「ああ、竜三君。一つ、君に忠告をしておこう」 綾の追及から逃れたい一心の竜三が、一も二もなく向き直る。 「悪い事は言わん。喧嘩は長引く前に謝りたまえ」 「‥‥俺が悪くなかった時は?」 「君が謝るに決まっている」 ヴァレリーの視線は針のように鋭く、真剣そのものだ。 「一つ屋根の下に不機嫌な妻が居る苦痛に比べれば、男の誇りなどまさに埃のようなものだ」 「ああ」 何か思い当たる節があるのか、はたまた二の倉で仲間を眠らせた後の喧嘩を思い出したのか、竜三は口許を綻ばせて頷いた。 「ありがとう」 「なに。妻に先立たれた私だが、私の十数年の結婚生活は‥‥そう、本当に幸福だった」 一瞬遠い目をしたヴァレリーは、すぐに目の焦点を目の前の青年に戻した。 「君にもそうあってほしくてな。長い人生、手を取り合って歩いて行ってくれたまえ」 「ありがとう」 竜三は、ゆっくりと首を左右に振った。開拓者一人一人を、綾の両親を、親分二人を、三倉の町を、そして古い仲間達の墓を見比べ、そっと目を閉じる。 「ありがとう」 千代紙の貼られた行灯が辺りに華やかな光を投げ掛ける中、百日紅の葉が囁くように風に揺れていた。 |